もう一度謳うぼくたちの歌

第七話

 地球圏を護る防衛システムは、四つの防衛ラインから構成される。第四次防衛ラインは、陸海空、それぞれの航空部隊による緊急迎撃網。第三次防衛ラインは、大気圏ギリギリの低軌道ステーションを基地とする、高高度戦闘用機動兵器――デルフィニウム部隊。第二次防衛ラインは、そこから少しばかり高軌道に配備された大型ミサイル。そして、第一次防衛ラインは、高軌道を覆う、大規模バリアシステム――通称ビッグバリア。これら四種の防衛システムが、地球の空を護っている。もっとも、昨今降り注ぐ敵性体――チューリップにはさして効果をあげていないのが現状だが。

 その防衛システムの地球側から見た第一弾、航空部隊の追撃を振り切り、<ナデシコ>は加速を続けながらゆっくりと高度を上げていった。エネルギー効率と、浪費する時間の兼ね合いから割り出されたもっとも経済的な加速率と上昇率は、あと数十分で<ナデシコ>を第三次防衛ラインへと接触させようとしていた。

 暗澹たる思いのままブリッジへと入ったメノウは、何か酷く場違いなものを見てしまったような気になった。民間船籍とはいえ、れっきとした戦闘艦である<ナデシコ>のブリッジに、艶やかな振袖姿を見たような気がしたのだ。

「――――疲れてるのね、私」

「現実逃避はどうかと思いますよ、メノウ」

 ぼそりと呟いて自分の席についたメノウに、ルリが声をかけた。その言葉に、やはりアレが気のせいではないのだと思い知らされ、メノウは思わず顔をしかめた。何を考えてるんだ、アレは。

 こめかみを揉んで、言い表しようのない脱力感に耐えるメノウは、やはり同じような表情を浮かべているプロスにコミュニケを繋いだ。小声で口を開く。

「ミスタ・プロス」口を開いてから、メノウはしばし躊躇し、酷く言葉を選んで続ける。「――アレは、なに?」

 言葉を選んでみたものの、大した語彙は浮かんでこなかった。

『はぁ、そのですな――』

 問われたプロスも、答えに窮したようだった。

『艦長が、その、総会にビッグバリアの解除を要請すると』

「――それが振袖とどう繋がるのか、こう、私にも判るように教えて欲しいのだけど」

 ウィンドゥの向こうで、プロスが視線を逸らした。彼にしても、あの艦長の奇行はあまり係わり合いになりたくないようだ。正直、メノウとしてもあまり関りたくない、というのが本音なのだが、そうも言っていられない。<ナデシコ>のスペックであれば、ビッグバリアの一つや二つ、突破することになんの不安もない。ただ、強引に突破したさい、バリア発生装置や、そのジェネレーターに莫大な負荷が生じ、それらを破壊してしまいかねない。降り注ぐチューリップの前に、もはや有名無実と化した感のあるビッグバリアだが、それでも、ないよりはマシなのだ。加えて、損壊したバリア発生装置の補償の問題もある。出て行く金は少なければ少ないにこしたことはないのだ。

 そうした意味からも、連合軍総会との交渉は重要な意味を持っているのだが。

「――それが判ってるのかしら」

 頭痛をこらえるような表情でそう呟いたメノウは、妙にウキウキとしているユリカを見る。能天気そうなその表情からは、彼女の真意を窺うことはできなかった。仮にも連合大学宇宙軍士官学部のクラスヘッドだったのだから、判っていないとは考え難い。なにか、深い意味があるのだろう。メノウはそう考えた。

(……まぁ、好きなようにやらせるか)

 旗色がおかしくなったら口を挟めばいい。メノウはそう考え、とりあえず艦長の奇行に目を瞑ることにした。なにより、変人奇人と進んでお近付きになりたくはない。


 一方、かつて訪れた未来において夫であった少女から奇人変人扱いされているとは思いもしない我らのミスマル・ユリカ嬢は、久しぶりに袖を通した自分の振袖姿に随分とご機嫌だった。当初は、総会への挑発の意味からこの服装をチョイスしたのだが、それを幼馴染にして永遠の王子様(ユリカ主観)であるテンカワ・アキトに見せる、という行為を思いつき、その考えがどうにも素敵に思えてならなかったのだ。早いとこ、総会との話し合いを終わらせて、アキトに自分の振袖姿を見せにいきたくてたまらなかった。

 実際、総会との話し合いはそう時間は掛らないだろう――ユリカはそう踏んでいた。まともにビッグバリアの解除を認めさせようとしたなら、一日費やしてもまだ足りないだろう、ユリカはそう考えている。そうして、ビッグバリアの前で足止めされているうちに、宇宙軍の艦艇に十重二十重と囲まれ、身動きが取れなくなってしまうのは目に見えていた。

 だからこそ、ユリカは、真っ当な手段で総会との話し合いに臨むというプランをあっさりと放棄したのだ。彼らを怒らせて、大規模な追撃部隊を動かせよう、そう思っている。昨今の連合軍は、木星蜥蜴に対して、守勢防禦で臨む方針を固めている。おそらく、順当にいけば、<ナデシコ>の追撃には、足の速い宙雷戦隊を中心にした小規模な快速艦艇だけが振り向けられるだろう。そして、十中八九、彼らはこちらの捕捉に成功する。確かに、<ナデシコ>は地球側で初めて装備した相転移エンジンのもたらす大出力を背景とした高速発揮艦ではある。が、大気圏内ではその性能を十分に発揮できない現状では、並みの艦艇と大差ない性能しかだせない。ディストーション・フィールドによる圧倒的な防禦力は、宇宙軍の戦艦の火力すら撥ね退けるが、速度という点からすると、現状、<ナデシコ>の性能はそう大したことはない。

 そして、捕捉されてしまえば、こちらの意を押し通すために戦闘になるだろう。それだけは、避けたい。で、あるならばどうするか。

 ここで、連合軍が何故、守勢防禦という方針をとっているのかが関係してくる。

 現状、チューリップから吐き出される無人兵器は、まず第一に活動している敵性体に襲い掛かるという傾向がある。おそらく、無人兵器の人工知能の脅威度判定が、そうした行動を取らせているのだろう。だからこそ、連合軍は戦力温存のために、いうなれば一種のフリート・ビーイングを行っている。敵に対してさして戦果の出せぬ戦力を、派手に動かした結果失ってしまい、それがもとで地球失陥という結末に至ってはどうしようもない。であるならば、地球の圧倒的な生産力が戦時体制に移行するまで、手持ちの戦力の消耗を押さえるべきだ――そう考えられていた。

 だが、総会においてほんの小娘であるユリカに挑発されたらどうなるだろう。負け戦で鬱積した不満が、一気に噴出し、遮二無二<ナデシコ>を拿捕しようとするのではないだろうか。おそらく、稼動艦艇のほとんどを投入してくるに違いない。だが、大人しくしていた連合軍の急激な活動の活性化は、木星蜥蜴をひどく刺激し、こちらの活動も活発化され――一時的に、地球圏のミリタリー・バランスは混沌に陥る。<ナデシコ>は、その隙をついてビッグバリアを突破する。

 ――これが、ユリカの導き出したプランだった。<ナデシコ>を中心に考えた場合、そう悪いものではないといえる。ただし、地球連合という視点から見れば、ミリタリー・バランスの混乱は迷惑以外の何物でもない。死ななくてもいい人員が死ぬだろうし、それを補うための労力も馬鹿にならない。また、ネルガルとしても、連合との関係が悪化する恐れがあるので、上策とはいえない。ある意味、ユリカのプランは、実戦慣れしていない天才肌の人間が考えた、現実の状況を無視した机上の空論のようなものなのだ。そしてたちが悪いことに、この机上の空論は成功する確率がやけに高いのだった。どうにも始末に負えないとしか言いようがない。



 連合軍総会は、連合陸、海、空軍、これに連合宇宙軍加えた四軍の意思決定機関としての役割を担っている。この下に、それぞれの軍司令部が存在している。現在の総会議長は、アルフレッド・マンデラ大将。長い連合軍の歴史の中で、初めて登場したアフリカーナの総会議長だった。

 痩身に黒い肌のアルフレッドは、あまり恵まれているとは言い難い家庭の三男として生を受け、連合の奨学制度を使って学を修め、現在の地位についた努力の人であった。とはいえ、ここまでにいたる苦難の道のりで、少しばかり人間的余裕を失った感がある。

 そのアルフレッドが議長席に座る連合軍総会議場のメインパネルに投影される人物を見て、彼の表情は少しばかり――いや、かなり引き攣ったものとなっていた。

『ですから〜ビッグバリアを解除してほしいんですよ〜』

 アレは、なんだ。

 アルフレッドは半ば怒りで麻痺しかかった思考で思った。<トビウメ>の制止を振り切る形で飛び去った<ナデシコ>の処遇をめぐる案件で紛糾していた総会に、件の<ナデシコ>から通信が入ったことは、問題ではない。こちらから連絡を入れる手間が省けただけだ。

 だが、アレは、なんだ。

 へらへらと日本人特有のアルカイック・スマイル(と、いうにはいささか能天気な笑い)を浮かべた<ナデシコ>艦長は、制服、あるいは礼服などではなく、日本の民族衣装を纏って通信に出てきた。ちなみに、第三艦隊のミスマル中将が愛娘の艶姿に相好を崩していたのはまったくの余談である。

「ふざけるな! <ナデシコ>一隻のためにビッグバリアを解除する理由などない!!」

 アルフレッドは、反射的にそう叫んでいた。深く考えての発言ではなかった。ある意味で、ユリカの思うように反応していたといえる。あるいは、精神に余裕があればまた違った反応を返せたのかも知れないが、今のアルフレッドに、それは望むべくもなかった。

『え〜? ユリカ残念。それじゃあ、いいです。強引に――』

 メインパネルの向こうの女性艦長がそう言い掛けた直後、そこに映し出される人物が切り替わった。

『――申し訳ありません。艦長が大変失礼を』


 ――間に合った。

 咄嗟に総会会議場とユリカの通信ラインを分捕ったメノウは、内心で冷汗を滝のように流しながら、それでもはたから見れば顔色変えず、人知れず溜息をついてそう思った。振袖姿で、という時点で真っ当な交渉などするつもりはないと端からふんではいたが、まさかいきなり挑発行為に及ぶとは思ってもみなかった。予想の斜め上高度三万メートルあたりをすっとんでいくユリカの行為に、メノウは唖然とし、思わず固まってしまった。

 気が付くと、売り言葉に買い言葉、という表現が見事にはまる状況になっており、あと一歩で交渉決裂というところで、メノウが割り込みをかけたのだ。

『――ふむ、キミは?』

 どうやら、メインパネルに映し出される人物が急に変わったことに驚いたらしく、そのことで少しばかり冷静さを取り戻したアルフレッドが値踏みするような視線でメノウに問うてきた。

「はい、<ナデシコ>次席オペレーター兼<ナデシコ>乗艦ネルガル利益代表のメノウ・マーブルと申します、マンデラ閣下」

 優雅に一礼するメノウの台詞後半は見事に嘘っぱちである。ただの次席オペレーターが艦長を差し置いて交渉の舞台に立つのはいささか難があるので、口からでまかせを言ったのだ。

『ふむ? 利益代表? キミのような小さな子供がかね?』

 メノウの口にしたでまかせの立場に興味を持ったらしいアルフレッドが、少しばかり眉をあげてたずねた。

「はい。こう見えても、ネルガルに少なくないパテントを有していますので、その関係で」

『ふむ』

 メノウの眼前に展開されたウィンドゥの向こうで、アルフレッドは顎をなでながら少しばかり考えるそぶりを見せて、口を開いた。

『それで、キミはまともな交渉をしてくれるのだろうね?』

「ええ、もちろんです。閣下」

『よろしい』

 魅力的な微笑を浮かべて答えたメノウに、アルフレッドは満足したように鷹揚に頷いてみせた。先ほどまでの不機嫌さはすっかりなりをひそめている。メノウのような美少女が、下にも置かぬような丁寧な態度をとってみせて機嫌を良くしない者は少ない。

『単刀直入に言わせてもらおう。<ナデシコ>はただちにサセボに帰還し、その指揮権を第三艦隊に譲渡したまえ』

 アルフレッドのその言葉に、メノウは出来るだけ愛くるしく見えるように小首を傾げてみせたあとで、口を開く。

「<ナデシコ>の運用に関してはネルガルが独自に行う――そう事前に取り決めを交わしていたはずですが?」

『事情が変わったのだよ』アルフレッドは渋面を作ってみせた。『<ナデシコ>があれだけの力を示した以上、みすみす単艦で火星にいかせるわけにはいかん。我々には戦力が必要なのだ』

<トビウメ>のミスマル中将とのやりとりを焼きなおしたような会話を二人は交わす。

「ですが、契約は契約ですし。それに、<ナデシコ>がこの航海で得るデータを反映させた二番艦以降の<ナデシコ>級戦艦は宇宙軍に提供するのですから」

『だが――』

「もし」アルフレッドの言葉を遮って、メノウが口を開く。「連合が契約を反故にし、<ナデシコ>の接収を強行するというのであれば、宇宙軍に提供する新型機動兵器――エステバリスの価格について見直さなければならなくなるかと」

『むぅ』

 メノウの言葉に、アルフレッドは言葉に詰まった。

 ネルガルは、自社の新製品であるエステバリスを、宇宙軍に対し、現行のデルフィニウムを下回る価格で提供する線で宇宙軍と商談を進めていた。すでに、第一期ロットの三〇〇機が生産に入っている。これは、宇宙軍からすればなんとも美味しい話であった。現在使っているものより高性能な兵器を、格安で手に入れられるのだ。美味しくないはずがない。むろん、ネルガルにもメリットはある。価格を引き下げることによりエステバリス自体の利鞘は減少するが、代わりに、宇宙軍の使用する機動兵器の大半がエステバリスに置き換わる。シェアが広がるということだ。

 そして、兵器――機械というものは、それがどんな用途のものであれ必ず壊れる。あるいは消耗する。そして、それを修理し、戦力として維持するためには大量の予備部品を必要とする。ネルガルは、エステバリス自体の値下げは行っても、予備部品の値下げをするつもりはまったくなかった。ネルガルは、大量に必要となる予備部品で利益をあげようと考えていたのだった。

 話を戻そう。

 アルフレッドは、渋い顔をして黙り込んでいた。流石に、約束が違う、とは言い出さない。先に契約を反故にしようとしているのはこちらなのだ。とはいえ、はいそうですかと引き下がるわけにもいかない。

 黙り込んだアルフレッドの顔をしばらくウィンドゥで眺めていたメノウは、ようやく交渉の糸口を掴んだとばかりに口を開いた。

「閣下、こうしては如何でしょう? 連合軍は、これから<ナデシコ>を拿捕するために、追っ手を放つ。こちらは、それを振り切ってビッグバリアを目指す。<ナデシコ>がビッグバリアに辿り付く前にこちらを拿捕できれば、<ナデシコ>は大人しく連合軍に編入されます。追っ手のひとつやふたつかわせないようでは、単艦で火星を目指すなど、どだい無理な話です。ただし、<ナデシコ>が追撃を振り切ってビッグバリアに到達できた場合、そのご褒美として、<ナデシコ>が通過するさいにビッグバリアを解除する。むろん、エステバリスの価格は据え置きで」

 どうでしょう? そうメノウはウィンドゥの向こうで黙り込んでいるアルフレッドの顔を覗き込むようにして言った。

(悪い話ではないな)

 アルフレッドは、メノウの提案を勘案してそう思った。要は、<ナデシコ>を拿捕してしまえばいいだけの話である。この提案に沿って<ナデシコ>を拿捕すれば、安価で大量の高性能機動兵器を揃えることが出来る。上手く言えば、<ナデシコ>と大量のエステバリス、悪くてもエステだけは確保できる。確かに、悪い話ではなかった。

『よろしい』

 内心で結論を下したアルフレッドは、破顔一笑し、メノウに答えた。

『キミの提案をのもうじゃないか。追撃に関しては一切手は抜かんが、かまわんね?』

「もちろんです」メノウは、自分の持ち出した提案に相手が乗ってきたことに安堵しつつ、アルフレッドに頷いてみせた。「それでは、これで。いずれ、また」


 メインパネルに映し出されていた妖精のような少女の姿が消えるのを確認したアルフレッドは、自分の傍にひかえていた秘書官を呼んだ。

「宇宙軍総司令部の藤堂くんに連絡を」



「ふぅ」

 自分ではまったく向いていない交渉事を、なんとかやりとげたメノウは、大きな溜息をついてシートに身を沈めた。

「すごいですね」

 隣に座るルリが、感心したように声をかけてきた。おそらく、ブリッジに詰めていた全員の感想を代弁する言葉だった。

「二度とやりたくないわ」

 心からの言葉だった。実際、ムネタケ相手のやりとりでへばり気味のところに、今度はそれよりはるかに格上の大将閣下と交渉である。もとよりこの手の仕事を得意としないメノウからすれば、疲れないほうがどうかしていた。

『いやいや、ご苦労さまでした』

 小さなウィンドウがメノウの目の前に開き、その中でプロスがハンカチで額に浮かんだ汗を拭きながら、メノウに労いの言葉をかけてきた。

「というか、あの艦長に交渉のフリーハンドを与えるのがどうかしてるのよ、まったく。確かに、結果的には同じことになってたかもしれないけど、やり方ってものがあるでしょうに」

 メノウにしてみても、ユリカの目的が連合軍に大動員をかけさせることだと、うすうす気が付いていた。だが、それが相手が激発したことによるものなのか、それとも、交渉の結果として引き出した動きなのかで、話は随分と違ってくる。前者であれば、いらぬ恨みを山ほど買うが、後者では、選択の余地を与えた上で、相手に選ばせた――という形になる。たとえ、大動員の結果、敵の無人兵器に大打撃を与えられても、選んだのは連合なのだ。メノウは、そのことを言っていた。

『いやはや、手厳しい。何しろ、我々一同あまりのことに忘我の境地にありまして』

「まぁいいわ。これは一つ貸しにしとくわよ」

『――覚えておきましょう』

 にやり、と笑ったメノウに、プロスは顔を引き攣らせてそう応えるとウィンドゥを閉じた。ふと視線を移せば、艦長がこっそり、そしていそいそとブリッジをあとにしようとしているのが目に入った。大方、かつての自分に振袖姿を見せに行こうとしているのだろう。

「――――はぁ」

 メノウは、再び大きな溜息をつくと、不意に覚えた頭痛をこらえるために、こめかみを揉んだ。そんなメノウの様子を、彼女の隣――ルリの反対側――に座るラピスがきょとんとした表情で眺めていた。メノウは、もう一度、大きな、大きな溜息をついた。



「む、ぅ」

 宇宙軍総司令部、その地下深くに建設された作戦指揮所のもっとも高い位置にある席で、両サイドの髪を残して綺麗に頭の禿げ上がった宇宙軍大将、藤堂・ヘイクロウが呻き声をあげていた。自分の腰掛けている席から眺めることの出来る無数の巨大なパネルには、地球全域の戦力分布図が映し出されており、そこに映し出される情報が、藤堂に沈痛な呻きを漏らさせていた。

 アルフレッド・マンデラ総会議長に要請を受けた藤堂は、ただちに<ナデシコ>追撃のための戦力を捻り出し、それを出撃させた。ただし、なりふりかまわぬ全力出撃、というわけでもない。要請をうけてから、出撃までのインターバルがおそろしく短い、ということもあったし、宇宙軍の保有する艦艇凡てが即時出撃が可能なコンディションに置かれているわけでもないからだ。フネによっては、ドック入りしているものもあるし、そうでなくても乗員が半舷上陸などで揃っておらず、出撃しようにもできないフネがあるからだ。

 そうした戦力の中から、藤堂はさらに現時点で出撃して、<ナデシコ>を捕捉できる能力のあるフネ――つまり、足の速い艦艇だけをピックアップし、出撃を命じた。

 内訳は、軽巡洋艦が一五、駆逐艦が三〇隻。いずれも、宙雷戦隊所属の、快速/高速艦艇ばかりである。これは、追撃に使用される観点から見れば、ユリカの予想とほぼ合致しており、ユリカが引き釣りだそうとした戦力からはだいぶに少ないものだった。

 つまるところ、メノウの交渉は、ユリカの予測と引っ張り出そうとした隻数の間の戦力を、宇宙軍に出撃させたことになる。

 だからといって、ユリカの目的が達せられないというわけでもない。

 軽巡、駆逐艦合わせて四五隻というのは、宇宙軍の総戦力から見ればほんの一部であるものの、充分に大規模な戦力であり、無人兵器群を刺激するにはまったくもって充分な数だからだ。事実、戦力分布図を表示するパネルには、〈ナデシコ〉追撃に出たのはいいものの、途中で無人兵器に襲われ、それどころではなくなった自軍の戦力が映し出されていた。よしんばこれらの戦力が無人兵器の襲撃を切り抜けられたとしても、もはや〈ナデシコ〉を捕捉するのは絶望的だと思われた。

 彼らに残された戦力は、第三次防衛ラインのデルフィニウム部隊と、第二次防衛ラインのミサイル群である。だが、前者は、配置の関係から、よくて一個中隊が間に合うといったところで、後者は後者で、〈ナデシコ〉が展開しているディストーション・フィールドをどうにかできるとも思えなかった。

 もはや、宇宙軍に〈ナデシコ〉をとめるすべはなかった。その事実に思い至り、藤堂は疲れたように溜息をつくと、万感の思いをこめて呟いた。

「――――〈ナデシコ〉が、征く……」



 一方、まんまと追撃部隊の手から逃れた〈ナデシコ〉であったが、こちらはこちらで忙しい。大気が薄くなってぐいぐいと出力を上げる相転移エンジンに整備班はかかりきりであったし、ブリッジはブリッジで、第三次防衛ラインのデルフィニウム部隊の対策で忙しい。

「――というわけで、エステでデルフィニウムを迎撃です」

 艦長用シートで、ユリカが宣言したのを受け、格納庫のエステ、そのアサルトピットで待機していたパイロットたちに、メノウが指示を出す。ユリカではなく、メノウが指示を出すことに疑問を覚える方もいるかもしれないが、メノウは次席オペレーターとして、戦闘管制を担う。別段、彼女が指示を出すことに問題はない。加えていうなら、艦長があれもこれもと口を挟みたがる軍艦はろくなものではない。近代軍隊が忌み嫌う、ワンマン・アーミーの典型だからである。そうした軍艦(あるいは部隊)では、権能の分担が上手く行っていないことを示す。艦長、あるいは部隊長はおおまかな方針を示し、あとは彼のスタッフがそれを形にする。それが理想的な軍隊である。

 もっとも、一〇になったかならぬか、というメノウが戦闘管制を行っているのは充分すぎるほどに異常なのだが。

「デルフィニウムを撃破するさいに、パイロットに被害を与えるのは厳禁とします。我々は、連合軍と戦争をするのではありません。同胞の血を流すことを看過してはなりません。そういうわけで、皆さんには、デルフィニウムの大型ブースターのみに攻撃を集中、彼らの機動力を奪ってもらいます」

 いいですね? と念を押すと、三人のパイロットから三者三様の答えが返って来た。

 一人は、ヤマダ・ジロウ。「おう、まかせとけ!」と豪快な答えを返してくる。同じ仲間同士で血を流さない、困難なミッションというのが気に入ったのであろう、力の入った声だ。

 一人は、イツキ・カザマ。「はい、頑張ります」と小さく、だが自信に満ちた頷きを返してくる。ただし、ウィンドゥからメノウを見る目は、『頑張ったらあとでご褒美ですねご褒美ご褒美ご褒美うふふふふ〜』と実にアレな視線をよこしている。

 最後に、テンカワ・アキト。彼のみ、所在なさげな、自信の無さそうな声と表情で、「が、がんばるっス」となにやらもごもごと返すのみだった。

 そんなアキトに、メノウは小さく溜息をつくと、アドバイスをしてやることにした。

「いいですか、テンカワさん。あなたはパイロットといっても、ずぶの素人です。無理に攻撃に参加することはありません。デルフィニウム部隊を牽制し、ヤマダ『ダイゴウジだ!』――、カザマ両パイロットが動きやすいように勤めてください」

 言外に、下手に攻撃して相手を死なせたりしたら問題ですから、とメノウはアキトに告げた。とはいえ、その牽制も難しい仕事である。敵味方双方の動きを俯瞰し、分析した上で行動するというのは、とてもではないが素人に勤まる役割ではない。メノウにすれば、下手に欲を出して攻撃に加わらせないよう、アキトに心理的逃げ道を作ってやったのだ。

「レーダーに感。熱源パターン分析――宇宙軍のデルフィニウムです」

「かずは、はち」

 メノウの両隣から、愛らしい妖精たちの声が告げる報告が響く。

「では、みなさん。お仕事の時間です」言って、メノウは少し考えてから口を開く。「ヤマダ『ダイゴウジッッ!!』さん、兵装にぬかりはありませんね?」

『――――ちょ、ちょっとまってくれ』

 メノウは溜息をつき、ヤマダの『準備いいぞ!』という報告をうけて、ユリカに頷いてみせた。

「では、張り切っていきましょ〜!」

 ユリカの号令で、三機のエステバリスは宇宙と空の合間の空間に次々と踊り出た。



 素人であるアキトの目から見てもヤマダとイツキの動きは見事なものだった。けして下手糞ではないデルフィニウムを、それをはるかに上回る技量でもって翻弄し、つぎつぎと沈黙させていく。

 ヤマダは、ラピッド・ライフルで牽制しながら豪快な動きで一気に間合いを詰めると、イミディエット・ナイフでブースターを破壊。一撃を加えるとすぐさま離脱、という戦法をとっていた。

 イツキは、というと、宇宙軍の部隊であるならば充分にエースとして遇される相手に、女性らしい華麗な動きで相手を幻惑し、その一瞬の隙をついて相手のブースターを狙撃する、という戦法をとっていた。  双方ともに見事というしかない。流石に、性格・人格はどうあれ腕は一流、という基準で集められただけのことはあった。

 そこで自分は、と省みると。

 アキトは急に情けない思いに囚われた。先ほどから自分がしていることはといえば、適当に離れた場所から、当らない射撃をしているだけ。牽制といえば聞こえはいいが、相手は端からこちらの攻撃など気にした様子もなく戦術機動を続けている。この場に置いてアキトは、自分がまったくの員数外の存在であると思い知らされた。

 確かに、エステバリスのパイロットという役割は、自分が望んで手に入れた役割ではなかった。だが、故郷である火星に残された人々を思い、あの食堂でなんらかの決意をした男としては、けしてこの現状は甘んじるわけにはいかないものだった。

 アキトは、当らぬ射撃を繰り返しながら思った。

 帰ったら、なんとかしよう。とりあえず、ヤマダにでも相談するか。

 メノウが耳にしたら、微妙に厭な顔をしそうな決意だった。



「デルフィニウム残存兵力、機動力を失った味方を連れて撤退にはいりました」

「わ〜い! 流石わたしのアキト! すご〜い!」

 いや、アレはなんもしてないでしょうが、という言葉を喉まで出しかけて我慢したメノウはつとめて無表情な顔で、見当違いな喜び方をしているユリカに報告する。

「エステ部隊、収容に入ります。艦長、艦内の待機レヴェルを通常に戻してもよろしいですか?」

「う〜ん、あとはミサイルだったっけ?」

 思い出すように言うユリカに、メノウは頷いた。

「現在配備されている通常弾頭型のミサイルでは、〈ナデシコ〉のディストーション・フィールドをどうにかすることは出来ません。反応弾頭でも投入されたら話は別ですが――これは、まずありえません。宇宙軍が率先して宇宙条約を破ることはありえないでしょう」

 宇宙空間に反応兵器を持ち込まないことは、一九六六年に締結された宇宙条約の第四条で禁止されている。三世紀も前に締結された条約であるが、この条約はいまだに遵守されている。もっとも、厳密に適用すると、宇宙軍の存在自体があやしくなってくるのだが、彼らはこれを二〇世紀後半から二一世紀前半の日本における自衛隊と憲法九条の関係のような徹底的な拡大解釈で切り抜けていた。とはいえ、さすがに面と向かって違反することはできないので、反応兵器の使用だけはない。もっとも、火星にメガトンクラスの反応弾頭を山ほど叩き込んだ、という前科もあるのだが、こちらのほうは連合政府の公認(むろん、おおやけにはされていない)だったし、民間の観測網の隙をついてこっそりと使用された。これに対し、今現在、いまだ大気圏上層部を航行している<ナデシコ>に反応弾頭を使用するという行為は、自分の鼻先で原子の焔を花開かせるということに他ならない。そんなことをすれば、連合市民や、彼らが選出した大議会が黙ってはいまい。

「じゃあ、あとは――」

「はい、ビッグバリアのみが我々の障害です」

 メノウの言葉をうけて、ユリカはしばし真面目そうな表情で考えると、急に花の咲いたような笑顔を浮かべ、両手をぽんと叩いた。

「いいでしょう、戦闘態勢解除しちゃいます。全艦、通常モードに移行。ただし、整備班のみ即応態勢を維持しておいてください」

 ユリカの決定は問題とならなかった。それどころか、〈ナデシコ〉に向かってくるミサイルはただの一発も存在しなかったのである。これは、〈ナデシコ〉にこれ以上攻撃を加える事を、それ以前に、民間船籍の船舶に筒先をむけることに宇宙軍上層部が否定的な見解をもったためであった。あるいは、ユリカの挑発に乗っていたなら話は別だったのかもしれないが、メノウと比較的友好的な雰囲気で交渉を終えた宇宙軍はまったく冷静だった。こうして、〈ナデシコ〉はさしたる障害もなくビッグバリアに到達した。



『ふむ、どうやら我々の負けのようだな』

「運が良かっただけです、閣下」

 ビッグバリアを目前にして〈ナデシコ〉に入ったアルフレッドからの通信に、メノウは謙遜してみせた。

『とまれ、キミらは我々を振り切ってビッグバリアに到達した。我々も、約束を守るのにやぶさかではない』

 では、と口を開くメノウに、アルフレッドは至極真面目な顔を作って、言った。

『その代わり、一つ約束してもらいたい』

 なんでしょう、と小さく首を傾げてみせるメノウに、彼は言う。 『必ず、生きて還りたまえ。それだけだ。では、〈ナデシコ〉の諸君、我々の代わりに火星に残された人々を頼む。諸君らの武運長久を祈る。以上だ』

 言って、アルフレッドはすぐに回線を閉じた。ブリッジには、一種静謐な空気だけが残された。誰もが、それぞれの形で今は閉じたアルフレッドが映し出されていたウィンドゥに向かって誠意を示した。メノウ、ルリ、ラピスといった子供たち(ラピスはメノウの真似をしていただけだが)や、ハルカやメグミのような民間人は、すっと頭をさげ、フクベやゴートといったかつて軍籍にあったものたちは、一分の隙もない見事な敬礼をしてみせた。ユリカも例外ではなかった。このときばかりは、普段のちゃらんぽらんな態度を忘れたかのように、士官課程で叩き込まれた軍令則に則った敬礼をしてみせたのだった。

 ナデシコは、そうして大気圏を離脱。相転移エンジンを全開にすると、静かに地球を旅立った。



 ブリッジは、重苦しい雰囲気に満ち満ちていた。

 当然だろう。敗北、それも紛うことなき大敗北を喫したあとで、楽しげに出来る軍人など存在しない。ましてや、最後の反撃として行った一撃の結果が、護るべき市民たちの都市を灰塵に帰したとあっては、ブリッジに満ちる通夜と葬式がいっぺんにきたような雰囲気も仕方ないとしがいいようがなかった。

 彼は、そんなブリッジの司令官用の座席に、体中の精気という精気を失ったかのような雰囲気で、力なくその身を沈ませていた。

 ――護れなかった。

 彼の脳裏には、聞こえるはずのない、焔に巻かれ、倒れていく市民たちに断末魔の悲鳴と、後悔だけが渦巻いていた。あの悲惨な光景の前では、こちらの兵装がまったく役に立たなかったことなど、なんの言い訳にもならない。

 いっそあの場で死ねたなら。

 彼は、部下たちを死なせ、市民たちを護れずにのうのうと生きている自分が許せなかった。だが、彼は生きなければならなかった。生きて地球に帰り、あの恐るべき敵の事を報告せねばならなかった。そして、敗残の将として裁きをうけねばならなかった。市民たちが一〇〇年兵を養うは、一朝有事の際に自分たち醜ノ御盾として彼らの前に立ち、市民たちを護るため。それを為せなかったものには、処罰があるのみ。

 裁いてくれ。

 彼は声に出さず叫んだ。

 この、役立たずの盾を誰か裁いてくれ。

 そう、心のうちで叫んだ瞬間、薄暗いブリッジに灯る光源の一つであるメインパネルに、黒々とした物体が自分たちの傍をかすめて飛んでいくのが映った。

 あの敗北から三ヶ月。脱出艇も兼ねたブリッジがのろのろとなんとか地球近傍空間に辿り付く前に、火星は完全に陥落していた。そして、いまや――

「チューリップ、地球に落ちますっっ!!」

 泣いているような声の報告が、彼の耳朶をうった。

 そう、いまや敵の魔の手は、母なる地球にも及んでいた。報告に顔をあげれば、ビッグバリアをなんなく突破したチューリップが、その先端を赤熱化させながら地表に落下していくさまが見て取れた。

 その光景に、彼は血が滲むほど拳を握り締める。

 許せない。

 自分が、どうにも許せなかった。

 盾としてあるべきはずの自分が、護るべき存在がむざむざ傷付いていくのを黙って見ているだけというのが、許せなかった。

 はたして、この罪科は、いかにして――

 ………………

 …………

 ……

「――むっ」

 元地球連合宇宙軍第一艦隊司令長官、瓢・ジンは、〈ナデシコ〉のブリッジで不意に意識を覚醒させた。どうやら――

「――お目覚めですか、提督」

「ああ、すまない」

 当直の最中にあって、居眠りを決め込んでしまっていたらしい。なんともはや、自分も老いたものだ。瓢は、白い髭の下に隠された唇を自嘲に歪ませた。

「まもなく、交代です」

「ワシはどの程度寝ていたのかね?」

 オペレーターシートに座る銀髪の妖精――星野・ルリは、小首をかしげてみせた。

「ほんの一瞬だと思います」

「そうか」言って、彼は睡魔を追い払うように頭を振った。「ワシも歳だな、ワッチの最中に眠るなど」

 その自嘲をこめたぼやきに、ルリはどう答えたものか迷った。あるいは、あの自分と同じ歳のマシンチャイルドであれば、何か気の効いた慰めのひとつでも言えるのかも知れない。ルリはそう思った。だが、残念なことに、彼女は当直から外れている。そして、ルリにはそうした言葉をかけるには、絶対的に対人関係における経験値が不足していた。ルリは、慰めの代わりに現在の〈ナデシコ〉の航行スケジュールを口にすることにした。

「現在、〈ナデシコ〉は相転移エンジンの全力発揮試験中。火星への中継基地であるサツキミドリ二号を目指して当初の予定より一五%ほど航宙スケジュールを消化しています」

「ふむ」瓢は、その言葉に自分の白い髭を撫でて呟く。「何か問題は――」

 言いかけて、自分が寝ていたのはほんの一瞬だというルリの言葉を思い出した。問題は、起こっているはずもなかった。

「はい、特に。あ――」

「どうかしたかね?」

「整備班から、相転移エンジンの一部に不具合が見つかった、という報告がたった今あがってきました」

「――試験でよかった。これが実戦中であれば目も当てられん。やはり高性能とはいえ新型の機関だけあって技術が熟成されとらんようじゃな。サツキミドリ二号のドックに入るまではどうしようもないか?」

「そうみたいです」

 瓢の、独り言に近い声に、ルリは頷いてみせた。

 そんなルリに、鷹揚に頷きを返し、瓢は先ほど見ていた夢の中での自問を繰り返した。

 果たして――あの購いきれぬ罪科は、いかにして購うべきか、と。



「あ、ふぁぁぁ」

 薄暗いその部屋のベッドの上では、二つの異なる色合いの白い肌がねっとりと絡み合っていた。病的印象さえうけかねない白い肌の少女を、透明感のある健康的な白い肌の女が、ベッドに押し倒して嬲っていた。

「ひ、あ、あぅ……ひぁぁぁ」

 うつ伏せに寝かせた少女の上に、斜め後ろから黒い髪の女性がのしかかり、その上気した肌と肌を重ね合わせている。黒髪の女性――イツキ・カザマ――の右手は、わずかに開かれた少女――メノウ・マーブル――の股間に伸びており、その指先を、メノウの濡れすぼったスリットに激しく抽挿させている。左手の指は、だらしなく開かれたメノウの口から見える赤いぬらぬらとした舌に絡みつかせ、その柔肉を弄んでいた。

「うふふ、気持ちいいですか、メノウさん?」

 いいはずですよね、とイツキ。こんなにぐちょぐちょなんですから、と。その声に、メノウは、嬌声混じりに肯定の意を返す。

「い、いいのぉ……ん、ちゅ、んふ、あ、イツキの、指、いい、のぉ……」

 涙混じりに、指先に絡めさせた舌と、唇を動かしてたどたどしい口調で喘ぐメノウの姿に、イツキはくつくつと喉を鳴らすような笑いを漏らすと、メノウの耳元に口をよせ、その耳たぶを甘く噛みほぐしながら、囁きかける。

「うふふ、ホントに素直になっちゃいましたね……ん、もうすっかり何時ものメノウさんの面影なんてなくなっちゃってますよ?」

「あ、うぁぁ、だ、だってぇ」

 瞳を熱く潤ませながら抗弁するメノウに、イツキは、その耳元に熱い吐息を吹きかけて問う。

「だって、なんですか?」

「イツキの、うひゃう!? い、イツキの気持ちいいのぉ、お、おか、おかしくなっちゃうのぉ」

 甘ったるいメノウの声に、イツキはくすりと笑いをひとつ。

「そんなに私の指、気持ちいいですか?」

「ちゅ、んぷ、あうん、あ、いいの、いいのぉ……イツキの指、いいの――ひゃうぅぅぅん!?」

 メノウが肯定の意を漏らした途端、イツキの指の動きが速くなる。その唐突なペースアップに、メノウが一オクターヴ高い声で、啼いた。そして、その啼き声のトーンが下がることはなかった。じゅぷじゅぷと淫猥な音を立てながら、イツキが容赦なくメノウのしとどに濡れたスリットを責め立て続けたからだ。

「ひぁ、あ、あ、ああ、ひゃうぅぅぅ!? や、はぁ、やぁ、そ、そんなに、つよく、ひぁ、され、る……と、あ、あ」

「強くされるとどうなっちゃうんですか?」

 メノウに良く聞こえるようにと、じゅぷじゅぷと、じゅぷじゅぷとことさら大きく淫らな音を立てながら、イツキはにやにやと少女に笑いかける猫のような笑みを浮かべてメノウに囁き問う。

「や、イクの、い、イっちゃう、イっちゃうのぉぉぉ! アソコじゅぷじゅぷされるとイっちゃうのぉぉぉぉぉ!!」

「うふふ、よく出来ました♪」

 メノウの切なげな絶叫に、イツキは満足そうに微笑むと、この愛らしい少女にご褒美をあげることにした。もはや絶頂寸前までに昂ぶったメノウの肢体、そこに、とびっきりの快楽を与えることにしたのだ。

「それじゃあ、イっちゃってください」

 言うやいなや、イツキはとろとろになったメノウのスリットから指を引き抜くと、返す刀で痛いほど勃起している小さな肉豆を思いっきり抓りあげた。途端、

「ひぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?」

 組み伏せているイツキの体を跳ね飛ばしそうな勢いでメノウは体をびくつかせ、なまめかしい絶叫をあげる。そして、

「あら――あらあらあら」

 ぐったりとなったメノウの股間、そこからちょろちょろと黄金色の液体が零れ出した。さして膀胱に溜まっていなかったのだろう、量こそ少ないが、その液体は間違いなく、メノウの尿道から漏れ出した小水に違いなかった。

 シーツにはしたない模様をつくり、粗相をしでかし、息も絶え絶えといった有様でうつ伏せのまま荒く息をするメノウ、その肢体に、イツキはいとおしげに指を這わせる。つつ、っと玉のような汗が浮かぶ背筋を撫で上げ、長い髪が乱れ、露になったうなじを伝い、顎先を嬲るようにしてから、メノウの淫らな蜜でとろりと濡れた指先を、彼女の唇にあてがう。

「メノウさーん、お漏らししちゃいましたねー」

 くつくつと、どこか加虐的な笑いを漏らしながら、イツキは、メノウの、涎をだらしなく垂れ流している口、その唇を指先で持て遊びながら、彼女の肢体にゆっくりと覆い被さるようにして自分の躯を重ねた。肌から伝わる、メノウの火照った体温が心地良い。

「私の指まで――」言って、イツキは愛液でとろりと濡れている自分の指先をメノウの口の中に含ませた。「こんなにどろどろに汚したうえ、ベッドでおもらしまでしちゃうなんて。イケナイ子ですね、メノウさんは」

「ん、ちゅ、あ、……ごめ……ん、なさ、ちゅ、んふぅ」

 自分の痴態を詰られたメノウは、口内をイツキの思うように弄ばれながら弱弱しく謝罪の言葉を口にする。

「うふふ、謝りながらそんなに熱心に指をおしゃぶりされても、誠意は伝わりませんよ、メノウさん? ――そんなにおいしいですか? 自分のおつゆまみれの私の指は?」

 イツキのからかうようなその言葉に、メノウは冷や水を浴びせられたようにハっとなった。無心に、自分の口内に突き込まれていた指先に絡めさせていた舌の動きを、止める。

「――――ごめんなさい」

「いや、別にいいんですけどね」しおらしい表情を見せるメノウに、イツキはくすくすと笑いをもらす。「で、おいしかったですか? おつゆまみれの私の指は」

「〜〜〜〜〜〜」

 再び問われ、メノウは赤面した。いくら、つづけざまに三度もイカされたあとでぼんやりとしていたとはいえ、自分の痴態にはじらいを覚えたのだ。ただ、無心にイツキの指をしゃぶっている間は、たとえようもない多幸感に心を包まれていたというのも事実である。

 メノウは、イツキに、無言で小さく頷いた。

 そんなメノウを見て、

「ああ、もう! 可愛いじゃないですか!!」

 どうにもたまらなくなったイツキは、メノウを抱きしめてかいぐりした。


「そーいえば、もうすぐサツキミドリ二号に入港するんですよね」

 いまだベッドの上で裸身を晒しているイツキは、当直交代の時間が迫り、制服を着ようとしているメノウにたずねた。

「予定ではね」答えるメノウは、目の前にウィンドゥを呼び出して、〈ナデシコ〉のスケジュールを確認していた。備考欄に、『一番、二番相転移エンジンに異常発生。されど航行に支障無し』という報告をみつけてわずかに眉をしかめた。

「サツキミドリ二号って、居住者用のショッピングモールがあるんですよね?」

 社員に対する福利厚生が充実していることをウリの一つとするネルガルが所有するサツキミドリ二号には、その内部に大規模ショッピングモールが存在している。イツキは、そのことを言っていた。

「あるわね、確かに」

 だからどうかしたの? とメノウは首をかしげてみせた。そんなメノウに、イツキは目を輝かせながら、言う。

「デートしましょう!」

「――――はぁ?」

 なに言ってやがる、こいつ、という目で自分を見るメノウに、イツキはエロタイム中のような尋常ならざる瞳の輝かせ方で力説した。

「デートですよデート! 地球にいたときは訓練ばっかりで時間が取れなかったり、二号さんだからって遠慮してましたけど、宇宙じゃ私とメノウさんの二人っきりです! 二人のラヴの妨げになる障害はナッシングなんですよ!!」

「ああ、そういうことか――――うん、無理」

「何故にっっ!?」

 がばぁっ! とベッドから身を起こして叫ぶイツキに、メノウはウィンドゥを呼び出し、そこに乗組員の当直割りを表示すると、イツキに見せる。

「私も、イツキも、丁度サツキミドリ二号にいる間は当直に組み込まれてるから、半舷上陸はなし」

 メノウのこれ以上ないくらい明快な回答に、イツキは、そんなぁ〜、と滝のように両目から涙を流した。その様子を見て、流石に不憫になったのか、メノウは苦笑しながら慰めてやることにした。

「まぁ、相転移エンジンが四基あるうちの二基トラブってるみたいだから、その修理で出航が伸びるかもね。運がよければ、私たちも上陸でき――」

「直るなー! エンジン直るなー!」

「おい」

 自分の台詞の途中で、いきなり正座したかと思うと何とも知れぬ神に向かって全力で祈りを捧げ始めたイツキに、メノウはバックハンドで虚空にツッコミを放った。ツッコミを放ちながら、メノウは思う。よりによって、不調になったエンジンが右舷ばかりってのも。どうせなら両舷に分かれててくれりゃあいいのに。



「よーそろ、よーそろ…………はい、どんぴしゃオッケー」

 言って、ふぅ、と小さく溜息をつくのはハルカ・ミナトだった。普通であれば、港湾側のガイドビームに従ってフルオートで入港するところを、ハルカはこれからしばらく自分が振り回すことになるフネのレスポンス、それがどの程度のものなのか確かめるために、全手動で入港を行ったのだ。しかも、緊急出航のことを考えて、後進で入港したために、普通に入港するよりもよほど手間がかかった。

 とはいえ、面倒しただけの価値はあった。

 普通に宇宙空間を進んでいるのと違い、入港においてはかなり微妙な操舵を要求される。あちらでカウンターを吹かし、こちらでさらにカウンターと面倒なことこのうえない。だが、そうした微妙な動きでこそ、そのフネの持つ操舵性がよく判る。ハルカの見たところ、この〈ナデシコ〉というフネは、戦艦並の図体でありながら、駆逐艦並の取り回しの良さをもっているようだった。試験艦ということで、新機軸の技術が山のように注ぎ込まれている、というのもあるのだろうが、まったくたいしたものだといえた。

「ほえ〜すごいですね〜」

 x軸、y軸、z軸、ともに港湾側からの指示から一ミリとずれていない、という結果に、ユリカが艦長用のシートの上で、感心したように呟いた。なるほど、腕が一流という触れ込みは嘘ではないらしい。ともあれ、感心してばかりもいられない。

「えっと、ジュンくん、後の予定は?」

「えーと、エステの0Gフレームおよび補給物資の搬入、エステパイロットの補充、あとは、相転移エンジンのチェックと修理だね」

「それって、整備班以外で必要な人手ってどのくらいいるのかな?」

 ウィンドゥを開きながら予定を告げるジュンに、ユリカはたずねる。

「そうだね、補給自体はサツキミドリ二号の人員がしてくれるから――そのチェックに主計課のひとたちがいるぐらいじゃないかな?」

「ふぅん」少し考えてから、ユリカは全艦に向かって告げた。「これから、非番の人たちに上陸を許可します。楽しんできてくださ〜い」

 その伝達に、艦内のそこかしこから嬉しげな声があがった。これから、長い船内生活を送る前に、色々と楽しんでおこうというのだ。ストレスの発散を狙ったユリカの考えである。もっとも、当直に組み込まれている人間はその恩恵にあずかれないが、それはいたしかたない。

 ブリッジでも、非番の人間がぞろぞろと退室していく。言うでだけ言ったユリカも、それに習おうとして――

「ユリカ、待った」

 ジュンに捕まった。

「――どうしたの、ジュンくん」

 首根っこを捕まれたユリカは、首だけを振り向かせてジュンにたずねた。言外に、私非番だよ? と言っていた。そんなユリカに、ジュンは溜息をひとつついて言う。

「パイロットの出迎えと、乗船許可。ユリカがやるんだよ」

「えー!?」

 ジュンくんやってよ、と言おうとし、ユリカはジュンの額に青筋が浮いていることに気付き、口を閉ざした。

「さ、行こうか」

 そのままユリカを引き摺って格納庫に向かうジュン。

「うえーん、アキトとデートに行こうと思ってたのにー」

 それを聞いて、ジュンの機嫌が悪くなったのは余談である。迎えに出向いた格納庫で、黒髪の女性パイロットがつぶやいたしょーもないギャグでその場の全員が凍りついたのは、さらに余談である。


「――すぐには直りませんか」

『おおよ、どうもバイパスのあたりが焼きついちまってるみたいでな、総とっかえになるぜ、こりゃ』

 当直についているメノウは、相転移エンジンの修理にあたっているウリバタケから報告をうけていた。存外に、面倒な修理になりそうだった。

「どのくらいで直りそうですか?」

『そうだな』ウィンドゥの向こうで、ウリバタケは手にしたスパナで頭を掻きながら考えながら口を開く。『明日の二〇時まではかかりそうだぜ』

 ちなみに、ウリバタケが口にしたのはグリニッジ標準時の日本時間だ。〈ナデシコ〉の艦内時間は、それに準拠している。

「すいません、負担がかかるようで」

 メノウは、小さく頭をさげた。つまるところ、明日の二〇時までウリバタケをはじめとする整備班の面々は休み無しで相転移エンジンにかかりっきりになるということだからだ。加えて、搬入された0Gフレームの整備もある。忙しいどころの話ではない。

『何、良いってことよ』メノウに頭を下げられたウリバタケは、気にするなとばかりに笑った。『それが仕事なんだからよ』

「助かります」

 それでも、申し訳無さそうにメノウは再び頭をさげた。そんな彼女に、ウリバタケは苦笑。

『そうだな、それじゃあ今度写真の被写体にでもなってくれないか? それでチャラってことでどうだい?』

 冗談めかして言うウリバタケに、メノウは数寸、目を丸くし、ついで苦笑じみた笑みを浮かべた。

「考えておきます」

『おお、頼むぜ』

 言って、ウリバタケはウィンドゥを切った。今ごろ、部下をどやしつけて相転移エンジンに向かっているのだろう。むろん、自分が陣頭にたって。

 ウリバタケとの通信を終えたメノウは、シートの背もたれに背をあずけて小さく溜息をついた。前回では、無人兵器に襲われ破壊されたサツキミドリ二号を救う為に、エンジンの全力発揮試験をでっちあげ、サツキミドリ二号に急行したのはいいが、右舷側エンジンが二基ともいかれてしまうのは予想外のアクシデントだった。おまけに、レーダーで周囲を捜索した結果、予想された無人兵器の存在がどこにも見当たらないというオマケつきだ。溜息のひとつもつきたくなる。

(歴史が変わってきている――のだろうか?)

 背もたれに背をあずけたまま、メノウはそう思った。両隣に視線をやれば、そこは空席になっている。ルリ、ラピスともに非番だったので、同じく非番のハルカに連れられてショッピングモールに買い物に出かけているのだった。ラピスは、メノウと一緒がいいと愚図ったが、メノウに諭されてハルカについていった。メノウは、自分以外の人間と触れ合わせることで、ラピスの情操教育になれば、と期待していた。

(まぁ、私やイツキが乗り込んでる時点で歴史は変わってるのよね。ビッグバリアのことだってそう。まぁ、気だけは抜かないでおけば、それでいいか)

 内心でそう考えて、メノウは背もたれから背を起こすと、周囲を見渡した。ブリッジは閑散としている。自分のほかの当直は、ゴートだけ。と、メノウはかすかに眉をあげた。非番の人間の姿を目にしたのだ。

「提督、上陸はされなかったのですか?」

 非番にも関らずブリッジに詰めているのは瓢だった。ゴートと将棋を打っている。

「うん? ああ、とりたてて目的もないしの。こうして、ゴートくんかプロスくんとでも将棋を指しているほうがなんぼかいいのでな」

 プロスは、補給品のチェックに出向いている。そうした次第で、ゴートと将棋を楽しんでいるらしい。

 メノウは、そんなものか、と納得した。

 かつて、激情に任せて殴りかかったことのある瓢だが、今のメノウに特に思うところはない。冷静に考えて、あの時はああするのが最善の手だった、というのは判っているし、その結果ユートピア・コロニーが灰塵に帰したことも、やろうと思ってやったわけではないと理解していた。だいいち、自分は『ユートピア・コロニーの生き残りのアキト』ではないのだ。瓢に何か思う理由はどこにもない。

「む――」

「ゴートくん、王手だ」

 どうやら、対局は瓢に凱歌があがったらしい。



 それは、ひっそりと真空の宇宙に身を潜めていた。

 あらゆる動力を落とし、僅かな電気だけで電子頭脳をスリープモードに保たせて、息を潜めている。

 そんなそれに、目覚めよ、と信号が伝わってくる。

 時は来たれリ、目覚めよ、目覚めて破壊を振りまけ、と信号が伝わってきた。

 それは、目覚めた。無数の仲間たちも目覚めたようだった。彼らは、一斉に指示された目標に向かって真空の空間を邁進しはじめた。



「ラピラピ、ルリルリ、美味しい?」

「はい、美味しいです」

「おいしい」

 ショッピングモールの一角、休憩用のベンチに腰掛けたハルカは、自分の両隣に座る少女たちから肯定の意が返ってきたことに満足した。まぁ、多少表情に乏しいが、それは仕方ないと割り切るべきだろう。ルリとラピスは、さきほど自分が買い与えたアイスクリームに舌を這わせていた。ルリは、チョコとバニラの、ラピスは、ストロベリーとミントの二段重ねだ。

「そう、良かったわ」言って、自分も手にしたアイスに舌を這わせる。「メノウちゃんも来れたら良かったのにね」

 そう言うと、ルリとラピスが小さく頷いた。ラピスのほうは、気持ち、顔色が暗くなっていた。それを見て、ハルカはフォローを入れる。

「大丈夫よ、今度はメノウちゃんも一緒に来られるわ」それにしても、とハルカはラピスに言う。「ラピラピ、ほんとにメノウちゃんが好きなのね」

 問われたラピスは、今度は顔を輝かせて頷いた。と、そのとき、耳障りなサイレンが周囲にけたたましく鳴り響いた。周囲をいく人々から、困惑のざわめきが漏れる。

 敵の襲撃を告げる、警報だった。


(迂闊! なんたる迂闊!)

 ブリッジに響き渡る耳障りな警報を聞きながら、メノウは己の無能を罵っていた。襲撃者は、言うまでもなくバッタをはじめとする無人兵器群だった。数は、およそ二〇〇。彼らは、動力を落とし、待機モードに入ることにより、戦争が始まってからこちら急激に数を増したデブリにまぎれることでこちらの探査をやりすごしたのだ。

(前回も、無人兵器が急に姿を現したことを考えれば十分に予測できたことなのに!!)

 メノウは苛立たしげにウィンドゥを開くと、ウリバタケを呼び出した。

「ウリバタケさん!」

『駄目だ駄目だ駄目だ!』みなまで聞く前に、ウリバタケは喚くように答えた。『エンジンはバラしに入ってる! どんなに急いでも組み上げるには半日はかかっちまう!!』

 それを聞いて、メノウは舌打ちすると、できるだけ急いでください、と告げてウィンドゥを閉じた。新たなウィンドゥを開き、艦内の状況を呼び出す。〈ナデシコ〉は、まったく出航可能な態勢ではなかった。0Gフレームをはじめとする物資の積み込みは終了しているが、フネの運行に必要な人員の半数が降りてしまっている。不幸中の幸いは――

『メノウさん! どうしたんですか!?』メノウの眼前に、新たなウィンドゥが開いた。

 不幸中の幸いは、アキトとガイを除いたパイロットの全員が揃っていることだった。新たに乗り込んだ三人のパイロットも、本来であれば非番なのだが、ほんのさっきまでいたサツキミドリ二号に上陸しても、と艦内に残っていたのだ。

「敵よ、イツキ」メノウは、感情を消した声で言った。「そこにいる新しいパイロットと一緒に0Gフレームのアサルトピットで待機して頂戴」

『了解!』

 イツキは短く答えると、ウィンドゥを閉じた。0Gフレームに換装が終わっている、ということも不幸中の幸いだった。忙しい中、作業を終えてくれていた整備班の面々には頭が上がらない。これはほんとに写真の被写体にならなきゃね、とメノウは思った。

 とはいえ、それもこれも生き残ってからの話だ。今は、まず生き残る努力に全力を注ぐ。

 メノウは、入港してからもアイドリングを続けていた相転移エンジンの残り二基と、補助の核パルスエンジンの出力を全開まで叩き上げた。緊急出航するつもりだ。こうなると、後進入港してくれたことが死ぬほど有り難い。ただ飛び出しさせすれば事足りるからだ。

 だが、緊急出航しようにも操舵手のハルカがいない。メノウは、ブリッジにいる自分以外の人間、その片割れに声をかけた。

「提督、操艦を願います」

 メノウは、〈ナデシコ〉の主要な乗組員の経歴を事前に頭に叩き込んでいた。むろん、その中には瓢の経歴もある。瓢は、兵学校で、航海科を選択し、以後も航海一筋で経歴を積み重ねてきた軍人だった。将官になって、フネを直接あずかる立場から離れるまでは、腕のいい艦長として名を知られていた。

 メノウは、そのかつての名艦長に〈ナデシコ〉の舵をあずけることにしたのだ。

「ふむ」

 オペレーター席から真剣な眼差しで自分を見る少女に、瓢は小さく頷くと、将棋板の傍らに置いていた制帽を手に取り、目深に被った。眉庇からかすかに覗ける瞳には、するどい光がともっていた。

「では、ひさしぶりに舵をとるとするか。腕がなるな」

 飄々とした台詞ではあったが、そこには、舵を離して久しい人間とは思えない自信が込められていた。瓢は、早足で操舵席に向かうと、腰を下ろした。それを見て取ったメノウは、サツキミドリ二号の港湾事務所に連絡を飛ばす。

「〈ナデシコ〉、出航します」

 その宣言に、〈ナデシコ〉の巨体がぶるりと身震いしたように振動する。メノウが操作して、ナデシコの船体をロックしていたガントリー・ロックが解除された反動だった。ガントリー・ロックが完全に下がる前に、瓢は徐々に開き始めた前方のゲートに向かって〈ナデシコ〉を前進させる。安全基準を幾つも無視しているが、今はそんな悠長なことを言っている場合ではなかった。

「イツキ、臨時でエステ隊を率いて〈ナデシコ〉が出航次第、出撃。敵の目をサツキミドリから引き離しなさい」

 IFSを使って〈ナデシコ〉のエンジン出力をコントロールしながら、メノウはウィンドゥを開いてイツキに指示を飛ばす。イツキからは、了解、と短い答えが返って来た。

 と、そのとき、備品庫で補充品のチェックをやっていたプロスが、慌ててブリッジに駆け込んできた。よほど急いできたのだろう、完全に息が上がっている。

「め、メノウさん、これは、いったい?」

「サツキミドリ二号のレーダーが敵無人兵器を探知。現在、〈ナデシコ〉は緊急出航中」

 メノウは、簡潔に答えた。プロスの方を見ようともしない。サツキミドリ二号に入港するまでは問題なかった左舷側に配置された二基の相転移エンジンが、今になってどうにも愚図りはじめて、プロスにかまっていられないらしい。出力を微調整して騙し騙し動かすので大忙しだ。

「しゅ、出航と言われましても、艦長も副長もいない状況で――」

「問題があるなら、あとで処罰を受け入れます」メノウは、みなまで言わさずに、言った。「今は、非常時です。艦長の帰艦を待っていたらサツキミドリ二号ともども〈ナデシコ〉は宇宙の藻屑と化します」

「問題は、ない」瓢が口を挟む。「一応、ワシにも指揮権はある。緊急出航はワシの指示だ――おっと、ゲートを抜けるぞ。メノウくん、エステバリス隊に出撃命令を」

 ブリッジの正面に位置するメインパネルに、無数の星が瞬く漆黒の宇宙が映し出された。メインパネルの脇には、レーダーが捉えた敵の情報が表示されている。

「了解」メノウは、小さく頷くことで瓢に謝意を示し、イツキに指示を出した。「エステバリス隊、全機出撃してください」



「いきなり戦闘かよ、ったく」

 0G戦フレームのアサルトピットで、新たに〈ナデシコ〉乗員に加わったスバル・リョーコは愚痴を漏らした。ついさっきまで、自室に運び込んだ荷物の荷解きをやっているところに、急に待機命令、そして出撃とくれば、リョーコでなくても愚痴の一つや二つは零したくなるのが人情というものだろう。とはいえ、そんなリョーコの顔には、漏らした愚痴とは裏腹に、不満の色は少なかった。

『えへへ〜、リョーコ嬉しそうだね〜』

 機動の邪魔にならぬよう、小さく脇にウィンドゥが開き、一緒に配属された眼鏡の同僚が笑いかけてきた。

「あたぼうよ、これで訓練の成果が発揮できるってもんだ。腕がなるぜ!!」

『あたぼうよ、あたぼうよ、……あたぼうだじょー……それはハタ坊。ぷ、くくっ』

「…………」

『…………イズミ、ネタが古すぎ』

『…………えー、いいですか?』

 微妙な雰囲気に、声をかけ辛いのか、申し訳程度に開かれたウィンドゥからイツキが声をかけた。リョーコたちも、彼女が臨時の隊長をつとめることは、非常時ということで受け入れている。もっとも、こうした非常時でなければ食って掛かっていたことは間違いない。

「なんだい、隊長さんよ」

『……ええと、とりあえず、二機づつロッテを組んでもらいたいんです。で、貴女方のだれか一人、私と組んで――』

「イズミ、行け」

 即答だった。それを聞いたイツキは、さきほどのやりとり――しょうもないギャグ――を思い出し、もしかして押し付けられたのか、と考えたが、無駄に時間がかかるよりは良いかと考え、了承した。

『では、イズミさん、私と組んで敵集団の右側から回り込んでください。ええと、リョーコさん? たちは反対側からお願いします』

「挟み撃ちってわけだな?」

『はい。両方から攻撃をかけ、敵を混乱させます』

「りょーかいだ。いくぜ、ヒカル!!」

『はいはーい』

『挟み撃ち……節分……それは福は内。ぷ、くくっ』

「…………私たちも行きましょう」

 四機のエステバリスは、二手に別れ、二〇〇機からなる敵集団に攻撃を開始した。イツキが乗るエステが、妙に疲れているように見えたのは気のせいだろう。



 一方、ブリッジではメノウが呻き声を漏らしていた。

「――<ヤンマ>が五隻も」

 レーダーが、虚空の彼方から現れた敵増援を探知していた。〈ヤンマ〉級戦艦が、五隻。敵増援の内訳は、それだけであった。平時であれば、大して問題はない数だ。だが、右舷側エンジンの二基が死に、また左舷側も不調を訴えている現在では、楽観視することはできない数だった。少なくても、ジョロ、バッタといった機動兵器だけならどうにかなるが、戦艦クラスの敵が出てくると非常に分が悪い。何故なら、連中は――

「くっ!?」センサーからの情報を読み取ったメノウが声を詰まらせる。「敵艦内部に重力反応増大! グラビティー・ブラストの前兆だと思われます!」

「発射までどのくらいかかる?」

 舵を握ったまま瓢がたずねた。

「約――三〇秒ほどかと。こちらのグラビティー・ブラストは間に合いません」

 事実だった。本来ならば、敵より早くチャージ、発砲できるはずが、エンジン出力が覿面に落ちている現在、ディストーション・フィールドの展開にエネルギーを食われていて、大気圏内で活動しているときよりもグラビティー・ブラストのチャージに時間がかかる。加えて言うと、ディストーション・フィールド自体の出力も、通常時よりも格段に低下している。五隻からのグラビティー・ブラストの直撃に耐えられるものか、随分と疑問だった。

「むぅ」メノウの報告に、瓢はしばし黙考。「――メノウくん、方舷にディストーション・フィールドを集中させることは可能かね?」

「可能ですが――」そこまで言って、メノウはセンサーが捉えたデータを叫んだ。「敵艦発砲! グラビティー・ブラスト来ます! 射線上に本艦とサツキミドリ二号!!」

「メノウくん! ディストーション・フィールドを左舷に集中!!」


「これで、一五機目――!?」

 どうやら、遠距離戦闘を得意とするらしいイズミにバックアップを任せたイツキは、一五機目のバッタを撃破して、声を詰まらせた。増援に現れた敵が、グラビティー・ブラストを発射したのを見たのだ。幸い、自分たちは射線に入っていない。だが、

「メノウさん!!」

〈ナデシコ〉そしてその背後に存在するサツキミドリ二号はきれいに射線内に収まっている。宇宙の黒よりも黒々とした五つの重力の奔流が、〈ナデシコ〉に襲い掛かる。そして、あわや直撃、という瞬間、イツキは見た。

〈ナデシコ〉が、スラスターを吹かせ、微妙に舳先を右に向けた。次の瞬間、五つのグラビティー・ブラストの黒い波動が、〈ナデシコ〉を基点に軸線をずらされた。左舷に一時的にディストーション・フィールドを集中させて出力をかせいだ〈ナデシコ〉は、それに加えて応力が掛る方向を、舳先をややずらせることで微妙に逸らし、敵のグラビティー・ブラストを防ぐのではなく、受け流したのだった。

『イツキ、時間を稼いで!』

 難を逃れた〈ナデシコ〉のメノウから、イツキのエステ、そのアサルトピットに通信が入る。

「無事なんですか、メノウさん!?」

『無事よ』短く、だが、安心させるように無理矢理に笑みを浮かべながら答えて、メノウは続ける。『五分、五分でいいわ。こっちがグラビティー・ブラストのチャージを終えるまで、時間をかせいで頂戴』

「まかせてください!」

 短い通信を終えたイツキは、エステを駆って漆黒の宇宙を疾駆した。周囲に、敵が散華したことを知らせる焔の花がいくつも開花する。


「やるじゃねぇか」

 イツキの見事な操縦を見て取ったリョーコは、小さく感嘆の声を漏らした。スバル・リョーコは、自分の力量に自信をもち、そのことにプライドを持っている。だが、それ以上に、高い力量を持つ相手に敬意を抱くという得難い資質の持ち主だった。そんなリョーコの見たところ、あのイツキという臨時の隊長は、自分よりもずっと腕がいいように思えた。そのことに、含むところは、ない。

 相手を妬むよりも、自分の力量を磨き、そこに近付き、あるいは追い越したほうがよほど健全だと無意識のうちに考えているのだった。

「こっちも負けてらんねぇぜ!」

 リョーコもまた、ヒカルをともなって漆黒の宇宙を駆けた。


 敵機動兵器は、順調に数を減らしていた。パイロットの腕もさることながら、エステバリスの性能がいかに高いか、ということを示す好例になるだろう。なるほど確かに、ネルガルが自信をもって宇宙軍に売り込むだけのことはあった。地上で進んでいる商談も、今回の戦闘データを見せれば、一気に進むに違いない。

「敵グラビティー・ブラスト第三射、きます」

「うむ」

 メノウの報告に、瓢は敵目掛けて直進させていた〈ナデシコ〉の舳先をわずかにめぐらせる。直撃。だが、これまでの二射同様、敵の黒い奔流は綺麗に受け流された。舳先を巡らせる角度を少しでも誤れば、こうはいかない。メノウの見たところ、瓢の操舵の腕は、ハルカと同じぐらい、下手をすればそれ以上のようだった。

「こっちのグラビティー・ブラストは何時撃てるかね?」

 戦闘中とは思えないほどに落ち着いた声で、瓢はたずねた。

「あと、二分一五秒」

「よろしい」

 それからの二分一五秒は、〈ナデシコ〉で、いや、その戦闘を観測していたものたちの間でのちのちまで語り草になる二分一五秒となった。その巨躯を、まるで駆逐艦のようにかろやかに躍らせつつ、敵の砲撃を受け流し、近付く〈ナデシコ〉。その操舵は、見るものすべての目を奪う、洗練されたダンスのようであった。そして、満を持して放たれる必殺のグラビティー・ブラスト。

 五隻の〈ヤンマ〉の姿は、綺麗に掻き消えていた。

 損害は、出撃した四機のエステを含めて皆無。敵は、二〇〇機のバッタとジョロ、それに五隻の〈ヤンマ〉が全滅。

 ――完全なワンサイド・ゲームだった。



 戦闘を終え、再度入港――やはり後進入港だった――してきた〈ナデシコ〉を、ドックに集まったものの、間に合わず、見事に置いていかれた〈ナデシコ〉のクルーたちが、ドックの一角にある旅客ターミナルというか、待合室のような場所、そこの耐爆・耐圧硝子から見ていた。

「きれーな操艦だわ」

 感に堪えぬ、といった声で、そこにいる〈ナデシコ〉クルーの一人、ハルカ・ミナトが呟いた。同じ操舵手、それもレヴェルの高いものだからこそ判る、一分の隙もない見事な操艦だった。さきほどまでモニターで見ていた戦闘機動にしても、エクセレントとしか評しようの無い、見事なものだった。

「流石は火星の英雄、ってことかしら」

「火星の英雄?」ハルカの小さな呟きを聞きとめたらしい。そばにいたアキトが怪訝そうな表情でたずねた。「なんすか、それ?」

「あら、しらないの?」

 ハルカは自分の隣で舟を漕いでいるラピスの頭を撫でながら、アキトに教えた。彼女には、話が進むにつれ、アキトの表情が剣呑なものになっていく理由が判らなかった。



「提督のおかげで助かりました」

 瓢の自室、そこに用意された炬燵に足を突っ込みながら、濃い緑茶の注がれた湯呑みを両手で包むようにして持ちながら、メノウは言った。戦闘後、あれやこれやと後始末を片付けてから誘われた瓢の自室で、彼女は瓢のとっておきの茶葉を振舞われていた。

「何、キミが機転を利かせて出航させたからこそだ。それに、戦闘中ずっとエンジンをあやしていてくれたのも助かった」

「それでも、です」メノウは、熱い緑茶を口に含み、その濃厚な味わいを楽しむと、再び口を開いた。「提督が方舷にディストーション・フィールドを集中させることを思いつかなければ、今、こうしてのんびりとお茶を楽しむことも出来ませんでした」

「――年寄りをおだてても何も出てこんよ?」

「あら、このお茶をいただけただけでも充分すぎるほどですよ?」

 言って、二人は小さく笑いを漏らした。この場は、いま、ちょっとした祝勝会とでもいうべき雰囲気をたたえていた。薄氷を踏むような思いのうえで手にした勝利を祝う場としては、随分とささやかなものだったが、メノウ、瓢ともに仰々しく勝利を祝うという習慣をもたぬたちの人物であったから、無理もないのかもしれない。それに、戦闘で無理をしたおかげで、もとからイカレていた右舷側に加え、本格的におかしくなった左舷側の相転移エンジンの修理に追われている整備班の面々のことを考えれば、派手に楽しむことは随分と気が引けた。

 それでも、瓢秘蔵の茶葉をゆっくり堪能できる、というのは滅多にないことなので、メノウは充分に楽しんでいる。これまで、自分の周りにはコーヒー党の人間しかいなかったおかげで、うまい日本茶を味わう機会がなかなかなかったのだ。加えて、瓢の落ち着いた雰囲気が醸し出す、この部屋のゆったりとくつろいだ空気は、随分と居心地が良かった。

 と、そんなゆったりとした空気は、無粋な闖入者によって掻き乱される。

 電子合成されたインターホンの音が、室内に小さく響いた。部屋の主である瓢が、ウィンドゥを開いて誰何した。

『テンカワっす、提督、ちょっといいですか?』

 ――テンカワ? 瓢はしばし誰だったか、と記憶をあさり、<ナデシコ>出航時にエステで囮をつとめた青年だと思い出した。入室を許可する。

「失礼します」

 ロックが外され、ドアが小さな空気が抜けるような音とともに開き、アキトが入室する。入り口で靴を脱ぐアキトの顔は、妙に硬いものだった。

「それで、テンカワくん。なんのようかね?」

「提督は――」瓢の声が聞こえていないかのような調子で、アキトは口を開いた。顔に浮かべている表情と同じように、その声は硬かった。「火星沖会戦で指揮をとった英雄と言われているというのは本当っすか」

 事態を静観していたメノウは、その言葉に、露骨に眉をひそめた。内心で、そういえば、かつての自分は瓢に随分と含むところがあったのだったな、と思い出していた。彼女自身、瓢にはなんら思うところはないだけに、すっかり忘れていたのだ。とはいえ、この調子で話が進めば――

「確かに」瓢は、アキトの問いに自嘲を多分に含んだ声で答えた。「世間では、私を英雄と呼ぶものたちもいる」

 言外に含まれた、私は英雄などではない、という意味は、アキトには読み取れなかった。自分の問いを肯定したとだけ受け取った。その結果、ハルカに話を聞いて以来、いや、故郷であるユートピア・コロニーにチューリップが落ちて以来、内心に燻っていた昏い火種を、一気に燃焼させることになった。

「アンタが――」昏い情念に突き動かされて、アキトは口と体を動かした。「アンタのせいでユートピア・コロニーは!!」

 言って、アキトは瓢に殴りかかった。が、

「うわっ!?」

 アキトはその拳を瓢に叩きつけることなく、畳の上に盛大に転んでいた。アキトが激発することを、過去の経験から予測したメノウが、音もなく炬燵を抜け出し、彼に足をかけ、転倒させたのだった。

「――この、何を、」

 するんだ、というアキトの台詞は、自分に向けられる銃口の前に沈黙させられた。冷たい視線で自分を見下すメノウが、ぴたりと銃口をこちらに向けていた。

「何をする?」視線同様に、底冷えする声でメノウは言った。「それはこちらの台詞よ。たかだかパイロット風情が提督に拳を向けるとはどういう了見よ。事と次第によっては、営倉に叩き込むわよ?」

 一連のやりとりを見ていた瓢が、かろうじて落ち着いた声でメノウに声をかけた。

「メノウくん、その銃は?」

「大丈夫です。殺傷能力のない麻酔銃です。保安部の許可もとってあります。問題ありません」

 瓢は、銃がどうこうより、メノウが懐から銃を取り出したさいの恐ろしく手馴れた手付きについて聞きたかったのだが、メノウのあえてずれた、それでいてそれ以外の問いを受け付けぬといった調子の声に、それ以上の追求を諦め、そうか、と小さく頷いた。

 瓢の更なる問いを封じたメノウは、それはそうとして、と口を開いた。

「それで、一体なんのつもり?」

「キミには――」

「関係あるわよ」関係ない、と言おうとしたアキトの台詞を、メノウはみなまで言わさず冷たく斬って捨てた。「言っとくけど、私はルリやラピスと違って、艦内での序列は提督、艦長、副長に次いで四番目なの。つまり、あなたの上官にあたるわけ。お判り? 判ったなら答えなさい。命令です。別に答えなくてもいいけど、その場合は上官に暴行を加えようとした咎で処分します。そうね、サツキミドリで<ナデシコ>を降りてもらおうかしら。火星行きは諦めることね」

 メノウの有無を言わさぬ調子に、アキトは小さく唇を噛んだ。実際は、ただでさえ少ないパイロットを減らすわけにもいかないから、そう簡単に降ろすことはできないし、なによりあの艦長がそれを認めないのだが、そんなことはアキトの知る由ではなかった。

 火星行きを諦めるか、と脅されたアキトは、渋々と言った口調で口を開いた。

「俺、ハルカさんに、提督が火星沖で指揮をとったって聞いて。英雄って言われてるって聞いて。俺の故郷にチューリップを落としたくせに、何が英雄だよ、って思って、それで」

「――キミは、ユートピア・コロニーの生き残りなのか」

 アキトの消え入るような告白を聞いて、瓢は双眸を覆い隠す白い眉を大きくあげて、目を丸くした。同時に、あそこの生き残りならば、自分を殴りたくなるのも理解できると納得していた。瓢は、思った。そうか、彼が私の罪科を裁く――

「だから、何?」

 瓢の思考は、メノウの極点に吹き荒れるブリザードよりも冷え冷えとした声に遮られた。

「だから、何――って」

 アキトは、メノウの酷薄な言葉に、間の抜けた声を漏らした。一時はおさまりかけた激情が、むくむくと鎌首をもたげてきた。

「ふざけんなよ! 何が英雄だっていうんだよ! 俺の故郷をあんなにして、何が英雄だよ! どうして俺がそいつを殴ったらいけないんだよ!!」

「いけないに決まってるじゃない、この莫迦」

 アキトの激情を叩きつけられたメノウの声は、やはり冷たいものだった。いや、より冷え込んでさえいた。

「なっ――」

 その言葉に、声を失うアキトに、メノウは侮蔑を多分に含んだ声で、ひとかけらの容赦もなく罵りの言葉をぶつけた。あるいは、それはかつての愚かな自分に対するものだったのかもしれない。

「貴方、提督が好き好んでユートピア・コロニーにチューリップを落としたとでも思ってるの? 好き好んで英雄なんて言われてると思ってるの? 莫迦じゃないの、貴方。一度死んだほうがいいわ」

 死ねば莫迦もなおるって言うから、とメノウ。

「いい、チューリップにフネをぶつけたせいでチューリップの進路が曲がり、ユートピア・コロニーに落ちた。それは紛れも無い事実よ。でもね、あれは、あそこでとれる最善の手段だった。だから、提督はそれを実行した。ただそれだけよ。それに、たとえチューリップがユートピア・コロニーに落ちなくても、あそこの人たちは遅からず無人兵器に鏖殺されていたわ。どちらにしろ、結果は一緒よ」

 一切の感情を排した、容赦のない現実を叩きつけられて、アキトは言葉を失う。そんなアキトに、メノウはたたみかけるように言葉を放つ。

「それに、提督が英雄なんて喜んで言われていると思っているの? 自分が英雄だって言いふらしているとでも思っているの? 少し考えれば判ることじゃない。なんで英雄がさっさと予備役に廻されて、民間の船で名目上だけの提督なんてやってると思ってるのよ。瓢提督はね、人身御供にされたのよ。敗北を糊塗するためのね。自分が犯した過ちを償うことさえ許されずに」

 判った? この莫迦、というメノウの駄目押しに、アキトの激情は掻き消された。がくりと肩を落とす。そんなアキトに、メノウは相変わらずの冷たい声で告げた。

「今回の件は、私から艦長に報告――」

「その必用は、ない」

 それまで黙っていた瓢が、口を挟んだ。

「――提督、それでは示しというものが」

「私は殴られていないし、この件については、私とキミが口を噤めばそれで済む話だ」

 彼の心情は、痛いほど判る、と瓢は言った。そんな瓢に、メノウはやれやれとでも言いたげに肩をすくめると、アキトに狙いをつけていた銃口をはずし、出したときと同様にあざやかな手並みでそれをしまう。顎で、ドアを指し、アキトに言う。

「いきなさい」

 力の抜けた調子で立ち上がり、だが、けして納得した様子だけはないアキトに、メノウは溜息をひとつついて言葉をかける。

「納得できないなら、貴方の艦長にでも相談して、あのとき、瓢提督がとった行動以上の最善の手段を私たちに示してみなさい。オモイカネのライブラリに、火星沖会戦のデータは入っているはずだから、それを使うがいいわ」

 その言葉を背に受けて、アキトは無言で瓢の部屋をあとにした。

「言い過ぎなんじゃないかね?」

 アキトの姿がドアの向こうに消えたのを見届けてから炬燵に戻ったメノウに、瓢が言った。

「提督がお優しすぎるだけです」何を言ってるんですか、といいたげにメノウは返した。「あの手の莫迦には、がつんと言わないと駄目です」

「きついな、キミは」

 メノウの言葉に、瓢は苦笑を浮かべた。

「だが、彼の気持ちももっともなものだよ。それに、ワシは罰っせられねばならん罪人だ」

「かもしれません。ですが、罰を下すのはあの莫迦ではないでしょう」

「では、誰だと?」

「提督ご自身です」メノウは断言した。「貴方の罪は、貴方の罪であり、その根源的な意味において、たとえいかなる法であってもそれを罰することは不可能です。むろん、社会的にはまた別でしょうが。そして、その償いもまた、提督ご自身が自ら見つけなくてはなりません。そして、それは他者に安易に裁いてもらったり、また、軽軽しく命を投げ出して得られるものではありません」

「――――」

「失礼ですが、私には提督が死に場所を求めてこのフネに乗り込んだように思えてなりません。むろん、私の思い違いかもしれませんが。ですが、提督、覚えておいてください。罪は、死んで購うものではありません。死ぬまで苦しみを抱いて生きることが、唯一の購いなのです」

 ――私は、出来ませんでしたが、とメノウは内心で自嘲した。

「――キミは、本当にきついな」

 自分の考えていること――死に場所を求めて云々を、ずばり言い当てたうえに、安易に死に走るな、と釘をさしたメノウに、瓢は苦笑した。

「すいません、差し出がましいことを言ってしまいました」

「いや、かまわんよ。それよりも、もう一杯どうだね?」

「いただきます」これで、瓢の罪の意識は多少救われただろうか、そう考えながらメノウは応えた。「喋りすぎたら、喉が渇いてしまいました」

 瓢は頷くと、メノウの湯呑みに手ずから急須で茶を淹れる。再び、室内に穏やかな空気が流れ始めた。






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