無題どきゅめんと


「まぁ、有り難いっちゃあ、有り難いんだけど」

 はぁ、と溜息をついて横島・忠夫――いや、今は横島・多々緒と名乗っている『彼女』は、すれ違う女子生徒に苦笑まじりに挨拶をしながら思った。実際、新聞配達をこなしながら通っていた大学を卒業して就職した学校を暴行事件を起こしたせいで、まともに授業のひとつもすることなく追い出されていた横島にとって、相手側の申し出は地獄に蜘蛛の糸といったところであり、有り難いことこの上ないことだった。だが、

「絶対、面倒なことに巻き込まれるよなぁ」

 学園長室へと続く麻帆良学園女子中等部の独特の雰囲気を持った廊下を歩きながら、横島はやがてくるであろう喧騒と騒動に事欠かない日々のことを思って、もう一度溜息をついた。

(それもこれも)

 横島は思った。それもこれも、あのエロ体育教師が悪い。あのクサレ下衆野郎が舐めたマネしくさりやがったせいで、せっかく給料の良い学校に行けたのを追い出されるハメになったんや。新学期が始まる前に開かれた、教師同士の歓迎会の酒の席で(もちろん誰も知らないが)元・男であった横島・多々緒はガタイの良い体育教師から重度のセクハラをうけた。体は女になったが、心は男のままの横島にとってそれは絶え難い、死ぬほどおぞましい体験だったが――いきなり職場の人間と揉め事を起こすわけにもいかず、為すがままとまではいかないが、体育教師のセクハラを甘受するはめになってしまった。そうした、横島の態度を、気の弱さから自分の行為に抗わないのだと判断した体育教師は行為をエスカレートさせた。そして、体育教師のごつごつとした手が横島のスカートの中に伸びた瞬間。

 横島はキレた。反射的に、四角い造りの体育教師の顎にアッパーを喰らわせて軽く一〇〇キロはありそうな彼の体を宙に浮かせると、無防禦状態のその体に鬼のような連撃を喰らわせた。ほんの一秒に満たない時間に体育教師の肉体に叩き込まれた打撃の総数は二〇と五発。

 皆が、気付いた時。そこには、鬼のような形相で鼻息も荒く仁王立ちになっている横島と、襤褸雑巾のようになっている筋肉ダルマの姿があった。――体育教師、全治半年の重傷であった。むろん、悪いのは体育教師なのだが、やはり暴力沙汰はまずかった。良家の子女が通う、体裁を気にする学校側は、体育教師の行為が行為なだけに、法に訴えないかわりとばかりに、横島を放逐した。

 そうして、横島は得たばかりの職を失った。

 折角決まった給料の良い職場を、その給料をもらう前に叩き出された横島は自失で二日ほど呆然と時間を過ごし――三日目に、麻帆良女子からのヘッドハンティングにあった。給与条件その他が明記された書類とともに、出頭日時――もちろん、そうした表現ではなかったのだが、横島にはそう感じられた――が記された手紙。無職の横島としては、否も応もなかった。正直、悩みに悩んだのだが、時期が半端なだけに募集をかけている場所を見つけることが出来ずに、泣く泣く麻帆良に来たのだった。

 廊下を歩きながら激動の一週間を振り返った横島は、改めて自分を今の境遇に追いやった憎き体育教師に怨念を募らせた。入院してる病院に忍び込んでもっかいボコったろか、などとひどく物騒なことを考え――

 そうしているうちに学園長室の前に辿り付いていた。辿り付いてしまっていた。造りの良い木の扉を前にして盛大に溜息をもらした横島は、体育教師と自分の星の巡りの悪さにひとしきり悪罵をくちにして、

「よっしゃ」

 気分を切り替えるようにして自分の両頬を軽く張った。よろしい、横島・忠夫――もとい多々緒。覚悟はオーケィ? さぁ、短かった平穏な日々にさようなら! こんにちは、泣きたくなるぐらいに喧騒と騒動と厄介事に塗れた乱痴気騒ぎの毎日!!

「――失礼します」オーケィ、オーケィ。バッチ来い平穏とは縁遠い毎日。やってやろうじゃないか。やってやるぜ。「お手紙をいただいた横島です」

 ノックとともに扉の向こう側と自分の心にそう告げると、一拍間を置いて扉の向こうから声が返ってきた。

「うむ。鍵は開いておる。入ってくれてかまわんぞい」

「失礼します」

 再度断りを入れて、横島は精神的に地獄の門よりも重く感じる木製の扉を開けると、学園長室の中に足を踏み入れた。視界に飛び込んでくるのは、豪華な造りのデスクの向こう側でソファに腰掛けている麻帆良女子中等部の長――というよりも麻帆良学園都市の長。ひょろりと長い後頭部とその頭頂部に結ばれたチョンマゲがチャーミングな妖怪ジジイ。

「お久しぶりです、学園長」

「うむ、キミも元「つーかまだくだばってないんかいジジイ。さっさとくたばれ。主に俺の精神の平穏の為に」……久しぶりに会った早々シュートかつセメントじゃのぉ、横島くん」

 挨拶を返そうとして途中で遮られた挙句、暴言を吐かれた学園長、近衛・近右衛門はよよよ、と泣き真似をしてみせたがはっきりいって気色悪い。

「ジジイの泣き真似なんぞキショイだけだっつーの」

「久しぶりにあったのに横島くんがつれないんじゃモン」

「モンとか語尾につけるな激しく殺意が湧くぞ。つーかあんた俺からつれなくされる理由判ってるだろ」

 具体的には麻帆良学園高等部在籍中にコキ使われた。二束三文で。いや、報酬自体は結構な額が支払われているのだが、任務遂行中に破損したりさせたりした物の修理代や修繕費が『何故か』横島の報酬から差っ引かれ、結果として雀の涙ほどの額しか受け取れず、昼は高校生、夜は学園長直属の特殊任務警備員という二重生活を送ることになった三年間、横島は極貧に喘ぐハメになったのだった。

「はて?」ジト目で言う横島の視線をうけながら、学園長はそら呆けた表情で答えた。「ワシなんかキミにしたかのぉ?」

「よーしジジイ――死ね。今死ねすぐ死ねここで死ね」

 カミサマにお祈りする準備はオッケィ? と、ちょっとばかりイっちゃった目になった表情で言いながら霊力を右手に顕現させ――霊波刀を出現させて横島はそれを構えた。学園長の言い草がよほど腹に据えかねたらしい。が――

「ちなみに、ワシ、キミの雇用主なんじゃがそのへんのこと忘れとりゃせんかの?」

「やーん♪ 多々緒おじいちゃまにひさしぶりに会えたから嬉しくてつい悪ノリしちゃった〜♪ 許してね? てへっ」

 学園長の一言でアッサリ態度を豹変させた。何時の間にか右手に煌々と輝いていた霊波刀は霧散し、左手と一緒に揉み手をしている。

「…………なんというか、そこら辺も変わらんのぉ、キミ。ぶっちゃけ悲しくなるからやめてくれんか」

「う、うぅ。これもみんな貧乏が悪いんや――――っっ!!」

 背に腹は変えられない女、横島・多々緒(二十三歳)であった。

★☆★☆★

「で、俺を呼んだ要件ってのは、なんなんすか?」

 ひとしきり昭和枯れすすきを口ずさんだあとで復活した横島は、学園長室の応接用ソファに腰掛けながら、彼に合わせるようにその対面へと席を移した学園長に尋ねた。正直なところ、狸ジジイという形容詞が服を着て歩いているような存在である目の前の老人が、ただ教員として自分を雇い入れたなどとは欠片も思っていない。もっとも、横島としては嘘でもいいからフツーの教師として雇われたと思っていたいところなのだが。

「ホッホッホ――相変わらず妙なところで察しがいいのぅ」

「学園長、あんた自分の普段の行いを鑑みてからもの言ったほうがいいぞ」

 つーかもしかしなくてもボケてんのか? 横島くん、ワシ雇用主。やーん、嘘ですぅ〜カッコイイおじいさまぁ〜ん♪ ――といった寸劇じみたやりとりを挟んで。

「うむ、横島くんにある教師のサポートをしてもらおうと思っての」

 学園長の一言に、お茶請けのカステラをつまんでいた横島の眉が顰められる。

「ひょっとしなくてもアレか? 魔法先生ってヤツか? そいつ」脳裏に、顔見知りであるデスメガネとか影の薄いのとか色の黒いのとか思い浮かべながら横島は口を開いた。「死んでも嫌だぞ、俺。アレだろ、魔法先生――つーか魔法使いのサポートって言ったら『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』ってヤツだろう? いくら儀式つってもナニがかなしゅうて男とキスせなあかんねん。あ、それともアレか! その魔法先生美人のネーチャンだったりするんか? 魔法先生なりたてで右も左も判らなくて心細い思いをする美人のネーチャン魔法先生をがっつりサポートする俺! 頼もしい俺にトキメク美人魔法先生のハート! 芽生える恋! ああっ!」

「よし、とりあえず落ち着いてみんか横島くん」

 勝手に想像を――というよりも妄想を膨らましエキサイティングした挙句に応接用の机に片足かけて(タイトスカートがめくれてストッキングに覆われたショーツがチラリ)魂の雄叫びをあげる横島に、学園長は覗けるショーツに内心で眼福眼福などと思いながら苦笑しつつ声をかけた。

「というか、相変わらず男性が駄目なのかの、キミ」

「むしろ男とどうこうなるくらいならマッハで首吊る」

 脳内妄想を自制フィルター無しで口から垂れ流していた横島は、学園長の一言に瞬時で我を取り戻すと、即答した。

 横島・多々緒が麻帆良の地を訪れたのは、この世界――そう、ここは横島の知る神や人や魔がはっちゃけてるお馴染みの世界ではないのだった――に跳ばされてから、そう間もない頃のことだった。いずれ語ることもあるかも知れないが、とりあえず短く書くと、ネギとネカネの命を救った『彼女』はその礼に戸籍を偽装してもらい、『何かの拍子でイギリスに来てしまった日本人』ということで慣れ染まぬ異国の地よりも故国のほうがいいだろうと近衛・近右衛門の治める麻帆良の地に送られたのであった。

 跳ばされる前は鍛え込んだ成年男子の肉体を持っていた横島だったが、この世界に転移したさいにどうしたわけか年の頃十五、六歳の女性体になってしまっていた。文珠でなんとか元の体に戻そうとしたが失敗――もっとも、文珠で性を変えても効果が切れればそれまでである――し、以来、泣く泣く女性として過ごしている。かつて、上司に着せられたエクトプラズムスーツで性を変えた自分に酔いしれたこともある横島だったが、流石にそれが恒久的に、ということになると話は別らしい。あと、芸人的に同じネタでボケるのはどうかとか、いろいろある。

 そんなこんなで女性版横島・忠夫――横島・多々緒は麻帆良学園都市に訪れると時を同じくして麻帆良学園高等部に編入され、高校時代を、この表向きは筑波を凌駕する学術都市であり、その真の姿は極東日本の魔法使いたちの総本山、一大魔導都市で過ごすこととあいなったのだった。

 学園長が言っている、『相変わらず』というのはこの地で横島が過ごした間、彼女がまったくといっていいほどに男を寄せ付けなかったことを言っていた。女性版横島は、母から受け継いだ遺伝子の為せる業か、はたまた転移の影響か、見事なプロポーションと容姿を誇る美少女であった。おまけに、性格は男であった頃のそれからケダモノの如き性欲を(表向きは)取り去った、竹を割ったようなさっぱりとした性格。もちろん、その双方の相乗効果のほどは凄まじく、異性同性の別なくモテまくった。

 が、横島は男をまったくといっていいほど寄せ付けなかった。まぁ、メンタリティーは男のまま(多少、女性よりになっている)なのだから、それも無理もないと言える。もちろん、友人としてのそれは別であり、彼女のあけすけな、それでいて悪感情を抱き難い性格に好意を抱いた男友達はそれなりにいた。しかし、そこから一線を超えてこようとした者たちを、横島はきっぱりと拒絶した。おかげで、横島は高等部在籍中、レズビアンではないかと噂されていたほどだった。まぁ、男よりも女が好きであることは事実なので(むしろ女だけ好き)あながち的外れな噂というわけではないが。

「むぅ」横島のきっぱりとした返答に、学園長は残念そうに肩を落とした。「キミにその気があるなら、いい縁談を紹介しようと思ったのじゃがのぅ」

 何処から取り出したのか、顔写真とプロフィールが添付された書類を見せる学園長に、横島は嫌そうな顔を隠そうともせずに舌を出してみせた。

「捨てとけ捨てとけ。つーか学園長、なんでそんなもん持ってんすか」

 アンタ、ヒトに見合いを勧めるのが趣味の親戚のオバハンか何かか。胡乱げに問う横島に、学園長はフォッフォッフォッ、とバルタン星人を思わせるジジイ笑いを見せたあとに、

「いや、孫のこのかに勧めたやつの余りがあっての」

「学園長のお孫さんって、確か今年で中三っすよね? なんぼなんでもその歳で見合いってのは早す――って俺に紹介したの余りモンかっっ!!」

「だってもったいなかったんじゃモン」

「モンってつけるな妖怪後頭部ひょろながジジイ――――っっ!!」

 だからワシ雇用。ああん、怒らんとってダンディなオジイサマァ〜ン♪ 三度目はどうかのぅ。ゴメン、俺もそう思った――などというやりとりを経て、

「――なんの話をしとんじゃったかの?」

「少なくても俺の縁談の話じゃないことは確かだ」

 つーか忘れんじゃねぇよジジイ、と横島は虚空にバックハンドでツッコミをひとつ。

「――まぁ、どうせ学園長のことだから、俺が断れないようにイロイロ裏で手ぇ廻してるんでしょう? いいっすよ、お受けします」

「おお、受けて「ただし」――ただし?」

 溜息交じりの横島の言葉に、我が事成れり、と喜色を現そうとした学園長は怪訝そうに眉を蠢かした。普段はその太く大きく豊かな眉毛に隠されている目が、探るかのように横島を見る。

「俺が、こっち側の人間だってことは秘密で」

「つまり?」

「フツーの教員として、そいつの教師としての面をサポートするって言ってるんすよ。アンダスタン?」

「何故? と問うてもいいかのぅ?」

「はっは――」学園長の問いに、横島は乾いた笑いを漏らし。「――俺は、もう、平和に、フツーに暮らしていきたいの! 魔法先生のサポートなんぞしたらまたぞろこの学園の裏側がらみの厄介事に山ほど関らないといかんやないかっっ!!」

「――高等部時代、ワシ、キミのことそんなにコキ使ったかのぅ」横島の魂の咆哮に、学園長は首をかしげた。「とまれ、横島くんとしてはそれが雇用されるための絶対条件なんじゃな?」

「むしろ受け入れられないなら餓死を選ぶ」先ほどまで見せた卑屈な態度を忘れたかのように、横島は即答した。「つーかあんな乱痴気騒ぎの非常識が飛び交う世界でコキ使われるのがイヤでわざわざタダでいけるここの大学部スルーして新聞奨学生になってまで他所の大学受けたこと忘れたんか」

 別の世界で似たような経験をしてるが、そのときは上司がナイスバディの美人だったから耐えられたのであって、上司がナイスバディでも美人でもない、ホントに人間なのかアンタと思わずツッコミたくなる妖怪じみた爺さんでは死ぬほど嫌らしい。

「仕方ないのぅ」横島の態度に、その決意の固さを垣間見た学園長はやれやれと肩を竦めた。「その条件で雇用しよう」

「――いや、自分で言っておいてなんだけど、えらくアッサリ了承したっすね?」

 むしろ、先ほど挙げた条件を元に交渉をはじめることを考えていた横島は、学園長の答えに拍子抜けしたように言った。言って、すぐにその態度の裏に何があるのかを考え、警戒する。と、そのとき――

「失礼します」

 扉の向こうから声がした。

★☆★☆★

 何時ものように、麻帆良名物の通学ラッシュをこなしたネギ・スプリングフィールドは、家主のような存在である神楽坂・明日菜と近衛・このかと別れ職員室へと向かい――その途中で歳の離れた友人であり、同僚のタカミチ・T・高畑・に廊下で遭遇した。彼が言うには、今日は職員室には行かなくていいから、学園長室に向かってくれ、ということだった。なんでも、学園長がネギに用があるらしい。じゃあ、確かに伝えたよ、と言い残して背を向けた高畑を見送って、学園長室へと向かうネギは、果たしてどんな用件なのか、と訝りながら足を急がせた。なにしろ、朝のH・Rまでさほど時間があるわけではない。職員室よりも離れた場所にある学園長室に向かうためには、校内の風紀を乱さない程度に急ぐ必要があった。

 元2−Aの問題児集団、通称『バカレンジャー』を試験で高得点を取らせるという無理難題をクリアして勝ち取った新しい日々のはじまりに、いきなり予定を崩されたネギは、だが、その持ち前の実直――というよりも、優等生らしい素直な性格のためか気を悪くするでもなく、廊下を急いだ。

「でも、なんのようなのかな」

 教員は職員室へ、生徒たちは各々の教室に入っているためにすれ違う者のいない廊下で、ネギは一人首をかしげた。思う。もしかして、課題をクリアしたことについてだろうか。そう考えて、ネギはすぐにかぶりを振った。そのことについてならば、すでに言葉を貰っている。いくらなんでも、同じことを言うために、朝の忙しい時間に呼び出したりはしないだろう。

 考えてはみたが、結局答えは得られなかった。そうこうしているうちに、学園長室の前に辿り付く。ネギは、ここまでの道程を急いできたことによって多少乱れがちになった息と、服装を整えると、ノックとともに扉の向こうに声をかけた。

「おお、入ってくれてかまわんぞい」

「失礼しまぁ〜す」

 即座に返ってきた返事に、ネギはもう一度断りをいれてから扉をあけ――

「――アレ?」

 独特な頭部の形状を有する学園長以外の人物を室内に認めた。ソファに腰掛けているのは女性。歳の頃は二十三、四といったところ。量販店で手に入れたらしい、安い仕立てのビジネススーツを、まるでプレタポルテのように着こなしている。長く艶やかな髪は、ひっつめるようにして後ろで結い上げてあった。今時珍しい、黒縁のフレームの眼鏡をつけているその女性の顔に、ネギは見覚えがあった。何処で会ったのかな、と思い出そうとし――

 ――まるで、舞うような鮮やかな動作で悪魔を斬り捨てた、その息を呑むほどに美しい横顔を思い出して、

「タダ――――」

「こういうことか―――――――――――――――――――っっ!!」

 女性の名を呼ぼうとして、その女性の叫びにその声をかきけされた。正直、名を呼ぶのと同時に彼女に駆け寄ろうとしたネギだったが、女性のあまりの剣幕に思わず驚き、その場で蹈鞴を踏んでしまった。が、

「よし、ネギ!」

「あ、は、ハイ」

 当の女性が、魚屋の軒先から目刺をかっさらう野良猫のように機敏な動きでさっとネギのそばに駆け寄り、その肩をがっしと掴んだ。思わず返事をするネギ。

「俺はそこのナガアタマと難しい話をしなきゃならんから少しばかり外に出ててくれるな?」

 女性の、あまりに強い口調に、ネギは声もなく首を縦に振った。それを見て、よし、と呟き、掴んだ肩をくるりと廻してネギを回れ右させて、女性はネギを廊下へと送り出した。


「はっはっは、なんか妙にあっさりオッケーすると思ったらこういうことかこのクソジジイ」

「だってのぅ? 横島くんが言ったのは、相手側に横島くんがワシ等の方の人間だとばらさないということであって、相手側が横島くんのことを知ってた場合のことについてはなーんにも言わんかったし?」

「うわ、すげームカツク。つーか何処の世界にあんな子供が先生してる中学があるって思うんだよ、コラ。労働基準法とか知らんのかテメェ」

 すっとぼけたツラで言ってのけた学園長に横島は、ツッコミどころ満載じゃねぇかコノヤロウ、と吼える。そんな横島の台詞の最後のほうは華麗にスルーして、学園長は、おや? と首をかしげた。

「ネカネくんあたりから知らされてなかったのかの? 彼女とは手紙をやりとりしてると聞いたのじゃが」

 実を言うと、ネギが教員になった、という手紙は横島のもとに届いていた。ただし、日本で先生をするのが課題だなんて非常識すぎる、とか、もしネギと会うことがあったらよろしく、などという内容のその手紙が横島の借りているボロアパートの郵便受けに投げ入れられたのは、横島が麻帆良に向かうためにアパートをあとにした直後のことだった。ナイス・バッドタイミング。多分、宇宙意思とかのせい。

「聞いてねぇよ」

 むっすー、とした顔で横島は答えた。そんな横島に、学園長はバルタン星人笑いをよこしたあとで、まぁ、仕方なかろ? といった。

「――と、いうわけで目出度く無事に横島くんがウチに採用されたわけじゃが」

「ヤロウ、このままなし崩し的にことを進めようってつもりか」

「だってのぅ? 横島くんの言った条件にはなんも抵触しとらんし?」

「――タヌキ爺め」忌々しそうに呟いて、横島は、だが、と続けた。「ああ、いいさ。いいとも。やってやろうじゃないか、ネギ・スプリングフィールドのサポート。ただし、教職に関してだけ」

「拘るのぅ」

「拘らないでか」

 意地でもそのことだけは譲らないと言ってのける横島に、学園長は溜息をひとつ。しかし、まぁ――

(それでもかまわんか)

 と、学園長は顎から伸びる髭をしごきながら思った。彼女のことは、彼女が高等部に在籍していた頃のアレやコレからよく知っている。まぁ、何もかもを、というワケではない。自分たちの知るところの魔法や気とは違う、別種の力のことや、彼女のこと――学園長が把握していないことも多い。だが、それでも彼女の人となりは良く知っている。有体に言ってしまえば、横島・多々緒という存在は――

(トラブルに好かれる)

 体質だ。本人が望むと望むまいと、だ。まるで、世界が彼女をトラブルの渦中に投げ込もうとしているのではと勘繰ってしまうほど。そして、彼女は、その凡てをごっつ嫌そうな顔をしながらとはいえ、なんとかどうにかしてしまう。

「よかろう。その条件でかまわんぞい」

 だから、学園長は浮かんでくる笑みを堪え、いつもの人をくったような飄々とした表情でそう横島に告げた。そう、こちら側から何もしなくても、トラブルは横島を欲し、横島はそれをなんとかしてしまうのだと確信して。

「というわけじゃからネギくんを中に入れてもいいかの?」

「――なんかすげぇヤな予感がビシバシ漂ってくるけど、まぁ、いいか」矢張り、どこか納得いかないといった表情を浮かべながらも横島は学園長に頷きを返した。「おおーい、ネギー。入っていいってよー」

 自分が追い出したことをすっかり忘れたかのような口調で、ネギは扉の向こうで待っているはずのネギに声をかけた。その呼び声に反応して、すぐにネギが室内に入ってくる。あの時よりも、幾らか伸びた背。利発そうな印象を与える、整った顔立ち。背伸びしているような印象をうける、仕立ての良い三つ揃いのスーツ。こちらの表情を窺うようにしているネギのことを見て、横島は相好を崩した。

「うん、久しぶりだな、ネギ」

「あ、うん――久しぶり、タダオ!」笑顔で言う横島に、先ほどの咆哮に少しばかり身構えていたネギは、やっと笑みを浮かべて、再会の挨拶を交わした。「でも、タダオ、どうして学園長室に?」

 事情を知らないネギの問いに答えたのは、この部屋の主だった。

「うむ、それなんじゃがの、ここにおる横島・多々緒くんにネギくん、きみのサポートをしてもらおうことになってな」

 高畑くんはいろいろとやることがあるし、しずなくんも似たようなものじゃからの、と学園長。

「そんなワケで、俺――もとい、私がネギの担任してる3−Aの副担任という形でネギをサポートすることになったんだ」

 かつて周囲の人間から、「せめて一人称ぐらい女の子らしく!!」と泣いて頼まれていらい使っている一人称を使い、横島は説明した。そんな横島の言葉に、ネギは瞳を輝かす。

「本当なの!? タダオ!!」

「いや、こないな嘘ついてもしゃーないやんか。ホントだって」苦笑しつつ返す横島。と、ふと腕に嵌めた安物の時計をみると、かなりイイ時間になっていた。「と、それよりも時間はいいのか? ぼちぼち朝のH・Rに間に合わなくなると思うんだが」

「あ、そうだった!」言われて、ネギは彼女につられるようにして、自分の腕時計を確認する。「学園長、ボク、これで――」

「おお、御苦労じゃったの。行っていいぞい、ネギくん」

 鷹揚に答えた学園長に一礼してから、ネギは横島のほうを見た。

「タダオはどうするの?」

「ん? お――私か? もちょっと学園長と話すことがあるから、それが済んでから教室に行くさ。とりあえず、ネギは先に行っとけ」

「うん――じゃあ、またあとでね!」

 やっぱり、どう見ても子供だよなぁ。右手を自分に振りながら扉の向こうへと消えたネギを見送った横島は、十歳児に教師やらせるあたり、この学園都市の非常識さをあらためて認識しつそう思った。もしかして、ここに戻ってきたの間違いだったかもしんねぇ。

「で、ワシに話っていうのは?」

「あ? ああ、それか」始まってもいない日々に対して早々に後悔しつつあった横島は、学園長の言葉に我に帰った。「んー、あーでも行っとかねぇと、教室までの道すがら、イロイロ聞かれるだろうと思ってな」

 なんで急に自分の前からいなくなったのか、とか。いままで何をしてたのか、とか。

「そういえば」横島の言葉に、学園長は自分も問いを発した。「横島くん――どーして眼鏡なんかしとるんかの? 前はしていなかったと思うんじゃが」

「あー、これか?」横島は、その問いに自分の鼻の上に乗っているブリッジを弄びながら答えた。「気にするな、ただの伊達眼鏡だ」

「いや、だからなんでそんな伊達眼鏡しとるんかのぅ」

「ほっとけ。気にすんな」

 そっけなく答えた横島は、内心で呟く。

(まさか、頭良さそうに見せるためなんて答えたら絶対バカにされるからな)

 どうにも、横島は自分が教師としての格――つまり、ヒトに物を教える立場にあるものとして備えているべき威厳のようなものに酷く欠いているのではないか、という思いに囚われており、それをいくらかでもカヴァーしようと伊達眼鏡という手段に到ったのだが、彼女はそれを他人に教えるつもりはないらしい。

「まぁ、横島くんはこっち側ではそれなりに顔を知られておるからのぅ」なにか勘違いした学園長が納得したように言った。「じゃが、伊達眼鏡とはベタな変装じゃのぅ」

 笑いを含んだ誤解に、横島はほっとけ、と素っ気無く言い、湯呑みに残っていた高そうな香りの漂ってくる日本茶を飲み干してソファから立ち上がった。

「んじゃ、そろそろ行くわ。3−Aだったよな、確か」

 流石に、H・Rに顔出さないとアレだし、という横島に、学園長は鷹揚に頷いてみせた。それを見て、横島は扉のノブに手をかけ――

「ああ、そうじゃ」

 学園長に呼び止められた。

「あんだよ」

 面倒くさそうに振り返った横島に、学園長は人好きのする好々爺じみた笑みを浮かべ、言った。

「麻帆良学園へようこそ、横島・多々緒くん。ワシらはキミを歓迎するぞい」

★☆★☆★

「――これから来年の三月までの一年間よろしくお願いします」

 無事に進級を果たした教え子たちに挨拶をすると、ネギにその教え子たちから元気の良い返事が返ってきた。まぁ、中には多少、毛色の違った返事を返している生徒もいるが、イロイロと経験の足りないネギにはそこまで判らない。彼は、概ね満足すべき返事を得られたことに頷くと――

(遅いな、タダオ)

 あとからやってくる、と自分に言った横島のことを気にしていた。H・Rももう半ばであり、生徒たちにいろいろと伝えるべきことを伝えてしまうと、横島のことをみなに紹介する時間がなくなってしまう。そのことに気を揉んでいると――

(――――あっ)

 廊下を歩いてくる、見覚えのあるシルエットを硝子の向こうに認めた。

「あ、そういえば皆さんに紹介したヒトがいます」シルエットの人物の歩調からタイミングを計りながら、ネギは言った。「ボクのサポートをしてくれる――副担任の先生です」

 その言葉に、教室は俄かにざわつきはじめた。情報通で知られる朝倉に何事か――もちろん、新しい教師の赴任のことだ――を尋ねるもの。尋ねられて答えられず、悔しそうな顔を浮かべる朝倉。知っていればトラップを仕掛けたのに、と悔しがる双子。

 そんな教え子たちの様子に苦笑しながら、ネギは、シルエットの人物が引き戸に手をかけたことを確認して、まるでとっておきの宝物を友達に見せるような調子で高らかに宣言した。

「副担任の、ヨコシマ・タダオ先生です――」


「副担任の、ヨコシマ・タダオ先生です――」

 ネギの調子に、子供だなぁ、と苦笑を浮かべつつ扉を開いた横島は――

(うおっ!?)

 こちらを食い入るように見る五十二(プラス二)の瞳が放つ興味津々といった様子の視線に思わずたじろいだ。いろいろと衆目を集める(横島的には何故だか判らない)容姿の横島だったが、ここまであからさまに注目されることは初めてだった。が、そこは横島。集まっているのがストライクゾーンから下であるとはいえ、多種多様な美少女からの視線にいつまでも臆しているはずもなく。

「えー」すぐに普段どおりの表情に戻って、横島は教壇の――ネギの横に立った。チョークを一本とり、自分の名前をかつかつと板書する。「ただいまネギ先生からご紹介にあずかりました――横島・多々緒です」

 小さく一礼して、横島は微苦笑を浮かべながら言う。

「これから一年間、ネギ先生の補佐として皆さんと過ごすことになります。どうか、よろしく――ああ、担当教科は科学ですので、ひとつ」

 自分が微苦笑を浮かべた瞬間に、何故か揃えたように自失でもしたかのごとく惚けた表情を見せる教え子――となる子供たちの様子に、はて? と首をひねりながら、横島はざっと彼女たちの様子を観察し、

(むぅっ)

 小さく唸った。思う。どう見ても中三とは思えないプロポーションの生徒がひぃ、ふぅ――ううむ。この歳であのバディは反則ちゃうんか。くそう、あと一年遅く知り合えていたらっっ!!

 いたらどうしたというのか。余人には計り知れぬ理由で内心歯噛みする横島は、更に教室内の生徒たちを観察し――

(――――あっ)

 ただ一人、惚けた表情を浮かべるかわりに、目を丸くして驚きの顔を見せている生徒に気付いた。次の瞬間、その生徒と目が合い――こちらの視線と交錯する視線を放つその双眸がきつく吊り上がるのを確認した。

 横島は思った。

 やっぱり、面倒なことになる、と。


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第二話『こんにちは麻帆良学園』了

今回のNG

「まずしさにぃぃぃぃぃぃぃぃまけたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ(※魂の熱唱)」

「うん、横島くん。JASRACが怖いからこのシーンカットな」

「えー?」



後書きという名の言い訳。

表のサイトを放って隠し部屋の更新。それが俺のジャスティス――すいませんゆるしてくださいごめんなさい(※いしいひさいちばりに土下座)。TS横島をツルンでペタンな体型にしなかった代わりに眼鏡さんに。あと、横島が日本に来た理由とかはそのうち書こうと思っているが予定は予定であって決定ではないというかなんというか。まぁ、そのうち過去話も書くと思う。では、また来週ー(※週間ペースかよ)。





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