われ自由を愛しながら、試練に乏しく、
激情のままに身を委ねしにはあらねど、
自らの指導者となり、
あまりに盲目的に自信を持ち過ぎたり

――ウィリアム・ワーズワース(一七七〇−一八五〇)

一段深く考える人は、自分がどんな行動をしどんな判断をしようと、
 いつも間違っているということを知っている

――フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(一八四四−一九〇〇)












もう一度謳うぼくたちの歌

第二話『還らざる未来の詩』


『これは、また――』久方ぶりに自分への通信を繋げた主人の姿を確認した世界最高峰の人口知性体であるオモイカネ・ダッシュは口調に面白がっているような調子を滲ませつつ、主人に言葉をかけた。『――随分と“女の子”した格好ですね』

 ネルガル重工業本社、その超高層建築の最上階に天使が舞い降りる。なんとも表現し難い沈黙は、憮然とした声によって破られた。

「エリナだ」

 ダッシュの主人であり、かつての復讐者テンカワ・アキトであった少女メノウ・マーブルは苦い虫でも噛み潰したような顔と声で短く言った。自分の現状に不満を覚えていることを隠そうともしないメノウは、ダッシュの言うところである『女の子した格好』――いささか装飾の凝った黒い服を身に纏っていた。ゴシックロリータ、所謂ゴスロリとよばれる類の服だ。メノウ自身としては、動きやすいパンツルックやそれに類するものを希望したのだが、そんな彼女の希望は、他人からはよく判らない――あるいは判りたくない――理由からメノウとその妹であるラピス・ラズリの世話役を買って出たエリナ・キンジョウ・ウォンによってすげなく却下されていた。彼女曰く、

『類稀なる美少女はそれに見合った服を身に纏うべきだ』

 と、いうことらしい。メノウにしてみれば良い迷惑だった。戻ってきた世界で覚醒するまで、彼女は(その身の上を考慮しないならば)至極真っ当な成人男子だったのだ。幾ら今の自分に似合うからといって、女物の、それもやたらゴテゴテとしたフリルだのなんだので飾り立てられた洋服に袖など通したいはずもない。

 とはいえ、文字通り裸一貫の無一文であり、現状においてはネルガル以外に頼るべきモノの無いメノウにとって、そのネルガルから任じられた自分たちの世話役であるエリナの持ってくる服に袖を通さないわけにはいかなかった。と、いうよりも、エリナはその手の服しか持ってこなかったのであるが。メノウに出来る精一杯の抵抗といえば、エリナの用意した洋服の中で少しでも装飾の少ない、比較的大人しめの意匠のものを選ぶことぐらいだった。

『いや、しかし』ダッシュは、そうした主人の現状を知っていてなお言う。『良く似合っていますよ。ええ、まるでマスターの為に誂えたようです』

「そうだろうとも」

 ダッシュの恐らくは心よりの賛辞であろう言葉に、メノウはこの世の凡てに絶望した人間のような諦観を滲ませた声で答えた。

「俺の為に誂えたんだからな」

 知ってるか? このフリフリした服一着で幾らすると思う? 五〇万だ。五〇万ドレンもするんだぞ? 防弾機能も、防刃機能も、耐レーザー性能も、ましてやジャンプ機能もないただの洋服が五〇万ドレンだ。チクショウ、あの女本気でオカシイぞ。最高級の素材? 一流デザイナーのデザイン? チクショウ、こんな戯けた服に五〇万ドレン。おい、ダッシュ、世の中何か間違ってないか? だいたいが、俺が女の躯に――

『――マスターも随分と苦労なさっているんですね』

 虚ろな目をしてなにやらブチブチと愚痴を呟き始めたメノウを見て、しまった地雷を踏んだか、と後悔したダッシュはどうしたものかと思いながら詫びの言葉を口にした。

「――判れば、いい」

 一通り愚痴を零し終えたメノウは、盛大な溜息とともにそう言うと、IFSを組み込んだ特注のソファ――メノウがアカツキに頼んで用意させた――に深々と身を沈ませた。その心地良い感触に、メノウは眉を顰めた。このソファにどれだけの金が掛ったのかに思い至ったらしい。メノウの頼んだ品は、彼女の考えるところによればかつて〈ナデシコ〉のブリッジに存在していたホシノ・ルリが座っていたような実用性一点張りの質実剛健といった感じのものであった。ところが、頼んでからそう日を置かずに届けられた品は、これまた最高の素材を用いたそれはもう豪華な品物だった。

 心地良い座り心地に眉をより一層顰めてメノウは思った。ああ、もちろんこれはアカツキたちが自分を、ひいてはラピスを無碍に扱わないという気持ちの表出ととれないこともないだろう。だが。ちくしょう、いらんことに金を使いやがって。こんな金があるんならあのときに保険だのなんだのと吝なことを言わなくても良かったじゃないか。

「それにしてもだ」思考のベクトルが過去の苦い体験に思い至ったメノウは、それを振り払うように口を開いた。「エリナは、あんなヤツだったか?」

『あんな、といいますと?』

「あんな、は、あんな、だ」メノウは判ってて言ってるんじゃないだろうな、とでも言いたげな視線で目の前のウインドゥ見ながら言う。「俺やラピスに対する態度だ。少なくても、俺の知ってるエリナはラピスにあんな態度で接しちゃあいなかったぞ。いや、まぁ、確かに多少甘やかしがちではあったが。それでも、あそこまでイカレちゃあいなかった」

 秘匿研究所から連れ出されたあとで連れていかれたブティックでの光景。新しい服を試着するたびになにやらワケのわからない嬌声をあげて過度のスキンシップ――抱擁、頬を摺り寄せる――を行うキャリアウーマン。それらのアタマが痛くなってくるような光景を思い出しながらメノウは言う。

『それに関しては――』再び遠い目をし始めた主人の心情を案じつつ、ダッシュが言う。『ラピスを取り巻く環境の違いが関係しているのではないでしょうか?』

「環境の違い?」

 小首を傾げて疑問を呈してみせる主人の姿を見て、ほんとうに外見だけなら文句なしの美少女ですね、などと思いながらダッシュは主人の問いに答える。

『はい。私やマスターが知っているエリナ・キンジョウ・ウォンという女性にとって、ラピス・ラズリという少女はまず外見がどうの、という前に、五感を失ったテンカワ・アキトをサポートする存在という印象が強かったのではないでしょうか? 加えて言うなら、明らかに好意を寄せていた男性が地獄の底もかくやという状況におかれている状況であまり浮かれた気持ちになれなかった、ということも考慮できます』

「そんなものか」

 人情の機微に関することでの自分の鈍さにある程度自覚が出来ているメノウは、ふむ、と考え込む。確かに、あの復讐の日々はそんなお気楽な行為に及べるような空気には包まれていなかった。それに比べるならば、今のエリナの状況は天と地ほどの差があるといってもいい。自分たちの保護から露見した法に反する研究所の存在によって、なにしおうメガインダストリーであるネルガル重工は、エリナの属している会長派の権勢が『史実』よりも遥かに増している。アカツキやエリナからすれば我が世の春といったところだろう。浮かれてしまうのも仕方がない。

 だが――

「あまり浮かれていてもらっても困るんだがな」

 先程までの、どこかのどかな(そして間の抜けた)話題に関して話していたときとは違う雰囲気を纏って呟かれた主人の独り言に、ダッシュは(もちろん比喩的な意味で)眉をしかめた。

「そういえば」豹変した、といってもいい雰囲気のままにメノウは口を開いた。「〈ユーチャリス〉の現状はどんな按配だ?」

『あまり良い状態とは言えませんね』

「聞かせて貰おう」

『はい。ランダム・ジャンプからジャンプアウトする際に、マスターとラピスの不在という状況、また想定外の場所にジャンプアウトしたせいで艦の制御に不具合が発生。一時的に推力がロスし、火星の地表に不時着する羽目になりました。現在、〈ユーチャリス〉はネルガル・オリンポス研究所から南西に五キロほど離れた地点に、船体の半ばまで埋まるようにして『座礁』しています』

 あと、どうも右に五度ほど傾いている上に、不時着の際に撒き上がった粉塵が船体に大量に付着しています、とダッシュは付け加えた。

「座礁、か」妙な言い回しをしやがる、と思いながらメノウは更に問いを発した。「それで、船殻にダメージは?」

『ディストーション・フィールドを展開していたので、さほどは。有体にいってしまえば、〈火星の後継者〉の残党との戦闘で負った破孔以外は無傷ですね』

「ジャンプユニットはどうだ?」

『こちらもランダム・ジャンプの影響で随分と不具合が発生しています。自動修復機能を使って復旧に努めていますが、完全復旧にはかなりの時間を要すると思ってください』

「相転移エンジンはどうだ?」

『一番から二番はかなり破損しています。工廠に入って本格的な修理を行わないと火が入りません。三番と四番は辛うじて稼動できます』

「ぼろぼろだな」嘆息するようにメノウは言った。「自立航行が可能――ジャンプも含めて――な程度に復旧するにはどのくらいかかる?」

『最低でも、一年』

 帰って来た答えに、メノウは思わず天を仰いだ。次いで、肩を落とした。

「〈ナデシコ〉が火星に到着する時期に間に合うかどうかってところだな」

『〈ナデシコ〉ですか?』メノウの言葉に、ここ数日主人と連絡が取れずにいた際に浮かんでいた疑問と不安を思い出したダッシュが問いを発した。『失礼ですが、マスター。マスターは一体なにをお考えになって――なにをなさるおつもりなのでしょう。そして、それは私にもお手伝い出来ることなのでしょうか』

「というよりも」メノウは何事かを決意した者のみが得ることの出来る光を双眸にたたえて口を開いた。「手伝ってもらわんと困る。嫌でも手伝わせる」

 断固とした口調で言ったメノウの態度に、ダッシュは0と1とで構成された己が思考を安堵させた。〈ユーチャリス〉のメーンコンピュータであるオモイカネ・ダッシュの存在意義は、ただひたすらに己が主人をサポートすることであった。未だ来たらぬ未来においてラピス・ラズリがそうであったように。そして、そんなダッシュにとって、主人の現状にほとんど寄与していない現在の状況は、彼(あるいは彼女)をして、作り出されてから初めてその存在意義の完遂に不安を覚えさせていた。だからこそ、自分に主人のサポートが可能であり、サポートをさせると断言したメノウの言葉に言い表しようの無い安堵を覚えたのだった。

『何なりとお申し付けを。マイロード』人間であれば多幸感に近いものでその思考を満たしたダッシュは、彼/彼女を包む気分のままに宣言した。『それで、マスター。マスターは何をお考えになっているのでしょう。この懐かしき過去に舞い戻られてからこちら、何を思っていらっしゃるのでしょうか?』

「ここに戻ってきてからというよりも」妙に声を弾ませているダッシュにかすかに首を傾げながら、メノウは答えた。「あの地獄からアカツキたちに救い出されて以来、考えてきたことがある。何故、あの日、あのシャトルで俺たちは地獄に引き込まれられねばならなかったのか。何故、あってしかるべき人としての幸せ、尊厳――それらを略奪されねばならなかったのか。ダッシュ、判るか? 俺には判った。あの煉獄の如き日々で指一本動かすことすらままならぬ体を癒す間の手慰みに始めたIFSを使った速成教育で得た知識は、それを俺に教えてくれた。明確な結末だ。それを齎さなかったばかりに、あの地獄は俺たちの前に姿を現したんだ」

『明確な結末、ですか?』

「そうだ。何故、木連との和平など成さねばならなかった? 何故、連中に力を残したまま存続を許した? 目には目を。歯には歯を。暴力には暴力を。流された血は、血を流させることでしか購えぬというのに。そう、そんな簡単なことを理解していなかった。浮ついた気分で『戦争』やってたバチだ。ガキの幼稚な気分で戦争やってそれを終わらせたツケを俺は、俺たちは払わされたんだ」

『それで、マスター。マスター、貴方は今度は木連をお許しになるつもりはないのですね? 彼等に流された血の代償を払わせるつもりなのですね』

「無論だ。何故、許さねばならん? 許すとしたら、それは連中に嫌というほど血を流させたあとで、だ。さもなければ、今度もあの地獄は俺たちの前に姿を現すぞ? 俺たちの莫迦さ加減を嘲笑いながら。そんな未来など御免被る。少なくても、俺はあの未来を認めない。ああ、認めるものか。認めてたまるものか」

 血を吐くような口調で言うメノウの言葉に、ダッシュは自分の主人の覚悟のほどと憎悪の深さを思い知らされた。どれほど愛らしい姿に容姿が変わっていようと、彼/彼女の目の前にいる主人は太陽系宇宙を憎悪のままに疾駆した復讐鬼としての本質を失っていなかった。ダッシュはその覚悟と憎悪を従容と受け入れた。それこそが、ダッシュに求められていた凡てであり、彼/彼女がそうあらんと欲する在り様だった。

『それで、マスター。具体的にはいったいどうなされる腹積もりで?』

 地平の果てですら付き従う従順な従僕としての態度を隠さずに、ダッシュはたずねた。

「そうだな、まず――」

『ちょっと、メノウ。いいかしら?』

 一人と一体の会話を遮るように部屋の入り口のドア、その向こうから声が響いた。エリナだった。彼女の声を認めた瞬間、ダッシュがメノウの眼前に展開していたウインドゥが掻き消える。彼/彼女の存在はメノウしか知り得ぬ秘密であり、それをエリナに知られるワケにはいかなかった。勿論、通信ログも初めから何処にも繋いでいなかったように細工された。

「――かまわない。入ってもいいぞ」

 ダッシュの細工を確認したメノウは、溜息混じりにエリナに告げた。見るからに金が掛っていそうな造りのドアが開かれる。

「あら」入室を許されたエリナが、ソファに沈み込むようにして座っているメノウを見て眉を顰めてみせる。「そんな地味なの着てるの」

「地味で結構」第一声がそれか、と溜息をつきたくなるよう思いでメノウは答えた。無論、声はそっけないものだった。「あんなゴテゴテとしたヤツを着れるもんか。これでも我慢してるほうだ」

 慨嘆するように言うメノウに、エリナは端から見てもそれと判るほどに眉をしかめてみせた。

「何を言ってるのよ。女の子は着飾ってナンボよ。楚々とした格好の女がイイっていう男もいるけどね、そんなのは連中の勝手な言い草よ。女の子は誰だって可愛らしく着飾りたいのよ! それにね、メノウ。貴女みたいに超一級の素材を素のままでいさせるなんて私の沽券に関るわ」

 一気に言い放つエリナに、メノウは溜息をつきながら思う。もしかして着飾りたいのはオマエのほうなんかじゃないのか、と。ああ、確かに、エリナの年と容姿(悪いってわけじゃあないが)じゃあこの手の服はキツイだろうな。だからといってその願望を無責任に果たそうとされても困るんだが。あと、沽券って何のだ。

「他のヤツのことなぞ知らん」メノウはエリナの主張を真っ向から斬って捨てた。「俺は、こんな派手な服は嫌だ。嫌なんだよ」

「前々から思っていたんだけど」

「なんだ?」

 ヤロウ、こっちの言い分を完全に無視しやがった。あからさまな姿勢表明だった。おそらく、エリナはこちらの言い分を聞き入れるつもりはまったく無いに違いない。ちくしょう、覚えてやがれ。内心の怒りを押し隠しきれず、こめかみに青筋を浮かべてメノウは尋ねる。

「それよ」

「だから、何がだ、と聞いている」

「口調よ、口調」メノウの放つ言葉に眉を怒らせながらエリナは言った。「どーしてそんな雑な言葉使いなのよ貴女。顔と口調がちっとも一致してないじゃないの」

「放っておいてくれ」

 服だけじゃなく、口の利き方まで指図されなきゃならんのか。内心でそう思いながら、メノウは途方に暮れたような表情で、だがしかし、断固とした何かを含んだ口調で言った。だが、そんなメノウの態度に、エリナは手強いものを感じ取ったのか、正面から当っていたのでは埒があかないと感じたらしい。部屋を見渡して口を開く。

「ラピスは何処にいるのかしら?」

「ラピス?」突然の話題の転換に戸惑いながら、メノウは答えた。「ラピスなら隣の部屋で寝てるが――ラピスがどうかしたのか?」

「貴女、ラピスのお姉ちゃんなのよね?」

「そのつもりだ」

 それがどうした? と言いたそうなメノウに、エリナは諭すような口調で言った。

「つまりは、貴女がラピスのもっとも身近にいる年上の女の子ということよね? それは、ラピスちゃんにもっとも影響を与える人物ということでなくて?」

「そういう考え方も出来るな」

 相手が何を言いたいのか、いまいち察することの出来ないもどかしさと、得体の知れぬ不安に居心地の悪い思いをしながらメノウは答えた。そんなメノウの答えに、エリナは我が意を得たり、とばかりに頷きながら言う。

「メノウ、貴女は姉として、自分の妹が汚い――とまではいかなくても、雑な言葉使いをする女の子になるのを許容するのかしら? このままいけば、あの子は貴女に影響されて間違いなくそういう子になるわよ?」

 あの子、半端じゃなく貴女に懐いているから、間違いなく真似するわ、とエリナは言った。そんなエリナの言い草に、メノウは自分が搦め手から攻略されようとしているのを自覚した。今のメノウにとって、ラピスは最大の擁護対象であると同時に、最大のウィークポイントだった。ラピスのことを引き合いに出されてしまっては、自分としてはエリナの主張に首を縦に振るしか手は無い。そのことに思い至りつつ、メノウは絶望的な思いを抱きながら抵抗を示す。

「いや、だが、その、なんだ。ほら、ボーイッシュな言葉使いという取り方も出来るだろう?」

 だが、エリナはそんなメノウの抵抗を鼻で笑い飛ばすように口を開いた。

「ボーイッシュ? ああ、女らしさを得ることが出来なかった落伍者の使う言い訳ね。はっ、前世紀のフェミニストじゃあるまいし。女が女らしく生きないでどうするのよ。誰がどう言おうと、女として生まれたからには女として生きるより他にないのよ。それが嫌なら性転換手術でもして男にでもなってしまえばいいのよ。大体が、女を磨く努力もせずに男女同権だのなんだのと履き違えたことをぬかす――」

 いかん、妙な地雷を踏んだらしい。舌鋒鋭く持論を展開するエリナの何時果てるとも知れぬ独演に頭を抱えたい気持ちになったメノウはそう思った。同時に、このままいけば俺は服装から言葉使いにいたる何から何までエリナに教育されちまうんだろうな、と暗澹たる気分になる。そして、それはそう間違った想像とはいえなかった。何故なら、彼女はテンカワ・アキトであった頃よりアクの強い個性に引きずられがちな性格だったのだから。



 ネルガル重工本社ビル最上階には二人の妖精が住み着いている。

 そうした噂がここしばらく本社ビルに出入りする人々の間でまことしやかに囁かれつつあった。もちろん、その噂の対象は、メノウ・マーブルとラピス・ラズリの二人のことである。なるほど、アッシュブロンドと薄桃色の長い髪をもつ二人の少女は、幼いながらも神域の造形といっても過言ではない容姿を誇っているので、妖精と呼ぶことに誰も異論はないだろう。噂の出所は、最上階にある会長室に出入りする機会の多い秘書課の人間であろう。基本的に、メノウたちに宛がわれた部屋には生活に必要な凡てが揃えられており、部屋から出ることは稀なのだが、皆無というわけでもない。おそらく、その稀な『外出』にでくわした人間がいたのだろう。

 そうした噂に関して、ネルガル上層部――というよりも、ネルガル重工会長アカツキ・ナガレはこれといった対処はしなかった。もちろん、非合法の存在である二人のマシンチャイルドの存在が公になるのはまったくもって有り難くない事態をネルガルに招き寄せる公算が高いのだが、それについては二人の戸籍を作った際に、生い立ちを偽装――つまり、法規制の前に『製造』された、というふうに記録を弄った――したので、あまり問題にはならない。それに、人の口に戸を立てることなどできる筈もない。下手に緘口令など敷こうものならば、それこそ自分たちに疚しいところがあると声高に喧伝しているようなものだ。そうした按配であるからか、アカツキ・ナガレはこのささやかな噂に対する対応を二人の有能極まりない部下から求められた際に、放っておくのがよい、との判断を下していた。その判断自体は至極真っ当なものなのだが、それを伝えた際に、あの二人が妖精ってのは実に言いえて妙だね、とどこか暢気な口調で漏らして、それを聞いた部下に苦笑と呆れの表情を浮かべられた。

 さて、その噂の言うところの二人の妖精――メノウ・マーブルとラピス・ラズリがその住処をネルガル重工本社ビルの最上階に定めたのはそれなりの理由が存在していた。この場合、メノウとラピスの二人が、というよりもメノウが、と表現したほうが正しいだろう。当初、NSS――ネルガル・シークレット・サーヴィスの要員が警備を担当しているネルガル高級社員用の社宅に住んでもらう、という案がプロスペクターから出されたのだが、メノウはそれを拒否していた。自分たちの安全の為に、という理由で。

 メノウの告げた理由に怪訝そうな表情を見せたネルガルのトップ3の面々――アカツキ、エリナ、プロスに、メノウは自己の見解を開陳した。彼女曰く、NSSの技量はけして低いものではない。おそらく、それなりの安全を自分たちに提供できるだろう。

 それを聞いた三人はメノウに頷いてみせた。ネルガル・シークレット・サーヴィスは単なるネルガル重工の警備部門ではなく、先代まではかなりダーティな仕事をこなしてきたネルガルの諜報、防諜といった役目を司る部門であり、その技量は同業他社であり、同じメガインダストリーであるクリムゾン・グループや明日香インダストリーの有しているそれよりも遥かに優秀である。また規模さえ及ばないものの、日本のSRIや英国のSIS、合衆国のFBIやCIAといった政府系情報機関と同等以上――もっとも、STAやFIAといった連合のそれには敵わない――の能力を誇っているというのが同業者たちに共通した認識だった。加えて言うなら、NSSは情報能力に輪をかけて戦闘力もずば抜けている。アカツキの代になってから、その商いが多少はクリーンなものになったとはいえ、生き馬の目を抜く『商売』の世界では、表側に出てこないドンパチの数はそれなりのものであり、それらに対応すべく、NSSの要員たちは日頃から厳しい訓練をこなしている。射撃訓練を引き合いに出すならば、一人あたりの年間弾薬消費量は、伝統的に軍事予算(これまた伝統的に防衛予算と呼ばれる)を抑える傾向にある日本国の陸上自衛隊、その普通化(歩兵)部隊のそれを軽く上回るほどだ。それを知っているアカツキたちは、であるからこそメノウの言葉に頷いていた。ただ、プロスペクターだけは、メノウがそうした認識を持っている事を一人訝しんでいたが。

 自分の言葉に頷いてみせた三人に、メノウは更に言葉を続けた。おそらく、それなり。それでは駄目なのだ、とメノウは言った。

 自分たちは成功例の少ないマシンチャイルド、その貴重な成功例。確かに公の存在ではない非公開の成功例であるが、壁に耳あり障子に目あり、何処から情報が漏れるか判ったものではない。そして、それを知った者たちが自分たちを確保しようとしない保障は何処にもない。

「例えばクリムゾン・グループ」

 ――あるいは木星蜥蜴。

 人の悪い笑みを浮かべてそう呟いたメノウに、アカツキたちは頬を引きつらせた。クリムゾンは判る。法で規制される前にあらかた研究を行ってしまっていたネルガルとは違い、彼らは出遅れている。なんとなれば非合法な手段に訴えてでもマシンチャイルドの確保に乗り出すだろう。それが公の存在ではないのなら躊躇はしまい。

 そう、クリムゾンは判る。判るのだが。

 どうしてこの少女は謎の敵対者である木星蜥蜴のことを口にしたのだ。もちろん、アカツキたちはかの敵対者の正体が百年前に月を追われた独立派の子孫であると知っている。火星会戦の前に、政府や主要企業、マスコミ各社に自分たちから伝えてきたのだ。むろん、その存在を公にしたくない政府の圧力によって隠蔽されているが。

 何故、その隠蔽された事実をこの少女は知っているのか。そう目で問うアカツキたちは、彼女が返した答えに嘆息した。

「電子情報として残っているなら、たとえ何処に隠しておいても俺に知り得ぬものはない」

 なるほど、ネルガルの機密をことごとく入手したメノウが口にすると説得力がある台詞だった。

 それは兎も角、そうした次第でメノウは自分とラピスの安全がいかに危ういものであるかをアカツキたちに納得させた。そしてその代わりにメノウが望んだのが、ネルガル本社、それも会長室のある最上階のフロア――というわけだ。それは兎も角、そうした次第でメノウは自分とラピスの安全がいかに危ういものであるかをアカツキたちに納得させた。そしてその代わりにメノウが望んだのが、ネルガル本社、それも会長室のある最上階のフロア――というわけだ。

 流石にどの勢力も一等地にあるネルガル本社を襲撃することはあるまい。加えて、その会長室がある最上階ならば警備レヴェルも申し分なし。なるほど理に適った提案だった。

 むろん、アカツキたちとしても異存があるはずもない。無論、本来であれば生活の場ではない空間に、その機能を与えるためには幾らかの改装とその費用が必要であったが、それを勘案しても異論はなかった。貴重な、そして自分たちの弱みを握っている少女たちをもっとも安心出来る場所に保護しておくのだから。もっとも、アカツキは、

「何、こんな可愛らしい子たちが自分の職場の近くにいると思えば仕事も捗るしね」

 などと軽口を叩いていたが。

 そうした次第で、メノウとラピスはネルガル本社最上階に居を構えている。その最高のVIP待遇で、この地球上でもっとも安全な場所の一つである場所に居を構えている、この世のものとは思えないほどに愛らしい少女たちは、

「――――」

「――――」

 自分たちに宛がわれた部屋の中でぐったりとしていた。憔悴しているといってもいい。彼女たちをこれほどまでに憔悴させた原因は、この部屋に散らばる無数の衣装たちであった。より正確に言うならば、これらの衣装をもって行われたエリナ・キンジョウ・ウォンの手による大着せ替え大会が、二人の妖精から口を開くのも億劫になるほどに疲労させていた。

 視線を造りの良いソファに身を沈ませてぐったりとしている二人の妖精から、床に散らばる無数の――十着や二十着ではきかない――衣装に移し、それらをある程度見比べてみると一つの共通点が見て取れた。

 可愛い。

 この一点のみにおいて、それぞれ異なった意匠の服たちは共通していた。人間のデザインに関する才能を、ただ着るものが着れば極上の効果を発することにのみ発揮させて作りあげられた無数の衣装。その床に無造作に脱ぎ散らかされた凡てに、メノウとラピスは袖を通していた。いや、通せさせられていた。誰に、といえば言うまでもなく、メノウとラピスを可愛らしく着飾らせることに尋常ならざる執念を見せるエリナによってである。

「なぁ、エリナ」床に散らばる服たちをうんざりとした表情で見ていたメノウが、体と心の奥底から滲み出てくるとてつもない疲労感を隠そうともせずに口を開いた。「俺――じゃない、私たちは何時までこんなことをすればいいんだ――じゃない、いいの?」

 男言葉を用いるたびにエリナから鋭く、そして厳しい視線を浴びせ掛けられては言い直しつつ、メノウは言った。隣のラピスも、『姉』の奇妙な態度に首を傾げつつも同意の意を見せている。

「何を言ってるのよ!!」

 この惨状を現出させた張本人、ネルガル会長秘書エリナ・キンジョウ・ウォンは泣き言に近い呟きを漏らす二人の妖精に吼えた。手にはゴスでロリなドレスと、シンプルなワンピースが握られている。

「あのな――、じゃない、あのね、エリナ」怪気炎をあげるエリナに、疲れたような顔でメノウが言った。「もうかれこれ三時間はこうしている――のよ? いいかげん疲れる、わ」

 チクショウ。メノウは疲労感だけを原因としない不快の表情を浮かべつつ思った。チクショウ、よりによって俺がカマの真似事みたいな言葉使いをさせられた挙句、こんな洋服を着なきゃならんとは。チクショウめ、魔女の婆サンの呪いか何かか。

 内心で毒づきながら言うメノウの言葉に、彼女に寄り添うようにしてソファーに腰掛けているラピスも頷く。

「だいいち、仕事のほうは放っておいてもいい――、の? ネルガルの会長秘書ってこんなところで油を売っていられるほど暇じゃないだろ――でしょう?」

「ああ、それは」メノウたちに着せる服をあれこれと物色していたエリナが顔をあげて答える。「問題ないわ。午後から半休取ったから」

 あっさりと言ったエリナに、メノウは眉をしかめてみせた。

「えらくあっさり言う――わね」

 仕事、溜まるんじゃないか? と、呆れ顔でメノウがたずねる。

「いいのよ、偶には。ここ最近、働き詰だったし」

 少しは休まないとね、とエリナ。それから、すこしばかり人の悪い笑みを浮かべて続ける。

「会長に仕事押し付けてきたから。最近さぼり気味だったから、少しは働いてもらわないと」

 おお、今を煌くメガインダストリーであるネルガル重工会長アカツキ・ナガレ。汝の魂に救いのあらんことを。書類の山を前にしてげんなりしているネルガル会長を想像して、メノウはロンゲの会長を憐れんだ。もっとも、他人のことばかりを憐れんでいるわけにもいかなかった。 

「さぁ、次はこれにしましょうね〜」

 満面の笑みを浮かべ両手に可愛らしい服を携えた会長秘書がアカツキの魂の救済を祈るメノウとその妹に迫っていた。


 ネルガル重工会長の筆頭秘書エリナ・キンジョウ・ウォンはお堅い女性――彼女を知る人々の間にはそうしたイメージが根付いていた。それは概ね間違っていない。むしろ彼女自身がそうあろうとしていた。

 幾ら男女平等を謳ってみたところで、世の中には確実に性差別というものが存在している。それはネルガルという企業においても変わりはない。そんな社会の中で上を目指そうとすれば障害は幾らでも存在している。

 大抵のOLがそうであるようにお茶酌み要員として会社員人生を終える――つもりなど毛ほどもないエリナは、強くあらねばならなかった。同期の男性社員を蹴散らし、セクハラまがいの言葉をかけてくる脂ぎった上司を愛想を振り撒きつつ肘で打ち付ける。敵は幾らでもいた。そんな環境において、エリナは周囲に弱みを見せるわけにはいかなかった。

 そうした意識が、周囲に彼女をお堅い人物だとみなす要因とさせていた。あるいは、人間的余裕を奪う要因といっても過言ではないかもしれない。

 だが、そうしたお堅い印象のエリナには、彼女をそうしたイメージで捉えている人々が知れば思わず仰け反ってしまいかねない嗜好が存在していた。

 可愛い物が好き。

 ファンシーな小物やヌイグルミに人形、果てはゴスロリな服。まぁ、ゴスロリ服に関しては自分が着ても致命的なほどに似合わないことを嫌になるほど知っている(一度試してみた)ので、カタログを眺めて悦にいるにとどめている。

 兎にも角にも、エリナは可愛いものに目がなかった。生き馬の目を抜くような出世競走の中で唯一エリナが強くあらなくてすむ、そんな一時の清涼剤のような趣味である。むろん、誰にも言えない。言えばまたあれこれと言われることは判っていた。特に、自分の直属の上司であるネルガル会長が冷やかしのネタにするのは目に見えていた。誰にも言えぬ密かな愉しみ。

 だが、墓の中まで持っていくつもりの秘密は思わぬ形で露見した。

 天下のネルガルを脅しつけた脅迫者を上司と共に保護するために向かった社長派の秘密研究所。そこで出会った二人の妖精。

 その神秘的な二人の少女にエリナは目を奪われた。

 いや、奪われたのはその精神であろう。この世のものとは思えぬ美しい容姿のメノウとラピスを目にしたエリナは、自分の精神がこの少女たちに囚われてしまったことを悟った。特に、アッシュブロンドの髪を持つ少女――メノウに。

 妖精、という表現がしっくりくる容姿。そして、その外見とは裏腹に全てを見通すような醒めた視線。その存在すべてに、彼女の心は囚われてしまった。

 そうして、気が付けば今まで自分が纏っていたイメージをかなぐりすててメノウとラピスに抱き付いていた。その場にいた会長とNSS長は唖然としていたようだが、知ったことではない。この愛らしい少女たちを愛でるのに、人目など偲んでいられようか!

 そうした次第で、彼女の秘密は(ごく近しい人々に限るが)周囲の知るところとなった。おかげで、それまで被っていたお堅いイメージという仮面を脱ぎ捨てたことによって、周囲の彼女に対する評価も好意的なものへとなっていった。曰く、「最近のエリナさんって角がとれて接しやすくなったよな」という按配である。本人にしても周囲の人間にしても歓迎すべきことだろう。

 もっとも、その趣味に付き合わされる二人の妖精――特にメノウにしてみればいい迷惑であったが。


「さぁ、お着替えしましょうねぇ〜」

「いや、もう十分に着替えたんじゃないかなぁ〜、と思うんだけど」

 諸手に可愛らしい服を携えてにじり寄るエリナに、メノウは後ずさりつつ引きつった笑みを浮かべていう。それを聞いたエリナは、人差し指を立てて、ちっちっち、と小刻みに左右に振ってみせた。

「何を言ってるの。まだ着てない服は軽く三桁はあるのよ?」

 ちなみに、購入資金はアカツキのポケットマネーだ。財布の紐まで握られた会長に幸あれ。

「それにね」ひどく真剣な顔でエリナは言う。「可愛い子を着飾らせるのは神聖にして崇高の義務なのよ」

 ――真顔で言われても。メノウは天井を仰いで思わず嘆息した。その一瞬の隙を、エリナはついた。ほんの一瞬、自分から視線をはずしたメノウの隙をついて一呼吸で間合いを詰め、次の瞬間、

「――――なッ!?」

 メノウが驚愕の声をあげた。無理もない。気付いた瞬間には下着姿に剥かれていたのだ。

「ど、どどどどどどどどどどど――――」

 どうやって――!? そう叫ぼうとしたが、気が動転して言葉にならない。無理もない。ほんの一瞬、目を離した隙に間合いを詰められたあげく着ている物を脱がされたのだ。まったく知覚出来なかった。メノウの知る限りでは、エリナ・キンジョウ・ウォンという女性は有能ではあったが一般人だった。下手をすれば北辰をも上回る身のこなしを見せるような人物ではない。

「人間、やろうと思えばどんなことだって出来るわ」

 ニヒルな表情で言うエリナ。差し詰め精神が肉体を凌駕した、といったところだろうか。

「――――無茶苦茶だ」

 可愛らしいショーツを穿いた股間と、ブラをつけていない――というかつける必要のない――胸を両手で隠しつつメノウは呻いた。顔は羞恥に紅く染まっている。下着姿を見られることに対してはさして羞恥を覚えるわけでもない。なにしろ、中身はいまだ男のままなのだ。が、自分が誰かに裸に剥かれるというのはどうにも屈辱であり、恥辱だった。しかも自分を剥いているのがよく知った女性という点に堪えようも無い恥ずかしさを覚えている。

 その表情にそそられるモノを感じたエリナが、メノウに羞恥を覚えさせている理由を誤解しながら舌なめずりしつつメノウに近付く。顔には実に良い笑顔を浮かべている。

「さぁ、お着替えしましょうね」

「い、」メノウの顔が恐怖に引き攣る。「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?」

 最上階に魂消えるような、それでいて女子供があげるような叫びが響いた。



「それは災難だったね」

 書類の山を前にしてコーヒーを啜っていたアカツキが苦笑を交えながらそう言った。ちなみに、デスクに積まれている書類の半分は自分の、もう半分はエリナに押し付けられたものだ。

「笑い事じゃないぞ、まったく」

 げんなりした顔で応接用のソファーに身を沈めるメノウが答えた。場所は、アカツキのオフィス――つまり、ネルガル重工本社最上階の一角を占める会長室だ。エリナ主催の大着せ替え大会を終えたメノウは、心身ともに疲労し尽くした体に鞭打ってこの部屋を訪れていた。エリナがこの場にいないため、思う様男言葉を用いている。たとえ、また明日になれば矯正されると判っていても、慣れた言葉で話すのはそれだけでストレスの解消になるらしい。その彼女の手にはアカツキが手ずから淹れたコーヒーの入ったカップが握られている。はぁ、と溜息をついてコーヒーを口に含むメノウ。と、目を丸くした。

「美味いじゃないか」

「そいつは良かった」メノウの漏らした感想に、アカツキは破顔した。実にてらいのない笑みだ。「最近はコーヒーの淹れ方に凝っていてね」

「自分でコーヒーを淹れて客に出す会長っていうのも珍しいな」

「エリナくんに頼むと凄い目つきで睨まれるからね」

 肩を竦めてみせるアカツキ。メノウはそんな彼の妙に煤けて見える姿を見たあとで瞑目し、思った。不憫な。

「ご愁傷様」

「どちらかといえばこっちの台詞だね、それって」苦笑を浮かべつつアカツキが言う。「それにしても、お堅いイメージのエリナくんにあんな一面があったなんてねぇ」

 まぁ、おかげで人間が丸くなったからいいんだけど。アカツキはそう言うと自分で淹れたコーヒーを口にした。

「こっちは堪ったもんじゃない」

 あれから二時間に渡ってエリナのファッションショーのモデルを勤めさせられたあげく、彼女所有のハンディカメラにその一部始終を収められた。メノウにしてみれば憤死ものの時間だった。

 ぷりぷりと怒るメノウに、アカツキが苦笑を浮かべる。内心で、怒った顔も可愛いねぇ、などと思っていることは秘密だ。

「まぁまぁ。可愛いし似合ってるんだからいいじゃないか」

 言ったアカツキの言葉に、メノウは顔をしかめる。繰り返しになるが、未だにテンカワ・アキト――いや、黒の王子の残滓を心のうちに宿すメノウにすればそれは褒め言葉ではない。ただ、鏡などで今の自分の姿を確認すると、客観的に見れば可愛いのだろうなぁ、と思ってしまうのも事実だったが。

 そのため、アカツキが漏らした褒め言葉にも素直な返し方ができない。

「大関スケコマシの眼力も落ちたのか? ラピスが可愛いっていうなら判るんだが」

 やれやれ。アカツキは今日幾度目かの苦笑を浮かべながら内心で思った。このお姫様にも困ったものだ。自分がどれだけの容姿を誇っているのか理解していないときている。黙っていれば天下に二人と並ぶ者のないほどの美少女だというのに。

「ラピスちゃんが可愛いのはもちろんだけどね。なんというか彼女からは人間らしさが感じられないというか作り物のような人形のような――そんな怖い目で見ないでくれよ」作り物、と口にした途端に射殺すような視線で自分を見るメノウにアカツキは肩を竦めてみせた。「あくまでそういう印象を受けるっていってるだけだよ。彼女が人形だなんて思っちゃいない。ラピスちゃんは人間だよ。間違いなく」

「当たり前だ」メノウは冷たい口調で言う。「二度とラピスのことを人形みたいだなんて言うな」

「言わないさ」アカツキは莫迦みたいに真面目な顔で言う。「キミに嫌われたくないからね」

 真面目な顔で本気ともとれる冗談を口にしたアカツキに、メノウは溜息を一つ。

「ほんとにペドフェリアなのか?」

「未来に対する先行投資というやつだね。メノウくんは将来綺麗になるだろうから」

「ハンバートの同類じゃなくて良かった。もしそうだったらラピスを近付けないようにしないといけないからな!」

「少女に溺れて身代を潰すほど酔狂じゃないよ、ボクは」

 どうだか。メノウは思った。少女云々は別として、酔狂じゃないというのは信用しがたい。酔狂でなければ仕事を放ってパイロットとしてナデシコに乗り込んだりしないだろうに。そこまで考えて会長室をたずねた用件を思い出した。

「なぁ、アカツキ?」

 意図してかしないでか、メノウは甘えるような声で言う。いや、甘えた、というよりも闇のもっとも昏い場所から人間に取引を持ちかける悪魔のような声といったほうがいいかもしれない。

「なんだい?」

 こんな声も出せるんだ。不意打ちに近い衝撃をうけながら、それでも平静を装ってアカツキはコーヒーを口に。

「スキャバレリ・プロジェクトはどうなっている?」

「ああ、役員会でようやく予算が通ったよ。社長派の抵抗がないから楽で――――って!?」

 あまりに自然な調子でたずねられたために意識せずに答えたアカツキは口に含んだコーヒーを噴いた。

「汚いぞ、アカツキ」

「ああ、ごめん――って、それよりも!?」

「何度も言うようだが」ニヤリと笑いながらメノウは口を開いた。「電子情報として残っている限り私に知ることのできないことなんてないんだぞ?」

 カップを片手に嫣然と――というにはいささかばかり凄みのある笑みを浮かべるメノウ。それを聞いて、アカツキはやれやれと頭を掻いた。

「そういえばそうだったね。で、メノウくんは何処まで知ってるんだい?」

「そうだな」メノウはカップをソーサーの上に置くと頤に人差し指を当てて記憶を探るそぶりを見せる。「ボソンジャンプの権益を一人占めするために人道救助の皮を被って単艦で戦艦を火星に向かわせるってことぐらいか?」

「ことぐらいって」アカツキは明日の天気についてでも語るようにネルガルの極秘プロジェクトの要点を口にした少女に苦笑する。「そのものずばりじゃないか」

「ああ」そらとぼけた、白々しい調子で言うメノウ。「そうとも言うかもしれんな」

 白々しい調子で言うメノウ。そんな彼女の様子にアカツキは苦笑を大きくした。

「それで、アカツキ。このプロジェクトが成功すると思っているのか?」

「させるつもりなんだけど」言って、メノウの口ぶりにひっかかる物を感じたアカツキはたずねる。「何処か問題が?」

「と、いうよりも問題だらけだ」

「聞かせてもらえるかな?」

 おちゃらけた雰囲気を引っ込めてアカツキはたずねた。顔には怜悧な企業家としての表情を浮かべている。ここ数日で、彼は目の前にソファにちょこんと腰を下ろしているゴスロリ少女が只者ではないことを嫌というほどに思い知っていた。その底が何処にあるのかの見極めはまだつけていないが、少なくても、この少女の言葉には耳を傾けるだけの価値はあると思っている。

「まず、単艦で、というのが大問題だな。建造予定の〈ナデシコ〉級をダース単位で戦隊を組んで、というなら判るが、単艦じゃ途中――良くて火星で沈むぞ?」

「予算の問題だよ」アカツキは肩を竦めた。「いくらウチが地球有数の企業だからって受注も受けていないフネをそうゴロゴロ作れはしないよ。それに、〈ナデシコ〉にはそれを可能にするだけの性能を持たせてある」

「相転移エンジンにディストーション・フィールド、それにグラビティーブラストのことか?」

「そのとおり」

「だが、それは敵が持っている技術に追いついただけってことだろう? 地球製のフネとしては隔絶した性能になるかも知れないが、同等の技術で作られた数で勝る敵に攻められたら意味がない。多分、設計者のイネス博士も同意見だと思うぞ」

「う…………」

「それに、設計図を見る限りナデシコはグラビティーブラストを艦首方向にしか撃てない。それこそ数で包囲されたら手も足も出せずにタコ殴りにされてボカ沈喰らう」

「うう…………」

 理詰めで攻められたアカツキはなんとも情けない声を漏らした。その様子を見ていたメノウがヒトの悪い笑みを浮かべながら思った。ま、苛めるのもこのぐらいにしておくか。

「ほら、これ」

 言って、一枚のMOをアカツキに投げる。

「っと、これは?」

 いきなり投げ渡されたMOを手の中でお手玉して受け取ったアカツキは首を傾げながらメノウを見た。

「無茶を通すための反則、だ」

 言いながら、MOの中身を確認するように促すメノウ。言われて、デスクに据え付けられた端末のスリットにMOを差し込むアカツキ。次の瞬間、思わず絶句する。

「これは――――」

 端末の画面にはナデシコ級一番艦の改設計案が映し出されていた。

「色々と問題はあるが」絶句しているアカツキに、からかうような声色でメノウが声をかける。「〈ナデシコ〉のサバイバビリティを底上げするための方策、といったところだな」


 たびたび訪れるエリナと、自分の傍を離れようとしないラピスの目を掻い潜って、未来よりの帰還者たちは話し合いを重ねていた。もちろん、その内容は『これから自分たちは何を成すのか』ということについてだ。

 帰還者の片割れであるダッシュに、自分たちが為すべき事を問い質されたあの日。一日の業務を終えたエリナが自分のアパートメントに帰宅し、ラピスをベッドに寝かしつけたあとで、メノウは改めて豪勢な特注ソファに腰掛けて、ダッシュとの通信回線を開いていた。勿論、念には念を入れて通信は幾重にも暗号化されている。少なくても、オモイカネ・クラスの能力を有したコンピューターでなければ解読は出来ない。

「やりなおし、だ」

 ぼそり、と、だが、確固たる何かを秘めた口調でメノウが呟いた。

『やりなおし、ですか』

「ああ、そうだ。あの莫迦げた悲劇を可能な限り回避する」

 傲慢だろうか。メノウはここ数日考えを巡らせて叩き出した結論を口にしてそう思った。傲慢なのだろう。第三者が彼女の決意を聞けばお前はいったい何様のつもりだ、と罵るかもしれない。だが、たとえ誰に何を言われようと、メノウは自分の決意を翻すようなことはしまい。

「放って置けば、歴史は俺たちの知る通りに推移する。俺はそれを認めない」

 そう、認めてたまるものか。妻を、義娘を、そして自分と繋がったあの幸薄い娘を死に至らしめたあの結末を俺は認めない。傲慢? 知ったことか。俺は自分が、自分の周囲の人間がまず間違いなく地獄に引きずり込まれるのを指を加えて黙って見ているほど莫迦じゃあない。

『大した決意ですね』ダッシュはメノウの言葉に嘆息したように言う。何処か探るような響きがあるのは気のせいではあるまい。『それで、マスター・メノウ。貴女はどのレヴェルで歴史に干渉するつもりです?』

 自分に宛がわれた一室、その隅に視線を送りながらメノウは答えた。今までその頭の中で幾度も考えてきたことを元に、ここ数日の間で練り上げたプランを開陳する。ダッシュを相手に説明をしている間中、メノウはなんともいえない顔つきをしていた。

 メノウの掲げた基本方針を聞いて、ダッシュは思考を巡らす。果たしてそう巧く行くものだろうか。随分とむしのいい考えのような気もする。いや、主自身もそのことは十分に判っているに違いない。だからこそ、まるで信じてもいない神について語る唯物論者のような表情を浮かべているのだろう。だが、それでもそれを為さなくてはならない、か。

『それで、手始めに何から手をつけます?』

 メノウの方針を支持するという意味を込めてダッシュがたずねた。腹を括ったらしい。

「スキャバレリ・プロジェクトに介入する。具体的には〈ナデシコ〉だな。ダッシュも判っているだろうが、あの艦は基本的に実験艦だ。相転移エンジンと、それのもたらす出力を背景としたディストーションフィールド、グラビティブラストを備えた艦」懐かしき白亜の艦を思い出しながらメノウは言った。「だが、それだけだ。本当なら単艦で火星に突っ込ませていい艦じゃあない」

『ですが、〈ナデシコ〉は戻ってきましたよ?』

「それはどちらかというと〈ナデシコ〉の性能のおかげ、というよりもクルーの能力に拠るところが大きい。選抜基準があれだったから、クセの強い人間ばかりだったが、能力だけはやたらと高いクルーが揃っていたからな。それでも、火星では沈みかけた」

『確かに』ダッシュは頷いた。ナデシコが帰ってくることが出来らのはフクベの自分を犠牲にした行動のおかげだ。アレがなければ、確実にナデシコは火星の大地に墜ちていただろう。『それで、どうします?』

「スキャバレリ・プロジェクトは立ち上がったばかり。ナデシコもドクター・イネスの設計を元に建造が始まる前。ダッシュ、〈ナデシコ〉の設計図は持っているか? 持っていなかったらネルガルのホスト・コンピューターにアクセスして設計図を入手してくれ」

『犯罪ですよ、それ』

 ダッシュの言葉を聞いたメノウは人の悪い笑みを浮かべる。

「何を今更。社長派の不正を調べるために散々覗き見しただろう?

 それに、ばれなければ犯罪にはならん」

『何処かで聞いたことのある台詞ですよ、それ』苦笑しつつ答えるダッシュ。『それで、〈ナデシコ〉の設計図を入手して、それを元に改設計ですか?』

「ああ」メノウは我が意を得たり、と頷いた。「せめて、まともな戦闘艦として作り直してくれ。なるべく早く、だ。建造が始まってからじゃ遅いからな」

『一日もあれば』ナデシコシリーズの問題点は熟知しているダッシュが答えた。何しろ、自身が搭載されている〈ユーチャリス〉からしてナデシコシリーズの派生艦なのだ。『他にやっておくことはありますか?』

「火星にはどのくらいの人たちが生き残っている?」

 ダッシュの問いにあえて答えず、メノウは逆に質問で返した。

『〈ユーチャリス〉に積んである無人兵器群に、木連のIFFを発信させて蜥蜴たちの目を欺けながら火星の状況を調べさせないと詳しくは判りませんが』主人の意図を掴みかねながら、ダッシュは答えた。

『少なくても、一万人は』

「――そんなに」

 そんなに生き残っているのか。

 メノウは目を丸くした。考えてみれば、火星が陥落したとはいっても、それはあくまで地球の支配が及ばなくなったというだけであり、いきなりそこに住む人々のすべてが死に絶えたわけではないのだ。

「そんなに生き残っていたんだな」

 だが、その生き残っている人々も、やがては無人兵器たちに狩り立てられ、〈ナデシコ〉が火星に着くころには、ユートピアコロニーの地下シェルターに僅かに残るだけとなる。

 ぎり、とメノウは歯軋りする。

『マスター?』

「――――ダッシュ。艦載無人兵器を使って火星の人たちを助けることは出来るか?」

『難しいですね』縋るような目で問うたメノウに、ダッシュは非情な答えを返した。『〈ユーチャリス〉の復旧にも数を振らなければいけませんから。第一、数が違いすぎます』

「そう、か」

 あからさまに落胆した様子のメノウ。だが、続けて言ったダッシュの言葉は意外なものだった。

『ですが、出来ないというわけではありません』

「どういうことだ?」

『私の周りにある〈火星の後継者〉たちの艦艇を使えば、なんとかなるかも知れません』

 意外な固有名詞が飛び出したことに、メノウは目を白黒させた。

「は? 〈火星の後継者〉?」

 珍しく混乱しているメノウの様子に、笑いを含んだ口調でダッシュは教える。

『展開したジャンプフィールド内には彼らもいたんですよ。お忘れですか? で、それらの艦艇の操艦システムに無人兵器を組み込んで私がコントロールすれば、ある程度の戦力にはなります』それに、とダッシュは付け加えた。『マスターはお忘れになっていませんか?』

「へ?」

 何を、と言おうとした瞬間、特大サイズのウィンドゥが開き――――

『ひ――――――――――――――――――ど――――――――――――――い――――――――――――――――――――――ッッ!!』

 ――――特大に文字がそこに躍った。

「うぉっ!?」

『何時になったらボクのこと呼んでくれるんだろーなー? って楽しみに待ってたら忘れてたなんてあんまりだー!! ばかー! マスターのばかー!!』

「え? あ? も、もしかして、サレナか?」

 思わずずり落ちた椅子になんとか座りなおしたメノウが、恐る恐るといった様子でたずねる。

『もしかしなくてもサレナだよ! 酷いよあんまりだよマスター! ボクのこと忘れるなんてッ!! …………って、ダッシュから聞いてたけどほんとに女の子になっちゃったんだねうわ可愛いなんか根暗っぽい頃のマスターと違ってとってもプリティーっていうか可愛い可愛い良い全然グッド!!』

 どうやら出番がなくて色々と溜まっていたらしいサレナがえらくアッパーな感じでまくし立てた。さりげなく失礼なことを言っている。

「すまんな、色々と忙しくて気が回らなかったんだ」目まぐるしい、という表現がぴったりとくる様子で自分の周りを飛び回るウィンドゥにメノウは苦笑を浮かべながら詫びた。続いて、実に良い笑顔を浮かべる。「それと、何か聞き捨てならないことを言っていたような気がするが?」

 顔に笑みを貼り付けたメノウに、まるで射竦められたようにサレナのウィンドゥがぴたりと止まる。人であったなら冷汗のひとつでも垂らしていそうな按配だ。

「そ、それよりもッ!!」自分の主が醸し出すなんとも形容し難い雰囲気に耐えかねたようにサレナが口を開いた。「ダッシュが言ったこと覚えてる? ボクがいれば、木星蜥蜴なんてちょちょいのちょいだよ!!」

 あ、とメノウが声を漏らした。なるほど、サレナがいれば大抵の無理はきく。

『もっとも、自動操縦モードでの運用ということになりますのでマスターが搭乗しているときのようにはいきませんが』

 メノウとサレナのやりとりを苦笑しながら見ていたダッシュが口を挟んだ。

『そーだねー。あと、補給の問題もあったりするね』ダッシュの言葉に同意を示しつつ、サレナが言葉を続ける。『それに、やっぱり敵が多すぎ』

「それでも」メノウは断固としたものを滲ませながら言った。「頼む。火星の人たちを助けてくれ」

『私たちの手の及ぶ範囲でよろしければ』

『こんな可愛いマスターにお願いされちゃあ、嫌だなんていえないね』

 自分の頼みをそれぞれに了承してくれたAIたちに、メノウは微笑みながら感謝の言葉を口にした。

「ありがとう」


 なるほど。アカツキはメノウの言葉に頷いた。これならば、元設計のまま建造するよりもよほど火星から生還する確立が上がるに違いない。だが――

「問題って?」

「予算だ」

 アカツキの疑問に、メノウが即答する。

「色々と弄っていたら、元設計よりも二割ほど大きくなってな」

 こればかりはどうしようもなかった。ブロック工法を多用したり、と可能な限りコストを抑える設計に直してはいるが、流石に限度があった。また、コストを下げるために艦の戦闘力――火力や速力、防禦力といったものを犠牲にするわけにもいかなかった。そうした次第で、史実であるならば改〈ナデシコ〉級とでも表現すべき艦となった〈ナデシコ〉は、それに見合った建造費を必用とする艦となっていた。もちろん、建造にあたっては自腹で払うしかない――軍の注文があったわけではないので当然ではある――ので、負担はネルガルの会計に皺寄せが行く。

「もちろん、その分建造費は上がってしまう――というワケだ」だが、とメノウは続ける。どこか申し訳なさそうな響きがある。「沈むよりはよほどマシだろう?」

「違いない」

 アカツキは嘆息した。安く済ませて失うよりは、多少割高でも無事に帰ってきてもらわねば意味がないのだ。世の中には安物買いの銭失い、という言葉もあるではないか。そこまで考えて、アカツキは端末の画面上に、〈ナデシコ〉の設計図以外のファイルが存在に気付いた。ファイルを展開しながら訊ねる。

「と、ほかにもなにか色々入っているみたいだけど?」

「ああ、それはナデシコのサバイバビリティ向上のための間接的努力ってやつだ。研究部の連中にでも見せてやるといい」

「なるほど。で、他に問題は?」

「そうだな」僅かに考え込むそぶりを見せて、メノウは答えた。「予算の他に問題といったらヒトだな」

「ヒト?」

「ああ。具体的にはオペレーターだ。元設計のままなら、マシンチャイルド一人で事足りたのだが、色々と機能を付け足したら艦の制御に一人じゃ不足するんだ。まぁ、俺とラピスが乗り込めば問題は解決するんだがな」

「〈ナデシコ〉に乗るつもりなのかい!?」

 今日幾度目かの驚きの声をあげるアカツキ。そんな彼にカップを傾けながらメノウは、ああ、と肯首した。

「俺の改設計のせいでオペレーターが不足するんだから、当然だ」

 もっとも、理由はそれだけではない。システムの冗長性の増大、という側面もある。たしかに、今はまだ経験が無く、自分が知るそれよりも未熟であるとはいえ、正オペレーターの星野・ルリの技量は充分なものがある。だが、不足の事態によって彼女がオモイカネ――ひいては機能の増大した〈ナデシコ〉のオペレートが出来なくなくなってしまえば? そしてそれが戦闘中に発生したら? 重大な局面でシステム・ダウンなどしてしまえば、幾ら自分とダッシュが〈ナデシコ〉のサバイバビリティを引き上げる算段をとっても凡ては無駄となってしまう。それを防ぐために、メノウは未だ起工すらされていない〈ナデシコ〉に乗り込むつもりになったのだ。

「ま、加えて言えばネルガルに対する礼ね」

「礼、ねぇ」アカツキは嘆息。「お礼をされるようなことはしてないんだけどねぇ」

「しているだろう?」メノウは何を言ってんだ、と目で言う。「俺たちのことを保護してくれたじゃあないか?」

「それは当然の義務というか」

「それに、な」メノウはアカツキに皆まで言わせずに言葉を紡ぐ。「ラピスの表情が豊かになってるんだ。多分、ここでお前たちに触れたおかげだろうな。俺だけだったらこうも早くあの子が感情を持っていたかどうか」

「それはそれは」おどけて見せるアカツキは、ソファーに座る少女が慈母のような表情を浮かべていることに気がついた。「少しは胸を張ってもいいのかな?」

「いいと思うぞ。だから言わせてくれ」

「何をだい?」

「ありがとう、ってな」

 てらいのない、透き通るような表情でそう口にしたメノウを見て、アカツキは自分の頬が紅潮するのを自覚した。まったく、なんて笑顔で笑うんだこの子は。いやいや、やばいな。アカツキは思った。メノウくんの手前、ハンバート・ハンバートの同類じゃないとは言ったものの――ううん、あぶないな。ボクはこの少女に惹かれ始めているんじゃないかな?

 と、そんなことをアカツキが考えていると、会長室に磁器の割れる音が響いた。

「?」

 音のしたほうを見ると、カップを取り落としたメノウが身をくの字に折り曲げてソファーの上で苦しんでいた。


 ――こんなときに。

 メノウは自分の身体に刻み込まれた欠陥を呪った。

 何もこんなときにナノマシンが暴走しなくても。チクショウめ、あれからずっと発作がなかったから油断していたら――こんなときに!! ちくしょう、なにもアカツキが居るときに起こらなくてもいいじゃないか。ちくしょう、アレか。やたらと自分勝手な考えをもったバチか? それとも魔女の婆サンの呪いか? くそったれ。

 内心であまりのタイミングの悪さに呪詛の言葉を唱えながらメノウは自分の心臓の鼓動が時を追うごとに激しくなっていくのを、躯の奥深い場所から火がついたように全身が火照っていくのを感じていた。思う。ああ、せめてラピスが傍にいないのが不幸中の幸いか――――


「メノウくん!?」

 ソファーの上で急に苦しみ出したメノウに、アカツキは慌てて駆け寄った。息を荒げ、ソファーの上で身を折って苦しむメノウ。その乱れた髪と襟首の間に僅かに除くうなじに玉のような汗が浮かんでいた。その、汗に濡れ長いアッシュブロンドの髪が張り付くうなじが、ひどく艶かしい――

「――と、そんな莫迦なこと考えてる場合じゃない」

 直前まで考えていたことと、今見せ付けられた光景になにか淫靡な感想を持った自分に舌打ちしつつアカツキはメノウの身体を抱え起こそうとして――

「!?」

 眼前に突き出されたメノウの手にそれを阻まれる。

「だい、じょうぶ――」

「メノウくん!!」

「な、ノマ……シンが、ぼう、そう……してる、だけ、だ――――命にべつ……じょうは、ない」

「ナノマシンが暴走してるだけって……」

 心配はいらない、そう切れ切れに言うメノウに、アカツキは呆れたように呟いた。誰がどう見ても大丈夫ではない。

「ちっとも大丈夫じゃないじゃないか」

「いいから!」少しだけ顔をあげ、潤んだ瞳でアカツキを睨みつけながらメノウは苦しげに続ける。「少し放っておけば勝手に直る」

 だから、しばらく独りにしてくれ――メノウはそう呟く。無理もない。自分の身体を襲うナノマシンの暴走、その内容を知っているメノウにしてみれば、その様子を誰かに見られるなどというのは屈辱以外の何物でもない。

 だが。

「莫迦を言っちゃいけないよ」

 そんなメノウの内心も露知らず、アカツキはその善性と道義心の発露ともいえる言葉を口にした。

「こんなに苦しんでるキミを独りにしておけるわけがないだろう」

「いいから! 俺に触らないでくれ!!」

 むしろ懇願するような声でメノウが言葉を吐いた。アカツキの善意を理解しているだけに、メノウとしては始末に終えない。

「何を言ってるんだい、キミは!!」

 誰がどう見ても異常な発汗、そして乱れに乱れた呼気。それは常に在らず。非常であり、異常。目の前にいる少女の身体が尋常ならざる事態に陥っている証左に間違いない。

「すぐに医務室に――」

 ――連れていくから、とメノウの腕を掴んだ瞬間。

「ひっ!?」

 これまでの苦しげな声とは異質の短い悲鳴と同時に、メノウの身体が小さく爆ぜた。


 ――無様な声を、出した。自分の出した声が、まるで見知らぬ誰かのもののように聞こえたメノウは、

 ナノマシンが掻き乱し、感覚が異常なほどに過敏になっている全身はまさしくどこをとっても性感帯。

 例えば、疼く女陰にいきなり指――あるいはもっと太いものを差し込まれたら?

 今の私の身体は、そういう状況だった。

 アカツキが訳も判らず力一杯握った、右手。

 まるでクリトリスを摘み上げられたような感覚が神経を駆け巡り――

 ――――駄目。

 それでスイッチが入った。


「え?」

 奇妙な悲鳴と共に小さく、だが激しく身を反らせたメノウが途端に動かなくなった。

「あ、え?」

 何が起こったのか理解できないでいるアカツキは意味を持たぬ言葉を二度三度発すると、

「だ、大丈夫かいメノウくん!?」

 とりあえず、目の前の虚脱したような有様の少女を抱き寄せた。と、顔をしかめる。何処かで嗅ぎ慣れ、かつこの場にそぐわぬ匂いを鼻腔が嗅ぎ取ったのだ。反射的に匂いの正体を脳裏で検索する。答えが――

「ぬむぅ!?」

 出る前にアカツキはくぐもった声を漏らした。いや、声というよりも呻きか。自分の腕のなかでぐったりとしていた少女が信じられぬほどの膂力で自分を引き寄せ、その唇を奪っていた。

「――――!?」

 声も出せずアカツキは驚愕する。視界一杯に広がる少女の顔。そして、その唇が、舌先が自分の唇を、口咥をむしゃぶり蹂躙している。

 舌先が絡まりあい、二つの赤い肉が一つの生き物のように蠢く。

 どうして自分はこんなに冷静になっているんだろう。アカツキは自問した。もっとも、それは冷静になっているのではなく、常軌を逸した事態に自失状態になっているだけなのだが、そのことには気付いていない。

 絡み合った舌がほどけたかと思うと、休む間もなくメノウの舌はアカツキの口咥内の粘膜を嘗め回している。

 自分の口の中を異物が這い回る感覚に、アカツキは背筋を凍らせた。

 とんでもなく気持ち良い。

 むろん、アカツキは誰かと口づけ――ディープなそれを交わすことに慣れていないわけではない。むしろ日常茶飯事だ。大関スケコマシの名は伊達ではない。

 だが、それでも。

 それでも、この少女と交わしているそれは今まで経験したものと比べると隔世の感があった。

 ――――気持ち良過ぎる。

 冷静に見えて自失しているアカツキの脳は、それだけを感じ取っていた。

 と、同時に先ほど嗅ぎ取った匂いの正体にも気がついていた。

 発情した雌の体臭。

 かつてベッドで幾たびも嗅いだそれが、少女の身体から発せられているものの正体だった。

 こんな少女が、どうして――――

 そう自問する間も無く、バランスを崩した二人はメノウがアカツキを組み敷くようなかたちでソファーの上に倒れこむ。その拍子に、まるで堅く結びついていたように合わさっていた唇と唇が離れる。その間に、互いの唾液で出来た糸がつうっと引いた。

「――――は、ぁ」

 果たしてそれはどちらが漏らしたものか。あるいはその双方が同時に漏らしたものかもしれない。唇を合わせている間、まったく取り込んでいなかった酸素を貪るようにして肺に入れる。

 肩で息をしながら、アカツキは自分の上にまたがるメノウを見た。

 途端、ぞくり、と背筋が震えた。

 その年齢には似合わぬ理知的な瞳の少女ではなく、やはりその年齢にはそぐわぬ異常なまでの艶っぽさと熱をもつ瞳の少女がそこにいた。

「メノウ……くん?」

 恐る恐る、といった様子で声をかけるアカツキ。と、メノウの双眸が彼の瞳を捉えた。まるで、獰猛な肉食獣が獲物を見つけた時のような貌。獲物は、自分。より上位の捕食者にすべなく食われるだけの存在――

 思わずそんな想像が脳裏をよぎる。が、そう間違った想像でもないらしい。

 アカツキの瞳を見つめていたメノウの表情が、妙に色っぽい笑顔に歪む。

「って、うわ!?」

 情けない声をあげるアカツキ。気が付けばいつのまにか堅くその存在を主張している自分の分身にメノウが手を這わせていた。トランクスとズボン越しでも、その柔らかな指先の感触が伝わってくる。

「メ、メノウくん! 何を――――!?」

 ――しているんだ!! とは言えなかった。アカツキがそう言い終える前に、メノウがきゅっとその手の収まるアカツキの分身を握ったのだ。その感触に思わず言葉を飲む。

 そんなアカツキの様子を見て取ったメノウが楽しげに顔を歪める。そのまま、這わせていた股間のジッパーを下げ、ズボンの中で窮屈な思いをしていたアカツキ自身を外に解放した。

「わ、ちょ、ちょっと!!」

 いかな大関スケコマシとあっても、このような事態は初めてらしい。加えてイニシアチブをとられていてはまともなリアクションも起こせない。俎板の上の鯉といったところだろうか、アカツキはメノウのされるがままになっていた。

「う、わ……」

 メノウが熱く滾った自分のものに這わせる指先の感触に、アカツキは思わず声を漏らした。その反応が気に入ったのか、自分の股座から生えるようにいきり立つ剛直した肉棒にメノウは指先で刺激を与える。

 その表面を指先が撫でるたびに、アカツキ自身がびくびくと痙攣する。ましてや、その冷たい指先で包むようにして握られでもしたら――

「くあっ」

 たまったものではない。異常なシチュエーションも伴って、それだけでイってしまいそうになる。どこか乖離した意識で、アカツキはその光景を眺める。

 異常だ。なんて異常な光景なんだ。

 自分を押し倒した少女も、その少女に肉棒を弄ばれて興奮している自分も。

 あるいは、ハンバートの感じていた気持ちももこれと同じようなものなのか――――

 そんなアカツキの内心を知ってか知らずか、メノウは浮かべていた笑みをより深くすると握っていた肉棒から手を離した。

 正直、アカツキはほっとした。

 あのまま弄られていたら、何時果ててしまうか判ったもんじゃない――

 そう内心で安堵したアカツキだったが、次の瞬間メノウが取った行動に目を剥いた。

 まるで自分に見せ付けるようにして、少女はフリルで飾られたスカートをたくし上げていた。アカツキの視界に、彼女自身が零した液体で透けて見える可愛らしいショーツが飛び込んできた。

 思わず息を呑む。

 これまでとは比べ物にならない、むっとするほど濃厚な雌の体臭と相まって、異常なほどに自分が興奮しているのが判る。

 ふとショーツから視線をそらす。メノウの顔が視界に飛び込んできた。

 メノウは笑っていた。

 どんな娼婦であろうと及ぶことのないだろう淫猥な笑みで。まるで自分を誘うように。いや、誘っているのだ。ショーツ越しですら、とろとろと濡れそぼっていることが判るメノウ自身をこれみよがしに見せ付けて。

 だが、アカツキは動くことが出来なかった。

 彼がこの目の前の少女を味わいたい、と欲情していないわけではない。

 むしろ、この異常な事態に理性も倫理観も吹き飛ばされたアカツキは、叶う物ならば思様メノウの身体を愉しむに違いない。

 だが、アカツキは動けなかった。

 いや、捕食者を前にした獲物は動くことが出来なかった、というべきか。あきらかに自分よりも上位のイキモノを前にして、アカツキは指一本動かすことが出来なかった。

 どのくらいそうしていただろう。いくら待っても自分に手を出してくる様子のないアカツキに、焦れたように剛直したものに自分の股間をなすりつけていたメノウは、業を煮やしたように自分から動いた。

 く、と自分の腰をあげると、天を貫かんばかりにそそり立っているアカツキのそれに自分の秘裂をあわせる。

「メノウくん――――――――!!」

 流石にアカツキが声をあげた。わずかばかりに残っている理性がそれは拙いと訴える。が、そんなアカツキを嘲笑うように、メノウはたくしあげたスカートはそのままに、腰の動きだけで自分の中にアカツキを導く。淫液で透け通り、肌に張り付くショーツを腰の動きとアカツキの先端だけでずらし、白く濁り出した淫液のしたたるスリットにアカツキの剛直したものの先端をあてがう。

 正直、その先端に伝わる布切れの感触とメノウの肌の感触だけで達してしまいそうだ。

 だが。

「ふぁあぁッ!!」

 メノウが喜悦に満ちた嬌声をあげた。腰を落とし、アカツキのもので自分を一気に貫いたのだ。メノウの表情が蕩けんばかりになっている。だが、それはアカツキも同じだった。 気持ちいい。これまで味わってきたどんな肉壷よりも、気持ちいい。

 明らかにサイズの小さいメノウの膣内は、平均的なサイズよりも大きい自分のそれに対して、その肉襞の一枚一枚すら感じ取れるほどに狭苦しい。

 だが、溢れんばかりに奥から染み出す淫液が、動くことすら適わぬほどに密着している肉棒と肉壷を滑らかに動かす。

 ――なんて気持ちいい。

 と、それまでじっとその感触を味わっているだけだったメノウが、ゆっくりと腰を動かしはじめた。

「ん、ふぅ」

 その小さな唇から熱の篭った声がもれる。同時に、二人の接合部からにちゃりにちゃりと淫猥な水音が響き出す。

「くっ」

 叫び出したいほどの快楽に、アカツキは声を殺して耐えた。だが、それも長くは持たない。徐々に激しく腰を振り始めるメノウがもたらす快感に、心が壊されていく。

 はたして、精神が肉体を凌駕したのか。

 それまで指一本動かすことの出来なかったアカツキが、メノウの腰をがっちりとホールドし、自分の望むように動かし始めた。

「や、ひ、あ、あ、あ――――」

 メノウが驚きと歓喜に満ちた声をあげる。それまで、自分が望むようにして作り出していた快楽をアカツキが作り出し、メノウに叩きつけ始めたからだ。

 ずっちゃ、ずっちゃ、という重く粘り気のある水音と、肌と肌――いや、肉と肉がぶつかり合う音が室内に響く。そこにアカツキの荒々しい呼気とメノウの艶と熱を含んだ嬌声が加わり淫靡な交響曲を奏で出す。

 どれほど淫猥な交響曲を演奏したのか。複雑なリズムと響きを持った楽曲は次第にクライマックスへと向けてボルテージをあげていく。

 アカツキの呼気は乱れ、それと同時にメノウの腰を動かす腕の速度はいや増していく。

 メノウの嬌声はオクターブをあげて行き、アカツキの作り出す快楽を余すことなく貪っていく。

 そして、幾つものリズムと響きが頂点に達した瞬間――――

「くっ、出る――――――――!!」

 メノウの中に収まっていたアカツキの剛直したものの先端から、白濁とした粘液が大量に迸った。

「は、ひぃあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」

 同時に、メノウもアカツキが放出するものの熱を感じ取りながら頂点を迎えた。



 先に正気に戻ったのはメノウだった。

 瞬間、自分に何が起こったのか理解できていなかった彼女は首をかしげながら気だるそうに辺りを見渡し、

「ッ!?」

 最後に自分の下でぐったりとしているアカツキを見てハンマーで頭蓋を殴りつけられたような衝撃を覚えた

 ――――やっちまった。

 それも、アカツキと。

 メノウは泣き出したい衝動に囚われた。まさか、かつての親友と交わることになるとは思いもしなかった。それはそうだろう。性的な嗜好はまったくのノーマルだった『テンカワ・アキト』にとって、男性であるアカツキとの情交など想像の埒外の行為だった。

 しばらくそのままで虚脱していると、

「ああッッ!?」

 下の方から狼狽した声が響いてきた。どうやらアカツキも正気を取り戻したらしい。

「ご、ごごごごごごごごごごごごご」

「ごめん、なんて言わないでちょうだい」

 どもりまくるアカツキに、メノウが言った。言った直後に、自分がまったく自然な調子で女言葉を用いていることに軽いショックを覚えた。確かに、ここ数日、それこそ骨の髄に染み込むほどにエリナからその手ほどきを受けてきた。とはいえ、その程度のことで二十余年に渡って培ってきた男としてのメンタリティの発露ともいえる口調――ぶっきらぼうなそれは、それよりも短い期間で身に付けたものだが――が、そうそう変わる筈もない。

 つまりは。メノウは思った。そうか、そんなにショックだったのか。男として過ごしてきた期間を吹き飛ばすほどに。自分が組み敷いているかつての友人とまぐわってしまったことが。ああ、もう戻れないんだな。いいさ、元から戻れるはずもないし、戻るつもりはない。キミの知ってるテンカワ・アキトは死んだ――か。まったくもって其の通り。ここにいるのは、メノウ・マーブルという少女。そう、少女、少女、少女だ。さようなら、テンカワ・アキト。こんにちは、メノウ・マーブル!

「アカツキは何も悪くないんだから、謝ったりしないで」

 謝罪を口にするまえに断られたアカツキは目を白黒させている。

「――――いったい、どうして」

 アカツキは、とりとめのない思考の果てに、やっとのことでそれだけを口にした。

「ナノマシン・スタンピート」

「え?」

 短くそう言ったメノウに、アカツキが思わず聞き返す。

「私の身体に考え無しに放り込まれたナノマシンが暴走して、私の身体を狂わすの。だから、悪いのはアカツキじゃないのよ」

 だから、謝らないで。メノウはそう言って口を閉ざした。内心で、なんだ、女言葉もそう悪いもんじゃないな、と思い始めている。そりゃそうだよな、女の子なんだから女言葉で喋るのが当たり前なんだ。エリナの言うとおり、ラピスの情操教育にも良い。そうだ。きっとそうだ。ちくしょう、そうに決まっている。

「いや、だからって」

 自分がメノウを汚したことに変わりはない。アカツキはそう言おうとした。が、

「大丈夫よ。初めてってわけでもないし」

「え?」

 目を丸くしているアカツキを見ながら、このことを告げたらアカツキはどう思うだろう、とメノウは考えた。上手くいけば、同情してもらえる――多少の我侭は許してもらえる立場になれるかもしれない。なんだ、躯ひとつで自分のやりたいことの助けになるじゃあないか。

「私の意識が覚醒する前、研究者たちに散々弄ばれたみたいだから」

 覚醒した瞬間も研究者に組み敷かれていたしね、とメノウ。

「だから、貴方が私について何かの責任を感じる必要なんてないのよ」

 中々に衝撃的な告白をされて、アカツキは絶句した。それと同時に、メノウを汚した研究者たちに喩えようのない怒りを感じる。むろん、自分にも。

「ほんと、いい奴ねアカツキって」

 どうやら思っていたことが顔に出ていたらしい。メノウが苦笑していた。と、繋がっていたままの性器を腰をあげて引き離す。

「ん……」

 色っぽい声を漏らして、自分の中からアカツキを引き抜くメノウ。ぬちゃり、といやらしい音を立てて、いくらかしぼんだアカツキ自身が引き出される。そのはずみに、メノウの中にたっぷりと放たれたアカツキの子種がごぽり、と溢れ出した。

 その様子に顔を紅く染めたメノウが、いたずらを思いついた悪童のうような表情を浮かべてアカツキの腹の上にぽす、っと腰をおろす。

「そうね、アカツキが幾らかでも私に責任を感じてくれてるのだったら」

「責任を感じてくれてるのだったら?」

 躯で権力者を動かす、か。メノウは思わず笑い出したくなった。はは、メノウ・マーブル。随分とたいした悪女ぶりじゃあないか。それでこそ歴史を変えようなんて悪巧みをする人間だ。

「これからも私の相手をしてちょうだい」

「おやすいごよ――――って、ええッッ!?」

 判りやすい慌て方をするアカツキに、メノウはくすりと笑みを零す。どこかに、自嘲するような翳があったが、アカツキは予想だにしない事態にあってそれに気付いていない。

「当面、私の身体を治す手段はないもの。それまで付き合ってくれるぐらいはかまわないでしょう?」

 責任、とってよね? と笑うメノウに、アカツキはしばし呆気にとられていたが、

「こりゃ、大関スケコマシの二つ名は返上かな?」

 と苦笑してみせた。




SONGS OF US WHO EXPRESS IT AGAIN vol.2
Her decision
END


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