無題どきゅめんと


「このか様も、刹那センパイも――」

 視線の先で、時代錯誤な洋装を身に纏った少女がそう口を開くのを横島は見る。すでに諸手には、抜き放った得物を構えている。ヤル気マンマンだなぁ。横島は溜息をつきたくなるような心境でそう思った。無論、そのような横島の心境に構うことなく、幕の開けた茶番劇は淀みなく進行していく。その茶番劇の登場人物の一人である時代錯誤な洋装の少女――月読は、ゆったりとした、だが、心得のないものであれば思わず後ずさってしまいたくなるような迫力を醸し出しながら、橋の中央から一歩を踏み出して言う。

「――ウチのものにしてみますえ〜」

 言って、月読はほんの一瞬、視界の中央に捉えている刹那たちから視線を外し、その後ろに控えている腰元風の衣装を纏った横島に、ねめつけるような視線を送った。口にこそ出していないが、もちろん横島はんもものにしますえ、と言っているようだ。そんな粘質の情念の込められた視線で、ほんの一瞬とはいえ全身を舐め回すように視姦された横島は、今度こそ本気で溜息をつこうとし、

おい横島

 絶対零度の響きで聞こえてくる声に、思わず全身を硬直させた。声の主はもちろん、

「な、なんでせうかエヴァンジェリンさん?」

 みじろぎひとつ出来ぬほどに全身を緊張させて――エヴァンジェリンの冷質の声には、それだけの迫力があった――横島は自分が裾をもつエヴァンジェリン、その背中に声をかける。かけながら、横島は思った。ああ、エヴァちゃんがこっち向いてなくて良かった。たぶん、今、エヴァちゃんの顔を見たら俺はちっこ漏らしちゃうに違いない。

 そのエヴァンジェリンは、浮かべている表情を横島に見せないままに――つまり、横島に裾を持たせ、背を見せたままで、再び口を開いた。異様なまでに抑揚のない声だった。

「どういうことだ?」

「えー、その」何故かは知らねどえっれぇ怒ってらっしゃる? とビクビクしながら横島は口を開いた。裾を握る手が酷く汗ばんでいた。

「出来れば質問は判り易くしていただけると嬉しいのでありますがエヴァンジェリンさん」

「判り易く?」小さく首を傾げながら、エヴァンジェリンは言った。こう書くと可愛らしく思えるが、その様子を至近距離で後ろから見ていた横島は、エヴァンジェリンの頭部に巨大な二本の角を幻視していた。背中に嫌な汗をどばっとかきながら横島は思った。やっべ、俺もしかして地雷踏んだ?「そうか判り易く、か。ああ、いいだろう。おつむのお馬鹿なことこの上ないオマエにもよく判るように優しい私が易しく言い直してやる――問うぞ、横島。あの小娘の、オマエを見る盛りのついた雌犬のような目はどういうことだ。応えろ、横島」

 キサマ一日と経たないウチに浮気とはいい度胸だ死に方の希望はあるかカミサマにお祈りはすませたか部屋の隅でガタガタ震える準備はOK? 葬儀はどの宗派で? 埋葬方法は土葬か火葬かそれとも風葬か鳥葬か? と妙にテンション高めに言うエヴァンジェリンに、

「よーし誤解だ」

 横島は全身全霊全力で応えた。それ以外の応えは己が命運を今日で終わらせるに違いない、と横島は確信した。嫌が応にも確信させられていた。ゆえに、たとえ事実であろうとなかろうと、横島にはそう応えるより選択肢は存在していなかった。

「きっぱりさっぱり誤解で俺は無実だ」

「では、アレはなんだ」横島の毅然とした――というよりも、命をかけた応えに、エヴァンジェリンはもう一度首を傾げ、問う。「無実だというのならば、あの雌犬の腐った視線はなんだ。納得の行く説明を求める」

 出来なければ死刑。

「俺が無実なのはエヴァちゃんが知ってるじゃないか」必死。横島必死。必ず死ぬと書いて横島必死。「いったいぜんたい、俺がいつ悪さする暇あったっていうんだ」

「む」

 言われて、エヴァンジェリンは周囲の景色を歪ませるほどに発していた怒りのオーラを緩めた。しばし黙考する。たしかに、横島の言うとおりだった。今日はずっと一緒にいたし、昨日は昨日で体調不良でダウンして(自分に夜這いをかけられて)いた。一昨日は、確かに朝帰りだったが、相手は酔い潰れて負ぶわれて帰って来た刹那だと判明しているというか朝帰りの決定的シーンをばっちり見ている。そしてそれに対する苛烈極まりない懲罰も実施している。

「確かに」不承不承、エヴァンジェリンは頷く。「では、いったいぜんたい、アレはどういうことなのだ」

「いや、流石にそこまでは」エヴァンジェリンの怒気が一応収まったのを感じ取り、横島は安堵の溜息をつきたくなるのを我慢して応えた。「俺にもさっぱり」

 無論、嘘である。あの晩、手加減なしの殺気を叩き付けたのが原因だというのは、流石の横島も判っている。とはいえ、あれでここまで目をつけられるとも思っていないかったのもまた事実であった。

「身に覚えは無い、と?」

「天地神明に誓って。アッラーでもブッダでも構わない。誓う」キーやんには死んでも誓わないが、と心の中で呟いて横島は言った。「というか、あの子ばっちり俺の守備範囲外なんだが」

「――そういえばそうだな」

 横島の女性の好み――メリハリの効いたグラマラスなおねーさん――を思い出したエヴァンジェリンは、確かに、と頷いた。頷いて、彼女はおごそかに今回の判決を告げた。

「執行猶予五年」

 それを聞いた横島は、あからさまな安堵の溜息を漏らした。本音を言えば全面無罪が望ましいが、裁判官にして死刑執行人であるエヴァンジェリンにいらぬことを言って臍を曲げられては困るので、それを言うつもりはない。なんとなれば、エヴァンジェリンが判決を下す法廷においては、弁護人は皆無であるし、判決を下すために用いられる唯一の法は彼女の気分ただひとつであるからだ。ここは死刑判決が下されなかっただけ有り難いと思うべきだった。

 舞台の袖で周囲の情景凡てを完全に無視した理不尽な喜劇が繰り広げられる一方で、舞台の中央では、茶番劇たる衆人環視のなかでの近衛・木乃香誘拐劇がいよいよ本格的に始まろうとしていた。

「この方達は私の可愛いペットがお相手しますぅ――――ひゃっきやこぉー♪」

 その声に、ふと横島が視線を橋のほうに向けると、

「なんだありゃ」

 やたらめったらデフォルメの効いた姿のモノノケたちが宙に踊り出していた。月読の舌足らずな発音の台詞を信じるなら、鳥山石燕の画図百鬼夜行で知られる魑魅魍魎のはずだが――素人目に見ても、ちっともおどろおどろしいところは無く、その手の気配に気付けぬものであればテーマパークか何かの出来のいい着ぐるみと勘違いしてしまいそうだった。事実、橋の周囲に集まっているギャラリーたちはそうとらえて歓声をあげている。

 その間の抜けた光景に、横島があっけにとられていると――

「ふっ!」

「はっ♪」

 睨みあっていた二人の神鳴流剣士――刹那と月読はどちらからともなく大地を蹴り、瞬時に距離を詰め――

「にとーれんげきざんてつせーん♪」

 取り回しのいい小太刀の特性と、自身の小回りのきく小柄さを生かして刹那の懐に飛び込んだ月読は、諸手の小太刀を独楽のように振り回し、わずかなタイムラグをおいて神鳴流の奥義――読んで字の如く鉄をも斬り裂く威を誇る斬鉄閃を繰り出す。並の者であれば、次の瞬間、四つに裂かれて絶命していただろう。

 だが、桜咲・刹那は並みの遣い手ではなかった。後ろに控えているエヴァンジェリンや横島、あるいは神鳴流の宗家を束ねるようなものたちから見れば、まだまだ、といったところがある刹那だが――

「喝っ!」

 気合の篭った声とともに、刹那は白鞘に収めていた夕凪――愛刀の野太刀を居合の要領で引き抜くと、己が胴を薙がんと迫る月読の斬鉄閃、その一撃目を防ぐ。そして、そのことによっていささか威力を減じた二撃目の斬鉄閃を腰にさしていた竹光で受ける。ただの竹光であれば、手もなく薙がれてしまうところだが、刹那は氣で竹光を覆い、その強度をほんの一瞬だけ劇的に引き上げていた。そう、少なくとも一撃ぐらいはしのげるほどに。

 ――刹那の後ろには、何にもかえて護るべきものが存在していた。で、あるならば多少の技量の不足など、問題にはならなかった。それだけの気迫が刹那にはあった。

 大技を防いだ刹那は、大技を防がれたことによってほんの一瞬だけ生じた月読の隙を見逃さなかった。こちらの受けを貫こうとする相手の小太刀を防ぐ夕凪に込めていた力をあえて抜き――

 ぎゃりん。

 あえて作り出した一瞬の隙間、そこに全力を込めて夕凪を切り上げる。隙間を再び埋めるように二つの刃はぶつかり合い、押す力と押す力が反発して、互いの刃が弾き飛ばされる。が、

「せいっ!」

 刹那は、腕力に任せてそのまま夕凪を切り上げ、完全に月読の小太刀を弾ききる。生まれた間隙。そこに、

「はっ!」

 片手持ちの夕凪を振り下ろした。月読を唐竹に真っ二つにせんと振り下ろされた夕凪は、だが。

「うふ」

 素早く交差させた二刀の小太刀に防がれる。ぎゃり、ぎゃり、と冷たくも熱い鍔迫り合いの音が二人の、ともすれば互いの呼気すら聞き取れんほどに狭まった空間に満ちる。刹那は思わず臍をかむ。

 こいつ、ナリこそアレだが――やはり神鳴流の遣い手だけあって手強い。

 苦戦は免れえまい――そう思い、刹那はうっとりした表情でこちらを見ている月読に声をかけた。正直、搦め手の類は得意ではないが、得手不得手をどうこう言っている余裕はない。自分は負けられない。であるのなら、得手不得手はもちろんのこと、自分の信条信念の如何を問わず出来ることはなんでもやるべきだった。

「最近の神鳴流は妖怪を飼っているのか?」

 堕ちたものだな、と言わんばかりの口調で刹那は言った。魑魅魍魎を撃滅する――という神鳴流、その遣い手であるはずの月読の心理をいくらかでも揺さぶろうと思っての言葉だった。だが。

「あのコ達は無害ですぅ。御安心を――」刹那の揺さぶりなど微塵も気にした様子もなく、月読は笑みを浮かべながら答えた。もとより、神鳴流を名乗ってこそいるが、その実、神鳴流から放逐された月読がそのようなことを気にするはずもない。「ウチはただ、刹那センパイと剣を交えたいだけ…………♪」

「戦闘狂かっ! つきあわんぞ!!」

 言ってやれ言ってやれ。揺さぶりに失敗した刹那が舌打ちする代わりに吐き捨てるようにして言うのを見ていた横島は、まったくだ、とでもいうように頷く。ちなみに、横島の周囲は月読の呼び出した気の抜ける外観の魑魅魍魎がエロい騒ぎを起こしているが、横島たちには一歩も拠ってこない。拠ってこようとする奴輩の凡てを、エヴァンジェリンが威圧しているからだ。魑魅魍魎の中には、なけなしの勇気を振り絞って横島たちに近付こうとするものもいたが、エヴァンジェリンと目が合った途端、誰も彼も目に涙を浮かべ尻に帆をかけて逃げ出してしまっている。まぁ、無理もないわな。横島はそうした連中を憐れみの視線で見ながら思った。俺でも逃げるし。

 しかしまぁ。刹那と月読の繰り広げる舞にも似た剣のぶつかりあいを眺めつつ、ちらちらと周囲に目を配る横島は思う。

 ちくしょう、コイツらヒトがイロイロ我慢してんのに好き勝手しやがって。

 自分の教え子たちのスカートだのなんだのを捲り上げたち肌蹴させようとしているマヌケな魑魅魍魎に果てしない怒りを覚える。正直、エヴァンジェリンの裾を持たされていなければマッハで微塵に切り刻んでいるかも知れなかった。あ、くそ、それは俺が将来愉しもうと思ってる尻や乳だ。勝手に触る――

「おい、横島。いまなにか不埒なことを考えなかったか?」

「イエ、マッタク?」

 自分が視界の端に入るように首から上だけを振り向かせて微かな怒気を込めて問うエヴァンジェリンにそら惚けて、不意に横島はこの場に木乃香がいないことに気付いた。

「――――迂闊」

☆★☆★☆

 横島とエヴァンジェリンが場の空気を欠片も読んでいない、犬も食わぬようなやり取りをしている間に、刹那から木乃香のことを託されたネギは、自分よりも年上の少女、その握り締めれば手折れてしまうようなか細い手を握りながら、シネマ村の中を懸命にかけていた。

 今、木乃香の手を引いているネギは、ネギ本人ではない。刹那の送り込んでいた式、その魔力の残り香を手繰って、解析した術式をもとに見よう見まねで作り出した分身――即席の式だ。刹那の助力で、木乃香の手を引くことが出来るよう、木乃香に不審がられることがないように、本体と同じサイズに成ってこそいるが――即席であるがゆえに、出来ることはほとんどない。魔法を使うことも、自分に魔力を通して身体強化をしてみせることも、何一つ出来ない。

 出来ることはといえば、こうして木乃香の手を引いて敵に背を向け、出来るだけ遠くに逃げることぐらい。

(ちっ! しつけーぜコイツら!)

 そのネギの肩の上で、同じように偽りの身であるカモが、自分たちを追いかけてくる小物――極端にデフォルメした人魂のような敵を小突いて追い払いながら、舌打ち。追っては来るが、もとより戦闘力は皆無に等しいらしく、害はない。だが、こうも執拗に接敵され続けるのは、いささかばかり具合が悪かった。万が一、刹那があの少女剣士に敗北を喫するようなことになれば、ネギはなんの力も持たぬ状態で恐るべき剣の担い手と相対しなくてはならなくなる。むろん、そうなったら出来ることなどない。今のように、刹那が敵を食い止めている間は別だが、その刹那がいなくなってしまえば、逃げることすらままならなくなるだろう。そして、接敵され続けるということは、居場所を捉まれ続けているということになる。

 で、あるからこそ、カモは忌々しげに舌打ちしていた。そんなカモに――というより、カモが乗っているネギに、再びデフォルメされた姿の敵が寄って来て、

「ダッシャァッ!!」

 イノキばりのナックルアロー(オコジョハンド)でカモは気合とともにそれを殴り飛ばした。と、よろめくようにして離れていくそれを最後に、敵の姿が見えなくなった。正直、あんな気の抜けた姿の連中を敵と呼んでしまうと気が萎えてしまいそうになるが、敵は敵だ。現状をざっと確認したカモは、

(兄貴! 追っ手がいなくなったぜ!!)

 後ろでネギに手を引かれて息を切らしている木乃香に聞こえないよう、小声でネギに注進。自分の親友であり使い魔の声に、ネギもざっと辺りを見渡した。確かに、さきほどまで執拗に自分たちに接敵していた愛くるしいと言っても過言ではない連中の姿は見えなくなっていた。同時に、息を切らしている木乃香の姿も目に映る。どちらかといえば華奢な木乃香にとって、息つく暇もない逃走劇はやはり堪えるらしい。どうしたものか、ネギが考えあぐねた瞬間――

(あれは?)

 それが目に入った。江戸の街を再現したキネマ村のなかでも、特に来客者の目を引く建築物。見てくれだけではなく、その中身の再現にまで気にかけた造りで知られる城郭――その小さな入り口がネギたちの前に姿を現していた。

(あれだ)

 ただ逃げることしか出来ない自分に出来る敵をやりすごす術。身を隠す。刹那が敵を排除するまで。幸い、追っ手の姿はない。であるならば、躊躇うことなくそれを選択すべきであり――

「このかさん、ここに隠れましょう!」

 ネギは反射的に、このかの手をとってそこに逃げ込んでいた。

☆★☆★☆

 横島・多々緒は焦っていた。桜咲・刹那に隔意を持たせすぎた、と反省していた。自分に頼り過ぎないように、という意図からの行為だったのだが――微塵も頼られないというのは、流石に予想外だった。

(不味い)

 目の前で刃と刃を激しくぶつかり合わせる二人の少女の戦いを眺めつつ、横島は背中に嫌な汗をたっぷりとかいていることを自覚。やばいやばい俺の給料が激しくやばい。刹那あたりが聞いたら月読などほっぽって襲い掛かりかねない内心の呟きだが、相応の理由もある。横島は、千草の目的が、木乃香の有する膨大で莫大な魔力であること、そしてそれを以て何をなさしめんとしているかを理解していた。少なくとも、千草の目的は、木乃香に害をなすことではない。

 だからこそ、横島は千草の行動をまったくといっていいほど阻害しなかった。そこには、ネギの成長を促すための試練を潰さない、という考えもあったが、なにより自分の生徒に差し迫った生命の危険がないと判っているがゆえの判断である。これが、木乃香の身体、果ては命に関るような目的であったら――

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが刹那に聞かせたように、横島は、千草の動機に憐憫の情のようなものを覚えつつも、まったく躊躇うこともなく千草をその目論見ごこと叩き潰していたに違いない。

 木乃香の生命の安全について、ある程度の確信を抱いていたからこそ、横島はこれまで、この古都で巻き起こる騒動の凡てを見守るだけに留めていた。万が一、すぐに介入出来る位置から、黙って見ているだけに留めていた。

 だが。

 いま、木乃香は横島の目の届かないところを行ってしまっていた。刹那によって、この場から遠ざけられてしまっていた。確かに、横島は余人の及ばぬ技量の持ち主であったが、だからといって万能というわけではない。おそらくは、この場に集った者たちのなかで、エヴァンジェリンに並び最強と称して差し支えない横島であるが、自身の目の届かぬところ、手の届かぬところで近衛・木乃香の身柄を奪取されれば、どうにも手のうち用がない。だからこそ、

(どうしよう)

 目の前で剣戟の嵐を吹き荒らしている少女二人の伯仲した戦いそっちのけでダラダラと背中に嫌な汗をかいていた。果たしてどれほど横島が脂汗をかいた――あるいは、野太刀と小太刀がぶつかり合ったころだったか。不意に、周囲のざわめく声につられるようにして、空を突くように聳えている天守に視線をやるとそこには――

「お嬢様っ!?」

 刹那の悲鳴のような声に、横島はほっと安堵の溜息をもらした。刹那の声が示すように、黒々とした瓦に覆われた天守の屋根に、近衛・木乃香がいた。ネギに庇われるようにしながら、おそらくは天ケ崎・千草の召喚したと思われる式神の番える矢に狙われるというかなりガケップチ、黒ヒゲも思わずフライングで飛び出そうな危機一髪な状況で。

 だが、横島・多々緒は安堵した。天守に飛ぶような勢いで向かおうとしたものの、月詠にそれを阻止され、歯痒い思いで呻く刹那の声をどこか他人事のように聞きながら、横島・多々緒は心から安堵していた(・・・・・・・・・)

 繰り返すようではあるが、いかに横島といえど、自身の目の届かぬ場所、手の届かぬ場所で事が起こってしまうと、どうしようもない。だが、逆を言うならば、目の届く場所、手の届く場所であるならば、なんとでも、どうとでもしてしまうことが出来る。

「くく」横島が安堵の溜息を漏らした瞬間、目の前で二人の少女が織り成す剣舞をつまならさそうに見ていたエヴァンジェリンが小さく肩を揺らしながら笑い声を漏らした。「ほっと一安心といったところだな? 横島」

「まぁね」

 どうやら、自分が緊張していたのがすっかりバレていたらしいと判った横島は、バツが悪そうな声で同意した。気がつけば、エヴァンジェリンの裾を持っている手にじっとりと汗が滲み、掴んでいる生地に染みを作っていた。そらバレもするわなぁ。横島は苦笑した。苦笑して、先程まで気を張っていたのが嘘のように楽な気分で、事の成り行きを見物し始めた。無論、いつでも飛び出せるように最低限の準備を整えながら。

☆★☆★☆

 ネギが絶望色に顔を染め上げ、千草が思い掛けない事態に唖然とし、月詠が憤怒の表情で肉体に鞭打ち、横島がエヴァンジェリンの裾から右手を離し懐に手を伸ばしたその瞬間。

 あたりが眩いばかりの光に包まれた。

 まるで地上に太陽が出現した――とまではいかぬものの、目をあけて物を見るにはいささかばかり無理がある光がゆるやかに収まった瞬間。いまこの場で何が起こったか判った者たち、あるいは、事情を知りえる者たちは、光が収まった後に目にすることが出来た光景に、所属の如何を問わず誰もが胸を撫で下ろした。

 まるで叶わぬ恋路の果てに世を嘆いて手に手を取って来世を望んだ恋人たちのように抱き合って天守から落下したはずの桜咲・刹那と近衛・木乃香は、まるで何事も無かったかのように地上にあった。むしろ何事も無かったことが不思議でならない、といった表情を浮かべている。

 だが、次の瞬間。

「お……お嬢様――――チカラをお使いに?」

 何が起こってしまったのか正しく理解してしまった刹那は、自分の問いと表情に首を傾げている木乃香の顔を見ながら、後悔の色を顔に滲ませた。使わせた。使わせてしまった。お嬢様に、魔力を、世界の裏側でまかり通る、世界の裏側だけでまかり通る力を使わせてしまった――――!!

 それは、木乃香の父であり、大恩ある近衛・詠春の願い――そして、自身の願いでもある、裏の世界に関らないで健やかに過ごして欲しいという希望に大きく背くことであった。そうであるがゆえに、刹那の顔には、深い後悔が刻まれている。

 そして、刹那が何かを口にする前に、

「とりあえず、この場から移動してみないか? 桜咲さん」

 何時の間にそこにいたのか。エヴァンジェリンと茶々丸を伴った横島が、あたりの騒ぎに疲れたような表情を浮かべながら声をかけてきた。そのことに、刹那は軽い驚きを覚える。たしかに、思いも寄らぬ、そしてあってはならぬ木乃香の魔力の発現という事態に動揺していたが、いまだ敵はすぐ傍におり、けして気を抜いてはいなかった。

 だというのに。

 刹那は、横島たちがいつそこに立ったのか微塵も気付くことが出来なかった。思わず、背中に冷たいものが流れる。もし、横島たちが敵であったならば、まず間違いなく自分は生きてはいない。木乃香を護ることすら出来ず、自分がいつ殺されたのかすら気付けぬうちに絶命している。

 そのことに思い至って、刹那は、あらためて横島の技量の一端を思い知らされた。もっとも、その技量、この修学旅行ではハナクソほどにも役に立っていないが。

「横島先生。ひとつ聞いてもよろしいですか?」

「うん? なんじゃらほい?」

 さて、更衣所にもどっかなー、とその場を立ち去ろうとした横島は、刹那の呼びかけに首を傾げながら振り向いた。そんな横島に、刹那は疑念に満ちた声で問いを発した。

「もしかして」

 不意に気が付いた。あれほどの隠行をさらりとこなしてしまう人間が、真実、体調が悪いのか。いや、よしんば体調が悪い程度で何もできないのか。もしや。

「朝のあれは演技ですか?」

「――――体調が悪いのは本当だよ? 誓っていうけど。なんなら今使ってるナプキン見せようか?」

「え、あ、いやそこまでは――でも」

「でも、まぁ」顔を赤くしつつ、それでもなお食い下がる刹那に、横島は苦笑しながら言った。「それ以外は全部演技かもなぁ。まぁ、何度も言ってるけど、キミらでどーしよーもなくなったら私がケツ持つつもりだったけどね」

 悪びれた様子もなく言う横島の態度に、刹那はいっそ毒気を抜かれたような表情を浮かべた。そんな表情を見て、横島は、ここらで未来の美人の心証をよくしとくか、と小さく肩を竦めながら言った。

「ま、桜咲さんも、いろいろ得るものがあったからよしとしてくんないかな?」


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第二十七話『キネマの天地4』了

今回のNG

今回はなし




後書きという名の言い訳。

今回は気合を入れて書き始めたがなんかもーグダグダ。気合を入れると駄目になる男、山道デス(※挨拶)。いや、息抜きで気合入れてる時点で間違ってる気もするがそれ言ったら息抜きばっかしてること事態間違ってるわけで。それは兎も角、これで在庫が切れました。来週の木曜までに書きあがらなければ連載開始以来、はじめて落とすことに。いや、俺がこんだけ続けて書いてる時点でどーかしてるんだが。とまれ、木曜までに書きあがることを祈りつつ、では、また来週ー。



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