無題どきゅめんと


「さてさて――どうしたもんかな」

 扉の外で気配を殺しながら、横島は肩を竦めて呟いた。一応、止めるべきだろうか。いやしかし。横島は首を振りながら考え直した。ここで出て行ったら、これまでの努力が水の泡となってしまう。なんのために、あんな恥しい真似をしたのか判らなくなってしまう。

 しかし、まぁ。横島は思った。ネギの性格からして、寝込みのエヴァンジェリンを襲うなどという真似はすまい。ならば、ここは静観を決め込むべきか。

(それがベターだな)

 ベストではないが――こうなってしまっては、何時ものとおり、手を出さないという方針を堅守するのが一番間違いがなさそうだ。横島がそう考えた瞬間、

夢の妖精女王メイヴよ(ニユンフア・ソムニ・レーギーナ・メイヴ) 扉を開けて夢へといざなえ(ポルターム・アペリエンス・アド・セー・メー・アリキアット)……」

 扉の向こう側から、魔法の詠唱が聞こえてきた。はて、なんの魔法だったか――横島は、昔、学園長に無理を言って読ませてもらったその手の本に書かれていた記述を思い返し――

(しまった――――!?)

 静観を選んだほんの数寸前の自分の選択を激しく後悔した。

★☆★☆★

「――で、エヴァちゃん大丈夫なのか?」

「真祖の吸血鬼たるこの私が――不甲斐ない」

 ファンシーなぬいぐるみや小物で溢れたリビングとは違い、余分なものの見受けられない寝室に鎮座するベッドの上で横たわるエヴァンジェリンに横島は眉を顰めながら尋ね、エヴァンジェリンはそれに迂遠な表現で答えていた。

「まぁ、仕方ないさ」横島は、ぎりぎりと口惜しそうに歯噛みするエヴァンジェリンを慰めるように告げた。「なんせ、今のエヴァちゃんは普通の女の子と変わらないわけだし」

 あえて肉体年齢や、そこから容易に導き出せる子供、という単語を口にせずに横島はそう言って、ベッドの上で熱に顔を歪ませるエヴァンジェリンの頭を撫でた。横島の言ったとおり、今のエヴァンジェリンは真祖の吸血鬼を夜の眷属の頂点たらしめている膨大な魔力を呪いによって封じられているため、ただの人間の子供なみの体力しか持ち合わせていなかった。くわえて、その『魔力を封じられた』ことによって只人と変わらぬ有様と化した『子供の身体』は、その華奢といっていい容姿に違わず随分と繊細なものらしく、こうしてたびたび体調を崩すことがあった。

 一方、宥められたエヴァンジェリンは、というと、普通の女の子、普通の女の子、と横島が選んで口にした言葉を口の中でなにやら反芻していた。ショックを受けている、という様子ではない。むしろ、嬉しげに見える。おそらくは、発熱してさえいなかったら、容易に顔が赤くなっていることを読み取れるだろう――横島以外の人間なら。

「――と、エヴァちゃん、本当に大丈夫なのか?」

 羽毛布団に顔の半分を埋めるようにして黙り込んだエヴァンジェリンの様子を見た横島は、病状が悪化したのか、と身を屈め、布団の半ばまで潜り込むようにしているエヴァンジェリンの顔を覗き込むようにして尋ねた。

「――大丈夫、というわけじゃないが……大丈夫だ。気にするな」

「?」

 ぷい、と顔を背けて言うエヴァンジェリンに、横島は首をかしげた。そ、それよりも、と話題を逸らせるようにエヴァンジェリンが口を開く。

「いいのか? 何時もならもう出勤してる時間だろう?」

「――もうそんな時間か? 時間だな」

 ちらり、と腕に嵌めた安物の時計に視線をやった横島は、普通に出勤するならばリミットぎりぎりといった按配の針の位置を見て、いろいろ忙しかったからなぁ、と肩を竦める。碌に家事も手伝っていないから、と茶々丸からエヴァンジェリンに起床を促す役目を分捕った横島が、ベッドの上で熱に魘されるエヴァンジェリンを見てから、碌に朝餉も口にせずにバタバタしていた。と、いっても、茶々丸にとっては日常茶飯事であったらしく、右往左往しているのは横島ただ一人であった。

「うん――じゃあ、行って来る。ちゃんと養生するんだぞ? エヴァちゃん」

「動きたくても碌に動けん――ああ、行ってこい、横島」

 返ってきた返事に苦笑しつつ、横島は腰を下ろしていたエヴァンジェリンのベッドの上から腰をあげると、その傍で控えていたメイド服姿――初めてみたとき、横島は思わずその素晴らしさに咽び泣き、何故かエヴァンジェリンの機嫌が悪くなって普段より大目に血を吸われた――の茶々丸に声をかけた。

「じゃあ、茶々丸さん。あとは、宜しく」

「かしこまりました、横島先生」

 言われるまでもない――そう言外に告げるような茶々丸の様子(あくまで横島の主観にすぎない)に、横島は苦笑を浮かべた。このヒトに在らざる少女であれば、地平の果てまでその主に付き従うに違いない。 「じゃあ、二人とも――行ってきます」


 麻帆良学園の登校/出勤風景というのは中々に壮観な眺めである。学園内を敷設されている鉄道(鶴ヶ峰学園か蓬莱学園なのかここは)によって学び舎もよりの駅へと運ばれた生徒たちが改札口から一斉に吐き出され、目的の校舎へと猛然とダッシュをかける光景などというのは、初めて見るものからするば唖然としてしまうに違いない。

 その、怒濤の様な光景を横目に、横島は、自分も高等部に席を置いていたころは、あの集団暴走の只中にいたことを思い出し、やれやれと首を振った。騒がしいのは嫌いではない。とはいえ、もう少し平穏であっても構わないんじゃなかろーか。特に、俺の周辺。

「無理か。無理なんだろーな」

 ドチクショウ。世の中の侭ならなさっぷりに思わずやさぐれそうになりながらも、横島はコンパスの大きく、一糸の乱れもない歩調で中等部の校舎を目指して歩く。そうして歩いていると――

「これはこれは、横島先生ではござらんか」

 糸目の教え子と遭遇した。思い出すのは昨日の朝のこと。いきなり十六分身かまして襲い掛かってきた糸目の教え子――長瀬・楓を、なんでこんなんばかり、と思わず自分の頭上で死兆星が怪しく輝いているのではなかろーか、と空を見上げてしまいそうになるのを激しくこらえながらあしらい、体術の極みともいえる体捌きを用いて下したのは多分二四時間前ぐらい。

「大却下」

「――拙者、まだ何も言っておらんのでござるが」

 心底嫌そうな顔をしながら言う横島に、楓は首を傾げて見せた。そんな楓に、横島は歩みをとめることなく言う。

「なんつーか、先生ってとこのニュアンスが一昨日と違ってる。絶対」

 具体的に言うと、いままでの横島先生の『先生』というところに込められていた意味が、教師という意味のそれから、師匠だのなんだのを指して言うそれに変化しているというか――ぶっちゃけ、どこぞの人狼少女のそれと同じニュアンスになっている。

「昨日も言ったけど」横島は早足で歩く自分に、足音一つ立てずに苦も無くついてくる楓に向かって苦々しい口調で告げた。「弟子入りだのなんだのってのはやってないんだよ」

「そう言われてもでござるな」なんとかして自分を振り切ろうとする横島に続きながら楓は言う。「あれほどの体術を見せられて、はい、そうですか――とすっこんでいられるほど、拙者、諦めがよくないのでござるよ」

 言いながら、楓は思い出す。幾度か技を応酬したのちに、自分の放った苦無を宙に跳ぶことでかわした横島。それを好機と見て、空中で身動きの取れぬはずの横島に追撃の苦無を放ち――楓は愕然とした。何もないはずの空中で、横島はまるでそこに足場があるかのように横に跳び、苦無をかわしたのだった。自分もそれなりに常識の外側に身を置いている楓であったが、横島の見せたそれはあまりに非常識すぎた。思わず――たとえ腕試しであろうとも、刃を交えている最中に――呆気にとられ、動きが止まった楓の背後を横島はあっさりと取り、その首筋に手刀をとん、と当て、「はい、おしまい」と面倒そうに告げた。

「――適当にやられておけばよかった」

 本気の本気で本気な口調で言う横島に、楓は苦笑する。

「しかし、昨日のあれはいったいどんな手段を用いたのでござるか? いっかな忍の拙者とはいえ、あのような芸当は出来んでござるよ」

「あーあれか」横島は、面倒だなぁ、と思いつつも答える。基本的にかわいい女の子には弱い。「長瀬さん、『軽気功』って知ってるかい?」

 横島の口にした単語に、楓ははてな、と首を捻る。何処かで聞いたことが――

「ああ」不意にぽんと手を叩いて楓は言う。「古菲から聞いたことが――あるような?」

「そこで疑問系にされても困るんだけどな」

 いい加減、楓を振り切る努力を諦めた横島は、歩調を緩やかなものへと変えて苦笑する。自分のそれに合わせて自分の横にならんだ楓に説明する。

「古菲さんってのは、中武研の部長だっけ? なら知っててもおかしくないか。軽気功ってのは、ひらたく言っちまえば、体内で練り上げた気の力で体重を軽くするってヤツなんだが――」

「いや、体重が無くなったとしても、空中で方向転換してみせるのとは関係ないのでござらんか?」

「話は最後まで聞くもんだ」半畳をいれてきた楓に、横島はこっからが手品のタネだ、と言う。「ま、あの時、丁度木の葉が舞ってたんでね。体重消して、それを足場に跳ねてみせたって寸法さ」

「――なるほど」

 長射程の得物――飛び道具を持った相手を前に、空を飛べるのならばまだしも、羽も羽衣も持たぬ人間が上に逃げるは愚策も愚策。となれば、目の前のこの女教師は、あの時、上空を風に舞う木の葉を見つけた上で、上に逃げたのであろう。その状況判断の素早さと見事さに、楓はただただ感嘆の溜息をつき――

「ますます横島先生に弟子入りしたくなったでござるよ」

「薮蛇だったか」

 目を輝かせて言う楓に、横島は失敗した、と顔を手で覆った。自分のかわいい女の子にどこまでも甘いという性格が恨めしくなる。つーか俺の面倒の半分ってこの性格が原因なんじゃなかろーか。もう半分はもちろん妖怪ながあたま爺。

「つーかな、長瀬さん。お――私は一応堅気の人間なんだが」

 堅気の人間に忍者が弟子入りっていろいろどうよ? 横島がそう胡乱そうに尋ねると、何を言っているのか、とでもいいたげな表情で楓は肩を竦めてみせる。

「どこの世界に空中で方向転換してみせる堅気の人間がいるのでござるか」

 あんな真似する人間が堅気だったら拙者たち立場ないでござるよ。そう笑ってみせる楓に、横島は、つくづく失敗した、と肩を落とす。

「――私はヒトにモノを教えるよーな人間じゃないんだけどなぁ。いや、教師だけど」

「道半ば――ということでござるか?」

「というよりも」横島は苦笑しながら言った。「別に極めたいとかそーいう欲求がないんだよ」

 そんなん飽きた、と横島は言う。

「だからさ、長瀬さんみたく、真面目に高みを目指してる子に、私なんかが教える資格はないんだよ」

「と、いわれてもでござるな」

 どこか自嘲気味に言う横島に戸惑いながらも、楓は困ったように言う。目の前の副担任に、師匠足りえる資格があるかどうかの云々は別として、ここにいるのは、明らかに自分よりも高みに身を置く使い手。師事し、自分もその位置に技量を持っていきたい――追い越したい、と願ってしまうのは、当然のことであった。ふむ、と楓はしばし考え込み――

「判ったでござるよ」

「聞き分けが良くてたすか――」

「拙者、勝手に弟子入りするでござる」

「――る?」

 横島は、得意そうな顔で言った楓をまじまじと見る。嫌な予感メーターがぎゅんぎゅん鰻上っている。おそるおそると言った調子で、横島は楓に尋ねた。

「――つかぬことをお聞きしますが長瀬さん、いったい、何を、どのよーに、勝手にやるのでございましょーか?」

「つまり」ぎこちない笑顔を自分に向ける副担任に、楓は意地の悪そうな笑みを浮かべてこたえた。「稽古をつけて欲しくなったら、拙者、ところかまわず横島先生に襲い掛かるでござる」

「――――は?」

「いくら堅気を気取ったところで、横島先生の身体に染み付いた技量はいかんともしがたいでござろう? であれば、拙者が襲い掛かれば、反射的に防ぐなり返り討ちにしようとするでござる。そんな横島先生から一本取れるよーになれば、拙者も大したもの。腕が上がった証拠になるでござる」

 良い考えござろう? ――そう首を傾げてみせる楓に、横島は頭を抱えたくなった。今日びの女子中学生ってのは、こない過激なんか。

「――ちなみに、そこに俺の意思や意向は汲まれたりすることはないのでしょーか?」

「ないでござる」

 即答しやがった。眩暈を覚えるような感覚に襲われた横島は、立ち止まり、思わず空を見上げる。雲量の少ない春の空は、どこまでも澄んでいて、清々しさを覚えることになんのためらいもない。昇ってくる陽の光の眩しさに、横島は思わず目を細めた。

 ――――泣きてぇ。

「――うん、長瀬さん。弟子入り認める。超認める。認めるから俺の宝石よりも貴重な平穏な時間を奪わないでくれ。後生だ」

「横島先生は話の判る方でござるなぁ」

 しょぼくれて肩を落とす横島。その背を励ますかのように楓に叩かれて、ちくしょう、誰のせいで朝から凹んでると思ってるんだこの糸目の忍者っ娘め、と横島は内心で思いつつ、これだけはいっておかにゃ、と気を取り直して口を開いた。

「まぁ、弟子入りはいいとして――いや、良くないんだけどとりあえずいいとして、アレだ。私、忍者の稽古の仕方なんぞさっぱりだぞ」

「かまわんでござるよ」この期に及んで諦めの悪い横島に、楓はあっさりと言ってのける。「どのみち、そのあたりのことは期待してないでござる。横島先生――お師匠さまとでも言ったほうがいいでござるか?」

「いい。先生でいい」

「そうでござるか? で、横島先生に拙者が期待しているのは、実戦形式の稽古でござる。横島先生ほどの腕の持ち主と刃を交えれば、それだけで良い訓練になるでござるからな」

 その言葉に、横島は確かに、と頷いた。自分よりも格上の相手と戦うということは、それだけで技量の向上に繋がる。まぁ、そこらへんなら自分でも教えられるか、と横島は思い――

「ただ、あんまし相手はしてやれないぞ? 一応、教師の仕事もあるし――」

「子守り、でござるな?」

 先回りして答えた楓に、横島は、そのとおり、と頷いてみせる。

「あれこれ忙しいから、そう頻繁には稽古をつけてやれない。それでもいいかな?」

「贅沢は言わんでござるよ」

 充分言ってるよーな気がするけどそこら辺は考えたら負けなんだろーなー、と横島は苦笑。深く考えないほうが精神衛生上よろしい。まぁ、将来楽しみなかわいい女の子とねんごろになれたと考えれば気も軽くなる。

「とまれ、そーいうことで――よろしくな、長瀬さん」

「よろしくでござるよ、横島先生」


「――おや?」

 楓と別れたあとで職員室での朝の職員会議(といっても、二、三伝達事項を伝えられただけだが)を済ませた横島は、3−Aの扉をくぐり、首を傾げた。教壇の上にいるべき人物の姿が無かったからだ。エヴァンジェリンに怯えて――と考えたが、それはあるまい、と横島は思い直す。昨日の様子からして、ある程度は吹っ切れている。どんな道を選ぶかどうかは判らないが、今のネギの目に映る選ぶべき道の中に、エヴァンジェリンに背を見せて逃げ出す、という道だけはあるまい。寝坊したか――そう考え、さっと教室を見渡すと、

(――明日菜くんはいるな)

 自分に敵愾心バリバリの視線を送ってくる神楽坂・明日菜の姿を見つけた横島は、小さく苦笑しつつ、寝坊という可能性を頭から消す。同室の神楽坂・明日菜がこうして予鈴前に教室にいるのならば、その可能性はあるまい。さて――、そこまで考えて、横島の視界に、今朝方、かなり強引な説得で自分に弟子入りを認めさせた少女の姿が映った。

(なぁ、長瀬さん)

(――読唇術が使えるでござるか、横島先生)

 声を出さずに小さく唇を動かした横島に、楓は驚きつつも同じように声を出さずに唇を動かして返す。そんな楓に、横島は小さく頷きながらも、声なき言葉を紡いだ。

(ネギの姿が見えないんだが――どうかしたか?)

(ネギ坊主でござるか? それならば、横島先生がくる数分前に、なにやら教室を飛び出していったでござるよ?)

(朝のH・Rをほっぽって?)

(――たしか、エヴァンジェリン殿のことを尋ねてから出ていったでござる……どうかしたでござるか?)

(いや、なんでもない)

 楓に小さく首を振ってみせて、横島は内心でしまった、と思う。まさか学校のことを放り出してエヴァンジェリンのところへ行くとは。自分も急いで後を追いたいが――

「――はい、みなさん。席についてください」

 予鈴がなっている。手を叩いて教え子たちに着席を促しながら、横島は内心で臍を噛む。流石に、自分までH・Rを放り出すわけにもいかない。くそ。とりあえず、H・Rが終わってしまえば、一時間目に自分の担当する学科を受けるクラスはない。それが終わったあとで――

「みなさん、おはようございます」

『おはよーございまーす』

 追いかけよう。ネギのことだから寝込みを襲うなんてことはないと思うんだけど。

★☆★☆★

「エヴァちゃんの、過去か」

 どうやら、ベッドの上で魘されているエヴァンジェリンの夢の中にサイコダイヴかましたらしい、彼女のベッドに上半身を倒れこませるようにしているネギの背後に音もなく立った横島は、そう呟く。横島は、エヴァンジェリンのことを、外の世界に出る事を渇望している、力の大半を封じられた真祖の吸血鬼としか知らない。もちろん、つっけんどんな態度や尊大な物言いをしてみせるが、実は優しい――などということは、かつて過ごした時間の中で知っている。が、外の世界を望むときの、何処か寂しげな表情で、遠くを見るような目をする理由を、横島は知らない。話したくなったら、向こうから言うだろう。無理に聞き出すこともない――そう考えていたからだ。それに、横島自身、あれこれと秘密にしていることもある。そうそう、他人の過去など聞けた立場ではない。とはいえ――

「エヴァちゃんの――過去、な」

 気にならない、というわけではない。そして、その気になるエヴァンジェリンの夢を、今、自分の同僚が覗き見している。ネギがサイコダイヴを敢行する前に、エヴァンジェリンの口から漏れた、魘されるような寝言から推察するに、いま、彼女が見ている夢は、彼女の過去に関係のあることらしい。

 ――少しだけなら、いいかな?

 横島は、そう小さく呟くと、掌を握りこみ、その中に文珠を作り出した。刻む文字は――


「ただいま、エヴァちゃん」

「――遅かったな、横島」

 ベッドの上で上半身を起こし、なにやら厚い本を読んでいるエヴァンジェリンに横島は帰宅の挨拶を告げる。本から視線をあげたエヴァンジェリンの、迂遠なおかえりなさいに、横島は苦笑を浮かべ、ベッドの端に腰を下ろした。

「ちょっと、授業で使う資料の整理に手間取ってな」

 それよりも、と横島は真面目くさった顔でエヴァンジェリンに向き合った。

「すまん」

「は?」

 いきなり頭を下げた横島に、エヴァンジェリンは目を丸くする。そんなエヴァンジェリンに、横島は顔をあげると、ばつの悪そうな表情を浮かべて、口を開いた。

「――エヴァちゃんの夢、覗き見した」

「――――っっ」

 瞬間、エヴァンジェリンは息を呑み、怒りに顔を朱にそめるが――

「そうか」

 感情を激発させることなく、短くそう言うと、溜息をついた。そんなエヴァンジェリンの態度に、少なくても怒鳴られると思っていた横島は怪訝そうな表情を浮かべて尋ねた。

「――怒らんのか? 俺は、」

「別に、いいさ。確かに、あまり吹聴して廻るたぐいの過去ではないが――いや、どちらかというと一生誰にも知られずに墓の中まで持っていきたい過去だが。ええい、サウザント・マスターめ。いくらなんでもあの仕打ちはなかろうが。くそ忌々しい」

「――うん、とりあえず落ち着いて」

 夢で見た過去を思い出してエキサイトしはじめたエヴァンジェリンを宥めて、横島はせやけど、なんで? と首を傾げた。そんな横島に、エヴァンジェリンは自嘲するように小さく笑いながら答える。

「私もオマエの夢を覗き見ようとしたことがあるからな」

「――なんですと?」

「だから、私にオマエのことをどうこういう権利はないのさ、横島」

「えー、あー、その、エヴァちゃん?」エヴァンジェリンのカミングアウトに、横島は脂汗を浮かべながら尋ねる。「――なにか、見た?」

 つーかなんでそんなことを、と言う横島に、エヴァンジェリンは何を言っているのか、とでも言いたそうな表情で答える。

「決まっているだろう。知りたかったからさ。あと、夢を覗き見したが――何も見えなかった。いや、見えたが理解できなかった、といったほうが正しいかも知れん。いくら力を封じられているとはいえ、この私に知覚できんとは――横島、オマエの頭の中はいったいどうなってるんだ?」

「なんか遠回しに変人扱いされてるよーな気がするけど――そうか、見えなかったか」

 エヴァンジェリンの言葉に、横島は小さく胸を撫で下ろした。いや、まぁ、理解できないのも無理ないかもなぁ。数百億年ぶんの記憶だもんなぁ。そら脳の許容量超えてるだろうしなぁ。横島は、そう思いつつ、再び、エヴァンジェリンに向かって頭を下げた。

「それでも。それでも、だ。すまん、エヴァちゃん」

「気にするな」

 頭を下げる横島に、エヴァンジェリンは、嫌な気はしないから、と小さく言う。そう、自分がかつて、横島の夢を覗き見したのは、この目の前にいる店子のことをもっと知りたかったからだ。もっと深く、横島のことを知りたかった。だから、フェアな行為ではないと知りつつ、横島の夢を覗き見た。そして、そんなエヴァンジェリンにとって、横島が自分のことを知りたがってくれた――ということは、自分でも驚くぐらいに、心を弾ませることとなっていた。

「ん? なんか言ったか、エヴァちゃん?」

「なんでもない」どうやら、小さな呟きを聞き逃したらしい横島に首を振って、エヴァンジェリンは言う。「で、判っただろう? 私が外の世界を――自由を望む理由が。はは、滑稽だろう? アイツは、もういないっていうのに。約束は果たされないというのに。それでも、私は外の世界を、アイツがいない世界を望むんだ」

 笑え、横島――そう自嘲するような、いまにも泣き出しそうな笑顔で言うエヴァンジェリン。そんな初めて見せる弱気な表情のエヴァンジェリンに、横島は言葉を失い――

「っっ!?」

 反射的に、エヴァンジェリンの頭をその胸の中に抱きしめていた。

「笑わないさ」横島は、言う。「笑うもんか。世界中の誰もが笑ったって、俺は笑ったりするもんか。叶わない願いを抱くことのなにが悪い? 失われたものを切望して何が悪い? ちくしょう、誰が笑ってたまるかってんだ……!!」

「横島?」

 震えるような声で、まるで慟哭するような調子で言う横島に、エヴァンジェリンは横島の胸の中で戸惑ったようにその名を口にする。

「望めば叶う――そんな無責任なことを言うつもりはないさ」自分の名を口にするエヴァンジェリンに、横島は言う。「だけど、それでも――それでも、エヴァちゃん」

「なんだ?」

「エヴァちゃんの願いが叶うと――いいな」

 抱きしめられていた胸から解放されたエヴァンジェリンは、泣き笑いのような顔の横島の言葉に、

「ああ」同じような笑顔を浮かべて答えた。「そうだな」

 心の中で思う。アイツはもういない。願いは叶わない。望みは叶わない。だが。だけど。それでも。もう一つの望みは――

「本当に、そうだといいな」


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第八話『夢の中で』了

今回のNG

 ベストではないが――こうなってしまっては、何時ものとおり、手を出さないという方針を堅守するのが一番間違いがなさそうだ。横島がそう考えた瞬間、

「夢の中へ〜夢の中へ〜いってみたいと思いませんかぁ〜」

「陽水っ!?」



後書きという名の言い訳。

別に楓フラグが立ったわけではなく(※挨拶)。今夜も定刻通り更新で御座いますが原作シーンのカットぶりにも拍車が掛ってきた今日この頃皆様いかがお過ごしでしょう? 俺はいい加減表を更新しないとヤバイよーな気がしてきました。それは兎も角、次回、次々回はやっとエヴァンジェリンとネギの直接対決です。まぁ、真っ当な戦闘シーンを期待されても困るわけですが。とまれ、では、また来週ー。





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