「――よーし、動くな」
こちらが隠していた気配をちらりと漏らした途端、瞬時に反応して手にしていた得物を抜き放とうと、血の滲むような修練によって骨の髄まで染み込ませた反射的な動きで筋肉を働かせようとした相手の首筋に、横島は土産物屋からちょろまかしてきた安っぽい木刀を軽く添えて面倒そうな口調で口を開いた。ただし、
「動けばその素っ首、転がり落ちるぞ」
口にした台詞は酷く剣呑なものであった。加えて、相手に向けて口調とは裏腹に純粋な殺意を叩きつけている。自分の目の前で背を見せて膝をついている相手は、その殺意に当てられて全身をまるで瘧にかかったように振るわせ始めた。
「とりあえず」自分の目の前で憐れを催すほどに身体を震わせている相手を視界に収めながら横島は言った。「その物騒なものから手を放してもらおうかな」
その言葉に、相手はびくん、と一際身体を大きく震わせる。横島の言葉に、相手は逡巡を覚えていた。当然の反応であった。今、自分が諸手に手にしている二振りの小振りな日本刀――小太刀こそ、自分に残された生存を約束する最後の砦であった。たとえそれがメキシコ軍に攻囲されたアラモのようなものでしかないとしても、今の自分にはそれしか残されていない。そして、その最後の砦である二振りの小太刀を手放すということは、まさしく自分に身を守る術がなくなるということを意味する。迷って当然であった。
だが、
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!?」
一際強い殺意を横島から叩きつけられた相手は、逡巡に答えを出す前に、声にならぬ声をあげて、地面に倒れ伏した。俯けになって地面に転がり、時折、びくん、びくんと痙攣している相手を見て、横島はバツの悪そうな表情を浮かべた。思う。なんつー我の強い娘や。そう内心で舌を巻く横島の視線には、失神してもなお諸手に握る二振りの刃を手放そうとしない相手の姿だった。泡吹いてブっ倒れた時には流石にやり過ぎたかとも思ったが、今となってはこれで良かったと思っている。下手に抵抗されれば、体調の思わしくない今の自分では手加減が出来なかった可能性がある。
「――月詠はんになにしなはったんどす?」
今回の相方である二振りの小太刀を得物とする神鳴流の剣士の背後に突如として現れた、浴衣に茶羽織、という風体の横島が発していた身を切り裂くような殺気に竦んでいた関西呪術協会強硬派の一人である天ケ崎・千草は、横島が殺気を収めたあとで、ようやくといった様子で問いの声を発した。
「いや、なに」自分の眼下で倒れている相手――千草のいうところの月詠という名の小太刀使いの少女を見ながら、横島は肩を竦めてみせた。「いきなり物騒な反応したんでちっと大人しくなってもらっただけだよ。しばらくすれば起き――」
――るだろうさ、と言いかけた横島は、思わず顔面、というか鼻を両手で抑えてしゃがみ込んだ。自分のほうを向いた途端、奇妙な反応を示した横島に、千草は怪訝そうな表情を浮かべる。
「何してはりますの? 横島はん?」
「千草ちゃん、服っ! 服っ!!」
しゃがみ込んだまま、明後日のほうを向いて言う横島に、千草は数寸目を丸くしたあとで、
「ああ」
と納得したような表情で手を叩いた。
「いくらお子様やからて、舐めてかかるとあきまへんなぁ。おかげでこのザマどす」
「いや、うん。自嘲気味に言うのはとりあえず後回しにして」
ああ、もう、と焦れるように言って、横島は袖を通さずにひっかけるようにしていた茶羽織を手渡した。羽織れ、ということらしい。身体のほうは女性体だが、精神の大半は男性拠りである横島にとって、妙齢の女性が一糸纏わぬ姿でいるというのはいろいろと目の毒であり、自制心をフルに働かせなければならないほどに刺激が強い。ただでさえ、やたらめったらかわいかったり美人さんだったりするくせにストライクゾーン外な年齢であるために、手が出せない少女たちに囲まれている生活を送っているだけあって、イロイロ溜まったいる。このままだとナニをしでかすか判ったものではない。
「――――おおきに」
まるで初心な少年のような態度で自分に茶羽織を差し出す横島の様子に、最初目を丸くした千草であったが、すぐにくすりと微笑を浮かべて茶羽織を受け取る。しばし夜のしじまに衣擦れの音が響く。安手の生地が奏でる、やたらと妄想をかき立たせるたぐいの音がやんだことを確認した横島は、ようやくのことで逸らしていた顔を千草のほうに向け――
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!?」
悶絶した。せめて一枚羽織れば、と考えていた横島だったが、前をきつく合わせて茶羽織に袖を通す千種の姿は、そんな横島の目論見など微塵も残さずに吹き飛ばしてしまう。薄い布地の茶羽織は、確かに千草のクリティカルなポイントをカヴァーしていた。だが、多少恥らうようにして前をきつく合わせている千草の表情や、態度。そして、茶羽織の裾から零れるようにして伸びる、白い足。それらを判りやすく言い表すならば、和製裸ワイシャツ、といったところだろう。横島が悶絶するのも無理はなかった。なまじ全裸よりもエロっちい。
「ほんまに、どないしはったんどすか? 横島はん?」
何時の間にか月読の隣に倒れこみ、彼女と同じようにひきつけでも起こしたかのように痙攣している横島に、イロイロな意味で心配した千草が声をかける。
「だいっ……じょう、ぶっ」
かけられた声に、辛うじて理性を保たせた横島は身体を起こした。が、目を瞑っている。これ以上、和製裸ワイシャツルックな千草の姿を網膜に焼き付けると理性がセイ・グッバイとばかりに何処かにいってしまうと予想されるがゆえの処置だった。
「いや、しかし見事にやられたね?」
「お子様いうてもたいしたもんどすな」繕う様に言う横島にそう答えてから、千草は眉を顰める。「――見てはりましたん?」
「覗き見程度に」
肩を竦めながら言う横島に、千草は、邪魔されなかっただけでも僥倖と思うべきか、と考える。邪魔はしない、とは言っていたが、それが何処まで本当なのか判ったものではない。なにせ、横島は麻帆良の――関東の人間なのだ。時折見せる、その腕の一端のことがなければ、ついつい気を許してしまいそうになる目の前の女性に、千草は改めてそのことを心に刻む。そんな千草の内心を知ってか知らずか、横島が試すような声色で問いを発してきた。
「で、千草ちゃんたちはこれで諦めるなんてことはないんだろ?」
先ほどまで特撮映画さながらの光景が繰り広げられていた、特撮映画の中で完膚なきまでに叩き壊されたこともある駅。先ほどまで吹き荒れていた魔法と呪術と剣刃の奔流などまるで嘘のように、古都の夜に相応しい本来の静けさに包まれているそこを、桜咲・刹那は顔を赤くして空を舞うようにして駆けて去っていく。けして目には見えぬ何かから逃げるようにして夜の京都を、宿へと向かって駆ける刹那の内心は、悔いるような、それでいて浮き立つような気持ちに包まれていた。
(こ――お嬢、様)
数寸前、自分の眼前で花開いた笑顔。それを幾度も反芻するように頭の中でリフレインさせながら、刹那は自分が何に変えても護ると心に決めた相手の名を口には出さず唱える。はたして、あれほど屈託の無い木乃香の笑顔を見たのは何時以来だろうか。
せっちゃん――と自分を呼ぶ木乃香の声が、耳に、心に繰り返される。
このちゃん――とかつて呼んでいた自分の記憶が脳裏に蘇る。
幼い自分の幻影が、再び何かを訴えているような錯覚を覚え――
(いや)
刹那は、それらを振り払うように大きく頭を振った。そう、喩え木乃香が、自分が護ると決めたヒトが自分のことを待っていてくれたとしても――
(私は、いけない)
何も知らない木乃香の元には、行けない。行けないのだ。行って、もし自分の素性を知られたら。そして、それを知った木乃香のあの花のような表情にほんの少しでも翳りを――怯えや忌避の感情を見つけてしまったら、自分はもう生きていけない。
この世の如何なるものにも替え難い存在に、忌避されてしまう――そんな最悪の予想に、刹那はほんの先ほどまで紅潮させていた顔を青褪めさせる。そして、その直視すること適わぬ予想から逃れるように、目を堅く瞑り、足に込める力を増した。脱兎の如く、刹那の、同年代の標準的な体型からすればスレンダーと評しても差し支えない軽い体は、増した脚力に後押しされるように加速し――
「ぷげろっ!?」
――次の瞬間、何かに激突した。
「うん、コンビニってなぁやっぱ人間が生み出した至宝のひとつだよな」
ワンカップの日本酒を零すことなく器用に啜りながら、横島はホテル・嵐山に向かって夜の闇から闇を跳躍する。
とりあえず、今日はもう何も起きないだろう――用事を済ませた横島は、コンビニを見つけると、ホテルの売店で果たせなかった用件――酒を買い求めて、今宵の根倉へと向かった。日本全国的に見かけることの出来るコンビニの買い物袋の中には、今横島が啜っているものと同じワンカップの日本酒が五本ほど入っている。そこに、宿に戻ってから本格的に一杯はじめたときのために、柿ピーにビーフジャーキー、とつまみを放り込んでいた。
中身の入ったガラス容器がぶつかり合う音をささやかに周囲に撒き散らしながら夜の街を縫うようにして跳躍する横島は、不意に眼下に見知った顔を見つける。浴衣が肌蹴るのも構わずに翻しながら夜の街を一心不乱といった按配に駆けて行く相手は、
「うん? 桜咲さんやないか」
はて、一緒にいたはずのネギたちの姿が見えんが――どうしたんやろ? 離れた場所から高みの見物を決め込んでいた関西呪術協会の術者――天ケ崎・千草たちと丁々発止のやりとりを交わしていた際に同行していたはずの面子が見当たらないことに、横島はハテナと首を傾げる。加えて、まるで何かから逃げるようにして夜の街を駆ける刹那の姿――そして、その表情はただ事ではないものを感じさせた。
ううん。さして背の高いとは言えないビルの壁面に『着地』した横島は、蜘蛛の様にそこにへばりつくと、数寸迷ったような表情を浮かべる。が、それもほんの僅かな間のことだった。何事かを決めたように小さく頷くと、横島はビルの壁面を蹴った。まぁ、どのみち聞きたいこともあったし、丁度いい――そう思いながら、横島は体調を崩しているとは思えない軽やかな身のこなしで、刹那の前にふわりと降り立つ。降り立つ際に、あまり厚いとはいえない生地の浴衣もふわりと翻って下着が全開になるが、ほかに見ているものもいないので気にしない。というよりも、横島はさしてそういうことに気を遣うたちではなかった。
「よ、桜さ――」
ある程度腕の立つ人間ならば、自分が現れたことに気付いて立ち止まる。そしてこの教え子は間違いなく『腕が立つ』部類に分類される相手だ――という認識のもと、刹那の前に降り立った横島は、いつものように軽い調子で右手を小さくあげながら刹那に声をかけようとし――
「ぷげろっっ!?」
――鳩尾に刹那の全力チョーパンを決められて車に跳ねられたヒキガエルのような声をあげた。吹っ飛ぶ横島。不意に現れた障害物に全力で頭突きを敢行して不意打ちの衝撃に思わず頭を抑えて屈みこんで悶絶する刹那。吹き飛ばされた横島、頭から路面に着地。バウンド、一回、二回――停止。悶絶。むしろ痙攣。
「つ、ぁ――――」
脳天から脊髄に重く響いた衝撃に、刹那は思わずその場に蹲り意味のない声を漏らす。インパクトの瞬間、目から火花が飛んだような錯覚を覚えた。刹那の認識では、自分の進行方向に障害物は無かった。夜も遅いということも手伝って、辺りに人影もなかった。そこまで考えて、
(――――っっ!!)
刹那はいまだ引く気配のない頭部の鈍痛もそのままに、愛刀である夕凪を一呼吸で抜刀すると路面を力の限りにその場を飛び退く。脳裏に浮かんだのは敵襲の二文字。飛び退いた先に着地した刹那は即座に戦闘態勢をとりながら、臍を噛む。迂闊、迂闊。なんたる迂闊。さっきのいまで今宵の襲撃はもうあるまいと思い込んだ自分に腹が立つ。自分が相手の立場なら、ネギ先生や神楽坂さんと別れて独りになった今は、各個撃破の格好の好機。
「姿を――見せろっっ!!」
自分の不甲斐なさに対する腹立ちと苛立ちを無理矢理捻じ伏せた刹那は裂帛の気合を込めてそう叫び――次の瞬間、
「ああ、横島先生!?」
離れた場所でピクピクと痙攣しながら致死量っぽい血を路面に流して倒れている横島の姿だった。
「死ぬかと思った」
「むしろあの出血量で死んでないのが不思議でならないんですが」
「ほう? つまり桜咲さんは殺人犯になり損ねたのが残念だった、と?」
「ああっ!? すいませんすいません言葉や綾ですけして悪気があったわけでは――」
「判った判った」
あれからワンアクションで立ち上がって「あー痛かった」の一言で済ませて血相を青いほうに変えて駆け寄った刹那を驚愕させたりしたあとで、横島と刹那は近場にあったこじんまりとした児童公園に来ていた。
再びワンブレスで長台詞をかましそうな気配を見せた刹那を落ち着かせるように言って、横島は二人して並んで腰掛けている草臥れた風情のブランコをぎしり、と鳴らした。どのような奇跡か、あれほどの衝突においてなお一つも割れていなかったワンカップを買い物袋から一つ取り出して慣れた手付きで蓋を開けた。
ブランコを軋ませながら、カップをあおいだ横島は、安酒にありがちな妙にべたついた舌触りに、奇妙な心地良さを覚える。一気に三分の一ほどをあおった横島は、様々なもので水増しされた日本酒が胃に落ちていく感覚を楽しみながら、それで、と切り出した。
「どーして桜咲さんは近衛さんを遠ざけ――いや、違うか。近衛さんから遠ざかろうとするんだ?」
聞いた瞬間、刹那の体がびくん、と震えるのが判った。あの日、新宿で木乃香をストーキングでもするかのように影から見守り続けていた刹那を見かけていて以来、頭の隅にあった疑念。お節介だとは判っているし、最初は好きなようにさせておこうと思ったのだが――たまたま悲壮な顔をしている刹那を見かけてしまったのが運のつきだった。
「桜咲さんが近衛さんのことを大事に思ってるのは、今日のどたばた騒ぎを見ていて良く判った。でも、だからこそ――どうして近衛さんから遠ざかろうとしているのかが判らない」
あんな顔見ちゃ、見過ごすことなんて出来んよなぁ。
「無理に、とは言わないが――私に話してみたらどうかな? もしかしたら力になれるかもしれんし」
薄い浴衣一枚に包まれた横島のその肢体を、その吐息はおろか体温すら感じられそうな至近に置いた刹那は、ちらり、と盗み見た刹那は、少しばかり肌蹴るようにしている浴衣から覗ける横島の豊かな双房に小さく溜息をひとつ。溜息の理由は、もちろん、さして大きいとは言い難い自分の胸と横島のそれを比べたがゆえのものだ。
なんと理不尽。なんと不平等。
刹那の内心を端的に言い表せば、その二言に尽きる。自分の横でオッサンよろしくワンカップをぐいぐい呑んでいる女性のプロポーションのなんと見事なことか。それに比べて自分は――まぁ、そういうことだった。刹那にとっての唯一の救いというか光明は、自分がまだ発達の余地の残されている中学三年生ということだけであった。
そして、そんなことをとりとめもなくつらつらと考えていた刹那は――
「どーして桜咲さんは近衛さんを遠ざけ――いや、違うか。近衛さんから遠ざかろうとするんだ?」
だからこそ、不意打ちに近い横島の問いに、激しく動揺してしまった。さして交友のないクラスメイトたちからは、ぶっきらぼう、あるいは情動の少ないと見られている刹那であったが、けしてそんなことはない。そう見えてしまうのは、刹那がたんに自己の内心を表現する術を知らないからに過ぎず、また、心に刻んだたった一人だけの誓いを全うするのに必死だからだ。ある意味で、刹那ほど感情の動きの大きな少女もそういない。そして、その感情の動きの大きい少女は、横島の発した問いに、誰が見てもそうと判るほどに動揺を見せていた。
「――――」
数寸の間を置いて、刹那は、そんなことはありません――そう答えようとして、だが、声にすることが出来なかった。あるいは、それが今日、この時に発せられた問いでなければ、自分の心に潜んでいる苦しみを押し殺して、そう答えることが出来ていたかも知れない。
だが、横島が問いを発したのは、いまでも自分のことを想っている木乃香の泣き笑いの表情を見たあとのことであった。自分のなかの葛藤がもっとも激しくなっているときのことであった。自制心が揺らぎに揺らいでいるときのことであった。
「無理に、とは言わないが――私に話してみたらどうかな? もしかしたら力になれるかもしれんし」
故に、刹那は、横島の問いにいかなる答えを返すことも出来なくなっていた。
むぅ。横島は、自分の隣のブランコに腰掛けている、憐れを催すほどに動揺を見せている刹那の姿を見て、声には出さずに小さく唸った。どーも根が深いっぽいなぁ。いかなる形容詞をもってしても形容しきること適わぬほどに、深刻な表情を浮かべている刹那の様子に、横島は小さく溜息をついた。この様子じゃあ、喋ってみ? と言ったからといってもそうそう喋ってはくれんやろなぁ。本来なら、こう、ある程度親睦を深め、それなりの信頼関係を醸成したうえで、時間をかけて行いたいところだが――
(そんな悠長なことも言ってられんしなぁ)
いろいろと裏で進んでいるであろう事態を思い返して、横島はどーしたものか、と頭を抱えたい気持ちになる。今はまだいいが、千草たちが本腰入れて掛ってきたら下手をうつ可能性もある。少なくとも、今の刹那の様子ではその公算が高い。そうなれば、必然的に自分にお鉢が回ってきてしまう。体調不良の今日この頃、是非とも遠慮したいところであった。
とはいえ。
自分の隣で顔を伏せて黙りこくる刹那の様子からは、現状を打破するための方策が思いつかない。面倒なことはすっ飛ばして単刀直入に切り込んでみたはいいが、思いのほか面倒の規模は大きかったらしい。横島は、そこまで考えてどうしたもんかなぁ、と手にしているカップの中身の残りを一気に煽った――煽って、
「ふむ」
空になったカップをしげしげと見つめて、横島はおもむろに声を発した。
「とりあえず――桜坂さんも呑まないか?」
「…………」
横島の言葉に、それまで唇を血が滲むほどに噛み締めながら俯いていた刹那は、きょとんとした表情で横島の顔と、横島が手にし、こちらに差し出している、未開封のワンカップの容器を何度も見比べて――
「横島先生、未成年に飲酒を勧めるのは教師としてどうかと思いますが」
至極真っ当な台詞を口にした。その台詞を口にする刹那の表情は、なに言ってやがるこのトンチキ、と雄弁に物語っている。当然だろう。自分が抱える悩みを抉り出してこちらを懊悩させて、いきなり飲酒を勧めるとはどういう了見だ。刹那でなくとも似たような思いを抱くに違いない。
「ああ、いや、まぁ」自分では結構イケてるんじゃあなかろうか、と思いながら口にした言葉に、思いのほか冷たい切り返しをされた横島は、バツが悪くなったのか、空いている手で風呂から上がってから下ろしたままにしている髪を掻きながら言った。「なんつーか、な。桜咲さんが結構どころか相当煮詰まってるよーに見えたんでな? こう言うときは酒でも呑んでぱぁっとやっちまうのがいいんじゃなかろーかなどと愚考してみたわけですが――――駄目? やっぱし?」
言ってるうちに自分がかなり非常識なことを口にしていたと自覚が出てきた横島は、しまったもう少し考えてもの言うべきだった、と出来れば穴があったらドリルで更に掘り下げて全速で潜り込んでいきたい気持ちになりながら身を縮こませていく。最後のほうは、横島よりも背の低い刹那よりも低い位置から刹那を見上げるようにして言っていた。
「――――」
そんな横島の様子を、刹那はさきほどの非常識な発言――「酒でも呑もうぜベイベー(※超意訳)」を耳にしたときと同じような表情で見ていた。なにがしかの驚きをおぼえた際に浮かべる、きょとんとした表情。それを浮かべながら、刹那は唐突に理解した。ああ、このヒトは自分を気遣ってくれているのか、と。気付いて、直後にはっとした。横島が自分を気遣っていたのは、最初からだったのだ。自分の中で揺れる悩みにばかり気をとられていて、そのことに気付けずにいた。そのことを刹那は無性に申し訳なく思い――そのことに思い至って改めて、横島のことを見た刹那は、
「――――ぷっ!」
思わず吹き出した。まるで、母親に叱られて小さくなって許しを請う子供のように、したからこちらの表情を窺うようにして覗き込んでいる横島の姿と、普段の――刹那の認識における授業中の教師然としている立居振舞の横島とのギャップがあまりに大きすぎたからだ。
「いきなりヒトのツラみて吹き出すのはどーかと思うぞ、桜咲さん」
そら、どっちかっていうとお笑い系のキャラだけど、と横島は少しばかりむくれたように言う。その子供のような態度が可笑しかったらしい。刹那は、横島に気を遣いながらも、それでも押し殺すように、く、くふ、と笑いを零す。その様子を見て、横島は、まぁ、さっきまでの顔よりは全然いいやな、と内心で思う。笑い者になるのは慣れているので、どうということはない。
「で、非常識ながらもっかい聞くけど――呑む?」
「先ほどもいいましたが」ようやくのことで込み上げてくる笑いの衝動を押さえ込んだ刹那は、その代償に目尻にうっすらと涙を浮かべながら言う。「私は未成年なんですが――」
「ああ、うん」刹那の言葉を皆まで聞かずに、横島は口を開いた。一瞬、刹那を頭のてっぺんから爪先まで矯めつ眇めつして言葉を続ける。「たしかに子供だけど――」
「発育不良って言いたいんですか横島先生そりゃ横島先生や長瀬や龍宮あたりと比べると薄いし小さいかもしれないですけど中三ってことを考慮すれば比較的標準ですっていうか横島先生たちが非常識なプロポーションなだけです私だっておっきくなればいいなーって思ってるんですよっ!?」
「マッハ逆キレっっ!?」
またもや句読点皆無で読みにくい上にコンプレックス丸出しの台詞に、横島は思わずたじろぐ。横島の気遣いに気付いて刹那の精神にゆとりが出たが故に懊悩しだすまで考えていたことに火がついてのマシンガントークだが、横島にそんなことが判るはずもない。
「お――私は単に、子供だけど、呑みたいときはあるだろ、って言おうとしただけだっつーの」
「――そうなんですか」
「そうなんです」自分の説明に、首を傾げてみせる刹那に向かって、疲れたように横島は言った。「それにな、桜咲さんは将来キレイになるって。――こう、スレンダーな感じの」
「結局プロポーションに進展は見られないんじゃないですかっ!!」
薮蛇。超薮蛇。自ら進んで地雷を踏む女、横島・多々緒(二七歳)。鬼神でも後ずさりそうなイキオイで違うベクトルの悩みに関する激情をブチまける刹那に、横島は、
「ああー堪忍やーっ!! つい口が滑ってしもうたんやーっ!!」
思わずイランことを口走り薮蛇その二。自ら進んで以下略。直後、夜の京都に斬空閃の炸裂する音が木霊した。
「で、さきほど私が言いたかったことは」
妙に清々しい表情で刹那は言った。なんというか、暴れるだけ暴れたらスッキリしちゃいました、といった按配の表情である。
「私は、未成年なんですが――たまには酒精を嗜むのも悪くないかも、と言おうとしたんです」
「つまりティル・ドーン・コースでおけぇい?」
浴衣のあちこちが裂けた横島が、刹那とは対照的に疲れた表情で言う。もちろん、浴衣がアレな具合になっているのは誰かさんがぶっぱなしまくった神鳴流奥義の数々を避けたり避けそこなったりしたからに他ならない。体調が完調であったならば、一太刀足りとも浴びることはなかったのだが、生憎と今の横島は完調からは程遠いコンディションであった。おかげで、浴衣はズタボロ、加えて、本来ならば着こなしに一部の乱れもなく動くことが可能であるはずなのに、随分と肌蹴まくっている。事情を知らない人間がみたら痴女かなにかと勘違いしてしまうかもしれない。
「朝まで、というには随分少ないと思います」
相変わらず何故か無事なビニール袋を見て、刹那は苦笑した。が、けして横島の問いに否定はしない。そんな刹那の様子をみた横島は、よっしゃ、と小さく言って、ビニール袋から未開封のワンカップを取り出すと、手ずから開封して刹那に手渡した。渡して、自分も新しいワンカップを手にする。
「んじゃあ、まぁ」
「はい」
カンパイ。どちらからともなくそう言い合って、二人は醸造アルコールだのなんだので水増しされた日本酒のようなものを胃に流し込んだ。
「うーむ」
ホテル嵐山まであと少しという距離を歩きながら、横島は小さく唸った。
「――酒、弱かったんだな。桜咲さん」
言う横島の背には、酔い潰れた刹那がうなされる様にして寝息を立てている。ちびり、ちびり、と舐めるようにワンカップの中身を呑んでいた刹那が潰れたのは、中身を三分の二ほど呑んだときのことだった。揺すろうがくすぐろうが起きようとしない刹那を、横島はこうして宿まで運んでいる。
「それにしても」見え始めたホテル嵐山の屋根を視界に収めながら、横島は呟く。「どうして仲良く出来るんですか、か」
それは、刹那が酔い潰れる寸前に放った問いだった。虚ろな――酒に酔った者に特有の眼で刹那がそう問う寸前、学園へと封ぜられていた真祖の吸血鬼のことを二人は話題にしていた。ゆえに、横島は刹那の問いの真意を誤解しなかった。そして、今こそ横島は気付いた。刹那が抱える悩みを。
「どうして、って言われてもなぁ」
白み始めた空を見上げて、横島は途方に暮れたように言った。そんなん、考えたこともなかった。横島に言わせるならば、人間だろーが非人間だろーが、カワイイ女の子と仲良く出来ない法などないのだ。むしろ相手が困ったちゃんでもない限り、積極的に仲良くなろうとする。むしろ困ったちゃんでも可愛ければお近付きになろうとする。
だから、
「俺には答えられないなぁ」
でも。
「桜咲さん。少なくても、自分から距離をとってたら判り合うことなんて出来んぞ」
諭すように独り言う横島。どこかで、ちゅん、と雀が鳴いた。
「は、はわわ? ウチ、なんでこないなとこで眠ってますん〜?」
「気付きはったか、月詠はん」
確かに、横島の言うとおり、さして間を置かずに眼を醒ましたか――そう思いながら、千草は自分の状況に困惑している月読に話し掛けた。
「あ、千草はん――ウチ、なんでこないなとこで?」
「覚えてないんか」
困惑した表情のまま、尋ねてくる月詠に千草は溜息をひとつ。
「あんた、横島はんの殺気にあてられて、のびてしもたんや」
「横島――誰です?」
「アンタも聞いたことあるやろ? 麻帆良最強の始末人、横島――」
「ああ」そこまで聞かされて合点がいった、と月詠は頷く。「多々緒さんどすな〜。そうですかぁ、あの殺気のヒト、横島さんだったんどすなぁ」
「月詠はん?」
言うなり俯いて肩を震わせはじめた月読の様子に、千草はあの殺気を思い出して震えがきたのか、と相方の様子を案じる。が――
「ふ、うふふ。うふふふふふふふふふふ」
俯く月詠の口から零れてきたのは、どうにも止めようがないといった様子の嬉しげな笑い声だった。俯き、肩を震わせて笑う月詠に微妙な気持ち悪さを覚えた千草がわずかに後ずさるのにも気付かず、月詠はひたすらに笑い声を零していた。
「桜咲さん。少なくても、自分から距離をとってたら判り合うことなんて出来んぞ」
諭すように独り言う横島。そう呟いた横島は、不意に視線をあげた。そこにはホテルの正門が見え、
「げっ」
腕を組んで仁王立ちする金髪の修羅がそこにいた。
「朝帰りか、横島」金髪の修羅――ロリ真祖吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが極上の笑顔を浮かべながら言った。ただし額に青筋。「いい身分じゃないか、ええ?」
「待て。待つんだエヴァちゃん! 話せば判る!!」
「問答無用」
直後、極北のそれよりもなお凍てつく吹雪がホテルの正門前に吹き荒れ――どこかで、ちゅん、と雀が鳴いた。
どっとはらい。
隠し部屋よ、私は帰って来た!! 表に帰っとけ、俺。こんばんは、徹夜で二十話まで清書しました眠くて仕方アリマセン(※挨拶)。ま、いろいろあって遅れましたが十八話でございます。このまま二十六話まで一気に清書してストックをためて心置きなく表の文章をどーにかしたいと思いマス。とりあえず、二十話まで水金更新で。では、また来週ー。
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