無題どきゅめんと


「しっかし、まぁ、賑やかなクラスだったな」

 香りと煙が少ないことを売り口上としている細身の紙巻を咥えながら、横島・多々緒は苦笑していた。場所は――

「のぉ、横島くん。ここってさりげなく禁煙じゃったりするんじゃが」

「ケチなこと言うなって」

 爺さんなら、いまさら余命気にする必要もないから堂々と吸えるんだよ、と横島は意地悪くデスクの向こうで渋い顔をする学園長に言った。良い具合に、担当教科を教えるクラスがない時間、横島は初出勤で多少緊張がちの精神をニコチンでほぐすために学園長室を訪れていた。わざわざ、学園長室で紫煙をくゆらせているのは、場所が学び舎であるということから、屋内や屋外で喫煙するのは、多少のはばかりを覚えたからだ。その点、学園長室であれば、迷惑がかかるのは人間離れした容貌の学園長だけであり――横島は学園長にその手の遠慮をする気はさらさらなかった。

「キミ、何気に酷くないかの」

「なに、長生きしすぎて飽きてるんじゃあないかと思ってなー。及ばずながら手伝って差し上げようと思っただけだ」

 さっさと肺ガンにかかって引退しろむしろ死ね。ほーら副流煙だくらいやがれ。

「――それが酷いと言うておるんじゃがのぅ」

 とほほ、と肩を落とす学園長の姿を見て、横島はいい気味だ、と楽しげに笑ってみせ――顔つきを真面目なものに切り替えて、言った。

「で、なんのつもりなんだ? 爺さん」

「はて?」真剣な口調の横島に、学園長は首を捻った。「なんのことかの?」


「――――はっ!?」

 よく判らない、自失ともいえる惚けた状態からいち早く脱したのは、出席番号3番――朝倉・和美だった。他のクラスメートが何故か(自分もさきほどまでそうだったが)惚けている光景に、首をかしげながら、彼女は、これまた何故か教壇で顔を引き攣らせている新任の教師に質問を投げかけた。

「はーいはい! センセー!」

「あー、おー……えっと、キミは?」

 元気良く手をあげた朝倉に、横島は何かから逃れるようにして視線を向け、自分が相手の名前を知らないことに気が付いた。クラス名簿ぐらい見せておいてもらえばよかったか、と思っている。

「出席番号3番、朝倉・和美です――で、センセーに質問があるんですが」

「はいはい、朝倉さんね――で、何かな? 私に答えられることだったら答えてあげるけど」

 瞬間、朝倉の顔が――《麻帆良のパパラッチ》と尊称なんだか蔑称なんだか良く判らない二つ名を奉られている、朝倉・和美の顔がニヤリと歪んだ。朝倉は、その獲物が罠にかかったのを確信した猟師じみた笑みを一瞬で打ち消すと、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて質問を口にした。

「横島センセーって何歳なんですか?」

「二十三だね」

「出身は?」

「大阪」

 朝倉は、さほど間を置かずに当り障りの無い質問を次々と繰り出す。答えるのに窮することのない、即答できる類の質問を、だ。横島は、それが単に新しく自分たちのテリトリーに入ってきた新参者に対する純粋な興味からくるものだろうと思って、間髪いれずに答えていく。そんな受け答えをいくらか繰り返して――

「――初体験は何時ですか」

「ああ、そ――」

 あまりに自然に繰り出されたその一撃に――そう、それはまさに必殺を狙って繰り出された『一撃』だった――横島は思わず即答しかけ、

(――って、おい!)

 寸でのところで留まった。内心で、思う。チクショウ、妙につまんねーことばっかり聞いてくると思ってたら、これが狙いだったんか。思わず溜息をつきたくなる。あの、チェシャ猫のような笑みを浮かべてこちらの出方を窺っている朝倉という生徒は、簡単な問いに答えさせることに慣れさせておいて、自分が問われたことに答えるという行為を常態化させることを狙った。そして、頃合を見計らって、平素であれば答えにくい問いをぶつけ、答えるという行為に慣れきった自分から最も欲する答えを引き出そうと画策したに違いない。

(よくやるよ、まったく)

 内心で、褒めたものか呆れたものかと悩みながら、横島は思った。さてさて、なんと答えたものか。芸人的には、相手の欲していることを正直に答えて場を盛り上げることに一役買ってもいいのだが――

(それじゃあ、つまらんよな)

 第一に自分の何千万、何億分の一も生きていない少女に手玉にとられるのは面白くない。ここはひとつ――

「処女です」

 言った途端、えー!? うそー!? と生徒たちが驚愕の声をあげ――

「――って言ったらどうします?」

 横島は人の悪そうな笑みを浮かべてみせた。嘘は言っていない。ただし本当のことを言ったわけでもないが。確かに、横島・忠夫はとっくの昔――超がつくほどの大昔に経験済みであるが、横島・多々緒としてはまだ――当たり前である――未経験。つまり、処女ではあるが、経験済みというのが正しい答えである。要は煙に巻いてみせたのだった。

 さぁどうだ、と言わんばかりの人の悪そうな横島の笑みに、朝倉は、ちっ、と舌打ちをし――同時に、手強い強敵に出会えた歓びじみたものを感じながら、新たな問いを発した。この場面に関しては自分の負けを認めたらしい。経験云々という問いに関する話題はスルーした。ただし、朝倉・和美という人物の性格を表出するかのように、放たれた問いは、これまた危険球であった。

「スリーサイズは?」

「上から八十八、四十八、七十八」

 さぁどうだ、と言いたそうな朝倉の問いに横島はさっくり答えた。本来ならば、スリーサイズ云々という女性のプロポーションに関する話題にはこれ以上ないくらいに反応する横島なのだが――今はそれがどうした? と言いたげな顔を浮かべていた。基本的なメンタリティが男性よりである横島にとって、『自分のプロポーション』などというものはかなりどうでもいい事柄だった。『自分の』体に欲情しても虚しい――というか莫迦くさい。横島の認識はそういったものであり、その数値を公表することなど、たいしたことではないのだった。

 一方。

『――――――――』

 それを聞かされた生徒たち――問いを発した当の朝倉も含めて――は、みな、唖然とした表情を浮かべていた。その心の声を纏めて判り易く書き出すならば――

 なにそのパーフェクトジオング?

 といったところだろうか。連邦の白いモビルスーツは化け物か! でもいい。正直、在り得ないような――それでいて、普通の感覚を有している女性ならば夢に見るような数値に、我が耳を疑い、ついで横島の身体を凝視(×二十七人)した。あまり身体のラインが出るタイプのスーツではないが、そこには確かに、美の神にえこひいきされたバディが輝くようにして存在しており――

『ずるい――――――――――――――――っっ!!』

 生徒たちは台詞からタイミングまで見事に揃った盛大な悲鳴をあげた。

「ちょっ、何そのインチキ臭い数字!?」

「むぅ……拙者もそれなりに自信があるほうで御座るが……」

「お、お姉ちゃん、強く生きようね!」

「だ、大丈夫だよ! 私たちだって、何時かは――多分」

「(自分の胸を見て)…………はぁ」

「……………………ぎりっ!(歯軋り)」

 騒然となる教室。その原因はというと、なんだなんだ? といきなり巻き起こった喧騒に目を白黒させていた。数寸考えて――

(ああ)

 と納得する。そーいやぁ、結構非常識な数字だったなぁ、俺のスリーサイズ――などと横島はどこか他人事のように考えて、苦笑した。まぁ、女の子らしいといえばらしい騒ぎではあらぁな。そこまで考えて、先ほどまでの自分と同じように、騒ぎに目を白黒させているネギの姿が目に映った。さて、副担任らしいことでもしてみるか、と横島は教室中に聞こえるように手を叩き、

「はい、みんな。ネギ先生が困ってますよー。少し静かにしましょーねー」

 言った。良く通る声のおかげか、誰が何を言っているのか判らないほどであった騒ぎにあって、生徒たちはハっと教壇に立つネギのオロオロとした様子をみて――納得がいかない、といった様子ながらもそれぞれに口を噤んだ。

「さ、ネギ先生?」

「あ、う? はい」苦笑しながらの横島に促され、ネギは口を開いた。「あ、朝倉さんのほかに横島先生に何か聞きたいことがある人はいませんか?」

 その言葉に、横島は苦笑を大きくした。だが、ネギの言葉も無理の無いものだった。ネギが横島といっしょに過ごしたことがある時間は、ほんの数日。ネギは、この自分と姉の命の恩人についてほとんど何も知らない――つまり、ネギは立場上、この場であれこれと横島に質問できない自分のかわりに、それを行ってくれる人物を求めていたのだった。

「ん、それでは――」

 そんなネギの願望に答えたのは、細い目と中学生とは思えぬプロポーションを誇る女生徒だった。

「あ、長瀬さん。どうぞ」

 長瀬と呼ばれた生徒――出席番号20番、長瀬・楓は、ニンニン♪ と小さく呟きながら立ち上がった。常時開いているのかどうか判らないほどに細められている目を片方、うっすらと開き、横島を見ながら問う。

「横島先生は、何か武術を嗜んでいるのでござるか?」

「いえ」その問いに、横島は他人にはそれと判らない程度に片眉をあげながら答えた。「特に、何も――でも、ええと長瀬さん? 長瀬さんはどうしてそう思ったのかしら?」

「いやいや、なんとなくでござるよ。ニンニン」

 ――そう、教室に入ってきてからの一挙手一動足をつぶさに観察して得られた、ほぼ確証に近い、なんとなくという感じ。長瀬のみたところ、横島の動き――動作は、あまりに自然過ぎた。人間、誰しも日頃の姿勢や生活習慣によってある程度の動作の癖――動作の乱れというものがある。だが、横島のそれには乱れが一切無かった。まるで、自然体たらんと修練を重ねてそうなったかのように。そして、あらゆる武術の動きが目指すところの究極は、自然体である。だからこそ、長瀬はさきほどのような問いを横島にぶつけたのだ。

 まるで、かつて自分に懐いていた押しかけ弟子のような口調の生徒に、横島はひどく懐かしいような思いを抱くと同時に、厄介な生徒だな、と横島は小さく苦笑。いや、この少女だけではない。ざっと見ただけでも、この長瀬という生徒なみの生徒が彼女を含めて三人。さらに――

(まったく)

 なるべく、それを見ないようにしながら横島は溜息をつきたい衝動を懸命に押さえ込んだ。


「ほう? で、他にはどんなことを聞かれたのかの?」

「それで打ち止め」横島はデスクから身を乗り出すようにして溢れ出る興味を隠そうとする気配も見せない学園長に、ふー、と紫煙を吹き掛けながら答えた。「すぐそのあとに、あのナイスバディーのしずなとかいう女先生が入ってきて、質問タイムは打ち切り。そのまま身体測定に突入」

「なるほどのぅ」

 そうかそうか、と頷いてみせる学園長に、横島は胡乱げな視線を向ける。

「で、なんだあのクラス。まだちっとばっかし気配の消し方が甘いが、そこそこの手練が三人。うち一人は――」

「ほう、判ったかの」

「判らいでか」横島は莫迦にするな、とでもいいたげに鼻を鳴らしてみせた。「で、なんのつもりなんだ、アンタ」

「はて、何のことかのぅ?」

 惚けるようにして、顎髭をしごく学園長。横島はそんな学園長に更に言葉を放った。

「とぼけんなよ、ジジイ。でな、その身体測定の途中で、H・Rに顔を出してなかった佐々木って生徒が保健室に運び込まれた。なんでも、桜並木で倒れてるところを発見されたんだと。で、最近面白い噂が流れてるらしいな。そう――」

「――桜並木の吸血鬼、かの?」

 横島の並べた言葉を面白がるようにして、学園長は彼女の言葉のあとを続けた。そんな学園長の様子に、横島はしらけたような調子で、ふン、と鼻を鳴らしてみせた。何時の間にかフィルター近くまで灰になっていた紙巻を携帯灰皿の小さな口に放り込んで揉み消すと、彼女は立ち上がった。

「おや?」応接用のソファから立ち上がった横島を見て、学園長は意外そうに眉をあげた。このまま、自分の真意を問うてくると思っていたのだ。「もう行くのかの?」

「授業があるんでね」横島は肩を竦めてみせた。「――それに、どうせ問い詰めたところで、のらりくらりと韜晦するつもりなんだろ?」

 そう、学園長は噂のことを知っていた。佐々木・まき絵をはじめとする、学内で連続して起こっている奇妙な事件のことを知っていた――まぁ、こと麻帆良学園都市において、この老人に知らぬことなどそうそうないのだろうが――のだ。おそらくは――と、いうよりも、まず確実にその下手人についても察しがついている。ついていて、なお放置している。

「さて、なんのことやら」

 愉快そうにそらとぼけて見せる底の知れぬ老人に、横島は、言ってろジジイ、と悪態をついて廊下へと続く扉のノブに手をかけようとして――

「そういえば、横島くん」

「――二度ネタだぞ、ジジイ」

 学園長に呼び止められた。時間が押してるんだから、さっさと言え――そう言わんばかりの視線で促す横島に、学園長は意地の悪い笑みを浮かべてみせた。

「麻帆良へは、今のアパートから通うつもりかの?」

「――ちっとばかし時間がかかるが、そのつもりだけど」

 それがどうした? と横島は怪訝そうな表情を浮かべた。横島が根倉としているアパートは、都心を挟んで丁度麻帆良学園都市の反対側に位置していた。通勤快速を利用しても、二時間ほど通勤に時間がかかる。

「ふむ、それは何かあったときに不便じゃろ?」

「――いい。不便でいい」

 なるたけ――そう、たとえ近い将来起こりうる厄介事のただなかに巻き込まれると判っていても、なるたけその舞台からは離れて暮らしたいと願っている横島は、むしろ懇願するかのような口調で学園長に答えた。が、その内心では、過去の経験から、この目の前の老人がこの手の言い回しを用いるときには、すでにその準備を凡て終えてしまっていることを理解していた。思う。ああ、神様、どうして俺を放っておいてくれないんだ――あ、くそ、キーやんやったら嬉々として俺を厄介事に巻き込むか。うわ、駄目駄目やん。

「それでの、学園内にキミの住所を用意した」

「――で、俺の預かり知らぬ間に引越しも終わってるってか?」

 疲れたような顔で問う横島に、学園長は白々しい顔つきで、「ほう、察しがいいのぅ!」と驚いて見せた。もっとも、引越しと言ってもさして家財を持たぬ横島のそれは、ボストンバックで一つ二つの荷物を宅急便で送る程度のものである。表にも裏にも顔が効くこの目の前の老人であれば、電話の一本で事足りてしまうに違いない。

「新しい住居への引越しの完了は、先ほど――キミがここへ休憩にくる少しばかり前に知らされておる」

「もういい」捨て鉢な、どこまでも捨て鉢な態度で横島は言った。「もうどうとでもしてくれ――で、そこの住所を教えてくれ」

 じゃなきゃ、今日は野宿するハメになるからな、と言う横島に、学園長は何故か楽しげにその番地を告げ――

 ――横島は、なんとも形容し難い表情を浮かべてみせた。そりゃあもう、すっげぇ微妙なツラだった。

★☆★☆★

 一日の課業を凡て終えた横島は、今日一日のことを振り返りながら、夕焼けに染められつつある、ヨーロッパの旧い街並みを思わせる麻帆良の敷地を歩いていた。その足取りは、はたから見てもそうと判るほどに重いものだった。

 もう、戻ってくるつもりはなかったんだがなぁ。長い自分の影法師を見つめながら、横島はそう小さく呟いた。この世界に跳ばされ、多少落ち着いたあとで再生してみせた旧友のメッセージ。そこから判ったことは、自分が何かの手違いでこの世界に送られてしまったということだった。そう、彼等は――あの神魔の最高指導者たちは、ただのニンゲンであったはずの自分がヒトとしての生を外れ、世界になにがしかの貢献をしてみせたことの慰労として、自分を過去に跳ばしたのだ――もっとも、辿り付いた過去は、『自分の知らない世界』の過去だったのだが。

 だから、せめて横島はこの与えられた新たな時間を、自分への褒美として過ごす腹積もりでいたのだ。だからこそ、麻帆良を離れた。ここにいれば、たとえ自分にその気がなくとも、何某かの厄介事に巻き込まれてしまう。自分の性格からして、たとえその厄介事がどこまでも他人事であっても、自分はそれに首を突っ込んでしまうだろう。あるいは、そこで傷付き、斃れることだって考えられる。それは、果たして友人たちが望むことなのだろうか――そう考えた横島は、悩んだ末に麻帆良を離れるという選択を選んだ。友が、自分に心穏やかな日々を望むのであれば、と。

 だが――

「結局は、戻ってきちまったなぁ」

 横島は、苦い顔で自嘲気味に笑ってみせた。どうやら、この世界もまた自分を厄介事に放り込む腹積もりであるらしい。まぁ、仕方ないか。横島は溜息をひとつついて、そう思った。星の巡りが悪いのは、何時まで経っても――たとえ世界が違っても同じらしいと観念した横島は、そう割り切ることにした。というか、そうしないとやっていられない、というのが横島の正直な感想であるのだが。

(それにしても)

 すれ違った幼年部の子供に挨拶されて、手を振り返しながら、横島は思考を切り替えた。それにしても、これは、間違いなく――

 確信めいたものを感じながら、横島は考えた。

 ――ことの凡ては、ネギ・スプリングフィールドを練磨するための試練なのではないか、と。

 何処の誰が――とまでは判らない。もちろん、あの人間離れした容貌の老人が一口噛んでいることは間違いないだろう。もちろん、ネギをこの地に送り込んだ、彼が卒業した魔法学校のエライさんも。でなければ。そうでなければ。この非常識と厄介事に事欠かない麻帆良の地で教師をやれなどという課題は与えられないだろう。ネギからそれとなく聞いた話では、同級で幼馴染の少女は、ロンドンで占い師をするのが課題なのだそうだ。そっちのほうがよっぽど魔法使いらしい。

 そして、この地で彼に与えられる練磨のための試練の一つ目は、すでにそのお膳立てが整っている。あるいは、もう少しあとで与えられる試練だったのかも知れないが――事態はすでに動き始めている。首謀者の一人であるらしい老人に、それを止めるつもりはないようだ。だから、横島はネギに――あの、父の背を懸命に追おうとしている少年に、なんの助言も与えなかった。これから起こるであろう事態への心構えを喚起する注意を促すこともしなかった。

 横島は考えた。自分は――ネギの補佐ではあるが、助けはしない、と。おそらく、学園長もそれを求めはしないだろう。もし、自分が手を貸せば――試練は試練足りえなくなってしまう。全盛期ほどに力を取り戻していないとはいえ、自分の力はそれなりのものであり――あの世界で得た久遠の日々が齎した経験は、力を補ってあまりあるものを与えている。

 そんな自分が手を貸せば、ネギは鍛えられることなく――原石は、原石のままに成長してしまうに違いない。ネギ・スプリングフィールドは、自らの努力と研鑚によって試練をクリアし、自らを鍛え上げなくてはならない。だからこそ、自分は、手を出さない。まぁ、求められれば多少の助言はするつもりだが、過度にそれをするつもりはない。おそらく、あの老人が自分に求めているものは――

(ネギが試練で失敗したときの尻拭い)

 に相違あるまい――と、横島は考えていた。おそらく、そう間違った推測ではないはずだ。かつて、麻帆良で名を馳せた無類の便利屋は、今度は子供の尻を拭うためにこの地に招聘されたのだ。

「ネギも大変だが」

 俺も俺でアレだなぁ、と横島は苦笑した。随分と長い間考え込んでいたせいか、周囲の光景は、すでにヨーロッパ風の街並みから、森と林の中間ほどの規模の木々の生い茂った風景へと姿を変えていた。あたりを見渡して、横島は、学園長から告げられた番地を口にした。

「――桜ヶ丘4丁目29、か」

 何某かの感慨めいたものが含まれた声で、そう呟く。と、彼女の視界に、見栄えの良い楚々としたつくりのログハウスが見えてきた。浮かぶ苦笑。そして、引き攣る表情。

「うん、大丈夫。なるようになる。きっと大丈夫」

 自分に言い聞かせるようにして言うその口調は、だが、自分の口にした台詞を欠片を信じていないものだった。整えられた敷地に足を踏み入れると、背筋に得体の知れぬ冷汗が流れ、その玄関の前に立てば背を流れる汗が滝のような勢いに代わる。

 たすけて、キーやん――はアテになんねぇから、ブっちゃん、と横島は六字の名号を口の中で何度も繰り返しながら、玄関をノックした。

「ごめんください――」横島は妙に硬い声で、ログハウスの中に呼びかけた。「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさんは御在宅でしょうか」

 その名を口にした途端、まるで森の中ににいた精霊が畏れをなしたかのように、あたりから一切の音が消える。そしてややあって――

ああ、御在宅だ。御在宅だとも。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは確りと御在宅だとも――鍵は開いている。待ちかねたぞ、横島・多々緒。鍵は開いている。さぁ、中に入るがいいさ、横島・多々緒

 地獄の底から響いてくるような、底冷えのする声が返ってきて――

(やべ、俺、死んだかもしれん)

 横島は自分の全身からサーっと血の気が引いていくのを実感した。


 玄関の扉を開いて、横島はいの一番に――

「すんません! ホントすんません! 反省してますめっさ反省してますもうしませんもうしませんからぶたんといて――――――――っっ!!」

 全身全霊で土下座を敢行した。それは、教科書に載せたくなるぐらいに見事な土下座だった。何の教科書かは知らないが。ずざぁッッ!! と擬音が聞こえてきそうな勢いで地に伏せた横島は、

「ぷぎゅっ!?」

 その頭を柔らかい何かで上から思い切り圧迫された。ぶっちゃけ踏まれていた。

「とりあえず自分に非があることは自覚してるようじゃないか、ええ?」

 額を床に擦りつけるようにしている横島の頭を、素足で踏んづけている声の主――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、楽しげな声で言った。もっとも、声は楽しげだが、額には青筋が浮いていたりする。外面菩薩内面夜叉といった按配のエヴァンジェリンは、鏡に囲まれたガマガエルのように冷汗をダラダラと垂れ流す横島の頭を、器用に足の指で乱暴に揉みながら、言葉を続けた。

「誰だったかなぁ? 餓死しそうなところを食事をくれてやったら、『この恩は死んでも忘れません! むしろ一生エヴァちゃんの奴隷になります!!』と言っていたのは。なぁ、横島、おまえ覚えているか?」

「あーあー」冷や汗でスーツが重くなるのを自覚しながら、踏まれたままの体勢で横島は答えた。「ワタクシでゴザイマス」

「だよなぁ」横島の返事を聞いて、エヴァは意地の悪い笑みを浮かべた。「私の記憶違いなんかじゃあないよなぁ。そうだよな、オマエは確かに私に言ったものなぁ」

 そう言って、エヴァは横島の頭からようやく足をどけた。ようやく許してもらえるのか――横島がそう思った瞬間、頭上から声が飛んできた。すっげぇ楽しげな声が。

「まぁ、いつまでも玄関で話すのもなんだ。とりあえず中にあがれ――つもる話もいろいろとあるからな、イ・ロ・イ・ロ・と

 ――エヴァンジェリン、いまだお怒り中。


 吸血という行為には、ただ単に相手の血を吸う、という意味以上のものがある。とりわけ、吸血という行為によって同類を増やす――繁殖するという吸血鬼には。それは、人間でいうならば繁殖のために用いる行為――性行為に通じるものがあり、

「つっ、あ、はぁ――――」

 ゆえに、その吸血鬼に血を吸われている横島・多々緒が妙に艶っぽい声をあげてしまうのも無理の無い話なのかも知れない。そんな横島の反応と、彼女の血の味をたっぷりと味わったエヴァンジェリンは、ようやくのことで横島の身体を開放した。首筋に甘噛みするようにしていた犬歯を引き抜く。途端に、横島は自分の背後にいるエヴァンジェリンの小さな身体に倒れ込むようにしてもたれかかった。

「相変わらずオマエの血は美味いな」口元を親指で乱暴に――それでいて妖艶な雰囲気を漂わせながら、エヴァンジェリンは言った。「――だが、あまり栄養状態がよくないな。ちゃんと食べていたのか、オマエ?」

「吸うだけ吸っておいてその言い草はあんまりやと思うぞ、エヴァちゃん」恨めしそうに、横島は自分の血の味を批評してみせたエヴァンジェリンに言った。「いや、まぁ、確かにイイモンは喰ってなかったけどなー」

 なんせ、学費稼ぐのでイッパイイッパイだったし、と答える横島に、エヴァンジェリンはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

「ふン。私のところを出て行ったりするからだ、莫迦め」

 つまらなさそうに、そう言い捨てるエヴァンジェリンは、だが、何処か嬉しげであり――横島は、そんな彼女の様子に優しく苦笑してみせた。かつてそうしていたように、横島はエヴァンジェリンの頭を撫でようとして――

「おっ?」

 貧血でも起こしたかのようにふらついた。いや、実際、貧血だった。四年ぶりに再会した小さな吸血鬼は、まるで溜まったツケを回収する悪徳金融業者のように横島の血を死なない程度に吸い干したのだった。そんな横島に――

「どうぞ、横島先生」

 すっと差し出される、自家製栄養ドリンクの入った大きなグラス。差し出したのは、

「お、ありがとな――茶々丸さん」

 このログハウスのもう一人の住人である、絡操・茶々丸。ただし、もう『一人』といっても、彼女はエヴァンジェリン同様に、『人間』ではなかった。

「しかし、まぁ、大したもんだな」目の前に佇む人型に、横島は遠い記憶を刺激されながら嘆息するように言った。「エヴァちゃんが?」

「いや」短い問いの中に省略されたものを読み取って、エヴァンジェリンは首を横に振った。「確かに、動力部に流用している魔法関連の技術は提供したが――私じゃない。ほら、あのクラスにいたろ? 葉加瀬・聡美の設計・製作だ」

「――中学生が?」

 横島は信じられぬといった様子で目を丸くした。彼女の見たところ、この絡操・茶々丸という『少女』は、かの天才(ただし痴呆症)錬金術師が作り上げたアンドロイドと比較してもなんら遜色しない『ロボット』だった。いや、まぁ。横島は思った。いるところにはいるもんだな、天才ってヤツは。自身もある種の天才であることを棚に上げて、横島は嘆息した。もっとも、横島の場合は、棚に上げて、というよりうも、自分の才覚について無自覚なだけなのだが。

「しかし、まぁ、中学生がね」しげしげと――だが、不躾にならない程度に茶々丸を見ながら、横島は言った。「――一度、ゆっくり話してみたいもんだ」

「――何を話すつもりだ? あン?」

 横島の言葉に、何故か、声を険しくしたエヴァンジェリンが問いを放った。

「何もなにも、フツーに技術関連のことを話してみようと思っただけ――って、なんでエヴァちゃん不機嫌なん?」

「――なんでもない。そういえば、私ともいろいろ魔法について話したな」かつての生活を思い出したエヴァンジェリンが、懐かしむように言った。「もっとも、オマエはいつも肝心なことを隠しているようだったが」

「そーかなー?」エヴァンジェリンの視線を後頭部に感じながら、横島は韜晦するように言った。「そんなことないと思うけどなぁ」

「まぁいいさ。これから、時間はたっぷりあるのだし」

 この場での追求を、ふン、と笑ってやめたエヴァンジェリンは、部屋着にしている可愛らしいパジャマのままで横島のそばから離れた。お、どこか行くんか? という問いに、エヴァンジェリンは、まぁな、と嘯いて茶々丸に着替えを取ってくるように指示した。

「これから私と茶々丸は少しばかり外出する。夕餉は用意してある――先に食べてるがいい」

「あいよ。気をつけてな」

 自分の言葉に、手をひらひらと振って答えた横島に、エヴァンジェリンは、おや? と首をかしげた。

「止めないのか?」

 エヴァンジェリンは、横島のことを、最近裏で動いている自分への牽制――あるいはお目付け役として学園長が寄越したものだと考えていた。表立っては何も言ってきてはいないが、あの老人(自分から見ればまだ若造だが)が、自分が『吸血鬼』として動くことに手を打たぬはずはない――エヴァンジェリンはそう考え、横島がここを訪れたことを、学園長がそのことに対して動いたと考え、横島の反応を見たのだが――

「何を?」

 ――当の横島は、自分を止める気配すら見せなかった。

(判らんな)

 横島・多々緒は確かに自分に恩義を感じている。それは間違いない。間違いないのだが、それはそれとして、依頼主を裏切るような真似をする人間ではないことをエヴァンジェリンは知っていた。だからこそ、自分のお目付け役であろう横島の反応を窺ってみたのだが――本人はまるで暖簾に腕押しといった按配。さて、どうしたものか――エヴァンジェリンは考え、

「桜並木の吸血鬼の噂は知っているんだろう?」

 ストレートな形で疑念を露にした。腹の読み合いなど、歳経た吸血鬼たるエヴァンジェリンには手馴れたものであるのだが、この横島という相手は、自分との年齢差を感じさせないほどに簡単に腹の裡を読ませない。もっとも、行動原理はかなり判りやすいが。だからこそ、エヴァンジェリンは時間の浪費を嫌って、横島に直裁的に問い掛けた。自分に今、与えられている時間は酷く限られており、もし、横島が自分の行動を妨害しようとしているのであれば、それに関する対応策を練らねばならない――が、その前段階の腹の読み合いに使える時間はない。それゆえの問いかけ。もっとも、エヴァンジェリンは無意識のうちに横島と、その手の、気の許せぬ行為を忌避した、という側面もある。ひどく判り辛い甘えでもあった。

「ああ、知ってる」横島は、エヴァンジェリンの問いに頷く。そして、言った。「だが、俺の知ったことじゃあない」

 なに、と目を丸くするエヴァンジェリンに、横島は快活に笑ってみせた。

「何もなにも、俺は、ただの教師だぜ? 吸血鬼をどうこうしようなんて俺の仕事じゃない」

「――あの坊やの補佐だろう、オマエは」

「ああ。補佐だな――教師としての」ニヤリと笑って、横島は答えた。「それに、誰にも何も言われてないしな。それこそ、あのクソジジイにも」

 だから、と横島は言った。

「好きなように。エヴァちゃんの好きなようにすればいいさ」

 その言葉に、エヴァンジェリンはしばし考え――やはり、横島と同じようにニヤリと笑った。

「ああ、そうさせてもらおう。じゃあな、横島」

 いってくる――エヴァンジェリンは、そう言ってログハウスを離れた。しばらくして、自分があの家を出る際に誰かに出立の挨拶をつげてるのが随分と久しぶりだと気付き、小さく笑った。悪い気分ではなかった。


「あいよ、いってらっしゃい」

 気をつけてなー、とエヴァンジェリンを見送った横島は、窓からのぞく満月を見た。煌々と、それでいて静かに地上を照らし出す月は、この世の凡ての隠し事を見抜いているかのようだった。そんな月の光に目を細くした横島は、小さく呟いた。

「でも、エヴァちゃん」かつて聞いたことのある彼女の望みを思って、横島は言った。「エヴァちゃんは、自由になって何がしたいんだ?」


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第三話『怒れる家主』了

今回のNG

 気をつけてなー、とエヴァンジェリンを見送った横島は、窓からのぞく満月を見た。煌々と、それでいて静かに地上を照らし出す月は、この世の凡ての隠し事を見抜いているかのようだった。そんな月の光に目を細くした横島は、小さく呟いた。

「エヴァちゃん――」久しぶりに再会を果たした吸血鬼の少女の姿を脳裏に思い浮かべながら横島は言った。「相変わらずちっちゃいな、イロイロと」

「余計なお世話だ―――――――――――――――――っっ!!」

「ぎあ――――――――――――――――――――――っっ!?」



後書きという名の言い訳。

ところで、某所でヒント聞いてきたヒトはここに辿り付けたのであろーか? 判り易いと思ってたんだが、日に三人ぐらいしか訪れてなくて喜ばしいやら寂しいやら。こんばんは、約束どおり更新です。珍しい(※自分で言うんじゃありません)。とまれ、本作のヒロイン登場。エヴァタソ! エヴァタソ!(※ジョルジュ長岡っぽく) まー、俺の話らしく思いっきり馴れ初めとかすっとばしてますがそこんとこは、そーいうハナシなんだ、と割り切って読んでいただければ有難くありますー。当分、週間ペースで行きますよー。少なくとも、書き貯めてる六話までは週間ペース。では、また来週ー(※表も更新しろよ)。





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