「つーか相変わらず仲悪いんか、アンタら」
「まぁ、あれほど大きな戦で出来たしこりはそうそうなくならんということじゃのぉ」
残り少なくなったシガリロを惜しむような調子で灰にしながら、呆れたように言う横島に、学園長は肩を竦めるようにして答えた。答えながら、学園長は半ば以上過去の歴史――表の史書には残らぬ歴史に思いを馳せた。そんな学園長に、横島は醒めた調子で言った。
「俺は知らんが――ずいぶん大きな戦いだったみたいだな」
「うむ。大きく、そして多くの血が流れた戦いじゃった」
自分の経験したそれを思い返しながら、学園長はしんみりとした様子で頷く。
「じゃがのぅ、いつまでも過去の柵に縛られておっては前には進めんのじゃがなぁ」
「ジイサン」横島は、溜息とともに言った学園長に皮肉げな表情を見せる。「そいつぁ、勝者の言い分だ。勝っていい目を見た連中が吐く言葉だ。過去のことは水に流して仲良くしましょう――負けたほうは、そうそう納得できる理屈じゃない」
「あの戦に、明確な勝ち負けなど存在しとらんよ」学園長はかぶりを振りながら横島に言う。「誰も彼もが、何かを失い、誰かを失い――手にしたものは何もない」
「だからだろ。だからこそ、何も手に出来なかった連中は忘れることが出来ないんだろ。何かを失ったとしても、何かを代わりに手にすることが出来たら――ちっと時間はかかっても、前に進める。だが、何も手に出来なかった連中は」
「――難儀な話じゃのう」
「つか、な」肩を落とした学園長に、横島はけして答えを得る事の出来ない言葉遊びを放棄して、疑問をぶつけた。「向こうの――関西呪術協会とやらのトップはジイサンの娘婿なんだろ?」
トップ同士の話し合いじゃなんとかならんのか? と尋ねる横島に、学園長は首を振ってみせた。
「たしかに、詠春はワシの義理の息子で、こちらと手をとるのも異存はないと考えておるのじゃが――下のほうが、の」
「難儀な話だな」
横島は、根本近くまで吸ったシガリロを灰皿に押し付けると、肩を竦めてみせた。
「しゅ、修学旅行の京都行きは中止〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!?」
「うむ、京都がダメだった場合、ハワイに――」自分の伝達を鸚鵡返しに叫んだネギに、学園長は鷹揚に頷きながら言いかけ、「こらこらこら、ネギくんどうしたんじゃ?」
魂が抜けたかのような有様を晒しているネギに学園長が目を丸くしながら声をかけた。が、へろへろと壁に寄り掛かったネギに、その声に答える気力はなかった。虚ろな目をして、きょうと、きょうと、と呟いている。代わりに答えたのは――
「なんでも、親父さんが住んでたことのある家が京都にあるんだと」
横島が、普段吸っている細巻や、学園長からせしめたシガリロの代わりに、禁煙パイポを咥えながら答えた。横島にとって麻帆良で唯一といっていい喫煙スペースでパイポを咥えている理由は、ひとえにネギが同室しているからだった。非喫煙者、わけても子供の前では煙草を吸わないと決めているらしい。
「そういえばそうじゃったか」横島の言葉に、学園長は手を打つ。「はて? 何処で聞いたんじゃ?」
「エヴァちゃんが教えてくれたんだよ」
ネギの口からナギ――サウザンド・マスター生存の可能性を知らされ気分を良くしたエヴァンジェリンは、その気分のままにかつて自分が蒐集したナギに関する情報の一部をネギに開陳していた。もっとも、情報料としてネギの血を多少いただいたりしているのだが。
「なるほどのぉ」
ネギがひどく気落ちしている理由を悟った学園長は、そう言って顎鬚をしごいた。ネギの夢を識っている学園長は、ネギが気落ちするのも無理は無い、と思い、言いかけていた言葉を口にする。
「ネギくん、京都行きの件じゃが、まだ中止と決まったわけではないんじゃよ」
「そうなんですか!?」
「俺はどっちかっていうと京都よりハワイのがいいが」
「た、タダオ!?」
ネギと学園長の会話を聞いていた横島は、ぼそりと零し、それにネギが過剰に反応する。どうしてそんなこと言うの!? と涙目になるネギの言葉に、横島は至極真剣な表情で、
「アホ、ハワイやぞ、ハワイ!! つまりパツキンでムッチムチの美女のチチやシリやフトモモが惜しげもなく晒され闊歩しとるステキプレイスやぞ!? 京都なんかと比べたらどっちを選ぶか判りきっとるやないかっ!!」
吼えた。その表情は何処までも真剣なものであり、ネギは思わずその迫力に気圧され黙り込む。眼鏡の奥の両目にまだ見ぬキンパツムッチムチ水着美女への自身を焼き焦がすほどの憧れをたたえて拳を握る横島に、学園長が半ば呆れながら声をかける。
「いや、最近のハワイはわりと日本人旅行客しかおらんよーな気もするがのぅ」
「それでも水着姿の美人のネーチャンがたむろしてることにはかわらん」
「うむ。かもしれんが、横島くん。京都は京都でかわいい舞妓さんや芸妓さんがわんさかおるんじゃが。よければワシの馴染みの店なんかも紹介するぞい?」
黙り込んだネギを尻目に横島と学園長は真剣な表情で間違ったベクトルの会話を続け、
「――で、どーして京都行きがダメになりそうなんだ?」
あっさりと横島が丸め込まれて話の筋が元に戻った。学園長はそんな横島に――と、いうよりも横島の隣でその変わり身の早さに目を白黒させているネギに向かって口を開いた。
「うむ。それなんじゃが、先方がかなり嫌がっておっての」
「先方?」学園長の言葉に、ネギが首をかしげる。「京都の市役所とかですか?」
団体旅行で受け入れを拒む先、ということでネギは自分なりに考えて言葉を口にする。だが、学園長はそんなネギの言葉に、いや、と首を振った。
「うーむ、なんと説明すればいいのやら」
「もしかして」学園長が顎鬚に手を伸ばしながら説明の言葉を捜しているのを見て、横島が口を挟む。「アレか? 関西の連中か?」
「ほ? 横島くん、知っとるのかの?」
「麻帆良を離れてる間、何度か勧誘された。まぁ、めんどくさかったから片っ端から断っておいたが」
「ああ、そういえば横島くんは陰陽術も使っておったか。なるほど、横島くんほどの腕の持ち主ならばアチラも食指を伸ばすじゃろうなぁ」
答えた横島に、学園長は納得顔で頷いてみせる。だが、
「あの、関西とか、アチラって?」
肝心のネギは、二人の会話の内容についていけてなかった。ネギの問いに、学園長はしまった、という表情を浮かべ、慌てて説明する。
「関西、というのはの、関西呪術協会のことなんじゃ。実はワシ、関東魔法協会の理事をやっとるんじゃが――関東魔法協会と関西呪術協会は昔から仲が悪くての」
日本の魔法使いの恥を晒すようで情けないんじゃが、と学園長。
「で、その関西呪術協会がの、今年は修学旅行の面子に魔法先生が一人いるといったら修学旅行での京都入りに難色を示してきての」
「ちなみに京都ってのは単なる古都じゃなくてな。えれぇ昔から呪術で築き上げてきた――まぁ、連中にとっての麻帆良みたいなもんだ」
そんな学園長と横島の台詞に、
「えっ!? じゃ、じゃあ、ボクのせいなんですか!?」
ネギは困惑する。話の内容から考えて、そうとしか考えられない。だが、学園長はそれには答えず、まぁまぁ、と慌てるネギに苦笑しながら言う。
「ワシとしてはの、いい加減に仲違いはやめて仲良うしたいんじゃよ。魔法、呪術と違いはあれど、互いに神秘に携わる者同士じゃからの」物憂げな表情で言いながら、学園長は懐から一枚の封書を取り出す。「そのためにネギくん、キミに西への――関西呪術協会への特使として京都に行ってもらいたい。この親書を向こうの長に渡してくれるだけで構わん」
「は――」
――い、と答えようとしたネギに、だが、学園長は普段眉の奥に隠されている双眸に鋭い光を灯しながら、念を押すように告げる。
「ただ、道中、ワシら魔法使いのことを快く思っておらん連中からの妨害があるかも知れん。彼らも魔法――呪術使いである以上、生徒たちや一般人に危害が及ぶようなことはせんと思うが」
そこまで言って、学園長はネギの目を見据える。
「正直、困難な仕事になるじゃろう。ネギくん――どうじゃな?」
そんな学園長の視線と言葉を受けたネギは、自分に与えられようとしている任務の重大さと困難さにしばし思いを馳せたあとで、
「わかりました。任せてください学園長先生」
決然と答えた。ネギのその様子を見て、学園長は視線を緩め、上げるようにしていた眉から力を抜いた。何時もの好々爺然とした態度に戻る。そして、幾許かの好意的な調子を含んだ声で言った。
「ほ。いいカオをするようになったの? 新学期に入って何かあったかの?」
「い、いえ! 別に何もありませんよ?」
別段、探る様子があるわけでもない、なんとなくと言った調子で言う学園長に、ネギはあの月夜の決闘のことを一瞬脳裏に浮かべたが、誤魔化すように笑みを浮かべてそう答えた。
「しかし、親書ねぇ」
言葉遊びまがいの会話をこなしたあとで、横島はネギに与えられた任務について皮肉そうな調子で言葉を口にする。
「なにかの? 横島くん」
「いや、なに」新たなシガリロをパッケージから取り出し――残りが二本しかないことに気付いて寂しそうな表情を浮かべた横島は、すぐにその表情を打ち消すと、口に咥えたシガリロに火をつけながら言う。「とんだ茶番だと思ってな」
「茶番とは酷い言い草じゃのぅ」
「じゃあ陰謀とでも言い直してやろうか?」
肩を竦めてみせる学園長に、横島は呆れたように言った。和解の為の親書。互いのトップ同士が婚姻関係によって結ばれている状態での親書。横島は思う。まったく、本気で茶番もいいとこだ。おそらく――
(ネギが親書を携えて京都に向かうという情報は)
それとなく向こうにリークされるに違いない。
「だいたいだな」せっかくのシガリロが不味くなる――とでも言いたげな調子で横島は続けた。「魔法先生がいることに向こうが文句をつける時点でオカシイだろうが。魔法先生が修学旅行の面子に入ってることなんて、この学園じゃ珍しくもないだろーが。そんで、その面子が京都に行くことも」
そして、ある程度そのことについて関西呪術協会が不満を表明することも。だが、向こうの長を学園長の娘婿が務めているということが、事態を深刻なものにさせないでいた。つまり、
「テメェ、ネギに渡した親書をダシに向こうの不満分子を炙り出すハラだな?」
近衛・詠春の存在によって地に潜る形になっている不満分子を、判り易いエサによって目に見える場所に誘い出して潰すつもりだ。おそらく、近衛・詠春もそのことに同意しているに違いない。
「さて、なんのことかのぅ」
だが、学園長は横島の問いに、何時ものようにそらとぼけた調子で答える。やはり、何時ものようにそれに苦い表情を浮かべる横島。しばし、二人の間に――学園長室に沈黙が舞い降りる。大き目の窓越しに、遠く聞こえてくる生徒たちの微かな声が、その沈黙をさらに際立たせ――
「ところでネギくんにも言ったが、孫の木乃香のことなんじゃが」
「流しやがったこのジジイ」
何事も無かったかのように話題を変える学園長に、何時ものこととはいえ半眼になる横島。
「つーかジジイ、いっつもいっつもそーやってすっ呆けてられると思ってんのかテメェ」
「横島くん」半眼のまま凄む横島に、学園長は笑みを浮かべながら言う。「あんまりしつこいと今月分のキミの給料が凄く目減りするぞい? 何故か」
「き、きったねー!? 横暴だ! 労働基準局に訴えるぞテメェ!!」
「ほっほっほ、横島くん。法の裏をかく方法なぞごまんとあるんじゃよ?」
「それが教育者の吐く台詞か、テメェ」
「ふむ。互いに一定の理解に達したところで話を戻すが」
「達してない達してないオングストロームほども達してない」
「横島くん――木乃香の警護、頼まれてくれんかの」
横島のツッコミをすべて無視して、学園長は話を進める。このクサレ年寄りめ、と一言毒づいて横島は疲れたようにシガリロを吹かす。ソファに身体を預けるようにして、学園長の表情を見た。
「ジーサン。痴呆が進んで忘れてる可能性があるかもしれんから言っておくが――俺は只の教師として雇われたんだが。他を当れ、他を。修学旅行には瀬流彦も行くんだろ? アイツにやらせりゃいいじゃねぇか」
出番が出来て喜ぶぞ、と横島。だが、
「彼には一般の生徒たちの警護に回ってもらうことになっとるんじゃよ」
「片手落ちもいいとこだ」可哀想に。横島は思う。これでアイツ当分出番ねぇぞ――そう思いながら、横島は言った。「京都に向かえば、連中が木乃香ちゃんに目をつけるのは目に見えてるじゃねぇか。俺が居なかったらどーする気だったんだ?」
「いや、木乃香の警護――いることにはいるんじゃよ」阿呆を見るような目で見られた学園長は弁解するように言った。「キミのクラスの――」
「俺の、じゃねぇ。ネギのクラスだ」
俺は副担任なんだ、と半畳を入れる横島。
「――ネギくんのクラスの、桜咲・刹那くん。彼女が詠春からの依頼でずっと木乃香の警護にあたっておる」
「桜咲ってぇと――」美少女ばかりであるがゆえに、クラス全員の顔を完璧に記憶している横島は話題に上った生徒のことを思い出しながら言った。「『あの』お嬢ちゃんか」
脳裏に、ともすれば無表情ともとれる寡黙な態度と姿を思い浮かべた横島は、なんかワケありなんかなぁあのおじょうちゃん、と考える。そして、桜坂・刹那が、自分がネギのクラスに紛れ込んだ当初、警戒感を隠そうともせずにこちらを観察していた事情が理解できた。警護対象がいるクラスに得体の知れない奴がやってきたらそりゃ警戒するわなぁ。
「って、おい。専属の警護がいるなら俺いらんやないか」
虚空にバックハンドでツッコミを決める横島。だが、学園長は、
「刹那くんは、腕も確かじゃし、熱心に任務に励んでくれてもおる。じゃがの、なにぶん歳が歳じゃから未熟な面もなきにしもあらず、といったところがあっての。京都入りして向こう側が本気でちょっかい出してきたときのことを考えると――」
「俺は保険ってわけか」
なるほど、と横島は頷いてみせた。しばし黙り込んで、横島は根本まで吸いきったシガリロを灰皿に押し付けると、無言のままに立ち上がった。
「横島くん?」
「ネギがいるだろ。いい経験になる」
言って、廊下へと続く扉に足を進める横島に、
「横島くん!」
珍しく切羽詰まった調子の学園長の声が飛ぶ。背中でその声を聞いて、横島は学園長もヒトの子だったか、と愉快な気持ちになる。まぁ、意趣返しはこのぐらいにしとくか。
「ネギと、桜咲さんの手におえない事態になったら、まぁ、手助けぐらいはするさ」
一応、副担任だからな。そう言って、横島は学園長室を後にした。
「なぁ、エヴァちゃん。俺の平穏な日々ってどのあたりにあるんだろうな?」
「知るか」
ぼそりと呟いた横島の問いは、だが、エヴァンジェリンにただの一言で斬って落とされた。数寸、エヴァンジェリンのログハウスで横島に宛がわれている部屋に沈黙が落ちる。哲学的に聞こえないこともない自分の問いをあっさりと返された横島は、言い表しようの無い無常感に身を包まれ、力なく笑みを零した。
「というか、なんでオマエはそんなにだらけてるんだ」
「むしろどうしてエヴァちゃんがそんなに張り切っているのか判らんのだが」
自分の部屋で、横島の旅の支度を整えているエヴァンジェリンの問いに、横島はうつ伏せに寝転がっているベッドから顔だけあげて逆に問い返す。そんな横島の様子に眉を顰めたエヴァンジェリンは、横島の数少ない私物であるスポーツバッグを扱う手を止めると、おもむろに立ち上がってベッドに歩み寄ったかと思いきや、勢いをつけて横島の腰に飛び乗るようにして跨った。
「うぉ!?」
軽いとはいえ、ヒト一人分の重さのものが勢いをつけて乗ってくればそれなりの衝撃が発生する。完全にだらけきっていた横島は、エヴァンジェリンの唐突な行動に腰部を圧迫され奇妙な声を発した。
「自分で言うのもなんだが」横島の腰にはしたなくも跨ったエヴァンジェリンは、ベッドの上にうねる様にして広がっている横島の黒髪を眺めつつ口を開く。「私は日本趣味に被れている」
「みたいだな」
羽毛のように軽いエヴァンジェリンの体重を腰部に感じながら、横島はエヴァンジェリンが囲碁部、茶道部といった今日びの一般的な女子中学生の観点からすれば随分と枯れた――良く言えば渋い部活に所属していることを思い出して相槌を打つ。
「そして、私が初めて行く修学旅行先は――京都」
夢見る少女のような表情で言うエヴァンジェリンの様子に、横島はなるほど、と頷いた。たしかに、日本中見回しても、あれほど日本趣味を堪能できる場所はそうそうあるまい。横島は思った。うん、修学旅行先がハワイにならんで良かった、と。陽光に害されるエヴァンジェリンではないが、それでも親の仇のように照り付けてくる南国の太陽など、吸血鬼の身では不愉快極まりないだろう。下手をうてば、機嫌を悪くしたエヴァンジェリンが憂さ晴らしに何時もより多く血を吸ったりするかもしれない。
「うん、良かったな、エヴァちゃん」自分の腰に体重を預けている吸血鬼の少女が浮かべているであろう表情を想像しながら、横島は枕に顎を乗せたまま言う。「で、エヴァちゃんが張り切ってるのは判ったんだが――何故に俺の荷造りまで?」
「オマエがやらんからだ、オマエが!!」
「あ、首を絞めるのはやめてギブギブギブ!!」
このっ、このっ、っと自分の首を絞めてくるエヴァンジェリンに、横島はベッドをぼふぼふと叩いてタップ。内心で、そない怒らんでも――と思う横島は、エヴァンジェリンが初めて京都を訪れることが出来る歓びを、横島と共有できずに苛立っていることに気付いていない。自分に向けられる異性(今は同性だが)の好意については何処までも鈍さを発揮する横島のそうした鈍感さに、エヴァンジェリンは溜息を一つついて首にかけていた手を緩める。
「準備つってもなぁ」絞められた首を擦りながら、横島は困ったように言う。「持ってくもんつったら換えの下着ぐらいだしなぁ、俺」
「それだ」横島の漏らした愚痴めいたものに、エヴァンジェリンが反応する。「どーしてああも荷物が少ないんだオマエ」
事実だった。横島がエヴァンジェリン宅に持ち込んだ私物といえば、下着を数着と、スーツの上下にワイシャツ、それに普段着にしているジーンズとTシャツにジャケットぐらいのものだった。寝巻きすら持ち込んでいない。おかげで横島はエヴァンジェリン宅で過ごす際には、今もそうであるように下着の下だけとワイシャツで過ごすのがほとんどだった。
「仕方ないじゃないか。金が無いんだから」
不貞腐れたように横島は言った。実際はもう少し私物を持っていたのだが、就職活動を開始するにあたり、金の無い横島は私物のほとんどを質に流してスーツを購入するための資金としていた。加えて、持ち物が少なければその場から姿を消すさいに面倒や手間がかからないという判断もある。
「オマエ、旅行先でもその格好でいるつもりか?」
少なくても、ホテルで床につく際には寝巻きに着替える必用がある。それに、普段は二着しかないワイシャツを茶々丸がこまめに洗濯して使いまわしているが、旅行先では洗濯にも苦労する。
「いや、ホテルに常備してある浴衣使おうと思ってるが――」
あるよな、浴衣? と尋ねる横島に、エヴァンジェリンは半ば呆れながら知るかそんなこと、と答えた。答えて、エヴァンジェリンはうねるように広がっている黒髪の隙間から覗く横島の白いうなじをみつめながらしばし黙考し――
「よし、横島」唐突に口を開いた。「今度の休み、外に買い物に行くぞ」
「エヴァちゃん」背後で得意げな表情を浮かべているであろうエヴァンジェリンに、横島はベッドに伏せたままの姿勢で泣きそうな表情を浮かべながら言った。「俺が金無いこと判ってて言ってるのか? もしかしなくても新手のイジメか?」
給料日までまだ日があるんだぞ、と嘆く横島。だが、
「ふン。安心するがいい――茶々丸!!」
エヴァンジェリンの声に反応して、部屋の片隅で控えていた茶々丸がベッドの傍に寄り、何処から出したのか通帳を横島の目の前に差し出した。差し出された横島は、不審そうな表情でそれを受け取る。通帳の表に記された名義が自分のものであることに、横島の困惑がさらに深まった。そして、
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん――――って、おい!!」
なんとはなしに開いた通帳に記載されていた残高を目にして、横島は思わず声をあげた。見たこともないような――少なくても、この世界に来てからはお目にかかったことのない額の金額が記載されている。
「え、エヴァちゃん、これは?」
トゥルー嫌な予感がビシバシするのを感じながら、横島は引き攣った声と表情で自分の腰に跨っているエヴァンジェリンにおそるおそる尋ねた。
「何処かの誰かがあいもかわらず金が無い金が無いとみっともなくほざいているからな。くれてやろうと思ってな」
「いや、そーやなくて」横島は、何処かズレた受け答えをするエヴァンジェリンに頭痛に近いものを覚えながら尋ね直した。「どっからこんな大金用意したんや?」
そんな横島の問いに答えたのはエヴァンジェリンではなかった。
「横島先生、現代社会は高度に情報化され――ネットワークによって縦横に結ばれた社会です」
「らしいな」
嫌な予感のレヴェルが一気に跳ね上がったことを自覚しながら、横島はエヴァンジェリンの代わりに説明する茶々丸に相槌をひとつ。
「そして、それは銀行のシステムも例外ではなく」
「つまり?」
「――銀行のシステムに介入して預金残高の操作を少々」
「犯罪だ――――――――――――――――――――――――――っっ!!」
エヴァンジェリン宅における唯一といっていい良心であるはずの茶々丸の口からもたらされた行為に、横島はすかさずツッコミ。
「ふン。バレなければ問題ない」
「バレたら問題だろーがっっ!!」
しれっと言うエヴァンジェリンにもツッコミ。
「俺だけ? 実はマトモな感覚の持ち主って俺だけ!?」
「これで金銭面の問題は解消したワケだ」
「スルーされたっっ!?」
自分の下で喚く横島の言葉を完全に無視して、エヴァンジェリンは言う。
「私もそろそろ新しい服が欲しいと思っていたところだ。オマエの買い物のついでにイロイロと買うとしよう」
「つまりは荷物持ちかい、俺」
「――不満か?」
疲れたように零す横島に、エヴァンジェリンは黒髪の隙間から覗くうなじに指を這わせて問う。十五年の長きに渡り麻帆良の地に括られていたエヴァンジェリンにとって、久方ぶりの外出である。それだけでも心弾むというのに、それに伴わせるのは、自分が共に在りたいと願う相手。エヴァンジェリンにとって、それは至福ともいえる時間になる。なるが、それも相手が嫌々といった有様では――そんな思いがエヴァンジェリンの声に滲んでいた。
「いや――」
エヴァンジェリンの声に含まれる、ともすれば道に迷った子供を思わせる雰囲気に、横島は苦笑を浮かべた。自分の首へと指を這わせているエヴァンジェリンの手に自分のそれを軽く重ね、握りながら言う。
「エヴァちゃんの買い物にだったら、喜んでつき合わせてもらうさ」
「るーるーるーるー♪ るーるーるーるー♪(※部屋の隅っこで体育座りをしながら」
「ど、どうしんたんじゃ瀬流彦くん? この世の終わりが来たよーな顔で『夜明けのスキャット』なぞ口ずさんで」
「ふふふ。今回で、僕の修学旅行編の出番がないことが確定しちゃったんですよ。ふ、ふふ、ふふふ」
「その、なんというか? ――御愁傷様?」
というわけで、本来なら第十一話『宴の始末/宴の支度』として掲載されるはずだったオハナシの後編でございます。はっは。話数が進んでも話がビタイチ進まねぇ。それは兎も角、来週は第一次デート編でゴザイマス。まぁ、俺のことなのでデートらしい描写はあんまないのでこうご期待っ!! とか言えへんわけなのですが。どーしたもんか。まぁ、そんなことを言いつつ、では、また来週ー。
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