無題どきゅめんと


「――――なんや、アレ」

 全身に脂汗をかき、疲労困憊といった感じで憔悴しきった千草は、眼前で巻き起こる情景を唖然としながら見ていた。もはや、自分に出来ることはなく、事態の推移を見守るだけと化した千草は、今、自分の目の前で繰り広げられる常識をどこかに置き忘れてきたような情景に、ただただ唖然とするしかなかった。

「いや、ホンマなんやねん、アレ」

 自分、いや、スクナ目掛けて夜空から落ちてくる流星を目にして、千草はもう一度そう呟いていた。

☆★☆★☆

 横島・多々緒がホテルのフロントから呼び出されたのは、ホテル自慢の露天風呂をたっぷりと味わってからだった。大抵の生徒たちが入浴を済ませたあとで湯殿の暖簾を潜ったおかげで、誰に気兼ねすることなく、また、誰に邪魔されることもなく湯舟を満たす湯を満喫することが出来た。

 常であれば鴉の行水と表現するのがぴったりなほどに――つまるところ髪の毛だの肌のケアだのに微塵も気を払わないために女性としては手早く風呂を済ませる横島であったが、今日は流石に湯に浸かって疲れを癒す必要があった。ホテル、シネマ村、関西呪術協会本山とさして疲れる要素がなかったはずの今日の日程で、どうして横島がそこまで疲労しつくしていたかというと――

「やっぱ氷漬けはキツイわなぁ」

 京都観光をひとしきり終えたのちに戻ったホテルにおいて敢行されたエヴァンジェリンのエヴァンジェリンによるエヴァンジェリンのための憂さ晴らし――もとい折檻が原因であった。京都観光の最中、その終わりまで機嫌よく土産物屋を冷やかしていたエヴァンジェリンを見ていた横島は、この様子では折檻はあるまい、よしんばあったとしても朝帰りしたときほど酷いことはされまいと安堵し、高を括っていたのだが、そうした楽観的見通しは自室にエヴァンジェリンと連れ立って戻り、扉を閉めた直後に背後から聞こえてきたおどろおどろしい、地獄の底から響いてくるような底冷えする声色で紡がれるラテン語の呪文詠唱であっさり裏切られた。

 待て、話せば判る!! と某日本国二十九代首相のような悲鳴は、問答無用とばかりに放たれた【氷爆】は、狙いを違うことなく横島にヒットし――彼女の首から下をカチンコチンに氷漬けにした。そうして、寒さとそれがもたらす痛さで唇を真っ青にしながら、横島はエヴァンジェリンの気が晴れるまで説教というか愚痴というか、ともかくネチネチとした謂れのないこともない口撃に晒され、反省したか? そうか、宜しい。今後は気をつけるように、という(憂さを晴らしたからであろう)満面の笑顔で告げられたのちに解放され――露天風呂へ駆け込んだ。本来ならば凍傷にかかっていてもおかしくないはずなのだが、エヴァンジェリンが手加減したのか、あるいは横島の超人的な回復力のなせる業か。たっぷりと一時間ばかり湯に浸かることで、肉体に負ったダメージはすっかり回復していた。このあたりを鑑みるに、やはりエヴァンジェリンが手加減をした、というよりも、横島がバケモノじみた回復力を発揮したと考えたほうがいいかもしれない。

 それから、とりあえず髪や身体を洗って、もう一度ゆっくりと湯船に浸かってから横島は湯殿をあとにし、正しい日本人にとっての入浴後の楽しみの一つであるコーヒー牛乳を右手を腰に当てつつぐいぐいと飲み干している最中に、 『麻帆良学園3−A副担任、横島・多々緒様。お電話が入っております、フロントまでお越しください――』という館内放送が彼女の耳に聞こえてきた。なんじゃいな、と怪訝そうに眉をひそめた直後、なにか嫌な予感を覚えた横島は、ああ、出たくねぇなぁ、と月曜の朝を迎えた不真面目な学生のような気分でフロントに向かった。限りなく思い足取り、で。

「あー、私宛に電話が入ってるって呼び出されたんデスガ」

 辿り付いたフロントのカウンターの前で気の進まぬこと夥しい表情で横島がそう伝えると、フロント係りが、そんな横島の様子には微塵も気がつかないような態度で、こちらでございます、と彼女に受話器を渡し――

『横島くんか! 大変じゃ!』

 焦りを多分に含んだ声で喚かれた横島は、迷うことなく回線を遮断。ぷー、ぷー、ぷー、と虚しく響く合成音をどこか意識の隅っこのほうで聞きながら、じゃ、と受話器をフロント係りに渡そうとして、

「――横島さまにでは?」

 けたたましく呼び出し音が鳴り響いてうやうやしくフロント係りに首を傾げられた。舌打してフロント係りに渡そうとした受話器を戻して通話ボタンをプッシュすると、

『なにをするんじゃ横島くんこの緊急事態に!?』

「いや、なんつーか厄介事は今日はもういやだなー? みたいな」

 切羽詰った口調と声色の相手――麻帆良学園学園長こと妖怪ひょろなが頭じゃなかった近衛・近右衛門の詰問に、横島はだってなぁ? とでも言いたそうに応える。ジジイからの呼び出し臭かったから嫌だったんだ畜生め。横島はそう内心で毒づきながら、

「で、どーした? ネギならがっつり親書渡したしあんたの孫娘ならあんたの義理の息子さんとこだが?」

『その義理の息子のとこが襲撃されたんじゃ! 詠春を含む西の本山は壊滅。木乃香も攫われたといましがたネギくんから電話があったというか今までなにしとったんじゃ携帯に何度かけたと――』

「風呂」

『――兎も角、一大事じゃ』

 みたいだな、と横島は溜息。しかし、あの本山の結界を突破したうえに西の長まで片付けるたぁ豪儀な話だ。少なくとも千草ちゃんじゃ無理だな。となると。

「おーけぃ。すぐに動く。詳しい状況を教えてくれ」

『うむ。ネギくんの話によると、得体の知れん白髪の少年が、詠春を含む本山に詰めておった者たちを悉く石化の魔法で石に変え、木乃香を奪取したそうじゃ。その際に、ネギくんたちに同行しておった生徒数名も石に、』

 ははぁ、やっぱあの白髪坊主か。得体が知れんガキだとは思ったが、まさかそこまでの手練とは。こりゃネギや桜咲さんじゃ荷が重い――そこまで考えて、

「おい、ジイサン。今なんつった?」

 横島はそれまでの何処か暢気な態度をかなぐり捨てた声で電話先の老人に問いを放った。

『む。じゃからネギくんに同行しとった生徒数名も石に、と』

「神楽坂さんのことじゃなくて? 朝倉さんや綾瀬さんや早乙女さんや宮崎さんのことか?」

『うむ、そう聞いておる。――――どうしたんじゃ、横島くん』

 怪訝そうな学園長の声が受話器の向こうから聞こえてきて――

 みしり、とその受話器が軋んだ。フロント係がこちらを見て目を剥いているのが判る。くそったれめ、と横島は内心で罵りの声を漏らした。

「一般生徒に被害が出た――そういうことでいいか?」

『そういうことじゃ』

 それから受話器の向こうで学園長が何か言っていたような気がするが――横島はまったくといっていいほどに耳を傾けていなかった。内心で罵り続ける。無論、その対象は他の誰でもない、自分自身だ。あの得体の知れない少年に懸念を覚えつつも、手を打たなかったこと。本山の結界を過信したこと。一般人である朝倉以下二名の同行を許したこと。

 そして何より許し難いのは、

(俺が、これで介入の口実が出来た(・・・・・・・・・)と思ってしまったってことだ)

 そう、千草の信条にシンパシーを覚えてしまったことにより――ネギの成長を阻害しないためという自分への言い訳まで使って――積極的な行動に出なかった、積極的な行動に出れなかった現状を打破出来ると思ってしまった。朝倉たちに害が及んだことを、ほんの一瞬でも喜んでしまった(・・・・・・・)

 くそったれめ。横島はもう一度口の中でそう罵ると、自分の方を見て顔を青くしているフロント係に受話器を返した。ふと、受話器にひびが入っていることに気付くと横島は、無理矢理に笑みを浮かべて口を開いた。

「修理代の請求は麻帆良学園学園長宛で」

☆★☆★☆

「どうした横島、随分と怖い顔をしてるようだが?」

 部屋に戻るなり乱暴に浴衣を脱ぎ捨てて着替え始めた横島の顔を見て、思わず手にしていた文庫本のページを捲る手を止めたエヴァンジェリンは、どちらかというと面白がるような調子でそう声をかけた。

「本山が陥落した」

 着替えの手を止めずに、横島は短く応えた。その答えに、エヴァンジェリンは、ほぅ、と呟きを漏らす。露になった横島の白い肢体を、自分が買い与えた衣服で覆われていく様子を飽くことなく眺めていたエヴァンジェリンは、横島が着替えの終わりにジャケットを羽織る段になって、ようやく口を開いた。

「オマエの持っている仮契約カードだが」

 部屋の片隅に転がしていた木刀を手にした横島は、ちらりとそんなエヴァンジェリンに振り向いて怪訝そうな表情を浮かべる。横島のそうした態度に気付かなかったようにエヴァンジェリンは続けた。

「魔法使いと従者の間で念話による意思疎通を成立させる機能がある」そこまで言って、エヴァンジェリンは文庫本――表紙に『剣客商売』と記されたそれに目を落とした。「必要があるときは、使え」

 暗に手伝わない、と言っていた。そう告げるエヴァンジェリンの頭には、横島ならばよほどのことがない限り自分の手を煩わすようなこともないだろう、という思いがあった。そしてそれ以上に、横島が手出し無用と告げているように思えた。その他者へではなく、自分自身へと向けられた憤怒の念に満ちた表情が、自分の手でけりをつけたがっているように見えて仕方なかった。もっとも、手が足りない時には駆けつける心積りでいる。だからこそ、仮契約カードの機能について説明していた。

「――エヴァちゃんはホントに優しいな」

 準備を終えた横島は、そこでようやく怒り以外の表情を顔に浮かべた。苦笑だった。エヴァンジェリンの心遣いが理解出来たがゆえの言葉であり、苦笑だった。横島はすぐに苦笑をおさめると、麻帆良に来て以来、そう何度と浮かべたことのない真剣な表情になって、じゃ、行ってくる、と短くエヴァンジェリンに告げると、部屋をあとにした。


 幸いなことに、部屋を出てからロビーを抜け、玄関を出るまで教え子たちに出会うことはなかった。ただ、運悪く居合わせた従業員や、他の宿泊客には出くわした。みな一様に鬼と出合ったような顔をしていた。無理もない話だった。顔立ちが整っている女性が怒りを表に出しているときの顔ほど世に怖いものはない。そしてすれ違った人々にとって不幸だったのは、横島・多々緒という女性がこれ以上ないくらいのむしゃぶりつきたくなるような美人であり、そのとびきりの美人である横島がこれ以上ないくらい怒っているということだろう。そうした人々の反応を気にすることなく横島は玄関を抜け、すっかりと夜の帳の下りた外に出ると――

「何してんだ、キミら」

 意外な人物たちと出くわした。どれも見覚えのある顔だった。というよりも、自分の教え子たちだった。そのうち、一人は横島の弟子でもある。横島は、逸る気持ちを押さえつつ、まずは教師としての義務を果たすことにした。

「そろそろ消灯時間だ。新田先生に正座させられたくなかったら自分の部屋に戻っておきなさい」

「そうもいかんのでござるよ」

 肩を竦めるようにして応えたのは、横島の弟子――糸目の忍者娘こと長瀬・楓だった。どういうことだ、とばかりに首を傾げた横島に、楓はチャイナドレスの懐から携帯電話を取り出してみせる。

「先ほど、バカリー――もとい、夕映殿から連絡があったでござる。救援を求める連絡が」

「夕映――綾瀬さんから?」横島は名前から連想する顔と、その彼女が本山で危難に遭っていることを連想し、眉を顰めた。「何時?」

「つい先ほど。というわけで、とるものもとらずにこうして準備している次第――その反応からすると、横島先生も同じ用件のようでござるな」

 横島の反応、あるいは彼女が手にしている木刀を見て、楓はにんまりと笑う。

「どうやらそのようだね」横島は、肩を竦めてみせた。竦めて、だけど、と言葉を続ける。「まぁ、綾瀬さんのことは任せてキミらは部屋に戻ってなさい。こっから先は、一般人の――」

 立ち入る世界じゃないと言いかけて、横島ははたと気付いた。ああ、忍者ってどう考えても『一般』人じゃないよなぁ、と。ちらり、と楓の横に立つ小麦色――というにはいささか濃い色の肌の教え子、龍宮・真名に視線を向ける。少なくとも、以前に交わした会話から得られた情報では、こちらもまた一般人とは言い難いというか、充分すぎるほどに裏の世界の住人だった。横島は思わず天を仰いだ。どーしてウチのクラスは、と思っている。

「――古菲さんのほうは、腕前はどんなもんなのかな」

 空から顔を戻した横島が紡いだ言葉に、楓は糸のような目を弓のようにして、快活な、といっても差し支えの無い口調で応えた。声の調子がそういう具合なのは、自分の副担任であり師匠である横島が、実質的に自分たちの同行を認める発言をしたからに他ならない。

「少なくとも、並みの腕前でないことは確かでござるよ」

 安心するでゴザル、とでも言いたそうな口調に、横島は肩を落とす。ちらり、と真名のほうを見れば、自分と楓のやりとりなど気にする様子もなくギターケースを広げて物騒このうえない得物のチェックを行っていた。いうまでもなくヤル気だ。

「あー、龍宮さん? 念のために言っとくけど。――私は払わないからな?」

 何を、とは言わない。もちろん、報酬のことである。少なくとも、こちらから依頼するのならば兎も角、好き好んで自分から首を突っ込もうという人間に払う金は持ち合わせていない。そんな横島の考えを読み取ったのか、真名はどうということはない、とでも言いたそうな口調で応えた。

「なに、学園長からせしめるから心配はいらないよ」

 こと孫娘のこととなると財布の紐がゆるむからね、と真名は唇の端を歪ませるようにして笑みを浮かべる。まぁ、なんというか――始末に負えんとはこのことか。横島はもう一度天を仰ぎたくなるのを堪えながら思った。最近の女子中学生はしっかりしてるな!

「あー、なんだ」この場にいる最後の面子のほうに視線をやりながら、横島は口を開いた。口調は、どこか投げやりな感じだった。「これから行く場所、危ないんだけどホントに来る?」

「勿論ネ!!」

 即答だった。オーケィオーケィ、チャイナガール。少しは考えてから口開いてみようかコンチクショウ。能天気な笑顔を浮かべながら『オラなんかワクワクすっぞ!!』とでも言いたげな雰囲気を醸し出しまくっている古菲の様子に、横島は我慢しきれずに天を仰いだ。星が綺麗だった。月も綺麗だった。思わず悪態をつきたくなる。何に対して悪態をつきたいのかは自分でも良く判らなかった。ついさっきまでならば、自分のマヌケさや汚らしさについてであっただろうが、今は、自分の教え子たちの面倒なことこの上なく、それでいてどうにも始末に負えない性質についてや、夜空に輝く星の瞬き方にすら悪態をつきたくなっていた。月と星の支配する場所から顔を地上へと戻した横島は、自分に視線を向けている三人のそれぞれ異なった魅力を持つ美少女たちを順に見渡して、それから盛大に溜息をついた。

「んじゃあ、まぁ、パーティといこうじゃないか。お嬢さんがた」

☆★☆★☆

「――静かなもんだ」

 時間が時間なうえに、ことがことなので公共交通機関を使うわけにもいかず、可能な限りの速度で駆けて辿り付いた鳥居を前にして、横島は誰にいうでもなく、呟くようにして言った。まだ日のあるうちに訪れた際には、確かに、静けさをたたえた場所でこそあったが――

「虫の音ひとつ聞こえてこない」

 それはあくまで祓い清められた聖域が持ちえる静寂であり、今、横島たちの前に横たわっている、誰も彼もが何かに怯えるようにして息を潜めているような静けさではない。横島がその静けさに目を細めた瞬間、

「これは!?」

 隣に控えていた楓が、何かを感じ取ったかのように顔をあらぬ方向に向け、声を漏らした。もちろん、横島もそれを感じ取っている。楓が向いているほうに視線を向けると、その方向に一瞬、淡い光のようなものが見て取れた。同時に、視覚以外の感覚で、膨大な魔力を感じ取る。横島は、その魔力に覚えがあった。シネマ村で放たれた木乃香の魔力と同じ波動だった。ただし、シネマ村のときのように野放図に、そして無制御に放たれたものではない。何某かの意思と術式に従って放出された波動だった。

「こりゃあ、いけないかな?」

 思わず横島は呟く。制御の意思とそれを可能とする術式。もちろん、この世の裏のことなど何一つ知らされずに育ってきた、正真正銘陽の当たる世界の住人である木乃香に、そんなことが出来るはずが無い。よしんば、横島が本山を辞したのちに、己が出自と己が家のことを知らされ、かつ祝詞なり呪文なりを教え込まれたとしても、一朝一夕で術を発動させることは不可能だろう。祝詞や呪文といった『力ある言葉』とは、まずもってそこに込められている意味を心底より理解しなければ振るうことなど出来ない。でなければ、今ごろこの世界は神秘で溢れかえっているに違いなかった。

 つまるところ、現状で可能な推論は、木乃香の力を用いて何者かが術式を発動させた――ということになる。加えて言うならば、光を視認し、魔力の発動を感知した直後に一気に増大した人外の気配から察するに、使われた術式は召喚系のもの。横島が把握している限り、その手の術を用いる今回の関係者はただ一人――天ケ崎・千草そのひとだけであった。状況からして、彼女の謀事は大詰めを迎えているに違いなく、一般生徒に害が及んだ場合は自分が動くと釘を指してあったにも関らず、朝倉たちを巻き込んだことから鑑みて、もはや形振り構わなくなっている可能性が高い。

 危険だった。もちろん、学園長に連絡があった時点ではまだ無事であった面子が、だ。あの計り知れなさを覚える白髪の少年に加え、さきほどの大量召喚。ネギや明日菜、それに刹那たちの手に余る事態であることはこれ以上ないほどに明白であった。無駄な抵抗さえしなければ命ばかりは助かるかも知れないが、生きているということと無事であるということはイコールではない。加えて言うならば、あのネギの性格や、木乃香を想う刹那の心情からして、抵抗を試みないはずはない。というよりも、どれほど絶望的な状況であっても最後の最後まで抵抗してみせるであろう。危険であった。

「――手筈を確認するよ?」

 静けさばかりが際立つ山々から一転して、戦場の気配をたたえるフィールドと化したあたりの空気に険しい表情を浮かべる少女たち(といっても、古菲ばかりは笑顔を絶やしていなかった。性格だろう。それでも、闘気は発散している)の顔を見渡して横島は言った。

「長瀬さんは、綾瀬さんの身柄とその安全を確保」

「バカリーダーのことは任せるでござるよ」

 むしろ、他人になど任せられぬと言わんばかりに楓は力強く頷いてみせる。そんな楓の様子に小さく頷いてみせ、横島は残る二人に声をかける。

「龍宮さんと古菲さんは、私と一緒にネギ先生や桜咲さんの救援に」

「判たアルヨ」

「了解したよ――ひとついいかな? 横島先生」

 歳相応――というよりも、外見よりもよほど幼さを感じさせる様子で元気に応えた古菲を見ながら小さな笑いを浮かべた真名は、自分も横島の言葉に頷きながら、だが、問いを発した。

「なんだい? 出来れば手短にお願い」

「ネギ先生たちの居場所をどうやって探すつもりだい?」

「それは――」

 横島がその問いに答えようとした瞬間、さきほど光が溢れた方向に、地上から放たれる見て判るほどの威力が込められた指向性の暴風が吹き荒れた。次の瞬間、小さな人影が――杖に跨った小さな人影が夜空に踊り出す姿が見えた。

「――探す手間が省けたようだね?」

「そうみたいだねぇ」

 どんな視力をしているのか、かなり距離があったにも関らず人影がネギであったことを確認した横島と真名は、互いに肩を竦めるようにして言った。ちなみに、ネギの姿を確認していなかった場合に横島が採用していたであろう方策は、人外の気配が固まっている場所へ後先考えずに突入、という至極シンプルなものであった。本来ならばもう少し準備を――出来るならば入念に準備をしたうえで、機を見計らって突入といきたいところだが、なにぶん時間が押していた。加えて言うと、ネギの姿を確認した今は、人外の気配が、ということを覗いて遮二無二突っ込むという方針は変わらない。まったく。横島は苦い顔になった。突撃しかやることがないなんてな、なんてザマだ。畜生、ワルキューレ騎行でもBGMに欲しいとこだ。

「さ、お嬢さんがた」

 さっと顔から苦い物を消した横島は、あえておどけたような声色と顔つきで言った。真名や楓といった裏の世界の人間はまだしも、その腕前は別として、少なくとも表側の住人であるはずの古菲、『実戦』を初めて体験するはずの彼女の緊張を解こうとしての配慮だった。もっとも、いらぬ配慮だったかも知れない。古菲は相変わらずワクワクとした笑みを浮かべていた。そんな古菲の様子に、横島は微苦笑を浮かべた。

「そろそろ行こうとしようか?」

「判ったでござるよ」

「了解だ、先生」

「判たアルヨ!!」

 横島の言葉にそれぞれ個性的な美少女たちは力強い応えを返し、次の瞬間、各々が定める方向へと一斉に駆け出し、戦場――関西呪術協会本山へと突入していった。

☆★☆★☆

 桜咲・刹那は焦っていた。

 ネギを木乃香のもとへと先行させ、クラスメイトである明日菜と組んで戦い始めてから十分と経っていない。斃した敵の数は両手両足の指を使ってなお余る。ネギからの魔力供給という点と、召喚されたモノたちを問答無用で送り還すという得物を除けば、ほとんど素人といっても過言ではない明日菜との即席のコンビで挙げた戦果としては、かけた時間を考慮しても上出来以上のものといえる。

 だが。

 刹那は、焦っていた。

 自分も、明日菜もそろそろ息が上がり始めていた。孤軍奮闘にも限度があった。ネギからは、未だ木乃香奪還の報せはない。いや、それどころか。

「――――っっ!!」

 先ほどから、徐々に木乃香が放つ――いや、放たされている魔力が増大している。焦らずにはいられなかった。お嬢様が。お嬢様が。お嬢様が危地に、危険に、世界の裏側に。関らなくていいはずの有象無象に。

 焦りが思考を乱し、乱れた思考が隙を呼び――

「――このっ!?」

 狗族、あるいはそれに類すると思われる喚ばれたモノに、その隙を衝かれる。トンファーを思わせる得物で斬りかかられた刹那は、反応が遅れたせいで崩れてしまった態勢でそれを受ける。夕凪が止める敵の得物は、力学的な優位を使って崩れた態勢をさらに崩そうとし、

「こ、の――」

 刹那はそれを、体内に気を巡らせて筋力の増強にあて、力付くで押し返す。跳ね上げた夕凪が押し返した敵の得物は、だがその形状ゆえの利点――つまり柄、あるいは取っ手を手のうちで回すように滑らせることによって、通常の武器よりも奇抜な動きを見せる――を生かして、剣では考えられない方向から第二撃を繰り出してきた。慌てて夕凪を返してそれを弾き、第三撃。返す。第四撃、返す。返す。返す。返す。

 返すごとに刹那の型は崩され、理想のフォルムから遠退いていく。ただでさえ細かい取り回しには向かない野太刀が、奇抜な連撃で翻弄される。徐々に速度をあげる敵の攻撃に、刹那はもはや反撃どころの話ではなく、ただただ致命的な一撃を逃れることだけを主眼にした防戦を強いられていく。

「あっあぁあっあああっ――――」

 つい先ほどまで背中を預けていた相手――明日菜の痛みに耐えるような声が刹那の耳朶を打ち、その声に、刹那は少ない余裕をさいと声の方を盗みみる。そこには、纏う雰囲気からしてこれまでの連中とは違う、見るからに力量の高そうな烏族に滅多打ちにされる明日菜がいた。

「明日菜さん!? ――こ、のぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」

 友――そう、幼き日の木乃香以来、初めてそう呼べるかも知れぬと感じた俄か相棒の危地に、刹那は後先考えず気を放出。その余波で相手が怯んだ隙に、力任せに夕凪で薙ぎ払う。その強引な一撃を逆手に構えたトンファーで受けた狗族は、力を殺しきれずに弾き飛ばされた。

「く、あ――」無理な気の放出で意識が揺らぐ。が、刹那は歯を食いしばって意識を繋ぎ止める。ギリ、と歯と歯の鳴る音を脳で聞きながら、刹那は励ますように声をあげた。「いま行きます! 明日菜さ――」

 だが、その言葉を最後まで発することは出来なかった。不意に背後に現れた巨躯の鬼。刹那の意識の間隙を衝くようにして姿を見せたその鬼は、手にした得物――飾り気もくそもない、無骨な鉄の棍を刹那目掛けて振り下ろした。当れば肉を潰し骨を砕く――死に至らしめるその一撃を、

「あ――――」

 刹那は夕凪を斜め横に構えて辛うじて受け流した。ずどん、と鈍い音を立てて、狙い逸れて自分の横に振り下ろされた鉄棍の威力に、刹那は背中に嫌な汗を浮かべる。

「神鳴流の嬢ちゃんの相手は――」鬼が、その肩に先ほどの狗族を乗せて言った。「――ワシらや」

 ――駄目だ。刹那は直感的にそう思った。思ってしまった。

 おそらく、明日菜にあの烏族は倒せまい。素人に毛が生えているかいないか、という程度の明日菜がここまで頑張れたことのほうが、むしろ奇跡なのだ。

 そして、自分も――

(駄目だ)

 この鬼に、勝てるかどうか判らない。無論、負けるつもりなど毛頭ない。ない、が。息が上がりかけているこの状況で、これほどの強者に勝てると思えるほど、刹那は楽観主義者ではなかった。そして、絶望に染まりかけた刹那の心を更にマイナスベクトルに傾けさせることが起きる。

 

 という辺りを圧する鈍い音と同時に、地上から天へと光の柱が立ち昇る光景を刹那は見た。見てしまった。制御された暴走とでも評すべき、魔力の際限ない迸り。近衛・木乃香の、刹那の大切な木乃香の魔力の波動。

「どうやら――」

 気を抜けば挫けそうになる刹那の耳朶を、愉しげな声が打つ。ぎくり、と刹那は身じろぎし、声の方を見た。そこには、

「雇い主の千草はんの計画が上手くいってるみたいですなぁ」水面を静かに波立たせながら、声の主は言った。「あの可愛い魔法使いクンは間に合わへんかったんやろか」

 まぁ、ウチには関係ありまへんけどなぁ――そう妖艶に微笑む月詠の姿があった。

「つく、よみ――――!!」

 ここにきて! この状況で姿を見せるか――――!! 刹那は、諸手に白鞘に納刀している小太刀を持った月詠の、いっそ小憎たらしくさえある、着飾った姿に、顔を青褪めさせた。何処をどうみても、戦う者の姿には見えない容姿と衣装。だが、それとは裏腹に、あの月詠という少女は、自分が十全なコンディションでも勝てるかどうか判らないほどの歴戦の剣士。刹那の絶望は、益々深まった。

「あっ」

 刹那が顔を青褪めさせた瞬間、彼女の背後から明日菜の詰まったような悲鳴が聞こえてきた。振り向くと、善戦虚しく烏族に得物――ハマノツルギという名を与えられたアーティファクトを持つ利き手を封じられ、そのまま釣り上げられる明日菜の姿が。それでも、心折れず、自分を釣り上げる烏族の厚い胸板を蹴り続ける明日菜の姿に、刹那は場違いな心強さを覚え――

 それだけだった。

 明日菜の心が折れまいと、自分が希望を捨てまいと、状況が最悪の最悪の最悪であることに、何一つ代わりはなかった。

「さて――」明日菜を適当にあしらいながら、烏族の剣士は刹那に視線を寄越して口を開く。「どうする、神鳴流の剣士?」

 青褪めた刹那の表情を面白がるようにして言った烏族は、歯軋りしながら黙り込む刹那の様子を見て、異形の相貌でありながらも、それと判る不敵な笑みを浮かべた。

「手詰まり、か?」

 ああ――

 刹那は、自分の、自分たちの状況を嫌というほど思い知らされて、思わず口から零れそうになった慨嘆の声を、慌てて飲み込んだ。口から出したが最後、その場に崩折れて、二度と立ち上がることが出来ないような気がしたのだ。だが、それでも。

 ああ――

 心が挫けそうになるのを、刹那は止めることが出来ない。

 木乃香を護ると決めたその日から、流さぬと、弱さを封じると誓ったはずの涙が滲みそうになる。

 ああ――

 刹那は、願った。

 誰か、私たちを――――助けて。



私の生徒(おんなのこ)たちから離れてもらおうか



 どん

 と音がした。

 刹那が滲み掛けた涙で潤む双眸でその音がした方を見た瞬間――

「せぃっ!!」

 その振り向く速度を遥かに凌駕する速度で、一陣の風が刹那の傍らを駆け抜け――烏族の腕が宙を舞っていた。

「新手か――ぐぁっ!?」

 明日菜を吊り上げていた手が、己の身体から強制的に切り離され、吊り上げていた明日菜が水面に尻餅をつく前。異常に声をあげようとした烏族のそれは、鈍い悲鳴に代わっていた。烏族が明日菜に喰らわせた斬撃――それを遥かに上回る速度の連撃が、彼の肉体を砕いていた。

 風と、霊気の煌きを幽かに振り撒く斬撃――それが終わりを告げた時には、烏族は強制的に還され、風の前に崩れ去る砂像のようにかさかさと消えていく。そして、それを為した人物は――

「「よ、横島先生!?」」

「私だけじゃないよ?」

 明日菜が見上げながら、刹那が振り向きながら放つその言葉に、連撃の主――横島・多々緒は不敵な、だが悪戯が成功した悪童のような笑みで応えた。

 次の瞬間。

「ぬっ!?」

「!!」

 烏族が消え去る様に――というよりも、烏族を葬り去ったその剣の冴えに目を見張っていた鬼と狗族の得物に、魔力を秘めた意思の塊――貫通せよと込められた強い意思の具現が襲い掛かる。砕ける得物と響く銃声の残響に、

「これは――術の施された弾丸!?」鬼が意思の具現――弾丸の飛んできたほうに吼えた。「何奴!?

「ふぅ、横島先生。張り切りすぎだ」思わず見惚れてしまったじゃないか、と苦笑を浮かべながら、魔弾の射手が鬼の視線の上に姿を見せる。「それにしても――らしくない苦戦をしてるじゃないか? 刹那」

「え、ちょ――ええっ!?」

 岩場の上で使い込まれた風情を醸し出しているレミントンM700を構える魔弾の射手、その姿に、水面に尻餅をついたままの明日菜は驚愕の声をあげる。そんな明日菜の様子と、何処か安堵の色を浮かべた感のある刹那の顔を見て、魔弾の射手――龍宮・真名はフっとニヒルな笑みを浮かべた。

「この助っ人の仕事料はツケにしてあげるよ、刹那」

「うひゃ〜♪」

 言いながらも、遊底を操作して次弾の装填を行う真名の背後から、古菲が顔を出して驚いているような、それでいて楽しげな声を――出来の良い遊園地のアトラクションを目にした子供のような声を漏らした。

「あのデカイの本物アルか? 強そアルねー♪」

 強者と見れば血湧き肉踊るバトルマニアらしい言葉を漏らす古菲に、明日菜と刹那以外の二人は苦笑を浮かべた。

「さて――」

 苦笑を収めた横島は、右手に構えていた木刀を軽く振った。きら、きら、と霊力の残滓が剣の軌跡に踊る。本来であれば、このように得物を霊力で強化するという真似をせずにすむはずの横島だが、それを可能とする霊波刀は、威力こそ高いが、霊力という無形のものを物質化する――質量を得るまでに密度を高める――という特性上、あまり燃費がよろしくない。常であれば、その燃費の悪さも無視できるが――運の悪いことに、数日前から横島の霊的状態は体調に合わせたように絶不調であった。ゆえに、かつての上司のように、得物に霊力を通わせ纏わせ、それを強化している。威力こそ霊波刀に劣るが、それでも並みの遣い手が強化した真剣と同等であるし、なによりその性質上触れれば切れるという霊波刀と違って、切れ味をコントロールできる。

「桜咲さんに神楽坂さん。ここは私らに任せてきみらは近衛さんの救出に――ネギ先生の救援に行きなさい」

 がうん、と横島の声に重なるようにして真名のM700が吼えた。ボルトの作動音と薬莢の排出音、そして次の銃声――止まることなく響き始めた銃火の歌声をBGMに、横島は木刀の切先で、聳え立つ光の柱を指し示した。

「し、しかし!」

「そ、そうよ!」いけ好かないとはいえ自分たちの副担任に、そして中学に入って以来のクラスメイトを残していくことに疚しさを覚えた明日菜が、同様に言い募ろうとした刹那の声に被せるように声をあげた。「いくらなんでも――」

 こんだけの数を、と言いかけた明日菜は、思わず声を失った。ライフルによる遠距離攻撃を嫌った敵の一部が、銃撃の間隙をついて真名に肉薄。長物では不得手であろうと接近戦を敢行する。が、

「――――ふっ」

 真名が地面を蹴ると同時に、置いてあったギターケースが跳ねるように開き、そこから二挺のハンドガン――その威力の高さからハンドキャノンと呼ばれることもあるデザートイーグル.50AEが踊るように飛び出した。次の瞬間、慣れた動作で空中の自動拳銃をキャッチした真名は、

 ――かきん、とセーフティの外れる音がした次の瞬間、真名を中心に銃火の花が幾重にも花開いた。

 周囲を取り囲む敵の急所目掛けて.50AE弾を容赦なく叩き込む。流石にライフル弾よりは威力が低く、一撃で仕留めるということは出来ない。が、真名はそれを物量でカヴァー。反撃を試みる相手の剣戟をスライドで受け止め往なし、銃把で勢いを殺した相手の得物の腹を殴りつけ砕くと、

 ずどむ。

 再び銃弾の暴風を吹き荒ばせた。

「つよ、い――――」

 暴風が止んだと同時に、周囲の敵は凡て送り返されていた。

「――――ちょ、ちょちょちょちょっと!?」その様子をポカンと口を開けて見ていた明日菜は我に返って自分の隣にきていた刹那に問い詰めた。「どーして龍宮さんがあんなに強いの!?」

「え、あの、龍宮とはたまに仕事を一緒にする仲でして――」

 あ、つまり非常識世界のヒトなのね。納得。ここ数日でいろいろそーいう事態に慣れてきたらしい明日菜は、何事かに対する諦観を滲ませた表情で頷いた。が、

「で、でもくーふぇは――――!?」

 どすん

「な――――っっ!?」

 哈、という呼気と共に放たれた一撃――数千年の歴史が築き上げた、人体の筋力をまったくロスすることなく相手に放つ術――巧夫と呼ばれるそれに属する技である馬蹄崩拳が地面を揺らし、数体の敵を纏めて吹き飛ばした。

「というわけで」

 自身を取り囲む――いの一番に見せた連撃を警戒してか、じりじりと距離を詰める敵をまるで気にしていない様子で横島は木刀の背で肩を叩きながら明日菜に向かって言った。

「こっちはオングストロームほども心配ないから、さっさと行きなさい」ちらり、と視線を刹那に向けて、続ける。「――もう、後悔するのは嫌だろう?」

 その言葉に、刹那ははっと目を見開き、

「――――はい!!」

 こくん、と頷いた。それを見て、横島は、うん、よろしい、と笑みを浮かべる。うん、いい目だ。あとは、自分をきちんと相手に見せることが出来れば――

「せっ!」

 刹那の何処か吹っ切れた表情に、満足していた横島を隙ありとみたのか、敵が一斉に踊りかかり、だが目にも止まらぬ剣の軌跡がそれをまとめて斬り払う。さらさら、と還っていく敵の残滓を剣の一振りで霧散させた横島の様子に、その場に居合わせた者達は敵味方の別なく怖気を振るう。なんたる剣の冴え。怖気を振るうほどに――美しい。

「さ、急いで」

 今の攻防をまるでなかったかのように横島は促し、刹那は駆け出し明日菜が続く。が、

「あ、センパイ待っ――――」

「お嬢ちゃん」

 追い募ろうとした月詠に、横島は優しい口調で声をかけた。駆け出そうとした月詠の動きが雷に打たれたようにびくん、と止まった。そんな月詠に、横島は妖艶ささえ感じさせる声色で語りかけた。

「あの子もあの子で美味しそうだろうけど、私と殺り合いたかったんじゃあないのかい? 今なら心行くまで愉しめるけど? ――――どうか、な!」

 どん、とその瞬間、横島は剣氣を叩き付けた。殺気、ではない。この期に及んで、横島は月詠を害することをよしとしていなかった。理由は勿論、月詠が将来性抜群の美少女だからであり、横島がかわいかったり美人だったりするナオンが大好きだからだ。加えて言うと、純粋な――殺意すら含まぬ剣の心をぶつけることで、月詠の中にある、剣を振るう者の魂を揺り動かし、多少なりとも真っ当な道に引き戻そうとする魂胆があった。

 さて、どうなることか――横島は、自分の目論見が上手く行くことを願いつつ、放った剣氣にあてられたようにして棒立ちになっている月詠を注視した。


 それはおそらく、生まれて初めて感じるものだった。

 横島が放った、混り気の無い、純粋な剣氣。物理的な圧力さえ感じることが出来るそれを、月詠は呆然として受け止めた。

 闘気は知っていた。

 戦いの場において、量の多寡、質の上下には関らず、いつも誰もが放っていた。

 殺気も知っていた。

 殺し合う両者の間に常に満ち満ちていたそれは、常に自分に言い知れぬ高揚を与えてくれた。

 だが――――

 月詠は、横島から放たれる、横島が自分に向けて放ち続けているモノに、驚愕を覚えざるを得なかった。

 こんなものは、知らない。ふと気づけば、白鞘の中に収まっている自分の得物が、あの美しいモノの放つ氣に共鳴するかのように、かたかたと震えて――

 いや、違う。

 震えているのは、剣ではない。

 震えているのは、月詠自身であった。

 恐怖からの震え――――ではなかった。

 確かに、凄まじいまでの圧迫感を覚えざるをえない横島の氣は言語を絶するものがある。だが、不思議と恐怖はなかった。あの夜、背後から叩きつけられた背筋に液体窒素を注ぎ込まれたような怖気を振るうような感じではない。

 狂気も騒いで、いない。

 戦い――それも強者と合い間見えるたびに自分の中で猛り狂っていた、御すること叶わぬ感情が、不思議と疼かない。

 だが、震えていた。

 月詠の身体が――否、月詠の心が、魂が震えていた。

 剣を振るう者としての魂が、歓喜に打ち震えていた。

 ああ、そうか。

 月詠は唐突に理解した。

 そうか、ウチは、この剣に巡り逢いたくて、でも、巡り逢えなくて――あない荒んでたんやな――と。

 誰も満たしてはくれなかった。神鳴流で剣の手ほどきを受け初めても、師範代や同門の子弟たちの剣に満足出来なかった。もっと、もっと振るえるはずや――そう思いながら、満たされぬ想いは月詠を少しづつ歪ませて行き、おそらくは、自分を満足させてくれる相手と向かい合った時には、自分が何に飢えていたのかすら判らないほどになっていた。そして、何に満たされたいのか思い出す間もなく斬り伏せられていた。

 だが、月詠は思い出した。

 目の前の女性が放つ純粋な、一片の夾雑物すら含まぬ剣氣が、月詠が求めていたものを思い出させてくれた。

 殺し合いではない。肉を絶つ、肉を絶たれる感触でもない。

 ただ、何処までも果てしなく登りつめる剣の交わり。

 それこそが、月詠が欲していたものだった。

 呆然としていた月詠の顔に、表情が戻った。喜びの――歓喜の表情だった。打ち震える魂が、そのまま一切のフィルターを通すことなく、まったくダイレクトに顔を彩っていた。月詠は思った。ああ、笑ってる場合じゃない、と。そうだ、剣を取り、戦わなくては、と。自分は、いままでこの瞬間の為に――

「うふ、うふふふふふふふふふ」

 だが、思いとは裏腹に、自然と笑みはこみ上げてくる。全身は瘧にかかったかのように震えが止まらないでいる。膝は笑いっぱなしだし、得物を持つ手は無駄に力が入りすぎている。まるで気負いすぎた競走馬のような有様だ。これはいけない、いけない、と思うが――

「――くふ」

 どうにもならない。それはそうだろう。神鳴流を放逐されたその日から、ありとあらゆる悪行に手を染め、いかな恥辱にも耐えて生きてきたのは、今この瞬間のためだ。夢にまでみたこのときを迎えて高揚を覚えないはずがない。とはいえ、ただその高揚に体を自由にさせているわけにもいかない。あの時、何もわからぬうちに斬り捨てられたときとは違い、多少は腕に覚えがある。それだけに、目の前のイキモノがどれほどのものであるか――自分では及びもつかないバケモノであると認識できるほどの分別は身につけている。今のような有様では、アレに相対するのは不可能だ。いや、今のような有様でアレに向かうのは相手に対しての、そして、このときを待ち焦がれてきた自分への侮辱に他ならない。

 だから月詠は、

「う、くふ。…………すみません〜、ちょっと深呼吸させてもらってもええですか〜」

 少なくても命の奪り合いの最中にはまったくもって相応しくない台詞をのたもうた。自分でもどうかしていると思うし、虚を衝かれたように目を丸くしている相手の表情がなにより雄弁にそれを肯定している。だが、本気の本気で深呼吸でもしなければ、もうどうしようもなかった。

「……まぁ、いいさ。気の済むまでどうぞ?」

 私はカワイコちゃんのお願いには可能な限り応えてやるってのが信条でね――おどけたように言う横島は、自身もまた構えを解いて笑ってみせた。いや、違う。月詠は思った。理解した。少なくとも、ベストコンディションでもない限り、自分など構えるにも値しないに違いない。だからこそ、相手はあれほどまでにくつろいだ気配を醸し出している。まぁ、カワイコちゃん云々は割りと本気で言っているような気もするが。――はぁ、ウチがカワイコちゃんですか。照れるわぁ。

 それで、月詠は多少緊張が解けたのか。夜の闇を多分に含んだ夜気を胸いっぱいに吸い込み、深々とそれを全身に取り込む。こうしている間にも、自分と相手の周りでは銃弾が肉を穿ち骨を砕く音と、拳足が肉を打ち叩く音が様々な雄叫びとともに混然と響き渡っているが――月詠は、その凡てを完全に意識の外へと押し出した。一切の夾雑物も含まぬ、自分と相手のみが存在する世界を自らの裡に創り出す。深く夜気を吸い込み、あるいは其処に含まれる自分だけにしか判らぬ何かをたっぷりと取り込んだあとで絞り滓の空気を吐き出す間、すっと閉じていた目を静かに開く。

「――――お待たせしましたえ」

 そこにいるのは、はたして月詠だったのか。

 常の彼女を知るものであれば、我が目を疑ったかも知れない。日頃窺わせている狂気は、彼女の瞳、あるいは気配からは、微塵も感じ取ることが出来なかった。そこには、ただただ、無心に剣を振るう、純然たる戦闘を行うものが存在していた。自分の目の前にいる相手には、常の彼女を突き動かしてきた狂気ですら雑味となる。ゆえにこそ、深く息を吐き出した際に、己が内からにへばりつくそれを吐き出した。そうして、

「――――いい氣だ」

 横島は、見事、とでもいいたげな調子で賛辞を零した。力量はまた別として、今こそ月詠は剣のなんたるかに至った――そう表現してもいいのかも知れない。相手の短くも、だが最大級の賛辞に、月詠は衒いの無い微笑を零す。それは、あるいは月詠という少女が剣を取る前の、限りなく純粋であった時分にもっていた何某かの表出だったのだろう。ただ無心に剣を振るう今だからこそ、狂気と凶気の果てから蘇った、微笑であった。

「ほな」

「ああ」


「「いざ尋常に――――、勝負」」


 どん、と二重に音が響いて――二つの水柱が立ち昇った。全身に剣氣を充満させた二人が互いを目指して駆け出した反動が、水柱を立ち昇らせていた。立ち昇った水柱がその勢いを失い、重力に打ち負けて水面へ向けて、星と月のささやかな光を浴びてきらきらと輝きながら落ちる前に、

 がきん、

 と金属と金属を叩き付け合う純粋な、甲高い音があたりに響いた。ついで、どざどざと水が水面を叩く音。崩れる水柱と水柱、その中間地点で、二振りの小太刀と、一振りの木刀が刃を交えていた。柄を持ち振るう勢いで鞘を放り出した月詠が、数千分の一秒の差で小太刀を連続して振るい、それを横島が木刀で受け止めていた。堅牢な巨岩をも断つ威力を誇る一撃を防がれた月詠の表情には、だが、一切の驚愕すら浮かんでいなかった。受けた横島の木刀が、微塵も揺るがなかったことも驚くに値しない。大抵の土産物やの軒先を冷やかせば見つけることが出来るありふれた観光客向けの木刀が一ミリだって欠けていないことにも驚きを覚えなかった。それらは、横島が放っている剣氣を考えれば、むしろそうであって当然であった。

 驚愕よりも歓喜の色が強い表情を浮かべた月詠は、すぐさま小太刀を引き戻し――

 周囲に連続した鋭い金属音が響き始めた。月詠という少女の剣の威力は巨岩をまるでそれがバターかなにかのようにいとも容易く裁断してみせる――が、神鳴流の剣士として考えた場合、それは平均的なものより少し上といった程度のものだった。いまはすでに木乃香救出に駆け出しこの場をあとにした刹那のほうが破壊力という点では上だろう。月詠という神鳴流剣士の少女を語る上で特筆すべきは、速度だった。

 右の小太刀が袈裟懸けに斬り掛る。横島の木刀がそれを弾く。刹那の直後、左の小太刀が弾かれた反動すら加速の糧として正反から猛威を振るう。が、それも弾かれる。間髪入れずに右の小太刀が。防がれる。左の。防がれ右。左、右。左、右。左右左右左右右右左右左左右左右左右左右左右左右右右左右左左右左右左右右右左右左左右左右左右左右左右左右右右左右左左右左右左右左右左右左右右右左右左左右左右左右右右左右左左右左右左右――――!!

 取り回しの容易な小太刀、それだけでも神鳴流剣士としては異質だというのに、二刀流という邪道。かてて加えて小柄な、リーチが短いという戦闘における欠点を逆手にとった小回りのよさ。その凡てを、月詠という少女は速度という一点に収束させ、昇華させていた。

 そのある意味一点特化型といってもいい月詠の研鑚が、夜の水面、その上に、激しくも美しい止まることなき剣の舞を生み出させていた。夜空から降り注ぐ月と星の光を反射して目にも止まらぬ剣の軌跡が残光を放つようにきらきらと光る。横島の得物と小太刀が接触するたびに、ちかちかと火花が飛ぶ。そして、それら鉄と光の演舞の背景で流れるのは、際限なく間断なく続いて聞こえる金属のぶつかり合う高音の響き。

 いつしか、周囲には月詠と横島が創り出す剣戟の響きだけが聞こえるようになっていた。真名が創り出す銃声の合唱も、古菲が生み出す肉と骨の打楽も絶えていた。敵味方を問わず、月詠と横島の繰り広げる血生臭く、それでいて何処までも高貴な剣の舞いを注視していた。見惚れていた。おそらく、いま、どちらかが残ったほうの隙をつけば、赤子の手を捻るよりも容易く敵を討ち取れるだろう。だが、敵も味方もそれをしなかった。戦場で敵を倒すこと以上に重要なことなどない――はずだが、いまここに集ったものたちは、その貴重な例外を目にしていた。

「――――凄い、な」

 真名はぼそりと誰に言うでもなく呟いた。横島の技量は半ばほど伝説と化した風聞で聞いていたし、その一端を日々の様子で伺い知ってもいた――が、よもやこれほどのものとは思わなかった。月詠という少女が、いままさに剣の申し子といってもいい力量を示しつつある少女が繰り出す神速の攻撃を、得物が一つ少ない状態で、的確に捌き、いなし、防いでいる。もちろん、防がれてこそいるが、月詠の技量も感嘆に値する。おそらくは、あの少女の技量は、戦い始める前よりも格段に高くなっている。そして、その技量の向上は、戦い続けているいままさに継続している。横島という底知れぬ存在が、月詠の技量を引き上げているのだった。

「凄いアルね」何時の間にか自分の傍に来ていた古菲が自分の印象を肯定するように言った。「凄く――綺麗アル」

「まったくだ」真名は一も二もなくそれに同意した。「金を払ってでも見る価値が――いや、金を払ったとて、あれほどのものを拝める機会はそうそうないな」

 おそらくは、異形の敵たちも同意見だろう。ちらり、と視線を巡らせれば、誰も彼もが魂の底からそれに魅入られたようになっている。ことここにいたっては、この場において新たな戦いの歌を響かせようとは誰も思わないらしい。響かせたとしても、それは、あの女性と少女が歌い上げるものに比べて随分と見劣りするものになってしまうだろう。であるならば、一生に一度拝めるか拝めないか、というほどの剣の舞いに素直に見入っていたほうがいい。

 もっとも、そうした状況も長くは続かないだろうな。真名は、目の前で繰り広げられる戦いの歌と舞に意識を奪われつつも、その意識の片隅でぼんやりとそう思った。真名の見たところ、剣戟はクライマックスを迎えつつあるように見えた。


「楽しい、どす、なぁ、横島――はん」

 呼吸すら忘れて剣を振るいながら、月詠はとぎれとぎれにそう言った。語彙よりも、振るう剣のほうが多いといった状況で放たれたその言葉は、はたしてしっかりと相手に伝わっているのか、月詠はさっぱり自信がなかった。囁くような調子で自分の口から漏れたその言葉は、自分と横島が生み出す金属の激しくもクリアな音に紛れるようにして夜のしじまに溶け込んでいったからだ。もっとも、月詠としては、伝わっていなくても問題なかった。なぜなら、自分の想いは、言葉の代わりに振るう剣が表現している。生まれて初めて振るうことが出来る、純粋な剣。余計なものが根こそぎこそげ落ちた、純粋な剣。自分が、こんな剣を振るうことが出来る日が来るなど、思いもしなかった。いや、こんな剣があることなど思いもしなかった。嬉しい。嬉しくて嬉しくてたまらない。その思いは、きっと剣に表れている。だから、言葉が伝わっていなくても、月詠にとって微塵も問題なかった。だが、

「いやいや、喜んでもらえて、なにより、だ」

 笑顔を浮かべながら、横島はしっかりと言葉を返してきた。正反の方位から同時に斬りつけた攻撃を、切先と柄の尻で完全に防がれる。かん、と甲高い音を響かせて横島が木刀を回転させた。ぎちぎちと音を立てるようにして木刀にめり込ませるようにしていた小太刀が弾かれる。これまでで一際大きな隙が出来――

「っ!!」

 反射的に月詠は距離をとった。八艘跳びもかくやという距離を跳躍して水面へと立つ。すぐに追撃が来ると小太刀を構えるが――

「?」

 来なかった。怪訝に思った月詠は、月と星の明かりに照らし出された、水面にゆらゆらと影を揺らしている横島を見た。さっきまで、息つく暇も無いほどに切り結んでいたとは思えないほどに、微塵も息の上がった様子もなくそこに佇んでいる横島は、何か思案しているように、手にした木刀の背で肩を叩いていた。まるで戦場にいるというよりも、自宅の居間でくつろぎながらテレビでも見ているような横島の様子に、月詠は眉を顰めて声をかけようとし、

「ときにお嬢さん――いや、月詠さん。提案なんだが」

 何かを思いついた、といった感じで口を開いた横島に、機先を制された。肩透かしをくらったような気分を味わいながら、月詠はそれでもその言葉に応えた。

「なんですかぁ? 横島はん?」

「いや、なに」自分も自分で緊張感のない態度だが、向こうも負けちゃいないな、と苦笑しそうになるのを我慢しながら横島は言った。「さっきまでのも悪くないんだが――私にも私の事情ってのがあってね。何時までもああして愉しんでいるわけにもいかないんだ」

 横島が何を言っているか、月詠には判った。つまるところ、先行しているモノたちの助っ人に行かなくてはならない、と言っている。それを聞いた月詠は、可愛らしく頬を膨らまし、唇を尖らせた。まるで、自分とこうして斬り結ぶよりも、そちらのほうが重要だ――そう言われたような気がしてならなかった。もちろん、横島の立場は理解している。だが、それでも面と向かっていうことはないだろうに、とも思う。

 そんな月詠の思考を読んだのか――いや、今の月詠の顔を見れば誰でもその考えが読み取れてもおかしくないが――横島は苦笑しながら言った。

「そう拗ねないでくれるかな? 代わりに――」

 棒立ちといっても差し支えない態勢だった横島は、すっと腰を落とした。右手に持った木刀を、まるで鞘に納刀するようにして左腰のあたりで構える。

「お互い、とっておきの一撃で勝負を決めようじゃないか」

 左手の指で作った輪の中で木刀を滾らせる横島の言葉に、月詠は顔中いっぱいに歓喜を浮かべた。これまでは、自分が攻め、横島がそれを受けるばかりであった。もちろん、自分の思いのたけを剣に乗せて振るい、それを受けてもらうのは楽しかったが――不満がなかったといえば嘘になる。もちろん、横島が剣を振るえば、自分など文字通り太刀打ちできぬと判っている。だが、それでも月詠は横島の剣を受けてみたかった。自分などよりも、よほど高みの極みにいるこの美しい女性の剣を受けて散るのであれば、それはそれで本望だった。

「とっておきですかぁ。それは、ええ――楽しそうどすなぁ」

「だろう?」

 月詠の、まるで夢見る乙女のような表情と声で呟くようにして紡がれた言葉に、横島はとっておきの悪戯が成功したガキ大将のような表情で応えた。

「せやけど、横島はん? その構えでとっておき言うても。見たところ、抜刀術のようやけど」

 抜刀術、あるいは居合という技法は、鞘があってはじめて成り立つ。鞘の中で加速させた剣で相手を斬り伏せる――それが抜刀術だった。横島の構えは、抜刀術のそれだが、肝心かなめの鞘がない。あるのは、真剣であれば柄と刃の境目にあたる場所を触れず離れずといった具合に包んでいる指で作った輪だけだ。あれでは、抜刀術は行えない。だが、横島はそんな月詠に、心配無用と笑ってみせた。次の瞬間、気で覆われた木刀を包むようにしている左手、その指で作った輪に――

「魔力、ですかぁ」

 軽く目を見張った月詠が言った。剣氣とは異なるそれが横島から放たれていた。その様子から、月詠は咸卦法という技術のことを思い出した。気と魔力という異なる力を融合させることによって、爆発的な威力を生み出すという。だが、月詠の見たところ、横島から放たれる二つの力は、まったくといっていいほど融け合っていなかった。むしろ反発しているようにも見える。融合させることが出来ないのか、あるいはあえてそうしているのか、月詠には判らなかった。また、横島が放っている魔力が自分の知っているそれと微妙に異なるのも気に掛った。

 だが。

 その何れも瑣末事であった。横島ほどの達人が行うからには、それらは凡て絶技とでも評すべきものであるだろうし、魔力の質がどうのということも関係がなかった。重要なことは唯一つ。これから横島が一撃を繰り出し、それに自分も最高の一撃で応えるという一点のみだった。

「準備は――いいみたいだね?」

 構え――というにはリラックスした態勢をとる月詠を目にして、横島は目を弓のように細めて口を開いた。いい、構えだ。そう思った。余計な力が一切抜けた、極めて自然体に近い状態。それでいて、やるべきこと、なすべきことのための力が無理なく全身に満ち溢れている。

「はい〜。ですから、横島さんも〜」

「おーけぃ。じゃあ、いっちょさくっとやろうじゃないか」

 二人とも、まるでちょっと散歩に、とでもと言わんばかりの口調で言い、

「らーいめーけーん!!」

 月詠が正真正銘掛け値無しの一撃を放った。神鳴流奥義・雷鳴剣。読んで字の如く、轟雷のような一撃――いや、二振りの小太刀からなる二つの一撃が、周囲の大気を焦がし尽くしながら横島に目掛けて驀進し、


「――――――――


 蹴散らされた。

 月詠がその轟雷の如き一撃を横島に食らわせんとするそのまさに直前――横島の左手が弾けた。否、弾けたように見えた。これまでぎりぎりのところで押さえていた反発――気と魔力の反発を、一気に解き放つ。その刹那、横島は抜刀。それによって生じた指向性に反発力が爆発的な加速を与え――

 神速の一撃が生まれた。

 振りかぶり斬りかかる月詠の小太刀をすり抜け、あるかなしかの隙――月詠の剣速を考えれば無に等しい隙をついて、その胴に木刀は吸い込まれるようにしていき、

 どん、

 と鈍い音が周囲に響いた。

 瞬間、何が起こったのか判らなかった月詠は、すぐに理解した。自分は、宙を舞っている。ふと、視界の端に残心する横島の姿が見えた。横島の剣は見えなかった。こうして自分が宙を舞っているということに気付いてはじめて、横島の一撃を受けたと理解できた。こうした結末になるのは百も承知だった。だが、悔しかった。自分の技が及ばなかったことが悔しかったのではない。横島の剣を見ることが、認識することが出来なかった自分が悔しかった。自分のために振るってくれた技を理解できなかったことが悲しかった。なにより悔しいのは、死んで本望と思っていたのに、今は死にたくないと思っていることが悔しくてたまらなかった。せめて、あの剣の終わりでも認識できるぐらいにはなりたかった。だが、それも叶うまい。あれほどの一撃を受けて千切れとんだ身体で、生きることなど不可能。大人しく死ぬより他はない。涙が瞳から零れ落ちる前に水面に落ちたことだけが有難かった。

 ざばん、

 と音がして、月詠が水面に落ちた。誰も彼もが戦いの手を止めていた周囲に、奇妙な静寂が舞い降りる。その静寂の中で、横島は神速の一撃のために高めていた凡てを、ゆっくりと吐き出した呼気とともに霧散させた。残心を解く。半眼になっていた双眸を開き、しぶきも凡て落ちようとしている月詠が落ちた方を見て、ゆっくりと歩き出した。水面に小さな波紋を作りながら、音もなく進む横島の様子に、誰も彼もが目を奪われた。月と星のささやかな、本当にささやかな光を受けて進む横島の姿は、先ほどの武神戦神といった戦う姿とは打って変わって、微塵の気も発していなかった。逆に、その静けさが周囲のものの視線を寄せ付けている。

「おーい、生きてるかーい?」

 月詠のもとに辿り付いた横島は、ちょこんと膝を屈めて、横たわる月詠の顔を覗き込むようにして言った。しばらく無言があって、

「ウチ、生きとるんどすか?」

 怪訝そうな、弱弱しい声がかえってきた。月詠は、てっきり自分の胴が断たれて真っ二つになったとばかり思っていた。それほどの衝撃だった。そんな月詠の声に、横島は苦笑を浮かべた。苦笑を浮かべたまま、いう。

「いや、まぁ、全力で寸止めしたからね? 流石に薙ぎ払ってりゃあ真っ二つだっただろうけど――」

 そこまで言って、横島は月詠の身体――いや、服に手を伸ばした。コルセットのようになっている部分を締めているリボンを解き、服を肌蹴させた。露になった月詠の白い肢体、その右の脇腹、そのすぐ上に手を這わせた。

「んっ、くぅ――」

 触れるか触れないか、といった横島の指先の感触に、だが月詠は苦悶の声を漏らした。その声に、横島は申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「――流石にアバラは全損だなぁ。まぁ、内蔵を傷付けたりしてないだけマシなんだろうけど――御免な?」

「手加減、されたんどすなぁ、ウチ」

「女の子を手にかける趣味はないんでね」

 ぽぅっとした表情で、夜空の星を見つめながらぼそりと呟いた月詠に、横島はそれがなにより大切だと言わんばかりの口調と表情で応えた。応えて、懐から紙片を取り出すと、指先の皮膚を噛み切って、血を滲ませたそれで紙片に何事か書き連ねる。そうしてそれを、月詠の脇腹にぺたりと貼り付けた。

「即席の治癒の呪符だ。いきなり全快とは無理だけど――ちったぁ楽になっただろ? しばらく安静にしときゃあ、動けるぐらいにはなる」

 そこまで言って、横島はまだ何か言いたげな表情を浮かべている月詠の傍らから立ち上がった。さて、と気合を入れなおそうとした瞬間。

「――――ッッ!?」

 突如出現した、周囲を圧する気配にがばっとその方向へと振り向いた。生い茂る森の向こう、さきほどから木乃香の魔力が溢れていた方向に、それはあった。天を衝くような巨体は、四本の腕を構えた堂々たるもの。ゆっくりと起立しようとするそれは、まさしく旧き荒ぶる神の一柱だった。横島は、ぎり、と歯を軋らせた。ちくしょう、やりやがった。やりやがったな、千草ちゃん。

「龍宮さん!!」

「――っ! なんだい、横島先生?」

 惚けたように夜空を衝く巨体に魅入っていた――もっとも、その場にいるモノ凡てがそうだった――真名は、夜気を震わす横島の怒声に近い声に、はっとしつつも辛うじて応えた。

「悪いが、ここを任せられるかな?」

 どうやら、本格的に面倒なことになりそうだからね、と横島。自分の方を振り向きもせず、巨体を睨みつけている横島に、真名は不敵な笑みを浮かべて応えた。

「急いだほうがいいだろう、横島先生。こっちのことは気にせず、先にいった連中を助けてやるといい」

「助かる」

 短く応えると、横島は一陣の風となった。どん、と空気を撥ね飛ばす音と水飛沫を残して、あっという間に見えなくなる。横島が消えていった方向をほんの少しだけ見て、真名はくるりと向き直った。

「古菲、まだいけるか?」

「舐めてもらたら困るネ」

 莫迦にするな、と古菲は構えつつ応える。その小さな体躯は、さきほどの神掛った戦いにあてられて、否も応も無く燃え上がっていた。血が騒ぐ。肉が踊る。早く戦わせろ、と全身の細胞の一つ一つが大合唱している。

「宜しい、じゃあやるか」

 どうやらこちらも常態に復帰したらしい、得物を構えつつある敵を見据えた真名が、両手に武骨で巨大なイスラエル製自動拳銃を構えて、不敵に言った。


 拙かった。圧倒的に、これ以上ないくらい、致命的に拙かった。

 横島は、自分が嫌な汗を――冷汗をかいていることを自覚した。

 拙い、もうそれほど戦えん。

 自分の枯渇しつつある霊力やら何やらを考慮して、短期決戦に持ち込んだ――正直言うと、横島は先ほどの闘いにおいて、余裕があって受け手に回っていたのではなかった。余裕綽々で月詠の剣を受けてみせていると見せかけて、実のところかなりアップアップだった。加えて、あの少女――月詠という神鳴流の剣士は、自分の剣氣に触発されたのか、一皮向けたと思ったらそれどころではなく、大化けに化けてみせた。戦いながら強くなるという何処の戦闘民族だコノヤロウとツッコミのひとつも入れたくなる相手に、横島は霊力が尽きる、あるいは向こうが一時的にでもこちらを上回る前に、一撃勝負に持ち込んで、辛うじて勝利を収めたのだった。

 だが、それすらも手遅れだった。

 月詠との戦いに手早くケリをつけて木乃香の身柄を奪還するはずが、ものの見事にその算段を狂わされた。ちらり、と夜空を圧する巨躯を見上げる。どう考えても駄目くさい。普段ならばいざ知らず、今の自分ではどうしようもない。どうしたものか――と横島は弱りきった表情を浮かべて、

「――――おお」

 何事かを思い出した。

☆★☆★☆

「そん、な――――」

 ネギ・スプリングフィールドは眼前の光景に、呆然としていた。呆然とせざるを得なかった。呆然とすることをこれ以上ないくらいに強要された。自分の教え子兼ルームメイトである木乃香の膨大な魔力を用いて、天ケ崎・千草という呪術師が喚び起こした巨躯の鬼神――リョウメンスクナノカミと呼称されるバケモノに、ネギは先手必勝とばかりに今の自分が振るえる最大の攻撃である【雷の暴風】を叩きつけて、

「――――ぜんぜん、効いて、ない?」

 微塵も歯が立たなかった。次の瞬間、胸中から呆然とした感情が過ぎ去り、何処かからか絶望の二文字が顔を出して、そこをじわりじわりと染め上げていくのをネギは理解した。魔力は、ほとんど空だった。無理をすれば攻性魔法の一発や二発はどうにかなるかも知れないが――まったくの無意味だった。今の自分に、【雷の暴風】はもう撃てない。ましてや、それを上回る魔法など、問題外だ。打つ手なし、だった。

 そんなネギを、大鬼神――リョウメンスクナノカミの傍らに浮かぶ千草が、黙って見つめている。その額には、びっしりと玉の様な汗が浮かんでいた。極東随一といっていい木乃香の魔力は、大鬼神を喚び起こす糧となった。そして、今はそれを大鬼神――スクナの制御に用いている。が、正直なところ、千草はスクナの制御に手を焼いていた。いや、手を焼いていたどころの話ではなかった。久方ぶりに幽世から現世に舞い戻った鬼神は、歓喜の声をあげ、思うがままに動き出さんとする。

 それでは駄目だ。駄目なのだ。

 おそらく、自分がほんの僅かでも手綱を緩めれば、スクナはその本能に従い、破壊と殺戮の嵐を誰彼構わず撒き散らすだろう。それは、自分の目的ではない。目的は、破壊でも殺戮でもない。

 問い、だ。

 何故、誰も彼もがあの凄惨な戦いを無かったかのように振舞うのか。

 何故、無かったかのように奪われた物を忘れようとするのか。

 何故、自分の両親は死なねばならなかったのか。

 何故、何故、何故。

 誰もが繕い続ける笑顔でもって作り上げる現状に、問いの叫びをぶちまけたかった。

 その偽りの平和が、こんなものを呼び覚ましたのだ、と。

 いまだ、火種は燻っている、と。

 奪われた命の代わりに、失われた者たちの代わりに、問い叫ぶ――それが千草の願いだった。だから、世界の凡てに響き渡るように、と巨大な力を――スクナの存在を必要とした。

 そう。問い叫び、偽りの平和に安穏とする連中の目を覚ますことが出来れば、それでいい。自分だって、平和が尊いものであることぐらい判っている。血が流れなければ、それにこしたことはない。だが、言うべきことを言わず、為すべきことを為さずして、なにが平和か。何が宥和か。

 だから、破壊も殺戮も必要なかった。

 ただ、そこにあればよかった。動く必要すらなかった。意思を、声を、世界に向けて示すことだけで充分だった。が、

(これは、アカン)

 千草は、スクナの存在を見縊っていた。あるいは、木乃香の魔力を過信していた。木乃香の魔力は、スクナの餌とはなっても手綱とはなりえなかった。一〇〇〇を超える歳月を重ねた鬼神は、あまりに巨大な存在でありすぎた。

 刻々と削り取られる精神力に、千草は遠からず鬼神が自由を得るのを確信する。だが、いまはまだ送り還すわけにはいかない。まだ、問いは届いていない。本山のものたちが無事であれば、それを彼らに誇示できたが、彼らはあの新入りの少年の手で石と成り果てていた。せめて、せめて夜明けとともに到着するという増援にスクナの威容を見せつけねば。彼らの口から責め問う、問い質す声と意思を世界に伝えさせねば。

(もっとも――送り還せるかどうか疑問やけど、な!)

 気合一発入れなおして印を結ぶ千草が、精神を集中するために瞑目する寸前、視界の下のほうで、あの英雄の息子に新入りの少年が迫りつつあるのが見えた。


「殺しはしない」ゆっくりと、悠然と、倣岸な足取りで地に膝をつくネギに歩み寄りながら、白髪の少年――フェイトと呼ばれた彼は、感情を感じさせない瞳と声で言った。「――けれど、自ら向かってきたということは相応の傷を負う覚悟はあるということだよね」

 よく頑張ったよ、ネギ君――そう告げて、フェイトは手のひらをネギに翳す。それを見ながら、カモは人間であれば唇を噛み締めた、とでもいうべき表情を浮かべた。畜生め、【雷の暴風】を弾かれたことに惚けすぎちまった。畜生、せめてネギの兄貴に仮契約カードで明日菜の姐さんと剣士の姉さんを呼ぶことを伝えるべきだった。畜生め、今からじゃ間に合わねェ。くそったれ、ここまでか。ここまでなのか。ああ、カミサマ。もしいるんだったらネギの兄貴だけでも。兄貴は、こんなとこで果てていい御人じゃねぇんだ。もっとデカイ舞台で、デカイことを為さなきゃならねェ御人なんだ。だから、ああ、カミサマ――今まで信心の欠片も寄せたことのない天にまします存在にカモが祈ったその刹那。

こら―――――――――――――――――――――――――――っっ!!

 手を翳す少年の背後から、威勢のいい怒声が飛んできて、

「!」

 少年がその場から飛び退いた。直後、どん、ずがん、とハリセンと野太刀がそこを砕く。砕かれた桟橋、その木片が飛び散る最中、カモは見た。スカートの下に何も履いてないツインテールの少女とその下腹部から下をぴっちりと覆うスパッツのラインが魅力的な再度テールの少女を。勝利の女神と見紛うその姿を。カモはその姿に思わず見惚れながら思った。ああ、カミサマ。有難うございます。これからは多少敬虔になります。とりあえず学園内にあるあの寂れた教会に五オコジョドルほど寄進します。

「大丈夫ネギ!?」

「無事ですかネギ先生!!」

 カモの奇跡を信じそうになっている内心など露ほども知らぬ二人は、片方は気遣わしげにネギを振り向きながら、片方は油断無くフェイトを睨みつけながら、それぞれ問う。

「アスナさん、刹那さん……ボク――」窮地に一生を得たネギは、救いをもたらした二人に向けて、苦しげに声を飛ばす。「すい、ません。このかさんを――!!」

「判ってるって!」弱ったネギを励ますように、無理矢理に笑みを浮かべて、明日菜は言った。言って、空を――否、空を衝くようにして起立している鬼神を見上げた。「ちょっとばかし、ピンチみたいね。でも――」

 グっとハリセンの柄を握り締めて、明日菜はキっとスクナを睨み付けた。

「このかは絶対取り返すわよ!!」

 その言葉に、ネギと刹那が力強く頷く。が、

「…………それで、どうするの?」

 覚悟も新たにした一行を、冷ややかに見つめるフェイトが、視線と同様に冷たい、何処までも感情という二文字を感じさせない声色と口調で言った。言って、フェイトは、

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」

 己が魔法、その始動キーを口にする。右手に集い出した魔力を振り撒くようにしながら、フェイトは哀れな弱者たち――いまだ挫けざる者たちに止めをさすべく呪文を紡ぐ。

「始動キーだと! こいつ、西洋魔法使いかっ! しかもこの呪文――」フェイトの紡ぐ呪文を耳にして、いけねぇ、と小さく叫んだカモは、ハリセンを構える明日菜に指示を出す。「姐さん、奴の詠唱を止め――」

「ダメです! 間に合わない!!」

 果たして刹那がそう叫んだ直後だった。

「【石の息吹】!!」

 周囲を制するように、少年を中心として濛々たる白煙が噴出した。関西呪術協会本山を生ける彫像の庭へと至らしめた、石化の霧であった。だが、フェイトがその加減を誤ったのか。あるいは、いまだ周囲に満ち溢れている木乃香の魔力が干渉したのか。

「しまった」フェイトは自身の周囲に展開する霧を見て、それでもなお無感情に呟いた。「大きすぎた」


 だん、だん、と二つの音が桟橋を叩き――石化の霧が展開したあたりから離れた場所に、刹那と、ネギを抱きかかえた明日菜が着地。フェイトが石化の魔法を発動するその直前、二人は現状で可能な限りの脚力を――神鳴流を修めたものとしての脚力と、魔力供給で身体能力を強化されたものとしての脚力を発揮して、後方へと大跳躍。寸でのところで石化の霧、その忌むべき魔手から逃れていた。

「な、何とか――」

 逃げられた、刹那がそう口を開きかけた瞬間、

 ずがん、と彼女たちの目前で大音響が木霊した。すわ、敵の新手か!! ――そう身構えた刹那たちが目にしたモノは、

「ぐぉ!? イキオイつきすぎてめり込んだ!? 嵌って抜け出せん!!」

 桟橋に足首までめり込ませて四苦八苦している横島・多々緒、その人のマヌケな勇姿であった。どうやら、急ぐあまり後先考えずにBダッシュジャンプばりに大跳躍してきたらしい。

「横島先生!」「タダオ!」「横島センセイ!」

 だが、どれほどマヌケな状況、マヌケな姿であっても、追い詰められた今の彼女たちからすれば、それは降臨する勝利の女神にしか見えなかったらしい。その感情が、声にはっきりと表れていた。

「おー、遅れてごめんな? ちょっとばかしあのゴスロリっ子に手間取ってなー――――つーかこうやって間近で見るとアホみたくデカイな、アレ」ネギたちにやほー、と緊張感なく応えつつ、今にも暴れ出しそうな気配を見せるスクナを見上げて、横島は呆れたような声をもらした。「まるで聳え立つクソだな」

「た、タダオ。このかさんが、このかさんが!!」

 某海兵隊の訓練教官のような台詞を口にする横島に、ネギは自分の不甲斐なさを責めるような口調で言い募った。

「おーけぃおーけぃ、状況は判ってる。正直、私もギリギリなんだが――まぁ、なんとかするしかないよなぁ」

 さらりと絶望的な、少なくとも刹那たちから希望を奪い去るようなことを言って、横島は頭を掻いた――直後、

「っ!? いかんっっ!!」

 ごう、とスクナの全身から魔力が噴出した。地を、空を圧するような咆哮をあげて、スクナが身じろぎし――ぎろり、と横島たちに視線を向けた。次の瞬間、がぱり、とスクナはその口を開き、ネギの【雷の暴風】など及びもつかぬ攻性の意思を込めた魔力の奔流を打ち出した。

 やべぇやべぇやべぇ超やべぇギガやべぇオメガやべぇ!!

 打ち出された魔力の規模を瞬時に見て取った横島は、それが今の自分に防ぎようの無いものであることを悟り、その対処法をコンマゼロ数秒の単位で検索。避ける。自分は可能でも、後ろの子たちが無理。サイキック・シールド。無理。あれも無理、これも無理。でもって――

 げ、あれしかないんか。

 迫り来る魔力の奔流を前にして、横島はぐんにゃりした表情を浮かべる。うあー、一発ネタだと思ってたのになー。ドチクショウ――

「――【変/身】」

 その刹那、横島の姿は事態についていけずに固まっているネギたちの前で光に包まれて、

サイキック・シールド!

 今まさに着弾せんとする魔力の奔流を、無数の、おびただしい数の六角形に光り輝く壁が遮った。爆発。爆発。大爆発。光の壁に阻まれた魔力の奔流が弾け散る。虹色の光芒を放つその光景に、ネギと明日菜は奇妙な既視感を覚えつつも驚愕の表情を浮かべた。

「す、ごい」

 こんな凄い魔力障壁、見たこと無い。ネギは、この世の破壊の意思、その具現であるようなスクナの一撃を防ぎきった障壁――緑色に輝く無数の六角形の小さな壁に見惚れた。数寸、そうしていて、次の瞬間、横島の姿が見えないことに気が付いた。彼女の姿は、目の前を覆う濛々たつ爆煙に紛れてしまっており――ネギは顔を青くした。下手をしたら、あの爆発で。そう思ったネギは、

「タダオ! タダオ!」

 横島の名を叫ぶ。ネギと同じように、あるいは事の展開に呆気にとられていた明日菜と刹那も、ことここにいたり横島の姿が見えぬことに気付いて、彼女の名を叫んだ。そして。

「タダ――あ、良かった!」

 少しづつ晴れていく爆煙の向こうに、おぼろげな人影をみつけたネギは、安堵と喜色に満ちた声をあげて駆け寄ろうとし、

「タダ――――――――え?」

 間の抜けた声をあげて足を止めた。彼の視線の先には。

 風にたなびく長い黒髪と、口元を覆うマフラーのような布。

 大人の魅力抜群の黒の下着の上下。

 同じく黒のガーターベルト。

 やはり黒のストッキング。

 そしてパンプス。

 どう見ても、

あ――――っっ!! こないだの痴女!!

 ですありがとうございました。

「む、神楽坂くん」自分を指差して叫ぶ明日菜に、その人物は眉をひそめて言った。「ヒトを指差して言うのはいただけないな」

「ってゆーかアンタ横島センセイだったの!? なにしてんのよアンタ! 変態!?」

 道徳的な指摘を行う人物の言葉など欠片も聞かず、明日菜は目をグルグルさせながら叫んだ。ネギはポカーンと口を開けつつも顔を赤らめているし、刹那は刹那でギャグキャラっぽい顔で顎が外れて呆然。そんな一同に、

「む、私は横島先生ではない! 私は横島先生そっくりの人間が大勢住むヨコシマ星からやってきた宇宙人、ヨコシマン・レディー――ヨコシマン・レディー・ブラックだ!!

「「「「嘘つけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」」」」

「うおっ!?」

 その場の全員から思いっきりツッコミを入れられてたじろぐ横島――もとい、ヨコシマン・レディー・ブラック、長いから以下YLBと呼称はほっといて説明しよう!!(※ナレーション・富山敬) スクナの攻撃が直撃するその直前、横島は根こそぎ全部持ってきた文珠の一つに、【変/身】の二文字を刻み発動。YLBへとコンマゼロゼロ一秒の短時間の内に魔法少女ばりの変身プロセスを経て変身した。直後に、変身したことによって一時的に高まった霊力を用いて通常よりも若干出力高めなサイキック・シールドを多重展開。スクナの攻撃が着弾すると同時にそれらの一部をあえて爆散させて攻撃の威力を殺し、残ったシールドで威力の減じた攻撃を防いだのであった。ちなみに、今回、ヨコシマン・レディー・ブラックなのは下着が黒だからであり別に腹にキングストーンが埋まってるとかいうわけではない。

「そんなことよりもキミタチ」

「「「「うわ、スルーする気だコノヒト!?」」」」

「私はいまからあのデカブツを押さえる。よって、近衛くんを救出する余裕はない」またぞろ声を揃えてのツッコミを華麗に無視してYLBは真剣な口調で言った。「近衛くんの救出は――」

 自分たちを見渡しながら言うYLBに、

「――私がやります!!」

 刹那が、決意と覚悟に満ちた表情と声で名乗り出た。YLBは、刹那をしばし見つめたあとで、うむ、と頷くと振り向きスクナに対峙する。自分に任せる、という視線に込められた意思を受け取った刹那は、意を決してネギたちに向かって口を開いた。

「お二人は今すぐ逃げてください。お嬢様は私が救い出します。お嬢様は千草と共にあの巨人の肩のところにいます。私なら、あそこまで行けますから」

「で、でもあんな高い所にどうやって――」

「ネギ先生、明日菜さん――私……二人にも…………このかお嬢様にも秘密にしておいたコトがあります」

 語り出す刹那。その刹那の背後でYLBは再び文珠を取り出し、

「この姿を見られたら、もう……お別れしなくてはなりません」

「え――」

「でも、今なら。――あなた達になら」

 二文字の文字を刻み、

「【召/喚】!! 来い! 驚ッ天ッ号ッッ!!

 刹那の背に天使のそれを思わせる純白の羽が生えた瞬間、文珠が発動した。横島の叫びと同時に天が割れ、そこから光が溢れ出し、

「ちょっ! なによアレ!?」

 刹那の羽には目もくれず、明日菜が叫んだ。彼女が指差す方向には、割れた天から溢れ出す光を押しのけるようにして現れる巨体。ヘラクレスオオカブトムシを思わせる異形の甲虫の姿をしたそれは全長約七〇メートルほど。それこそはかつて別の世界において使われた最悪にして最強の兵鬼をもとに作られたヨコシマン専用兵装、〈逆天号〉級移動要塞二番艦、〈驚天号〉!!

「合神!!」

 もはやなにがなんだかとさっぱり事態についていけてない一同をほっぽってYLBは力強くシャウトすると大ジャンプ。その身を驚天号から延びた妖しげな光線が包み、その巨体の中へと導いていく。驚天号の中に導かれたYLBは、やけに生物的な印象を見るものにあたえるメカに囲まれた操縦室へ出現。そこにあった操縦席――半球状のクリスタルへと下半身を潜り込ませ、驚天号と一体化した。

“■■■■■”

「うむ。ひさしぶりだ驚天号よ。長い間放っておいてすまなかったな」脳裏に響いてきた声ならぬ声に、YLBは苦笑を浮かべながら詫びをひとつ。次の瞬間、決意の眼差しと共に告げる。「今日は頼むぞ」

“■■■■■?”

「ああ、かなり力が足りん。だが、しばし待て――アデアット!!」

 叫びの直後、YLBの眼前に歪に捻れた指輪が出現。YLBはすかさずそれをキャッチすると、流れるような動作でそれを左手の薬指に嵌めた。何あろう、それこそは横島・多々緒のアーティファクト、『メビウスの指輪』。装着者の魔力や気を一時的に増幅する能力を発揮する。事実、指輪を嵌めた直後からYLBから溢れる霊力が爆発的に増えた。が、

「む、これでもギリギリか――だが、かまわん。目的はヤツを倒すことではない。彼女が来るまでの時間稼ぎ!! いくぞ〈驚天号〉!!」

“■■■■■!!”

 応えるようにして声ならぬ声をあげる〈驚天号〉に、YLBは叫ぶ。

「大ッ驚ッ天ッッ!!」

 直後に起きた動きに、地上にいた明日菜たちは目を見張った。天を圧するように飛び回る異形の巨体が突如光ったかと思うと、突如あたりに雷鳴が轟く。巨体が幾つにも割れ、パーツ回転し、伸び、再び合わさり、

『大降臨! ギョーテンキングッッ!!

「「「「え――――――――――――――――――――――っっ!?」」」」

 揃って驚きの言葉をあげる一同の前に、八〇年代東映戦隊モノ風の巨大ロボが出現した。

「ちょ、オカシイわよ! なんでカブトムシがあんなロボになんのよ!?」

 明日菜が至極当然の疑問を叫ぶが誰も答えられない。あたりまえだった。むしろ答えられると異常だ。世の不条理に――というよりもYLBの起こした奇天烈きわまりない不条理に明日菜が唸りをあげる。と、そのとき。

坊や、聞こえるか坊や?

「!?」

「こ、この声は!!」

 突如として耳を打つ声に、呆気にとられていたネギははっと我に返り、台詞の無かったカモがここぞとばかりに叫ぶ。

まだだ。まだ限界ではないだろう! 一時的にとはいえ私を圧して見せた底力を、意地をみせてみろ! 転移魔法の準備が終わり次第、私がいって凡てを終わらせてやる! それまで持ちこたえろ! どうせそこには横島がいるのだろう?

「え? あー、いるようないないような?」

 脳に直截響く声――念話の相手に、ネギは曖昧な言葉をもらした。視線は非常識ロボに向けられている。

はっきりせんヤツだな? まぁいい、もうしばらくの辛抱だ!!

 それっきり切れた念話に、一同はどーしたもんかと顔を見合わせる。背後では睨み合う大鬼神と巨大ロボ。シュールな光景だった。超絶シュールな光景だった。気まずい沈黙が訪れ、

「…………これが私の正体。奴らと同じ――バケモノ、です」

 刹那が口を開いた。どうやらすべてをなかったことに、何も見なかったことにして話を進めることにしたらしい。

「で、でも誤解しないでクダサイ! 私のお嬢様を守りたいと思う気持ちは本物です! 今まで秘密にしていたのは――――この醜い姿をお嬢様に知られるのが怖かっただけ! 私っ! 宮崎さんのような勇気も持てない――情けない女ですってうひゃん!?」

 シリアスな長台詞を言い終える直前、刹那は可愛らしい悲鳴をあげた。見ると、明日菜が興味深そうな顔で、刹那の羽を撫で回しており、

「きゃうん!?」

 次の瞬間、おもむろに全力で明日菜に背をはたかれて刹那は飛び上がった。なにをするんですかっ!? と明日菜を見ると、そこには快さのみを感じさせる笑みを浮かべた明日菜がいた。

「なーに言ってんのよ刹那さん。こんなの背中に生えてくんなんてカッコイイじゃん!!」ニヤリと笑っていう明日菜は、次の瞬間。「つーかアレにくらべりゃ全っ然マシよ、マシ」

「「「 う わ ぁ ……」」」

 本気で嫌そうな表情で巨大ロボを示して言う明日菜に一同、言っちゃったよコノヒト、とドン引き。

「ん、つーかさぁ」気を取り直してというか巨大ロボを意識の外へと追いやって明日菜は言った。「あんたさぁ、このかの幼馴染でそのあと二年間も陰からずっと見守ってたんでしょ?」

 きょとん、とした表情を浮かべる刹那に向かって、明日菜は不敵で素敵な笑顔で言い切った。

「このかが――あの、このかがこの位のことで誰かの事を嫌いになったりすると思う? ホンっトにもう! バカなんだから」

「あ、明日菜、さん――」

 刹那は、明日菜が笑みとともに放った言葉を数寸の間を置いて理解し――じわり、と瞳に涙を滲ませた。はい、はい――と、何度も、何度も頷く。ああ、そうだ。刹那は理解した。バカだ。ワタシは、バカだ。お嬢様が、わたしのこのちゃんが、そんなことでわたしをきらいになるはずなんて――ない。

「さ、行って刹那さん! 私たちが援護するし――多分、アレも助けてくれるから」

「明日菜さん、そんなに嫌そうに言わなくても……」

 しかめっ面でYLBwithギョーテンキングを指差しながら言う明日菜に、ネギは苦笑しながら言い、それを見ていた刹那もつられて苦笑。刹那の表情に笑みが戻ったことを見て取った明日菜は、満足そうに頷くと、木乃香のもとへと刹那を促した。刹那がそれに力強く応えた瞬間、石化の霧の向こうから、フェイトがゆっくりとした歩調で現れる。身構えたネギと明日菜の勝利を祈りながら、刹那は大きく翼を広げた。

「ネギ先生」肩で息をしながらも、戦う意思を見せるネギに、刹那は淡い微笑みを浮かべながら言った。「このちゃんのために頑張ってくれて――ありがとうございます」


「――――どうやら、乗り越えたみたいだな」

 操縦席のモニターの端で飛び立った刹那を認めたYLBは、うむ、と満足そうな笑みを浮かべる。その刹那が、純白の翼を羽ばたかせてぐんぐんと高度を上げ、スピードを増し――自分の、ギョーテンキングの脇をすり抜ける瞬間、笑顔とともに頷くのを、YLBは確かに見た。そして、奪還。不思議なことに、いや――千草の目的を考えれば不思議ではないのかもしれないが――まったく抵抗を見せずに木乃香の奪取を許した千草の消耗しきった姿を見て、YLBは、頃合か、と呟く。

「ギョーテンキング! アレをやるぞ!!」

“■■■■■!!”

 獅子吼したYLBは、〈驚天号〉――ギョーテンキングの力強い応えを確かめて、己が霊力をギョーテンキングに注ぎ込んだ。次の瞬間、スクナと対峙していたギョーテンキングが動いた。大きくしゃがみ込み、地を蹴る。巨躯には似つかわしくない跳躍を見せて、

 轟!!

 その足の裏の噴射孔から霊力の迸りが噴出した。膨大な霊力によって力任せに加速するギョーテンキングは霊力の煌きを撒き散らしながら空高く舞い上がり、

「スーパー――」

 下界を、京都を一望できる上空で静止。次の瞬間、ガパっと肩が開き噴射ノズルが現れる。足の裏の噴射が止まったかと思いきや、肩のそれが霊力を噴出。今度は力任せの急降下を開始。

「ヨコシマン――」

 重力による加速に、霊力のそれを加えたギョーテンキングは膨大な霊力を噴き出す一筋の流星と化し、

キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッック!!

 地上――いや、スクナ目掛けて突撃を開始した。


『知ってるようで知らない世界〜 if 〜』第二十九話『終わりの夜・戦いのとき』了

今回のNG


「大ッ驚ッ天ッッ!!」

 直後に起きた動きに、地上にいた明日菜たちは目を見張った。天を圧するように飛び回る異形の巨体が突如光ったかと思うと、突如あたりに雷鳴が轟く。巨体が幾つにも割れ、パーツ回転し、伸び、再び合わさり、

『大降臨! ギョーテンキングッッ!!』

“■■■■■――――”(※訳:「私は――――」)

 ヨコシマン・レディー・ブラックが雄雄しいといっても過言ではない口調で堂々たる名乗りをあげて――だが、出現した八〇年代東映戦隊モノっぽいデザインのロボは。

“■■■■■?”(※訳:「ただの甲虫型兵鬼なのに、どーしてロボになんかなっているのだろう?」)

「「「「「悩むな――――!! 戦え――――っっ!!」」」」」

どっとはらい




後書きという名の言い訳。

.50AEはアテナエクスクラメーション五〇発分の威力の意(※嘘) こんばんは、結局一週間経ってしまったが俺は悪くないあと戦闘シーンは流し読みしろ(※土下座しつつも命令形で)。いや、遅くなって申し訳ないというかなんというか。まさか一二〇枚超えるとは。とりあえずこんな感じになりましたよ、と。あと、あーるネタが伏線だったとは誰も気付かなかっただろうナァ(※伏線なのかよ、アレ)。とまれ、次で修学旅行編もおしまいデス。では、また来週ー。


初出:二〇〇六/一〇/二七
改訂:二〇〇六/一一/〇三



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