知識に於いての真理は直ちに実践上の真理であり、
実践上の真理は直ちに知識に於いての真理であらねばならぬ

――西田幾太郎(一八七〇−一九四五)

Longum est iter per praecepta,
breve et efficax per exempla.

――ルキウス・アンナエウス・セネカ(前五/六−六五)













もう一度謳うぼくたちの歌

第三話『乙女たちの密室』


「なにか随分と久しぶりのような気もするけど、気のせいかな?」

「イロイロと忙しかったのよ」

「だろうね。噂は聞いてるよ。八面六臂の大活躍だったそうじゃないか」

「正直、面倒だったわ。私は教師に向いてないということを嫌というほど思い知らされたわ」

「ご愁傷さまと言っておこうかな。それは兎も角、ようやく起工式か」

「予定よりも三ヶ月ズレ込んでるわ。まぁ、搭載予定の機動兵器の開発は順調――進捗率は一二〇%を超えていることだけがせめてもの救いといったところね」

「そいつは何より」

 言って、眼下に広がるドックの光景を見ていた青年は、おどける様にして肩を竦めてみせた。青年――ネルガル重工業株式会社オーナー会長であるアカツキ・ナガレは、自分の腰を下ろしている椅子の横に誂えられている小さなテーブルに置いてあったワイングラスを手にとると、やはり同じテーブルの上に置いてあったワインボトルの封を開け、赤く揺れるその中身をグラスの中に注いだ。

 グラスの中を満たした馥郁たる香りを放つアルコール飲料をくるくると回すようにして、その香りを愉しんでいるアカツキを眺めて、さきほどまで彼と会話を交わしていた相手が呆れたような視線を彼に送る。

「随分と良い身分ね! 真昼間からアルコールだなんて」

「そう言わないでくれよ」自分を半眼で睨んでいる相手に苦笑を浮かべながら、アカツキは言った。「ここ最近、矢鱈滅法忙しくて、まともに酒を飲む機会もないほどだったんだ。頑張った自分へのちょっとしたご褒美ということでお目溢し願えないもんかな? メノウくん」

「別に忙しかったのは貴方だけではないのよ、アカツキ?」相手――メノウと呼ばれた少女は、眼下に広がるドックと自分たちのいる部屋を隔てている耐爆耐圧処理を施された分厚いガラスから離れると、アカツキの横のソファに腰掛けた。堪った疲労をほぐすように自分の米神を揉む。「エリナも、プロスペクターも、〈ナデシコ〉の再設計にきりきりまいだった航宙艦開発部のみんなも。ええ、そう。みんなみんな忙しかったのよ――死ぬほど」

 自分の身体の奥底にこびりつくようにしている疲労からか、沈んだ重い声でいいながら、メノウ・マーブルはここ三ヶ月ほどのことを思い出して言った。ネルガル重工の社運を賭けた一大プロジェクトであるスキャパレリ・プロジェクトは、一企業が単独で行うにはあまりに巨大すぎるその規模によって、ネルガルの関係各所に膨大な負担を強いることになった。

 新型戦艦の開発、というだけならば軍需企業であるネルガル重工にとってさほど大きな負担にはならない。なぜなら、新兵器の開発――言い換えれば、新製品の開発などというものは企業にとって日常茶飯事の業務であり、それに音を上げていては生き馬の目を抜く昨今の企業間競争に生き残ることなど出来はしないからだ。新型戦艦の開発に、その戦艦に搭載する予定の機動兵器の開発を加えたとしても事情は同じだった。

 だが、これが敵の支配地域への単艦での渡航、及び帰還という壮挙を為そうとする行動が含まれると話は別だった。可能な限り安全な航路の算出、敵の分布状況の解析、補給の手段の模索――あらゆることを包括的に行わなければ、無謀ともいえるこの行いはすぐさま頓挫してしまう。そして、それらの下準備のために、ネルガルの情報部門は、通常業務に加えてありとあらゆる情報の収集と解析に追われるハメとなった。

 また、敵の支配地域――陥落した火星へ往く戦艦の開発を、メーンカスタマーの依頼(この場合、敵との戦闘の矢面に立っている宇宙軍)もなしに独自に行い、あろうことか自前の資金で建造してしまおうというのだ。いくら地球圏で五指に入るメガ・インダストリーの一角を担うネルガルとはいえ、新型戦艦をスポンサーもなしに開発建造してしまうというのは、いささか無理のある話であった。戦闘機などの場合、モックアップ、あるいは試作機を自前で開発し、競合する他社の製品と比較しスポンサーに優越をつけてもらい採用するか否かを判断してもらうということもあるが、それがこと艦艇――しかも戦艦となると話は別だ。機動兵器と戦艦では製作にようする費用も期間も桁違いに違ってくる。ゆえに、戦艦などの大物の場合、概念研究などを行い、スポンサーからの依頼を受けた時点で初めて図面を起こし、相手側のGOサインが出て初めて建造にとりかかる。何故そういう手段をとるかというと、戦闘機と同じように自前でこさえてもしそれが採用されなければ洒落にならない損失が発生するからだ。だが、ネルガルはその危険を看過することにした。ここにスキャパレリ・プロジェクトが途方も無い賭博的要素を持つ一因となっているのだが――それはいい。問題は、スポンサーを持たずに建造を開始することにあった。加えて、その造った船を顧客に売りつけるのではなく、自前で運用しようとするところに問題があった。前者の問題だけならば、スポンサーに認められれば船を買い上げられ、利益を得られる。が、後者は作ったはいいが、顧客に売るわけではないので利益は出ない。かてて加えて運用費や維持費が湯水のように――戦艦の運用/維持にはとてつもない予算を必要とする――飛んでいくのである。利益どころの話ではなかった。この不条理をどうにかするために、エリナは通常業務に支障が出ないように金策に走り回るはめになった。

 そして、新型戦艦を開発することになったネルガル重工技術研究開発所航宙艦開発部大形艦艇設計班もまた混乱の坩堝に叩き落されることになった。当初の予定通りに〈ナデシコ〉を建造するのであれば、まだ良かった。無論、新型艦艇を作る際の面倒から逃れることが出来るわけではないが、当初の予定通り建造するのであれば、火星のネルガル・オリンポス研究所が試作(一〇分の一スケール)したプロトタイプ〈ナデシコ〉のデータをそのまま流用することが出来た。だが、ここにメノウが持ち込んだ改設計案を採用して〈ナデシコ〉を建造すると決まった時点で、その目論みも御破算となってしまった。改設計といってはいるものの、その実、メノウの持ち込んだ設計案は相転移炉、グラビティー・ブラスト、ディストーション・フィールドという三つの要素を持っているというだけでまったくの新設計案とでもいうべきシロモノだったからだ。一年以内の就役を目指す――という上層部の方針に、技研は途方に暮れた。正直なところ、新設計案にふんだんに用いられている技術は、現在地球において最先端と目されていた〈ナデシコ〉の原案のそれを五年は優越しているものであった。原案の技術をなんとか習得しきろうとしていた矢先に、さらに最先端の技術をものにして形としろと命じられても、おいそれと出来るものではない。それが期限付きとあってはなおさらだ。技研は恥じも面目もかなぐり捨てて泣きついた。もちろん、泣きついた先はその最先端の技術を使った設計案を提示したメノウ・マーブルという年端も行かぬ少女だった。

 元来、メノウ――というよりも、テンカワ・アキトという人物は学のあるほうではなかった。とはいっても、それはそのままアキトの知能指数が低いことを意味するわけではない。幼少時の両親の死亡によって、学を為す事よりもまず生きること、喰っていくことを優先せざるを得なかったがゆえに、アキトは学が無い人物となってしまった。なってしまったが、アキトは元来利発なタチであった。〈ナデシコ〉乗艦時はそうでもなかったが、忌むべきテロによって凡てを奪われたのちに復讐者と転じてからは、その才能が一気に開花した。戦術を学び習得したからこそ、統合平和維持軍の裏をかいてコロニーに襲撃をかけることが出来た。また、単独行動――ラピス・ラズリを伴っての単独行動を旨としていたために、緊急時に備えて、機動兵器や〈ユーチャリス〉の復旧/修理を一人で行うことが出来るよう、その構造や原理を残らず習得した。才能に加えて、復讐に向ける執念が、テンカワ・アキトをそのような人物と化していた。そして、そのアキト――メノウ・マーブルは、恥も外聞もかなぐり捨てて自分に頭を下げる技研の面々に、イチから凡てを教え込むことになってしまった。その期間は、三ヶ月――つまり、メノウがアカツキに改〈ナデシコ〉級の設計案を提示してから、今日の起工式までの日数である。この間、メノウはネルガル本社と技研の大型艦設計班を幾度となく往復――むろん、他にも様々なことに手を出しているので、その疲労は並みのサラリーマンなど及びも付かないほどになってしまっていた。

 死ぬほど、というメノウの言葉には、そうした事実が含まれている。とてもではないが一〇になるかならぬか、という年齢の子供であるはずのメノウが、月の残業時間が一五〇時間を越える壮年のサラリーマンにも勝るとも劣らないほどに疲労困憊といった有様で、疲れ果てた溜息とともに愚痴る姿に、アカツキは引き攣り気味の笑いを漏らす。正直、いらんことを言ってしまったと思っていた。

 自分の口が滑ってしまったことの迂闊さを呪いながら、どうしたものかと考えあぐねていたアカツキは、ふと自分の視界に映るテーブルに、空いているグラスがあることに気がついた。そして、およそ子供にかける言葉とは思えないものを発した。

「疲れているときはバッカスの加護を得るに限るよ、メノウくん」

「――いま、私、貴方の常識を疑ったわ。物凄く」

 更なるドツボに陥ったことを自覚して脂汗を流しているアカツキを呆れたように見ながら、だが、メノウはしばしそんなアカツキを眺めたあとで、

「銘柄は何かしら?」

 テーブルに置いてあるグラスを手にとった。アキトであったころでさえ、さしてアルコールを好んでいたほうではないメノウであったが、今の気分は酒でも呑まねばやっていられないものだった。

「ムートン・ロートシルト」 「貴重ね」ほっとしたような表情で言うアカツキの言葉を聞いて、メノウはぼそりと呟いた。「確かボルドーは灰塵と帰したはず」

 事実だった。おかげで、アカツキが今、メノウのグラスに注いでいる赤ワインをはじめとしてフランス産のワインはすべて値段が高騰しており、世界中のワイン愛好家たちを悩ませ続けていた。そして、値段の高騰は止まる気配を見せない。産地が消滅した今では、フランス産のワインの新品が出回るのは少なくても半世紀はあとになると予想されていたからだ。そしてそれが往時のような味を取り戻すには、どれほど先になるか判ったものではなかった。つまるところ、アカツキたちがくちにしているものはとんでもない高級品ということになる。少なくても、その瓶一本で高級エレカーを買える程度の値段はする。

 アカツキが手ずから注いだ目玉が飛び出るほどに値の張る紅いアルコール飲料で満たされたグラスをしばし無言で見つめていたメノウは、しばらくしてから、それを純粋な酒呑みがもっとも忌避する目的で一気に煽った。自棄酒といわれる呑み方だった。確かに、自分が自分の願望のために自分で絵を描きそのために自分で勝手に苦しんでいるのだが――それでも、やってられないと思ってしまうことはある。そうした思いを塗りつぶす、あるいは流し去るための自棄酒だった。間違っても、世界中のワイン愛好家が肝臓を売ってででもその一滴を口にしたいと願っている液体に対して行う呑み方ではない。

「――なんというか、香りを愉しむとかそういう情緒のある飲み方はしないんだね?」

 超が付くほどの資産家であるアカツキだが、だからこそ金の価値を嫌というほど知っているだけに、いまや一般人ではとてもではないが手が出ない代物と成り果ててしまったフランス産のワインを、明らかに味わうという目的でそれを内臓に収めていないメノウの飲み方に、苦言を呈してみせた。だが、そんなアカツキの苦言など聞いていないかのように、メノウは空になったグラスをしばし見つめると、それを無言でアカツキの前に突き出した。おかわりの催促であった。

 おそらく、メノウに与えられるのはバッカスの加護ではなくて神罰に相違あるまい。そんなことを思いながらも、アカツキはこの疲れ果てた老人のような雰囲気を醸し出している幼女の憂さを晴らすために、恭しい様子でグラスに紅い液体を注ぐ。

 グラスを満たしたワインを一杯目と同じように、ワイン愛好家が歯噛みしそうないきおいで飲み干したメノウは、軽い酩酊感を覚えた。この調子で呑んでいれば、そう遠からず酔い潰れてしまうだろう――その予想に、メノウはひどく心惹かれる。が、メノウは、その甘美な誘惑を意思の力を持って捻じ伏せた。空になったグラスをテーブルに置き、自身を包む酩酊感を振り払うように二、三度軽く頭を振る。今日の予定はこの起工式の観覧だけではない。酔い潰れてしまうわけにはいかなかった。

 自身に対する甘えを叩き伏せたメノウは、まともに酔い潰れることも出来ぬ自分の立場を呪いつつ、分厚いガラスを隔てて眼下に広がる光景を視界に収める。起工式、といってもそこに広がる風景は広々とした、それでいてがらんとして物寂しさを覚える殺風景な空間だけだ。竜骨の一本も置かれていない。もっとも、〈ナデシコ〉の船体は、水上艦艇や現行型の航宙艦のように竜骨を用いる構造ではないので、竜骨が準備されていないのも仕方のないことなのだが。今回の起工式は、古典的な意味のそれではなく、関係者同士のささやかなパーティーといった色合いが強い。出席者は、スキャパレリ・プロジェクトの全容、あるいは一部を知るネルガル社の面々。この三ヶ月間の苦労を慰労し、そして〈ナデシコ〉の竣工、火星からの帰還までの長い忍耐の時を耐え忍ぶための前渡金のようなものだった。

「どうでもいいのだけれど」その身内の集まりの様子を見下ろしていたメノウは、小さく首を傾げながら言った。「スキャパレリ・プロジェクトってネルガルの社運を賭けた極秘プロジェクトなのよね」

「そうだけど、それがどうかしたのかい?」

 自分の隣で、言わずもがなのことを尋ねてくるメノウに、アカツキは今更何を、とでも言いたそうな表情と声で答えた。そんなアカツキに、メノウはドッグの一隅を注視しながら言った。

「部外者がいるみたいだけれど?」

 メノウは言いながら、白魚を思わせる白くほっそりとした指でガラス越しに見える眼下のドッグの一角を示した。その指の示す先には、宇宙軍の第一種軍装――純白を基調とした軍服に身を包んだ一団がたむろしていた。

 メノウの抱いた疑念に、なるほど、と納得したアカツキは、肩を竦めながら答えた。

「まぁ、いくら極秘と言っても、軍にだんまりで戦艦を一隻こしらえるわけにはいかないからね。口の堅い、信頼出来る連中には話を通してある」

 竣工したあかつきには、商船として――つまり、軍用艦艇ではないとして船籍簿に登録される手はずになっている〈ナデシコ〉だが、戦闘用艦艇の不足から民間より徴発したうえで改装を加えられた仮装巡洋艦はもとより、正規の戦艦よりも強力なフネを民間船舶――商船だと言い張っても、それが通るわけがない。昨今では、敵の無人兵器より身を護る為に旧い火器を積んで自衛する商船も多いが、そうしたものとは次元が違う。なにしろ、〈ナデシコ〉は、設計案のとおりに竣工すれば、現行の艦艇で構成された艦隊を丸々ひとつ向こうに回して戦ったとしても、余裕で勝利を収めることが出来るフネなのだ。

 で、あるからこそ、ネルガルはその無理を通すために根回しを進めている。本来であれば部外者の立ち入りなど許されようのない超々々々機密の塊である〈ナデシコ〉の起工式に部外者である宇宙軍の面々が顔を出しているのも、その根回しの一環であった。もっとも、起工式に出たぐらいでは〈ナデシコ〉に用いられることになっている技術が判るわけではないのも事実である。

「ふぅん」

 アカツキの説明を聞いたメノウは、それきり純白の第一種軍装を身に纏った一団への興味を失ったらしく、どうでもいいような生返事を返す。カクテルライトに照らし出された目にも鮮やかな白い服装の一団から視線を外したメノウは、そこから少しはなれた場所で、なにやら居心地悪そうにして小さくなっている背広姿の一団に目をとめた。首を傾げる。

「ねぇ、アカツキ」

「なんだい?」

「私の記憶が確かなら」顎先で背広姿の一団を示しながら、メノウは言った。「あそこでコンパニオンもつかずに哀愁漂わせているのは社長派のお歴々だと思うのだけれど」

 その背広姿の一団は、確かに、メノウの言うとおりネルガル重工において社長派と呼ばれている重役たちだった。メノウが救い出された秘密研究所の一件で、その実権を奪われ、いまやリストラ寸前の窓際族と大差ない扱いを受けている。ともすればアカツキを追い落とそうとしていたかつての権勢を考えれば、哀愁漂うのもむべなるかな、といったところだ。

「彼ら、何してるの?」

 権力を失った社長派の動向など気にもかけていなかったメノウは、純粋に疑問を覚えたらしく、小さく首をかしげた。手を出していることが多すぎ、身体が一つどころか二つ三つあってもたりないぐらいに多忙をきわめているメノウにとって、たとえ憎むべき奴輩であったとしても、なんの力も持たぬ中年男性たちに注意を払う余力はなかった。それに、社長派が復権を目論んでよからぬことを企んだとしても、ネルガルを裏から支えるネルガル・シークレット・サーヴィス――そしてそれを統括するプロスペクターが、それを見逃すはずもない。現に、今も社長派から少し離れた場所で、目立たぬようにして地味な背広に身を固めたNSSの要員が張り付いている。

「そりゃ、お仕事でしょ」意地の悪い笑みを浮かべながら、アカツキはメノウに答えた。「前ほどではないとはいえ、彼らもネルガルからお給料貰ってるんだから、それ相応に働いてもわないと」

 ウチも慈善事業やってるわけじゃないからね、とアカツキは肩を竦めてみせた。そんなアカツキの言葉を聞いたメノウは、しらけた表情を浮かべながら言う。

「お仕事。お仕事、ね」眼下で肩身の狭い思いをしている背広姿の連中に同情するわけではないが、それでもメノウは思わず口を開いていた。「経営権もない名ばかりの役員連中に、自分たちと敵対していた連中のプロジェクトの催しに参加させるのって結構な嫌味よね? 貴方、そこまで底意地悪かったのかしら」

「なに、ちょっとした意趣返しだよ」

 メノウが現れる前まで、よほど腹に据えかねる思いをしていたのか。飄々とした言い草でありながらも、どこか粘ついたものを感じさせるアカツキの口調に、メノウは溜息をひとつ。かつての経験から、企業の内幕というものが戦争などよりもよほど陰湿なものであることは知っていたが、それでもメノウは溜息をつかずにはいられなかった。そして、好むと好まざると自分もそれに付き合っていかなくてはならないことを思い出し、メノウはもう一度溜息をついた。

「まぁ、貴方のささやか復讐はどうでもいいんだけどね! それよりも、将来の顧客連中に顔見せぐらいしておいたほうがいいんじゃないのかしら」

 アカツキが名実ともにネルガルのトップとなって、まだ日が浅い。そのことを内外に知らしめる努力を怠っているわけではないが、アカツキもまた多忙のために、けして万全というわけではなかった。メノウはそのことを言っていた。

「ああ」そういう用件もあったか、とでもいうように口を開いて、アカツキは言った。「ほら、そういうことは、有能なること疑う余地もないエリナくんやプロスくんがやってくれるから。僕如きがいちいちしゃしゃり出るまでもないのさ。それに、ほら。エリナ君は上昇志向が強いから。そういうことに関して努力は惜しまない」

 おかげで僕は楽が出来て大助かりだ。アカツキはそう言って楽しげに笑ってみせた。そんなアカツキを呆れたように一瞥して、メノウは眼下の光景に再び視線をやった。美人どころを取り揃えたコンパニオン――機密漏洩を防止するという観点から、守秘義務に関する誓約書に何枚も署名させられた秘書課の綺麗どころがあちらへこちらへと忙しなく飛び交っている中に、件のエリナ・キンジョウ・ウォンの姿をみつけることが出来た。普段よりも気合の入ったスーツと化粧で、宇宙軍の高官になにかを話していた。その様子からは、確かに、自分に与えられた仕事を厭うている様子はみられない。

「良かったわね、部下に恵まれて」嬉々としてコンパニオン役――本人はそういう認識はないかもしれないが――をこなしているエリナの姿から視線を外して、メノウは言った。「おかげで、昼間っからお酒が飲めるんですものね」

「ああ、うん。ほら、飲んでるのはメノウくんも――」

 一緒だろう? あからさまな嫌味を言ってくるメノウに、アカツキはささやかな反抗を示そうとする。だが、

「何を言っているのかしら」珍奇な言葉を覚えさせられた鸚鵡を見るような目で、メノウは言った。「知ってる? 良い子はお酒なんか飲まないのよ」

 私、とっても良い子だから当然お酒なんか飲まないの。白々しい口調で言ってのけるメノウに、アカツキは思わず言葉を失う。 「そうよ、良い子。ええ、そうですとも。良い子だから、莫迦みたいに働いてるし、良い子だから不良会長が仕事サボっていても怒らないでいてあげてるの」

 そうよね? とても良い笑顔でそう言われたアカツキは――

(しまった。流石に無理をさせすぎた)

 と内心でそう悔やんだ。見れば判るように、メノウ・マーブルは子供なのだ。彼女があまりに才能を発揮しすぎるのでついつい忘れがちだが――メノウは、まだ子供なのだ。それが、たいした文句も出てこないので仕事を任せすぎてしまっていたが、当然のことながら、それは彼女に過度なストレスを与えてしまっていたらしい。

 そうしたアカツキの後悔は、メノウ・マーブルという少女の真実を知らぬが故の誤解に基づいたものであった。たしかに、それは幾許かの事実を含んでいるが、けして凡てを内包した予想ではない。とはいえ、無理からぬ話でもある。自分の隣に腰掛けている、神が作り出した造形美とでも表現すべき容姿をもった美しい少女が、実は未来から時を遡ってきた元男性など、誰が予想できるはずもない。

 ワインへの――というよりも、酔い潰れてしまうことに対する未練の無意識の表出だろうか、空になったグラスを手で弄びながら下界の様子をつまらなさそうに見ているメノウの様子に、アカツキはどうしたものか、と頭を悩ませる。もっとも、悩ませたところで良い考えが浮かぶわけでもない。アカツキの誤断による認識では、メノウの荒んだ心境を緩和させるのにもっとも適しているのは、過度の労働からの解放である。が、現在進行中のスキャパレリ・プロジェクトの関係各部署、その業務のほとんどに首を突っ込み、重きをなしているメノウがいなくなっては、プロジェクトの進行が遅延してしまうことは間違いない。一個人としてのアカツキはそれもいいと考えているが、企業人としての――ネルガル重工の社員を食わせていかねばならない経営者は、それに断固として異を唱えている。自分も含めたスキャパレリ・プロジェクト関係者が算出した、〈ナデシコ〉の就役と出航まで一年という期限は、ギリギリのところで、ネルガルが火星におけるなにがしかを失わずにすむ――あるいは、最低限の損害で抑えることができる時間だからだ。

 で、あるならば、メノウには今しばらく――少なくても、スキャパレリ・プロジェクトの準備段階である〈ナデシコ〉就役まで、膨大な仕事の量と付き合ってもらわねばならなかった。そのことを思って、アカツキは内心で肩を落とす。なにがメガ・インダストリー。なにが天下のネルガル重工か。年端もいかぬ子供に労苦を課さねば己が仕事もこなせないとはっ!!

 もっとも、そう考えているアカツキは、メノウが今現在嵌っている煉獄は、彼女自身が現出させたものだということをすっかり失念していた。加えて言うなら、今のメノウをスキャパレリ・プロジェクトから外そうものなら、疲労による不機嫌さなど問題にならないレヴェルで怒り出すのが。メノウ・マーブルは、少なくても、自らの行いに責任はとろうと考えているし、今、彼女を苛んでいる労苦は、彼女が為さねばならぬことの手始めにすぎないからだ。人生の一時期において苛烈な経験をしたことのあるものが往々にしてそうであるように、彼女もまた、他人に凡てをまかせることが出来ない人間であった。

 アカツキが、誤った認識から自分たちの不甲斐なさを痛感していると、それまで何も考えていないような表情で下界を見下ろしていたメノウが、不意に自分たちがいる部屋を形作っている壁の一角に目をやった。より正確には、そこにかけられている時計に、だ。長針と短針が作り出す角度を見て取ったメノウは、小さく溜息をつくと、ソファから重い調子で腰をあげた。

「メノウくん、どこへ?」

 メノウが立ち上がったことに気付いたアカツキは、内心で吹き荒ぶ自己批判の嵐から抜け出し、メノウに声をかけた。そんなアカツキに、メノウは溜息でもつきそうな勢いで答える。

「時間よ。次の予定があるのよ」

 まぁ、起工式の観覧は、いい休憩になったわ――疲れたように笑ってみせるメノウに、アカツキは罪悪感に苛まれる。同時に、物足りなさも覚えていた。互いに、多忙の身であることから、アカツキとメノウは最近顔をあわせていなかった。メノウの起工式の観覧は、そうした近況に得体の知れぬ苛立ちを覚えたアカツキが、無理矢理彼女のスケジュールの中に捻じ込んだものだった。彼の腹積もりでは、知性と諧謔に満ち、それでいてノイローゼにでもなりそうな多忙な日々を忘れさせてくれる会話を交わすはずだったのだ。が、実際、彼女と交わした会話は、知性と諧謔にこそ満ちていたものの、多忙な日々を忘れさせるどころか否応にも自覚させるものだった。現実はかくも厳しい。もっとも、その厳しい現実の大半は、半ばアカツキが自ら招いたようなものだったが。

「まだ大丈夫なんじゃないのかな?」

 こんなはずじゃなかった――そんな思いが、アカツキに未練がましい台詞を口にさせていた。同時に、その容姿から、ほんの少しでも目を離せば、夢のように消えてしまいそうな印象を受けるメノウへと手を伸ばす。はたして、それは今そこにいる彼女の存在をしっかりと確かめておきたいという願望の現われだったのか。それとも、ひさしく触れていない白磁のような肌を味わいたいという欲求によるものだったのか。

「莫迦を言うものではないわ」

 自らに伸びた手をぴしゃりとスナップの効いた平手で撃墜して、メノウは頑是無い幼児に言い聞かせる母親のような表情と口調で言った。

「じゃあね、アカツキ。また今度」

 言うだけ言うと、メノウはなんの未練も覚えていないかのように部屋をあとにした。その素早さに、アカツキはしくしくと痛む、はたかれた手を抑えながら、メノウが消えていったドアを呆然と眺め――

「なにをやってるんだか」

 ソファの背もたれに身体をあずけると、溜息まじりに呟いて天井を仰いだ。落ち着いた印象をあたえる柔らかな照明が、やけに眩しく思えてならなかった。自分が見せた痴態を思って、アカツキは情けない表情を浮かべる。まったく、これじゃどっちが子供か判ったもんじゃあない。

 それにしても、あのつれない態度。ひさしぶりに会ったにしては、少しばかり味気ないんじゃあないだろうか。アカツキは、今や意識しまいとしても意識してしまう自分の感情がもたらすメノウへの思いとは裏腹に、彼女がこちらのことをそう深く考えていないのではないだろうか――そう考えてしまう。あの日、スキャパレリ・プロジェクトに大変革と混乱をもたらす切欠となったあの日。メノウと自分が犯した過ち、そして、幾度か繰り返された行為は、実のところ、メノウにとってナノマシンが齎す異常性欲を解消させるための治療手段に過ぎないのではないか。

 アカツキは、ぼんやりと天井から室内を照らす照明を見ながら思う。肌を重ねるごとに、自分がメノウというあの得体の知れない、それでいて魅力的な少女に惹かれていっているのは自覚している。口に出すと恥ずかしくてたまらないが、おそらく、これは恋というものなのだろう。まさか自分がハンバートの同類となりおおせてしまうとは、夢にも思わなかった。とはいえ、悪い気分ではない。たしかに、背徳感を覚えはするが、それ以上に、まるで思春期に覚えた純粋ななにかのように、心が躍っている。

 だが。

 それもこれも、自分の一人相撲なのではないか。

 よくよく考えれば、アカツキはこのメノウという少女と一度も交わっていない。アカツキと交わっているのは、彼女の体内に存在しているナノマシン群の暴走によって理性を無くしたメノウではない何かなのだ。そこに、はたしてメノウが自分に何某かの感情を抱く余地は介在するのだろうか。なんたることだ。

 アカツキは自分が導き出した思考に、思わず頭を振った。だが、そう思う反面、メノウとの最初の情事のあと、彼女が見せたあの笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。自分の一人相撲に過ぎないのでは、と悩む反面、彼女が自分に好意をよせているという可能性に胸をときめかせる自分もまたここにいる。いやいや、女性は魔性というけれど。アカツキは思った。何時だって女は男を惑わせる。ねぇ、メノウくん、キミが僕に見せたあの笑顔は本物なのかな?



「ラピス? もう少し離れて……」

「やだ」

 サセボの地下に建造されたドッグから、ネルガルが――というよりも、アカツキ個人が所有するプライベート・スクラムジェット機を利用することで、一時間足らずで到着したネルガルの所有する研究施設――ネルガル重工技術開発研究所富士機動兵器開発室――の通路で、メノウ・マーブルは往生していた。自分の腕に腕を絡ませているラピス・ラズリの存在に、である。もちろん、この愛らしい薄桃色の髪を持つ少女を邪険に思うわけではない。むしろ、何に変えても護りたい――今はまだ来たりぬ未来におけるあまりに救いの無いラピスの最後を知っているメノウは、そう思うほどにいとおしく思っている。

「あらあら、メノウもラピスには弱いのね?」

 笑いを含んだ声で、メノウとラピスの隣を歩くエリナが言った。手にはハンディカメラが携えられている。メノウにはどうにも理解しがたいところがあるのだが、エリナに言わせると、美少女と美幼女がいちゃいちゃしているところを記録しておくのは神聖にして崇高なる義務だそうである。

 いちゃいちゃしてるつもりはないんだけどね。

 カメラを構えるエリナを恨めしそうな視線で一瞥すると、メノウは内心でそう呟いた。もっとも、本人にその気がなくても、はたから見れば誰がどう見てもいちゃついているようにしか見えない。ある種の好事家たちには垂涎ものの光景に違いない。ネルガル会長秘書エリナ・キンジョウ・ウォンなどその好例だろう。

 すれ違うネルガルの社員に奇異の――あるいは、

『これぞ、萌え!!』

 といった視線に晒されながらも、メノウが口でなんだかんだと言いながらラピスを引き剥がさない理由は、彼女がラピスに対して底無しに甘いからだ。かつての経験からか、メノウはラピスに対して負い目を持っている。加えて、叶うことであればラピスの願いをすべて叶えてあげたいと思っているので、大抵の我侭は看過してしまう。

 むろん、そのまま育てれば某宇宙軍将校の一人娘のように果てしなく我侭で自己中心的な人格に育ってしまうことは目に見えているので、必要があれば叱りもする。

 だが、エリナが言ったように、メノウはラピスに甘かった。押しに弱い、というべきか。そうしたわけで、メノウも一枚噛んでいるスキャバレリ・プロジェクトに関係する事業の査察に向かうエリナに彼女が同行すると言ったときに、ラピスが「わたしもいく!!」と言って聞かなかったのを止めることが出来なかった。

 メノウにしてみれば、あれやこれやと何かと時間を取られてラピスにかまってやる時間が少なかったために、まぁ、いいか、とラピスの我侭を承諾したのだが、今になって後悔していた。ただでさえ自分に懐いているラピスが、かまってもらえなかった反動からか、人目をはばからず自分にくっついてくる。加えて、ラピスが自分とメノウに同行することになったと知ったエリナはハンディカメラを持ち出し、ところかまわずベタベタしている美少女と美幼女をきゃーきゃーと黄色い声をあげながら時折身を悶えさせてカメラを回している。

 はっきり言って見世物と化している。

 テンカワ・アキト――あるいは黒い王子であったころから、他者の視線に対してあまり注意を払うことのないメノウであったが、流石にこれは堪えた。

 だからこそ、やんわりと自分から離れるようにラピスに伝えてみたのだが。

 ――――ぎゅう。

 無駄だった。むしろ逆効果だったかも知れない。自分がメノウから離れさせられるかも知れないと感じたラピスはよりいっそうメノウにくっつくようになった。加えて、それを見てエリナは更に黄色い声をあげてカメラを回している。

 ――――すれ違う人の視線が痛い。

 彼女が苦痛から開放されるのは、目的の場所につく五分後であった。

 展望室の一角にはめられている分厚い硬質ガラスから眺めることの出来る光景は、サセボの地下ドックほどではないが、それなりの広さを持った空間だった。そこに、油で汚れたつなぎやら白衣を着込んだ連中が往来している。そうした光景の中でもっとも目を引くのは、目新しくはあるが、どこまでも試作機の印象を拭えない無骨なシルエットをした人型の機械だろう。

 試作型エステバリス。それがその人型機械の名称だ。

 ここネルガル重工技術開発研究所富士機動兵器開発室で、今、もっとも力を入れている商品である。エステバリス自体は、少数――二個小隊を編成することが出来る程度――の先行量産型がネルガル火星支社を通じて火星に投入されていた。その先行量産型は、あの負け戦もいいところの火星会戦のあとで行われた絶望的な撤退戦の中で唯一、敵の無人兵器に対抗できた存在だった。従来の宇宙空間用の機動兵器が、敵無人兵器に良い様にあしらわれ、駆逐されていく最中、先行量産型エステバリスで編制された実験部隊は、充分な運用方法が確立されていない状態にも関らず、彼我のキル・レシオが五〇:一という奇跡を成し遂げた。従来の機動兵器と敵無人兵器の交換比が一:三〇という目を覆いたくなるような暗澹たる数字であることを考えれば、それはまさしく奇跡と呼んでさしつかえのないものであった。ただし、実験部隊は、この数字を叩き出すことと引き換えに、全機消耗――その凡てが撃破、つまり字義通り全滅してしまっているが。

 配備された部隊の全滅と引き換えに手にしたデータを調べたネルガルは、エステバリスが十分に商品たることを確信した。そこに加えてスキャパレリ・プロジェクトである。グラビティ・ブラストと気休め程度のミサイルしか武装の無い元設計のナデシコを火星に飛ばそうとしていたネルガルは、エステバリスをナデシコの搭載機とすることに決めた。太刀持ち、露払い、護衛機、言葉はなんでもいいが、まぁ、そうした役割をエステバリスに持たせようとした。

 火星に配備された段階である程度の完成度を見せていたエステバリスに手が加えられることになったのは、そうした状況の変化によるものだった。先行量産型では発動機と内臓バッテリーで稼動する方式を採用していたエステを、母艦からの重力波ビームを受信して動力とする駆動方式に変更したのだ。結論からいえばこの変更は功を奏した。バッタやジョロといった敵の無人兵器が搭載している発動機ほど出力の高いものを搭載することの出来なかったエステバリスは、紐付きという制限を得たかわりに、発動機搭載型よりもよほど高出力を得ることが出来た。

 だが、それでめでたしめでたし、とはいかない。

 発動機を下ろし、重力波の受信機を積み込んだために、機体重量とバランスが著しく変化してしまったのだ。おかげで、機体設計をいちからやり直すことになった。その割には試作機が完成しているのは早すぎるような気もするが、これにはちょっとしたからくりがあった。

 メノウがアカツキに渡したMO、その中に、エステの改修案も入っていたのだ。メノウ自体は、自分の知っているエステ――それもスーパーエステバリス――のデータに多少手直しをして渡しただけなのだが、エステ開発陣はこれに狂喜した。なにしろどこをどういじればバランスが取れてまっとうな機動兵器になるのか、そのお手本がいきなり示されたのだ。喜ばないほうがどうかしているだろう。加えて、〈ナデシコ〉と違い、エステは元からある技術を使って造られたものだ。図面さえあれば拵えるのに時間はかからない。

「上手く造れたみたいね」

 展望室から見える光景を一瞥したメノウは、満足げに言葉を漏らした。眼下で動作テストを行っているエステバリスの動きには、試験機にありがちな危なっかしい動作はかけらも見受けられなかった。

「図面の出来が良かったみたいだからね」

 カメラを回しながら言うエリナ。仕事そっちのけでカメラを回しているのもどうだろう、メノウはそう思ったが藪を突付いて蛇が出ても困るので特に何も言わない。半ば以上諦めている、というのもあるが。

「あのロボット、メノウがつくったの?」

 メノウの腰に手を回して抱き付いているラピスが上目遣いの視線でメノウの顔を見上げながらたずねる。脇で、「グッド! その表情グッド!!」とエリナが騒いでいるが、メノウはそれを無視して、ラピスに微笑む。

「図面を引いただけよ? 造ったのはここの人たち」

 メノウの言った言葉を理解しているのかどうか。ラピスは、ふうん、と相槌をうつと、『姉』の腰に回している手に力を込めた。

「貴女たち、本当に仲がいいわね」

 どうやら記録用ディスクの容量が一杯になったらしく、カメラを下ろしてディスクの交換をしているエリナが苦笑を浮かべながら言った。この愛らしい薄桃色の髪の少女は、確かに自分にも懐いてくれているが、メノウに対するそれは自分に対するものと比べると話しにならないぐらい大きなものだった。正直、羨ましくある。

「多分、端から見ればエリナも同類だと思われてるわよ?」

 メノウは、苦笑交じりに答えた。この自分に懐く少女と同じレベルで、エリナもメノウとラピスに接している。カメラを回していないときは、発作的に「ああん! 可愛い!!」などと叫んで二人を抱き寄せ頬擦りをしてくる。ところかまわず。おかげで、ネルガル本社ビルにおけるエリナの評判は以前とは随分と違ったものになっていた。もっとも、崇高な趣味に身も心も捧げているエリナは周囲のそうした雑音など気にもしていない。趣味人とは、いかなる意味においても常識の埒外にその信念をおいている人々のことをいうのだ。そして、エリナは間違いなく、趣味人であった。それもかなり駄目な。

「…………そうかしら?」

「自覚してないのね」


 視察に来るお偉いさん連中のために展望室に誂えられたソファーの上で、ラピスがすやすやと寝息を立てていた。ゲノム・デザインを施されて試験管の中に生を受けたマシンチャイルドであろうと子供は子供。小学校にも入れない歳のラピスは、同じ年頃の子供と同じように良く寝る。

 そのラピスが寝付いたおかげで、メノウとエリナはこの施設に来た本来の用件――エステの開発、その進捗状況の確認――つまり仕事を果たすことができる……

「ああん、可愛い〜♪」

 ……はずだった。

「エリナ、いいかげんにカメラを回すのを止めて」

 うんざりした様子でメノウが言った。一方、エリナはというと、すやすやと寝息を立てるラピスのあどけない表情を、身をくねらせてファインダーにおさめている。

「そんなことじゃお給料減っちゃうわよ?」

「お金と美幼女の寝顔、どっちが大切だと思う?」

「…………貴女の歪んだ価値観はどうでもいいから、仕事して」

 後生だから、とかなり泣きの入った調子で言われて、エリナは渋々カメラを手放す。もっとも、代わりに三脚を取り出してそこにカメラを据えている。撮影じたいはかけらもやめるつもりはないらしい。

「最初からそうすればいいじゃない」

「何を言ってるの」呆れた顔で言うメノウに、エリナは判ってないわね、と言わんばかりの表情で首を振った。「これだと、一定方向からのラピスしか写せないじゃない。ありとあらゆるアングルから美幼女の映像を記録するのは神が私に与えた神聖にして――」

「はいはい。それは判ったから仕事しましょ」

 メノウの記憶の中でナデシコに乗っている当時のエリナは、こう、野心を隠そうともしないがつがつとした人間だった。正直、あまり得意な相手ではなかったが、それでもこのちゃらんぽらんなエリナよりはましだったかも知れない。メノウはそう思っていた。

「そうね」

 趣味人(それも駄目な)の顔から、会長秘書の顔に切り替えてエリナは頷く。最初からこうだと随分助かるのだけれど。メノウは思った。アカツキにしろ、エリナにしろ、ちゃらんぽらんだが下手に有能なので始末に負えない。まぁ、無能なのよりはマシだけど。

「でも、エステの進捗状況を確かめるだけなら、別にここまで来る必要はなかったんじゃないの?」

 エリナは首を傾げる。送られてくるデータを本社で確認するだけでも事足りるのでは? エリナはそう言っていた。エリナも、そしてメノウもけして暇な身体ではないので、もっともな意見だった。とくに、メノウは毎日分刻みのスケジュールに追われている身である。

「そうね? でも、百聞は一見にしかず、って言うじゃない。実物を自分の目で見て初めて判ることもあるわ」

「なるほどね」メノウの言葉にエリナは頷いた。「確かにその通りだわ。で、どうかしら? 改修案の設計者から見た感じとしては」

「悪くないわね」

 メノウは答えた。やはり、自力の技術、その延長上のものだからかしら。口には出さず、そう思う。途中の試行錯誤をすっ飛ばして一足飛びに与えられた設計図から、満足の行くレヴェルの機体を作りあげている。ここの技術者たちの腕がいいということもあるのだろうが、根本的なところは、結局それだろう。

「良かったわ、天才少女の御眼鏡に適うものが作れたみたいで」

「そういう言い方、好きじゃないわ」

「あら、怒った?」エリナは自分の言葉に拗ねたような表情を見せるメノウを見てクスリと笑う。「でも、怒った顔も、か・わ・い・い♪」

「言ってなさい」やっぱりちゃらんぽらんだ。ネルガルの人間にとっての基本仕様なのかもしれない。「それよりも、テストパイロットに随分腕の良い人間を雇ったみたいね? エステの性能を良く引き出しているみたい」

 手にした実験データの記されたレポートを見ながら、メノウは関心していた。エステの開発が上手く行っているのも、このテストパイロットの能力に拠るところが大きいだろう。試作された機体を操り、その問題点を浮かび上がらせ、開発陣に提示してみせるテストパイロットの技量は、新型機の開発において重要なファクターのひとつだった。

「男?」

 もしかしたら、魂の名はダイゴウジ・ガイことヤマダ・ジロウかも知れない。そう思ったメノウは首を傾げながらたずねた。あの変人は、奇態な行動にはしる癖があったが、腕じたいは確かなものであった。人材を発掘することに関しては超一流のプロスペクターの眼鏡にかなったことからもそれは窺い知れる。もっとも、メノウの知る未来においては、その技量を発揮するまもなく、この悪しき世界から永遠に退場するはめになっていたが。内心では、親友になれたかも知れない男に会えるかも、という期待もある。もっとも、会ったからどうする、というものでもないのだが。

「はずれ」

 が、エリナの答えはその期待をあっさりと打ち消した。

「女よ、お・ん・な」

「へぇ」

 期待、といってもそれほど強いものではなかったメノウは、落胆よりも驚きのほうが強い声をあげた。そういえば、サツキミドリで補充されたパイロットもみな女性だったな、と思っている。

「資料、見る?」

「見せて」

 言うや否や、試作型のコミニュケ――ブレスレット型の個人端末を通じてテストパイロットのデータが表示される。

「ふうん、火星出身。へぇ、ネルガルに出向してきた宇宙軍期待の新人パイロット」

 表示されたデータを読みながら、ああふんそう、と声をあげていたメノウが眉をしかめる。テストパイロットの名前のところで妙にひっかかるものを感じたのだ。

「……イツキ・カザマ?」

 はて、どこかで聞いたような?

 首を傾げているメノウに、エリナが声をかけた。

「気になるんだったら会ってみる? もうすぐ今日の実験も終わるみたいだし」


 ネルガルは社員に対する福利厚生が充実していることで知られている。戦艦の中にやたらとメシの美味い食堂があったりするのもそのせいだ。そして、ネルガル重工技術開発研究所富士機動兵器開発室――通称ロボ研の食堂も、そうしたネルガルの方針に従い、なかなかに美味な食事を出すことで職員たちに好評であった。

「何時もながら豪華な食事ですね」

 食堂のテーブルに置いた食事を前にしてネルガル重工のテストパイロット、イツキ・カザマ少尉は溜息をついた。軍にいたころに摂っていた食事の内容を考えれば溜息の一つや二つは当然かもしれない。軍におけるそれは、どちらかといえば質よりも量を重視したものであり、下手をすれば悪名高いアメリカ合衆国のレーションにも勝るとも劣らないシロモノも存在する。もっとも、毎週金曜日に供される、宇宙軍が創設された当時、海上自衛隊から出向した人員が持ち込んだカレーだけは誰もが口を揃えて絶賛する一品であったが。

「それでは、いただき――」

 箸を持ち、両手を合わせてそう言い掛けたところで、イツキに声がかかる。

「イツキさん、少しいいかしら?」

「――ます、って? あ、エリナさん」

「久しぶりね?」

 イツキがネルガルに出向することに決まった際、軍と交渉に来ていたキャリアウーマン風の(風もなにもキャリアウーマンだが)会長秘書が自分の背後に立っていた。

「はい、おひさしぶりです」にこり、と笑ってエリナに返すイツキ。どうも人当たりのいい性格らしい。正直な話、さっきまで行っていたエステの駆動実験のせいで腹が減ってしかたないのだが、それをおくびにも出さない。「今日はこんなとこまで、どうしたんですか?」

「こんなとこ、ね」エリナは苦笑した。まぁ、都心部から離れたところに立地しているのでこんなとこ、と言えばこんなとこなのだが。

「今日は視察よ、視察。どうも随分といい成績残してるみたいじゃない? スカウトした身としては鼻が高いわ」

「そんな」イツキは長い黒髪を左右に振って答える。「元の設計が良かったからですよ。私の出来ることなんか大して――」

「謙遜も過ぎれば嫌味になるわよ?」

「別に謙遜というわけでは」

 どうも本人は本当にそう思っているらしい。なにやらもごもごと口の中で弁解する。その様子を見たエリナは、仕方ないわね、と小さく苦笑。

「まぁ、そのことはいいわ。それより、その良い設計を造った設計者に会ってみない? 腕の良いテストパイロットに会ってみたいそうよ」

「来てるんですか?」

 イツキも新米とはいえ、自分の乗っている試作機が現行の軍の主力機動兵器であるデルフィニウムなどとは大きくかかけ離れた性能の機体であることは良く判っている。会いたくない、と言えば嘘になる。

「ええ、来てるわ。メノウ?」

「はへ?」イツキが間の抜けた声をあげた。見れば、目が丸くなっている。「え、あの? この子はいったい?」

 まぁ、それが普通の反応でしょうね。エリナはイツキの見せた反応に苦笑した。

「だから、貴女が乗ってるエステの設計者。ウチの秘蔵っ子、メノウ・マーブルよ」

「え、あ? うぇぇ!?」

 エリナにメノウを紹介されたイツキは、目を白黒させていた。まぁ、無理もないだろう。現行機動兵器とは隔絶する性能を持った機体を設計した人物が一〇に届くか届かないか、という程度の年頃の少女だと言われて驚かない人間はいない。

「え、冗談ではなく?」

「冗談ではなく」エリナとメノウの顔を交互に見比べて問うイツキに、エリナが至極真面目な顔で頷いて見せた。「驚いた?」

「いや、驚きますよ。普通」

 そりゃそうよね、エリナが笑う。と、そこでメノウが一言も発していないことに気が付く。別段、愛想の良いほうではないが、社交性が皆無というわけでもないメノウが挨拶の一つもしないことが気になったエリナは、メノウの方をちらりと見た。なにやら難しい顔をして、イツキを見ている。

「……どうかしたの?」

「え?」

 エリナに声をかけられたメノウは虚をつかれたようにエリナの顔を見る。

「何か、難しい顔をしてイツキさんの顔を見てたみたいだけど」

「あの、私がなにか?」

 困惑した様子でメノウに問うイツキ。だが、メノウは黙ったままだ。ひたすら、イツキの顔を見つめ、何かを考えている。

「えっと、エリナさん?」

 困った、というふうに、エリナの顔を見るイツキ。エリナはそれに肩を竦めてみせる。

「とりあえず、お料理冷めちゃうから食べてちょうだい。メノウ、いったい――」

 エリナの発した単語に、メノウはひっかかっていた何かの正体に気付いた。  

 ――――貴方の料理、食べてみたかったです。

 ああ、そうか。彼女は、あのときの。

 メノウはほんの一瞬だったかつての邂逅を鮮明に思い出した。追い出されるようにしてナデシコを降りた自分と入れ替わりにエステのパイロットとしてナデシコに着任してきた黒髪の女性。そして、自分の代わりに死んでしまった、女性。イツキ・カザマ。

 ――これも何かの縁かしら。

 メノウは思った。あの時、助けられなかった人が目の前にいる。

 気が付けば、衝動的に口を開いていた。

「ねぇ、貴女? 軍をやめてネルガルに来ない?」

「はへ?」

 豚の生姜焼きを頬張っていたイツキが目を丸くした。メノウの傍らに立つエリナも、突然のメノウの言葉にイツキと同じような顔をしている。

「ちょっと、メノウ?」

 だが、そんな二人の困惑など気にもしていない様子でメノウは言葉を続ける。

「ネルガルで造っている――というか、造り始めた新型戦艦。名前は〈ナデシコ〉っていうんだけど、それに搭載する予定の艦載機の専属パイロットとして貴女の腕が欲しいのよ」

「ちょ、ちょっと!」

 流石にエリナが慌てた声をあげる。〈ナデシコ〉云々はネルガルの秘匿プロジェクトであるスキャパレリ・プロジェクトに関わる重大な機密である。それを一テストパイロットにぺらぺらと教えてしまっては機密保持もへったくれもない。だが、メノウは構わずに続けた。

「貴女、火星の生まれよね? ナデシコは火星に行くわよ」

 言外に、故郷を――敵の手に落ちた故郷を見てみたくないか、と言っている。

「本当ですか!?」

「メノウ!!」

 がたん、と椅子を蹴って立ち上がるイツキと、柳眉を逆立ててメノウを睨むエリナ。

「嘘じゃないわ。エリナのこの反応を見れば私の言ってることが嘘かどうか判ると思うけど?」


 少し、考えさせてください。

 しばしの沈黙のあとでイツキはメノウにそう告げていた。まぁ、いきなりあんな提案をされれば誰だって迷うか。往路とは違い、ネルガル本社さしまわしのリムジンの中で、メノウは溜息をついた。フジミヤ・シティの街中を進むリムジンの車内で、彼女はどうにかしてイツキ・カザマを確保できないものかと頭を捻る。

「メノウ、貴女いったい何を考えているの?」

 一テストパイロットに過ぎない、つまりスキャパレリ・プロジェクト全体に占める重要度という点では、地方支店のお茶汲みOLとさしてかわらないといってもいいイツキへの機密の暴露によほど腹を据えかねているのか。まだ怒気をはらんだ声で、エリナは自分の隣に座るメノウに問い掛けた。問われたメノウは、といえば車窓から見える流れ行く風景に視線をやっている。

「メノウ」

「悪かったわ」視線を、自分の膝で寝息を立てるラピスの寝顔に移して、メノウは詫びた。「でも、有能なパイロットは幾らいても足りないぐらいでしょう?」

 むろん、メノウの本心はそればかりというわけではない。あのとき、自分の代わりに死んでしまった彼女を、この歴史では死なせないために、あのようなことを口にした。いや、ボソンジャンプに巻き込まれて、という可能性だけを排除するなら、そのときに助言すれば事足りる。だが、幾ら自分の知る歴史をなぞって事を進めるつもりでも、何処で何がどう違ってくるか判ったものではない。

 事実、〈ナデシコ〉はかつてのそれよりもよほど強力になって完成する予定だし、ラピスもすでにネルガルの庇護下にある。それだけでも歴史は変わっているのだ。イツキ・カザマも〈ナデシコ〉に乗り込む前に何処かの戦場で戦死しないとは限らない。だからこそ、メノウは彼女を自分の手の届く場所で『保護』しようとしていた。

「それはそうだけど」

 少しは機密保持に気をつけてよね、エリナはそう言って口を噤んだ。メノウがラピスに甘いように、エリナもまたメノウに甘い。

「あのパイロット」メノウが思い出すような口ぶりで言った。「イツキ・カザマっていったかしら? ねぇ、エリナ。軍に掛け合ってネルガルに譲って貰うよう頼めないかしら?」

「簡単に言うわね」

 エリナはメノウの頼みに、半ば呆れたように答えた。

「無理かしら?」

「難しいと思うわよ? 軍もそうそう腕の良いパイロットを手放したがるとも思えないし。それに、本人の意思もあるでしょう?」

「そこを、なんとか。ね?」

 手を合わせてエリナに頭を下げるメノウ。そんな彼女を見て、エリナはやれやれといった様子で溜息を一つ。

「下着の着替え会と、その撮影で手をうってあげる」

 やはり、甘い。が、メノウは実に嫌そうな表情を浮かべる。

「服の着替えじゃ駄目なの? 流石に下着は……」

「駄目」



「はぁ」

 イツキ・カザマは食堂で独り溜息をついていた。原因は、先日出頭を命じられた原隊の司令部で上官から言い渡された辞令だった。

 上官が口頭と文書でイツキに伝えた辞令。

 予備役編入、それも召集のかからない類のものである。言い換えればお役御免、おまえはいらん、と言われたようなものであった。

 イツキ・カザマは使命に燃える真面目な軍人だった。といっても、士官学校を出た本職の軍人ではない。火星が落とされたと知ったとき、大学に在学していた彼女はいてもたってもいられなくなり、どこの大学にも存在しているROTC――予備仕官課程を選択し、即席の仕官教育とパイロットとしての教育を施されたのち、少尉に任官された予備仕官――パートタイム・オフィサーだ。そうした課程を経て、イツキは軍人となった。故郷を蹂躙し、そして今また地球にその魔手を伸ばさんとする敵に復仇の念を抱いて。

 が、その軍から訳もわからず放り出されてしまった。溜息の一つや二つは当然ともいえる。そのイツキが今、何を考えているかというと、

(あの女の子可愛かったなぁ)

 メノウのことであった。正直な話、軍から放り出されたことに意識を向けると際限なく暗い方向に考えがいってしまうため、なるたけ関係ないことを考えるようにしているのだ。

 それがどうして、メノウのことなのかというと、彼女もまたエリナの同類だからだ。

 つまるところ、可愛いものに目が無い。

 もっとも、人目を憚ることもなくメノウやラピスに抱きつくエリナほど壊れてはいないが。

 ああ、本当に可愛かったなぁ、あの子。お人形さんみたいに綺麗な顔に、あの綺麗なアッシュブロンドの髪。エリナさんの子供なのかなぁ。いいなぁ、あんな可愛い子が近くにいて。

 ちなみに、こうした精神状態を人は現実逃避と呼ぶ。あまり健全な精神状態でないことは確かだが、果たしてひたすら暗い方向に考えが及び、欝になっているのとどちらがマシか、と問われたら判断に迷うところだろう。

「メノウちゃん、っていったっけ」コップに水差しから水を注ぎながら、ひたすら逃避を続ける心のままにイツキは呟いていた。「本当に可愛かったなぁ」

「あら、有難う」

「はうぁっ!?」

 自分の呟きに返事が返ってきたことに驚いたイツキは、奇妙な声をあげて椅子から飛び上がった。その拍子に水差しとコップを大きな音を立てて倒してしまう。その様子に、周りにいた職員たちが何かあったのか、と視線を向けている。

「あ、ああああ」

「あまり親しくない相手を指差すのはどうかと思うわよ?」

 イツキに声をかけた相手が言った。人形のように整った顔には人の悪い笑みを浮かべている。

「お久しぶりね。元気だったかしら、イツキ・カザマ元少尉」

「え、あ、はい。お久しぶりです」

 親の躾が良かったのだろう。自分よりも年下の相手――メノウ・マーブルにぺこりと頭を下げてイツキは言った。メノウはその様子を見て小さく苦笑する。

「良かった。覚えてもらえていないんじゃないかと心配していたの」

 でも、あの様子だと杞憂だったみたいね――と、メノウは意地の悪い笑みを浮かべる。

「あー、それは」碌でもない独り言を聞かれていたと悟ったイツキは顔を真っ赤にして弁明を試みた。が、それよりも気になることがあった。弁明よりもそのことを問う言葉が口に出ていた。「知ってるんですか? 私が――」

「軍を放り出されたってこと?」

「あ、ええ。はい」

 質問を終える前に答えを返しただけでなく、随分と身もふたもない言い方をするメノウに、イツキは少しばかり鼻白んだ顔で頷く。

「もちろん知ってるわよ。何せ私が裏から手を回させたんだもの」

「はー、それはそれは。…………って、ええっ!?」

 それは納得、という顔から一転して驚きも露にイツキは声をあげた。

「ちょっと、みんな見てるわよ?」

 どうも周りの視線が気になるらしく、メノウは眉をしかめてイツキに注意する。が、当のイツキはそれどころではないらしい。メノウの肩を掴んで激しく揺さぶる。

「ど、どういうつもりなんですか! いったい何でそんな――」

「痛い、痛い! 少し落ち着いて」

 よほどイツキが力を入れていたらしい。肩を掴まれたメノウは顔を歪ませてイツキに抗議する。

「あ、その、すいません。つい」

 メノウの抗議に、イツキははっとしてメノウの肩を掴んでいた手を解きばつの悪そうな顔で謝った。

「貴女のこと、欲しいって言ったでしょう?」

 メノウはイツキの謝罪などどうでも良いと言いたげな口調で言う。

「え? あ……そう、いえば」

「忘れてたみたいね。その様子だと」

 実際、軍を放り出されたことで頭が一杯になっていたイツキは、あの日メノウからうけた勧誘をすっかり忘れてしまっていた。

「何時まで経っても返事を貰えないから、上に掛け合って貴女のことを引き抜く算段をさせてもらったのよ」

「引き抜く算段って、いったいどうやって…………」

 自惚れではなく、イツキは自分が腕の立つパイロットであると自認していた。それも、IFS処置を施した地球ではまだ少ない腕の立つパイロットである、と。腕の良いパイロットを幾らでも必要としている軍がそうそう簡単に自分のことを手放すはずはない。それが、効果のほどは理解していても、感情の面から中々受け入れられずにいるIFS処置を施したパイロットならば――イツキはそう考えていた。だからこそ、最初は火星に行く船に乗せる、というメノウの言葉に心惹かれたが、軍が自分を手放さないだろうと考えてメノウの勧誘を忘れていたのだ。

「火星に回したタイプのエステを一個中隊分、無償で軍に提供したの。あと、ここで造っているエステがものになった時には、割安で軍に収めるという約束も」

 あっさりというメノウに、イツキは軽く絶句した。エステバリスはけして安い機体というわけではない。たしかに、従来のものよりも隔絶した性能に、もうひとつセールスポイントをつけたいというネルガルの意向で、かなり抑えられた値段にはなっているが、それでも安いというわけではない。それを一個中隊分。

「あの、それって幾らぐらいかかったんですか?」

 恐る恐る、といった様子でたずねるイツキに、メノウは笑ってみせた。

「知らないほうがいいわよ? なんだかあくせく働くのが莫迦みたいに思えてくるだろうから」言って、少しばかり真面目な顔をしてみせる。「まぁ、ネルガルは貴女にそれぐらいの価値があると考えているのよ。ネルガルが、というよりは私が、と言った方が正しいかもしれないけれど」

 メノウの言葉に嘘はない。そこには、腕の良いパイロットとしてのイツキ・カザマを欲するという意味と、自分の代わりに死んでしまうはずのイツキ・カザマの身柄を保護する、という二つの意味があった。無論、プロスペクターあたりは良い顔をしなかったが、自分がナデシコの再設計やエステの再設計で用いた新技術のパテント、その半数を放棄するとメノウに言われては流石に首を縦に振らざるをえなかった。メノウは下手をすれば一生どころか三代先まで遊んで暮らせるほどの金が懐に入ってくるパテント、それと同等、下手をすればそれ以上の価値をイツキに持っていた。

「ネルガルは給料も良いし、契約金も目が飛び出るほど貰えるから悪い話じゃないと思うの。まぁ、貴女が首を縦に振ってくれれば、だけど」

「それってずるいですね」

 もし、イツキがメノウの誘いを断りネルガルがイツキを諦めたとしても、軍がただで入ってくる新兵器――蜥蜴に対抗できるエステを諦めるはずはない。軍がイツキを迎え入れることはないのだ。イツキに選択権は無い。少なくとも、この戦争においてなにがしかの役割を、そしてその役割を戦場において果たしたいと願っている以上は、メノウの提案を受け入れるより選択肢は無かった。

「私もそう思うわ」恨めしく自分を見るイツキに、苦笑を返すメノウ。「でも、私はそこまでしても貴女が欲しいのよ」

 さらりと言うメノウに、イツキは目を丸くした。続いて苦笑。

「シチュエーションによってはプロポーズみたいですね、それって」

 今度はメノウが目を丸くする番だった。やはり、苦笑を浮かべる。

「違いないわ」言って、苦笑から苦さを取り払った笑みを浮かべる。「それで、私の『プロポーズ』、受けてくれるかしら?」

「なんか少女漫画みたいですねー」

 それも百合系の、と茶化すようにイツキは笑った。笑いに、否定の響きは含まれていなかった。


「とりあえず、イツキにはそのままウチの専属テストパイロットを続けてもらうわ」

 先導するように廊下を進むメノウは言った。あの後、二人して食堂で昼食を摂り、そのあとこうしてイツキはメノウに導かれるままに廊下を歩いている。

(しかし、こんなに小さいのによくあれだけ食べますねー)

 諾々とメノウの後をついていくイツキは、自分の前を進む少女の背を見ながら食堂で見せたメノウの健啖ぶりを思い出していた。並みの大人なら軽く満足感を味わえる定食を三人前。唖然とする周囲をよそにメノウはそれをぺろりと平らげてしまった。あのときの様子からすると、まだまだいけそうな気がしてならない。

(何処に入ってるんだろう?)

「で、エステのテストを続けてもらうのと平行して訓練をしてもらうことになるんだけれど…………って、人の話聞いてる?」

「あ、すいません」まったく聞いていなかったイツキは反射的に謝る。「さっきのメノウさんの健啖ぶりを思い出していて」

「人間、正直なのが美徳とは限らないのね」露骨に顔をしかめながらメノウは言った。気持ち、顔が赤い。「本人の前で大食い呼ばわりはどうかと思うわよ?」

「いや、でも」

 実際、見てて気持ちが良くなる食べっぷりでしたし、とイツキ。それを聞いたメノウは拗ねたように顔を逸らす。

「仕方ないじゃない。ナノマシンにエネルギー摂られるからお腹空いて仕方ないのよ」

「大変なんですねぇ、マシンチャイルドって」ちなみに、メノウの素性に関しては(問題が無いレヴェルで)食事中に教えてある。「でも、私はそんなにお腹空かないですよ?」

 パイロットであるイツキも、IFSで機体を操るために体内にナノマシンを常駐させている。

「パイロットとは体内に常駐させてるナノマシンの数が段違いなのよ。そんなことより、イツキ。貴女、訓練なさい」

「訓練ですか?」

「ええ、そうよ」話の流れを元に戻してメノウは言う。「貴女、このままナデシコに乗ったら死んじゃうわ」

「は?」

 メノウの言葉に唖然とするイツキ。が、メノウは構わずに続ける。 「だから、今のレヴェルじゃ蜥蜴どもに殺されるって言ってるのよ」

「っ! わ、私そんなに――」

「弱くない? ええ、貴女、新人の割にはいい腕してる。エリナがスカウトしてきたのも頷ける力量よ」

「だったら――」

「でも、それだけよ。単艦で、敵の勢力圏に乗り込む〈ナデシコ〉でやっていくんじゃちっとも足りない。私にだって敵いやしないわ」

 正面切って下手糞呼ばわりされたイツキは顔を紅く染めた。無論、怒りで、だ。エースとまではいかなくても良い線はいっていると自負しているだけにメノウの言葉に対する反発も強い。だが、それよりもメノウの言葉の別の部分にひっかかるものがあった。

「メノウさんよりも――って、エステの操縦出来るんですか?」

「出来るわよ?」言いながら、自分の手の甲を見せるメノウ。そこには、パイロットのものとは形が違うがIFSのタトゥーがあった。

「パイロット専用、ってわけじゃないけど、これがついてるもの」

「…………クルト・タンクみたいな人ですね」

 クルト・タンクというのは第二次大戦時のドイツにおいて、フォッケウルフ社を実質的に率い、Fw190を初めとする傑作戦闘機を開発した航空機デザイナーである。タンクは、ただ図面を引くだけではなく、実際にそれを操縦し、機体の性能を確かめたと言われている。嘘か真か、自身の名を冠したTa152Hのテスト飛行を行っている最中に二機のP−51と遭遇し、これを水平飛行で振り切ったという逸話まで伝えられている。自らもエステバリスを操縦できるというメノウをクルト・タンクのような、と評したイツキの言葉にはそうした理由があった。

「エステの操縦が出来るのは判りました。でも、本職の私よりも強いっていうのは、ちょっと」

「信じられない?」

「ええ」

 頷くイツキに、メノウはからかうような笑みを見せる。まぁ、無理もないか。メノウは思った。アキトであった頃の姿ならまだしも、今の自分はどこからどう見ても年端の行かない少女に過ぎない。そんな相手にオマエはこっちよりも弱いと言われてはいそうですか、と頷く人間はそういないだろう。で、あるならば。

「じゃあ、教えてあげるわ」言って、足を止める。そこにはエステのシミュレーターの置かれた部屋に通じるドアがあった。「何事にも例外があるってことを」


「――――嘘でしょう」

 実機のコクピットと同じ造りのシミュレーターの中でイツキは呻いた。かなり無茶なマヌーバで仮想のエステを振り回している。機動によるGすら再現してみせるシミュレーターは、さきほどからマヌーバに伴うGでひっきりなしにイツキの華奢な胴体に収まっている内臓をシェイクしていた。軍のパイロット養成課程でも、これほど無茶な動きをしたことはなかった。

「捕まえられない――」

 だが、そうまでしてもなお、イツキはメノウを捕捉できずにいた。軍のエースパイロットでもとれないようなマヌーバでイツキを翻弄するメノウ。乗っている機体は同じ。つまりは、腕の違いということになる。

『ね、例外はあるものでしょう?』

 シミュレーターの中に、メノウからの通信が響く。それにからかうような響きが含まれているのはイツキの気のせいではあるまい。

 ――遊ばれている。

 イツキはそう思った。必死になって仮想のエステを操る。だが、メノウはそれを上回る動きで自分を翻弄する。墜とそうとすれば、いつでも墜とせるはずだ。だが、メノウはそれをしない。まるで、自分の力量をこれみよがしに見せ付けているようだ。

(いや、実際見せ付けているんでしょうね)

 ぎり、と歯を鳴らしてイツキは思った。なるほど、言うだけのことはあったということか。だが、だからといって、はい参りました、と両手を挙げるわけにもいかない。本職のパイロットとしての矜持がある。敵わぬまでも、一矢報いるぐらいはしておきたい。

『諦めの悪さは褒めてあげるわ』

 再びメノウから通信。

『でも、それだけじゃ勝てないわよ?』

「っ――――!?」

 シミュレーターが激しく揺れた。どうやら致命的な被弾をしてしまったらしい。シミュレーターの中に、ゲームオーバーの文字が大きくうつる。

 結局、一矢報いることは適わなかった。

 無茶なGで振り回され続けたイツキは、溜息と荒い息を同時に吐いた。ばくん、と外からシミュレーターのハッチが開かれる。顔をあげると、メノウが覗き込んでいた。

「お疲れ様。どう、私の言ってることは間違いじゃなかったでしょう?」

 言いながら伸ばしてくるメノウの手をとりながら、イツキは無言で頷く。

「これからは、エステのテストと平行して、訓練もしてもらうわ。圧倒的多数の敵と渡り合えるように、せめて私ぐらいにはなってもらわないと」

 良い? と目で問うメノウ。イツキは青い顔で頷く。それを見て、メノウは流石に薬が効きすぎたかしら、と苦く思う。まぁ、こんな小娘に良い様にあしらわれたんだからパイロットとしてのプライドはずたぼろでしょうね。これで使い物にならなくなったりしなけれないいんだけど。

 イツキの様子にそう懸念したメノウだったが、それは半ば杞憂だった。確かに、イツキは自分よりも一回り近く年下の少女に手も足も出なかったことにショックをうけてはいたが、元来が前向きな性格であるために、もっと鍛錬を積んで腕を磨こう――そう考えていた。前向きな性格なのに、軍を放り出されて現実逃避していたのはどうか、という意見もあるかも知れないが、あの場合、どれほど前向きになっても軍に戻れそうになかったからで、今の場合は明確な目標が出来ているのでそれに邁進できるのだ。

 ならば、どうしてそのイツキが顔色を悪くしているのか、というと。

「これからは、私が組んだカリキュラムに従って訓練してもらうことになるわ。よろしくね、イツキ」外見からは思いも拠らぬ力でシミュレーターの中からイツキの身体を引き出しながらメノウは言った。力をいれすぎたのか、勢い余ってイツキが自分のほうによりかかかってくる。「――イツキ?」

 イツキが自分の言葉に返事を返さないことを不信に思ったメノウは、自分によりかかるイツキに声をかけた。

「――ごめんなさい」

「へ?」

 いきなり謝られたメノウは訳がわからず間の抜けた声を出した。次の瞬間、

「うぇぇえぇぇえぇぇぇぇええぇぇえぇぇ」

 自分に向かって青い顔をしていたイツキが盛大に胃の中のものをぶちまけていた。


「食べたばかりで、あんな派手な動きをさせたこっちも悪いんだけど」水音が響くシャワールームで、メノウは裸身を温水で流しながらぼやいた。「何も私にぶちまけなくてもいいじゃない」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

 そんなメノウに、いちいひさいちばりに謝るイツキ。無論、メノウと同じように一糸纏わぬ裸身だ。あれから、二人してゲロまみれになったイツキとメノウは吐瀉物特有の臭いを振りまきながらテストパイロット用の――つまり、実質的にイツキ専用になっているシャワールームに駆け込み、こうして互いの身体に付着していたものを洗い落としていた。

「もういいわよ」いっそ清々しささえ感じられるイツキの謝りっぷりに、メノウは苦笑を浮かべながら言った。「貴女の様子がおかしいことで察しなかった私も悪いんだから」

「ううう、ごめんなさい」

 自己嫌悪から、ひたすらヘコみまくるイツキ。まぁ、悪酔いでもしていない限り、いきなりさして親しくない相手にゲロをぶちまければ誰でも落ち込むだろう。

「まぁ、今後はあの程度でけろけろやらないように鍛えてあげるわ。覚悟しておいてね?」

 からかうようなメノウの言葉に、イツキは身を縮こまらせる。

「うう、はいぃ」

 いったいどんな訓練をさせられるのやら。もしかして、メノウさんほんとは凄く怒ってるんじゃあ。

 そんな考えで頭がいっぱいになりついつい黙り込んでしまうイツキをよそに、メノウはゲロをぶちまけられたことなどさして気にしていない様子で、シャワーを浴びている。視線は、イツキの身体にむけられていた。

(うーん、肌が白いなぁ)

 自分やラピスも色白だが、ともすれば人形を思わせる自分たちのそれとは異なり、イツキの肌の白さは欧米人のそれとは異なる日系人独特の白さだ。身体のあちこちに強いGがかかったことにより付いた赤い痣があるのがやや興醒めだが、それを差し引いても美しいと表現できるレヴェルだ。あるいは、その日本的な美意識に合致する均整のとれたプロポーションもあいまって、いまだに日本女性に対するある種のイメージを捨てていない欧米人(あるいは日本人)ならば「これぞヤマトナデシコ!」と絶賛するかもしれない。

 自分やラピスがビスクドールだとすれば、イツキは差し詰め市松人形みたいね。うん、髪型もそれっぽいし。しげしげとイツキの裸体を見ながらメノウはそんなことを思っていた。気が付けば、そんな自分をイツキが妙なものでも見るように見ていた。

「あの、私の身体に何か?」

「へ?」

「いや、さっきからずっと見ていたみたいなんで」

「あー」聞かれたメノウはばつの悪そうな顔をする。「いや、イツキってプロポーションいいなぁ、って」

「は?」メノウの言葉に目を丸くするイツキ。「いや、私そんなに胸大きくないですよ?」

 どこか抜けた反応を返すイツキ。やはりナデシコ、もしくはネルガルに関わる人間だけあって並みの人間と違っているのかもしれない。

「いや、うん。胸はそこまで大きくないんだけど」

 いいながら無造作にイツキの双房に手を伸ばすメノウ。むに。

「うきゃ!?」

「形が良いっていうか、全体のバランスが取れてるっていうか」

 むにむにむに。言いながら、イツキの胸をこねくりまわすメノウ。彼女に特に他意はない。

「いや、たしかにメノウさんよりも大きいですけど。ふ、ぁ」

「む」何気なく漏らしたイツキの言葉に眉をしかめるメノウ。「あたりまえじゃない。私はまだ子供なんだから胸なんかないわよ」

 どうやら、痛いところをつかれたらしい。少し怒ったように言うメノウ。おまけとばかりにイツキの柔らかいものを掴む手に少しばかり力を入れる。

「やぁ!?」

 何処か艶のある声をあげるイツキ。それを聞いたメノウの中になにかムラムラとしたものがこみ上げてくる。ラピスに対しては(ナノマシンが暴走でもしない限り)欲情しないメノウだが、あれはかつても今もラピスを女性として見ていないからだ。今の身体に引きずられて、あるいは散々エリナに女物の服を着せられたおかげで女性としての感覚が身についてしまっているメノウだが、未だにその奥底には男としての精神が残っている。いずれは霧散と消えてしまうのだろうが、女としての時間が短い今はまだ、微かではあるが確りと残っている。

 その男としての感覚が、イツキの嬌声で鎌首をもたげはじめた。

「あら? どうかしたの?」

 意地の悪い声でイツキに問うメノウ。その顔には声と同様にニヤニヤとした意地の悪そうな笑みが浮かんでいる。

「へ? あ、いや別に……うぁ」

 まさか感じている、と言うわけにもいかないイツキは誤魔化すように言った。もっとも、その声に熱いものが含まれているので誤魔化すもなにもあったものではないが。

「ふーん」莫迦にするようにメノウが言う。「じゃあ、これはどういうことなのかしら」

「ひっ!?」

 股間の秘部に指を這わされたイツキが、つまったような声をあげてタイル張りの床にへたりこんだ。メノウはそんなイツキを面白そうに見ている。

「ねぇ、これなに?」

 肌を桜色に上気させて床にへたっているイツキの眼前に、自分の指を突き出すメノウ。指先は、シャワーノズルから流れる温水とは別の物で濡れていた。

「ねぇ、イツキ?」

「う、それは――」

 獲物を嬲るような視線と口調でいうメノウの問いに、イツキは声を詰まらせた。が、メノウはそんなイツキの反応を愉しむように言葉を続ける。

「イツキ、もしかして感じてる?」

 へたりこんでいるイツキの背後に回りこんだメノウは、そのままイツキの背にもたれかかり後ろから彼女の双房に手を伸ばした。適度な弾力と柔らかさを兼ね備えた肉を揉みしだく。メノウの行為に、イツキは、はぁ、と熱い吐息を漏らした。

「ねぇ、感じてる? 感じてるの?」

 俯くイツキの耳に小ぶりな唇を寄せ、メノウはからかうような調子で囁いた。

「そんなこと――」

「うそつき」ありません、と続けようとしたイツキの弱弱しい声を、メノウは容赦なく切って捨てた。「じゃあ、なんでここがこんなに硬くなってるの?」

 言って、イツキの形の良い乳房の頂点で硬くしこっている乳首を摘み上げる。

「ひぃっ!?」

 よほど力を込めて摘まれたのか。イツキは情けない悲鳴をあげた。哀願する。

「やめて、メノウさん――――」

 だが、メノウさそんなイツキの哀願を鼻で笑い飛ばした。

「うそつきのお願いなんか聞いてあげないわ」男としての精神に加え、イツキの態度に加虐的な衝動を覚えていたメノウは、その精神の昂ぶりのままに言葉を続けた。「うそつきにはおしおきが必要よね」

「あ」

 イツキは今日何度目かの驚きの声をあげた。有無をいわさずにタイル張りの冷たい床に押し倒されたのだ。形の良い二つの乳房が床に押し付けられて奇妙な形に歪む。肌と床の間に潜り込んだ水が微かに心地悪い。

 這うようにして床に伏せられたイツキの肢体に、メノウが覆い被さる。

「ねぇ、うそつきでいやらしいイツキ」両手を、イツキの股座と乳房に回しながらメノウは嬲るようにいう。「気持ちいい?」

「や、メノウさん、駄目――――」

「何が駄目なのよ」

 メノウは喘ぐようなイツキの言葉を莫迦にするように言った。右手の指先で握った乳房の頂点にある突起をしこりつつ、左手の指先でイツキの他者に隠すべき女性の器官、その肉襞を解くように愛撫する。

「乳首も、ここも、こんなにしておいて」堅くなった乳首と、粘り気のある水分で濡れる肉襞の感触を愉しみながらメノウは言う。「うそつきで、いやらしいうえに、素直じゃないなんて」

「違う。違います」

 もちろん、イツキも自分がメノウに責められ立てて感じてしまっていることは十分すぎるほどに自覚している。だが、自分よりもはるかに年少の少女にいいように感じさせられている事実というものを容易に認められないでいるだけだ。

「違うんです、違うんです」

 メノウに、というよりも自分に言い聞かせるように否定の言葉を紡ぐイツキ。その声には肉の喜びに震える色に加えて、涙に濡れた響きが混じっていた。

「本当、素直じゃないのね」

 イツキの内心が手にとるように判っていながら、メノウは今だ否定の言葉を吐くイツキに呆れたように言う。もう少しばかり苛めてみようかしら、と唇を加虐的に歪ませながら思う。爪先で、摘み上げていた乳首をきつく挟む。

「ひぃぃ!?」

 イツキが乳房の頂点から伝わる鋭い痛みに悲鳴をあげた。やめてください、やめてください、と哀願の声を漏らす。だが、メノウはそれを無視して、千切れよとばかりに爪先に込める力を増した。金切るようなイツキの悲鳴がシャワールームに反響する。

「素直になったら、痛くしないであげるわよ?」ぎりぎり、と乳首を苛む爪先は緩めずに、メノウはイツキの耳元に囁いた。「ちゃんと、気持ちよくしてあげる」

「なります! 素直になりますから! だから!!」

「じゃあ」イツキの声を聞いたメノウはニヤリと嗤う。「言いなさい。言うことは判っているわね?」

 うつ伏せになったまま、イツキはメノウの言葉に頷く。口を開く。

「感じています。私、メノウさんに弄られて感じてます」

「気持ちいいの?」

「いいです。気持ち、いいです……!!」

 何か大事なものを捨て去るように言うイツキに、メノウは微笑を浮かべる。そのまま、うつ伏せに伏せっているイツキの身体をえいや、とひっくり返す。

「最初からそう言えばいいのに」言って、さんざん爪を食い込ませた乳首を見る。「ほら、血が滲んでるじゃない」

 痛そう、と小さく呟いたメノウは、血の滲んだ乳首に顔を寄せ、それを口に含んだ。

「や、メノウさん?」

 乳首の先に与えられるものを苦痛から柔らかい唇の感触に変えられたイツキが、戸惑うようにくすぐったそうな声を漏らす。が、メノウはそれに答えず、歯を立てぬように唇をつかい乳首を甘噛み。たまに舌先で舐めあげる。

 まるで母猫の母乳を一心に貪る仔猫のような行為。その行為がもたらす感触が、先ほどまで覚えていた鋭い痛みを和らげていく。

「イツキ、気持ちいい?」 僅かに乳首から口を離して、伺うようにメノウがたずねた。どう答えたものか、イツキはやや答えに窮する。だが、素直にいえ、という先ほどのメノウの言葉が脳裏をよぎり、結局は実情をそのまま口にした。

「ちょっとくすぐったいですけど」再び乳首を口に含んだメノウの頭を軽く抱いてイツキは続ける。「気持ちいいですよ、メノウさん」

 その言葉に満足したように、メノウは柔らかい笑みを浮かべる。乳首を甘く噛みながら、休めていた秘部を漁る指先の動きを再開させた。指先に伝わる、熱の篭った柔らかい肉の感触。指先を動かすたびに、湿り気を帯びた肉の襞が絡みつく。

「ん、あ、メノウ……さん、そこは……」

「気持ちいいでしょう?」浮かべている笑みを絶やさずにメノウはイツキに言った。何処か悪戯を思いついた悪童のような表情だ。「指、中に入れるわ」

 言って、メノウはそれまで入り口の肉襞を弄ぶだけにとどめていた指先を、行為によって濡れすぼった膣内に潜り込ませた。瞬間、ん、とイツキが熱の篭った声を漏らすのが聞こえた。

 ――案外、狭いわね。

 潜り込ませた人差し指から伝わる感触に、メノウは怪訝そうに眉をしかめた。十分にほぐれたはずの肉は、湿り気を帯びてなお堅さを残している。短い間にそれらの情報を整理し、推論し、メノウはひとつの結論を導き出す。

「イツキ、もしかして、まだ?」

 その言葉に、荒く息をしていたイツキは不意をつかれたようにはっと息を呑み、目を逸らした。

「なんのこと――」

「だから、まだなんでしょ?」

 有無を言わさぬ調子で問うメノウ。柔らかさと堅さをもつ肉の壷に潜り込ませた指先を僅かに動かす。ひん、と啼くイツキの声が耳を打ち、指先には異物を迎えたことのない堅い肉の感触が返ってくる。

「――処女?」

「っ……は、い」羞恥に顔を赤く染めたイツキが、俯きながら答えた。「はじ、めてです」

 そういうことか。メノウは得心がいったと頷く。妙に堅い肉の反応も、そうであるならば説明がつく。そうか、はじめてか。なら――

「やさしくしてあげるわ、イツキ」

 そう宣言するなりメノウはイツキの中に潜り込ませた人差し指をゆっくりと動かす。あくまで、ゆっくりと、優しく。

「ん、あぃ、あぁ――――」

 自分の中を掻き回される感触に、イツキが甘い悲鳴を漏らす。その声を聞きながら、メノウは指を動かす。堅さの残るイツキの膣内をほぐすように。じわり、じわりと奥から分泌液を滲ませるイツキ。やがて、指先と膣はくちゅくちゅと粘ついた水音立て始める。

「聞こえる?」メノウはイツキの肢体に舌を這わせながら声をかける。白いイツキの肌に、てらてらと唾液の跡が刻まれていく。「イツキのいやらしいところ、こんなに濡れて、音まで立てて」

「そ、れは、メノウさん……が……」

 喘ぎ声と、荒い息を交互に漏らしながら、イツキは途切れ途切れに抗議する。

「あら、私のせいなんだ」

 心外だ、とばかりにメノウは口をすぼめる。同時に、イツキの中に潜り込ませている人差し指、その隣に位置する親指を器用に動かして、秘裂の上部に確固としてその存在を主張している淫核を弾く。ひゃん、と一際高く啼いて、イツキが身体を仰け反らせた。

「イツキがいやらしいのはイツキのせいでしょう? 駄目よ、ひとのせいにしちゃ」

「や、駄目、駄目です! そこ、クリトリス弾いちゃ駄目ぇ」

「自分がいやらしいのをひとのせいにするイツキの言うことなんか聞いてあげないわ」

 言いながら、メノウは親指の腹を使って淫核をこね、潰し、こじる。それと連動して膣内に潜り込ませた人差し指を抽挿し、あるいは膣壁をくりかじるようにして折り動かす。

「ひ、や、や、中で動かしちゃやぁ、駄目、駄目ぇ!!」

「駄目と言ってる割には腰をくねらせているわね、イツキ?」

 違う、違うの、と涙声で喘ぐイツキをメノウは更に責め立てる。と、一際奥に進ませたメノウの指先に弾力のある反応が返ってきた。瞬間、イツキがひっ、と小さく息を呑むのが判った。つい、とそれを指先でなぞる。ぷにぷにとした、中央に小さな穴のあるドーナツ状の肉襞。

「へぇ」関心したようにメノウは声を漏らす。「本当に処女なんだ」

 言いながら、丁寧に手入れのしてある爪の先でドーナツ状の肉襞――処女膜をつんつんと突付く。その度に、イツキはひっ、と小さく声を漏らし身体を振るわせる。その様子も見たメノウはまるで珍しい玩具を与えられた子供のような顔になり、イツキの肢体を嘗め回す。無論、爪先で処女膜を刺激しながら。

 限界が近いのだろう。イツキは我を忘れたような声で、やめて、やめて、と壊れたように繰り返している。

「ねぇ、せっかくだから破っちゃいましょうか、これ」

 瞬間、イツキの身体が一際大きく震えた。がちがちと歯を鳴らし始める。

「いや、いやです! おねがいだから――」

「えい」

「ひぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃぃいいぃぃぃぃいいぃぃいぃぃぃぃぃっ!?」

 瞬間、イツキは絶頂を迎えた。



「いや、まさかアレでいっちゃうなんて」

 シャワールームの床で脱力したように荒い息をするイツキを見ながら、メノウはばつの悪そうな顔でいった。

「初めてだったんですよ?」

「膜は破ってないわ」

 そう、メノウはイツキの処女を散らしていない。ただ、少しばかり力を込めただけだ。だが、すでに限界に来ていたイツキの身体にはそれだけで十分だった。メノウが力を込めて指先を押した瞬間、イツキは身体を激しく痙攣させてイってしまった。

「初めてだったんです」

「う、だから、膜は――」

「初めてだったんです」

「――――ごめんなさい、調子に乗りすぎました」

 恨めしそうな目で自分を見るイツキにメノウは流石に罪悪感を覚えたらしく、深々と頭を下げた。正直、自分でもあんな真似をするとは思っていなかった。どうやら、過度の激務によるストレスが、他者への異常な攻撃性として表出してしまったらしい。とはいえ、そうした事情があるからといって嫁入り前の娘さんを傷物にしていいという法は無い。魔がさす、とはああしたことを言うのか――自分のしでかしたことについて、どこか逃避じみたことを考えながら頭を下げ続けるメノウ。そんなメノウに、イツキは言う。

「責任、取ってください」

「せ、責任って」思いがけぬイツキの言葉にどもるメノウ。「ど、どうやって」

「付き合って下さい。恋人になって下さい」

 冗談でしょう? 思わずそう言い掛けてメノウはイツキの目を見て言葉を飲んだ。実に真剣な目をしたイツキがそこにいた。

 どうしよう、流石にメノウは答えに窮した。いかにさきほどのイツキが愛らしく苛めて光線を発していたとしても、物事にはやっていいことと悪いことがある。そして、先ほどの自分の行為は冗談でもやっていいことの部類に入るものではない。責任を取らなくてはいけないのは重々承知している。

 だが。

 恋人になってくれ、というのは!!

 なかなか答えが返ってこないことに焦れたのか、イツキはメノウに問う。

「誰か、好きな人がいるんですか?」

 つまり、自分を恋人にできないだけの相手がいるのか、と問うている。イツキにそう問われた瞬間、メノウの脳裏には軽薄そうな長髪の青年の顔が浮かんだ。アカツキ・ナガレ、かつての親友。そして、今は肉体関係を持ったことのある異性。たしかに、自分にとって大事な相手だが――

「いるんですね?」

 畳み掛けるようにたずねるイツキに、メノウは肯定も否定も出来なかった。たしかに、アカツキには好意を覚えているが、それが人としての親愛の情なのか、男女の間に生まれるものなのかいまいち判断に困っている。

 だが、イツキはそんなメノウの内心の動揺などお構いないしに言葉を続けた。案外、マイペースな人間なのかも知れない。

「じゃあ、二号さんでもいいです。私」

「二号さんって」

 流石にメノウは呆れたように言った。そんなメノウに、イツキは笑いながら言う。

「私、メノウさんみたいに可愛い子と仲良くなりたかったんですよ? まぁ、どっちかっていうと、私が可愛い女の子を手篭めにしたいって思ってたんですけど」

 逆ですね、とイツキは笑う。アレか、この女もエリナと同類か。メノウは軽い眩暈を覚えた。いや、下手をするとエリナよりもアレな性格かも知れない。

「私を傷物にした責任、とってくださいね?」

 だから膜は残してあるでしょうが、とは言えないメノウだった。




SONGS OF US WHO EXPRESS IT AGAIN vol.3
They Strange
END


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