無題どきゅめんと


「もう帰られるのですか?」

 古の朱雀門を思わせる、豪勢な、それでいて建てられてから重ねた年月が醸し出す静謐な雰囲気を滲ませている大きなつくりの門をくぐって敷地をあとにしようとした横島とエヴァンジェリン、茶々丸の背に、渋味のある声がかけられた。いや、横島たちに、というよりも、横島に、といったほうがいいだろうか?

「いや、まぁ、仕事も終わりましたし?」

 東洋的な思想に基づいて厳密に計算され尽くした聖域といった感のある敷地のほうに振り向いて、横島は首を傾げてみせた。そんな横島の口調と仕草に、声の主は思わず苦笑を漏らしそうになる。

「それに、正副揃って担任が宿を空けるってのも問題がありますからね」

 ええ、もうオモテの稼業さえなければ此処に残って美人だったりカワイコちゃんだったりする楚々とした雰囲気を惜しげもなく振り撒いている巫女さんたちとくんずほぐれつの大宴会と決め込みたかったんですがっっ!! ――横島は心の中で血涙をだばだば流しながら絶叫。ある種のハライソともいえるそんな楽園な場所と時間に対するそうした心の叫びはもちろん毛ほどもオモテには出さない。出した瞬間、自分のとなりにいる金髪ロリ吸血鬼にヒドイ目にあわされるから。

 ――あれ? オモテの稼業がなくても無理っぽい?

「厄介なものですね」横島の降り向いた先に立つ人物は、自分の言葉に、まったくです、と頷こうとした横島に、だが、その言葉を言わせずに口を開いた。「しかし、それだけですか?」

 多少、不健康そうな印象を受ける痩せた表情でありながら、一組織の頂点に立つ人物だけがもつことのできる鋭くも柔和な雰囲気によってけして悪い印象だけは覚えない顔でそう問われた横島は、一瞬、目を丸くしたのちに――苦笑を浮かべた。

「いや、まぁ。日のあるうちに京都巡りでもしておこう、と――エヴァちゃんガッッ!?

「ほう、私のせいか横島?」

「いや、エヴァちゃん実際言うたやんか!? 『ふン、詠春に聞けばサウザンドマスターの行方について何か判るかと思ったが――とんだ期待外れだ。ええい、こうなれば横島、これから京都の土産屋という土産屋を片っ端から覗いて現存する凡ての八つ橋を買い漁ってやるっっ!!』って!!」

 舐めたこと言ってるとシバキあげたるぞああン!? とでも言いたげな表情で横島のケツを抓り上げるエヴァンジェリンに、もげよとばかりに臀部を抓られた横島は涙目になりながらクリソツなエヴァンジェリンの声でほんの三〇分ほど前に聞かされた台詞を一言一句違えずに口にした。長無駄スキル。エクトプラズム・スーツがあれば誰にだって成りすませるぜ。衛士隊長もばっちり騙せる。今ここに俺が来なかった!?

「――――くっ」

 そんな二人のやりとりを見ていた人物、横島の真似たエヴァンジェリンの台詞の中で言及された詠春――関西呪術協会の頂点に君臨する近衛・詠春(※入り婿)は、堪えきれなくなったように、押し殺した笑いを漏らした。弓のように細められた眼鏡の奥の双眸に映る黒髪の美女と、金髪の美少女は、その笑い声を耳にして、喜劇じみたやりとりをはたと止め、

「くっ!? 見ろ横島っ!! キサマのせいで私まで笑い者になっただろうがっっ!!」

「いやどっちかってぇとそれは俺の台詞!?」

 再び開始する。その光景を見ながら、近衛・詠春は、これが《麻帆良の盾(ザ・イージス)》と謳われた稀代の始末屋と、《不死の魔法使い(マガ・ノスフェラトゥ)》と畏怖された最強の吸血鬼ですか、と笑いを堪えることが出来なかった。ヒトとバケモノという種族の垣根を越えてじゃれあうようにしている二人の姿に、詠春は、ひとつの可能性を見る。種族を超えてすら共にあることが出来るのであれば、立場を超えても――と。

 それは、自身が長を勤めている――自分が束ねている日本古来より根付く呪術者たちと、ペリー率いる黒船来寇に端を発する開国とそれに伴って流れ込んできた西洋魔術師たちの諍いをいつか解消できるのでは、という希望。むろん、それが明日明後日に成ることがない、というのも判っている。開国以来、ゆっくりと醸成され、裏の世界凡てを巻き込んだ大戦で激しく燃え上がった憎しみが、たかだか二〇年の年月で押し流せるはずもない。そのことは、東西宥和に尽力している自分や、自分の義理の父が誰よりもよく判っている。

 だが、それでも詠春は、自分の目の前でじゃれあう見目麗しい女性と少女、そしてそれを慈しむように見守るロボットの少女に、期待と希望を覚えずにはいられなかった。

(西に欲しいな)

 詠春はそう思った。その腕前から、前々から横島には勧誘の声をかけていた。だが、その人となりを知って、その思いは益々強くなった。あるいは、この種族の垣根などまるでないかのように振舞う女性が西に来たならば、それに感化される人々が出てくるのでは――そう思う。が、

(まぁ、お義父さんがそうそう手放してくれるとは思いませんが)

 詠春は、一度その手を離れた横島を再度麻帆良へと引き込んだ義理の父の人間離れした容姿を思い浮かべながら、苦笑した。しかし、彼女も大変ですね――金髪の吸血鬼に、いままさに殴り倒された黒髪の美女を見て、そう思いながら。

☆★☆★☆

「ふむ。なかなかに風情があるな」

「まー、洋風の街並みの麻帆良はアレはアレで趣きがあるんだが」

 フリルで彩られたスカートを翻しながら満足そうにあたりを見渡しながら言うエヴァンジェリンの言葉に、横島は確かに、この手の風景のが日本人にゃしっくりくるわなぁ、と同意の頷きを返した。二人は――というか、この二人に、エヴァンジェリンの従者たる茶々丸と、近衛・木乃香と桜咲・刹那の三名を加えた一行は、太秦から離れ、京都の外れのほうにある山間の古びた神社の鳥居をくぐり、伏見神社のそれを思わせる参道を歩いていた。

 彼女たちの目に映るのは、一定の間隔を置いて、まるで無限に連なっているかのような錯覚を覚えてしまいそうになる無数の鳥居と、そこの合い間から見える、ほどよくヒトの手の入った竹林であった。たしかに、日本趣味に被れているらしいエヴァンジェリンが満足そうな声を漏らすのも無理はない情景だった。

「んーそういやぁ」

 自分の隣をあるく金髪の吸血鬼と、周囲の情景を交互に眺めていた横島は、ふと思い出したように声を漏らした。威風堂々と言った形容詞が服を着て歩いているかのような歩調で委細構わず参道を行くエヴァンジェリンに合わせて歩いているために、ともすれば遅れ勝ちになる木乃香たちに僅かに振り向く。

「桜咲さん、傷はなんとも?」

「ええ」

 短く省略された問いに、刹那もまた簡潔な答えを返す。双方とも、裏の事情を知らない木乃香が同行しているために、あえてそうした話し方をしていた。もっとも、ほうか、と頷いた横島は、声帯を震わせることなく、唇だけで声無き声を紡ぐ。

 ――いやしかし近衛さんの魔力ってなぁすごいもんだね?

 読唇術を心得ていてくれるかな? と思いながら声には出さず口にした横島の言葉は、たしかに刹那に届いていた。こくり、と頷きが帰ってくる。だが、その表情は晴れない。遠ざけておきたいと願っていた、遠ざけておこうと尽力していた魔力を無意識とはいえ振るわせてしまったことに対する慙愧の念が、刹那の表情を曇らせていた。

 真面目な子ってのは難儀やなぁ。

 横島は、誰に気付かれることのないように小さく溜息を漏らした。美少女にこないな顔させるんやったら、もそっと真面目に護衛の任を果たすべきやったか、と愚にもつかぬ後悔をひとつ。横島の見たところ、刹那は己が能力権能の及ぶ限りにおいてよくやっている。もっとも、よくやっているからといってその凡てが上手くいくほど世の中は甘くない。往々にしてヒトの能力は事態に対して及ばぬものであるし、努力が常に報われるわけでもないからだ。まぁ、だからといってそれが失敗の言い訳になるわけでもないのだが。

 だからこそ、刹那は慙愧の念に苛まれている。

 何故、自分の力は及ばぬほどに足りぬのか、と。

 何故、自分は限界を超えて努力しなかったのか、と。

 隣を歩く木乃香に不安を覚えさせるほどに、その表情を曇らせている。

 晴らしてやりたい、と横島は思う。出来るのであれば、この世凡ての美女と美少女に笑顔を振り撒いてあげたい(そしてその笑顔を自分に向けて欲しいと)と願っている横島としては、憐れを催すほどに後悔の念に押し潰されている刹那に笑顔を浮かべさせてやりたいと思う。

 思うが、

(でも、俺の仕事じゃないんだよなぁ)

 横島は、そう思って再び小さく溜息。この手の問題は、自分でどうにかするしかない。否、自分にしかどうしようもない。いま、いくら刹那にしたり顔で、あるいは慈愛に満ちた顔で、キミはよくやった。気にするな、などといったところで刹那が納得するはずもない。問題は他者の評価ではない。自分が真に納得できる働きをしたか否か。

 つまりは、自分を許すことが出来るのは自分ただ一人ということになる。横島に何が出来るはずも無い。あるいは、横島は憂いに満ちた表情で俯き加減にあるく刹那の隣をいく少女にそっと視線を寄越して、思う。

「なぁなぁ、せっちゃん? 気分悪いん? 大丈夫?」

「え、あ。いえ、大丈夫です」

 この春の木漏れ日のような穏やかさを持つ少女であれば、どうにか出来るのかも知れないが、と。まぁ、それもこれも刹那が自身の裡に秘めた何某かを吐露しなければどうしようもない。そうでなければ、裏の事情から遠ざけられている木乃香が刹那の憂いを晴らすことなど出来はしない。つまるところ、矢張り解決の糸口は刹那が握っているのであり、木乃香を日の当る場所に押し留めておきたいと願う限り、刹那の憂いは晴れることはない。

「ま、なんにせよ難儀なことだ」

「あン? いきなりなんだ?」

 溜息のような口調でいきなり呟いた横島に、エヴァンジェリンは怪訝そうに眉を顰めた。そんなエヴァンジェリンに横島は小さく苦笑を浮かべた。

「なに、もっと人生を愉しんでもいいんじゃないんかなぁ、と。若いウチからしかめっ面してっと歳食ってから皺は出来るわデコは広くなるわで大変なのにな」

「今以上にデコが広くなると大変そうだな、確かに」

 横島が誰のことを言っているのか判ったらしいエヴァンジェリンは、俯いて歩く刹那のほうを見た。生暖かい二対の視線を感じて、刹那はおもてをあげた。適度なオデコはチャームポイント足りえるがそれも過ぎれば欠点になる。自分たちの生暖かい視線に微妙に居心地悪そうにしている刹那を見て、横島はそう埒も無いことを考えた。

「ときに横島、気付いてるか?」

「あー、そらまぁ」青々とした竹林に視線をやって囁くように言うエヴァンジェリンに、横島は短く答える。「気配を隠す様子もないしなぁ。いくら体調悪いつっても流石に気付くって」

 さてさてどうしたもんかなぁ、と横島は溜息をひとつ。つけられた気配は無かった。不承不承とはいえ、裏に生きる人間として、真っ当な世界の住人を巻き込むことをよしとしない横島は、木乃香の実家に向かうに際して、徹底して欺瞞行動をとった。おかげで、途中まで必死につけてきていた幾つかの見知った気配は、綺麗に撒くことが出来ていた。

 だというのに。

「どーしているんじゃろか?」

「本人たちに直接聞けばいいだろう?」

「なんのハナシです?」

 首を捻る横島に、エヴァンジェリンがつまらなさそうに応え、そんな二人の会話に、とりあえず気持ちを切り替えたらしい刹那が首を傾げた。あー、気付いてないか。まぁ、殺気だのなんだのってぇのとは一味も二味も違うシロモノだしなぁ。きょとんとしている刹那の様子に、まぁ、まだ精進が足らんかな? と横島は小首を傾げる。極みの窮みに至った者たちからすれば、腕は立つものの、剣の奴輩として――いや、闘う者としての道を歩み始めたばかりといってもいい刹那は、闘気や殺気といった形容詞で類別されるものに気を取られすぎる傾向があった。加えて、危地を脱したばかり、ということも手伝っているのだろう。判らんでもしゃーないか。横島はそう納得した。

「その、なんだ。ちょっと前ぐらいからつけられてるって気付いてる?」

「なっ!?」

 困ったように言う横島の言葉に、刹那は短く驚きの意を多分に含んだ声を漏らした。瞬時に、その顔に警戒と後悔と自責の混交した複雑な色が浮かぶ。敵、迂闊、気付けなかった。また、お嬢様を、このちゃんを危険に晒し――

「とりゃ」

ぴょっ!?

 ぐるぐると渦巻く暗色で後ろ向きな思念に刹那が囚われかけた瞬間、気の抜けた掛け声じみたものと、可愛らしくはあるが間の抜けた悲鳴じみた声が参道に響いた。前者は横島の、後者は刹那のものだった。

「い、いきなりなにをするんれすか横島先生舌を噛んだじゃないれふかっっ!!」

「とりあえず落ち着いてみよーか、うん」

 気の抜けた掛け声とは裏腹に死ぬほど脳天に響くチョップを喰らった刹那は、それを喰らわした横島に食って掛かる。が、横島はそんな刹那に、どうどう、と馬でも宥めるかのように落ち着くように言ってみせた。

「うん、つけられてはいるが敵とかそんなんじゃあないんだな、これが」

「え、――じゃあ、いったい?」

 追跡者が敵ではないと知らされて、刹那は軽い混乱を起こした。接敵という誤断による精神の高揚と脳天チョップによって引き起こされた感情の急激なアップダウンが、冷静な反応を封じ込めている。そんな刹那のおたおたとした態度に、横島は普段の刹那が放っている抜き身の真剣のような張り詰めた雰囲気とのギャップを覚え軽く萌え。そして目敏くその様子を見て取ったエヴァンジェリンに絶対零度の視線で射殺さんばかりに睨みつけられて慌ててわざとらしく咳払いをしてみせた。

「うん、まぁ、面倒だから本人たちに聞けばいいんじゃないかな?」

☆★☆★☆

 刹那たち一行の合流を待っていたネギたちは、思わず目を丸くした。いや、目を剥いたと表現したほうがいいかも知れない。自分たちが悪戦と苦闘の末に踏破してきた長い参道の向こうからやってきた面子は、ネギたちにそうさせるだけのものがあった。

 刹那と、彼女が護衛する木乃香はまだいい。彼女たちと若干離れて歩くエヴァンジェリンや横島、それに茶々丸も理解できる。エヴァンジェリンはまったくもって手伝うそぶりすら見せないが、横島は一応、ネギや刹那のサポートを学園長から仰せつかっている身であるから、むしろ刹那たちと行動を共にしているのは当然であった。

 だが。

「あ、アスナさん? ボクの目の錯覚でしょうか。朝倉さんとか早乙女さんとか綾瀬さんがいるように見えるんですが」

「奇遇ね、ネギ。私も同じ錯覚を見ているとこよ――って現実逃避はやめなさい、現実逃避は」

「ぱ、パル? 夕映も!?」

 やっほー、と暢気にこちらに手を振るハルナや、そうした友人の態度に呆れたような無表情を浮かべている夕映、意地悪そうな、それでいて愉快そうな笑みをこちらに向けている朝倉の姿があるのはいったいどうしたことか。

「た、タダオ!」

 ネギは一団の中で可能な限り我関せずといった表情を浮かべようとしている横島に、ネギが焦りを隠そうとする様子もない口調で声をかけた。そんなネギに声をかけられた横島は、ネギがみなまで言う前に、ウムと重々しく頷くと、

「この件に関しては桜咲さんのチョンボなので問い詰めるなり責めるなりは心行くまで桜咲さんをどうぞ?」

えうっ!?

 ずびし! とこちらはこちらで途方に暮れた表情を浮かべていた刹那を人身御供に差し出した。そんなっっ!? と身に覚えはありまくるものの庇い立てゼロで犯人扱いされた刹那はびくんと身を竦ませる。

「ちょ、ちょっとどういうわけよ刹那さん!?」

「いったい向こうで何があったんですか!?」

 悪逆非道な――というよりも美女でも絡まぬ限り面倒なことが死ぬほど嫌いな横島によって贖罪羊に仕立て上げられた刹那に、明日菜とネギがずばっと駆け寄り、横島に言われたとおりずずいと問い詰める。もっとも、問い詰められた刹那は、といえば。

「あうあう」

 イキナリ生贄にされるなどとは考えもしていなかっただけに、ちょっとスタンピート入ってるネギ&明日菜の凸凹コンビの追及に目を白黒させておたおたするばかりであった。とはいえ、魔法の秘匿、あるいは一般人に危険が及ぶかも、という大事がかかっているだけあって、凸凹コンビの追求の手は収まる気配もなく、

「まぁまぁ、落ち着きなって」

 真面目な(それでいて応用の効かない)人間にありがちな窮地に陥っていた刹那。そんな刹那に助け舟を出す人間がいた。誰あろう、この場に置いて招かれざる客の一人である、朝倉“パパラッチ”和美である。

「あんまし桜咲さんを責めちゃ駄目だよ、アスナ、ネギ先生?」

「どーいうことよ朝倉っていうかなんでここにいんのよアンタ!?」

「一度に二つも聞くんじゃないよアンタ。まぁいいや。あんね、最初、桜咲さんってば、このかと手を取り合ってアタシら置いて猛ダッシュかまして愛の逃避行かましたんだけどさ」

「――とりあえずすっとこどっこいな後半は兎も角、一般人である朝倉さん達を巻き込まないように、と、お嬢様を連れてシネマ村を抜け出したんです。ですが、」

 朝倉が説明の端緒をつけてくれたおかげで幾らか落ち着きを取り戻したらしい(とはいえ、さして親しいとはいえない朝倉をすっとこどっこい呼ばわりしているあたり今だ軽くパニくってる)刹那が、あとを受けて口を開いた。

「――神楽坂さんたちと合流するほんのさっき前、そこで捕まってしまいまして」

「んふ、んふふ♪ 私から逃げようなんざ百年早いっつーか顔を洗って出直しやがれっていうか。まぁ、すぃーとよ、すぃーと」

 干し柿よりも激甘よ、と判ったよーな判らないよーなことを言う朝倉。だが、一応、事の経緯は判った明日菜だが、まだ、判らないことがある。つまり、

「ど、どうやって刹那さんに追いついたんですか?」

 明日菜の疑問を代わりに口にしたのはネギだった。そして、その疑問は至極もっともなものでもある。ここ数日で嫌というほどに実感させられたことだが、神鳴流という剣術の――剣術というよりも戦闘術の遣い手である刹那の身体能力は、一般人のそれを遥かに凌駕する。飛んだり跳ねたりといった真似で行動力は別として身体能力はまるっきりパンピーな朝倉がおいそれと敵うはずも無い。そして、その刹那に逃げを打たれたら朝倉が追いつくことなど不可能。ましてや行き先も判らぬのであれば、タクシー等を利用して先回りしての捕捉することなど絶無のはずであった。

「んふふ。アレだな、どーしてみんな現代文明の利器を利用することを思いつかないのかね?」

 ネギや明日菜の疑問に満ちた表情を愉しげに眺めながら、朝倉は手品のタネを明かした。

「最近のケータイにはGPS機能がついててねぇ。あんなこまい筐体の中に高精度GPS放り込むってんだから技術の発展ってのはすごいというかなんというか。ま、そのケータイを桜咲さんの荷物の中に放り込んどいた、というわけ」

 つい数週間前に横島から同じようなことをされたとも露知らず、ネギと明日菜は、朝倉の無駄な手際のよさに感心するべきか呆れるべきか迷いながら、とりあえず、はぁ、と感嘆の溜息を漏らした。同時に思う。恐るべし、麻帆良のパパラッチ。

「なんつーか桜咲さんも運が悪いというかタチの悪いのに目をつけられたっていうか」目をつけられた相手が悪かった、といわんばかりに憐憫の情の篭った視線で刹那を見ながら明日菜が言った。「それで横島先生が桜咲さんのせいって言ったのね――アレ?」

 何処から取り出したのか、缶のお茶をエヴァンジェリンに差し出しつつ、自分も同じ銘柄のお茶で喉の渇きを潤しつつ我関せずな横島を見て、明日菜は首を捻った。

「どーして横島先生は知ってるの? 先に聞いてたの?」

「いや? 似たようなことしたことあるんで、もしかしたら、と」

 盗聴経験ありの横島はなんということもない、といった調子で答え、明日菜は更にむむむ、と眉を寄せた。

「どーいう意味?」

「まぁ、私ならそーするかな? って推論。で、桜咲さんが仕掛けられた、って判ってたのは――茶々丸さん、どうぞ」

「はい、横島先生」面倒になったのか、説明役を振ってきた横島にコクンと頷いて、茶々丸は口を開いた。「マスターの従者でありロボである私は、常に各種センサーでマスターの周囲の状況を確認しています。それは、電子機器が発する微弱な電波も含まれ――マスター、そして横島先生と私からは、登録されているもの以外の電波発信源は確認出来ていません。つまり、私たちにはGPSが仕込まれていないことになります。逆に、登録はしていないために詳細は不明ですが、近衛さんからは一つ、桜咲さんからは二つの電波の発信が認められます。携帯電話を一人で二台所有するという可能性が皆無ではありませんが、蓋然性も認められないために、桜咲さんにGPSが仕込まれたと推察できます」

「えーと、つまり?」

「要約すると――――犯人はこの中にいるっっ!!

「要約しとらんだろ、それ」

 懇切丁寧な丁寧な説明にもっと易しく、とばかりに首を傾げた明日菜に横島がじっちゃんの名にかけてとか言い出しそうな勢いでボケてエヴァンジェリンが冷静にツッコミ。

「とまれ、説明ごくろーさん茶々丸さん」判り易かったよ、と笑みを浮かべる横島に、お褒めいただき有難う御座います、という茶々丸。「ま、ぶっちゃけると私も最初は判らんかったんだけどね。茶々丸さんに聞いたらあっさり疑問氷解」

 高性能だよねぇ、という横島に、あーそういやぁ茶々丸さんってロボだったんだっけ、と明日菜はやけに納得してみたり。で、

いや気付いてたならどーにかしなさいよ!!

へぶぅっっ!?

 エディ・タウンゼントが墓から出てきてマイ・サンと呼びかけてしまいそうなイキオイでアナポリスから日本の男子校に留学してきた生徒(※後の第七艦隊司令)も真っ青なボディブローを横島の鳩尾に決める明日菜。出崎演出(※キラキラ光るゲロ)で斃れていく横島。

「こらキサマ神楽坂ヒトのモノにいきなりなにをするっ!!」

「ったりまえじゃないの! つーかさっきなんかネギとか酷かったのよ血が出たり! 血が出たり! そんなとこにパンピー連れてくるんじゃ――」

「あ、見て見て。あれって入り口じゃない? うっわぁー、雰囲気あるねぇー――――というわけでレッツ轟ー!」

「――って、そこ待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!?」

 行動力と好奇心は無駄にあるくせに自制心とかが欠落してるっぽいクラスメートが自分的認識では敵の本拠地っていうか悪の秘密結社の総本山な場所にやほぅとばかりに吶喊していくのを見て、明日菜は横島の扱いに噛み付いてきたエヴァンジェリンを放置してずびしとツッコミ。手癖と足癖は異様なまでに悪いが基本属性が善人でクラスメート思いである明日菜は、友人たちが危地に飛び込もうとしていくのを止めようと駆け出し――

お帰りなさいませ。木乃香お嬢様――――

「「へ?」」

 巫女さんの大群に出迎えられた。ちなみに、呆気にとられる明日菜(&ネギ)の後ろで美人だったりカワイコちゃんだったりする楚々とした雰囲気を惜しげもなく振り撒いている粒揃いな巫女さんたちに反応して横島がマッハで復活してエヴァンジェリンに再びヌっ殺されたり。

☆★☆★☆

「いや、うん。なんというか残念やったなぁ」

「ふン」

 ワックスなどという無粋な手段ではなく、ただただ長年に及ぶヒトの手による磨き込みによってスカートの中のワンダーゾーンですらくっきりと映り込みそうなほどに磨き上げられた板張りの廊下を歩きながら、黒髪の美女は慰めるように言い、金髪の幼女はつまらなさそうに鼻を鳴らしてそれに応えた。

 近衛・木乃香の実家――つまり関西呪術協会総本山を訪れる横島には、護衛だのなんだのという役目とはまた別に、目的があった。自分の隣を歩いているちびっこ吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが懸想し続けている男、ネギの父親であり千の呪文を操ると称えられた大英雄、ナギ・スプリングフィールドの消息を調べてみんとする目的が。

 自分がこの世界に飛ばされる前のこととはいえ、裏の世界に身を置いていると、ナギと彼の所属していた《赤い翼》のことも耳に入ってくる。そして、その《赤い翼》に所属していたメンバーの名前に、当代の関西呪術協会のトップを勤める近衛・詠春の名前があり――横島は、詠春であればナギの行方について何某かの情報を有しているのではないか、と思ったのだ。が、

「手掛かりはナシ、か」

 世の中侭成らんもんやなぁ。エヴァが知る以上の情報を持ち得ぬことを詫びる詠春の申し訳なさそうな顔を思い出しながら、横島は小さく溜息。いやホントに侭成らんなぁ。エヴァちゃんは微妙に不機嫌やし。折角美人な巫女さんが揃ってるのに愉しめ――

「おい、横島」

「いやほんと疚しいことなんかひとっつも考えてないにょ?」

「語尾がオカシイうえになんのことやらサッパリだが」先ほどまで思い出したように舌打ちしたりブツブツと愚痴のようなものを零していたエヴァンジェリンは、何故かきょどってる横島の態度に首を傾げながら言った。「あのバカのことが判らん以上、ここにいる必要もない。帰るぞ」

「え、帰るの?」

 ワタクシまだ巫女さんとウッハウッハなことひとっつもしてないのでゴザイマスガッッ!! という台詞をぐっと飲み込んで、横島はさも驚いたような口調で尋ねる。内心でバレてないバレてないセーフセーフと冷汗をかいている。

「さっきから何故か腹立たしい気持ちになるがまぁいい。あとで理由もなく折檻だ」

のっ!?

「オマエも仕事は終わっただろう? ならばこんな場所に長居することもあるまい。街に下りて土産物屋を巡る」

「あー、まぁ、いいけど。いいの?」

 いやー氷漬けにされるのはいやー!? と内心で泣き喚きながらも横島はそれをおくびにも出さずに首をかしげて見せた。確かに、本山はいささかばかり辺鄙な場所に位置しているが――だからこそ、下界の煩わしさなど皆無といっていいロケーションであり、その佇まいが醸し出すロケーションは日本的な雰囲気に心地良さを覚えるたちの人間であればたまらないものがある。つまるところ、もっと愉しんでいってもいいんでないかい? というわけだ。だが。

「かまわん」エヴァンジェリンはあえて言葉に出さなかった横島の問いに即断してみせた。「確かに、街中の文化財など及びもつかぬほどの場所ではあるが――いささか鬱陶しい」

 何が、とはエヴァンジェリンは言わなかった。横島もあえて聞くようなことはしなかった。聞くまでもなく、それは横島も感じていたからだった。本山に入ってからこちら、時折感じる、周囲から向けられる僅かばかりの暗色の感情。まぁ、無理もないか。理解できないこともないわな、と横島は思った。暗色の感情――恐怖心や敵愾心といったものを向けてくる人々の視線の先にいる人物、エヴァンジェリンは姿こそ愛らしい幼女だが、その本性は闇に生きる化け物の頂点に位置する吸血鬼、その真祖であり、ここはそうした化け物たちを撃滅する奴輩の本拠地なのだ。むしろいきなり襲い掛かられないだけマシと考えるべきだった。が、理解出来るのと納得出来るということは別次元の問題であり、エヴァンジェリンを己が家族として認識している横島にとってけして面白いことではなかった。

「まー、たしかにオモロないわなぁ」

「別に有象無象からどんな感情を叩きつけられようと知ったことではないが――折角の風情を愉しむのには鬱陶しくてかなわん」

 これなら、雑踏の中で土産物屋を冷やかしでもしてたほうがマシだ、とエヴァンジェリンは肩を竦めてみせた。

「うーん、なら、帰ろうか」

 そう横島が頷いた瞬間、

「あ、横島先生?」

「お、桜咲さん?」

 曲がり角の向こうから、刹那が姿を現した。とことこと、慣れない者ならば靴下を履いたままでは滑りそうになる廊下を苦も無く駆け寄ってくる。

「何処に行ってらしたのですか?」

「んー、いやちぃとばかし長さんに話があってね。ときに皆はどうしてるのかな?」

「あ、はい。皆さん、宴の準備のほうに――といっても、あちこち見て回ってるだけのようですが」

 いいんか、おい。神秘の秘匿はどうした。まぁ、パンピーいる前で呪術かましたりはせんだろーがちぃとばかし問題ないか? 俺の知ったこっちゃないからかまわんが。そう思いつつ、横島は口を開いた。

「あ、そうそう。私らこれで帰るから」

「え?」

 不意を突かれたように、刹那は驚きの声を漏らした。そんな彼女に、横島は説明。

「ん、いやほら、ネギ先生のほうの用事も終わったし、近衛さんも本山のほうに入ってしまえば私も用済みだからね。加えていうなら、ホテルのほうに正副とも担任がいないってのも問題だし」

「確かに」

 だから、ここでバイナラ――横島はおどけるようにして言った。言って、不意に普段の飄々としたそれではなく、世の裏の裏の裏を知り尽くした始末人の顔を、おそらく初めて刹那の前で浮かべながら口を開いた。

「でもまぁ、警戒だけは怠らないように。本山は警備も厳重だが――それで諦めてくれるぐらいなら長の娘をかどわかそうなんて考えないだろうし」

 そう、その程度のことであの子が諦めるはずがない。はずがないのだ。何故なら、あの子――天ケ崎・千草は、未だその咆声を世界に轟かせていない。叫び問うその荒ぶる声を。

「それに、あの時の面子で少し気になるヤツがいた」シネマ村でのことを思い出して横島は言う。その脳裏には、能面のような表情の白髪の少年の姿。「こう、少しばかり違った雰囲気だった」

「違った雰囲気、ですか」

 奥歯にモノが詰まったような言い草の横島の言葉に、刹那は困惑したような表情を浮かべた。そんな刹那に、横島は苦笑を浮かべた。

「まぁ、何がどう、って言えるもんじゃないんだけど――警戒だけはしといたほうがいい」

「――はい、判りました」

 けして理解出来る言葉ではないが、それでも自分より遥か高みにある戦いのヒトの言葉に、刹那は僅かばかりの間を置いて頷いた。いい返事だ、と横島はそれを見て笑みを浮かべる。真面目で、いい子だ。朝からの流れで、けして自分に良い印象は抱いていないだろうに。横島は思った。あれだよなぁ、こんな真面目な子が、悩んでも仕方のないことで悩んでるのをほっとくのは俺の矜持に関るよなぁ。俺の仕事じゃないが――ふん、かまうもんか。

「あと、桜咲さん」

「なんでしょう?」

「悩んでも仕方のないことで悩んでいる間に、為すべき事を逃すとあとで後悔するよ? これは人生の先輩としての箴言だ。私もけして真っ当な人間じゃないし、こんなこと言えた義理じゃないが――キミの悩みは、無駄だ(・・・・・・・・・・)

「っっ」

「いいか、桜咲さん」自分の言葉に表情を強張らせた刹那に構わず横島は言葉を紡ぐ。「生まれや育ちは、いくら思ってもどうにもならない。ならないんだ。過ぎてしまったことも同じだ。大切なのは、自分がどうしてきたかじゃなく――どうしたいか、どうするか、だ。時折振り向くのは構わない。だけど、後ろばかり見ているのはやめなさい。ま、いいたいことはそれだけ――じゃ、明日、また。ホテルで」

 ほな、バイナラ――絶句する刹那を放り出して、言うだけ言った横島はくるりと背を向けると、その場からエヴァンジェリンと茶々丸を伴って振り返ることなく立ち去り、

「――――」

 刹那は呆然とその後姿を見送っていた。


「…………随分と親切なことだ」

 刹那を置き去りにして歩く廊下で、エヴァンジェリンは嘲るように言った。

「いや、まぁ。若い子が悩んでるのを見ると、ね。歳かなぁ」

 他意はないんじゃよ? というか下心もゼロじゃよぎゃわわ!? と横島。そんな横島に、エヴァンジェリンはもう一度嗤う。ほんとに、コイツときたら。彼女は思った。少しばかり整った顔の娘を見るとこれだ。まぁ、そこが良いところでもあるが――面白くはない。まったく、私のいる前で他の女を気にかけるとはどういう了見だ。ここはひとつ――

「あとで折檻決定だ」

のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!?

☆★☆★☆

 陽が落ち、夜の帳があたりを包む森の中で、天ケ崎・千草は焦燥の念に身を焦がしていた。自分の視線の先には、幾重もの結界によって護られた関西呪術協会の本山がある。上手くない。上手くない状況だった。自分の策の要となる近衛・木乃香はあの中に。そして、あのサウザンド・マスターの息子に託された親書も長の手に。上手くない。このままでは、自分の声は世界に届かない。

 待っていた。近衛・木乃香が麻帆良を離れるときを。

 待っていた。自分の声を世界にぶつけるそのときを。

 待っていた。問いに応えを得ることのできるときを。

 だが。

 今、その時は――機は、自分の手からすり抜けていこうとしている。焦らずにはいられなかった。とはいえ、護りの固い本山に入られては、自分に出来ることはない。術者としては中のちょっと上、という程度の自分に、本山の結界をどうこう出来るはずもなく――何かしなくてはいけないと判っていながら、何をすべきか見えぬという事実が、千草の心を焦らせ、自分の隣にいる少年――この計画が実働する段階で加わってきた白髪の少年に、苛立ち紛れの声をぶつけてしまう。だが、そんな千草の声に微塵も心を動かした様子も無く、まるで人形のような無表情で、少年は口を開いた。

「大丈夫ですよ。――――僕に、任せてください」


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第二十八話『終わりの夜・始まりのとき』了

今回のNG

今回はなし




後書きという名の言い訳。

ま、間に合った(※すっげぇ焦ったツラで)。辛うじて木曜に書き上げてギリギリセーフというか実質四日で書き上げてることを鑑みるにもそっと早ぅ手ぇつけてりゃケツに火がつくよーなことにならんのではと思うものの判っているからと言っておいそれと治るのであれば欠点とは言わんわけで。いや、治そうとは思っているんですがまぁ思うだけなら誰でも出来るわなぁ。あと、いつにも増して推敲とか誤字脱字のチェックとかしてねぇです。まぁ、そんなことを言いつつもあと六日か。とりあえず週二本ペースぐらいにはもっていきたい。そんな事を言いつつ、では、また来週ー。



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