養父は、ときおり月を見ながら縁側でお酒を呑む事があった。そんなとき、私はよく切嗣のとなりでお酌をしていた。拙い手付きで切嗣のお猪口に酒を注ぐ私を、彼は酷く優しげな眼差しで見ながら、いろいろな話をしてくれたものだった。

 砂漠で盗掘団と一戦やらかしながら、地元の美少女と手に手をとって逃げ回った話。

 深い森の中、密猟団に森林保護官の美女と一緒に立ち向かった話。

 摩天楼の片隅で、マフィアの薬物取引の現場に出くわし、口説いてたバーのピアニストの淑女と騒動に巻き込まれた話。

 ……今思えば、かならず女のヒトが絡んでいたのはどういうことだ、と思わないでもないが、当時の私はそんな切嗣の与太話に胸をときめかせていたものだった。第一、切嗣の性格が性格だから、女のヒトのことが出てくるのは当然のような気がする。

 それは兎も角。

 そんなある日、珍しく深酔いしていた切嗣は、滅多に見せない表情――軽薄で、陽気な顔ばかり浮かべていた切嗣にしては珍しく、何かを悔いるような顔で、ぼつ、ぼつと小さな声で語り始めた。

 自分に、小さな娘がいること。その娘を裏切って、自分は娘のそばから離れたこと。切嗣は、懺悔するように話し、それを聞き終えた私は――



Fate/stay night

 〜運命の縛鎖〜



第六夜・前

「詩音は、まだ起きないのか?」

 良く晴れた、冬の日曜日。本来ならば、清冽な空気と冬独特の弱弱しいが、そうであるからこそ優しげな陽光に満ちた穏やかな朝なはずなのだが、その朝を迎えた衛宮邸に満ちているのは、どこまでも重い空気だった。あの悪夢と死の具現のようなサーヴァント――おそらくはバーサーカーだろう、とバゼットが言っていた――の戦いの後に倒れ意識を失った衛宮詩音は、いまだ目を覚ましていなかった。

「ええ、まだ」居間の炬燵で所在無さそうにしているセイバーは、襖を開けて入ってきた鐘に目を俯かせながら答えた。「イリヤがつきっきりで看病しています」

「――寝ていないのか、イリヤは」

「そのようだね」

 遅れて入ってきたバゼットが、鐘の背後から答える。

「休んだ方がいいと、交代で看病するから、と――そう言ったのだが、頑として聞き入れてくれなくてね」

 まるで傷付いた仔を護る野生の獣のようだったよ、とバゼットは肩を竦めた。昨日は、衛宮邸に帰ってからは、緊張が一気に解けたのと、疲れが噴出したおかげで自分もまた倒れるようにして泥眠してしまった鐘は、そうか、と呟くしかなかった。だが、イリヤのそうした様子を、想像するのは難しいことではなかった。

 一見すると、詩音のことをぞんざいに扱っているようにも見えるイリヤであるが、その実、詩音がイリヤにかまうのよりも、遥かに詩音を溺愛していることを、鐘は見抜いていた。まぁ、気持ちが行き過ぎてヴァイオレンスな行為に及びがちではあるが、兎も角、詩音のことを酷く可愛がっていることは間違いない。そんな彼女ならば、意識の戻らぬ妹から離れようとしないのも、そんな妹の看病を他人に任せようとしないのも無理はない――鐘はそう思う。

 詩音一人が欠けただけで、随分と雰囲気の違う――昨夜はあれほど賑やかだったのが、まるで通夜のような雰囲気になっている衛宮邸の居間で、三人は炬燵に足を突っ込んだまま、無言で時間を潰していた。

 どれほど時間が経ったのか。手持ち無沙汰になった鐘が、茶でも淹れようと立ち上がり、襖に手をかけた瞬間、彼女が襖を開く前に襖が開かれた。開かれた襖の向こう、通路に、少しばかり憔悴した様子のイリヤが立っていた。

「おはよう、鐘」どこか痛々しいものを感じる笑顔を浮かべてイリヤは言った。「昨日は良く眠れた?」

 いろいろあったから、疲れてたでしょう? と気遣いをみせるイリヤに、鐘は、ああ、うむ、と要領の得ない返事を返すのが精一杯だった。とことこと歩いて炬燵に入ったイリヤを見て、鐘は自分が茶を淹れようとしていたことも忘れて、そのあとを追うようにして自分も炬燵に戻った。

「イリヤくん、詩音くんの容態は?」

「容態、というほどのものではないわ」イリヤは苦笑してみせた。「疲れたから寝てるだけよ」

「寝てるだけ、ですか?」

 バゼットの問いに答えたイリヤに、セイバーは納得がいかない、といった表情で言う。

「そう、寝てるだけよ」イリヤは肩を竦めながら言った。「鐘や、ここ数日この家で寝起きしたバゼットは知っているでしょう? あの子の寝起きの悪さを。ほんとに、聖杯戦争中くらいシャンとしてほしいんだけどね」

「寝てるだけ、ね」バゼットは確認するように言った。「イリヤくんがそう言うのならば、そうなのだろうな」

 含むところを隠そうともしないバゼットの物言いに、だが、イリヤは顔色一つ変えずに言う。

「そうよ。あの子のことならなんだって知ってるの。私はおねえちゃんだからね」

 そんなイリヤの様子に、乗ってこないな、と苦笑したバゼットは、更なる搦め手で言葉を重ねる。ただし、詩音の昨日の変わりようについては聞こうとは思わない。イリヤは、何時か話すといった。彼女たちに味方しようと決めた自分としては、その言葉を信じるだけだ――バゼットはそう思っていた。それになにより、あの悲しげな瞳で言われた言葉が、イリヤに対する追求を押し留めていた。

「あのバーサーカーは、アインツベルンの持ち駒なのだな」

 それは問いではなく、確認であった。事実、あの夜に姿を見せた二人組みの女は、それを示唆する発言を行っていた。バゼットの確認に、イリヤの小さな体が、かすかに緊張に縛られる。

「言いたくないのならば言わなくてもいいが」バゼットはそう前置きして、イリヤに言った。「もし、私を少しでも信用しているのならば教えて欲しい。キミは、アインツベルンとどういう関係があるのだ? あの聖杯狂いの一族の姓を背負った名――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという名はどういう意味なのか」

「バゼット女史」鐘が、俯くイリヤを見かねて半畳を入れた。「個人のプライヴァシーに関ることだ。聞かなくてもいいのではないか?」

「いいのよ、鐘」儚げに微笑ながら、イリヤは言った。「有難うね? でも、いいの。しかし答え難いことをズバっと聞いてくれるわね、バゼット?」

「性分でね」

 肩を竦めてそう言うバゼットに、イリヤは、長生きしないわよ、貴女、と笑った。

「私の父親、衛宮切嗣は前回の聖杯戦争で勝ちを拾うためにアインツベルンに雇われた魔術師だった。バゼットも知っているのでしょう? 切嗣がどんな魔術師だったか」

「魔術師殺し――それが彼に奉られた呼び名だったな」

「そう。アインツベルンは――過去三回の聖杯戦争において、聖杯戦争の魔術儀式を構築した御三家でありながら、いずれも勝ちを逃がしてきたアインツベルンは、そんな切嗣に目をつけた。閉鎖的なことで知られるアインツベルンが、外部の魔術師を用いる。彼らがどれほど聖杯を欲していたか、そのことだけでも判るわ。くわえて、アインツベルンは切嗣の歓心をかうために、彼に当主の娘まで差し出した」

「――つまりそれが」

「ええ、私のかあさま」言って、イリヤは周囲のものが自分にむけるなんとも言えない微妙な視線に苦笑した。「ああ、誤解しないでね。確かに、かあさまは切嗣の歓心をかうための道具として使われた。それは事実よ? でもね、かあさまは切嗣のことを嫌ってなかった。いえ、むしろ好いてさえいたわ。いつもかあさまは私に聞かせてくれた。ふだんはそっけなく、冷たいそぶりをしているけど、彼はただ不器用なだけだった、悲しいぐらいに不器用なだけだった、って。かあさまは切嗣を愛していたし、切嗣もかあさまを愛していた――はずよ」

「その愛の結晶が、キミというわけか」

「そうよ。私が生まれて何年かしてから、切嗣はアインツベルンが発掘した触媒を元にセイバーを喚び出し――そこから後のことはセイバーは知っているわね?」

「ええ」イリヤの言葉をうけて、セイバーは頷く。「彼は私を従えて、冬木の地に渡り、ありとあらゆる手段を用いて聖杯戦争を勝ち進んだ」

「ありとあらゆる手段、か」

 伝え聞く切嗣の風評から、バゼットは、その手段というものがよほど苛烈なものだったのだろうと推察し、過去を振り返るセイバーの表情から、それがそう間違ったものでないのだろうと感じた。

「そして、聖杯戦争で聖杯を手にするその直前、切嗣はアインツベルンを裏切った。セイバーに命じ、顕現した聖杯を破壊した」

「判らないな」バゼットは身を乗り出すようにして尋ねた。「どうしてミスタ・切嗣はアインツベルンを裏切った? どうして聖杯を破壊した?」

「さぁ?」イリヤは肩を竦めた。「切嗣は死ぬまでアインツベルンの元には戻らなかったから、私には想像のしようもないわ。ともかく、アインツベルンは四度その宿願を果たし損ねた。それも最強のマスターと最高のサーヴァントをもってしても、ね。そこで彼らは考えた。マスターを外部に求めたのがいけなかったのだ、ならば最強のマスターを我らの手で作り出せばいい。彼らは、その結論に基づき、一族の濃い血と、切嗣の才能を受け継いでいると考えられた娘にマスターとしての教育を施し始めた。つまり、私は本来ならばあの女たちが言ったように、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと言う名でこの第五回聖杯戦争に参加していたはずなの」

「なるほどな」バゼットは得心がいった、という顔で頷いた。「それがキミとあの聖杯狂いの一族の因縁か」

 言って、バゼットは眉をひそめた。

「待て」再び、というより新たに浮かんだ疑念をバゼットは口にする。「何故だ? ならば、何故、キミは衛宮イリヤとしてここにいる? 何故にアインツベルンと対峙している?」

「ああ、それは」何かを懐かしむような顔で、イリヤはバゼットの疑念に答える。「詩音が、私をあの冷たい世界から連れ出したからよ。あの閉鎖的で陰湿なアインツベルンという牢獄から、詩音が私を連れ出したから」

 まるで囚われのお姫様を救い出す王子様ね、とイリヤは微笑んだ。

「連れ出す? どうやって?」

「力ずくで。凄かったわよ? わんわんとサイレンが鳴り響くなか、私を強引に城の外に連れ出したかと思ったら、直後に城が吹き飛んだんですもの。ハリウッドアクションなんか目じゃなかったわね、アレは」

「待て」困惑したバゼットが頭を振った。「待て待て待て待て。ちょっと待ってくれ。そのとき詩音くんは何歳だ? それは一体何年前のことなんだ?」

「そうねぇ、たしか五〜六年前のことだと思うけど?」

「ほんの子供じゃないか! なんでそんな子供がそんな真似をすることが出来るんだ!?」

「それが出来るように努力したからよ」イリヤは目を伏せ、言う。「切嗣は、聖杯を破壊したあと、燃え盛る家々の残骸の中で、死にかけているあの子を見つけ、命を救い、自分の養女とした。それが切嗣にとっての贖罪だったのかどうか――私には判らない。ただ、切嗣は、一人の養女を救い、一人の血の通った娘を置き去りにした。そして、養女になってからしばらくしたある日、詩音は、あの子は、私の存在を知ったの。切嗣が、私を切り捨てて自分をとった、ということを。ふふ、あの子、いったいどうしたと思う?」

「さぁ……」

「殴り飛ばしたそうよ、切嗣のこと。しかもグーで」何がおかしいのか、くつくつと笑いながらイリヤは続ける。「あの子はね、許せなかったそうよ。自分が救われた代わりに、本当の切嗣の娘が捨てられたっていうことが。莫迦よね。あの子は切嗣のせいで、焔の中で何もかも失ったのに。家族も、自分自身も。そんな詩音が、自分以外の誰かの幸福を気にする必要なんてないのに。で、あの子は、私を捨てたことに引け目を感じていた切嗣に無理矢理戦う術を教え込ませたそうよ。切嗣が連れてこないなら、私が連れてくる、って」

 莫迦よね、ホント――そう呟くイリヤの表情は、何処までも優しげだった。

「で、あの子は切嗣が死ぬまで、徹底的に戦い方を学んだそうよ。そこらへんのことはあんまり教えてくれないから、私も詳しくは知らないんだけどね? で、切嗣が死んでしばらくしてから、あの子はアインツベルンに向かい――私をあの場所から連れ出したのよ。で、いろいろあって今に至るってわけ」

 オハナシはこれで御終い、と告げるイリヤに、自分としては、その“いろいろ”のところで何があったのか知りたいが、と考えながら、バゼットは詩音が自分の思っていたよりもとんでもない少女だということを思い知らされた。

 年端の行かない少女が、それを為すにはどれほどの修練を必用としたのか。どれほどの血と汗を流す必用があったのか。バゼットには見当もつかなかった。

 そして同時に、何故にこの姉妹がこれほどまでに互いを溺愛しているのか、ようやく理解できた。ただ姉妹だから、というだけでは説明のつかない深い結びつきは――

「おひゃやうごじゃいましゅう〜」

 眠たげな声が居間に響いた。皆が声のしたほう――開け放たれた襖のほうを見ると、そこには寝惚け眼の詩音がパジャマを着崩しただらしない格好で立っていた。その様子からは、昨日の戦闘のダメージはかけらも感じられない。

 みながそんな詩音の間の抜けた姿に気の抜けるような思いを抱き、ついで挨拶を――

「詩音!」

 ――返す前に、イリヤが物凄い勢いで炬燵を飛び出したかと思うと、詩音を押し倒すほどの勢いで彼女に抱きついた。詩音の胸に顔を埋め、イリヤは詩音の名を連呼する。

「詩音! 詩音! 詩音! 詩音!」

「――おはやう、姉さん」

 そんな姉の様子に、詩音はわずかに面食らいながらも、やあ、と挨拶を。だが、その挨拶を受けた姉は、

「大丈夫? 何処も痛くない? 平気? 苦しくない? 辛くない? ああ、詩音! 詩音!!」

 まったく聞いちゃいなかった。バゼットたちにはなんでもない、と言ったイリヤだったが、やはり心配だったようだ。その様子に苦笑した詩音は、すぐに浮かべた表情から苦いものを消し去り、優しげな微笑みを浮かべ、姉に言う。

「うん、大丈夫よ姉さん。心配かけちゃって御免ね? 私は大丈夫。大丈夫だから」

 だいたい、昨日もおはなししたじゃない、と小さく言って、詩音は姉の頭を撫でた。

「う……ん」頭を撫でる妹の手に、イリヤはくすぐったそうな表情を浮かべながら言う。「でも、良かった。本当に、良かった」

「ホント御免ね?」そこまで言って、詩音はハっと周囲の自分たちを見る視線に気付いた。「あー、その、姉さん? そろそろ離れたほーが」

「どうしてよ」

 妹の言葉に、イリヤはむすっとした表情を浮かべる。詩音はそんなイリヤに困ったような照れたような顔で言った。

「みんな、見てる」

 その言葉にバっとイリヤが顔を上げれば、

「…………」「…………」「…………」

 誰もが顔を赤くして、抱き合う詩音とイリヤのことを食い入るように見ていた。ひゅぼっ、と顔に火のついたようになった姉をよそに、詩音は、きのーもこんなことあったよねー、と何処か第三者的なモノの見方をしていた。ザッツ現実逃避。

「と、とにかく」顔を赤くしながら詩音の体から離れたイリヤは言った。「無事ならいいのよ。あんまり心配かけないでね!」

 照れ隠しだと、誰にでも判るその言い草に、詩音を含めたイリヤ以外のみなが苦笑を浮かべる。そんなみなの反応に、イリヤはさらに顔を赤くした。いけない、なにか違う話題を――そう考えたイリヤの脳裏に、さきほどまで顔を埋めていた妹の胸のことが浮かんだ。

「――詩音、貴女相変わらず胸が薄いのね」

にゃんですと!?」姉が、照れ隠しに何か言うだろうな、と思っていた詩音だったが、この発言には流石に目を丸くした。すぐに怒りで顔を赤くして口を開く。「ね、ねねねっ姉さんに言われたくない姉さんもぺったんこじゃないのさー!?」

「あら」きー!? と腕を振りながら言う詩音に、イリヤは薄く笑う。「私のほうが少しだけど大きいもの」

「むきー!? 変わらない! 変わらないってば!! 姉さんだってぺたんこ――ひぃっ!?

 台詞の途中で、姉にギラリ、と睨まれた詩音は、バーサーカーを前にしたときですらあげなかった悲鳴を漏らす。だが、

「こ、こわくなんてないもん!? こ、これだけは譲れないもん!! ――姉さんのぺたんこ!!

 詩音はありったけの勇気を振り絞って叫んだ。姉の胸をビシィっと指差して叫んだ。叫びまくった。詩音にとっては、けして譲れない一線だったのだろう。普段ならばあっさりと屈してしまうはずの姉の視線に、詩音は抗った。ブレイブハート・詩音。

「――よく言ったわ」

 極北の雪原に吹き荒ぶブリザードですらぬるく感じられる絶対零度の視線と声で言って、イリヤはゆらりと立ち上がった。すっと右拳でガードを作り、左拳をひゅんひゅんと振り子のように振り始めた。そんなイリヤの様子を見て、

「むぅ、あの構えは!!」

「知っているのですか、鐘!?」

 鐘とセイバーが何処かで聞いたことのあるようなやりとりを開始した。一方、額に大往生とでも書いてありそうな勢いでセイバーに解説を始める鐘をよそに、詩音は殺気を放って隠そうともしない姉の構えに、腕を顔の前で十字に重ねて身構えた。こちらもこちらで徹底抗戦の構えだ。

「十字アームブロック――――」

「いや、驚いてないで止めたらどうかね?」

 詩音の構えに再度声を漏らす鐘に、バゼットが突っ込んだ。暇にあかせて見ていたテレビの影響か、寸止めバックハンド付きだった。

「イリヤくん、詩音くんも、そんなしょうもないことで喧嘩してないで――――」

 不用意な一言だった。初見で自分がどのような視線で見られたか、すっかり忘れているとしか思えない発言だった。バゼットは地雷を踏んだ。

「しょうもない」「ことですって!?」

 地雷の信管が起爆した。空中で視線の火花を散らしていた詩音とイリヤが幽鬼を思わせるゆらりとした不気味な動きでバゼットに振り向き、二人して鬼気迫る視線でバゼットに鋭い眼光を叩き付けた。

「ちょっとタッパとムネがあるからって」「私たちにとって大問題で死活問題なことを」

 いままでいがみ合っていたとは思えない呼吸の合わせ方で、二人は叫んだ。

「「しょうもないこととはなんだコノヤロ――――ッッ!?」」

「のわ――――ッッ!?」

 怪鳥のような、ケェェェェェェェェェッッ!! という奇声とともに踊りかかった二人に、バゼットは抵抗できなかった。できるわけがなかった。

「この、この! このムネ! ナニ喰ったらこんなにでかくなるのよ!?」

「反則よチクショウ私にもこの肉をよこせー!!」

「ちょっと柔らかくてふにふにしてるからって何よ何なのよウォラァァァァ!?」

「くやしくなんかないんだってば――――ッッ!!」

 二人に良い様にされるバゼットを、バゼットほどではないが明らかに詩音とイリヤよりは胸のある鐘とセイバーは、居間の片隅でがたがたと震えながら見ているしかなかった。触らぬ神に祟りなし。気が付けば、衛宮邸を包んでいた重苦しい空気は、何時の間にかすっかりと消えていた。代わりに居間は地獄もかくやという修羅場に変わっていたが。


「お昼できましたよぅー」

 詩音が、朝を抜いたぶんだけ手間をかけて、居間に昼食を作って運んできた。ちなみに、居間の片隅には何故か衰弱しきったバゼットが着衣を乱して転がっているが誰も気にした様子は無い。世の中には見なかったことにしたほうが良いことだってあるのだ。南無。

「こ、これは――」

 運ばれてきた料理の豪華さに、セイバーがううむ、と唸り声をあげた。詩音が居間とキッチンを往復するたびに、炬燵の上には料理を載せた皿が増えていき、食卓を絢爛豪華な有様へと変えていく。ただし、セイバーが唸ったのは量の多さにだけではない。そのいずれもが、言い様もなく食欲をさそう、見た目も匂いも素晴らしい代物であったからだ。

「どうやらかなり気合を入れてきたようだな」

 鐘もまた、食卓を見て唸る。ちなみに、バゼットのほうは見向きもしない。

「鐘、詩音は料理が得意なのですか?」

 昨日のどらやきで食いしん坊バンザイっぷりの片鱗を見せていたセイバーは、食卓から一瞬たりとも視線をはずさずに問いを発する。

「そうよ!」何故かスッキリした表情のイリヤがセイバーに応えた。「私の詩音が作る料理はすごいんだから! セイバー、食べて驚きなさい」

 皿を運び終わった詩音が、座に着いた。それを合図にするように、誰もが箸を手に取り――

「「「「いただきます」」」」

 ――食事が始まった。セイバーが礼節を守りつつも、親の仇のような勢いで食事を平らげつつ、その美味さに滂沱と頬を濡らし、イリヤと鐘は、ゆっくりと噛み締め味わいながら、その一つ一つに舌鼓を打つ。詩音は、そんな彼女たちをみながらニコニコとしている。バゼットはダウンしたままだ。

「しかし、むぐ、詩音の、ごくり、料理は、むぐ、とても、ごくり、美味しい」

「喋るか食べるかどっちかになさい、セイバー」

「そんなに美味しかった?」

 苦笑しながら窘めるのはイリヤ。小首を傾げながら問うのは詩音。セイバーは一度端を置き、ナプキンで口元を拭うと言った。

「はい。私はこれほど美味しい料理を口にしたのは初めてです」

「あーセイバーの故郷って――」

「ブリテンです」

「にゃるほど」顔を歪ませつつ答えたセイバーに、詩音は納得顔で頷いた。「そりゃ、まぁ、ちょっとは気持ち判るかも。あそこの料理は雑っていうか大雑把っていうか。あんな豆の煮込みを料理って言われた日にゃあ料理人は立つ瀬がないというかなんというか。くわえてセイバーの生きてた頃って調理法もまだそれほど発達して……羅馬人は調理の文化は持ち込まなかったのかしらん?」

「英吉利人はきっと舌が大雑把な料理しかうけつけないのよ」

 おや? と小首を傾げた詩音に、イリヤが極論を吐いた。

「姉さん、それは偏見というかあまりに極論というか――ってセイバー凄い勢いで頷いてるし!!」

 かつて命懸けで護ろうとした祖国ではあるが、こと食事にかんしては別らしい。セイバーは、イリヤの吐いた暴論にもっともだ、とばかりに頷きまくっていた。いいのか王様王様それでいいのか。

 そんな騎士王さまを見て、ううん、セイバーのイメージが壊れてくるなぁ、と詩音は苦笑した。多少、固いとこはありそうだが付き合いにくい人物(人物?)ではなさそうだ。喚び出したときは、あの風格に圧倒されたものだけど……そこまで考えて、詩音の胸にちくりと痛みが走った。だが、詩音が自分の胸のうちに湧いた感情に何かを思う前に、

「うにゃ? 電話が鳴っとる?」

 襖の向こうから電話の呼び出しベルが響いてきた。詩音は、再び食事に夢中になっている面々とグロッキー状態のバゼットを見て肩を竦めると、こちらを呼び出している電話に向かい、受話器をとった。とたん、

『どーしっておっなかっはへっるのっかなーっ!?』

 詩音は受話器を戻した。溜息をついて居間に戻ろうとする詩音だったが、

「んもうっ!」

 再び電話が鳴る。そのベルの音が心なしか怒っているように聞こえるのは詩音の気のせいであろうか。詩音は仕方なしに受話器をとる。

『どーしていきなし切っちゃうのよぅ!?』

「やかましい。何処の世界にあんな電話をかけてくる阿呆がいるのよ」

 そりゃ電話の向こうに。それは兎も角、詩音のそうした言葉に、この世でただ一人あんなたわけた電話をかけてくる人物、冬木の万年欠食教員は堪えた様子もなく口を開いた。

『もー、詩音ちゃんってば冗談の判らない子ねー? そんなんじゃ行き遅れちゃうぞー?』

 そらこっちの台詞やがな、というツッコミを我慢して、詩音は空いている手で自分の眉間を抑えるとおちゃらけ教員に用件を尋ねた。

「はいはい御心配有難う御座いますー。で、何のようかな? 藤ねえ」

『詩音ちゃんの作った卵焼きが食べたいなー食べたいなー』

「…………」

『それも、とっても分厚い奴!! おねーちゃん、詩音ちゃんの愛の篭った分厚い卵焼きが食べられたらとっても幸せだよぅ』

「…………」

『じゃ! そういうことで!!』

 つーつーつー、という音が受話器から聞こえてきた。うわ、あの虎言うだけ言って切りやがった。なんたる傍若無人っぷり。なんたるゴーイングマイウェイ加減。奴ァきっと大物になるゼ。思わず詩音はそんなことを思ったり思わなかったり。

 とりあえず詩音は居間に戻り、料理を食い尽くした面々に電話のことを話した。若干一命ほど、電話? そんなものが鳴っていましたか? といった表情で詩音の話を聞いている。誰とは言わんが騎士王さまだ。

「てなわけで、弁当こさえて学校に行ってきます」

「しかし、まぁ、大河にも困ったものね」イリヤは苦笑しながら言った。「ヒトの妹をなんだと思ってるのかしら」

「いやまぁ、虎だから仕方ないんじゃないかなー」

 つーか弁当は持参せんかったんかい? と詩音は考え込んだ。もし持参した弁当を食ったあとだったら、それを考慮した量を――いやいや、それでも平然とたいらげそうだな。

「外出ですか?」セイバーが口元についたご飯粒をとりながら言う。とったご飯粒はもちろんパクンと食べる。お米一粒にも七人の神様。「護衛します」

 当然だ、といった顔で言うセイバーを、詩音はまじまじと見た。より正確に言うと、セイバーの纏っている衣装を、である。今のセイバーは、鎧こそ解除して、青いドレスのような服を纏っているが、その意匠は現代人が身に纏うものとしては、何処か大仰で古めかしい。人目を惹くのは免れそうになかった。

「うーん、その格好でついてくるのかなー?」

「――いけませんか?」

「いけないっつーか、頭のまわるマスターだったらセイバーがサーヴァントだって気付くんじゃないかなー、と思って」

 詩音の言葉に、セイバーはううむ、と唸る。

「確かに」詩音の言葉に一理あると感じたのか、セイバーは頷いてみせる。だが、セイバーは、ですが、と続ける。「昨日のような格好をするのは御免被ります。もし無理強いするならば、その代償として令呪を一ついただきますので、そのつもりで」

 昨日の猫耳フード付きコートがよほどお気に召さなかったらしい。セイバーは厳しい表情で言った。ちなみに、バーサーカー戦では猫耳フード付きコートを着用したまま戦いに望んでいる。いろいろダイナシだ。

 セイバーの発言に、どうしたもんかなぁ、と詩音が頭を捻っていると、横から助け舟が出た。

「簡単じゃない」

 発言者は、イリヤだった。妙に楽しそうな顔をしている。詩音は、この顔つきをした姉が碌でもないことを考えているということを、その経験からよく知っていた。

「着替えりゃいいのよ」イリヤは言った。「こんなこともあろうかと、セイバー用の服をいろいろ買ってあるわ」

「その服というのは、昨日のコートのような戯けたものではないでしょうね? もしそうなら――」

「大丈夫よ」厳しい視線を向けるセイバーに、イリヤは答えた。「昨日のはちょっとしたおふざけよ。安心なさい、今度のは普通の服だから」

 じゃ、着替えましょうか、とイリヤはセイバーを連れて居間をあとにした。置いて行かれる形になった詩音は、どんな服着せるつもりなんだろー姉さんってば? と思いながらも、虎に持っていく弁当を作るためにキッチンに向かおうとし、

「あ、そういえば鐘はどうする?」

 ふと足を止め、級友に振り返って尋ねた。

「私、か?」食後の一服を楽しんでいた鐘は、小首を傾げながら答える。「私は、行かないでおこう。顧問に部活を休むと電話しているのでな。見つかると何かと面倒だ。それよりも、着替えやらなにやらを取ってこようと思う。当面は厄介になりそうだからな」

 そう答えた鐘に、詩音は面倒かけちゃって御免ね、と詫びた。そんな詩音に、鐘は気にするな、と笑ってみせた。

「なに、これからしばらく詩音の作った料理を食べることが出来るのだ。むしろ礼を言うのはこちらのほうだろう」

 詩音は友人の言葉に、気を使わせちゃったなぁ、と反省する。

「おっし、それじゃこれから毎日おいしいご飯を作らないとね」

「うむ、期待している」

 そう言い合って、二人は何が可笑しいのか、クスクスと小さく笑いあった。ちなみに、バゼットはまだのびている。












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