無題どきゅめんと


 眩い光に思わず手をかざしながら、横島はその光の中心を、目を細めながら見る。そうして辛うじて認識できたものに、横島はほっと胸を撫で下ろした。手の中に握っていた自分のとっておき――いざとなれば、『超』『加』『速』の三文字を発動させるつもりでいた文珠を、そっと懐に仕舞う。やれやれ、どうやら使わずにすんだか。体調の優れない今、文珠の生成は非常に手間がかかる。出来うることならば、使いたくはなかった。

「しかし、まぁ」横島は、稜線から顔を出した曙光よりも眩しく思える光が収まり、周囲にいた者たちがざわめき始める中、懐に突っ込んだ手をその中から取り出して、がしがしと頭を掻きながら言った。「アレが近衛さんの力か。無意識のウチに発動させちまったんだろうが――それでも、あの規模か」

「ジジイの身内でなければ、私もターゲットにしていたんだがな」

 無事を喜び合う刹那たちを眺めていると、何時の間にか横に立っていたエヴァンジェリンが声をかけてきた。

「アレならば、他の生徒たちを襲うまでもない。ふン、極東随一の魔力という触れ込みは伊達ではないな」

「まぁ、あんなん血ぃ吸うたらイッパツやろうなぁ」

 横島は慨嘆するような口調で同意した。無意識のうちにあれほどの力の片鱗を見せた木乃香の血、それから得られる魔力は膨大なものになるだろう。それこそ、満月の加護を得るに等しい力をエヴァンジェリンに齎したに違いない。

「しかし横島」相変わらず感心したように刹那と木乃香の様子を眺めている横島に、エヴァンジェリンは探るような調子で言った。「オマエ、何もしなかったな。下手したら減棒だったんじゃないか?」

「いやいや。万が一のときは動くつもりだったさ」

「充分過ぎるほどに万が一だった気もするが。というか、あの状況、あの時点で動いたとして何が出来たというのだ」

「そこは、まぁ」横島は肩を竦めながら言った。「企業秘密ってことで」

 訝るエヴァンジェリンにそう嘯いた横島は、何気ない仕草で視線を移した。離れた場所にいる千草の姿が目に映る。どうやら、向こうもこちらに気付いたらしく、目が合う。横島は小さく肩を竦めてみせた。自分の仕草を見て、さっと背を見せ、その場を立ち去ろうとする千草に、手の一つでも振ろうかと考えた横島は、その千草のすぐ傍に立っていた少年に思わず注視した。――――なんだ、ありゃ?

☆★☆★☆

「いや、しかし」横島は目の前で行われているものを眺めて、感嘆の念を多分に含んだ声を漏らした。「茶々丸さんはなんでも出来るなぁ」

「お褒めにあずかり光栄です」

「ふン! 私の従者だぞ。この程度出来て当然だろうが」

 茶々丸に和服の着付けをしてもらっているエヴァンジェリンは、横島の声に胸を張るようにして言った。そう言われてもなぁ、凄いもんは凄いんだから仕方ないじゃないか。そう応えようとして、下手に口答えすると碌なことにならないということを経験上いやというほど知っている横島は、へらず口を叩きそうになる口を閉ざし、代わりに肩を竦めてみせた。十二単の着付けの出来るロボットってどんなんだ。平安絵巻から抜け出てきたような装いを纏いつつあるエヴァンジェリンと、その着付けを行っている茶々丸を見て、横島はあらためてそう思う。昨今、浴衣の着付けも碌に出来ない娘さんが増えてきているというのに。ここはアレか、こんな複雑な行動を可能にするプログラムを組んだ葉加瀬さんを褒めるべきか、それとも、そんなプログラムを実行してみせる茶々丸さんの機構を褒めるべきか――ああ、茶々丸さんを作ったのは葉加瀬さんだから一緒なのか。凄いぞ葉加瀬さん。俺にも一人作ってくれ。

 そんなことを考えていた横島は、ふと視線を移す。そこには、四苦八苦しながら巫女装束に着替える夕映と、講談物に出てきそうな剣客風の衣装に着替えているハルナの姿があた。両名とも、時間帯のせいか人が少なく、加えて、同性ばかり――女性用更衣所だから当然――ということもあって、まったくの無警戒で着替えている。

 上着を脱ぎ、シャツを肌蹴させ、スカートを下ろし――という二人の一連の動作を眺めていた横島は、瑞々しい女子中学生の下着姿を目にして、慨嘆するように思った。チクショウ、あと一年後に見たかった。横島にとっては、発育が不良であろうと良好であろうと、一定の年齢に達していないとダウトなのだ。で、なければ、かつてそれなりに発育した美少女と称してさしつかえない人狼の少女に身体を寄せられて懊悩したりはしない。

(くそ、せめてここで着替えてるのが雪広さんや那波さんだったら――って結局はダウトやないかぁっ!!)

 俺はロリコンちゃうんや――心の中でそう絶叫した瞬間、

ぐあっ!?

 パンプスを脱いでストッキングに覆われているだけになった自分の足を、貫けとばかりに踏みつけられた。無論、言うまでもなくエヴァンジェリンに、である。

「ど・こ・を・み・て・い・る。ええ、横島!?」

「いたっ! 痛い! ちょ、エヴァちゃん足が、足がっ!!」

 ぎゅうぅ、と力の限りにカカトで足の甲を踏みつけられて、横島は涙目になって勘弁してくれと哀願する。そんな横島を見ながら、エヴァンジェリンは、見るなら私の着替えだけ見ておけばいいものを、と歯噛みしたい思いに囚われる。幸いというか、なんというか、夕映たちの着替えをみる横島の視線が、何かを惜しむというか悔やむようなものであったからこの程度で済んでいるが、もし、鼻の下のひとつでも伸ばしていれば、今ごろ更衣所には血の雨が降っていたことは想像に難くない。

「マスター、終わりました」

 ぎし、と踏みつける横島の足の甲が奇妙な音を響かせ、横島が、ひぐぅ!? と珍妙な押し殺した声を漏らした瞬間、茶々丸がエヴァンジェリンからすっと離れ、小さく頭を下げながら言った。

「うむ」

 ぎし、みし、と軋んだ音を立てる横島の足は踏みつけたままに、エヴァンジェリンは鷹揚に頷いた。更衣所に用意してあるもののうち、比較的自分に近い場所にある大きな姿見に視線を寄越す。何時ものことながら、従者の着付けは見事なものであった。身嗜みには一言居士といった感のあるエヴァンジェリンだが、その彼女をもってしても、文句のつけようの無い見事な出来栄えであった。茶々丸による着付けが満足のいくものであることを確認したエヴァンジェリンは、そこでようやくのことで横島の足を踏みつけていたカカトをそこから外し、はぁ、と安堵の吐息を漏らしている横島に向き直った。

「どうだ、横島?」

 普段であれば、ゴシックロリータな服に身を包んでいてもなお感じる不敵さ雰囲気を忘れたかのような様子で、エヴァンジェリンはしゃなりとした仕草で目の前に立つ、自分の新しい所有物――もっとも手放し難い仮初の従者に尋ねた。

 足に残る鈍い痛みと、折れよとばかりに苛んでいた重圧から解放された幸福の両方に包まれていた横島は、エヴァンジェリンの鈴のような声に、そちらの方を見て、

「――――」

 思わず、言葉を失った。

「横島?」莫迦みたいに口を開けて自分を見ている横島が、いつまで経っても何も言わないことに不安を覚えたエヴァンジェリンが、その不安を滲ませた声色で声をかけた。「どうした、おい」

「――あ、いや」エヴァンジェリンの声にハっと我に返って、横島は慌てて首を振った。「なんでもない。しかし、うん。――うん、綺麗だ」

 純和風の装いに、絹のような艶やかさをたたえている金糸のごときブロンドが、意外なほどにマッチして独特の雰囲気を醸し出している。エヴァンジェリンの容姿が整っているのは当の昔に承知していた。おそらく、自分がロリだのペドだのといった性的ファンタジーの持ち主だったら涙を流して歓喜するだろうと思っている。とはいえ、初めて見る和装のエヴァンジェリンは、言葉を失うほどに美しかった。

「いや、なんだ。随分和装が堂に入ってるじゃないか。思わずビックリしちまった」

「ふン」横島の率直すぎる賛辞に、エヴァンジェリンは照れ隠しに鼻を鳴らして応えた。「そういえばオマエは見たことがないんだったな。茶道部の集まりなんかでよく着るから、着慣れている――流石に、十二単は初めてだが」

「なるほど」エヴァンジェリンの説明に、それでか、と納得した横島は頷いてみせる。「うん、いやしかし――綺麗だ」

 改めて賛辞の念を漏らす横島に、エヴァンジェリンはまんざらではない――どころの騒ぎではなく、誰が見ても判るほどに浮かれる。にたにたと笑み崩れたエヴァンジェリンの様子を見て、苦笑した横島は、何時の間にか夕映たちも着替え終えていることを確認して、さて、と声を漏らした。

「じゃ、桜咲さんたちも待ってることだし――行くか」

 言って、出口へ向けてきびすをかえそうとする横島だったが、

「おい、待たんか」

「おぅ。どうしたエヴァちゃん?」

 ジャケットの裾をぐいとエヴァンジェリンに掴まれて引き止められた。一方、引き止めたエヴァンジェリンは、そんな横島の表情を見て呆れた、といった顔になる。

「どうした、じゃないだろう。どうした、じゃあ。オマエも着替えろ」

☆★☆★☆

「みんな遅いなぁ〜。なぁ、せっちゃん」

「あ、はい。そうですねお嬢様」

 もう、お嬢様やのうて、と自分の呼び方に唇を尖らせる木乃香の扱いに四苦八苦しながら、刹那はちらりと時計を見た。まぁ、みな女の身であるがゆえに装いを整えるのに時間がかかるのは仕方ないとはいえ――

(あと、十分か)

 自分と同門を名乗る月詠という少女の告げた刻限まで、さして時間が残されていなかった。正直、あんな戦闘狂のガイキチとの一方的な約束などブッチしてしまおうとも考えないでもないが、

(あとあと厄介なことになる)

 と刹那はその誘惑を押さえ込んだ。あの時、最後に見せたあの狂気に彩られた壊れた笑み。あの手の人間は、基本的に何をしでかすか判ったものではない。少なくとも、『神鳴流』の剣士として、『強硬派』に雇われている――つまり、雇用主の意向である『近衛・木乃香』の奪取という契約に基づいて動いているうちはその行動は比較的常識の範囲内に収まるはず。であるならば、ここでもっとも最善の行動は、向こうの誘いに乗ることだった。それに、向かう場所に月読一人きりとは限るまい。むしろ、向こうの面子が雁首揃えて、とまではいかなくても、その場に姿を見せるぐらいはしているはず。いままで、受け手に甘んじていたが、いちどき集まったところをいっぺんに叩いて、後顧の憂いを無くす、ということも可能かもしれない。

 まぁ、後者に関しては多分に希望的観測が混じっている感が無きにしもあらずといったところだが、少なくとも、前者の件を考慮する限り、刹那の取るべき道はさして多くなかった。まずもって、刹那の存在意義とは、

(何に変えても、お嬢様をお守りする)

 という一点に尽きる。彼女が、かつての危地で己が無力を痛感して以来、そのように自己を規定してしまっている。であるならば、放棄したが最後、何をしでかすか判ったものではない月読との約束を、守らないわけにはいかなかった。

「あ、出てきたで」

 橋のある方を睨むようにして、覚悟を決めていた刹那の纏っているだんだら模様の羽織、その袖をくいと引いて、木乃香が声をかけてきた。刹那は、その声に促されて更衣所の入り口を見た。まず、滅多に着ることのない衣装に袖を通したことに対する興奮からか、うきうきとした様子でハルナが現れ――アイパッチは柳生十兵衛かなにかのコスプレのつもりだろうか――次いで、不承不承、というよりも、どちらかといえば羞恥と諦観に彩られた表情の夕映が、縮こまるようにして姿を見せる。そして、

「――はぁ」

 思わず、刹那は溜息を漏らした。賑やかなはずのシネマ村の路上が、まるで公家の屋敷か宮中の中にでもなったかのような錯覚を覚える。しゃなり、とした佇まいで姿を見せたエヴァンジェリンに、刹那はさきほどの横島と同様の印象を覚えざるをえなかった。直後、

「何をしてるんですか横島先生というか何故に腰元?」

 そのエヴァンジェリンの長い裾を地面につかない様に軽く持っている横島の姿に、刹那は首を傾げた。

「仕方ないじゃないか。こうしないと衣装が汚れて弁償させられるんだ」

 裾を持ったまま横島はそう弁解し、隣で同じようにエヴァンジェリンの十二単、その裾を持っている茶々丸に、なぁ? と同意を求めた。

「いや、それは判りましたが――何故に腰元」

「うん、ミスマッチだってのは判ってるんだが」時代劇、あるいはバカ殿の特番でよく見る、自分の着ている着物をちらと見下ろして、横島は十二単の裾を持ったまま肩を竦めた。「揃いで似たような衣装着ると、自分の貸衣装汚さんためにエヴァちゃんの裾持てんでなー。まぁ、本格時代劇でも撮るんじゃないから考証おかしくてもいいだろ」

「まぁ、いいですけど」

 暢気なものだ、刹那は肩を竦める横島を見てそう思った。つい、と近くにより小声で話し掛ける。

「横島先生、敵の――」

「桜咲さんを的にかけてるな、アレ」あと、俺も。口には出さずそう呟いて、横島は溜息をつきたいのを我慢して刹那に問う。「どうする気だい?」

「アレの相手は私がします。というよりも私が相手をしないと面倒になりそうですから」

「だろうなぁ。判っていて、相手の策に乗せられないとならん――相手の策にのるしかないちゅうのは面倒だね」

「まったくです」横島と同じように、今にも溜息をつきそうな表情で刹那は同意した。「ところで、横島先生。体調のほうは?」

「芳しくないね」横島は正直に応えた。刹那相手に隠しても仕方ないと考えている。「飛んだり跳ねたりってのはキツイかなぁ」

「――そうですか」

「まぁ、私があてにならんのは最初に言ってあるから、期待されても困るんだけどな」あからさまに肩を落としてみせる刹那に、横島は首を傾げてみせた。「それに、近衛さんを守るのは桜咲さん、キミの仕事――使命だろう」

「言われずとも」

 事実とはいえ、横島の言い草に反感に似たもの――あるいは反感そのものを覚えた刹那は、そう応えると、肩を怒らせて木乃香の傍に向かった。横島は、その背中を苦笑しながら見る。そんな横島に、彼女に裾を持たせているエヴァンジェリンが振り返らずに尋ねた。

「いいのか? 今ので、アイツのオマエへの心証はかなり悪くなったぞ?」

 まぁ、それはそれで願ったりといったところなのだが。小さくそう付け加えたエヴァンジェリンの呟きには気付かなかった横島は、聞き取れた部分にのみ応えを返した。

「まぁ、アレで桜咲さんが発奮してくれればかまやしないさ。一年後に激しく後悔しそうだけど」それに、と横島は言う。「良い風に思われてなけりゃあ、頼ろうとはせんやろうしな」

 最初から後詰が控えていると考えていれば、いくら気をつけていても一瞬の気の緩みを突かれてヘマをしでかす可能性がある。で、あるならば、憎まれ役を演じてその可能性を潰しておく必用があった。朝から、妙に突き放した物言いをしてみせ、刹那が自分に対して一定の距離をおきたくなるように仕向けているのもその一巻だった。

「なるほどな」エヴァンジェリンは、多分に笑いを含んだ声でいった。「難儀なものだな、教師というものは」

「まったくだ」

 笑いを含んだ声に、横島は肩を竦めて応えた。ふと見れば、刹那たちが約束の場所――といっても乳と蜜の垂れ流れる場所などではなく、まず間違いなく剣戟巻き起こる決闘場である橋に移動を開始していた。刹那からは移動を促す声すらかからなかった。横島はその様子に肩を竦めながら思った。どうやら、上手く行ったようだ。しかし、まぁ、自分でそう仕向けたとはいえ、カワイイ娘さんから嫌われるってのは悲しいもんだ。一年後といわず、速攻で後悔する横島だった。

☆★☆★☆

 果たして、恋焦がれた相手との逢瀬の時を待つ気分とはこういうものだろうか。

 シネマ村の中に作られた川――というよりも多少幅のある水路にかけられた橋の中央で、その本性を知らぬものが見たならば、まず大概のものは好意的に受け取るであろう微笑を顔に浮かべながら、月読はそんなことを思った。

 月詠が、何時から強者との――特に女性の使い手と死合うことを狂的なまでに渇望すつようになったか、実のところ、本人にも良くわかっていない。幼い時分に二親を亡くし、神鳴流の使い手である人物に拾われ、門前の小僧習わぬ経を、とでもいうかのように剣を取り始めてしばらくした頃には、もうその片鱗を見せていた。

 だが、その方向性を決定的に刻み込まれたときのことは、はっきりと覚えている。血を見ずにはいられぬという、その可憐と評して差し支えない容姿とは裏腹の狂犬にも似た性質から煙たがられていた月詠は、ある日、ついにその内側からマグマのように噴出する衝動を抑えきれなくなり、たまさか一緒に稽古をつけていた同門のものを再起不能に追い込んだ。そして、自身を熱く濡らす相手の熱い血がもたらす形容し難い感覚に酔いしれた月詠は、衝動の赴くままに次なる獲物を求めてあたりを彷徨い、偶然にも通りがかった一門の人間に襲い掛かり、完膚なきまでに叩きのめされた。

 相手は、神鳴流の宗家ともいえる家の人間で、一門の中でも一、二を争う遣い手だった。歳の割には腕が立ち、相手を傷つけることに欠片も躊躇を覚えぬたちであるとはいえ、所詮は年端の行かぬ子供に過ぎない月詠が、そのような相手に敵うはずもなかった。

 月詠は、今もそのときのことを昨日のことのように思い出すことが出来る。神鳴流の剣士に特有の野太刀のような尺の長い得物を、その白刃を、目にも止まらぬ神速で振るい、煌く剣閃の一撃をもって自分を血の海に沈めた相手の神掛ったまでの美しさ。

 以来、月詠は神鳴流を放逐され、フリーの仕事人として闇の世界を生きてきた。といっても、そう簡単なことではなかった。放逐される際――というよりも、血の海に沈められた際に、月詠は身体に深刻なダメージを負わされていた。それは、正直言って命があるだけ儲けものだと考えたほうがいい類のものであり、剣をとって、などというのは妄想以外の何物でもないとでもいうべきものだった。剣を振るうために、傷を癒し、リハビリを行い――その間、神鳴流及びその関係者からの助力を仰ぐことなど出来なかった月詠は、まず生きるために、どんなことでもした。飢えを満たすために野良犬のように残飯を漁り、路銀を得るために法に触れるようなことも行った。そうまでして月詠が剣に生きようとしたのは、あの日、自分を斬り伏せた存在の記憶に囚われ続けたからだった。もう一度、あのような美しいイキモノに巡りあいたい。そして、次はただ斬り伏せられるのではなく、心行くまで切り結びたい。そう願ったからだった。そうしているうちに、月詠はアンダーグランド、そのさらに深部で名を売るようになっていた。そんな月詠であるからこそ、神鳴流とは切っても切れぬ仲と言って良い関西呪術協会、その長の娘を奪取するという畏れ多い計画にも平然と加担できる。

 そして、今。

 月詠は、あの日の相手とまでは行かぬとも、少なくとも納得できる殺し合いが出来そうな相手を待っていた。どちらかといえば、月詠はその相手――桜咲・刹那よりも、横島・多々緒に心惹かれていたが、まずはクライアントである月読との約定を果たす必要があった。まぁ、横島の所在は判っている。焦る必要はなかった。

 月詠は、纏っている衣装に合わせてか、懐からアンティークな懐中時計を取り出すと、その上蓋をあけて時間を確認した。約束の刻限まで、五分をきっていた。思う。刹那センパイは、どうも律儀な性格のようだから、おそらく、時間ぴったりに来るに違いない。まぁ、来ないという可能性もあるが――

(その時は、その時やしなぁ)

 にこり――というよりも、にたり、といった感じに笑みを浮かべて月詠は思う。こちらが可能な限り穏便にことを進めようとしているのに、それを受け入れないのであれば――こちらの好きなようにさせてもらうまでだ。まぁ、来なかったときのことはそれからゆっくり考えればいい。それよりも、あと五分。あと三百秒。秒針が、あと五周すると、自分と刹那は思う存分剣を交え、

(ステキな死合いができるわけやわぁ)

 そう考え、月詠は研ぎ澄ませた自分と刹那の刃が火花を散らし、鍔迫り合いを演じ、互いを斬り殺し合う姿を想像して、陶然とした表情を浮かべる。ああ、あとたった三百秒。だというのに、まるで無限に思えてならない。ああ、刹那センパイ。早く、早く、早く、早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く――――

 ウチに/ウチを、殺されに/殺しに――――

 その時、雑踏の向こうに、仮装した一団が見えた。

 月詠は、自分の頬に朱が差すのを感じた。ああ、ようやく。  

☆★☆★☆

 タタン、チャン、タタンチャン

「あの」

 チャン、チャチャ、チャン、チャン、チャン、チャチャ――

「横島先生、なにやってるんですか」

 十二単を纏いしずしずと一団とともに歩く金髪の平安美人――もっとも下膨れフェイスではないが――に扮装したエヴァンジェリンの裾を持つ従者の片割れが先程から祭囃子のようなものを口ずさんでいるのを見て(あるいは聞いて)、興味をそそられたハルナは振り返って尋ねた。

「うん? 早乙女さん知らない?」

「『燃えよ剣』のオープニングだな」

 知りません、とハルナが応えるよりも早く、エヴァンジェリンが断言した。それを聞いて、横島がほぅ、と感心したように呟きを漏らした。

「よく知ってるなぁ。ほんとに好きなんだな」

「知らいでか。というか、そんなもんのオープニングテーマを口ずさめるオマエはいったいなんなんだ」

「ご希望とあらば『新撰組血風録』だろーが『俺は用心棒』だろーがなんだってやってみせるが」

「すいません、全部ワカリマセン」いや、燃えよ剣は名前だけは知ってますが。ハルナは降参だ、といわんばかりの態度で両手をあげた。ちなみに、全部時代劇のタイトルだったりする。「で、なんでそんなもん口ずさんでるんですか?」

「うん、ほら。今日の主役があんなナリをしてるからなぁ」横島は視線で前を行く刹那の姿をさした。心なしか、その背中から怒りのオーラが発せられているようにも見える。もちろん、横島は気にもしない。「これから決闘なんだから、盛り上がるテーマの一つも必要かと思って」

「あ、そういえば『燃えよ剣』って新撰組がテーマの作品でしたね」ハルナが、ああ、と手を叩きながら言った。「池波でしたっけ?」

「司馬・遼太郎なのです」ボケをかます友人に、夕映が呆れたように呟いた。「ハルナは、新撰組がテーマのマンガは好きなのに、そういう知識は薄いのです」

「いや、ほら。る○剣にも、ピ○ス○ー○ー○にも、池波大先生も司馬大先生も関係ないし」

「よーし危険なネタはやめとけ」

 自分の稚気じみた思いつきからでた行為からなかなかデンジャラスなネタに発展しかけたことに反省した横島が、ハルナを黙らせる。むぅ、どっちの原作の掲載誌でもないからネタ的にダウトだよなぁ、などと思いながら横島は空を見上げる。京都を訪れてからこの方、ずっと続いている晴天がそこには広がっていた。せめて雪でも降ってたらなぁ、と溜息をつく。そうすれば、あのフレーズを使えたのに。

 相変わらずすっとぼけたことを考えている横島は、刹那の背中から醸し出されているオーラがそれこそデンジャラスなレヴェルに達していることに気付いていなかった。

(あとで、小一時間ほど問い詰める必要がある)

 木乃香から見えているほうの顔に笑顔を浮かべ、反対側に青筋を浮かべるという器用な真似をしながら、刹那は思った。クラスメイトが能天気なのは仕方ないとして、ばっちり関係者の横島までがアホウ極まりないことをしているのはどういうことだ、と思っている。くそ、新幹線の中では気圧されたが、このヒトはとことんアテにならない。お嬢様は、私がお守りするしかない!

 もちろん、刹那は自分がそう考えるよう横島が仕向けているとは気付かないまま、内心の決意をあらわすかのようにグっと拳を強く握った。その時。

(刹那さん、刹那さん!)

「えっ!?」

 この場に居ないはずの人物の声に話し掛けられ、思わず刹那は声のしたほうに振り向く。そこには、

(ネギ先生、どうやってここに!?)

 まるで自分の式神――《ちびせつな》のような姿をしたネギが浮かんでいた。問い質すと、自分が放った式の術式を辿ってここに姿を見せたらしい。なるほど、と刹那は納得した。それならば《ちびせつな》に容姿が――というか、雰囲気が似通うのも当然だった。同時に、驚愕を覚える。同じ神秘とはいえ、魔法と陰陽術では技術体系が異なる。それを解析し、拙いながらも発動させるネギのその才気。ほんとうに、十歳とは思えない。これは、ネギ先生についての認識を改める必要があるな。自分の担任について、副担任に対するそれとは正反対の心証を覚えて、刹那はそう思った。

「ぶえっくしょい」

「風邪か? 横島?」

「いや――」もしかしなくても体調が悪化したのか? と立ち止まり、こちらを振り向いて尋ねるエヴァンジェリンに首を振ってみせる。「誰かが自分の噂――というか、不当な悪口を言ってるような思っているような」

 その応えに、エヴァンジェリンはしばし微妙な表情を浮かべたあとで、再び歩き出す。

「不当もなにもないような気もするが」

「酷っ!? エヴァちゃん酷っ!!」

「あー、なんとなく判る気が」

「右に同じなのです」

「うそんっ!?」

 周囲の白い視線に晒された横島は、大仰に抗議してみせ――

「ふふ――――」

 ようとした瞬間、何時の間にかたどり着いていた橋の中央に立つ、時代錯誤な(ここにいる全員がそうなのだが)服装の少女が声をかけてきた。その表情を見て、ああ、これだから、と横島は嫌そうな表情を浮かべる。これだから戦闘狂ってヤツは。まぁ、なにはともあれ――

「さて、桜咲さん。お手並み拝見」


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第二十六話『キネマの天地4』了

今回のNG

 待ち合わせの橋へと大通りを、刹那を先頭にして進む一団を後ろから見ながら、横島は我慢が効かなくなった。多少シチュエーションは違うが――まぁいい。やってしまえ。横島は、たとえ誰が判ることがなかろうとも――そう心に決めて口を開いた。

――――隠密同心心得の条

 ぼそり、と呟くようにして放たれた言葉は、だが、確実に届いていた。横島の呟くようなそれを耳にして、彼女はニヤリ、と口元を歪めて、まるで謳うような調子で朗々とそのあとをひきとった。

我が命、我が物と思わず――

――武門の儀、あくまで陰にて己の器量に伏し

 お、と驚きに眼を丸くしつつも、すぐに判ってるなぁ、といった類の笑いを浮かべて横島は彼女――エヴァンジェリンのあとにつづいて再度口を開いた。そして、横島は再び眼を丸くした。

ご下命いかにても果たすべし

 あくまで無表情に――だが、どこか不敵さを感じさせる声色で言ったのは夕映だった。ああ、俺のしたことは無駄じゃなかった――思わず感極まって落涙しそうになるのを堪えて、横島は結びへと繋がる言葉を放つ。

なお――――

「「死して屍拾うものなし!」」

「「「「「「「「「死して屍拾うものなし!!」」」」」」」」」

 最後はみなで大合唱だった。

「あー、せっちゃん。短気はあかんで〜? 殿中――ちゃうな。ええと、街中やでぇ〜?」

「は、はなして! はなしてくださいお嬢様!!」


 どっとはらい。



後書きという名の言い訳。

そろそろ禁酒してみよう(※挨拶)。ウチの月詠はもうどーしようもないと思うがどうか。昨夜、辛うじて27話を脱稿したので在庫は相変わらずひとつ。週一ペースでなんとかしよう。…………出来ればいいナァ(※弱っ!?)。まぁ、そんなことをいいつつ、では、また来週ー。



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