「…………」
「…………」
「…………」
湯煙漂う日本的情緒の最たるもののひとつである露天風呂に、三点リーダが静かに舞い降りていた。その発信源の一つである麻帆良学園女子中等部3−A副担任、横島・多々緒は寝るときと風呂に入るときは外している眼鏡をかけていない双眸を残りの発信源の状態をしばし凝視したあとで、立ち昇る湯煙に紛れて星の瞬いている夜空を見上げた。ものによっては数百億年の過去から届けられた星々のささやかな光は、人間たちの営みなど気にもかけない様子で暗幕のような空に煌いている。そんな星空を眩い宝石でも見るような視線で見ていた横島は、視線を下界に下ろすと呟くように言った。
「――――二人とも、周りにはバレないようにな?」
「ち、ちがうよタダオ!!」
「誤解です激しく誤解です横島先生っっ!!」
「しかし、まぁ」酔い潰れている教え子たちをそれぞれに割り振られた部屋に放り込んだ横島は、呆れたように呟いた。「よー酔っ払っとるなぁ」
つーか一口目で気付かんかったんかい。関西呪術協会強硬派の一人である。天ケ崎・千草の仕掛けたなんとなく間の抜けたワナに無関係に引っ掛かった教え子たちに、横島は溜息をひとつ。素行においては比較的真っ当な3−Aの生徒たちは、アルコールに触れる機会がなかったのだろう。とはいえ、幾ら口当たりが良い大吟醸とはいえ、水と間違えるようなことはないと思うのだが――そう考え、横島はあの酒樽になんぞ呪術の類でも仕掛けてあったのか? と首を捻り――
(それはないな)
即座に否定した。あの酒樽になんらかの呪術的仕掛けが施してあれば、自分が気付いている。仮に、体調の悪化を原因として自分の感知する能力が落ちていて見逃したとしても、あの場には往時の力を取り戻したエヴァンジェリンがいた。なにか仕掛けがあれば気付かぬはずがない。そこまで横島は考え――
「まぁ、いいか」
あっさりこの件に関する推論を打ち切った。とりたてて実害がない以上、済んでしまったことに頭を使っても仕方が無い。第一、それは自分の仕事ではない。自分は、ネギたちの力が及ばず、何か致命的な事態に陥りでもしない限り動かない――そう決めている。ネギにもその旨伝えてある。故に、自分はただ事態を静観するのみ――そう考えて横島は、
「――とんだおためごかしだな」
旅館の廊下で一人自嘲した。さきほどまで内心で組み上げていた理論武装が、動けなくなってしまった自分に対する言い訳に過ぎないことを理解しているがゆえの自嘲であった。横島は思う。まったく。相手がせめて男だったらここまで気を使わんでもすんだのに、と。
無様を晒している自分についての憂鬱な嗜好を振り払うようにして、横島は軽く頭を振った。どの道、考えたところでどうなるというものでもない。自分に出来るのは事態を静観することだけであり、何らかの結末に辿り付くのは自分以外の当事者たちなのだ――そう考えることにした横島は、思考をよりレヴェルの低いものへと切り替え――
「とりあえずは」
扉を閉めてなお部屋々々から聞こえてくる酔っ払いたちの呻き声に苦笑を浮かべる。とりあえずは、この子たちをどうするかだよなぁ。折角の修学旅行初日の夜に酔い潰れて何も出来なかったとあっては、悔やんでも悔やみきれないに違いあるまい。とはいえ。
「どないせぇっちゅうんじゃ」
文珠で一人一人酔いを醒まして回る、というのも一つの手段ではあるが――今の横島にそれを為すだけの文珠のストックはない。かといって、体調が悪い現在、生徒たちの人数分の文珠を作り出すのもままならない。八方塞がりだった。
「――――あとで酔気退散の符でもこさえて部屋に張っとくか」
なにもしないよりはマシだろう。横島はそう考え、持参した道具の在庫を思い出す。まぁ、なんとかなるか。そこまで考えたとき、
「あら、横島先生。まだ入ってらっしゃらないんですか?」
「ああ、どーもしずな先生」
見目麗しい女教師に話し掛けられ、横島は会釈をひとつ。そして苦笑を浮かべる。
「つか、しずな先生。横島先生ってのはやめてもらえませんかね?」
どーにもむず痒くって、と横島は苦笑を浮かべたまま頭を掻いて言った。そんな横島に、しずなは優しげな微笑みを浮かべてみせる。
「あら? だって先生は先生ですもの。ね? 横島先生」
悪戯っぽく言うしずなに、横島は参ったなと苦笑を深くした。かつて麻帆良高等部に在籍中、中等部を受け持っていたしずなから直接教えを垂れてもらったことこそないものの、学園長関連で面識があった横島は、自分のモロ好みであるしずなに散々アホウな言動を――セクハラ紛いの言動を繰り返し、それをしずなに軽くあしらわれたという過去がある。そして、当時、横島はしずなからくん付けで呼ばれていた。あらあら横島くん? おいたはダメよ? ――そんなしずなから先生付けで呼ばれると、どうにも落ち着かない気持ちになるのだ。
「いや、だから」
「どうしたんですか? 横島先生?」
アレか。昔さんざんセクハラかましたことへの意趣返しかなんかか。笑みを浮かべたまま先生付けをやめようとしないしずなに、横島は溜息をひとつ。つーか相変わらず子供扱いされてないか、俺?
「いや、もーいーです」力無く首を振って、横島は言った。「それより、まだ入ってない、って何のことです?」
「お風呂ですよ」首をかしげてみせる横島に、しずなは答えた。「教員は生徒たちより早く入浴しておくように――って伝達があったでしょう?」
「――おお」
しずなの言葉に、横島はそーいえば、と手を叩いた。横島たち麻帆良女子中等部一行が滞在しているこの宿の風呂は、混浴の露天風呂であった。新田や瀬流彦といった男性教員がいるため、生徒たちとはち合わないように時間帯をずらして入浴することになっていた。
「そーいやぁ、そんな話もしてましたね」
いや、がっつり失念してました、と苦笑する横島に、しずなもつられて苦笑を浮かべる。体調不良もさることながら、他の教員たちの目を盗みながらの泥酔者対応で、横島の脳内から入浴に関する事項が抜け落ちてしまっていたらしい。
「もうしばらくすると、生徒たちもお風呂に向かいますから」
「りょーかいっス。んじゃ、まぁひとっ風呂浴びるとします」
言って、横島は自分に割り当てられた部屋に入浴道具を取りに向かい――あれ? 俺って今は女だから生徒とはち合わせても問題ないんじゃ? と首を捻る。捻って、いやいやまてまて、と考え直した。確かに、自分の今の身体は女であり――生徒たちは自分の守備範囲外の存在である中学生だ。だがしかし。もしこう、身も心も風呂の心地良さで緩みきって弛みきってるときに長瀬・楓や龍宮・真名、那波・千鶴、雪広・あやかといった女子中学生という枠をあっさり無視したボディの持ち主と鉢合わせてしまったら思わずセクシャルでハラスメントな行為に及んでしまうかもしれない。自分の心の平穏のためにそれは回避すべきだろう。ちくしょうめ、どーしてあと一年早く生まれてなかったんだキミら。
首を捻ったり頭をぶんぶんと振ったりしながら自室へと向かう横島を、変わらないわねぇ、あの子、と微笑ましいものを見る目で見送っていたしずなは、
「あっ」
はたと気付いた。
「――いけない。ネギ先生にもお風呂を勧めたんだったわ」
横島と合うほんの少し前。子供が先生をやっているという事実に目を瞑れば、実に好感の持てる少年であるネギ・スプリングフィールドに同じ内容の注意を促したことを、しずなは思い出す。思い出して――
「大丈夫よね?」
「案の定、浴衣が備えてあったか」
若干、着崩した着こなしで浴衣を着た横島は、シャンプーやリンス、ボディーソープといった入浴道具を入れた小さな籠を小脇に抱えて一人呟く。手にしているシャンプー類は、麻帆良に来てからこちら使うようになっている名の知れたブランドのものだった。麻帆良に赴任する以前は、一〇〇円ショップで買い求めたものを愛用していたのだが、エヴァンジェリン宅においてそれを使用していたら、ある日これらを押し付けられた。押し付けたのはそれらの品を見立てたエヴァンジェリンである。横島としては、そうした物に拘るようなことはないのだが、どうもエヴァンジェリンとしてはそれが許せなかったらしい。断ったら酷いことするぞと言わんばかりの視線と一緒に贈られて以来、横島は今現在手にしている品を使っている。
「――ネグリジェ、無駄になったなぁ」
呟き思い出すのは、エヴァンジェリンの勧めで購入したヒラヒラでスケスケのえっちぃ意匠のネグリジェのことだった。間違っても団体旅行先の夜着に使うシロモノではないそれを、横島は部屋に備え付けてあった浴衣を見つけてこれ幸いとばかりに着ないことにした。似合う女性が着ているのを見るぶんには目の保養になるが、自分で着るのはちょっと勘弁――何故か自分のボディサイズを熟知しているエヴァンジェリンに買い与えられたそれを着ないことには多少の罪悪感を覚えないでもないが、苦手なものは苦手なのだ。
ぺたぺた、とスリッパに独特の跫を廊下に響かせながら横島はそんなことを考えながら歩き――
「混浴なのに入り口は別々なのな」
いや、まぁ、流石に脱衣所まで一緒だとまずいか。二つに別れた入り口に掛った暖簾を目にしてそんなことを考えた。暖簾をくぐる。スリッパを下駄箱に放り投げ、脱衣所の壁にあつらえられた棚に備えられている籠に浴衣と下着を放り投げ――
「――――?」
風呂にあまり似つかわしくない音が響いてきたことに、横島は眉を顰めた。湯煙立ち昇る和風風呂に似合うのは、木製の桶を床に置いたときに響く湿った木の音であったり、桶で湯船から掬ったお湯が身体を流れていく水音であったりする。間違っても、なんか硬質なモノをぶった斬るよーな音であったり、爆音のような水音であるはずがない。ないったらないのである。
「…………旅行先でぐらいはゆっくりしたいよなぁ」
それも風呂時ぐらいは。溜息を漏らした横島は、シャンプー類が入った小さな籠を小脇に抱えると、タオルを肩にひっかけて引き戸を開け放って風呂場に入り――
まっぱでナニを掴んだり掴まれたりしてる同僚と教え子の姿を目撃した。横島は思う。最近の子は進んでるなぁ。ぼんやりとそんなことを考えていると、湯煙の向こうでこちらのことに気付いたらしい同僚と教え子――ネギ・スプリングフィールドと桜咲・刹那と目が合った。気まずい沈黙がその場を支配する。
「安心しろ。新田先生や瀬流彦には黙っとくから」
「だから違うんだってタダオ!!」
「横島先生! 誤解だと言っているじゃないですかっ!!」
気を効かして言った一言にマッハで首を振ってみせた二人に、横島は判ってる判ってるみなまでゆーなとばかりにうんうん頷きながら言い、やはりそれに二人が揃って首を振ってみせる。
「いや、しかしな?」小脇に抱えた籠を置いて、横島は二人の姿をまじまじと見て、言った。「その状況でそないなこと言われても説得力皆無やぞ?」
「「?? …………ああっ!?」」
横島の一言に、掴まれたり掴んだままの体勢で固まっていた二人ははっと顔を見合わせ直後に赤面しつつばっと離れる。そんな二人を生暖かい目で見る横島。思う。うむ、初々しい。
「しかし、まぁアレだ。――進んでるな?」
「違うんです違うんですこれは仕事上相手の急所を狙うのはセオリーであって私はそれを忠実に実行しただけでやましい行為に手を染めていたわけではないんです信じてください!!」
「ワンブレスで言い切ったな」
くわっ! と鬼気迫る表情で詰め寄りながら言い切った刹那に、横島は思わず感心し――
「仕事?」
首を捻る。ナニを握っていたことに対する羞恥かはたまたあらぬ誤解を解こうと興奮しているのか、顔を真っ赤に紅潮させている刹那に、横島は問う。
「仕事って――護衛の?」
「そうですそうなんですそういうわけでけして私はやましいことを――」
「よし、おちつけ」相変わらず句読点皆無の読み辛いことこのうえない台詞を口にしようとした刹那を、横島は手でその口を塞いで黙らせる。「どういうことだ? ネギ?」
「そいつぁスパイなんでさぁ!!」だが、横島の問いに答えたのはオコジョ妖精だった。「ネギの兄貴に託された親書を狙う西の刺客でさぁっっ!!」
つーわけで横島のアネサン、ここはひとつズバっとやっちゃってください!! そう喚くカモに横島は――
「なんで桜咲さんが西の刺客なんだよ」
もう一度首を捻った。そんな横島の素朴な疑問にネギとカモはきょとんとした表情を浮かべ――もしや、と眉を顰める。
「その、なんだ――おまえら」眉間によった皺を伸ばすようにそこを人差し指で抑えた横島は一人と一匹に問う。半ば返ってくる答えを予想しているような声色だった。「もしかしなくても知らんのか?」
「な、なにを?」
股間を濡れたタオルで隠すネギの困惑したような声と表情に、横島はやっぱり、と肩を落とした。はっは、あのジジイ。今回手落ちばっかじゃねぇか。ヤル気あんのか。内心で遠く離れた麻帆良の地にいる後頭部ひょろ長ジジイに悪罵をついた横島は、疲れたような表情で口を開いた。
「桜咲さんは、味方だぞ?」
「「へ?」」
子供先生とオコジョ妖精の声が見事にハモる。そんな一人と一匹の様子に横島はやれやれと首を振り、
「っぷぁっ! そうです! 私は敵じゃありません!!」横島の力が緩んだ隙に、口を抑えていた手を振り払って刹那が叫ぶように言った。「3−A出席番号15番、桜咲・刹那――一応、先生の味方です」
一応かよ。横島は一人内心でツッコミを一つ。そんな横島の内心など知りようはずもないネギは、横島と刹那の言葉に目を点にして、
「あの、それってどういう――」
いまだ状況が飲み込めていない様子で首を傾げてみせる。だが、ネギがその答えを得ることはなかった。ネギが口にしていた台詞を言い終える前に、刹那、あるいは横島がネギの疑問に答える前に。
「この悲鳴は!?」
「このかお嬢様っ!?」
露天風呂の外から聞こえてきた絹を裂くような悲鳴に、ネギと刹那は悲鳴のした方を一斉に振り向く。何時の間に手にしていた得物――野太刀を握る手に力を込めた刹那が、まさか奴等このかお嬢様に――と、呟き、血相を変えて風呂場を飛び出す。ネギはネギで刹那の言葉に含まれていた名前とその台詞に首をかしげつつも、教え子であり同室の少女の悲鳴に何事か、と先に飛び出した刹那の後を追う。
二人が相次いで飛び出していったことにより、誤解と連絡不備によって生まれた間抜け時空が消え去り常態へと復した露天風呂には、横島ただ一人が取り残された。湯煙の間を縫うようにして夜空から降り注ぐ月明かりと星明りに照らし出される横島は、独り占め常態となった露天風呂でしばし疲れをほぐすように眉間を揉むと、
「風呂、入るか」
何事も無かったかのように独り呟いた。腰を屈め、横島が場に姿を現す前に行われたらしい騒動によって散らかっている石を敷きつけた床、そこに落ちていた手桶を手にとると、湯船から湯をすくい、けして体調不良ばかりを原因としない旅行初日から妙に疲れてしまっている身体にかけ湯する。少なくても不特定多数の人間が入る公衆浴場に類するものを利用する際のマナーを済ませた横島は、小さく息をつくと、先ほどまでの騒動が嘘のように静かに細波立たせている湯船に身体を沈めた。
優しく自分を包み込んでくるような温泉の暖かさに、横島は小さく溜息を漏らした。ここしばらく感じていた心身の疲労がじわりと癒されていく。これで酒でもありゃあ言うことなしだな――そこまで考えて、横島は小さく舌打ちした。
「バスの中で呑み尽くすんじゃなかったな」
しかも、どちらかといえば自棄酒に近い呑み方で飲み干してしまうべきではなかった。数時間前に舌鼓をうった芳醇な味と香りを思い出して、横島はそう後悔する。とはいえ、やってしまったことはどうにもならない。細波たち湯煙を絶えることなく漂わせている温泉に肩まで浸かる横島は、数時間前の自分の浅慮を悔いながら――
(あとで酒買っとこう)
売店に地酒のひとつでも売ってりゃあいいんだが。横島がそんなことを考えていると――
「うん?」
脱衣所のほうに誰かの気配を感じる。確か、まだ生徒たちが入浴する時間じゃなかったが――そう考えてた横島は、思わず自分の表情がやに下がってしまうのを自覚しながらも、それを押し留めることが出来なかった。今はまだ生徒たちに割り振られた入浴時間ではなく、それはつまるところ。
「しずな先生の入浴シーンが拝めるという寸法なわけでっ!!」
美人女教師のチチシリフトモモっっ!! 横島は思わずここのところ面倒ごとが続いている自分に対する降って湧いたような幸運に感謝した。高等部在籍中、何度か着替えを覗こうとしたことがあったが、かつての上司など問題ではないレヴェルでガードの固かったしずなの肢体を、横島はついぞ拝むことが出来ないでいた。一時は、しずなの豊満な肢体を一目記憶に焼き付けるまでは麻帆良から離れないでいようかと思ったほどである。ああ、神様有難う。横島は星の輝く夜空を見上げて心からそう思った。キーやんもたまには粋な計らいをしてくれる。いやいやまてまて。寺社仏閣が多い京都だから、もしかしなくてもブっちゃんかもしれん。そんなことを考える横島は、入ってくる教師が新田や瀬流彦の可能性もあるということは微塵も考えない。というか男性教諭陣のことなどすっかり忘れてしまっている。
横島がそんな考えの足りないことを考えていると、
(キタ―――――――――――――――――――――――――ッッ!!)
どうやら脱衣を済ませたらしい相手が、浴場のほうに移動を開始した。その気配を察知して、横島は湯船のへりにバっと移動。天然石を加工して作られたそこにかじりつくようにして入り口の方をガン見。その様子はストリップ小屋で踊り子のオネーサンの登場を今か今かと鼻息荒く目を充血させて待ち構えているオッサンのようであった。
そして、入り口をガン見している横島の視線の先に現れたのは、
「…………」
「なにしょっぱい顔をしてるんだお前は」
泣き出しそうな顔をしている横島を見て怪訝そうな表情を浮かべる金髪の幼女だった。そんなことだろうと思ったよドチクショ――――――――――――ッッ!! 内心で血の涙を流しながら魂の叫びをあげる横島。むっちむちに熟れまくった豊満なボディを期待していたら出てきたのはケも生えていないようなというか生えていないツルンでペタンなボディであるので横島の落胆も当然であった。もっとも、それを口に出して相手にド突かれないあたり精神的な成長が窺えるが数百億年使ってその程度の成長かよというツッコミは勘弁。そんな横島の内心を悟ったらしい。エヴァンジェリンの表情が若干厳しくなる。
「おい、今なんかひどく失礼なこと考えてるだろ?」
「イエ? ソンナコトナイデスヨ?」
わざとらしく口笛を吹いて視線を逸らせる横島の判り易過ぎる反応に、このバカは、とエヴァンジェリンはこめかみをひくつかせる。その様子を見て取った横島は、ヤバイと感じたらしく、この愛らしい吸血鬼の少女が癇癪を起こす前に慌てて話を逸らせるように声をかけた。
「と、エヴァちゃんどーしてここに?」
生徒はまだ入浴する時間じゃないだろう? そう言ってくる横島に、エヴァンジェリンは、ふン、と鼻を鳴らしてみせる。
「そんなこと私の知ったこっちゃない」
風呂に入りたくなったから入ったまで――そう言ったエヴァンジェリンに、身も蓋もないなー、と横島は苦笑する。もっとも、エヴァンジェリンは横島の部屋を訪れ、そこに彼女が居なかったために浴場を訪れたのだ。ようは横島に会いにきたのだが、それを口にするのはいささか業腹だったので黙っている。
「折角、オマエのために良い物を持ってきてやったんだがな」
「良い物?」
少しばかり腹の立つ態度を見せた横島に、エヴァンジェリンは当て付けるように言い、横島は首をかしげた。
「バスで飲み足りなさそうな顔をしていたからな」
そう言ったエヴァンジェリンは、後手に持っていたものを横島の前に差し出す。ワインの瓶と、ワイングラスだった。ナイトキャップに、とエヴァンジェリンが持参した一品だった。
「温泉にワインかー」
えれぇミスマッチやなぁ、と横島。
「ふン、いらんのならやらん」
不機嫌そうに鼻を鳴らして、エヴァンジェリンは横島の隣に入浴する。機嫌を損ねてしまったらしい吸血鬼の少女に、横島は、ああん怒らんとって〜、と平謝り。もっとも、エヴァンジェリンとしても和風温泉にワインは似合っていないと思っているのですぐに機嫌をなおす。最初は、横島の部屋で杯を酌み交わすつもりで持ってきたので、仕方の無いことでもあった。
「横島、勺をしろ」
「へいへい。畏まりましたお姫様」
飲ませてやる代わりだ、とエヴァンジェリンは瓶を横島に手渡し、横島はそれを苦笑しながら受け取る。コルク抜きも使わずに、瓶に封をしているコルクを抜くと、口開けたばかりの瓶から、バスの中で呑んだ大吟醸とはまた趣きの異なる、だが、芳醇極まりない香りが漂ってきた。エヴァンジェリンが持っているグラスに、風味を壊してしまわないように注ぐと、漂ってくる香りは一層強くなる。
「そら、オマエもグラスを持て」
さきほどまでの不機嫌さは何処へやら。上機嫌にエヴァンジェリンはそう言い――おそらく、純日本的な趣の露天風呂に使っているせいで機嫌が良いのだろう――横島からワインの瓶をひったくるようにして奪い取る。
「ありがたやーありがたやー」
「せいぜい感謝するがいい」
おどけるようにして言う横島に、エヴァンジェリンは恩を着せるように――といっても、こちらはこちらで冗談めかした口調で言って、グラスに芳醇な香りを漂わせる液体を注いでやる。
「んでは、いただきま――」
横島がそう言った瞬間、何か外で大きな音がした。喩えるなら、気を込めた剣閃が大気を切り裂くような音といった感じの音だった。それを聞いた横島は、
「――いただきます」
何事も無かったかのようにワイングラスに口をつけた。グラスの中に注がれていた液体を口に含んだ横島は、それをしばし舌の上で転がすようにした後で喉を濡らす。
「いや、日本酒もいいけどワインもなかなか――――ってどないしたんや? エヴァちゃん」
「いや、いいのか?」
自分のことをしげしげと見ているエヴァンジェリンに横島は尋ねた。
「なにが?」
「あれは、桜咲・刹那だろう?」
要は、外で起こっている面倒事を放っておいていいのか? と言いたいらしい。だが、横島は、
「俺の仕事じゃないしなぁ」
そら惚けた表情でそう言った。
「それに、今は体調不良やし。出てっても足を引っ張りかねんしなー」
何を白々しい。ワインをちびちびと口に含んでは幸せそうな顔をしている横島に、エヴァンジェリンはしらけた視線を送る。オマエが体調不良ぐらいで他の誰かに遅れをとるはずがなかろうが――そう思っている。とはいえ、エヴァンジェリンにしても、学園の外で起こっていることに積極的に首を突っ込むつもりはない。それが、自分、あるいは横島に降りかかってこない限りは。そうした次第であるので、
「そら、横島。グラスを寄越せ」
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、自分好みの露天風呂で誰にも邪魔されることなく二人きりで横島と美味い酒を楽しむことに専念することにした。
「――――ナニをしているのかね、瀬流彦先生」
「見てのとおり、風呂に入ろうとしていますが――それがどうかしたんですか? 新田先生――って、ああ!? いきなり襟首引っ掴んでどこに連れてくつもりなんです!?」
「瀬流彦先生、きみさっき私と一緒に入浴しただろうというか今は生徒たちの入浴時間だということを理解しているかね? 同僚が若気のいたりで過ちを犯そうとしているのを看過するほど私は優しくないのだ」
「後生、後生です新田先生! 今しか、今しかないんです! 修学旅行編でボクに出番を作るのは今しか――――!!」
「いいからきたまえ」
「ああ、出番! ボクの出番がぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
(※そのまま引き摺られてフェードアウト。BGMは『ドナドナ』で)
今回はあーるネタはなしということで(※挨拶)。久方ぶりの金曜更新ですがアレだ。原作の方では刀子センセイがステッキーだったりナツメグタンというおにゅーの眼鏡っ娘が出てきたりでセンセイウハウハですよ!!(※誰がセンセイか) それはそうと刀子センセイは葛葉・刀子でいいのか、ナツメグタソはもう出番なさそうな気がするとかそんなことより備蓄が残り一本に。うわ、ぼくうたからまだ脳が切り替わってねぇっ!? 日曜までには第十八話を脱稿しよう。そんなことを言いつつ、では、また来週ー。
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