無題どきゅめんと


「――こんばんは、長瀬さん」

 ヨーロッパの街並みを思わせる建築物が多い麻帆良学園都市にあって、一際目を引く、背の高い時計台の頂上で、横島・多々緒は眼下に見える春先とは思えぬほど寒々とした月明かりに照らし出された街並みから視線を外さぬままに口を開いた。

「――一応、気配は殺していたのでござるがなぁ」

 横島の背後に音もなく現れた、忍装束の少女――長瀬・楓は、苦笑を浮かべながら、つい先日弟子入りした副担任の隣へ立った。そんな楓に、横島はまだまだ甘い、と笑いながら言う。

「ときに、横島先生。今宵は何用でござろうか?」

 拙者、同室の者たちの朝食も用意せねばならんので朝が早いのでござるが、と言ってくる楓に、横島はつい、と目だけ動かして視線を寄越すと、

「ん――逢引?」

「横島先生、拙者そのケはないのでござるが」

「よーし引かない引かないドン引きしない」うむ、外したか――と思いつつ横島は言う。「私も中学生は守備範囲じゃないから安心しときなって」

「あと一年経ったあとのことは考えないほうがいいのでござろうなぁ」

 それよりも、と本題を促す楓に、横島はうむと頷き、

「良い物を見せてあげようと思ってね」

 と告げた。

「良い物――で、ござるか?」

 ちょこんと首を傾げてみせる楓に、横島は、そう、良い物さ、と嘯く。速い風に流され千切れた薄い雲が、一瞬、二人に影を射す。僅かばかり寒々しさが薄れ、代わりに闇の深くなった夜空を見上げて、横島は呟くように言った。

「こないだの件で、長瀬さんは魔法使いの存在を知ったわけだが――まだ、その凡てを知ったというわけではない」

 そうだね? と確認をとってくる横島に、楓は、然り、と頷いた。実際、楓が目にしたのは、朝焼けの中で杖を呼び出し、それに跨って空へと飛び立ったネギの姿だけだ。まぁ、それでも常識の範囲で考えれば充分すぎるほどに大した目撃例なのだが。

「それで、この話と、横島先生の言う『良い物』というのはどういう関係があるのでござろうか?」

 生憎、拙者は頭がいいとは言い難いほうなので、判りやすく頼むでござる、と楓。そんな楓に、横島は苦笑を浮かべ――

「ときに長瀬さん。じきに中間考査なんだけど――自信のほどは?」

 よもや師匠の受け持ち教科で赤点はとらないよねぇ、と意地の悪い声で言われ、

「そ、それよりも話の続きを頼むでござるよ!?」

 楓は若干てんぱった声でさきほどの続きを促す。横島の授業は、バカレンジャーの一人に数えられる楓からしても要点をよく纏めた判りやすいものであるのだが――それでも、落第点をとり続けてきた成績が急に上向くわけもなく。

「――明日から居残り補習な」

 横島は眉をひそめながら言う。あうー、と肩を落とす楓。

「まぁ、長瀬さんも忍者なんて稼業をやっていれば、いつかは魔法使いなんて手合いを相手にするときもあると思う――いや、副担任としては、そんなヤクザな商売には進まずに真っ当な社会人になって欲しいと切に願ったりしちゃうんだけど、まぁ、そういうこともあると思うわけだ」

「まぁ、そういうこともあるでござろうな」

「で、だ。古人曰く、敵を知り己を知れば――って格言だかなんだかの示すとおり、実戦において、相手がどんな存在か、どんな攻撃法方を持っているのか、ということを知っているのとそうでないのは、生き残る上で非常に重要なファクターなわけだ」

「まさしくそのとおりでござる」

 雲が流され、二人は再び月明かりに照らし出される。色彩の薄い、寒々とした光景の中、横島は言葉を紡ぐ。

「それを見学するために、今夜は、長瀬さんを魔法使いたちの舞踏会の鑑賞にお誘いしたって寸法だ」

 いろいろ勉強になるぞ、と横島は不敵に笑う。横島の放った言葉に、楓は眉をひそめた。

「一つ尋ねるでござる」

「なんなりと」

「その舞踏会の主役というのは、もしやネギ坊主ではござらんか」

「御明察」横島はニヤリと笑って言う。「今宵、因縁に満ちた舞台の上に立つのは未来の大魔法使い、ネギ・スプリングフィールド。そして、彼に対峙するのは旧き大魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」

「エヴァンジェリン殿が?」芝居がかった口調の横島から告げられた名前に、楓は驚きの声をあげる。「いや、確かに、中学生とは思えぬ雰囲気を醸し出している御仁ではござったが」

「うん、私も自分のとなりにいる忍者っ娘が女子中学生だとは思えない。いろんな意味で」

「どーいう意味で女子中学生に思えないのかは聞かずにおくとして」楓は混ぜっ返す横島の言葉をスルーして、彼女に尋ねる。「エヴァンジェリン殿は――強いのでござるか?」

 その問いに、横島は浮かべていた笑みを深くする。

「ああ、強い。洒落にならんほど、強い。とくに、今夜のエヴァちゃんは、全盛期とまではいかなくても、世界で十指に数えられてしかるべき魔法使いだ」

 夜空に浮かぶ、煌々と、それでいて寒々と輝く月を見上げながら言う横島の言葉に、楓は思わずその場を動こうとして――

「手出し無用」

 並々ならぬ気配を放つ横島に制止された。

「長瀬さんは、どうやらネギに肩入れしたいようだけど――」自分の気迫に押されて足を止めている楓に、横島はゆっくりとした口調で告げる。「手出しは、無用。たとえ、ネギが不利であろうと、今夜の因縁の決着に、余人が立ち入ることは許されない。今夜の舞台は、あの二人だけのものだ」

「――しかし」

 エヴァンジェリンの力量を、自分がついぞ出会ったことのないほどの技量を誇る横島が激賞してみせたことで、ネギの身を案じる気持ちが強くなった楓はなおも言い募ろうとするが、横島は、それに構わず、ほら、と眼下に見える景色の一隅を指差した。

「どうやら、舞台の幕が開けたようだ」

★☆★☆★

「フェア、アンフェアという観点からいうなら」横島・多々緒は四月の晴れた空を見上げながら言った。「俺がエヴァちゃんの家で厄介になってる、という事実を秘している時点でアンフェアなわけだ。なにしろ、戦力という観点で見れば圧倒的に劣るネギからすれば、エヴァちゃんの情報は喉から手が出るほど欲しいシロモノであるはずだし」

 自分は局外中立だ、と言外に告げながら、横島は言葉を続ける。視線は、相変わらず空に向けられていた。高い空を伊達眼鏡ごしに眺めていると、普段は気にならない目に入った極々微小なゴミの存在がやけにはっきりと目に止まり、ともすれば空の青さよりもそちらのほうに気がいってしまう。

「そこで、フェアな立場たらんと欲すると、俺が神楽坂さんのことを黙っていないといけないのは自明の理なわけで」

「言いたいことはそれだけか、横島?」

「いたい。いたいいたい。頼むからケツ抓らんといてエヴァちゃん」

 エヴァンジェリンが自身にかけられた呪いの在り方を完全に理解し、それについて今宵実行に移す計画の対策を立てていた際、話の流れから、従者である茶々丸は、自身が目下の目標であるネギ・スプリングフィールドに従者が出来たことを黙っていたことを白状した。

 その場に居合わせた横島は、思わず、

(拙い)

 と顔を顰めた。流石に、ヨコシマン・レディーのことは口にしなかった茶々丸だが、横島に救出されたことは話してしまっていた。途端に、エヴァンジェリンの鋭い視線が横島に飛ぶ。無言の尋問に耐え切れなくなった横島は、可能な限り真剣な口調で、その説明を行い――エヴァンジェリンに尻を抓られていた。そりゃもう力いっぱい。

 自分に尻を抓られ、目尻に涙を浮かべながら、堪忍やーエヴァちゃんー、と情けない声を漏らす横島の姿に、エヴァンジェリンは小さく溜息をつく。横島に中立宣言をされたことに、自分で思っているよりも落胆を覚えていることに気付いて、エヴァンジェリンは内心で思う。敵に廻らないだけでも御の字だと思うべきなのだろう。思うべきなのだ。この厄介な女が、敵に廻れば、自分の目論見などはあっけなく水泡に帰してしまうのだから。だから、横島・多々緒が敵に廻らなかったことは、在り難いはずなのだ。だが――

(嘘でもいいから、味方だと言ってほしかった――な)

 横島の姿を見ないように、エヴァンジェリンは小さく俯いて、そう思った。自分に春の陽の暖かさを思い出させてくれた相手が、自分を泣きながら抱きしめてくれた相手が、自分にとって味方で在って欲しかった。そう考えて――エヴァンジェリンは、自分が滅法弱くなってしまっていることに気付き、驚いた。

 幾戦幾万の夜を、ただ己の力のみを恃みとして、無数の屍を踏み越えながら送ってきた自分が、他者の存在を頼ってしまっている――その事実は、エヴァンジェリンにとって、まさに驚愕そのものの事実だった。

 何時からだろう。

 エヴァンジェリンは自問する。

 何時から、自分はこんなに弱くなってしまったのだろう。自分一人で生きていけないと思い始めたのは一体何時だったのだろう。自問する。エヴァンジェリンは自問する。

「マスター?」

 黙りこんだエヴァンジェリンを不審に思った機械仕掛けの従者が、あまり抑揚のない、だが、それでもこちらを案じていると察することが出来る声色で尋ねる声に、エヴァンジェリンは我に返って思索の海から立ち戻る。

「――なんでもない。心配するな」

 首を振って、エヴァンジェリンは言った。そんなエヴァンジェリンの態度に、自分が報告を怠っていたことに怒りを覚えているのか、と感じたらしい。茶々丸は頭を下げて言う。

「マスター、いかなる処罰も――」

「いらん」――受け入れます、と続けようとした茶々丸の言葉を遮るようにして、エヴァンジェリンは首を振った。「今夜、お前がいないと私も困るからな」

 事実だった。自身にかけられた呪いとは別に、その魔力の大半を封じ込めている結界に干渉するのに、茶々丸のサポートは必須のものであった。とはいえ、そればかりでもないのも、また事実であるのだが。

「時にエヴァちゃん。今にも俺のケツがもげそーなんだが、ぼちぼち許してもらってもいいんじゃないだろーかと言ってみてもいいだろーか?」

 涙目の横島に言われて、エヴァンジェリンは自分が横島の臀部を抓ったままだったことに気付く。情けない顔を見せている横島のことをしばし見て、エヴァンジェリンはつまらなそうな顔をし、最後に一際強く抓って横島の尻から手を離した。最後に尻を抓りあげた瞬間、横島が車に轢かれた蟾のような声をあげて、エヴァンジェリンはすこしだけ溜飲を下げた。

「うう、本気でケツがもげるかと思った」

 横島は、相変わらず情けない表情のままで、さきほどまでエヴァンジェリンの白魚のような指に苛まれていた臀部を擦りながら、つまらなさそうな表情を浮かべている小さな吸血鬼の表情を盗み見て、小さく苦笑した。

「しかし、まぁ」苦笑をおさめながら、横島はつとめて何気なさそうなそぶりで口を開いた。「いよいよ今夜だな」

 日没、そして日が没したあとに昇り来る今宵の月は、一片足りとも欠けることのない真円を描く満月――ではない。エヴァンジェリンに、全盛期ほどとは言わないが、十全な魔力を与える満月までは、僅かに月齢が幼い。だが、今宵はそれを補ってあまりある事態が発生する。学園都市のシステム、そのメンテナンスに伴う大停電。お膳立ては充分――横島は、そう思った。踊っているのか、踊らされているかの判別は別として、今宵の宴の主賓たちは、双方ともに戦意に不足はない。十五年という歳月を、ひたすらに耐え忍び続けてきたエヴァンジェリンは言うに及ばず、ネギも自分が進むべき道への覚悟を固めている。

「ああ、今夜だ」

 エヴァンジェリンが感慨深そうに頷くのを見て、横島は顎先を軽く掻いた。果たして、今宵の宴が終わったあとで笑うのはどちらだろうか。自分としては――

「十五年」内心で思いを馳せる横島に背を見せて、エヴァンジェリンは午後の陽光を眩しそうに、そして忌々しそうに見つめながら言った。「ほんの十五年だ。幾千幾万の夜を越えてきた私にとって、瞬く間の時間。だが――長かった。本当に長かった。待ち続けるという時間の長さ。だが、それも今夜までだ」

 エヴァンジェリンは、内心に去来する何かを振り払うように不敵な笑みを浮かべる。それは、夜を統べることを許された真祖の吸血鬼のみが浮かべることのできる、不敵な笑みだった。

「行くぞ、茶々丸」

 夜の女王が。不死者の王が、その威厳を見せ付けるようにして、従者に告げる。宙に泳ぎ出すようにして、空へと踊り出し――

「へぶぅっ!?」

 重力にとっ捕まって屋上に突っ伏した。車に轢かれた蛙みたいに屋上に突っ伏すエヴァンジェリンに、

「マスター……」

「……エヴァちゃん」

 注がれる無機と生暖かい二つの視線。しばし、突っ伏したままだったエヴァンジェリンは、わなわなと身体を震わせると、うがーっ!!

 と身体を起こした。

「エヴァちゃん、鼻血鼻血」

「マスター、これを」

 差し出された茶々丸のハンカチをひったくるようにして受け取ったエヴァンジェリンは、恥辱に満ちた表情のままに鼻血を拭いながら獅子吼する。ああ、怒っとるなぁ。それを微笑ましいものを見る視線で眺めていた横島は思った。エヴァちゃんも大変やけど、その怒りの矛先を向けられるネギも難儀やなぁ、と。

「おのれっ! おのれおのれおのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!! 待っていろよ! ネギ・スプリングフィールド! 今宵、キサマの血液という血液を一滴残らず飲み干して、私は必ずかつての力を取り戻してみせる!!」

 獅子吼した気分のままに、茶々丸を伴って屋上をあとにするエヴァンジェリンを見送って、横島は一人残った屋上で空を見上げた。独り見上げた春の空は、腹が立つぐらいに爽やかだった。溜息をひとつ漏らすと、やがて来る夜に――魔法使いたちが織り成す狂宴の夜に思いを馳せて、思う。

 ――――がんばれ、と。

★☆★☆★

 数えで十歳にして中学教師という労働基準法とかいろいろブッチした存在であり、その実体は魔法使いであるネギ・スプリングフィールドの心は、久方ぶりに浮き立つような軽やかな気持ちで満ち満ちていた。気を抜けば、思わずお気楽な鼻歌の一つでも放吟してしまいそうになる。

 彼の幼い心を浮き立たせている理由は、昨今もっぱら頭痛と心労のタネであった問題児、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが久方ぶりにまともに授業に顔を出したことだった。先日の抜き打ち家庭訪問兼お見舞いが功を奏したらしい。

 苦労した甲斐があったなぁ、とネギは顔を綻ばせる。ちなみに、ネギのいうところの苦労とは見舞いの際にエヴァンジェリンの夢を盗み見たことが当の本人にバレて追いまわされたことを意味するがそこのところは割愛する。イロイロ大変だったらしい。

 その、イロイロを思い出して僅かに顔を引き攣らせたネギだったが、

(だけど)

 ようやく、エヴァンジェリンさんも更正してくれた――と胸を撫で下ろす。ゆえに、今宵、頼り無さげな月明かりのもと、手にした懐中電灯を頼りに夜の見回りに精を出すネギの心は、ともすれば不安を抱かせようとする夜の気配とは裏腹に、明るいものだった。

「でも、エヴァンジェリンさんかぁ」

 覗き見た夢で見た彼女は、まさに大と頭に冠するに恥じない力を持った魔法使いだった。初めて遭遇した、あの桜並木での姿も、魔力こそ封じられてはいたものの、吸血鬼というカテゴリーに身を置く存在として十分すぎるほどの威容に満ちていた。

 ――自分の父親には随分な手段でやられていたが。

「――――」

 夢の中で講じた自分の父親の手段を思い出して、ネギは頭痛を堪えるかのように額を抑えた。いくらなんでも、アレはどうかと思いマス、父さん。

 それは兎も角。夢で見た光景を記憶の片隅に無理矢理追いやって、ネギはふたたび思考の海に没頭する。大魔法使い。自分が目指すその場所に、はるか昔に到達している先達。

「ねぇ、カモくん」ネギは、自分の肩で何かを警戒するように黙り込んでいるカモに語りかけた。「エヴァンジェリンさんも更正したみたいだし、今度、いろいろ教えてもらおうかと思うんだ」

 そう。先に達したものに教えを請う。それは、自分を高みに到らせんと欲するものがまず頭に思い描く手段。ネギのあずかり知らぬことではあるが、彼の教え子である長瀬・楓も同様の手段をとっている。であるならば、ネギの考えもそうそう間違ったものではない。

「カモくん?」

 自分のかけた言葉に、沈黙をもって答えたオコジョ妖精に、ネギは首をかしげながら再度声をかえた。

「――っと、なんですかい? ネギの兄貴」

 黙っていた、というわけではなく、声が届かぬほどに考え込んでいたらしいカモは、ネギの言葉に慌てて答えた。そんなカモに、ネギは先ほどまで考えていた自分のアイデアを開陳した。が、カモはそれを聞いて渋い表情を浮かべ、

「兄貴。甘いっすよ」

 短く言った。

「え、甘いって? 何が?」

 きょとんとした表情を浮かべるネギに、カモはレンズの奥の瞳を覗き込むようにして言う。

「エヴァンジェリンが、そう簡単に更正するようなタマじゃない――そう言ってるんすよ、俺っちは」その言葉に、で、でも! と反駁しようとするネギを諌めながら、カモは、周囲に満ち満ちた夜の気配を探るような表情で、それに、と言葉を続ける。「兄貴。ネギの兄貴。兄貴は感じねぇか? 停電が始まった瞬間に、ここいらに溢れ出した異様な魔力を? 俺っちはさっきからビンビンに感じまくってるぜ。こいつぁ、タダモンじゃねぇ。そこいらの魔法使いなんざ、及びもつかねぇ大物だ」

 あるいは、この気配の主は――そう続けるカモに、ネギはごくりと息を呑む。言われてみれば、周囲には並々ならぬ魔力が満ちている。普段から、比較的魔力の豊富な場所である麻帆良学園だが、今夜のそれは異様だった。ネギは思わず唇を噛んだ。くそ、エヴァンジェリンさんが授業を受けてくれたことに浮かれて、こんなことに気付けないなんて!

 そんなネギの手の中にある懐中電灯。それが照らし出す先に浮かぶおぼろげな人影。それに気付いたネギが懐中電灯を少し上向かせ――

「ま、まき絵さん!?」

 人工の光に照らし出された人物が、自分の教え子だと気付き、ネギは声をあげた。次の瞬間、

「――――裸ぁ!?」目の前の少女が一糸纏わぬ裸体であることに気付き、ネギは珍妙な声をあげた。ちなみに、肩の上のカモはTPOも弁えずに鼻息を荒くしている。「だ、だだだ駄目ですよ裸で外出したりしちゃ!?」

 年頃の娘さんが夜の学園をヌーディストビーチばりに全裸で闊歩というステキ――じゃない、アレな状況に、ネギはわたわたと慌てた声をあげる。そして、その特殊な状況ゆえに、目の前の全裸少女――佐々木・まき絵の瞳が、どこか焦点の合わぬ、まるで人形めいたものであることに気付くのが遅れた。

「――ネギ・スプリングフィールド」

 まるで台本を棒読みするような抑揚のない口調で声を発する、まき絵。そして、そんなまき絵の雰囲気がおかしいことに気付いたネギたちに構うことなく、彼女は言葉を紡ぐ。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさまがきさまにたたかいをもうしこむ――」常ならざる声と表情で、まき絵は、身構えその顔に驚きの表情を浮かべるネギに告げた。「10ぷんごだいよくじょうまでこい」

「な――」まき絵の口にした口上に、ネギは驚きに目を丸くしながら疑問を発した。「なんで、なんでまき絵さんがエヴァンジェリンさんのことを!?」

「判ったぜ、兄貴!」

 ネギの問いに答えたのは、まき絵ではなく、ネギの使い魔たるオコジョ妖精だった。今まで鼻の下をだらしなく伸ばしていた情けない表情をかなぐり捨てて、カモは叫ぶように言った。

「あのお嬢ちゃん、エヴァンジェリンに噛まれたことあるだろ! 真祖の吸血鬼に噛まれたら、それだけで操り人形になっちまうに決まってるぜ!!」

「そ、んな」

 絶句するネギを他所に、その操り人形たるまき絵は、まるで普段の彼女を思わせる明るい声でネギに、待ってるよ、と告げ、常人とは思えぬ身体能力を発揮してその場から跳び去った。残されたのは、絶句したままのネギと、その肩に乗り、今後の対策を捻るカモ。

(更正してくれたと思ってたのに)

 まき絵の跳び去った方向――今宵の舞台に指定された大浴場の方を見ながら、ネギはわなわなと身体を震わせながら、思う。

 更正して、反省して学校に来てくれたと思ってたのに、と。

 自分のクラスメートを、ボクの教え子を操るなんて、と。

 だが、そこまで考えて、ネギはハっとした。これはすべて自分の油断が招いたことなのだと気付いた。気付いてしまった。気を失っているまき絵を見たときに、こうした状況を想定していれば。エヴァンジェリンが授業を受けたことに気を緩めなければ。

 そうだ。

 ネギは歯噛みした。

 今、自分の教え子が危険な目に晒されているのは、全部自分のせいなんだ――――

「…………っっ!!」

★☆★☆★

「アレは――まき絵殿でござるか? ……って、なんでござる!? あの身のこなしは!?」

「ああ、アレか」

 いったいどれほどの視力を誇っているのか。楓は、ネギに用件を告げたまき絵が尋常ならざる身体能力を発揮するのを時計台の上から見て、驚愕の声をあげる。そんな楓に、横島はなんでもない、といった風情で口を開き――

「ときに長瀬さん。キミは吸血鬼の存在を信じるかい?」

 と言った。言われた楓は、というと、自分が目にしたものに対する驚愕からなんとか常態に復していたが、横島の言葉に、きょとんとした表情を浮かべる。

「吸血鬼、でござるか?」自分がどんな表情を浮かべているのか気付いていない様子で楓は言った。「ついこの間までなら、一笑に付していたやもしれんでござるが――今は、いてもおかしくないと思うでござるよ」

 なんせ魔法使いが実在するぐらいでござるからな、と楓。そんな楓に、それを言ったら忍者もどっこいどっこいなんじゃないのか、と内心で思いつつもけして口にはせず、横島は、うん、と頷いてみせる。

「で、まぁ。アレだ。ブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラは読んだことがあるかな?」

「いや、生憎と拙者、読書は嗜まんたちで」

 そう答えた楓に、横島はその粗筋を掻い摘んで話す。

「――で、吸血鬼に血を吸われると、その下僕になっちまうってくだりがあるんだな、これが」

「そうなんでござる、か――つまり」横島の言葉の言わんとするところに気付いた楓は、今日何度目かの驚きに満ちた表情を浮かべる。「まき絵殿は、吸血鬼によって下僕にされていると? そして、それを為したのは、ネギ坊主に相対するエヴァンジェリン殿だと?」

「エグザクトリィ」

「いやいやいやいや!?」気取ったふうに答える横島に、楓は血相を変えて問い詰める。「なんでそんな落ち着き払っているのでござるか!?」

「いや、だって知ってたし」

 こーなるって予測もしてたしな、と、実にあっけらかんと答えた横島に、楓は思わず言葉を失う。

「佐々木さんが保健室に担ぎこまれた時点で、こうなることを予測出来なかったネギの失点。いや、まぁ、あの時点で気づけってのもかなり無茶なんだけど、そこはそれ。まぁ、そう血相を変えんでもいいぞ? なんだかんだ言ってエヴァちゃんは優しいからな。特に女子供に対しては。事が済みゃあ、元通りに戻してくれるさ」

 だから、安心するよーに、と横島。

「――随分と」そんな横島に、楓は疑念に満ちた視線を寄越しながら言う。「エヴァンジェリン殿のことに詳しいようでござるな? 横島先生は」

「そりゃ、一緒に暮らしてるし」

「なっ!?」

 横島の爆弾発言に再び絶句する楓。しばし間を置いて、

「って、つまり横島先生はエヴァンジェリン殿と通じているということでござるかそれはネギ坊主に不利というかなんというかかなりずっこいんではないでござるか!?」

「うぉ!? 目、目が廻る!! た、タイムタイム!!」

 楓に胸倉つかまれて思いっきりシェイクされながら問い詰められた横島は、脳をミキサーにかけられたかの如く目を回しながらも楓を宥め、一応は師と仰ぐことに決めた人物に対する自分の行いに気付いた楓が、我に返り、辛うじて横島は解放された。

「し、死ぬかと思った」

「いや、その……申し訳ないでござる」

 膝をついてくわんくわんと廻る頭を抱えながら言う横島に、楓はばつの悪そうな表情で詫びをつげた。そんな楓の様子に、ようやく元に戻った横島は、苦笑を浮かべながらさきほどの言葉の捕捉をくちにする。

「まぁ、いいさ。で、言っとくけど俺はエヴァちゃんに味方してるってわけじゃないぞ? かといって敵対してるわけでもないが。いや、まぁ、心情的にはエヴァちゃんに味方したいところだけど――それはなんぼなんでもネギに酷だろうからな」

「つまりは、中立ということでござるか」

「そうなるな。まぁ、どっちかの身が命の危険に晒されるようなことになれば躊躇なく割って入るつもりだけど」

 だから、とりあえずは安心してもいい、と告げる横島に、楓は溜息をついた。思う。ネギ坊主も難儀な御仁に監視されているでござるなぁ、と。おそらく、口ぶりからして、目の前にいる正体の胡乱な女教師は、フェアという言葉をまさしく実践しているに違いない。下手をすると、戦力バランスが極端に傾きそうになった場合、それを影から調整するぐらいはしていてもおかしくない。楓はそこまで考えて、もう一度溜息をついた。

「本当に難儀な話でござるなぁ」

「まったくもって面倒な限りだ」余人の目には米粒以下にしか見えない、眼下のネギから視線を外さずに横島はいまにも肩のひとつでも竦めそうな口調で楓に同意した。「っと、動きがあったようだが――ネギのやつ」

 どこか苦いものを含んだ口調でネギの名前を口にした横島の様子に、楓は彼女の視線の先にいるであろうネギに視線を送った。そこでは、ネギがなにやらいまいち用途の判らない――おそらくは魔法に関係するであろう様々な道具を身につけて、

「お? 行くでござるか」

「独りで、な」

 ネギの行動を見た楓の言葉に、横島は苦々しく同意してみせる。

「まったく。ネギのやつ、なにも学習してないのか? なんのためのパートナーなんだ」

「パートナー? なんでござるか、それは?」

 横島の苦い表情の理由を知らぬ楓は、横島が口にした単語についてのみ尋ねた。

「魔法使いが魔法を使うときには、呪文の詠唱を必要とする」苦い表情のままで、横島は楓に説明する。「まぁ、前もって唱えておくとかイロイロ方法はあるが、基本はそれだ。でもって、それは戦闘の最中においても変わりはない。つまるところ、魔法使いは呪文を詠唱できなきゃ何もできんわけだ」

「で、パートナーとやらがそれにどう関係してくるのでござるか?」

「うん。で、戦闘中に呪文の詠唱となると、どうしても詠唱中は無防備になる。そこで、魔法使いが呪文を詠唱しているあいだ、その身を守るのが」

「なるほど。それがパートナーでござるか」楓は納得したように頷き、ついで首を傾げた。「――さきほどの横島先生の口ぶりからするとネギ坊主はパートナーがいるはずのようでござるが」

 独りで行ったでござるよ、と言う楓に、横島は頷いた。

「行ったな。まったく、まだ堅気の人間を巻き込む云々なんて考えてるつもりなのか、ネギのやつ。神楽坂さんは全部納得した上で仮契約を結んだってのに」

「神楽坂!?」横島の口にした名前に、楓は普段は明けているのかどうかすら疑わしいほどに細められている両の眼を驚きに見開いた。

「明日菜殿がネギ坊主のパートナーなんでござるか!?」

「うん。荒削りだけど、なかなか良い動きするぞ、彼女。事実、茶々丸さんとも五分にやりあってたしな」

 いつぞやの戦いを思い返しながら、横島は答えた。思い返した瞬間、記憶の奥底に沈めておきたいたぐいのことも思い出し、横島は思いっきり顔を顰める。が、すぐにその表情を打ち消し、再び苦い顔になる。

「堅気の人間をこちら側に関らせないって考え方は褒められたもんだが――今はそういう場合じゃないだろう。ええい、何を考えてるんだ、アイツ」

 髪が乱れるのも構わずに頭を掻き毟る横島の様子に、楓は自分がネギの中に見た、眩しいまでに真っ直ぐな心のあり方を思い出す。正直なところ、あの子供先生には、出来るならばいつまでもあの心の在り様を抱いていて欲しいと思う。が、そう思うのと同時に、楓は、戦場においてどんな人間が真っ先に命を落としていくのか知っていた。戦場では、手を汚すことに躊躇いを覚える人間から死んでいく。だからこそ、楓には横島が苦い顔を浮かべている理由がよく判った。

 とはいえ、現状、横島から手出し無用と言われているこの場で楓に出来ることはない。苦い顔を浮かべている横島が動かないとあっては、なおさらだ。肩入れしている担任の不利を知りつつなにも出来ないもどかしさを誤魔化すかのように、楓は視界に映るネギを指差して言った。

「大浴場に入ったでござるよ――移動するでござるか?」

 千里眼の持ち主でもあるまいし、屋内の様子を覗き見ることなど不可能である。楓はそれをふまえ、観戦場所を移るか? と横島に尋ねる。だが、

「…………いや」

 横島はしばし考えたのちに、首を横に振った。ではどうするでござる? と問うてくる楓には答えず、横島は両手を握りこみ――

「!?」

 自分の問いに答えない横島が、なにやら両手を握ったかと思ったら、次の瞬間、その指の間から眩いばかりの光が溢れ出した。光りが漏れたのはほんの一瞬だったが、楓はいきなりのその現象に目を丸くする。と、

「な、なんでござ――これは!?」

 無言のままの横島から、頭に手を置かれ、不意をつかれた楓が尋ねようとした瞬間、脳裏に、大浴場の様子がありありと浮かんでくる。目を閉じれば、まるで自分がそこにいるのではないかと錯覚を覚えてしまうほどの鮮明な画像に、楓は驚きを隠せないでいた。

「――横島先生も魔法使いなのでござるか?」

「さて、ね」

 尋ねてきた楓に、横島はそう嘯いた。横島は、両手に、それぞれ『遠/視』『伝/達』と刻んだ文珠を発現させ、発動させて自分と楓に大浴場の内部を覗き見させていた。が、そのことを楓に教えるつもりはない。霊力の細かい説明も含めて、自分の本来の能力を誰にも教えていない横島は、楓もその例外とはしなかった。霊力は別として、文珠はその万能ぶり――といっても、出来ないこともあるが――から、人に知れればよからぬことを企む輩が現れないとも限らないからだ。楓のことを信用しない、というわけではないが、万が一その口から文珠のことが余人に知れれば面倒なことになるのは間違いない。平和と平穏をこよなく愛好する横島にとって、それは可能な限り回避したい事態だった。楓が自分のことを魔法使いだと思ってくれるなら、それはそれで問題ない、と思っている。

「ま、このことは人には内緒な。さて――」念のために、楓に釘を指して横島は大浴場の中をネギとエヴァンジェリンの姿を求めて視点を移動させ、「っっ!?」

 すげぇイキオイで鼻血を噴き出した。

「ど、どうしたでござる横島先生!?」

 どてらいイキオイで鼻血を噴き出しながら、そのイキオイに負けたかのように仰け反るようにして倒れた横島に、楓が慌てて声をかける。もしかしなくても致死量なんじゃないか、と思えるほどの鼻血で血溜まりを作った横島はしばしその中で身体を痙攣させ――

ず、ずるいやないか―――――――――――――――――――っっ!?

「うぉう!?」

 すごいイキオイで起き上がると辺りを憚ることなく吼えた。そのイキオイに思わず後ずさる楓。そんな楓の様子など気にすることなく、横島は吼える。

「ずるい! ずるいぞエヴァちゃん! なんで俺にはそんなステッキーなナイスバディーを披露してくれずに女体の価値もよーわからんよーなお子様のネギに惜しげもなく披露してんねんっ!! しかもそんな挑発的なポーズで! アンフェアだ!!」

 ナイスバディーのチチシリフトモモ――ッッ!! と夜空に吼える横島を見て、楓は思った。

 もしかしなくても、拙者、教えを請うべき相手を間違ったのではござらんか、と。


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第九話『月夜の決闘! 前編』了

今回のNG

「――今回もワシってば出番ないんじゃな」

「学園長はまだいいじゃないですか。僕なんて名前しか出てないですよつーか作者出す気ゼロですよ」

「頑張れ、瀬流彦くん(※憐れみに満ちた視線で)」



後書きという名の言い訳。

つーわけでエヴァンジェリン編も佳境に入ったわけで御座いますが。こんばんは、定刻通りに更新で御座います(※挨拶)。相変わらず真っ当な原作描写をするつもりがないことが明白すぎる文章で御座いますが、まぁ、コレはこーいうモンだと思って、ひとつ。第十話でお会いしませう。では、また来週ー。





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