避けきれまい。
私は驚愕に顔を歪めるあいつを見て、唇の端を吊り上げた。よしんば頭上の剣凡てを払うことが出来たとしても――
「
見事としか言いようのない剣技を持って自分に降り注ぐ剣のみを打ち払うあいつに、感嘆の念を抱きつつ、だが、私は、今の私に出来る“とっておき”を現出させるスペルを呟くように口にした。
次の瞬間、大気が爆ぜた。
爆音、
爆圧、
爆風。幾本もの私の魔力で編まれた剣が、形を失い無秩序な魔力の奔流と化す。円周状に、あいつを包み込むようにして配置し、落下させたおかげで中心部のあいつに爆圧が集中したはず。どんな化け物だってひとたまりもないはず。
「くっ――――」 形振り構わず――というよりも、私自身を囮にするようにしていたため、仕上げである爆発に備えることが出来ず、爆風に吹き飛ばされた私は、襤褸雑巾のような有様になっている体に魔力を通し、わたしに許された数少ない魔術である『強化』を施して、無理矢理に立ち上がる。酷いことになっている体の状態を無視し、私は、寒気から守る為に毛布で十重二十重に包んでいる、命に代えても守らなくてはならないモノの元へと向かう。ちらり、と見た感じでは先ほどの爆発の影響も受けていないようだ。そのことに、私はほっと胸を撫で下ろし、
「――――ッッ!?」
背にした爆発跡から、背筋に氷を突き込まれたような気配を感じ息を呑んだ。まさか、と振り返ると、爆発によって巻き起こされた土煙の晴れつつあるそこに、漆黒のそれは立っていた。
「詩音ちゃんの作るごはんはやっぱり美味しいわね」
がつがつ、という擬音がじつにしっくりと来る調子で食卓に並ぶ料理を胃袋へとかき込む野生動物は、そういうと空になった茶碗を詩音へと突き出した。咀嚼していた口の中のものを飲み込んで、詩音はそれを受け取ると、多分、無駄だろうなぁ、と思いつつ嫌味を口にした。
「ねぇ、藤ねえ。居候、三杯目はそっと出し――って言葉知ってる?」
三杯目どころか五杯目の茶碗に、こんもりと白米をよそった詩音は、そう言う。言われた野性動物、冬木の虎こと藤村大河は、きょとんとした表情を浮かべながら詩音の手から茶碗を受け取る。
「知ってるけど? いきなりどうしたの詩音ちゃんってば?」
「詩音。無駄よ」
虎ほどではないが、そこそこの健啖ぶりを発揮しているイリヤはあえて表情を消した顔で妹に告げた。
「判ってるわ、姉さん。ええ、判ってるんだけどね」
何処か達観した表情で、詩音は姉に答えた。もっとも、顔に浮かべた表情とは異なり、衛宮姉妹は、大河と摂る食事を快く思っている。詩音は、日本を離れてからこちら碌に連絡をしていなかったことへの申し訳なさもあるし、イリヤはイリヤで、詩音以外の『家族』との団欒を愉しんでいる。
もっとも、日本での活動拠点に父である衛宮切嗣の残した武家屋敷、一通り積もった埃を払い、帰国後初めての食事を摂る段になって乱入した野生動物には困惑したものだが。
玄関で大河を迎え出た詩音の姿を見て、しばし首を傾げたあとで、ぽんと何かに思い至ったように手を打った虎は、その渾名に相応しい、猛獣以外の何物でもない勢いで詩音に抱きついてきたのだった。
「っ、な――――!?」
知覚不能な、まさに非常識なスピードで吶喊してきた人影に、詩音はまったくもってらしくないことに反応が遅れた。結果、詩音はマーク・コールマンもシャッポを脱いでしまいそうな見事なタックルで玄関に押し倒された。
マウントポジションを確保したアンノウンに、詩音は自分の思考パターンを戦闘モードに切り替え、反撃を加えようとし――
「――――藤ねえ?」
繰り出そうとした貫き手を寸でのところで押し留めた。形容し難い表情でこちらを見下ろす顔に、詩音は覚えがあった。彼女の記憶が正しければ、それは、
「うん、お帰りなさい。詩音ちゃん」
彼女が日本を離れるまで、切嗣とともに詩音の『家族』であった女性だ。そんな詩音に、女性――藤村大河は満面の笑みで答えた。お帰りなさい、その言葉の意味するところを理解した詩音は、親しい者のみに向ける無防備な笑みを浮かべる。
「ええ、ただいま。藤ねえ」
「――で、それは一体何?」
玄関で押し倒し押し倒されている女性と妹の顔を交互に見比べて告げるイリヤの声が寒々しく響いた。
「ええ、玄関先の廊下で騎乗位かましてるときは新手のプレイかと思ったけど」
食後の一服――詩音が淹れた玉露をすすりながら、イリヤは遠くを見るような目をして溜息交じりに呟く。
「やぁねぇ、イリヤちゃん」イリヤの言葉に、大河は照れ隠しだろうか顔の前でぱたぱたと手を振る。「久しぶりだから、つい懐かしくて?」
「疑問系で言われても。というか懐かしいぐらいでタックルして押し倒さないように。玄関だったから良かったけど、街中だったらどうするの? 嫌よ? 私。妹が街中で特殊なプレイにいそしむ趣味をもってるなんて噂されるの」
「やぁねぇ、いくら私だって街中でそんなことしないわよ」
「――信用できないわ」
「――同意するわ、姉さん」
「酷っ!?」
溜息混じりに呼吸を合わせる姉妹に、大河はSHOCKだ! と言わんばかりに叫ぶ。だが、姉妹はそれにとりあおうともしない。
「いや、藤ねえは普段が普段だから」
「そうね。大河にはレディらしい慎みが欠けてるわね。――圧倒的に」
藤村大河、散々である。だが、藤木の虎もやられてばかりでは己が渾名が泣くとばかりに果敢に反撃を開始。
「ふ、ふふ〜んだ。お子様のイリヤちゃんにレディがどうのとか言われてもねぇ?」
「むっ」こちらを見て、ふっ、と莫迦にするように鼻を鳴らす大河に、イリヤがむっとした様子で口を開く。「大河。発言を訂正なさい。知ってると思うけど、私は詩音よりも年上なのよ? お子様扱いはいただけないわ」
「えー? でも、比較対照の詩音ちゃんからしてちっとも育ってないからお子様って言われても仕方ないんじゃない?」
「――藤ねえ。それはどういう意味での発言かしら?」
事の次第によっちゃあただじゃあおかねぇぞ? という視線を笑顔で隠した詩音が、急須からお茶を淹れながら大河にたずねる。その問いに、大河は勝ち誇ったような表情を返す。
「ほら、背丈とか。あと、胸? 主に胸?」
「――自分だってそう大きいわけじゃないのに何を勝ち誇ったような顔を」
「いや、詩音ちゃんみたくぺたんこじゃないし」
決定的で致命的な一言だった。
その無い胸を抉る一言に、詩音は一瞬表情を凍らせ、すぐさま解凍。よく晴れた春の青空を思わせる清々しい笑顔を浮かべて詩音は告げる。
「――――藤ねえ、明日から飯抜き」
「お、横暴よ詩音ちゃん理不尽よこのナイムネっっ!!」
「黙れ虎ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
「わ、私を虎と呼ぶなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
夕餉のあとの食卓は阿鼻と叫喚が歌い踊る戦場と化した。
「タイガが来ると賑やかでいいわね」
暴力の嵐によって荒れ果てた居間を片付ける妹を尻目に、イリヤは縁側に腰掛けて冬の冷たい空気を愉しんでいた。一月末の夜の空気は刺すような寒気に満ちているが、それでもあの場所よりも暖かいような気がしている。
「姉さん。あれは賑やかというよりも騒がしいといったほうが正しいと思うの」
「どっちにしろ愉しいからいいじゃない」
呆れたように言う詩音に振り返らず、笑いを含んだ声で答えてイリヤはクロスカウンターによるダブルノックアウトという結果に終わった食後の決戦を思い出す。参加しない限り、あれはどう考えても腹を抱えて笑い転げたくなるような出し物だった。いや、もしかすると参加したほうがよほど面白いのかも知れないが、レディの慎み云々と言った手前、
「参加しないほうが無難よね」
「何か言った姉さん?」
小さく呟いたイリヤの声を耳聡く聞きつけたらしい詩音が、片付けの手を止めてイリヤにたずねる。
「なんでもないわ。それより片付けは終わった?」
「姉さんが手伝ってくれたらもう少し早く終わったんだけどね――ええ、終わったわ」
妹の軽い嫌味を聞き流したイリヤは、よく晴れた冬の空を見上げる。満ちてこそいないが、月が煌々と下界を照らしていた。つっかけを履いて、縁側から腰をあげる。
「詩音、準備をしてくるわ」
「――何か手伝うことは?」
「無い」居間から縁側に出てきた妹に、イリヤは短く答えた。「魔力が高まって、準備が終わるまでまだ時間があるわ。それまで詩音は役立たずなんだから、お散歩でもしてきなさい」
「姉さん。事実は事実でも面とも向かって役立たず呼ばわりされると流石に傷付くのだけれど可愛い妹に対して思いやりはないのかしら」
「――悔しかったら解析・強化・投影以外の魔術が使えるようになりなさい」
妹のささやかな抗議を、イリヤはあっさりと斬って捨てた。ついでとばかりに、まぁ無理でしょうけど、とトドメを刺す。まったくの事実なので詩音は返す言葉もない。ただただションボリと肩を落とすだけだ。もっとも、言ってるほうも言われているほうも半ば冗談と判っているので険悪な雰囲気になることはない。
「それじゃあ、お言葉に甘えてそこらをふらついてくるわ」
「つまみ食いなんてはしたない真似はしないようにね?」
深山を離れ、新都をふらつく詩音は、随分と様変わりした街の様子に溜息をひとつ。確かに、日本を離れる前もかなり復興していたが、それでもあの焼け野原がこうも再建されていることには感嘆の念を覚えずにはいられない。
詩音が記憶しているのは、凡てが灰塵と化した死の世界だった。ありとあらゆるものが燃え尽き焦土と化したそこは、もはや人の住む世界でもなければ、二度と人が住めるような場所でもなかった。
だが、幼い詩音のそうした印象と異なり、街は見事に復興していた。元通りどころか、以前よりも発展してさえいるという。以前がどうだったか覚えていない詩音にその言葉の正否は判断出来ないが、話半分に聞いたとしても大したものだろう。月光に照らされ、夜の街を歩く詩音はそう思う。
「――――いや、元通りというわけでもないわね」
不意に足を止め、詩音は呟いた。
目の前に広がるのは、荒野のごとき印象を与える公園だった。芝生を敷き、樹木を植えてなお生命というものを感じることのできないそこを目にして、詩音は深く溜息をついた。ここだけは、あの時から何も変わっていなかった。
災厄としか言いようの無い大火。その中心部は、今なお、そのとき命を落とした者たちの無念と怨念が渦巻く瘴気の溜まり場じみた場所だった。一〇年という時を経てなお浄化されることのない土地の様子を目にした詩音の胸で、奇妙な衝動が疼き出す。
「っ――――」
瞬間、胸を抑えて詩音は詰まったような声を漏らした。
落ち着け。
そう自分に言い聞かせる。
押さえ込める、押さえ込めることが出来るのだ。
「ふ、ぅ」
自己暗示に近いものを自身に施して、詩音は自分の中であの衝動が収まっていくのを自覚し、疲れたように息を吐いた。いらぬ場所まで足を伸ばした――そう思う。まったく、このあとに控えている儀式に影響があったらどうするつもりなのか。自分の無思慮ぶりに、呆れてものがいえなかった。
最後に一瞥くれて、詩音は公園をあとにした。冬の月光をうけてなお寒々とした印象しか得られない公園からは、やはり命の営みを感じることができなかった。
公園を離れた詩音は、それでも、深山にある切嗣の遺した屋敷に帰ろうとは思わなかった。月の位置から察するに、今帰ってもまだ準備の最中といった按配だろう。ならば、帰ったところで自分に出来ることはない。むしろ、手持ち無沙汰を感じてあれこれ姉にいらぬことを話し掛けた挙句邪険に扱われそうだ。
で、あるならば。いま少し月夜の散歩を愉しんで、さきほど公園でうけた不快な思いを綺麗に忘れてしまったほうがまだましだろう。よくよく考えてみれば月夜の一人歩きというのもひどく久しぶりのような気がする。けして好んで好きになったわけではないが、詩音は月の出ている夜が好きだった。これからのことを考えれば、こんなにゆったりと月夜を愉しむことが出来るのは随分とあとになる。愉しまなくては損だった。
公園をあとにした詩音は、我知らず、鼻歌なぞを吟じながら夜の街を進んでいた。特に目当ての行き先があるわけではない。ただ、姉が凡ての準備を整えた時刻に間に合うよう考えて無目的に足を進めているだけだ。ちなみに、鼻歌は『ワルキューレの騎行』のメロディだった。ヘリに乗ってチャーリーでも鏖殺してサーフィンに出かけそうな雰囲気である。
気が付けば、緩やかな坂のふもとにたどり着いていた。
なんとはなしに坂を登り始めた詩音の鼻腔を、微かに刺激する臭いが漂ってきた。
「この匂いは――」
ずくん、と脳髄が疼いた。けして長いとはいえない詩音の人生、その中で散々嗅ぎ慣れた匂いだった。意識して坂道を登る足を速める。
事故にしろ事件にしろ、嗅ぎ付けてしまっては無視するわけにはいかない。
詩音の認識が正しければ、その匂いは紛れもなく血の匂いだった。
坂道を一歩登っていくたびに、その匂いは濃厚なものへと変わっていった。同時に、何か酷く不快な気配も濃くなっていく。
ちりちりと神経を灼くような嫌な気配に、凛とした顔をしかめながら詩音は坂道を駆け上がり――
「――――ッッ!?」
目の前に踊り出た人影に、思わず足を止めた。が、勢いのついた躯は急には止まらず、結果として人影と正面衝突する羽目になった。行き足を止めたことが幸いしてか、衝撃はそれほどでもなかった。ただ、ぶつかった人影は、力なく詩音に倒れ掛かる。
「っと、大丈夫ですか――――!?」
相手を気遣って言葉をかけた詩音は、思わず絶句した。同時に、面倒なことになりそうだ、と思った。
土蔵の窓から降り注ぐ月光を頼りに手を動かしていたイリヤは、ふぅと一息ついてその手を止めた。妹の見立てたとおり、二人の父が遺した召喚陣は、たしかに起動に耐えるものだった。解析に関しては自分よりも腕の立つ妹の見立てを、イリヤはけして疑ってはいなかった。が、だからといって自分で調べもせずに使う気はさらさらなかった。念には念を、というわけだ。
魔術師、という点では一点集中突破型の妹よりもよほどバランスがよく、また器の大きいイリヤは、自分のもてる知識と技術の凡てをつぎこんで今宵の儀式の準備を整えた。世の中に絶対、という言葉ほどあてにならぬものはないが、それでも確実に成功させる自信をもつにたる準備を整えた――イリヤは土蔵の土床に描かれた召喚陣を見下ろし、そう思った。
溜息。
「それにしても、何処をほっつき歩いているんだか」
確かに、散歩でもしてこいと言ったのは自分だが、本当に出て行くとは思わなかった。まぁ、残っていたところで出来ることなどないので、構わないといえば構わないのではあるが。それにしても遅い。せめて、準備を整え終える前に帰ってくるぐらいはして欲しい。
そう思った瞬間、屋敷の敷地に何者かの気配を感じる。害意あるものであれば父が遺し、イリヤが強化した結界が反応するので敵ではない。第一、この気配は慣れ親しんだ妹のものだ。ただ、気に掛るのは気配が一つだけではないということ。大河か、とも思ったが、流石に今宵これからする儀式を前に妹があの飢えた愉快な虎を招き入れるとも思えない。
「なにか激しく面倒なことになりそうな」
誰に言うでもなくそう呟いて、イリヤは土蔵を後にする。そこで見たのは、
「あ、姉さん。今夜の儀式中止ね」
悪びれた様子もなくそう言ってくる妹と、小柄な彼女に抱えられた血塗れの人物だった。予想は見事に的中した。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||