無題どきゅめんと


「――――見ろ、エヴァちゃん」

 只でさえ人で溢れかえっている新宿、その休日の賑わいの中で横島は自分の視線の先に映るものを指差して、傍らに立つエヴァンジェリンに言った。

「不審者だ。紛うことなき不審者がいる」

「時々オマエは容赦のない台詞を吐くな、横島」

 横島の指差す方を見て、エヴァンジェリンは溜息でもつきそうな勢いで言った。視線の先には、物陰に隠れて何かをじっと見ているクラスメイトの姿があった。黒髪を後ろで括り、比較的動き易い格好で身を固めたクラスメイトの名前は桜咲・刹那という。横島の言うとおり、確かに不審者に見えないこともない。まるで人目を憚るように、看板や電信柱といった物の影に隠れて移動する姿は、昨今巷で流行しているストーカーと取られても仕方ないものだった。そんな刹那が、街行く人々から奇異の視線で見られないのは、彼女がその年頃の少女としては見事というほか無い技量でもって己が気配を消しているからだろう。横島だからこそ気付けたといえる。

「自分の教え子が犯罪に手を染めようとしているのを黙ってみておくか否か――どうしたらいいと思う、エヴァちゃん?」

 横島の印象では、桜坂・刹那という生徒は、寡黙で自分を外に出さないタイプの人物に見えた。横島は思う。あーいうタイプは、思い詰めるととんでもない行動に出る傾向がある――危険だな。

 そんな横島の様子に、エヴァンジェリンはこいつ真面目に阿呆なこと考えてやがるな的な視線を送り、どう答えたものかしばし考える。結果、

「ほ――」

 ――っとけ、とエヴァンジェリンは言おうとして、

「すまないが横島先生。私のルームメイトを犯罪者に仕立てあげないでもらえるかな?」

 だが、第三者の声に邪魔をされた。

★☆★☆★

「よく考えてみれば」吊り革にぶら下がるようにして立っている横島は、眼前の窓の外を流れていく景色ではなく、その景色が見える窓より少し下にちょこんと座っている金髪の少女に言う。「都心のほうに出るのってエライ久しぶりだなぁ」

「そうなのか?」

 両サイドを年配の女性に挟まれて座席に座っている少女――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、自分を見下ろすようにして吊り革に掴まって立っている横島に首を傾げてみせた。エヴァンジェリンにとっては、横島の隣に腰掛けていたいところなのだが、車両に乗り込んだときにはすでに空いている座席が一人分しかなかったので、渋々、こうして横島を自分の前に立たせて座っている。横島を座席に座らせて、自分はその膝に腰を下ろそうとも考えたが、流石に人目を気にしてそれを口にすることはなかった。もっとも、目的地についてから認識阻害の魔法をかければ問題をクリアできたことに気付いて臍をかむのだが。

「そーなんだよ、これが」

 首を傾げて自分を見上げるエヴァンジェリンに、横島は苦笑を浮かべながら頷いた。通っていた大学も、借りていた四畳半のアパートも都心から離れていたために、金も用事もない横島は、ついぞ東京中心部に足を運ぶことがなかった。

「つーわけで、服売ってる店とか全然知らんから、エスコート出来ん。情けない話だが」

 すまん、と自分の前で片手を念仏でも唱えるようにしてみせる横島に、だが、エヴァンジェリンは得意げな表情で、問題ないと笑う。

「昨日のうちに、茶々丸に調べさせておいた」

 言って、エヴァンジェリンは肩から下げているポシェットの中を漁り、そこからファンシーな意匠の手帳を取り出してみせた。横島にそれを開いて見せる。そこには、茶々丸の手による丁寧な筆跡でびっちりと目的地の情報が書き込まれていた。

「――準備の良いこって」

 手のひらサイズの手帳にびっしりと書き込まれたメモを見て、横島は苦笑する。エヴァンジェリンは、そんな横島に、当然だと言わんばかりの調子で鼻を鳴らしてみせた。エヴァンジェリンにとっては、麻帆良に括られて以来――そして、横島との初の外出である。それをとことん愉しみたおすための準備に手間を惜しむはずもない。もっとも、これから訪れる場所の情報――ブティックや食事をとるための店をネットで検索し、手帳にまとめたのは茶々丸だが。

「オマエの服を買う店も決めてあるからな」

 いい加減、もっといい服を着ろ――と言外に含ませて、エヴァンジェリンは自分の前で苦笑する横島の姿を見る。一張羅と呼んでも差し支えない、横島のその私服。安くて丈夫なことだけが取り得の、名も無いメーカーのジーンズ。矢張り、ジーンズと同じように、意匠や生地の良し悪しよりも値段の安さで選ばれたTシャツとジャケット。服の中身に比べて、あまりにみすぼらしい格好だった。エヴァンジェリンはその服装を見て、小さく溜息。確かに、横島の飾らない性格は好ましいものだが――エヴァンジェリンは、思う。もう少し、着飾っても良いものを。折角の素材の良さが台無しだ。ここは一つ、私がコーディネイトしてやらねばな!

「まぁ、その、なんだ」自分の姿を見て、なにやら闘志を燃やしているエヴァンジェリンを見て、横島は苦笑を深くした。「お手柔らかに、な?」

 もとは男であった――と、いうよりも、いまでも心は立派な男のつもり――ことも手伝っているのだろう。元来、着る物にさして頓着しないたちである横島は、エヴァンジェリンの様子に苦笑するしかない。カワイイ女の子――この場合、目の前にいるエヴァンジェリンが着飾る分にはなんの文句もない、というよりも、むしろそれを推奨しさえする横島だが、それがこと自分のこととなると、まったくといっていいほど気を払わなくなってしまう。

 とはいえ、エヴァンジェリンの好意を無碍にするわけにもいかない。

(ここはひとつ――)

 ハラを括って着せ替え人形になるか、と横島は覚悟を決めた。だが、覚悟を決める一方で、あんまし高い服は勘弁してほしいなー、とも思っている。長年の生活によって骨の髄まで貧乏性に蝕まれている横島であった。

『次はぁ〜、新宿ぅ〜、新宿ぅ〜』

 エヴァンジェリン教唆、茶々丸実行による不正オンライン操作によって懐具合を心配する必要は微塵もなくなっているのにも関らず、願わくばなるたけ安い服を、と願っている横島の思いをよそに、車内に車掌のアナウンスが響いた。

★☆★☆★

 桜咲・刹那は見つめていた。気配を消し、周囲の視線から逃れながら。そして、本来ならば必要ないにも関らず、対象の視線に入らぬように常に遮蔽物に身を隠しながら、桜坂・刹那は、自分の担任教師と新宿の街を楽しげに歩く護衛対象――近衛・木乃香を見つめていた。

 楽しげに笑う木乃香を見ながら、刹那は思う。

 あの笑顔を、私がお嬢様に与えることが出来るなら――と。

 ほんの数年前――今となっては、遥かな過去にすら感じられる幼少期。笑い、ネギの手をとって街を行く木乃香の姿を視界に収めながら、刹那は過去に思いを馳せる。浮かんでくるのは、なんの恐れも不の感情も抱かず、ただ純粋に自分との時を楽しげに過ごす木乃香の笑顔。

(私にも、お嬢様に笑顔を浮かべさせることが出来た――)

 否、出来ていた。瞬間、くっ、と刹那は胸を軋ませる知覚出来ない痛みに顔を歪ませる。何も知らず。何も考えず、ただ、共に在りたいと純粋に願い思えていた昔。せっちゃん、と笑顔で呼ばれていた時期があった。このちゃん、と笑顔で呼んでいた時期があった。だが、それも今は昔。永遠に失われてしまった遠い過去。

 心の何処かで、そんなことはないと幼い自分が抗議をの声をあげたような気がする。

 今でも、このちゃんは自分を待っていてくれている、と。今でも、自分と笑い合いたいと思っている、と。心の何処かでそう言っている。

 だが、と刹那は心の中で刹那はそれに首を振る。よしんばそうだとしても、自分にそんな資格はないのだ、と。自分に、お嬢様に笑いかけてもらう資格などないのだ、と。

 そして何より――

 もし、木乃香に本当の自分のことを拒絶されてしまったら――

 刹那は、買い物の河岸を変えようとする木乃香たちに合わせて移動しながら頭を振った。見守っていられるだけで幸せなのだ。この役目を与えてくれた木乃香の父親――近衛。詠春には感謝してもしきれない。自分は、こうして木乃香を護る為に腕を磨いてきたのだ。そう、こうして見守ることこそ、自分の存在理由であり――自分に許された唯一の幸せなのだ。

 近寄れぬが、拒絶されることもない幸せ。

 ――それで、充分なのだ。

 刹那はそう自分に言い聞かせて、何かに耐えるように見つめ続ける。

★☆★☆★

「横島先生は刹那の任務については?」

「昨日聞いた」

 買い求めたカップ入りのアイスのブラックコーヒーをストローで啜りながら、横島は傍らに立つ教え子、龍宮・真名に答えた。内心で、失敗したと思っている。自分の嗜好に従ってドリンクをチョイスしたのはいいが、おかげで懐に収めてある煙草を吸いたくて仕方なくなっている。条件反射のようなものだった。まったく。横島は舌と内心で苦い物を感じながら毒付く。煙草を吸ってるときにはコーヒーを欲しくなることなんてないのに、コーヒーを飲んだら煙草が欲しくなるのはどういうことだ。そう思いながらも、横島は自制心を働かせて喫煙への欲求を押さえ込む。女子供の前では煙草は吸わない――それが横島の信念であった。

 煙草への汲めども尽きぬ思いを振り払うかのように、横島は自分の隣に立つ教え子に視線を寄越す。すらりとした身体と健康的なチョコレート色の肌をシックな装いに包んだ真名を見て、横島はひっそりと溜息をつく。

 ――ほんまに女子中学生なんか、おい。

 本人の資質か、纏った衣装のせいか。大人びた、とてもではないが女子中学生には見えない雰囲気を醸し出す真名に、横島は内心で首をかしげる。気配を絶っていなければ、すぐに街行く男どもが群がってくるに違いない。もちろん、ロリコンなどという病んだ性的嗜好を持つ男たちではなく、真っ当な趣味の男たちが、だ。

 おそらく、横島がかつてのように男であったなら、音よりも光よりも早い速度でナンパにかかっているに違いない。もっとも、ナンパしても返り討ちにあうか、よしんばまともに会話に漕ぎ付けても相手が中学生と判った時点で血の涙を流しながら詐欺や、と叫ぶのがオチなのだが。

 そこまで脳内でシミュレートして横島は小さく苦笑。苦笑して、

(ほんまに中学生とは思えんなー)

 横島の好みであるむちむちのチチシリフトモモというわけではないが、それを補ってあまりある大人びた雰囲気を背景とした男を参らせる独特のフェロモンには、言い表し難く、そして抗い難いものがあった。気が付けば、横島の表情が極近しいものが判る程度にヤニ下がっており――

「いてっ!?」

「どうしたんだい? 横島先生」

 突如として奇声を発した横島に、真名は怪訝そうな表情で尋ねてみせる。そんな真名に、横島はなんでもない、と笑ってみせ、ついで真名とは逆位置で自分の隣に立つエヴァンジェリンにちらり、と視線を寄越す。えらく不機嫌な表情でそっぽを向く真祖の吸血鬼がそこにいた。そして自分の尻を抓り上げていた。

 折角、二人きりでのデー……外出だったのに。

 エヴァンジェリンは、我知らず頬を膨らませながらそう思った。初めて、横島と何処かに訪れることが出来たのに、と。それが、第三者に邪魔をされただけでは飽きたらず、あまつさえその第三者を見て横島が鼻の下を伸ばしているとあっては、エヴァンジェリンからすれば面白いはずもない。

 そんなふうに、尻ももげよといわんばかりに横島の尻を抓っていたエヴァンジェリンは、だが、不意に逸らしていた視線を戻した。何時の間にか、横島の手が、その尻を抓っている自分の手に添えられていた。けして、自分の行為を嗜めるために、というわけではない。ただ、当たり前の行為を行っているといった調子で重ねられた横島の手に、エヴァンジェリンは小さく目を見開き――

「…………」

 抓っていた尻から手を離し、重ねられた横島の手を強く握った。

「続き、いいかな?」

「あいよ、どーぞ」

 横島の身体に隠れた形になって、今のやりとりを見ていなかった真名は、それでも、一時、剣呑な雰囲気を漂わせていた二人の様子が静まったのを感じ取り、口を挟む。横島はそれに頷いて返した。

「で、刹那は今現在、任務遂行中なんだ」

「……護衛つーか、むしろストーキング真っ最中って感じに見えるのはお――私の気のせいだろーか」

 自分の手の感触を愉しむように、にぎにぎと握る手に込める力に強弱をつけるエヴァンジェリンの手を時折握り返し、横島は自分の視線の先で物陰に身を隠している刹那を見ながら言った。言って、更に視線を飛ばし、刹那が熱心という言葉では追いつかないほどに視線を送っているネギと木乃香を見る。

「それにな、龍宮さん。護衛するんだったら離れて影から見守るよりは、傍に控えてたほうがええんと違うか?」視線を、木乃香たちと刹那の間に存在する空間に漂わせて横島は続ける。「桜咲さんぐらいの腕なら、何かあっても一呼吸で駆けつけられるかも知れんが――」

「知れんが?」

「こう言っちゃなんだが、桜咲さんより速く動ける人間なんざぁ、世の中にはごまんといる。ぶっちゃけた話、私がその気になれば、桜坂さんが認識するより速く近衛さんを殺せるぞ?」

「随分と物騒な話だね、横島先生?」

「仮定の話だよ、あくまでも」

 自分に向けて冷ややかな視線を寄越す真名に、横島は肩を竦めてみせる。竦めて、横島は、だが、と続けた。

「実際、近衛さんの傍に控えてたほうが、近衛さんの身の安全はよほど保障されるのも事実だ。だから、ああしてストーカー紛いの行為に及んでいる理由が判らんのだけど」

 なんでやろ、と首を捻る横島に、真名は苦笑を浮かべて言う。

「その件に関しては、私も同意するよ、横島先生。実際、刹那にそう進言したこともある」

「桜咲さんとは仲がいいの?」

「仲が良いというか――ルームメイトだ」

 真名の言葉に、横島はエヴァンジェリンのほうを向いて、せやったっけ? と首を傾げてみせる。頷くエヴァンジェリン。クラスメイトの――というよりも、侮れない戦闘力を保持している使い手の情報は把握しているのだろう。

「それに、いろいろと仕事で助太刀したりされたりする仲だしね」

 仕事、という単語に横島は眉を顰めてみせる。

「それって」

「まぁ、裏稼業のことだね。たまに学園長から依頼されて『警備員』の真似事もしたりする――ようは横島先生の後輩さ」

 普段のクールな印象からは想像しがたい悪戯好きの子供のような表情で言う真名に、横島は、うむ、普段の表情もいいがこれはこれで! と考え――次の瞬間、エヴァンジェリンに骨も折れよとばかりに手を握り締められて思わず苦悶の声を漏らしそうになる。学習しない女、横島・多々緒(二十三歳・処女)であった。

「――私のこと、知ってるのかな?」

 懸命に表情を取り繕いながら、横島は探るように尋ねる。

「有名だったからね、《麻帆良の盾》は。もっとも、横島先生がそうだと気付いたのはつい最近だけど。消息を絶っていた凄腕の始末人がただの教師になってるなんて誰も思いはしない」

「いや、別に消息絶ってたわけじゃないんだが」フツーに進学しただけやし、と横島。「つーか、お――私が有名やったのって四年も前やぞ? そのころキミ小学生やないか。なんでそないなこと知ってるんや」

 訝しむ横島。そんな横島に、真名は別段気負ったふうでもなく、まるで明日の天気を道端で論じる主婦のような調子で答える。

「その頃から裏稼業についていたからに決まってるじゃないか」

 まぁ、裏稼業といってもNGO団体に所属してただけだが。あっさりとそう言ってのけた真名に、横島は――

(俺の周りにいるカワイコちゃんはみんなこんなんばっかなんかい)

 思わず頭痛を覚えていたりなかったり。

「どうかしたのかい? 横島先生」

「なんでもない。うん、なんでもないんだよ。ただ――」悟りを開いた修行僧にも通じる何かを思わせる笑顔を浮かべて横島は首を振った。平穏とか平和とかが足音を立てて遠退いていく幻聴が聞こえるが気にしないことにした。「――手合わせしろとかいうの禁止な。超禁止」

「別に言わないよ。まぁ、裏の世界で伝説になるほどの腕前を確かめたくないといえば嘘になるが」

「確かめんでいい確かめんでいい」

 縋るような表情で言う横島の様子に、真名は最近、楓の機嫌がすこぶる良いことを思い出し、なるほど、と一人納得した。そうか、少し前まで修練の相手がいなくて難儀していると零していたのがぱたりと止まったのはそのせいか。そして、苦笑する。横島先生も大変だな。

「で、桜咲さんに進言してどうなったんだ?」判り易いほどにそうだと判る話題のすり替えを行いながら、横島は首をかしげて見せる。「いや、まぁ、今の桜坂さん見てたらだいたい判るんだけどな」

「察しの通りさ」真名は横島に向かって肩を竦めながら言った。「理由は知らないが、刹那はあの護衛方法を堅持し続けている」

「聞かんかったのか、理由?」

「ヒトのプライバシーには首を突っ込まない主義でね」

「さよか」

 何はともあれ、ストーカーではなかったか。横島は、あまり実りのある情報を得たとは言い難い真名とのやりとりの末に、そう断じた。しかしなぁ、理由は知らんがアレでホントにいいんかいな。こちらに気付いた様子もなく視線を木乃香たちに送っている刹那をちらりと見て、横島は思う。まだ魔法使いのテリトリーである麻帆良に近い場所でならばいいが、これから向かうことになる京都は呪術師たちのナワバリだ。護衛の難易度は段違いに跳ね上がる。

「どーしたもんかなぁ」

「どうにかしてくれるのかい?」

 困ったように呟く横島に、真名が聞く。横島は、しかつめらしい表情を作り、

「近衛さんになんかあったら私の給料下がるかもしれんしなー」言って、横島は、だがと続ける。「ま、とりあえずは好きにさせるさ。桜咲さんが、それで護りぬけると思ってるならな」

「横島先生――実はかなりキツイ性格だったりしないか?」

「んなこたぁないと思うが――と、私たちはそろそろ行くとするよ」

 じゃないとエヴァちゃんが癇癪起こしそうだし、と内心で呟いて、横島は首を傾げる。

「龍宮さんは?」

「私はしばらく刹那の後をつけておく」言って、真名はニヤリと笑う。「何かあったときに、フォローに入ればあとで学園長からお礼をせしめることができるからね」

「そいつぁ良い心掛けだ。たんまりとせしめてやれ」

 出来ればケツの毛まで毟って破産させたれ、と言い残して横島は手を繋いだままのエヴァンジェリンを伴って人ごみの中へと消えていった。その後姿を見送りながら、真名は何時の間にか張っていた気を抜いて小さく溜息をついた。思う。

 ――バケモノか、あの女(横島先生)は。

 何気ない様子を装っていながら、その実、一分の隙も見せない――いや、あまりに自然体であるために、隙だらけのように見えるが、

(何をどうやっても自分が死体になる未来しか浮かばなかったな)

 噂に名高い《麻帆良の盾》、横島・多々緒の実力は如何ほどのものかと思い、自分が目の前にいる冴えない格好の女教師に攻撃を繰り出すシミュレートを脳内で何パターンも行ってみたが、何をどうやっても自分が地べたを這う姿しか想像できない。どうやら、噂は真実であったらしい。女子供以外には冷酷無比な凄腕の始末屋。

「まったく、なんであんなのが教師なんかやってるんだ」

 しかも、それが板についている――という事実に、真名は横島の正体に気付いたときに感じた困惑をもう一度味わう。だが、

「まぁ、考えても仕方ないか」

 おそらく、学園長が――あの底の読めない老人が一枚噛んでるに違いあるまい。真名はそう考えると、それっきり横島に関する考察を打ち切った。打ち切って、ストーカー紛いの行為に没頭している刹那を視線で追いはじめた。

★☆★☆★

「――疲れた」

「どうした横島?」

 こじんまりとした、それでいて雰囲気の良い喫茶店の片隅、そこのテーブルに突っ伏して横島は小さく呟いた。ぐったりとした様子の横島に、エヴァンジェリンは首をかしげてみせる。そんなエヴァンジェリンに、横島は

「いや、なんでもないよ。エヴァちゃん」

 力なく笑い、再びテーブルに突っ伏した。ちらり、と視線を移すと、その先には山のような荷物が存在している。この小休止に入る前までにエヴァンジェリンと横島が――というか、主にエヴァンジェリンが買い漁った衣料品の数々である。それを見て、横島はひっそりと、そして深い、どこまでも深い溜息をつく。

(これ、全部で幾らになるんだ)

 今日初めて訪れた店で、エヴァンジェリンが自分に見立ててくれた服についていたタグに表記されていた値段を見て以来、おもに自分の精神面での健康を保つために値札は見ないようにしてきた横島は、自分たちのテーブルの脇に山と詰まれた戦果の合計金額のことを思って思わず戦慄を覚えずにはいられなかった。おそらく、自分の一月分の給料など軽く超えているに違いない。横島は思う。どーしてただの布っ切れがこない阿呆みたく高いんや? エヴァちゃんが初めに買うてくれた服で俺がいつも着てるジャケット幾ら買えんねん。

(しかし、まぁ)

 そこまで内心で愚痴を零して、横島は思った。しかし、まぁ、エヴァちゃん楽しそうだからいいか。

 自宅であるログハウスに戻るまで待ちきれずに、何着かの洋服を取り出しては楽しげに吟味しているエヴァンジェリンの表情を見て、横島は小さく微笑を浮かべる。半分とはいえ、願いが――自らを頚木に繋いでいる呪いから自由になるという願いを果たし、こうして束の間の自由を満喫しているエヴァンジェリン。その表情には、一片の曇りも翳りもない。あの時、道に迷った寄る辺無い子供のような表情を浮かべていた彼女が、こうして心からの笑顔を浮かべている。浮かべることが出来ている。で、あるならば、多少疲れたぐらいのこと、まったく許容範囲なことだ。

 ――そう。勘弁してくれと懇願したが、「駄目なのか?」と悲しげな表情で言われてつい断りきれず、エヴァンジェリンと揃いの意匠であるゴシックでロリータなドレスを買わされたことも、きっと許容範囲。

(――着るのはせめて家の中だけにさせてもらわにゃ)

 遠い目をして、横島は思った。エヴァンジェリンあたりが着る分にはまったく違和感はないが、肉体年齢が二十代も半ばの自分が着るとギャグにしかならない。俺を悶死させる気か、エヴァちゃん。

「横島、食事を摂ったあとの予定だが」

 レースやフリルがしこたま仕込まれたゴスロリドレスを着ている自分を想像して思わず悶絶している横島に、アールグレイの注がれたカップを傾けながらエヴァンジェリンが声をかける。

「ん? まだ何か買うモンあったっけ?」

 新しいスーツも、私服も、下着も、寝巻きも買うたよなぁ、と指折り数えて言う横島に、エヴァンジェリンは少しもじもじした様子で、そうじゃなくてな、と続ける。

「買い物の方はとりあえず終わったんだが――まだ日も高いだろう? このまま帰るのも勿体ないから……映画でも観ようと思うんだが」

 駄目か? とエヴァンジェリンは不安そうに横島の顔を覗きこむようにして尋ねる。横島にしても、このまま帰ったとしてもとりたててやることが在るわけでもない。それに、映画館で映画などもう何年も観ていない。加えていうなら、あんな表情で尋ねられてやなこった、と言えるほど横島は薄情な性格ではない。それが美少女の口から出たお願いであるならなおさらだ。

「観る映画は決めてるのかい?」

「!! あ、ああ!」横島の口から出た言葉が肯定を示すものであることに、エヴァンジェリンは笑みを浮かべて言う。「茶々丸が調べておいてくれた」

 正確には、茶々丸に調べさせておいた――だが、エヴァンジェリンにとってはそのようなことは瑣末事であるらしい。そんなことよりも、横島と一緒に映画を観るということのほうが重大であった。

「そうか、そいつぁ楽しみだ」自分に向けて笑みを浮かべるエヴァンジェリンに笑い返してそう言うと、横島は近くを通りかかったウェイトレスに手を上げてみせる。「それじゃあ、とっととメシを喰って行くとしよう。エヴァちゃんのことだから調べてあるんだろ? この店のオススメはなんなんだ?」


「おや?」

「むっ」

「「「…………」」」

 甘々で耐性のないものなら開始五分で悶絶しそうな恋愛映画を観終えて劇場から出た横島たちは、比較的見知った顔とばったり出くわしていた。首をかしげる横島と、顔を顰めるエヴァンジェリンの視線の先で、三つの顔が硬直している。なんで固まっとんねん――そう訝る横島を他所に、

(ね、ネギくんと木乃香だけじゃなくて横島先生とエヴァンジェリンさんまでっ!?)

(何? 今教師と教え子の禁断の愛がブームなの!? 野●・信司!?)

(ど、どどどどーしよう!?)

 柿崎・美砂、釘宮・円、椎名・桜子の三人組――人呼んで麻帆良応援少女隊の面々は微妙にテンパった様子でこそことと顔をつき合わせて話はじめる。ネギと木乃香のデート? を目撃してテンションを妙な方向に上げまくっていたところに、またもや新たなカップルの登場。この異常事態に三人組のテンションは更に妙な方向へと暴走する。

(しかも女同士!! 禁断の愛の二重奏!!)

(パルが知ったら嬉々としてネタにするよ!!)

(ど、どどどどーしよう!?)

「つーかキミら何しとるんだ」

 硬直が解けたかと思ったらいきなり密談始めた教え子たちに、横島は半ば呆れながら声をかける。その声に、ビクンと反応する三人組。

「「「なんでもないでアリマス! サー!!」」」

「いや、なんで軍隊調なんだよ」テンションおかしい教え子たちに、横島は苦笑。「とまれ、こんにちは。三人とも今日は買い物か何かかい?」

「え、あ――こんにちは」

 横島に小さく会釈されてはじめて、自分たちがこの超絶スリーサイズを誇る副担任に碌に挨拶もしていなことに気付かなかった円が、バツが悪そうに頭を下げる。

「はい。修学旅行で着る私服を買うのと、あと遊びに」

「なるほど」美砂の答えを聞いて、横島はなるほどと納得する。麻帆良にはその両方の目的を果たすことの出来る場所は備えられている――が、遊びたい盛りの少女たちには何時も何時も同じ場所では物足りないのであろう。「ま、ハメを外しすぎないようにな。あと、三人ともカワイイんだから、妙な男に声をかけられてもホイホイ付いていっちゃ駄目だぞ?」

「は、ハイ」

 何時もと違う――髪を下ろし、私服という普段のスーツ姿よりもよほど女性らしさを感じさせる(もっとも私服は冴えない装いだが)格好と、普段よりもよほどフランクな物言いの横島にカワイイと評されてドギマギしながら桜子が顔を僅かに紅潮させて頷く。そんな彼女の様子を見て、うん、なら宜しい、と笑顔を浮かべる横島に、

「よ、横島先生とエヴァンジェリンさんは!」やはり桜子と同じように頬を桜色に上気させた美砂が何故か焦ったような声で口を開く。「今日はいったいどーしたんですか」

「え? 買い物」

 キミらと一緒だ、と横島はその裏に潜ませた意味に気付かずあっさりとした調子で答える。そんな横島の天然っぽい返答に、

「いや、そーじゃなくて」円が首を振りながら美砂の代わりに問う。「なんでエヴァンジェリンさんと?」

 ラヴですか! 禁断のラヴなんディスカッッ!! と視線で尋ねてくる円に奇妙な気迫を感じながらも、横島は苦笑しつつ答える。

「あー、そーいう意味か。うん、いや、ここだけの話なんだけど、私はエヴァちゃ――エヴァンジェリンさんの家に居候させてもらっててね。更に言えば、私が麻帆良の高等部に通ってたころからの顔見知りでもあるんだが――」

 もちろん、その頃からエヴァンジェリンが中学生やってたという事実は伏せて横島は言う。

「麻帆良に来る際に私物の大半を処分して、碌に服持ってない私を見かねて、エヴァンジェリンさんが買い物に誘ってくれたんだよ。私、そーいうとこは不精だから、店の場所とかよー知らんからすごい助かってる」

 自然体の笑顔を浮かべて答えた横島に、三人は、なんだそうなのか、といった表情を浮かべる。うーん、禁断の愛二重奏とは違ったか――

「わたし、てっきりネギくんたちみたくデートの真っ最中なのかと思いましたよ」

さ、桜子言っちゃ駄目でしょ――っっ!?

し、しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!?

桜子のアホ――――――――――っっ!!

「ネギ? デート?」

 気が緩んでぽろっと暴露してしまった桜子に、円と美砂からツッコミ。そんな三人の様子に横島はうん? と首を傾げ――

「おお、アレか」

 なんやエンカウント率高いなぁ、と感心しながら横島は少し離れた場所で楽しげに談笑しているネギと木乃香の姿を見つける。もちろん、その少し離れた場所に彼らを影ながら護衛している刹那の姿、さらにそこから離れた場所に控えている真名の姿も。こちらに気付いたのか、唇の端を小さく吊り上げ笑みを見せる真名に、横島は同じように小さく笑みを浮かべて返した。

「よ、よよよよ横島先生違うんです!!」

「アレはデートなんかじゃなくてですね!!」

「ネギ先生クビにしないでくださいぃぃぃぃっっ!!」

「おわ、なんやなんや!?」

 がばっと自分に詰め寄り、口々に焦ったように言う三人に、横島は何事かと焦る。ときどき、発達途中の胸やら太腿やらがあたって気持ち良く感じるのを、俺はロリコンじゃない俺はロリコンじゃないと六字の名号のように内心で呟きながら抑える。というかそんな六字の名号あってたまるか。ブっちゃんに謝れ。

「つまり」今まで黙っていたエヴァンジェリンが口を開く。「教師が教え子に手を出しているのが発覚するとあの坊やが処分されるから黙っていてくれということなんだろ?」

「「「はうっ!?」」」

 何故か言葉の端々に棘のある口調のエヴァンジェリンの一言に、三人はビキっと顔を引き攣らせる。そして、

「あー」

 ナルホド、といった様子で横島が相槌を打った。顔には苦笑が浮かんでいる。内心では別にデートぐらいええやん、と考えている。つーかデートよりもキスとか一緒に全裸で入浴とかのが大問題だよなー。バラしたらいらん面倒に巻き込まれそーやから黙っとくけど。

「うーん、というか」内心で考えていることはおくびにも出さず、横島は口を開く。「あれ、デートっていうよりも、仲の良い姉弟が遊んでるって風に見えるんだが」

「「「あっ」」」

 苦笑交じりに言った横島に、三人ははっと顔を見合わせる。そういえば、デートだなんだというよりもよほどそっちのほうが自然に思える。だが、

「で、でもでもでも! コレ見てくださいよコレ!!」

「ほら絶対カップルですよデートですよ禁断の愛ですよ!!」

「いやお前ら坊やを庇うのか貶めるのかどっちなんだ」

 携帯の待ち受け画面にどこからどう見てもカップルでござい、と言った画像――一つのジュースを二本のストローで楽しげに飲んでいるネギと木乃香の映像を呼び出して力説する円と美砂に、エヴァンジェリンが思わず呆れながらツッコミをひとつ。

「あー、まぁ」その様子に苦笑しながら、横島は宥めるように言う。「このぐらいなら可愛げあっていいんじゃないか? まぁ、流石にラブホ行ったり夜の公園でナニ、とかはアウトだけど」

 さらりと言う横島に、三人娘は、ラブホっ!? とか、公園でっ!? とか、横島先生大人っ!! とかアホの子のように反応。おもろい子たちやなー。横島は苦笑を深くしながら、ちらり、と時計を見る。

「あー、私たちはそろそろ行くけど。キミらは?」

「あー、もう少しネギ先生の様子をつけてみようかと」

「うん、いや――ほどほどにな?」

 帰ってきた答えに再び苦笑した横島は、小さく釘を刺すとエヴァンジェリンを伴って珍妙な三人組と別れる。人ごみではぐれてしまわないように手を繋いでいるエヴァンジェリンに、なんとはなしに尋ねた。

「エヴァちゃん、今日は楽しかったか?」

「うン? ああ、そこそこ楽しめた」

「そこそこかい」

 帰ってきた答えに、横島はとほほ、と肩を落とす。一方、捻くれた答えを返してしまったことに多少後悔しながら、だが、エヴァンジェリンはしょぼくれている横島の姿を見て楽しげな表情を浮かべる。いつも泰然としている横島の困っている姿を見るのは嫌いではない。そして、なんだかんだと言いながら自分に付き合ってくれる横島はもっと嫌いではない。

 だから、

「次はもっと楽しませてくれよ、横島?」


『知ってるようで知らない世界』第十三話『楽しい買い物』了

今回のNG

 桜咲・刹那は見つめていた。気配を消し、周囲の視線から逃れながら。そして、本来ならば必要ないにも関らず、対象の視線に入らぬように常に遮蔽物に身を隠しながら、桜坂・刹那は、自分の担任教師と新宿の街を楽しげに歩く護衛対象――近衛・木乃香を見つめていた。

「こ、このちゃんハァハァ」

「いやほらやっぱストーキングだって!! おまわりサーン! おまわりサ――――ンっっ!!」



後書きという名の言い訳。

部分部分で妙にシリアスづいてる箇所がありますが、当GS二次はコメディです。つーかまだGS二次って言い張るか、俺(※挨拶)。ナデ二次の改定が終わってからこちら、このスットコGS二次が進まなくてどーしたもんかと。プロットは出来てるんですが、キーボードを叩く指が鈍いというかなんというか。まぁ、そのうち書けるだろ。ストックもまだ四話分あるしな! つーか気合入れて息抜きって間違ってる。そんなことを言いつつも今週はこのへんで。では、また来週ー。





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