無題どきゅめんと


「っと、これで完成。――ふぅ、流石にホテル全体ともなるとちょいとばかし手間だが、これで俺っちも億万長者。加えてネギの兄貴もパートナーをごっそり確保できて一石二鳥。うっはー、俺っちの冴えまくるこの頭脳が我ながら恐ろしいぜ――って、誰だよ折角ヒトが一仕事終えて気持ち良く一服…………げっ。ああ、いや、なんでもないんでさぁ。おおっと、ちょいとばかり所用を思い出した。へっへ、じゃあ俺っちはこの辺で――ぐあっ!? いきなり何を…………あ、いや、なんでもありやせん。へへ、で、何かようですかい? え? これ? ああ、これは――ナンデモネェデスヨ? あ、やめっ! やめてっっ!? アバラが、モツがっ!! ――すんませんした。正直にコクりやす……斯く斯く云々こう言うワケでして。ええ、けして金に目が眩んだとかゆーワケではなくっ!! ええ、ネギの兄貴の助けとなればと断腸の思いで――え? 猿芝居はいい? さいですかい。なに? 黙ってる代わりに――――」

★☆★☆★

「いや、本当にすみません。新田先生」

「気にすることはありませんよ、横島先生」

 夕食を食べ終えて、就寝時間までまだ間のあるその時間。横島は廊下で頭を下げていた。相手は『鬼の新田(ニッタ・ザ・テリブル)』の異名を生徒たちから奉られている新田教諭その人であった。生徒たちにはその厳格かつ融通の効かない性格から煙たがられている新田だが、その厳しさも頑固さも、生徒たちのことを思えばであればこそだった。麻帆良に勤め始めて、職員室その他で少なくない交友を持った横島には、それがよく理解出来た。おそらくは、同じ教員として接しなければ――生徒として接していてはけして見えてこない、甘くない、優しさ。立場を変えてみて初めて理解出来るものもある――そうした実例の一つであった。

「でも、本当にすみません」

「体調を崩しているとあっては仕方ないでしょう。逆に、無理をされて悪化されてもアレですし」

 横島が頭を下げているのは、本来であれば今宵の見回りに参加しなくてはならないところを、体調不良を口実に不参加にさせてもらったからだ。口実に、とはいえ、横島の体調が芳しくないのは紛れもない事実であるので、そこまで畏まることもない。事実、不参加の旨を伝えられた新田は、そういうことであれば、と快く首を縦に振っている。

 だが。

「いや、でも」横島は、本気で申し訳なさそうな顔で言葉を続ける。「今日は、絶対2−A(ウチのコたち)が何か騒ぎを起こすとおもうんですよ」

 そんな夜に見回りから外れるというのは。横島は、おそらくは確実に起こりうるであろう狂乱の乱痴気騒ぎを想像して、とほほ、と肩を落とす。そんな横島の態度と言葉に、新田は、あぁ、それは、と苦笑を浮かべた。

「まぁ、実際、あのクラスであれば何かやらかすでしょうな。昨日はどういうわけかいやに静かでしたが――だからこそ、今日は、確実に、何かしでかす」

「でしょう?」

 半ば確信した様子で断言する新田に、横島は困ったように言う。

「まぁ、あの子たちも」2−Aの面々の顔を思い浮かべながら――というよりも、これまで2−Aの面々が巻き起こしてきた騒動の数々を思い浮かべながら、新田は苦笑したまま言った。「なにかと遊びたい盛り、騒ぎたい盛りであるのは理解出来るのですがね。だが、だからといってそれを放っておいてはいけない。遊びたい時、騒ぎたい時にこそ、好き勝手にさせるのではなく、それを抑えることを覚えさせなければ――彼女たちの将来に関る。自由とは、けして無秩序を指すのではない、と今のうちに、誰かが教えることの出来るうちに教えておかなくては」

 静かな、厳しい――だが、慈父のそれを思わせる口調と表情で言う新田を、横島はまじまじと見る。そして、そんな横島の視線に晒された新田は戸惑ったような表情を浮かべて言った。

「私の顔に何か付いていますか?」

「あ、いや。すいません」自分が随分と不躾に見つめていたことに気付いて、横島は慌てて胸の前で手を振った。だが、すぐに笑みを浮かべて言う。「新田先生は――立派だな、と思いまして」

「――普通の心構えだと思うのですが」

「それを普通だと思っていない教師が多いからこそ、です。新田先生は、立派です」あるいは、あの世界で高校生だった自分を叱り付けていた教師たちも、そうだったのかも――と思いつつ、横島は言う。「私なんか、教員免許は持ってますけど、ただそれだけって感じで」

「生徒たちの評判は良いようですが」

 教え方も判り易いという声を聞きます、と新田。そんな新田に、横島は苦笑を浮かべながら首を振った。

「教え方とか、そういうのではなくて――なんて言うんでしょうか、自分なんかがヒトにモノを教えていいのかって。気付いてますか、新田先生。コレ――」言って、横島は自分の眼鏡のフレームを撫でる。「伊達なんですよ」

「そうなのですかな?」

「ええ。ほら、度が入ってないでしょう?」

 度入りの眼鏡に特有の、レンズを通して見た際に発生する顔の輪郭の歪みがないことに気付いて、新田は確かに、と呟いた。

「ですが、それが?」

 なにか? と首を傾げる新田。そんな新田に、横島は情け無さそうな顔で言う。

「少しでも、教師らしく見えるように、と思いまして」

 莫迦ですよねぇ、と自嘲する横島。そんな横島を見て、新田は優しげな微笑みを浮かべた。

「心配はいりませんよ、横島先生」新田は言った。「そんな悩みを抱いている横島先生が、良い先生でないはずがありません。悩みを抱くということは、前に進もうと、より良くならんとすればこそです。教師という立場に胡座をかき、上からモノを言うような人間は、横島先生のような思いには囚われません。で、あるならば――横島先生が良い先生でないはずがない。少なくとも、良い先生になる資質を備えていることだけは確かです」

「――――ありがとうございます」

 自分の言葉に、深々と頭を下げた横島に、新田は笑みを深くする。

「さ、横島先生。そろそろ部屋に戻られて休まれては? 今宵の見回りは我々に任せて。修学旅行はまだ続くのですから」

「そうさせていただきます」遠回しに自分に頭を上げさせた新田に、横島はもう一度頭を下げる。「それじゃあ、新田先生。ウチの子たちが多分――いや、絶対何かすると思いますけど」

 ある意味酷いことを言う横島。

「お願いします」

「承った」

 時代掛った口調で応えた新田――彼なりの茶目っ気の表出だろう――に、小さく苦笑して、横島は自分に割り当てられた部屋に戻った。戻ったあとで、新田との会話を思い出し、いきおいでかなり恥しいことを口走っていたことに気付いて懊悩&悶絶。ホテルの仲居さんが準備しておいてくれた手入れの行き届いた布団の上をゴロゴロと転げ回る。と、

「――う、きぼぢわるい」

 目がまわったらしい。ぴた、と止まって横島は口元に手を当てて青い顔で呟いた。どうやら、目を回すのと同時に夕食後に服用した鎮痛剤でなんとかなっていた生理痛がぶりかえしてきたらしい。しばらく重だるい雰囲気を漂わせていた横島は、疲れた様子でずるずると布団の中に潜り込んだ。ごそごそと布団の中で体勢を整えていた横島は、落ち着く体勢を見つけると、小さく溜息をついた。

「今日はなんもなけりゃあいいなぁ」

 口にして、横島はそれが儚い願いであることに、儚い、妄想と言っても差し支えない願望でしかないことに気付いて、もう一度溜息を、大きな、とても大きな溜息を漏らした。

★☆★☆★

 ホテル嵐山は、夜の古都に相応しい静けさに包まれていた。もっとも、その静けさの前には、嵐の前の、という一文が付くのだが。いみじくも横島と新田が看破したように、今宵のホテル嵐山では、昨夜、不覚を取った2−Aの面々がその復仇を果たすべく、水面下で蠢きつつあった。

 良識的な生徒や、教師陣にとってまことに迷惑極まりないそうした蠢動を扇動する者――その片割れである朝倉・和美は、今宵の策謀の同士であり、なにやら魂の奥深いところで連帯感を覚え、そしてなにより現実的な現世利益の一致をみた相棒――オコジョ妖精のアルベール・カモミールに声をかけた。

「どしたん、カモっち? 難しい顔してさ」

「あん? ああ、なんでもねぇさ、ブン屋のねえさん」

 オコジョの表情を読み取るというなかなかレヴェルの高い真似を――それ以前にオコジョが人語を解し、それを操っているという非常識な事態にしごくあっさりと順応してみせた和美の問いに、カモは気にするな、と小さく首を振った。何処かからか取り出した煙草を咥え、だが、それに火をつけずに上下に揺らす。火をつけない理由は、横島のように女子供の前だから、という理由ではなく、単に煙草の臭いが制服につくことを嫌がった和美に止められているからだ。

「いや、なんでもないって言うならいいんだけどさ」今宵、自分たちがホテル嵐山を舞台に仕掛ける乱痴気騒ぎを見世物とすべく準備を進める手を休めずに、和美は言う。「――もしかして、そっちの仕込みでなんか問題でも起こった?」

「ああ、いや」聡いねえさんだぜ、と苦笑しながらカモは言う。「問題というか、予想外のアクシデントというか」

「アクシデント? 大丈夫なん?」

「いや、仕込み自体は問題なく終わってる。ただ、追加の仕様を増やしたってだけで」

 応えて、カモは、さてさてどうなることやら、と呟いた。無性に煙草が吸いたくなる。かまうものか。どのみち、火を付けた途端に取り上げられるに決まっている。ならば一口だけでも――

「だから駄目だって」

「火もつけさせてくれねぇとは――厳しいねえさんだぜ」

★☆★☆★

(さてさて妙なことになったでござるが)

 自分の隣を楽しげな調子で歩く、チョコレート色の健康的な肌をもつ中華娘を糸の様に細い眼でちらりと見ながら、長瀬・楓は右手に持っている枕を小脇に挟んで、自分の小さな顎をぽりぽりと掻きながら思った。

 ――ネギの唇をかけた一大争奪戦with枕投げ。それが、楓と今宵の相棒である古菲が身を投じようとしている乱痴気騒ぎの正体であった。無論、言うまでもなく仕掛け人は朝倉・和美――そして、アルベール・カモミール。ネギのことを、見込みのある、それでいて見ていて微笑ましい年少者として認識している楓としては、ネギの唇自体にはさして興味はない。だというのに、まるで状況に流されるように、麻帆良のパパラッチのお膳立てした舞台にあがっている理由は――

(さて、横島先生は何処でござろうな)

 ただただ横島が目的であった。

 と、いっても横島の唇を狙っている――というわけではない。楓は別段、同性愛という性癖を持っているわけではない。まぁ、横島のことは、同じ女である自分の目から見ても溜息が出るほどの別嬪であるとは思っている。が、楓にとって横島の存在でもっとも重要な点は、容姿云々ではなく、その武の腕前にあった。郷でもついぞお目にかかったことのない、突き抜けた戦闘技術。楓のみたところ、それは去年の担任であるタカミチ・T・高畑よりも上ではないかと思われた。

 そして、今宵の楓の用件は、横島の持つ、その戦闘技術にあった。

 弟子入りしてからこの方、楓は横島から碌に稽古をつけてもらっていない。無論、皆無というわけではないが、それでも弟子入りしてからの日数を考えれば、少ないと言っても差し支えない回数だ。

 理由は、横島がエヴァンジェリンに独占されているからであった。どういうわけか、エヴァンジェリンに頭の上がらない横島――まぁ、横島でなくともエヴァンジェリンに頭の上がらない人間は多いだろう、というか、面と向かって反抗出来る人間などそうそういない――は、なにかと理由をつけられて土日を拘束されている。つまり、楓が自らの修練の時間と定めている週末に、自由が利かないのである。

 これには、最初事情を知らなかった楓はほとほと参ってしまった。折角弟子入りしたというのに、これでは意味がない。とはいえ、横島に無理強いすることは出来ない。なにせ自分は嫌がる横島を拝み倒して無理矢理弟子になった身。まぁ、多少強引な手段を用いたが――だからこそ、無理強いは出来なかった。おかげで、一人エヴァンジェリンにやや意味合いの違う嫉妬の感情を抱く日々を送っている。

 そんな楓にとって、今宵の乱痴気騒ぎは絶好の機会であった。自分たち2−Aを警戒して、今宵は教師陣が総出で見回りを行っているはず。つまり、横島もホテルを鵜の目鷹の目で歩いていることになる。

 楓が目をつけたのは、そこだった。常であれば、学園内において日常を平和に、平穏に過ごしたいと強く、誰よりも強く願っている横島に、所構わず仕掛けるような真似は行えない。行ったが最後、本気で破門されかねない。まぁ、楓のみたところ、自分の師匠は同性に――特に、容姿の整った同性にひどく甘いところがあるので、破門などされないかもしれないが、だからといって楓にその危険を冒すつもりはなかった。忍である楓にとって、自分の目的を達成するために看過すべき危険は、それ以外に方法がないと判っている場合に限られる。

 だが、今宵は違う。

 今宵の横島は、就寝時間を無視してうろつき回る不逞の輩を取り締まるべく職務を果たしているのであり、楓は就寝時間を無視して修学旅行という通常であれば人生において三度しか訪れることのない特別な時間の夜を満喫しようとしている。そして、何かのはずみで両者がかち合い、捕り物が始まったとしても――それはやむ得ないことなのだ。そう、楓は状況が許した横島との交戦の機会を、徹底的に利用する腹積もりだった。けして自分がTPOを弁えずに仕掛けるのではない、という言い訳を盾にして。

「さて、楓」

 不意に、自分の隣を歩いている中武研の部長が声を漏らした。心なしか、楽しげな響きが含まれているように思えるのは楓の気のせいではないだろう。

「横島老師はどこアルかね?」

 踊るような調子の声で告げられた古菲のその言葉に、楓はわずかに眉を顰めた。アレでござるか。楓は思った。つまるところ、古菲も拙者と同じ腹積もりでござったか。考えてみれば、古菲ほどの腕の持ち主が、横島の普段の立居振舞からその力量のほどを察することが出来ないはずもなく。そして、強者との仕合を何よりの楽しみとしている古菲が、横島と腕を競うことを渇望しないはずがない。

 そのことに思い至った楓は、やれやれ、と苦笑して頭を掻いた。掻いて――

「拙者のほうが先約でゴザル」

 不敵な笑みを浮かべて、言った。どういうことアルか? と目を丸くする古菲に、楓は教える。

「拙者、ついこのあいだ、横島先生に弟子入りしたでござる」

「そうなのアルか?」

「そうなんでござるよ」にんにん、と楓は続ける。「とはいえ、横島先生の都合がつかず、ほとんど稽古をつけてもらっていない――というのが現状でござる。それゆえ、今宵の機会を逃す積りはないでござる」

「楓が弟子入りアルか」ふむん、と唸って、古菲は腕組み。「つまり、横島老師はそれほどの腕前アルな。腕が立つとは思ってたアルが――そうアルか。そんなに強いアルか」

 くふふ、と笑いを漏らす古菲の姿に、楓はしまった薮蛇でござったか、と顔を顰める。とはいっても後の祭りで、火の付いた古菲の戦いを渇望する感情はどうにもならない。さてさて、どーしたもんでござろうと楓は考え――

「おっと、楓。ここでワタシとやりあて消耗するつもりアルか?」

 枕を持つ手を僅かに力ませた楓に、古菲がにこにこと笑いながら牽制する。その言葉に、楓はふぅ、と溜息。流石に、古菲ほどの腕の相手にそうそう奇襲を行うことは出来ない。あわよくば、ここで古菲を出し抜くつもりであった楓は、ままならぬものだ、と溜息をついた。

「お、横島老師の部屋アル」

 乱痴気騒ぎに参加している2−Aの面々から教師部屋と呼ばれているそことは違う、しずなと横島にあてがわれた女性教員専用の部屋が目の前にあった。どうやら、互いに探りを入れつつ歩いているうちに何時の間にかたどり着いていたらしい。とはいえ、楓や古菲は、この部屋には用はない。用があるのは、おそらくはすでに見回りに向かっているであろう横島であって、彼女のいないもぬけの殻の部屋ではないからだ。だが――

「いるっぽくないアルか?」

「むぅ」

 二人の見たところ、どうやら部屋の中から気配がする。流石に、しずなと横島、そのどちらかの判別までは出来ないが――それでも、部屋の中から人の気配がすることだけは間違いがない。

「…………」

「…………」

 どういうことだ、と古菲と楓は、互いに、目の前の扉と互いの顔を見比べた。

★☆★☆★

「はぁ、今日はいろいろあったなぁ」

 ホテル嵐山の誇る純和風の庭園、月に照らし出されたそこを歩きながら、ネギは溜息をついた。明日菜たちと入れ替わりに、関西呪術協会、その強硬派たちの襲撃に備えて見回りを敢行してる最中であるが、どうやら今夜の襲撃はないらしいとふんで、ネギは一息入れている。もっとも、油断は禁物であると昨夜のことで学んでいるので、それなりに周囲の様子に気を配っている。

「宮崎さん、かぁ」

 昼間の出来事――教え子である宮崎・のどかからの告白を思い出して、ネギは物憂げな溜息をついた。のどか、とは明日菜を除けば、2−Aでもっとも接する機会が多かった間柄だ。考えてみれば、明日菜に魔法のことがバレたのも、のどかを助けたことに起因する。縁があるのかも知れない。

 とはいえ、そういうのどかが自分を慕っていると――教師と生徒ではなく、男女という観点から慕ってくれていると、好いていてくれているとは、昼間の告白を聞くまで、ネギはついぞ気付かないでいた。内気で、自分の思いを外に向けて発することに慣れていないというのどかの性格にもよるが、もっとも大きな原因は、ネギが自分の目標を追い続けていることにあるのだろう。数えで一〇歳という歳ながら、生まれ故郷である英国はウェールズを遠く離れ、遥か日本で教師をやるという無茶な課題。そしてなにより、其の名を知るもの凡てに大英雄と称えられる父の背中を追い続けるという、険しい道を歩むことに懸命な、懸命すぎるネギは、のどかの思いに気付けずにいた。

 だが、昼間の一件で気付いてしまった。気付かされてしまった。

 春先の、いまだ冷たさの残る風が優しくネギの頬を撫でるようにして通り過ぎる。昼間の知恵熱、その余熱が、すこし醒めたような気がした。窓から灯りの零れるホテルの建物を見て、ネギは小さく溜息をついた。思う。さっきの風、ウェールズの風に似てたかな。同じ島国であることだし、あながち間違った思いではないだろう。自分を通り過ぎていく風に、故国と、今過ごす異国を重ねたネギは、ウェールズにいた頃は凡てが単純だった、と思った。けして安楽な日々を過ごしてきたわけではないが、それでも、単純だったことだけは間違いないだろう。ただ、何かから逃げるように、一心不乱に魔法の勉強に打ち込んでいればそれでよかった。それに比べて、課題をこなすべく訪れた異国での日々の、なんと複雑極まりないことか。

 過去と今の相違に溜息を漏らしたくなるのと同時に、ネギは、故国をあとにする前に、優しく美しい姉に言われた言葉を思い出していた。

 曰く、

『女の子には優しくしなさいね』

「優しく、かぁ」

 ひどく難しい言葉だと、ネギは思った。さして人生経験が多いわけではないネギにとって――いや、だからこそ、ひどく難しい。

 俯くようにして姉の言葉を反芻していたネギは、おもむろに顔をあげた。悩んでいても仕方ない。

「やっぱり、いつまでも先延ばしにしてもおけないよね――――よーし」

★☆★☆★

「横島老師、駄目ぽかたアルな」

「で、ござるな」

 諸手に持った枕を弄びつつ言う古菲に、楓は残念無念と言葉を返した。中にいるのはしずなかはたまた横島か――と勢い勇んで部屋の中に争うようにして乱入した二人を待ち構えていたのは、はたして彼女たちの望む相手であった。

 ただし、

「生理だたら仕方ないアル」

「で、ござるな」

 アレは本気でキツそうだった。布団の中で、うう、みず、みずぅぅぅ〜と魘される横島の姿は、同じ女性から見ても憐れを催してしまうような有様であった。何時もの教師然とした姿、あるいは、飄々とした姿は何処にもなかった。み、みず、とうわ言のように言う横島に向かって、何処から取り出したのかミミズを差し出そうとする古菲に、そういう悪趣味なギャグはやめるでござるよ、とツッコミを入れてから手近にあった湯呑みで水を飲ませたあとで、お大事に、と残して楓は古菲をともなって部屋をあとにした。

「こうなると、アレでござるな」

 今宵最大の目的がさっくり無くなった楓は、溜息まじりに言う。

「残るは、ネギ坊主の唇を奪取することぐらいでござるか」ふむん、と唸って、楓は続けた。「正直、ネギ坊主の唇は別として――あの朝倉が用意するという豪華景品には興味があるでござる」

「ほ? 楓はネギ坊主の唇はいらないアルか?」

「拙者、委員長と違ってショタのケは――と、古菲、おぬし?」

「むふふ。確かに、ネギ坊主はまだほんのお子様アルが――」にこにこと笑いながら古菲は続けた。「それでも、アレは磨けば光るとみるネ。今からツバつけとくのも有りアル」

 その場合、ネギ坊主がワタシのファーストキスの相手アル〜、と声には出さずテレテレしている古菲に、楓は呆れたような溜息をついた。確かに、楓もネギのことを磨かれる前の原石――それもかなりのカラット数のそれだとは思っていたが、ツバを云々という思考にはもっていかなかった。呆れたままの心境で、楓は言った。

「古菲、おぬし中国人のくせに光源氏計画でゴザルか」

「? ワタシ別にローラースケート履いてないアルよ?」

「――――なんでそんな古いこと知ってるんでござるか、とは聞かないほうがいいんでござろうなぁ」

 古典で習ったはずの源氏物語よりもいにしえのジャニーズアイドルネタを返してくる古菲に、楓は呆れを深くして、

(アレは?)

 廊下の向こうに見知った顔を見かけて、眉をひそめた。相手とすれ違い、その行く先を確認して、楓は足を止めてどうしたものかと考えるが――

「おおっ! エモノたくさん発見アル♪」

 相方が枕投げに吶喊するのを見て、その援護に回ってそれ以上気をまわす事はしなかった。


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第二十話『乱痴気騒ぎの夜』了

今回のNG

「さて。横島先生が体調不良ということで夜間見回りは私たち三人でやることになったわけですが――瀬流彦先生、何故に私を親の仇を見るような目でみているのです?」

「いや、どーして新田先生ですら本編で出番があったのに相変わらずボクは出番無しなんだろーか、と。音羽の滝のときも出番削られてたし掲示板では役立たずとか言われるし原作ではガンドルフィーニ先生がGロボ五巻の鉄牛ばりに男を上げたのに対してボクは本格的にヤラレ役決定ですよボクがいったい何をしたっていうんです!?」

「――本編とか掲示板とか原作とかメタな話題はどうかと思うが」

「そんなことはどうだっていいんですよ! 答えてくださいよどーしてですかっ!!」

「む、いや、それは――(※言いにくそうに視線を逸らせながら)」

「まぁまぁ。瀬流彦先生にもきっといつか陽の目が当りますわ。ほら、作者は脇役を描写するのが大好きですから」

「そ、そうですか? そうですよね!」

 言われて急に明るくなった瀬流彦。先程まで、駄々を捏ねて喚く頑是無い幼児の扱いに困るようにしていた新田は、助け舟を出してくれたしずなに、苦笑を浮かべながら小さく一礼した。そんな新田に、同じような表情を浮かべてなんてことはありません、とでもいうように首を振ってみせたしずなは、生き生きとした様子で見回りに向かう瀬流彦の背中を憐憫の情を隠そうともしない視線で見つめた。彼女は、先程の言葉の中であえて口にしていないことを心の中で思う。たしかに、この作者は脇役が好きだ。時には、原作での主役の描写を削ってまで脇役に光を当てる。だが、それはそのキャラクターが自分好みの――老獪な老人や、渋味のある中年、あるいは眼鏡な女性や幼女だったときに限る。もちろん、瀬流彦は老獪でもなければ渋味も無いし、眼鏡もかけていなければ幼い女の子でもない。つまり。

「可哀想な瀬流彦先生」(※ほろり)

どっとはらい



後書きという名の言い訳。

ではまた金曜に、と打ち込んでしばらくしてから、「あそこで切るのはなんぼなんでもなぁ」と思い、二十話を掲載してみんとす。いや、まぁ、やっぱ大して盛り上がってへんのですが。つーかここ最近バトってないから全体的に盛り上がりにかけるというかこの話ほとんどバトってねぇよ!!(※セルフツッコミ) 修学旅行編後半では頑張れたらいいなぁ、と思ってみたり。では、また金曜にー。





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