無題どきゅめんと


「ふン」大浴場の窓から落下するように外へ飛び出したネギの様子を見て取って、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。「どうした、その程度か?」

 まさか、これで終わりということはあるまい。エヴァンジェリンは、自分の前にただ独り現れたネギの姿を視界に認めた瞬間に覚えた複雑な感情を思い出す。従者もつれずに現れたことは好都合。ただでさえ高い自分の勝率の桁が幾らか跳ね上がったことを意味するからだ。

 だが。

 だがしかし。本来なら自分の望みを叶える公算が高くなったことは実に喜ばしいことであるのにも関らず、エヴァンジェリンの胸中に渦巻いたのは烈火にも似た怒りだった。

 舐めおって。

 真祖の吸血鬼――満月のそれではないにせよ、夜を統べるイキモノである真祖の吸血鬼の前に、馬鹿正直に独りで現れたネギに対する怒り。いくら素養はあるとはいえ、ただの子供独りでどうにかなると、どうにかしてみせると思われたことによって自尊心を傷付けられたことによる怒り。

 舐めおって。

 激昂しそうになる自分を諌めるのに、どれほどの精神力を費やしたか知れたものではない。怒りは容易く隙へと転化する。たとえどれほど自分に有利なフィールドにあったとしても、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、自ら敗北を招きかねない隙を作り出すほど愚かではなかった。

 さぁ、坊や。

 窓から落下し、自分の放った魔法の矢に追尾されるネギを見ながら、エヴァンジェリンは我知らず唇をゆがめる。

 さぁ、私の前に独りで現れたその覚悟と力のほどを見せてみろ。

 それを私は超えて行く。そして――

「ほぅ!」

 地面に叩きつけられる寸前で杖に跨り、落下から飛行に移ったネギの見せる手に、エヴァンジェリンは素直な感嘆の声を漏らした。飛行に移った直後、ネギは追撃してくる魔法の矢を魔法銃で全弾撃墜してみせた。状況判断の素早さといい、全弾撃破してみせた腕前といい、確かに感嘆に値する行動であった。ネギの年齢を考えればなおさらである。

「全弾撃破確認」茶々丸の淡々とした事実報告が夜の闇に響く。「――ネギ先生は骨董魔法具のコレクターだそうです」

「マジック・アイテムのフル装備か。けして安くはなかろうに」

 いいぞ。そうだ。それでこそだ。足りないのならば、他で補う。策を練る。ふふん、なかなかどうして判っているじゃないか、ネギ『先生』!! エヴァンジェリンは、先ほどから浮かべていた唇の歪みをさらに大きくした。それは、歓びの形を作り出していた。

「追うぞ、茶々丸」

「イエス・マスター」

 自分の前に相対したものが、ただの獲物ではなく、久方ぶりに行う闘争の相手に相応しい覚悟と手段を有していることに歓びを見出したエヴァンジェリンは、浮き立つような、血沸き肉踊るような感覚のままに茶々丸に告げた。ネギが破った窓から夜の闇へと踊り出す。寒々とした月明かりが自分と従者を照らし出す夜の空で、エヴァンジェリンは歳幼い闘争相手に対する追撃戦を開始した。先に、一時的に手駒としているクラスメートたちに手を出させ――

「ははははははは!!」

 それに右往左往しながらも対処するネギの様子を見て、エヴァンジェリンは楽しげな笑い声をあげた。手際よい、とはけして言えないが、それでも、常人など及びもつかぬ今のクラスメートたちを無力化していく様子は、なかなかに見事だった。

「いい、いいぞ。本当によくやるじゃあないか、あのぼーや」

「マスター」楽しげな、どこまでも楽しげなエヴァンジェリンに、茶々丸はその気分を害さぬように、だが、しっかりと釘を刺す。「残り時間に御注意を。停電復旧まであと72分21秒です」

 そう、停電が復旧してしまえば、茶々丸が停電の隙をついて干渉/無効化している学園都市を覆う大規模結界が――エヴァンジェリンの魔力を封じ込めている結界が復活してしまう。そうなれば、エヴァンジェリンは真祖の吸血鬼としての能力、その大半を再び奪われてしまうのだ。

「判っている」

 茶々丸の諌言に、エヴァンジェリンはけして気分を害することなく、代わりに気を締めてかかる。エヴァンジェリンに、この好機を逃すつもりはさらさらない。彼女は、楽しげな、だが、引き締めた表情で茶々丸に頷いた。

「そろそろケリをつける」

 言って、エヴァンジェリンはネギを追って夜の空を加速する。

(しかし)

 加速し、ネギを追撃しながら、エヴァンジェリンは小首を傾げた。思う。しかし、大浴場で感じたあの視線のような感触はなんだったのだろうか。今の自分でなければ気付けないほどに微弱な気配。最初は学園長あたりが魔法を使って覗き見ているのかとも思ったが、どうやら違う。エヴァンジェリンが考えていると――

「――あれは?」

 ふと、時計台が視界に映った。月明かりに照らされて、夜空へ向かって寒々とした巨体を伸ばしているその頂点に、

(横島?)

 自分のよく見知った相手が佇んでいた。瞬間、理解した。直感といってもいい。あそこで、自分たちを覗き見ていたのは、横島・多々緒だと。そう理解した瞬間、エヴァンジェリンの胸中に得も言えぬ感情が発生した。脳裏に浮かんでくるのは、あの夜、自分の抱きしめてくれた横島の泣き笑いの顔。聞こえてくるのは、自分の望みが叶うといいなと言ってくれた震えるような声。

 横島が、見ている。

 エヴァンジェリンの顔に、今日一番の笑顔が浮かぶ。

 たとえ味方でなかろうと。

 エヴァンジェリンは思う。横島が、自分の戦いを見ていてくれているのだ。無様な姿を見せることはできない――――!!

 久方ぶりに楽しめる戦闘への喜悦と、自分を見守るものの存在に対する歓喜がない交ぜになった笑みを浮かべたエヴァンジェリンは、そこに自由を得る歓びを付け加えるために、いまその身を置いている戦闘に没頭する。

 その直前、時計台のうえの横島と視線が交錯する。あちらも、こちらが見ていることに気付いたらしく、小さな笑みを浮かべていた。

 そして、

「ああ」視線を時計台の横島から追撃しているネギに向けて、エヴァンジェリンは呟いた。「もちろんだとも」

★☆★☆★

「どうしたのでござる?」

 不意に笑みを浮かべた横島に、楓は首を傾げて見せた。そんな楓に、横島は苦笑を浮かべながら答える。

「いいや、どうもしないさ」

 答えながら、横島はすでに視線をこちらから外している、遠くに見えるエヴァンジェリンの唇の動きを思い出す。自分の、がんばれ、という唇の動きを読み取っての発言。手出しをしないと決めた、自分に出来る精一杯の行動に、エヴァンジェリンは笑みを持って答えたのだった。思う。いかんなぁ、ネギの勝率下がったかもしれん。エヴァちゃんめっさヤル気になってもうた。

「本当にどうしたのでござるか?」

 笑みを浮かべたかと思ったらいきなり額に皺を寄せる横島に、楓は再び尋ねた。

「いやいや、本当になんでもないってば」楓に手出し無用といっておいて、自分だけエヴァンジェリンを精神的にとはいえ助勢したとあっては、いろいろと立場のない横島は、話を逸らすように口を開く。「それより、ほら。エヴァちゃんが魔法使ってる」

 言われて、楓は視線を舞台で踊り狂う二人の魔法使いに移す。視線の先ではエヴァンジェリンが逃げるネギに向けて次々と魔法を放っている。その光景に、楓は思わず息を呑んだ。

「これが、魔法使いの戦いでござるか」

「大したもんだろう?」

 自分のことのように得意げに言って見せる横島に、楓は同意せざるを得なかった。エヴァンジェリンが呪文の詠唱を終えた途端、次々と猛威を振るう氷点下の魔力の迸り。正直、これほどのものとは思わなかった。なるほど確かに良い勉強になる。

「まったく本当にたいしたもんでござる」頷いて、楓は視線を魔法使いたちから逸らさぬままに横島に問う。「しかし、随分とネギ坊主が劣勢のようでござるな」

「まぁ、イニシアチヴをエヴァちゃんに取られてるっぽいからな」

 闘いにおいて、主導権を握る、握られる、ということは死命を制するに等しい意味を持つ。たとえ相手に力で及ばずとも、相手にその力を思う様に振るわせなければ、そこに勝機を見出すことが出来る。また、逆を言えば、力の勝る相手に主導権を握られるということは致命的な事態でもある。加えて、ネギは相手に背を見せて逃走中である。正面に向けて力を振るうことが出来る――正面に向けて力を振るうことだけに専念していればいいエヴァンジェリンに比べて著しく不利なことは言うまでもない。

「だが――気付かないか?」

「ふむ」横島に促され、楓は二人の魔法使いたちが織り成す追撃戦に集中する。そして。「ネギ坊主、ただ逃げているというわけではなさそうでござるな?」

「ご名答」

 出来の良い生徒を褒める教師のような口ぶりで、横島は言った。

「ネギのヤツ、エヴァちゃんの魔法を避けながら、エヴァちゃんを誘ってやがる」

「何処にでござろうか?」

 流石に、そこまでは読めなかったらしい楓が素直に尋ねる。そんな楓に、横島は幾分表情を険しくしながら答えた。

「エヴァちゃんは、学園を覆う結界に魔力の大半を封じられている。まぁ、今はその結界も裏技で効力を失っているわけだが――それとは別に、エヴァちゃんには呪いがかけられている。エヴァちゃんがネギを狙う理由でもあるその呪いは、エヴァちゃんをこの学園都市に括りつける効力を発揮する」

「つまり?」

「ネギのヤツ、エヴァちゃんを呪いが効力を発揮する場所――つまり、学園の外と内を結ぶ場所である大橋に誘い出す腹積もりと見える」

 上手い手だ。横島は正直にそう思った。だが、同時にそれでいいのか、ネギ? と声に出さずに問い掛ける。たしかに、使えるものはすべて使うというその方針には賛同できる。が、学園から出ることの出来ないエヴァちゃんから逃れて時間を、彼女が力を失うまで時間を稼ぐというそのやり方は、果たしてオマエの夢に合致するのか?

 そこまで考えて、横島の唇がへの字にひん曲げた瞬間、

「なんでござるか、あれは?」

 大橋の中央付近で眩い光が発生した。

「あれは――」光の発生源を見て、横島は思わずポカンと口を開き、「そうか、そういう腹だったか!」

 思わず横島は手を叩いた。捕縛結界。それが光を発生させた大元であった。

「いや、横島先生。一人で納得してないで拙者にも説明してほしいのでござるが」

「ああ、悪い悪い」拗ねたように言う楓に苦笑しながら、横島は説明した。「あれは、捕縛結界ってヤツで――効力は、名前のとおりに、対象を捕縛しちまうってシロモンだ」

「なるほど。ネギ坊主はあれを狙っていたでござるな」

 上手い手だ、と二人は頷く。だが、

「しかし、ネギよ。エヴァちゃんには効かんぞ?」

 横島がそう漏らした瞬間、

「おお!?」

 驚愕する楓の視線のはるか先で、エヴァンジェリンが捕縛結界の魔力から自由になっていた。どういうことでござるか? と今にも自分の襟首を掴んでかかりそうな勢いで尋ねてくる楓に、横島は説明してやる。

「十五年前のことだ。エヴァちゃんは、とある魔法使いとの戦いにおいて、相手の策に嵌り、学園に封じられる呪いをうけた。そして、俺の知っているエヴァちゃんは、過去の過ちを繰り返すほどに学習能力に欠いている子じゃあない」

「つまり、捕縛結界に対する策を講じていた、と?」

「だろうな」

 見た感じ、従者である絡操・茶々丸に何か仕込んでいたようだ。おそらくは、協力者である葉加瀬・聡美の手による仕込であろう。そこまで考えて、横島は、戦力バランスを見誤ったかと首を捻る。というよりも、パートナーに協力を仰がないという時点で計算外だったのだが。

「しかし、まぁ」終わりを迎えつつある宴の様子をつまらなさそうに眺めながら、横島は言った。「これでチェックメイト――かな?」

 視線の先では、なにやら愚図っているネギが、エヴァンジェリンに一喝されていた。思う。まぁ、学園長たちの望むそれとは多少ずれているだろうが――これはこれでネギには良い勉強になっただろう。手管を整え、策を練っても、実戦ではその凡てを無に帰すような事態も発生しうる。こういうときに、手を携えて脅威に立ち向かうものが傍らにいれば、それでもなんとか出来るのだろうが、今のネギにそれはない。

「まぁ、良い勉強にはなっただろうさ」

 懐から細巻のパッケージを取り出した横島は、そこから一本抜き取りながら、胸中に浮かべた言葉を口にし、霊力を使って火を付けた。弱い風にたなびきながら、紫煙が月へと向かって昇っていく。次の瞬間、隣に楓がいることを思い出し、慌てて火を付けたばかりの煙草を指先で揉み消す。渋々といった様子で禁煙パイポを咥えた。

「ネギ坊主はどうなるのでござろう?」

 二重の意味でつまらなそうに下界を睥睨している横島に、楓が気もそぞろといった按配で声をかけた。

「ま、死なない程度に血を吸われて――それだけだろうさ。さっきも言ったように、エヴァちゃんはなんだかんだ言って子供には甘いからな」

「そういう意味ではござらんよ、横島先生」物足りなさそうにパイポの吸い口を噛む様にしている横島に、楓は鋭い視線を寄越しながら言う。「ネギ坊主が、今日、この夜のあと、どうなってしまうのか――拙者はそう尋ねているのでござる」

「さて、ね」向けられる鋭い視線を気にした様子もなく、横島は飄々とした口調で答えた。「それもこれも、全部ネギ次第ってとこだろう。今日のことで挫けるのも、今日の事をバネにより高みを目指すのも――全部、ネギの心ひとつ」

 どうせ、手助けするつもりなんだろう? そう薄く笑いを浮かべながら言われて、楓は真面目くさった表情で頷いた。楓は思う。願わくば、ネギ坊主が今宵の敗北を糧に、より高みを望むことを選んで欲しいものでござるよ。

 そして、時計台で観戦を決め込んでいた二人が二人とも、ネギの敗北を確信していた最中に、それはやってきた。

★☆★☆★

 神楽坂・明日菜は怒っていた。

 土壇場で自分を頼らなかったネギに。

 土壇場で頼られなかった自分に。

 顔を見たら怒鳴ってやろうと思っていた。

 せめて一発、ブン殴ってやろうと思っていた。

 だが――

「ごめんなさい、アスナさん」

 目に涙をたたえ、俯きながら詫びの言葉を口にするネギの姿に、自分を巻き込みたくなかったと告げるネギの姿に――

「バカ」苦笑を浮かべながら、明日菜はネギの頭を小突いた。「無理しちゃって」

 そんな胸中に抱いていた怒りはすべて何処かに消し飛んでしまっていた。ネギのこれまでの怯えようを見ていれば、エヴァンジェリンがどれほどの脅威か伺い知れる。そんな恐るべき相手に一人で立ち向かおうと、自分を巻き込むまいと決意したネギを、どうして怒鳴ることなど出来ようか。だから、明日菜は、

「ガキがこんなところで意地張ったって可愛くないのよ。いい? この場合はね――」極上の笑顔を浮かべて、明日菜は言った。「私が来たくて助けに来たんだから迷惑でもなんでもないの! ほら、協力するからチャッチャと問題児をどうにかするわよ!」

「アスナさん――」


「――おのれ」

 一度ならず二度までもクラスメートに蹴り飛ばされた頬を抑えながら、エヴァンジェリンは血の昇りかけた頭を無理矢理クールダウンさせる。まさか、あのタイミングで邪魔が入るとは。加えて、一度ならず二度までも自分の魔法障壁がキャンセルされるとは。満願成就を前にして。そこまで思って、エヴァンジェリンは苦笑を浮かべた。世のなんと侭ならないことか。だが、そうであるからこそ世界は面白い。障害が大きければ大きいほど、事を成したときの喜びもまた大きいのだ。

「茶々丸、連中は?」

「目標失探。もうしわけありません、マスター」

 冷静さを取り戻したエヴァンジェリンの問いに、茶々丸は小さく頭を下げて詫びた。自分たちに奇襲をかけるような形で行われた、あのオコジョ妖精の不意打ちは、茶々丸の複合センサーを眩ます事に成功していた。おそらく、なんらかの魔法の作用もあったのだろう。

「まぁ、いい」頭を下げる茶々丸に、エヴァンジェリンは短く答えた。身体の裡から溢れ出る魔力を増大させる。「出てこないのであれば、燻り出すまでだ」

 不敵な調子でそう呟いたエヴァンジェリンが、広域殲滅用の魔法の詠唱を開始しようとしたその刹那。橋梁の影から、眩い光が溢れ出した。

★☆★☆★

「まさかこのタイミングで来るとはな」

「明日菜殿でござるか?」

 危地を脱したネギの様子を見ていた横島が、呆れたような感心したような口調で呟くのを耳にして、楓は尋ねた。

「ああ。多分、カモのやつが神楽坂さんにネギのことを伝えたんだろうな」先ほどまで、ネギの傍らに存在していなかったオコジョ妖精のことを思い出して、横島は言った。「しかし、まぁ、これで勝負は振り出しに戻ったってわけか」

 いや、制限時間のことを考えればエヴァちゃんのほうが不利かもしんねぇな。再び開始された、未来の大魔法使いと旧き大魔法使いの魔法のパイ投げ合戦を眺めながら、横島は顔に苦いものを浮かべた。ここから見て判る限りでは、エヴァンジェリンはネギとの戦いを愉しみ過ぎているようにも見える。横島は思った。エヴァちゃん、時間を忘れちゃ駄目だぜ?

 そう内心で呟く横島の視界の先で、夜空に響き渡っていた魔力の炸裂する音が、一時的に止んだ。何事か、と様子を眺めていた楓が、横島に問う。

「魔法が止んだようでござるが、どうしたのでござろう?」

 決着がついたのでござろうか、と首をかしげる楓に、横島は首を横に振ってみせる。

「いや、違う。決着がついたんじゃあない。これから決着をつけるんだ。二人とも、長尺の呪文詠唱に入った。これまでとは桁の違う威力の魔法をぶっ放すつもりだ。しかも」読み取れる唇の動きから詠唱している呪文の内容を知った横島は、顔に苦いものを浮かべながら言う。「ネギのやつの魔法に、エヴァちゃん、同種の魔法で対抗するつもりだ」

 横島は確信した。やはり、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは戦いを愉しみ過ぎている、と。

★☆★☆★

 学園に掛る大橋に、稲妻と吹雪の猛威が吹き荒れていた。雷と吹雪という違いこそあるが、ともに同種の魔法を――【雷の暴風】(ヨウイス・テンペスター・フルグリエンス)【闇の吹雪】(ニウイス・テンペスター・オブスクランス)という魔法を繰り出す二人の魔法使いたちは、互いの力量に驚き、あるいは歓喜を覚えていた。

(まさか、ここまでやるとは!)

 氷点下の魔力をネギに向けて放ち続けているエヴァンジェリンは、たとえそれが自分のとっておきではないにせよ、真祖の吸血鬼である自分の魔力に拮抗してみせるネギの魔法に、闘争者としてけして抗うことの出来ない喜びを見出していた。

 この学園に封じられてこの方、エヴァンジェリンは闘いに歓びを見出したことがなかった。思う侭にならぬ体と魔力。くわえて、そんな自分ですら満足させることが出来ない惰弱な侵入者たち。歓びを見出せる要素など、どこにも見受けられなかった。

 だが。

(これだ。これでこそだ!!)

 エヴァンジェリンは歓喜に包まれていた。ほんの年端もいかぬ少年が、自分の放つ魔法に拮抗している。整えた手管を、練った策を破られてなお自分に向かうその気概。その力量。そのような相手を前に、歓びを抱けぬはずがない。

 愉しい。

 なんと愉しい夜なのだろう。

 歓喜に包まれたエヴァンジェリンは、だが、と唇を歪める。

 それもこれも、今、目の前で懸命に自分に抗っている少年をくだし、自由を得てこそ価値を見出すことの出来る歓びだ。闘争に淫しているといっていい状況にあってなお、エヴァンジェリンは目的を見失ってはいなかった。

(それに)

 ずっと感じ続けている彼方からの視線を意識して、エヴァンジェリンは喜びに彩られた顔に、決意の表情を浮かべる。

 横島が、自分の戦いを見ているのだ。

(無様な姿など晒せるものか!)

 声に出さず獅子吼して、エヴァンジェリンは放つ魔力の力を増した。

「さぁ、坊や! これで終わりだ!!」


「く、ぁ」

 辛うじて均衡を保っていた魔力のぶつかり合いは、だが、エヴァンジェリンの大音声を合図に、じりじりと自分が押され始めていた。自分のそれを圧倒しようとするエヴァンジェリンの魔力の迸りに、ネギは苦悶の声を漏らし――

(なんてスゴイ魔力なんだ!!)

 内心で驚愕の声をあげる。

 これがエヴァンジェリンさんの、真祖の吸血鬼の力――!!

 書物や、カモの諌言で、その力は判っているつもりだった。だが、今こそ思い知らされた。判っているつもりに過ぎなかったのだ、と。あの遠い雪の記憶に残る、悪魔たちをあっさりと退けた父親のそれに匹敵するような魔力の迸りに、ネギは、真祖の吸血鬼がどれほどのものか、嫌というほど思い知らされていた。

(だ、ダメだ――)

 更に威力を増したエヴァンジェリンの魔力に圧倒されて、ネギは己の敗北を予感する。だが、その瞬間、脳裏に、父親の姿が浮かんだ。父親に追いつきたいという理想が浮かんだ。そして、自分を助けにきてくれた明日菜の言葉と笑顔が浮かんだ。

 今、ここで挫ければ。

 ネギは、思った。

 今、ここで挫けてしまえば、その凡てが雪のように消えてしまうような気がした。遥か彼方に遠退いてしまうような気がした。嫌だった。なにより、自分のために駆けつけてくれた明日菜の行為を、無にするようなことは、したくなかった。

(まだだ!)

 ネギは、思う。強く。強く、思う。

(もう、逃げない! ボクは――)

 この強いヒトに勝って、前へ進むんだ――――――――っっ!!


「何っ!?」

 圧倒していたはずのネギの魔力が、爆発的に膨れ上がるのを感じ、エヴァンジェリンは半ば勝利を確信していたその顔に、驚愕の表情を浮かべる。そして、瞬間、呆気にとられ、刹那の直後、慌ててネギの魔力を更なる魔力で封殺しようとし――

 エヴァンジェリンを、ネギの魔力の迸りが呑み込んだ。

★☆★☆★

「まさか、な」

 そんな予感はしていたとはいえ。横島は、自分の両の眼で見た光景に、思わず手にしていたパイポを取り落とした。いくら同種の魔法の打ち合いとはいえ、今宵のエヴァンジェリンが競り負けるとは!!

「いやいやいやいや」予想外のものを見た歓びに、横島は純粋な笑みを浮かべて言う。「たいしたヤツだ。ネギ・スプリングフィールド! 本当にたいしたヤツだよ!」

「ネギ坊主の勝ちでござるか?」

 人外のものとしか思えない魔法のぶつかり合いを、なかば呆れるようにして見ていた楓が、一応の決着をみた魔力の迸りを確認して、横島に尋ねる。だが、横島はそれに、どうかな? と肯定する言葉を返さなかった。そんな横島の返答に、楓は、どういうことでござる? と首をかしげて見せた。

「何、確かに、さっきの魔法のぶつけ合いはネギに軍配が上がった。それはそれで大したもんだ。大金星って言っても良い。だが、あくまでさっきのぶつけ合いはネギに軍配が上がったっていうだけだ。今宵の舞台の幕はまだ降りちゃいない。エヴァちゃんには、まだとっておきが残っている」

「ネギ坊主に勝ち目はあるでござろうか?」

 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、横島の言葉に不安を掻き立てられた楓は、心配そうな面持ちで横島に問う。

「さて」多少考え込むそぶりを見せて、横島は答えた。「さっきのあれで、ネギの方が魔力を使い果たしてなきゃいいんだが」

 そうだったら、エヴァちゃんの勝ちだ――そう横島が呟いた瞬間、

「なに!?」

 不意に、眼下の風景に人工の明かりが戻る。次々と灯る明かりを目に、横島は、予定よりも早いじゃないか、と舌打ちし――

「――いかんっ!?」

★☆★☆★

「きゃんっ!?」

 勝負を続けようとしていたエヴァンジェリンが、不意に悲鳴をあげ、その身をたたえていた空中から落下する。そのいきなりの出来事に、息も絶え絶えといった様子のネギは目を白黒させながらも、エヴァンジェリン目掛けて駆け寄る。と、そんなネギを追い越す影が一つ。茶々丸だった。

「茶々丸さん、何が!?」

「電力が復旧したために、マスターへの封印が効力を取り戻したのです!!」

 それを聞いて、ネギの顔から血の気が引く。エヴァンジェリンは、その魔力を封じられてしまうと、只人の子供と大差ない存在になってしまう。くわえて、あの高さから落下すれば、いくら下が水面とはいえただではすまない。

 ネギは、魔力の尽きかけた身体に鞭打って、加速を強めた。


(まさか、こんな幕切れだとは、な)

 いきなりの封印復活と、それに伴う衝撃で薄れ掛けた意識のなかでエヴァンジェリンは自嘲の笑みを浮かべる。本当に、本当に侭ならないものだ。

 予定より早い電力復旧によってもたらされた敗北に、エヴァンジェリンは苦笑。自分が落下することによって発生する風切り音が、妙に遠くに聞こえる。その風切り音に混じって、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、エヴァンジェリンは星の瞬く夜空を見上げる。そこに見つけたものに、エヴァンジェリンは呆れたような表情を浮かべた。

(バカが。魔力をさきほどの打ち合いで使い果たした上に、杖もなしになんのつもりだ?)

 自分に手を差し伸べようと向かってくるネギに、エヴァンジェリンは苦笑を浮かべる。本当にアマチャンだな、あの坊や。だが、しかし。エヴァンジェリンは、浮かべた苦笑をすぐに諦観に切り替えた。あの速度では間に合うまい。ネギの表情からも、彼がそれを判っていると察することが出来た。判っていてなお、ネギはこちらに向かってくる。その身も顧みずに。

 ――ああ。エヴァンジェリンは思った。

 前にも、そんなヤツがいたな。

 不意に、脳裏に十五年前の記憶が甦った。

「ああ、そうか」

 エヴァンジェリンは唐突に理解した。

 自分は、あの時差し伸べられた手を掴んだときから、弱くなってしまったのだ、と。

 理解して、エヴァンジェリンは目を閉じた。自分に手を差し伸べたナギ・スプリングフィールドはもういない。ならば、ここで潰えてしまうのも悪くない――

(――あ)

 そう思った瞬間、エヴァンジェリンは自分を抱きしめてくれた女性の顔を思い出した。彼女の笑顔を、声を、暖かさを思い出した。

(すまん、横島――)

 間近に迫った水面を前に、エヴァンジェリンは目を閉じた。

 ――勝てなかった。許せ。

★☆★☆★

させるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!

「なんでござるっ!?」

 鬼気迫る横島の絶叫と同時に、巻き起こる土煙を残してその姿が消えたことに、楓は驚きの声をあげる。だが、答えるものはいない。時計台の頂点には、忍の少女が一人取り残された。

★☆★☆★

「エヴァンジェリンさん――――――――――――えっ!?」

 自分の教え子が水面に叩きつけられる刹那、その名を叫んだネギは、だが、次の瞬間、驚愕の声をあげた。水面に叩きつけられるはずのエヴァンジェリンの姿が、まるで最初からそこにいなかったかのように掻き消えていた。

「アレは――」

 ネギの傍らを飛んでいた茶々丸は、その瞬間の映像を再生する。見えない。スローで再生する。まだ見えない。更にスロー。まだ見えない。更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、更に、スローで再生して、

「…………」

 真祖の吸血鬼の従者は、自分でも気付かぬうちに無機のその顔に微笑を浮かべると、その場から飛び去った。その前に、事態についていけずその場で凍っているネギに小さく会釈を残して。

★☆★☆★

(――私は、何故生きているんだ?)

 いつまで経ってもやってこない着水と絶命の衝撃に、エヴァンジェリンはきつく閉じていた瞼を開き――

「――よっ!」

 初めて、横島の腕に抱かれていることに気が付いた。驚きに目を見開いているエヴァンジェリンに、横島は笑いかける。

「やれやれ、危ないとこだったぜ。とまれ、間に合ってなによりだ」

 そんな横島の言葉に、何時の間にここまで飛んで来たのか、眼下に見える木々の光景に、自分は助けられたのだと、エヴァンジェリンは状況を理解した。

 理解して、

「おぅ!?」

 自分の胸の中に顔を埋めてきたエヴァンジェリンに、横島は奇妙な声を漏らした。自分に顔をみせまいとしているかのようなエヴァンジェリンに、横島は、恐る恐るといった様子で声をかける。

「エヴァちゃん?」

「すまない」

 震えるような返ってきた声に、横島は怪訝そうな表情を浮かべる。

「エヴァ、ちゃん?」

「すまない、横島」横島の胸に顔を埋めたまま、エヴァンジェリンはか細く震える声で言った。「勝てなかった」

 応援してくれたのに、とエヴァンジェリンは涙を見せずに、泣いていた。そんなエヴァンジェリンの様子を見て、横島は優しげな微笑を浮かべると、空を行く速度を緩め、空中にゆっくりと静止した。ささやかな月明かりに照らされながら、横島はその腕の中に抱いたエヴァンジェリンの頭を優しく撫でる。

「頑張ったよ、エヴァちゃんは」

 電力の復旧が予定通りだったら、エヴァちゃんの勝ちだったさ。そんな横島の慰めに、

「勝てなければ意味などない!!」

 血を吐くような絶叫をエヴァンジェリンは返した。

「勝って、自由になれなければ、なんの意味もない!!」

 泣き顔を見られることすら厭わずに、エヴァンジェリンはそう絶叫する。勝って、自由な空を、自由な空を、オマエと――そう口走るエヴァンジェリンに、横島はその唇に人差し指をそっと押し当てて黙らせると、悪戯好きのような悪童を思わせる表情で言った。

「エヴァちゃんは頑張ったよ」だから、と横島は続ける。「そんなエヴァちゃんに、ご褒美」

 瞬間、何時の間にか握られていた横島の手、その指の隙間から眩いばかりの光りが溢れ――次の瞬間、エヴァンジェリンの小さな身体を淡い光が包み込んだ。


『知ってるようで知らない世界』第十話『月夜の決闘! 後編』了

今回のNG

今回は無し。



後書きという名の言い訳。

というわけでエヴァンジェリン編がよーやっと終わった。まぁ、十一話で後日談をやるわけですが――なんとか魔法の呪文にルビをふらないように努力したあとが読み取れて涙ぐましいわけですがそこんとこはスルーしていただければ有難い。あんなルビばっか振る作業やってらんねぇっつーの。つーか、先月の二四日に第一話を掲載してから、週に一度かならず更新&いまだに在庫が一か月分残ってるという俺とは思えぬハイペースぶりに、本当に俺は俺なんだろーか? と阿呆な疑いを抱いてしまったり。もしかすると、今、この後書きを書いてる俺はピンク色の甲殻類が作り出した円筒状の金属容器の中で脳髄だけになりながら幻覚を見ているんじゃなかろーかなどと思ってみたり。

…………

…………

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………… そ れ は そ れ で っ !!(※激しくダメ)

とまれ、冗談はさておき。一区切りついたとこでそろそろ表も更新しなきゃなぁ――と思いつつ第十六話をぽちぽち書いてる不思議に首を捻りつつまた次週の後書きでお会いしませう。では、また来週ー。





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