無題どきゅめんと


「いよぅ」

「――――っ」

 西洋魔法使いの子供とすれ違い、彼の開けた結界の隙間から『ホテル嵐山』――麻帆良女子中等部の一行、つまり関西呪術協会の長の娘であり、関東魔法協会の長の孫である近衛・木乃香を含む一行の投宿している旅館に入り込むことに成功した天ケ崎・千草は、一切の気配を消してそこに立っていた浴衣姿の見目麗しい女性に声をかけられて息を詰まらせた。

 心臓に悪いヒトどすなぁ。思わず声を漏らしそうになった千草は、それを飲み込むようにしたあとで小さく溜息をついてそう思った。幾ら経験の足りぬ子供たちが相手とはいえ、敵の陣に息を殺して忍び込もうとしている最中に、いきなり声をかけられたのだ。千草の動揺も無理のないものであった。

 とはいえ、千草もそれなりに裏の世界で時間を過ごしてきただけあって、おいそれとそれを表情に出すような真似はしない。なるたけ平静を装って声を返した。

「おばんどす、横島はん」

「ああ、こんばんはお嬢さん」

 見た目、下手をすると自分よりも若いかもしれない相手に『お嬢さん』呼ばわりされた千草は、一瞬、目を丸くし――それも仕方ないか、と思う。年齢云々は別にして、目の前に気だるそうにして佇んでいる、マクワウリを思わせる甘い香りを漂わせるすこぶるつきの美女は、自分など及びも突かぬほどの術者であり、戦闘の達人なのだ。そんな相手からすれば、自分などそれこそ『お嬢さん』と呼ばれても仕方の無い存在なのだろう。

「で、何の用でっしゃろ? 横島はんほどのおひとと話せるんは嬉しいんどすが、うちもイロイロやることありますさかい」

 探るような目で言う千種に、横島は肩を竦めてみせた。

「なに。顔を見かけたから声をかけただけさ」安心しろ、とでも言うように横島は続ける。「千草ちゃんの邪魔をするつもりはないから安心しな」

「――――そら嬉しいんどすが」横島の言葉、その真偽を疑うのと同時に、その言葉に含まれていた、何か懐かしい響きに、それがなんであったかと首を捻りながら千草は尋ねた。「せやけど、なんでですのん?」

 それは、地主神社でも覚えた疑問でもあった。あの時、自分の動機を聞いた横島は、言い表しようの無い複雑な表情を浮かべたあとで、そうか、と小さく呟いてその場をあとにした。少なくても、麻帆良に――西洋魔法使いの陣営に身を置くものとして、自分の口を割らせてこちらの計画のことを探ると思っていた。

「なんでっつわれてもなぁ」

 困ったように、本当に困ったように横島は言い、髪を下ろしている頭を掻いた。掻いて、しばし口にすべき言葉を捜すように視線を彷徨わせたあとで、

「俺の仕事じゃないしな」

 とりあえず、といった感じでそう告げた。

★☆★☆★

「お嬢様っ!?」

「おわっ!?」

「む――――」

 エヴァンジェリンとの晩酌を楽しんでいる横島は、騒がしくなった外――脱衣所のほうから、突如として小猿の群れに担がれた近衛・木乃香が飛び込んでくるのを頭をずらして避け、

のわ――――――――――――――――――っっ!?

 その頭上を氣を込めた刹那の鋭い剣閃が薙ぎ払う絵に思わず声をあげた。はらり、と数寸遅れて幾筋かの黒髪が舞い落ちる。木乃香、あるいは彼女を担いでいた小猿を避けていなければ、髪の毛の代わりに横島の首が薙ぎ払われ、湯面に落ちていたに違いない。

「なにすんじゃこらぁっ!?」

 剣閃の一振りによって小猿の群れを蹴散らし、石を敷き詰めた床に落下しそうになった木乃香を抱かかえ、ほっと安堵の息を漏らしている刹那に、横島の涙交じりの罵声が飛ぶ。流石に、今のは命の危険を感じたらしい。親の仇でも見るような視線で刹那を睨みつける。

「す、すすすすみません横島先生っ!!」

 木乃香の身を案じるあまり、気を急いていた刹那はあやうく自分が殺人犯になってしまうところだったことに怖気を振るいながらも、慌てて頭を下げる。とはいえ、脱衣所から浴場に飛び込んだ瞬間、横島の頭が剣閃の軌道からはずれていることを見ての行為だったのだが――危険な一撃であったことにかわりは無い。

 いまだ涙目の横島に睨まれ続けている刹那は、見ていて憐れを催すほどにぺこぺこと頭を下げ――

(むっ!?)

 浴場を囲っている竹製の囲いの向こうにヒトの気配を感じ、動きを止めた。が、すぐにその気配もなくなる。気配のしたほうに視線を送りつつ、刹那は逃がしたか、と舌打ちをひとつ。脱衣所のほうから、ネギと明日菜が飛び込んでくるのを感じ、そちらを見ようとして、

「せ、せっちゃん」

 自分が抱かかえている木乃香が、潤んだ瞳で自分を見ていることに気付いた。声をかけられ、思わず木乃香の顔を見た刹那は、自分が抱かかえている宝石よりも大切な存在が、困惑しながらも嬉しそうな表情を浮かべていることを見て取る。

「な、なんかよーわからんけど」やはり困惑した表情のままで、刹那の腕の中に収まっている木乃香は、だが、それでも嬉しそうに言った。「助けてくれたん? あ、ありがとう」

 自分の何よりも欲しているモノ――木乃香の笑顔。たとえ、満面の花咲くようなそれでなくても、笑みは笑みであることに代わりは無いそれを与えられた刹那は――

「あ、いや……」

 それまで、まともに口を交わしてこなかったことも手伝ってか、それに対してまともなリアクションをとることが出来なかった。自分の頬が紅潮していくことを自覚しながら、刹那は一時的に混乱した指向に陥る。そして、

「ひゃっ!?」

 無意識に木乃香を抱かかえている腕から力を抜いてしまった。湯船に落下し、可愛らしい悲鳴をあげる木乃香を尻目に、刹那は逃げるようにしてその場を去ってしまう。その一部始終を、横島とエヴァンジェリンは注ぎなおしたワインを片手に、興味深そうに見つめていた。

「あっ……」

「ちょ、なによ今のは」

 置き去られる形になった木乃香と、挙動不審気味の刹那の態度に首を捻る明日菜。その二人を尻目に、ことの展開についていけず目を白黒させていたネギがようやくのこと常態に復した。そして、常に戻った途端に脳裏に湧き上がってくる疑問をくちにする。

「こ、このかさん」ネギが自分も目の前の少女も一糸も纏っていない姿であることも忘れて問う。「あの刹那さんって人は何なんですか!? こ、このかさんのこと、お嬢様って言ってましたけど」

 尻馬に乗る、というわけではないのだろう。が、それでも明日菜も気になったらしく木乃香に問いをぶつける。そして、そんな二人に木乃香はぽつぽつと昔の話を語り始め――

(ふむふむ)

(どうでもいい話だ)

 ワインをちびちびやりながら、女教師と金髪幼女が耳を傾けてたりする。もっとも、エヴァンジェリンのほうはかなりどうでもよさそうな按配である。折角、横島と二人きりで杯を交わしていたところを邪魔されて少々機嫌が悪いらしい。

 一方、横島はワインを舐めるようにしながら、木乃香の口から語られる過去を、興味深そうに聞いていた。話終えたらしい木乃香が、そしてネギと明日菜が浴場を後にしたのを確認して、

「エヴァちゃん、どう思う?」

「何がだ?」

 黙って自分の前にグラスを差し出したエヴァンジェリンに勺をしながら、横島は問う。

「あのあたりが桜咲さんが影から護衛するってスタイルに拘ってることの原因のような気もするんだけど――」

「するんだけど?」

「でも、それだけじゃないよーな気もするんだよなぁ」

 ううん、何やろ? と首を捻る横島を横目で見つつ、だが、エヴァンジェリンは桜咲・刹那が極度に近衛・木乃香と接触しないようにしている理由が判った。直感的なものといっていい。

(あの小娘は、恐れている)

 そうに違いあるまい。エヴァンジェリンはそう思った。あの神鳴流の少女は、何がしかの人外の存在との合いの子――ヒトとバケモノのハーフだ。その正体が何であるかまではおいそれと察することは出来ないが、懸命に隠そうとしている気配でそれは判る。

 古来より、ヒトは自分と違う存在を排撃するという性質を持っている。だからこそ、異端者は異端者として害され、集団を石持て追われてきた。それがヒトに在らざるものであれば、その傾向はより顕著となる。人間は、人間以外の存在には優しくない。

 だからこそ、桜咲・刹那は恐れている。

 自分が何より大切に思っている、何にもかえて守りたいと思っている近衛・木乃香に自分の正体を知られ――恐れ、遠退けられることを。

 だからこそ、あの少女は自分から護衛対象に近寄らないようにしている。近しくなければ、自分のことを知られる危険も減るし、恐れられることもないからだ。

 そうした刹那の心の在り様を、エヴァンジェリンは痛いほどに理解することが出来た。自分がまだ、子供であった頃――本当の意味で、ただの子供であった頃、わけも判らないうちにバケモノへと貶められてからの日々。ただヒトではないというだけで恐れられ、迫害される日々。近しかったものから向けられる忌避の視線。罵倒。悪意。もう掠れてしまった記憶の彼方の自分はそれにどんな思いを抱いたか。

 だからこそ、エヴァンジェリンは桜咲・刹那の心情を痛いほど理解することが出来た。

 そして、と思う。もし、自分の横で首を捻っているとぼけた女に、自分が人間ではないという理由で拒絶されたら――

 そう考えて、エヴァンジェリンは思わず怖気をふるった。考えたくも無い想像であった。自分に春の陽光の暖かさを思い出させてくれたこの女に拒絶されたら――自分はまた、虚無のような無限の時間の牢獄に叩き落されてしまう。そんなことは御免だった。

 そこまで考えて――

「うん? どうしたんやエヴァちゃん?」

「いや、なに」微かな自嘲を顔に浮かべていたことを、こうしたときだけは聡い横島に気付かれたエヴァンジェリンは小さく苦笑を浮かべた。「私は本当に弱くなってしまったのだな――そう思っただけだ」

「いや、エヴァちゃんが弱い言うたら地球人類の大半は貧弱なぼーやになってしまってブル●ーカーが必需品になってしまうよーな気がするんだが」

 雰囲気を読まない女、横島・多々緒(二十三歳)。ちなみに、しまった今はブルワ●カーよりもアブフ●ックスのが最先端だったか、とか思っているがそれはそれで古いぞ。

「――――」

 横島の明らかに空気読んでません的な発言に、だが、エヴァンジェリンは、

「くっ」

 喉を鳴らすようにして、小さな笑いを漏らした。内心で思う。これだ。これが横島だ。そうだ、こんなスットコドッコイな女が、私がニンゲンでないというだけで畏怖するはずがないじゃないか。莫迦だな、私は。

「ぬん? 俺なんかオモロイこと言ったか、エヴァちゃん」

「いや、面白いことを言ったとか言わないという以前に」くつくつと喉を鳴らすように笑いを零しながら、エヴァンジェリンは首をかしげている横島に言った。「オマエは本当に面白いよ」

「なんか遠回しに莫迦にされてるよーな気がするのは気のせいか?」

「さて、な?」

★☆★☆★

「横島先生、どうしたでござるか?」

「どうしたっつーか、巡回中だ」

 何をするというわけでもなしに、廊下をぷらぷらとしている自分のクラスの副担任兼師匠を見かけた長瀬・楓は、首を傾げながら尋ねた。そんな楓に、横島は疲れた、というように答えを返した。さきほどまで、簡易な作りの符ををあちらこちらに貼って回っていた。もちろん、昼に飲みすぎたままダウンしている3−Aの面々の酔気を払う効果を発揮する符である。簡易的なものだけあって、貼ってすぐに酔いが醒める――ということはないが、少なくてもウンウン唸っていた悪酔いはマシになるし、翌日に酔いが残るようなことだけはなくなるだろう。

「巡回というと――アレでござるか?」楓はただでさえ細い目をすっと細めて、尋ねた。知らず知らずのうちに、辺りをはばかるような小声になっている。「ネギ坊主と同じ用件でござろうか」

「うんにゃ」楓の問いに、横島はあっさりと首を振った。「お――私は、フツーに教師として巡回中。ウチのクラスにゃどーもはっちゃけてる子が多いからね。新田先生にきつく言われちったい」

 面倒だ、と言わんばかりの口調で言う横島に、楓は肩透かしを喰らったような表情を浮かべる。それに構うことなく横島は言葉を続ける。

「まぁ、今日のところはみんなアレだから静かなもんだ――明日以降ひじょーにアレな気がせんでもないが」おそらく今日の分もはしゃぐに違いない、と肩を竦めて横島は言う。言って、横島は楓の肩に手を置いた。「まぁ、そんなワケで私は教師として忙しいから長瀬さんはいろいろと気にかけておいてもらえないかな?」

「――――アイアイ♪ 判ったでござるよ」

 もちろん、楓は何に気をかけるのか理解している。少なくても、明日の夜に確実に起こるであろう生徒たちの乱痴気騒ぎのことを言っているのでないことだけは確かだ。自分の意を汲んで然りと答えてみせた楓に頷いてみせ、だが横島は釘をさす。

「だけど、過剰な手助けは禁物な?」

「それも心得ているでござる」

 ネギ坊主のためにならんでござるからな、と楓。そういうこった、と横島は頷き、

「ま、長瀬さんも修学旅行を存分に楽しむよーに」楓の肩に置いていた手をひらひらと振って横島は彼女に背を見せた。「――帰ったら中間考査だし」

 居残り補習だし、と横島に言われて楓は顔を青くした。一応、教師としての本分を忘れていないらしい横島の背を呆然と見送りながら、楓は、どーやったら赤点――横島の担当している教科である理科で赤点をとらずにすむか悩み出した。


 楓に致命的な一撃を与えた横島は、そのまま階段を下りロビーに抜ける。別段、麻帆良学園女子中等部の貸切というわけではないのだが、ゴールデンウィークなどの観光時期でないこともあって、自分の生徒以外の人影は極端に少なかった。加えていうなら、ロビーにたむろしている女子中学生――それも所謂女子校の生徒たちだけが持っている独特の空気にあてられてそそくさと自室に引っ込んでしまっている。

 そうした次第で、ロビーには麻帆良の関係者――生徒たち以外の人影は極端に少なかった。時間も時間だからか、ロビーに下りる際に、何人もの生徒たちとすれ違い、横島先生おやすみなさい、はい、おやすみなさい、と挨拶を交わして横島はロビーに降り立った。舌打ちをひとつ。寝酒に土地の地酒でも、と売店のほうを見ると、すでにシャッターがおりていた。受付のカウンターにも人影はない。

「酒買ってから符を貼ってまわればよかった」

 あてが外れて肩を落とした横島はぼやくように言い――ロビーにあるテーブルを囲んでなにやら話している子供たちの姿を見つけた。何時ものクセで、足音を忍ばし気配を絶って横島はその一団に近付き――

「なにしてんだ?」

「「「「うひゃうっ!?」」」」

 声をかけると、その場にいた三人と一匹が珍妙な声をあげた。その間抜けな声に、横島は思わず小さな笑いを漏らす。一方、いきなり背後から声をかけられたことで間抜けな声を漏らしてしまったものたちは、ばつが悪そうに、そして恨めしそうに横島を睨む。

「た、タダオ。脅かさないでよ」

「ああ、悪い悪い」よほど驚いたのか、目尻に少しばかり涙を滲ませて抗議の声をあげるネギに苦笑しながら横島は謝罪。「で、なにこんな夜遅くに話してるんだ?」

 明日も朝は早いんだぞ? という横島に、ネギの肩に乗っていたカモが答える。

「いや、なに。剣士の――刹那の姐さんのことを疑っちまったワビを入れてたんでさぁ」

 その言葉に、横島は、ああ、なるほどと納得の頷きをひとつ。ちらりと刹那を見ると、微かな苦笑をもらしてこちらに頷いてくる。苦笑の理由は、新幹線の中で自分もネギたちと似たような間違いをしてしまったからだろう。そんな刹那に、横島は肩を竦めてみせ、

「となり、いいかな?」

「あ、はい。どうぞ」

 刹那の横に腰を下ろした。新幹線での一件と、先ほどの露天風呂の醜態があとを引いているらしく、刹那はどこか居心地の悪そうな表情を浮かべていた。それを見て横島は、やれやれ、と小さく肩を竦めた。

「で――誤解はもうとけたんだな?」

「はい」横島の言葉に、刹那は小さく答えた。ネギたちも頷いている。「いま、私の使っている術のことを話していたところです」

「術ってぇと、神鳴流のこっちゃないな?」横島言って、首を捻る。「陰陽術のことか。なるほど、そこの入り口に貼ってある符は桜咲さんの仕掛けか」

 横島の言葉に、刹那は頷いてみせた。

「ふぅん。神鳴流と陰陽術か」

 神鳴流に関しては、小耳に挟んだという程度しか持ち合わせていない横島であったが、昔、始末屋まがいの真似をさせられていたときに、その名はさんざん聞かされたものだ。話半分に聞いたとしても、かなりの威力を誇ると考えていいだろう。加えて、陰陽術。こちらのほうは、横島にも馴染みの深いシロモノであった。なにせ前世で陰陽術士であったのだ。その二つをモノにしているとあれば――

「なるほど。たいした腕前なんだな。ジジイが孫娘の護衛につけるはずだ」

 つーか俺いらんのじゃないか? そう言う横島に、刹那は、私の腕などまだまだです、と謙遜する。謙遜して、刹那はそれよりも、と続けた。

「横島先生、陰陽術にも通じているのですか?」

 ホテルの入り口に自分が仕掛けた符のことを看破してみせた横島に、刹那は首をかしげてみせる。

「通じているっつーか、まぁ、かじった程度だ」

 事実だった。横島の行使する術は、威力こそ大きいものの、その内容に大きな偏りがあった。この世界ではない未来においては、陰陽術など使う必要はなかったので、極めるほどに修練も積まなかったし、この世界においては、落ちてしまった霊力を補うために使っているぐらいのものでしかない。

「えっ!? タダオも陰陽術を使えるの――――あ、そういえば学園長先生もそんなこと言ってたっけ?」

「ネギ。あんな死に損いの妖怪ジジイに先生なんてつける必要ないぞ? あんなクサレ年寄りにはジジイで充分」

 嫌そうな顔でそう言ってのける横島に、なんといっていいものか判らず、曖昧に苦笑を浮かべてネギは口を開く。

「タダオ、陰陽術ってどんなのなの?」

 日本古来のオリエンタルマジックという程度の認識しかないネギは首をかしげて言う。その問いに、横島は面倒くさそうな表情を浮かべながらも答える。

「陰陽術てのはな、だいたい五世紀ごろ、大陸――中国のほうから入ってきた陰陽五行説と当時日本に存在していた神道や仏教、呪禁道なんぞの既成の宗教や思想がミックスされて出来たもんでな。まぁ、陰陽五行思想に関しては相剋だの相生だのとめんどいんで省くが――基本はこの世界の万物に説明つけるための理屈みたいなもんだ。で、その理屈にそって力を行使するのが陰陽術ってわけだ」

「そして、私たちの敵は」横島が大雑把な説明をしてみせたあとを継いで、刹那が口を開いた。「おそらく関西呪術協会の一部勢力――今、私たちが話題にしている陰陽術――陰陽道の『呪符使い』そして、彼らが使役する『式神』です」

「式神?」

「ええ。呪符使い――さきほど横島先生が説明された日本に古来から伝わる独自の神秘である陰陽術の使い手である陰陽師たちは、ネギ先生たち西洋魔術師と同じく、呪文を詠唱する間は無防備となってしまいます。そこで、陰陽師――上級の術者に限りますが――たちは、西洋魔術師が従者を従えているように、前鬼、後鬼という式神をガードにつけているのが普通です」言って、刹那はネギを見る。「それらの式神を破らぬ限り、こちらの剣も呪文も通用しないと考えたほうがいいでしょう」

「ガード……」刹那の説明を聞いて、ネギはあの夜、自分の前に立ちはだかった真祖の吸血鬼と、その従者の存在を脳裏に思い浮かべた。術者の身を護る、従者。式神。一応、想像は出来る。出来るが、それは今の説明を聞いただけの知識によるものでしかない。限られた知識だけで出来る想像はいとも容易く覆されることを、ネギは真祖の吸血鬼との戦いで知っていた。「ううん。そうだ、タダオは式神は使わないの?」

「お――私?」何か期待に満ちた目で自分を見るネギの言葉に、横島は目をぱちくりと瞬かせたあとで答えた。「使わん」

「え? だってタダオは陰陽術を――」

「――使う」疑問の声をあげるネギに、横島は言った。「使うが、私のそれはどっちかってぇと戦闘の補助だ。陰陽術主体で戦うわけじゃないからな」

 つーか式神使うよりも自分でブン殴ったほうが早い――そう答える横島の言葉に、ネギはがくりと肩を落とした。自分の想像力を補うために陰陽術を使うという横島に尋ねたのだが、あてが外れてしまった。そんなネギのしょぼくれた様子を見て、横島は苦笑を浮かべる。

「だが、まぁ式神使いを知らないワケじゃあない。俺の知ってるヒトは洒落にならんよーなの使役しとったからなー」

 もちろん、万年おとぼけお嬢様のことである。かの深窓の令嬢――というにはいささかのーてんきな雰囲気を発散しまくっていたかつての知り合いの使役していた式神である十二神将はぶっちゃけ洒落にならん存在だった。もっとも一番洒落になっていないのはやたらめったらその十二神将を暴走させていたお嬢様だったのだが。横島など、その暴走に巻き込まれて何度死にかけたか判ったものではない。

「ネギ、心しておけ。術者の力量によって差はあるが――式神は面倒だぞ。油断だけはするな」

 はっちゃけた記憶を無理矢理脳の何処かに押し込めた横島は、真剣な表情でネギに言う。そんな横島の忠告に、

「――――うん」

 ネギもまた、表情を引き締めて頷いた。

「注意を払う相手はそれだけではありません」新幹線の中や京都についてからの不手際ぶりに、ネギの実力を評価しかねている刹那が、更なる注意を促すべく口を開いた。「陰陽師たちが所属している――横島先生は違うようですが――関西呪術協会は、私の習得している京都神鳴流と深い関係にあります。神鳴流とは元来、千年の王城であり日本有数の呪術都市である京を鎮護し、世の闇を跋扈する魑魅魍魎を撃滅するために組織された掛け値無しの戦闘集団です。似たような役目を負っていた陰陽師――呪符使いの護衛として神鳴流の剣士が付くこともあり、そうなってしまえば非常に手強いと言わざるを得ません」

「ねぇ? それってちょっとヤバそうじゃない?」

「はい」自分の説明に顔を曇らせた明日菜に、刹那は頷く。「ですが、比較的平和な今の時代に、そうしたことは滅多にありませんが」

 今の時代、魑魅魍魎が跋扈する闇は少ないですから――刹那は少しばかり自嘲気味にそう言う。そんな刹那の自嘲には気付いていないのか、ネギは新たに出現した神鳴流という脅威に慌てたように口を開いた。

「じゃ、じゃあ神鳴流っていうのはやっぱり敵じゃないですか!!」

 先ほどの刹那の言葉――自分は敵ではない、という言葉と食い違っているとネギは言う。そんな困惑した様子のネギの言葉に、刹那は苦く、そして寂しげな複雑な表情を浮かべて答えた。

「はい――――そして、いいえ。たしかに、神鳴流は関西呪術協会と密接な関係にあります。ですが、私は西を抜け、東――関東魔法協会についた言わば『裏切り者』」その表情が言い表しようの無い寂寥感に満ちているのは、古巣である神鳴流のことを思ってのことだろうか。だが、刹那はそれを振り切るように頭を小さく振って言葉を続けた。「でも、私の望みはこのかお嬢様をお守りすること」

 私は、お嬢様を守れれば満足なのです――ネギたちにそう告げる刹那の表情を、何食わぬ顔で観察していた横島は、他の誰にも気付かれぬ程度に小さく首を傾げた。思う。おそらく、この少女の近衛・木乃香を守りたいという思いと決意は本物に違いない。違いないが――

(なんだろーなー)

 何かがひっかかっている。その正体が判らぬ横島は、まぁ、そのうち判るだろうさ、と内心で独り呟いた。そう、これほどまでに木乃香を守りたいと願っている少女が、なにゆえ、不利な護衛方法に徹しているのか。敵の懐の中で、いつまでもそんなぬるい方法が上手くいくわけがあるまい――横島はそう考える。であるからこそ、木乃香の傍に立つ必要が出たときに、刹那の真実が理解できるはず。

 一人そんなことを考えている横島をよそに、刹那が木乃香を嫌っていない――むしろ其の身を案じていると知った明日菜は、自分の友人の掛け替えの無い人物に、もって生まれた気風の良さを発揮する。

「よーしわかったわよ桜咲さん!!」自分の声の調子に面食らっている刹那の背を勢い良く張りながら、明日菜は言う。「アンタがこのかのことを嫌ってなくて良かった! で、それが判ればじゅーぶん!! 友達の友達は友達だからね、私も協力するわよ!!」

 ネギの目的とも一致するみたいだし、と明日菜は言い、ネギもそれに同意する。明日菜とネギの好意に、刹那は戸惑いながらも嬉しさを隠せないでいた。自分の大切な木乃香に笑顔を与えてくれている人々からの好意は、思ったよりも刹那に安心感を与えていた。そんな戸惑いがちな刹那を無理矢理に巻き込むように、ネギが『3−A防衛隊』の結成を宣言し、

「おー、がんばれよー」

「え? タダオは入ってくれないの?」

 横島の、何処までも他人事な声援にネギは戸惑ったような表情を見せる。

「おいおい、もう忘れたんか? お――私が手を出すのはお前等の手に余る事態になってからだって言っただろーがつーか神楽坂さんそない睨まんとってくれんか?」

 アンタまたそんなこと言うのかコノヤロウ的な視線でメンチきりまくっている明日菜に、横島は苦笑を浮かべつつ言う。

「今回、私はどーにも役立たずっぽいんだよ」

「どーいうことよ?」

 睨みつけながら言う明日菜に、横島はしばし言葉を選んだあとで、

「ツキノモノの真っ最中なんだよ、私」

 面倒くさくなってぶっちゃけた。そんな横島の言葉を聞いた明日菜は一瞬、きょとんとした表情を浮かべ、次の瞬間、わずかに頬を朱に染めた。二人の会話を聞いていた刹那の頬も紅潮している。ネギは首をかしげ、カモはにやにやとオヤジ臭い表情を浮かべていた。

「私のは、どーにもヒトより重いらしくてね。今はクスリで抑えてるけど、いざって時に役に立てるか判らないっつーか下手をすりゃ足を引っ張る可能性もある。まぁ、キミらでどーにもならんって時は死ぬ気で頑張ってみるけど、基本的に戦力外だと考えてくれ」

「もしかして、あのときもせ「そーそー」りつうで?」

 新幹線の中、いきなりトイレに駆け込んだときのことを言っているのであろう刹那に、横島は彼女がみなまで言う前に頷いてみせる。一方、明日菜は、女性特有の生理現象に、それなりの経験があるのか、しぶしぶながらといった様子で横島の言葉に理解を示していた。

「つーわけで、ネギ、神楽坂さん、桜咲さん」一応の理解を得られたと判断した横島は、真剣な表情で目の前にいる年少の三人に言った。

「成し遂げたいこと、守りたいものがあるなら――努々、気を抜かないこった」

 それはいつだって、何時の間にか消えてしまうのだから――そう告げる横島。三人はまるでそれを体験したかのように語る横島の口調に神妙な表情を浮かべた。特に、ネギと刹那は横島の言葉を深く胸に刻み、前者は決意もあらたに力強い眼差しを浮かべ、後者は苦い表情を浮かべた。

「よーし!」横島の言葉に、自分の為すべきことへの決意を深めたネギは、その気分のままに口を開いた。「敵――関西の人たちは、今夜も来るかも知れませんね! ボク、外の見回りに行ってきます!!」

「あ、ちょっとネギ――」

 逸る気持ちのまま、自分たちに告げてホテルの玄関に向かって駆け出すネギに、明日菜は気の早いことだと思いながらも声をかける。が、もはやネギの耳には届いていないらしい。そのまま振り返ることなくネギは走り去る。

「いいですよ、神楽坂さん」顔に浮かんだ苦い表情を振り払うようにして、刹那が口を開く。「それよりも、私たちは班部屋の守りにつきましょう」

 外はネギに任せ、自分たちは木乃香の護衛につく――それが、刹那の選択だった。そんな刹那の提言に、明日菜はしばし考えたあとで、そうね、と同意。

「では、横島先生」

「あいよ。頑張ってな」

 ソファに腰掛けたままの横島に一礼すると、刹那は明日菜を伴って階段を昇っていく。それを見送った横島は、ふぅ、と小さく溜息をつくと腰をあげた。気を向けるのはホテルの玄関。耳を澄まし、ネギの足音を拾うと――

「説明を忘れた桜咲さんが迂闊だったのか。それとも説明を求めなかったネギが迂闊なのか」

 玄関と同時に、呪符によって造られた結界に一瞬、穴が開くのを感知して、横島はだるさの残る身体を引き摺って玄関へと向かった。

★☆★☆★

「横島はんの仕事やない――どすか?」

「そーいうこった」

 胡乱そうな表情で尋ねる千草に、横島は肩を竦めてみせた。本当に、得体の知れへんおひとや。その気になれば自分を瞬殺することなど容易いであろう横島のそうした態度に、千草は内心で首を捻る。

「ひとつ聞いてよろしおますか?」

「答えられる範囲でなら」

 横島のことを鵜呑みにするのは簡単であるが、万に一つの間違いも犯せない千草にとっては、それは出来ない相談だった。であるからこそ、千草は確証を求めて口を開き問いを発した。我知れず喉が渇いているのを自覚した千草は、緊張しているのを隠そうともせずにごくりと唾を飲んで、言った。

「横島はんの仕事って――昔と同じなんでっしゃろか?」

「いんや。教師。ただの教師さ」

 たまさか、腕が立つから面倒ごともやらされるが、俺は普通の教師だよ――横島はしごく面倒そうに言った。

「だから」自分の言葉をどう受け止めているのか――そう考えながら、横島は言葉を紡ぐ。「千草ちゃんは自分の為すべきことを為せばいい」

 言って、横島は千草に背を向けた。とっとと部屋に戻って寝ようと考えている。新田先生から生徒たちの見回りを頼まれているが、今宵はその大半が酔い潰れて静かなものだ。であるのなら、自分も休んでしまってもバチはあたるまい。胡乱げな視線を背中に感じつつ、横島は玄関をあとにし、ロビーを抜け、階段を昇っていく。

「問い質す声、か」こちらを注視していたらしい千草が動き出す気配を感じ取って、横島は小さく呟いた。「出来れば、誰も傷付かないでその声が響けばいいんだが――そうもいかんのだろうなぁ」


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第十七話『彼女たちの事情』了

今回のNG

今回はなし。



後書きという名の言い訳。

昨日十八話を脱稿しました(※挨拶)。とりあえずストックは一話分。いや、ストックがあるということ事態、俺のサイトでは稀なんですが。そろそろGSに脳が切り替わってきたので週産二話ぐらいのペースにもっていきたいなぁ、などと思いつつ暑くて執筆意欲があがらない罠。つーか今日の更新すら億劫だった。NGのネタも浮かびゃしねぇ。困ったものだと思いつつ、では、また来週ー。





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