無題どきゅめんと


 不思議な空間であった。その全周を、暗闇の中に無数に光る輝点に覆われた、不思議な空間。

 その中心部に、三つの人影が見える。いや、それを『人影』と呼称してよいものか。少なくても、三人のうち二人は『人影』と呼ぶべき範疇に納まる姿形をしている。二人のうち一人は、ゆったりとしたローブのようなもの――彼(あるいは彼女)がその身体から眩いばかりの光を放っているので詳しいデティールまでは判らない。もっとも、それはこの場にいる三人凡てに共通している――を纏っている。もう一人は、人民服を思わせるデザインの服を着ている。

 問題である最後の一人は、というと、これも最初にあげた一人のような服装である――が、羽が生えていた。十二枚。六対、都合十二枚の羽が彼の背には生えていた。おまけに、頭には角まで生えている。はたして、このようなシルエットの持ち主を捕まえて『人影』と呼ぶのは如何なものか――と、思わず首を捻ってしまう。

 と、件の形容し難いシルエットの持ち主が辺りを見渡すと、おもむろに口を開いた。

「せやけど、ここまで来るとはおもわへんかったなぁ。なぁ、キーやん」

 思わず平伏してしまいそうな威厳を持った容姿とはうらはらに、何処か胡散臭い関西弁で彼は自分の隣に座る人物に、親しげに問う。その問いに、キーやん、と呼ばれた人物は鷹揚に頷くと、羽角持ちの彼とは違い、神々しい雰囲気にしっくりとくる口調で答える。

「まったくですね。聖書級崩壊も迎えずに、これほど穏やかな終焉を遂げることが出来るとは――まさしく望外の幸運というべきでしょうか」

 言う、キーやんの視線は、自分たちの周囲の闇を覆う輝点のいずれかを見つめている。その輝点は、どれも赤く、弱弱しい光を放っていた。あるいは、天文に興味を覚える類の人間がそこにいたなら、その赤い輝点が年老いた恒星――赤色巨星だと看破しただろう。そして、その無数の赤色巨星が煌く闇が、終わりつつある――終焉を迎えつつある宇宙である、と。

「御覧なさい。もう、収縮が始まっています。穏やかな――死です」

「大往生ちうやつやな」

 感慨深そうに言う二人。そこには、穏やかな空気が満ちていた――が、

「おい」

 いままで黙っていた人民服がぶすっとした声を発した。

「おまえらなぁ、人を散々こき使っておいて幸運ですますなよ。キーやんにしろサっちゃんにしろ、のほほんとしすぎちゃうか? おまえらのいう穏やかな終焉ってのを迎えるのにどれだけ俺が苦労したと思ってやがる? なんやいちいち面倒を起こしたがる若い連中しばいたり、海の底の変な都市や南極のけったいな山脈を別の時空に吹き飛ばしたり。あげく宇宙怪獣だの外の連中追い払ったり――過労死したらどうするんじゃこら」

 つーか海の底のやつとかはおまえらがさっさとやっつけとかんのがいかんのやろが、と人民服は愚痴る。そんな彼に、

「せやけどなぁ、わしらもよう動かれへんしなぁ」

「そうですね。大体、あれは私たちの管理外のものですし」

 キーやんとサっちゃんは右から左に軽く流した。

「なんつー無責任な」

「いや、それにな? 過労死いうたかて自分、死なへんやん」

「そうですよ」

「アホー! そのおかげで俺は嫁さん死んだあとずっと独り身やったんやー!! 一緒に転生させんかい!!」

「聞いたかキーやん」

「聞きましたよサっちゃん」

 がなる人民服の言葉に、キーやんとサっちゃんは顔を寄せ合ってひそひそと呟きあう。なんというか、井戸端会議をする主婦のようなノリだ。

「ヨコっち、自分な、ワシらがなーんも知らんおもとるんか? 嫁さん死んだあとウチの綺麗どころといろいろやんちゃしとったやろ?」

「そうですよ。私のところの部下とも結構付き合いがあったと聞いていますよ?」

 役得愉しんでるやん、とキーやんとサっちゃん。二人のジト目の追求に、

「しょーがないやんかー! 嫁さん死んで寂しかったんじゃー!! 俺かてまだまだ若いんやー! 独り寝は寂しいんじゃー!! 悪いかー!!」

 人民服は開き直った。両目から勢い良く涙を流しながら。ついでに亡き妻の名前を叫んでみたり。そんな人民服の様子に、キーやんとサっちゃんは苦笑を浮かべる。

「しかし、まぁ、感謝しとるで? しょうみの話」

「ええ。ここには来ていませんが、宇宙意思も貴方に感謝している――そう言っていました。彼が天寿をまっとう出来るのは酷く稀らしいですから」

 だから、と二人は言う。

「ヨコっちに、ご褒美あげようと思うねん」

「褒美!?」

 サっちゃんの言葉に、人民服は喚くのを止め――

「美人か? 美人のねーちゃんをくれるんか!? うぉー! 美人のねーちゃんのちちしりふともも――――!!」

 やっぱり喚いた。その様子に、サっちゃんは深い、とても深い溜息を一つつくと、

 スパ――――ンっ!!

 何処かからか取り出したハリセンで思い切り人民服の頭をはたいた。

「な、何すんじゃ――っっ!?」

 はたかれた勢いでテーブルに勢い良く突っ伏した人民服は、だが、突っ伏した時に倍する速度で顔を上げ、吼えた。そんな人民服に、呆れを込めた口調でキーやんが声をかける。

「なんというか、独りで私たち二人と渡り合えるまでになっても、そういうところはちっとも成長しませんね。それは兎も角、双文殊を出してもらえますか」

「文殊? いや、いいけど何するんだ?」

「いいから出してください。あ、刻む文字は、『伝/達』で」

「むぅ」

 唸りながらも、人民服は言われたとおり文殊も作る。人民服の右手に凄まじいまでの力が集中、凝縮し――

「ほれ」

 大極の文様に『伝/達』の文字を刻み込んだ小さな球体が造り出されていた。人民服は、それをキーやんに投げて渡す。

「しかし、今更文殊なんか何に使うんだ?」

「いやいや」文殊を手にとったキーやんは微笑を浮かべて言う。「ちょっとしたメッセージを込めておくんですよ――はい」

 言って、キーやんは文殊を軽く握ると、それを人民服に渡した。

「って、キーやんメッセージって――」

「ヨコっち、さっきも言うたけど、ワシらほんまに感謝しとんねん」

「ええ、私も、宇宙意思も。あの大乱からこちら、貴方には迷惑の掛け通しでした。幾つかの流れと運命の成せる業とはいえ……ですから、褒美です。受け取ってください」

「おまえら人の話を――って、うぉ? なんじゃこら!?」

 自分の問いに答えずに言葉を重ね紡ぐ二人に、何処か苛立たしさを感じながら問いを繰り返そうとして人民服は慌てた。自分の身体が透けてきている。

「出来るならば――」

「もっぺんこうして話してみたいもんやな」

「それでは」

「また、な」

「ちょ、おい、何の――」

 ことだ、という問いを人民服は最後まで発することは出来なかった。彼の口より言の葉が出終えるよりも早く、彼の姿はこの場所から一切の痕跡を残さずに掻き消えていた。

「終わり――ましたね」

 何処か、悪戯を成功させたような悪童を思わせる笑みを口元に浮かべてキーやんが言い、

「せやな」

 やはり同じような笑みを作ってサっちゃんが言った。

 しばらく、二人は口を開くこともなく、自分たちのかけがえの無い恩人が座していた席を見ていたが、やがて、サっちゃんが沈黙を破った。

「どや、閉じ終えるまで酒でも呑まんか?」

「ああ、いいですね」

 袖からグラスと酒瓶を出したサっちゃんに、キーやんが頷きを返す。二つのグラスに、小気味良い音を立てて人の手にならぬ酒が注がれていく。中身の満たされたグラスをそれぞれ手に取って二人は穏やかな口調で言葉を交わした。

「次も、こうして酒ぇ呑めるとええなぁ」

「ええ。そのときは、彼も一緒だといいですね」

 宇宙が、静かに閉じて――逝く。


★☆★☆★

 朝焼けを待つ、厚く垂れ込めた雲に覆われた夜空から深々と降りしきる粉雪は、いままさに降り行かんとする地上から赫く染められていた。常であれば雪に白く染められるばかりであるはずの、いまだ目覚めを向かえる時刻ではない地上は、自分を白く染めるはずだった粉雪を赫く照らし、染め抜いていた。自らを包む業火によって。

 少年は、その燃え盛る地上――自分の暮らすさして大きいとはいえない村が火葬に処される光景を背に、求め続けていた男との対面を済ませ――彼に別れを告げられていた。手には、形見として男に手ずから渡された、使い込まれた風情を醸し出している杖が握られている。背後で燃え盛る炎のそれとは別に、空を、雲を、地上をオレンジに染めんと顔を出し始めた太陽の中に掻き消えるようにして姿を消した男にすがるように、少年は男の残した杖を胸に抱いた。小さく、男のことを口の中で呼ぶ。

「ん…………」

 少年の背から、小さく呻く声が聞こえた。彼は慌てて振り返る。そこには、自分を護る為に脅威に立ち向かい、傷付いた姉が横たわっていた。自分も、姉も、男が救ってくれなかったら――そう思い、少年はあらためて自分たちを襲った理不尽な恐怖に怖気を振るった。何もかもが終わったことによって得た安堵からくる虚脱にも似た感覚に、その場にへたり込みそうになる自分を懸命に叱咤して、少年は幼い心と体を突き動かす。自分の為に体を張った姉の傍に近寄る。今の自分に姉を癒す術などありはしない。ありはしないが――だが、少年は姉の傍に寄り、彼女の手をとろうとした。魘され、呻く彼女を少しでも励まそうと少年が姉の手を取ろうとした刹那。

「――――!!」

 彼等から少し離れた場所にあった、燃え盛る廃墟が崩れ落ち――そこから、今宵、少年や彼の同胞を襲った脅威が姿を現した。てらてらと、まるで甲虫のような光沢と固さを持った外皮。人体に似通っているような――と、いうよりも、人体を悪意をもってデフォルメしたようなシルエット。奇妙につるんとした顔と、その頭部から突き出た硬質の角。背に生える蝙蝠のような巨大な翼。

 悪魔が、そこにいた。

 少年――ネギ・スプリングフィールドは、その姿を見て息を呑み、ついで恐怖に身を竦めた。父が暴力的なまでに圧倒的な魔力で凡て薙ぎ払った――そう思っていた存在が、生き残っていた。確かに、よくよく見れば、傷付いて息も絶え絶えといった様子ではある。だが、そんなことはネギにとってなんの慰めにもならなかった。彼に戦う術はなかった。彼は、ようやく杖の先に灯りを灯すことが出来るか出来ないか、といった程度の魔法しか扱うことが出来ないのだ。確かに、英雄と謳われた父の血を引いていることで、周囲の者からは、その潜在的な魔力を期待されることもあった。だが、それが顕現するのは、少なくても今ではない何時かだ。彼の目の前にいる悪魔が、父の魔法の余波をうけて傷付いていようが、息も絶え絶えだろうが、今のネギにとってはなんの慰めにもならなかった。

 目の前にいる悪魔がその気になれば、自分も、自分の背後で横たわり苦しんでいる姉のネカネも、何の手もなくあっさりと殺される。幼いネギにも、その絶望的な事実は理解できた。

 だが。

 ネギは。ネギ・スプリングフィールドは。ほんの四歳のその少年は――

「っっ!!」

 ――今は何の役にも立たぬ父親の形見である杖を構えて、眼前の悪魔に対峙した。もちろん、膝は笑っている。歯の根は喧しいほどに鳴っている。その双眸には、今にも零れ落ちそうなほどに涙が浮かんでいる。構えた杖は役に立たない。眼前の悪魔を打ち倒す魔法は知らない。次の瞬間には、姉ともども物言わぬ肉塊に変えられてしまうに違いない。

 だが、背後には姉が横たわっている。自分を護る為に傷付き斃れた姉が、だ。逃げ出すことなど出来なかった。

 そんなネギの悲壮な覚悟を嘲笑うかのように、悪魔が、その愛想の欠片もないつるりとした顔を歪ませた。

 そんなに死にたいのならば――まるでそう言うかのように、大きく顎を開く。自身の負った傷のためか、さして強くはない――だが、ネギとネカネを死体に変えるには充分な魔力が凝縮し、

「っっ!!」

 その邪悪な顎から放たれた。ネギは、すぐに自分と姉がカロンの渡し守に対峙する未来を思い浮かべ、目を瞑った。だが、その未来は何時までたってもやってこなかった。


★☆★☆★

「あ、のやろうッッ!!」

 先ほどまで存在していた空間から突如として弾き飛ばされ、それは罵りの声をあげた。だが、その声も、周囲を吹き荒れる凄まじいエネルギーの奔流に掻き消される。強大と称して差し支えないはずの自分をも翻弄するその力のうねり――時空間を吹き荒れる根源的な力の流れ。なんとかして、いきなりこんな場所に自分を放り込んだあの二人――あるいは二柱――のドタマを関西人らしくハリセンで思い切りはたいてやろうと、さきほどまで居た空間に戻ろうと努力し――

「うわ、アカンわ」

 あっさり諦めた。吹き荒れる力の奔流は、自分が流れてきた痕跡すら吹き飛ばし、もと来た流れをトレースして戻るなどという真似をさせてはくれなかった。諦めが悪いことで知られた男をして、そう思わせるほどに吹き荒れる力は凄まじいものがあった。加えて――

「あ、ホンマ――アカン」

 男は、為す術なく流されつつある流れが、自分の存在を侵食し、ガリガリと削っていくことを理解した。かつての自分であれば、この場に放り込まれた瞬間に磨り潰されていたかもしれない。そのことを考え、自分を練磨してくれたものたちに感謝の念を抱きかけ――よくよく考えると苦痛を味わう時間が延びただけでなんの解決にもなっていないことに気付き、その思いをアッサリと撤回した。なにせ、こうして可能な限り流れに身を任せ、逆らわないようにしていてすら、この奔流は自分を苛んでいる。ぶっちゃけ、洒落にならんレヴェルの苦痛だった。なまじ頑丈になってしまったせいで、この苦痛をより長く味わうことになってしまっている。逆恨みかも知れないが、文句の一つもいいたくなる。とはいえ、彼を鍛えてくれた者たちにそれを言うのははばかりがある。従って――

「アホ――――ッッ!! キーやんのアホ――――ッッ!! サっちゃんのアホ――――ッッ!!」

 まず間違いなく文句を言うべき相手のことを力の限りに罵倒した。だが、そうしている間にも、凄まじいまでの力の奔流は彼を何処へと知らぬ場所へ押し流し、男の身を容赦なく侵食し、削りとっていく。

 ああ、ホンマにアカン。流されつつ、男はそう思った。なんとか耐えてきた意識も、朦朧とし始め――これまで経験してきた膨大な過去が走馬灯のように男の脳裏に再現される。ぶっちゃけ、男がこの手の記憶の走馬灯を体験するのは一度や二度のことではないのだが、それらと比較しても(本人主観で)かなりヤバイらしい。

 薄れ掛けた意識が認識する狭まりつつある不明瞭な視界。そこに捉えられている虹色の光芒を放つ力の奔流。末期の光景としては随分捻りが効き過ぎてるなぁ――そんなことを考え、男が意識を手放しそうになった瞬間。

 眩いばかりの虹色の光芒すら塗りつぶす白い光の爆発を目にした。


「って、おわ――――――――ッッ!?」

 先ほどまで居た不可思議な場所から『ぺっ』と放り出された男は、手放しかけた意識の手綱を握りなおし、叫んだ。目の前にはぐんぐんとスゴイ勢いで迫る地表。いくら頑丈とはいえ顔面から着地するのは御免だ――と、彼はくるりと身を翻して蜻蛉を切る。姿勢を整えた途端に、地上に着地。芸人体質の悲しいサガから、誰が見ているわけでもないと判っているのに、体操選手の真似をして両手を挙げる。直後、

「のわッッ!?」側頭部にガツンと思い切り殴られたような衝撃を覚える。「なんやっちゅーねんッッ!?」

 見ると、殴られたように感じた方向に、珍妙な格好をした黒いのがいた。どうやら、コイツがやったらしい――そう判断して、

「コルァ――っっ!? イキナリなにすんねんボケ――ッッ!! 痛いやないか――――っっ!!」

 メンチをきった。思い切り睨みつけられた相手は、

「…………」

 呆然としていた。奇妙につるんとした、表情など読み取れないような顔からすらそれがわかるほどに。相手の主観では、いくら力が削がれた状態の一撃とはいえ、『人間』相手ならば一撃でミンチに出来るそれを、「痛い」の一言ですませてしまう相手に、思わず自失してしまったらしい。とはいえ、

「――――!!」

 すぐに我を取り戻し、目の前の障害に襲い掛かった。


 いくらたっても、自分をカロンの渡し守に引き合わせる一撃がこないと思ったら、聴きなれない言葉で怒鳴る声がした。ネギは、恐る恐る硬く閉じていたつぶらな瞳をあけ、あの悪魔お方を見て――

 言葉を失った。


「こ、の――――」

 猛然と自分に襲い掛かる存在に、イキナリ容赦なしかコノヤロウ、と内心で悪罵を漏らして、彼は態勢を整える。先ほどまで居た空間のせいで、自分は完調から程遠いコンディション――有体に言ってしまえば最低な状態であることは理解していた。チャクラを廻すことにも難儀する有様。だが、

「疾っ――――!!」

 最低限自分を覆っていた霊力を手に集中することぐらいの芸当は出来る。出力は一〇〇マイトあるかないか。ほんの数刻前からすれば笑ってしまうほどの低出力。見て判る限りでは、こちらに襲い掛かってくる相手は、消耗しているようだが、低級魔族ほどの力はあるように見える。足りない。おそらく、この一撃を外せば、自分は息を整えでもしない限り霊力の回復はままならない。そして、相手がそれをさせてくれるとは思えない。外せない一撃。であるならば、一撃必殺。それを可能にするために、彼は、剣状に顕現させた右手の霊力を――

 鋭く。

 鋭く。

 ただひたすらに鋭く。

 どんな名刀名剣よりも鋭く硬く凝縮させた。

 その刹那の直後。

 襲い掛かる黒い敵の繰り出した一撃をかわし、すれ違いざまに右手の霊力の顕現を相手を薙ぎ払うようにして振るう。

 自分を通り過ぎた黒い相手が、真っ二つになりながら離れていき、直後、急速に風化するように空気に溶けていくのを確認して、

「っはぁ――――」

 彼は、その場に尻餅をつくようにして座り込んだ。右手の霊力は何時の間にか霧散していた。妙に焦げ臭く感じる大気を貪るようにして肺に取り込み、呼吸を整えて霊力を回復させながら、彼は疲れたように溜息をついた。

「ったく、なんだってんだ」

 朝焼けに照らし出されつつある空を見上げながら、彼はぼやくようにして呟いた。いきなりワケの判らない場所に放り込まれて死ぬかと思ったらこれまたワケの判らないうちにそこから放り出されていきなり襲われる。彼でなくてもぼやきたくなるだろう。あのバカコンビ、絶対殴る――彼がそう決意を込めて呟いた直後、


「あの――」

 まるで舞うかのように悪魔を一撃で屠った相手に、ネギはおそるおそる声をかけた。正直、敵か味方か判らない相手になんの抵抗手段も持っていない身で接触をはかるのは無謀以外の何物でもないのだが――不思議と、ネギは目の前の、大地に腰を下ろしている存在が敵だとは思えなかった。理由を問われれば、答えに窮してしまうのは判っている。だが、なんとはなしに、この存在が敵だとは思えなかったのだ。

 躊躇いがちにかけた言葉に、相手が反応して振り向いた。思わず、息を呑む。そして、自分が目にしたモノに感想を抱く前に、相手が声を放ってきた。戸惑う。正直、聞いたことのない言葉だった。

「あ、あなたはだれです、か……?」

 なんとかコミュニケーションをはかろうと言葉をかけるが、相手は困惑したように眉をしかめた。そのまま、何か思い出そうとするそぶりを見せるが、ややあって肩を落とした。それから、面倒臭いといわんばかりの態度で右手を握り締め――


 アレ、どっかで聞いたことのある言葉やなぁ?

 目の前で小さな子供――何故か頬を赤らめている――が語りかけてくる言葉に、彼は聞き覚えのある語感を感じ、それがなんであったか思い出そうとした。少年が使っている言語――ウェールズ訛りのあるキングス・イングリッシュは、彼のいた世界ではすでに記憶と歴史の彼方へと押し流されている言語で、少なくても、ここ数万年は使うものがいなかったシロモノであった。彼は、それを使っていたことがあった――もちろん、ウェールズ訛りどころかキングス・イングリッシュでもない米語だったが――のだが、長いこと使っていないのですっかり忘れていた。少年が使っている言葉が英語だと気付けないほどだ。

 記憶の辿ってそれが何処の言葉だったか思い出そうとしたが、全身を覆う疲労感からその努力をあっさり放棄した。次善の策として、これまた今の状態では疲れてしょうがないのだが、文珠を作り出す。握った右手に霊力を込め――刻む文字は『翻/訳』の二文字。掌に現れた小さな球を発動させる。

「っと、俺の言葉判る?」

 急に言葉が通じたことに驚いたのか、目の前の子供は目を丸くしながらも、こくこくと頷いてみせた。それを確認して、彼は、よし、と呟くと、

「オッケー。じゃあ、とりあえず自己紹介といくか? 俺は横島・忠夫。ボウズ、おまえの名前は?」

「え、あ、はい。ぼく、ネギ・スプリングフィールドっていいます」

 男――かつて三界の守護者と称えられたヒトを超越し、神魔の極みに達した存在、横島・忠夫は、うむ、と頷いた。

「よーし、とりうあえず、ネギ? ここは何処なんだ? つーか跳ばされたことはさっきの時空間流でなんとなく判ったんだが、何処に出たのかさっぱりでな? できたら教えてくんねーか?」

 少なくても、あの時代じゃあねーよな。横島は、自分が跳ばされる前にいた時代のことを思い返し、そう考えていた。あの時代、宇宙はすでに終わりを迎えていた。居住可能な惑星の悉くは、その主星が赤色巨星と化した際に飲み込まれ、一つも残っていないはずだった。ヒトがなんの防護手段もなしに存在できる惑星がある時代――つまりは過去だ。だが、何処に出たのかまでは判らない。

「え、あ、ここはイギリスのウェールズで……」

「イギリス!?」

「ふぇっ!? ど、どうかしたんですか?」

「あ、ああ。悪い、なんでもない」

 酷く懐かしい国の名前を聞いた横島は思わず声をあげ、それに驚いたネギに謝った。イギリス。ああ、そうか。つーことはネギが喋っていたのは英語か。そりゃあ聞き覚えあるよな――つーかイギリスって国がある時点でここは地球か。それもえれぇ昔の。戻れっかなー、俺。うわぁ無理くせぇ。

「オッケー、此処がイギリスってのは判った。で――」

 うーん、あのスカポンタンどもを張っ倒すのは無理かなー、などと思いながら――流石に、時空間流を抜ける際にイロイロ削られた自分に、数百億年という時を越えるような真似は出来ない――横島は、周囲の光景に目をやった。

「この有様はどうしたんだ?」横島とネギの背後にあるのは、今なお燃え盛る廃墟の群れだった。そして。「さっきのアレは――なんだ?」

「あ、れは――」

 横島の問いに、劇的な邂逅により一時的に意識の外にあった今宵の惨劇を思い出したネギは、これまで堪えていた涙をぽろぽろと零し始めた。

「あ、の、悪魔たちが、ボクの住んでた村や、みんなを――悪魔は、ボクのおとうさんがやっつけてくれたんだけど――おとうさん、いなくなって、う、ひっく」

「うわ!?」急に泣き出したネギに驚いた横島は、慌ててその背を撫でてやる。「あー、うん、悪かったな、怖いこと思い出させて」

「う、ううん」

 優しく自分の背を撫でてくれる横島の手のぬくもりに喩えようもない安堵を覚えたネギは、かろうじて横島に笑みを見せ――

「あ、おねえちゃん!」

 自分を護る為に傷付き斃れた姉――ネカネのことを失念していることに気付いた。

「おねえちゃん――あの娘か」

 疲労していることと、燃え盛る村に気を取られてあたりの様子に気を配っていなかった横島もネカネのことに気が付く。横たわる姉に駆け寄るネギに続いて、その傍に近寄った横島は、足が石化し、膝下から砕けているその有様に顔をしかめた。

「ひどいな、こりゃあ」

「おねえちゃん! おねえちゃん!」

 自分を護るために傷付いた姉に涙声で声をかけるネギ。そんなネギの肩に、横島はそっと手をおく。

「泣くな――とりあえず、治してやるから」

 え? と振り向くネギには答えず、横島は両手に霊力を集中させる。正直、しんどくて仕方ないのだが、可哀想なほどに泣きじゃくるネギを放っておけなかった。なにより、いくらストライクゾーンから少しばかり年下とはいえ、可愛い女の子がこんな目にあっておける横島ではなかった。込めた霊力が作り出すのは二つの文珠。刻まれた文字は、『治/癒』と『解/呪』。

 発動された二つの文珠が眩い光を放ち、わけもわからず横島のことを見ていたネギは、その眩さに目を瞑った。そして、光が収まり、ネギが目を開いたときに、視界に飛び込んできたものは――

「おねえちゃん!!」

 石化し、砕けていたはずの足が元に戻っているネカネの姿だった。

「つ、疲れた」

 多少回復させたとはいえ、文珠の生成三連発はきつかった。横島は、さきほどとはうってかわり、歓びからの涙を流し、姉の体に抱きつくネギの姿を見ながら苦笑した。まぁ、いいか。少しばかり疲れた程度で、この小さな少年の表情から翳りを取り除けたのだ。悪い気分はしない。

 そうしているうちに、横島の使った『治/癒』の文字の文珠の効果か、はたまたネギの呼ぶ声によってか。意識を失っているネカネが小さく呻くと同時に、覚醒する気配を見せた。

「おねえちゃん!」

「ね……ギ?」

 自分の顔を心配そうに覗き込む可愛くて仕方のない弟の名を小さく呼びながら、ネカネ・スプリングフィールドは意識を取り戻した。意識を失う前――石に変えられかけたときに感じた苦痛は、何故か何処にも残っていない体の上体を起こし、自分に縋りつくネギの頭を撫でる。ああ、護ることが出来た――安堵の吐息を漏らし、次の瞬間、何故、自分が無事なのかを疑問に思った。そう、意識を失う直前、自分は石にされうようとしていたはずなのだ。

「ネギ、わたし、どうして――」

「あ、そうだ! おねえちゃん!」姉の無事を確認したからか、やたらと弾んだ調子で、ネギは口を開いた。「ボク、おとうさんに会ったよ! おとうさんが助けてくれたんだ!」

「父さんが?」

 ネギの言葉に、信じられぬ、といった表情を浮かべながらネカネは言った。父である、ナギ・スプリングフィールドはすでに現世の住人ではなくなっている。それを知っているネカネは、あるいは、ネギが極限状態で幻覚を見たのかと訝った。だが、もし、それが事実ならば――ネカネは周囲を見渡し、何処にも姿を見ることが出来ない悪魔たちの群れのことを考えた。もし、それが事実ならば、周囲に悪魔たちが――いや、村から悪魔たちの存在が感じられないのも無理のないことかも知れない、と思った。あのヒトならば、あっさりと、鼻歌交じりにでもそれをやってのけるに違いないから。

「それで、私のことを助けてくれたのも父さんなの? ネギ?」

 俄かには信じられない父の登場というネギの言葉に合わせるようにして、ネカネは訊ねた。だが、返ってきた答えは、まったく違うものだった。

「違うよ! タダオが助けてくれたんだ!」父のことを話すときと同じぐらいに瞳を輝かせてネギはいった。「すごいんだよ、タダオ、おねえちゃんの足をパって治しちゃったんだ!」

「タダオ? ネギ――それは、」

「あー、俺のことだ。お嬢ちゃん」

 聞きなれぬ名に、ネギに訊ね返そうとしたネカネに、横島が苦笑気味に答えた。まぁ、外国人だから呼び捨てはしゃあないか、と思っている。むしろ、頭にミスターだのなんだのとつけられてもこそばゆい。

「あなたが、私を?」

 助けてくれたのですか? そう訊ねるネカネに横島は、まぁな、と答えた。そんな横島に、しばし考えてから、ネカネは深々と頭を下げた。そして、頭をあげると、

「その、失礼ですが、貴女はどうして裸なのですか?」

「――なんかアナタって言葉のニュアンスが、」伝わってきた語感に首を捻った横島は首を傾げ、「――裸ぁっ!?」

 それよりも重大な事実に素っ頓狂な声をあげた。あげて自分の姿を見ると、

「うおっ!? マヂでスッポンポン――ってなんでオッパイ膨らんどんねん!? つーか俺の●●●がない――――っっ!?」

 ニュアンスの不自然さの正体これか――っっ!? と叫ぶ横島はフルヌードであり、かつ女になっていた。

 何故じゃ―――――――――――――――――――っっ!? と叫ぶ、かつての三界の守護者にして神魔族の最高指導者とガチバトルしてもひけをとらない存在であった横島・忠夫は、自身の身に起きた劇的な変化に驚愕するあまり、ここが自分の知っている世界の過去ではないことに気付いていなかった。


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』 第一話『戻らなかった』了

今回のNG

「あ、あなたはだれ、ですか……?」

「とんでもねぇ、あたしゃ神サマだよ(※可能な限りマヌケなツラで)」



後書きという名の言い訳。

かっとしてやった。反省している。 すいません、第一話からリライトしてたらネギまが混ざってしまいましたっつーかGSとクロスしてる作品とか読んでたら自分でも書きたくなってて気付いたら書いてましたでもおおっぴらに公開させるといろいろ叩かれたりして後悔しそうなのでこっそり掲載。見つけても他のヒトには言っちゃ駄目だ。掲示板に感想書き込むのも駄目。web拍手だと、イロイロ伏字にしたあとでレスがきます。つーか、ストーリー展開がNackさんの『横島と心眼の魔法使いへの道!!』とほとんど同じってどうよ。そして相変わらずTSか、俺。死んでしまえばいいのに、俺。



追記。

ぐーぐるセンセーとかの検索に引っかかるよーになってもうたので、オモテに移しましたよ、と。正直、消したろかいな、とか思うとったが、それはそれでなんか業腹なので。いや、まぁ、オモテに移しただけで連載再開とかいうことではないのですが。



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