助けを求めろ、
抗う声をあげろ、
でなければ、誰も気付かない――
たった一度だけ逢ったその子は、私にそう言って消えた。
あとで、もう一度その言葉を聞きたく思い、いろいろと探し回ったけれど、その子はもう何処にも居なくて。
でも、あの日別れ際に、まるで燃えるような夕日に包まれた公園でその子が私に言った言葉は、何もかもに諦めかけていた私に、ほんの少しの勇気を与えて。
私は、その子に貰った勇気で――
冬の日曜の昼下がり。比較的温かいことで知られる冬木の冬ではあるが、やはり空気が冷たいことはいなめない。それでも、雲ひとつ無い、冬独特の高い青空から降り注ぐ優しげな陽光は、そんな冬の寒さをいくらかでも和らげてくれる。
加えて、だらだらと続く長い坂を登坂しているとあっては、体も充分に温まり、冬の寒さなどさして気にならなくなってしまう。
時折、わずかに白いものの混ざる息を漏らしながら三人の少女たちは、このあたりの名物と化している穂群原学園へと続く坂を、ゆっくりとしたペースで歩いていた。うち、銀髪の背の低い二人の少女は、揃いの黒のコートに身を包んでいる。前からときおり覗く黒の上下も、揃いだ。そして、もう一人、金髪の少女の装いは、
「んー、結局目立っちゃってるねぇ」
銀髪の少女のうち、眼鏡をかけているほうの少女――詩音は、自分の左隣を歩く金髪の少女――サーヴァント・セイバーに苦笑しながら言った。
「あら? 詩音ってば私の見立てにケチをつけるつもりなの?」
もう一人の銀髪の少女――イリヤは、そんな妹に口を尖らせながら小さく抗議した。姉の抗議をうけて、詩音は、ちがうちがう、と首を振る。
「姉さんの選んだ服に文句があるわけじゃないんだけどねー」言って、詩音はセイバーをちらりと見た。「鎧姿じゃあ目立つから着替えたはずなのに――着替えても目立つんだもんなーセイバーちんってば」
事実だった。セイバーは、イリヤが見立てたフェミニンな洋服にその身を包んで、二人のあとをついて歩いている。イリヤの見立てた服のセンスは申し分なく、もとから素材が良いセイバーの魅力を引き出していた。ただ、問題があるとすれば、そんなセイバーにすれ違うヒトがみな注目してしまうことだった。
「つか、どっちかっていうとセイバーちんは楚々とした服のが似合いそうな気がするんだけど?」
通行人の視線にもじもじと恥ずかしげに身を捩じらせているセイバーを見ながら、詩音は首を傾げた。そんな妹に、姉は判っちゃいないわね、と肩を竦めてみせる。
「私も最初はそう思ったわ。でもね、当たり前のことを当たり前にやってみせても面白くないでしょう? 確かに、セイバーは出自が出自だけに、凛とした雰囲気の持ち主だわ。でもね、そんなぴっとした女の子が、フェミニンな服を纏ったら――」
「纏ったら?」
「そのギャップが堪らないのよ」
「――にゃるほど」
力説する姉の言葉に、詩音はもじもじと恥ずかしがるセイバーの姿をまじまじと見て頷いた。確かに、これは萌える。そんなどうでもよさげなことで盛り上がる姉妹に、セイバーは顔を赤らめながら抗議。
「ふ、二人とも、サーヴァントは着せ替え人形ではないのですよ? た、確かに昨日のコートよりはマシですが」
「ならいいじゃない」
何が不満なの? とでも言いたそうな表情でイリヤはセイバーを見る。根本的なところで致命的に意見の相違を感じ取ったセイバーは、マスターである詩音に縋るような視線を送る。だが、詩音はというと、そんなセイバーの視線を見て見ぬふりして明後日の方を向いて口笛を吹いていたりした。
これは駄目だ、と悟ったセイバーはとうとう観念したのか、肩を落として二人のあとをついていく。そうして、一人下がって詩音とイリヤのあとをついていくセイバーは、うららかな、といってもいい周囲の優しげな空気にそぐわないものを――つまりは、この平穏な雰囲気とは正反対の存在である敵がいないか、それと判らないように油断なく警戒する。
幸いなことに、周囲に敵影はおろか、敵の気配、その欠片すら存在していなかった。セイバーも、昨夜、刃を交えた敵――ランサー・クーフーリンが昨日の今日で、しかも昼日中から人目のある場所で攻撃をしかけてはくるまい、とはふんでいたが、なにしろ、自分やランサーの仮初の主である魔術師という人種はどこか頭の具合が妙なふうになっている手合いが多い。セイバーは、生前の経験でそれを嫌というほどに知っていた。ランサーのマスターがトチ狂って白昼堂々と戦いを仕掛けてこない、という保障はどこにもない。警戒するにこしたことはなかった。
セイバーは、魔術師の性質というものに苦い物を感じながら、視線を前に、自分の先を行く背丈の良く似た姉妹に移した。無論、あたりの気配を探ることは怠っていない。
時折、笑みを零しながら楽しげな様子で会話を交わしている銀髪の姉妹を見ながら、セイバーは思った。
(魔術師の頭の具合がおかしいのは知っていましたが)
多分、この姉妹のそれは群を抜いてオカシイに違いない。セイバーは、視線を二人から外さずに、あまりといえばあまりなことを、その内心で思った。でなければ、第一級の使い魔のサーヴァントたる自分に、あんなトンチキな格好をさせるはずがない。ましてや、あんなトンチキな格好のまま戦闘させるはずがない。
脱がなかったのは自分なのだが。
というか、こっそり気に入っていたり――
(――しませんよ?)
自分の頭の中によぎった考えを振り払うように頭を振って、セイバーは自分の主と、その姉である魔術師の姉妹について考え続けた。あの老人を筆頭に、魔術師という手合いはどうにもおかしな人種が多い。もっとも、あの老人のオカシイ方向は、他の魔術師のそれとはいくらかベクトルが違っていたような気がするが――まぁ、オカシイことに代わりはない。
ただ、根源へと『 』へと至るために、己が人生の凡てを――、いやいや、ことによると己が血統の凡てをかけて血道をあげるキ●●イ。それが魔術師という人種だ。常人よりも頭の具合がどうにかなっているほうが正常といってもいい。
(その点)
セイバーは、昨夜の召喚からこちら、ある程度身近で接してきた自分の主人たちの様子を窺う。二人は、まるで、そこいらを歩いている普通の少女たちのように、楽しげに語らいながら歩いていた。その姿に、魔術に携わるものにありがちな奇妙な歪みは感じられない。
(その点、シオンとイリヤは――違う。この二人は)
ヒトとしてオカシイのではない。セイバーはそう断じた。
この二人は、魔術師として異様なのだ。自身が魔術師であることを周囲に隠す――という、基本は抑えている。だが、その在り様は“真っ当な”魔術師が見たならば眉をひそめてしまうようなものだ。セイバーの見る限り、一般的な魔術師に見受けられる、根源への欲求というものが、この二人にはまったく感じられない。
この二人は、いったいどういう――
「ついたわよ、セイバー」
セイバーの思考を遮るようにして、彼女のマスターの言葉が耳朶をうった。声につられるようにして視界を移すと、休日だというのに、何人もの生徒たちが部活動に精を出している校庭と校舎が見えた。と、穂群原の学び舎を視界に収めたセイバーの表情が、わずかに曇った。何かが、妙に気に掛る。
「あら、気付いたの?」
そんなセイバーの表情を見て取ったイリヤが、感心したように言った。
「何か、とまでは判りませんが」イリヤに頷きつつ言う。「何か、妙に引っ掛かるものがあります」
「たいしたもんだねぇ」
姉と従僕のやりとりを見ていた詩音が暢気な口調で言った。
「キャスターってわけでもないでしょうに。そんだけセイバーちんが凄いってことかしらん?」
「いえ」詩音の素直な賛辞に、セイバーは首を振った。「あくまで、何かおかしい、と感じる程度です。おそらく、私の持っている直感のスキルに起因しているものでしょう」
ですから、あまり過大評価されても困ります、とセイバー。これが、こと剣に関ることならば、当然と言わんばかりに誇ってみせるのだが、さしものセイバーも、門外漢である魔術に関るであろうことについては控え目になるらしい。
「そんなもんかねぇ。――と」謙遜するセイバーに、控え目だなぁ、と苦笑していた詩音は、右手に下げてきた重箱の重みを思い出したように言った。「早いとこ、コレを虎に持ってかないと。空腹が過ぎて周りに当り散らしてたりしてたら目も当てらんないわ」
えっと、たしか弓道場は、と首を巡らす詩音に、セイバーは小首を傾げつつたずねた。
「そういえば、シオン。その弁当は誰に持ってきたのです?」
もしかして、ここでピクニックですか? と淡い期待を抱きながらハラペコぶりを発揮するセイバーに答えたのは、イリヤだった。
「藤村大河って言って、私や詩音の姉――のようなヒトよ。お弁当忘れちゃったんだって。それよりも、セイバー、貴女あれだけ食べてまだ食い足りないの?」
「――ここまでに来る道程を歩いたことで、小腹が少々」
姉と従僕の平和なやりとりを耳にしていた詩音は、なんともいえない笑顔を浮かべた。笑顔に諦観が含まれているように見えるのは、おそらく、これからしばらく衛宮家のエンゲル係数が物凄いイキオイで鰻上りに跳ね上がることが回避できないと悟ってのことだろう。詩音は思った。セイバー、燃費悪っ!?
「ま、それはおいといて」エンゲル係数に関して、もはや諦めきった詩音は、気をとりなおして口を開いた。落ち込み気味な気分を盛り上げるためにか、不必要なほど明るい声と表情だ。空元気でも元気。「とにもかくにも、虎ンとこにいきましょう」
弓道場には、幾本もの矢が大気を切り裂く、あるいは的に刺さる音が響いていた。それと、袴が衣ずれする音。そうした意味で、弓道場は一種静謐な空気に包まれていた。
「おっなっかっがっすっいったっのっよぅっ!」
――虎の吼声さえ聞こえてこなければ。
姉と従僕を連れ立って、弓道場に上がった詩音は板張りの道場に入った途端、思わず頭痛を堪えるかのように額を抑えていた。道場に入って彼女がみかけたのは、年長者の、あるいは教育者としての威厳など欠片もなく、空腹による腹立ちから部員たちに無体なことを言いまくっている姉代わりの女性の姿だった。
行き遅れるのを心配すんのは藤ねえのほうだと思う――とてもではないが、女性としての慎み深さなど感じられない顔見知りの言動に、詩音はそう思わざるをえなかった。まぁ、これが藤村大河という人物の味であることは詩音も充分承知しているのだが。
「荒れてるわねぇ」
「荒れてるねぇ」
銀髪の姉妹は、自分たちに過ぎるほどに良くしてくれる女性の言動に、どこか疲れたような微笑を浮かべて言葉を交わした。人間、衣食足りてなんとやら、とはいうけれど。ここまで判りやすい人間もそうおらんのじゃないか――二人は口には出さず、ともにそんなことを考えた。
「お、衛宮ズ」
道場の入り口で、呆れ顔で立っている詩音たちに、キレのいい、快活な声が飛んできた。二人して声のほうに顔を向けると、そこには、肩口のあたりで髪をさっぱりと切り揃えた、胴着に身を包んだ女生徒がいた。
「あ、どうも美綴さん。遅くなってすいません」
詩音は、女生徒――穂群原学園弓道部部長、美綴綾子に軽く頭を下げると、重箱を包んだ風呂敷を掲げてみせた。それを見た綾子の顔が、あからさまな安堵の色に染まる。
「いや、助かったよ」虎繋がりで、詩音たちと多少面識のある綾子は、性格もあるのだろう、粘着質なものを感じさせない親しげな口調で言う。「さっきから、あの調子で無茶なことばっかり言っててさ。正直、困ってたんだ」
「なんというか毎度毎度ウチの虎がご迷惑を」
とほー、と情け無さそうに詩音が言うと、綾子はからからと笑ってみせた。
「ま、あのセンセはあれで良いとこがやまほどあるんだけどね――と、」詩音の情けない顔に、苦笑を浮かべて綾子。「早いとこ、虎に餌をやらないとな。おーい、間桐、間桐――!!」
詩音たちから視線を外した綾子は、さっと道場を見渡すと、目当ての生徒を見つけて声をかけた。
「なんですかー、美綴せんぱーい?」
道場の隅のほうで巻藁練習をしていたその生徒は、手を止め、とことこと小走りに詩音たちのほうに走ってきた。長い、少しばかり不自然な紫に近い色彩の髪が印象的な、体つきの良い女生徒だった。具体的には胸とか胸とか胸とか。
「どうかしたんですかセンパイ――って、なにかこちらの方たちが私のほうをすごい睨んでますけど私なにかしました?」
「うん?」少しばかり怯えた様子の女生徒の言葉に、綾子は詩音たちのほうへ振り返り、「――どうしたんだ、衛宮ズ? ウチの間桐がなんかしたのか?」
「あ、いや」
「なんでもないわ」
その言葉に、駆け寄ってきた女生徒を――というか、女生徒の体の一部分を睨みつけていた詩音とイリヤは、慌てて繕う様に笑みを浮かべ、首を振った。内心では、この世の理不尽さにたいして世界を滅ぼしそうな勢いで呪いの言葉を吐いている。ちくしょう、どいつもこいつもなんで無駄にムネがデカイのよあれね喧嘩うってんだわきっとそうよちくしょうムネのでかい女なんてこの世から滅び去ってしまえばいいのよこんちくしょー!?
「でな、間桐」詩音たちの異様な雰囲気の理由をなんとなく察した綾子は、あえてそれに気付かないような態度で言った。「衛宮ズが弁当持ってきてくれたって藤村センセイに伝えてくれないか――おい、間桐、聞いてる?」
「は、ええ? はい、聞いてますよ?」
詩音の顔を、何かを思い出そうとしているような表情でじぃっと見つめていた女生徒――間桐桜は、綾子の言葉にはっとしたように答えた。
「それで、なんですか美綴先輩?」
「…………聞いてないじゃないか」
はぁ、と溜息をついた綾子は、もう一度用件を繰り返した。
「ええっ!?」綾子から用件をあらためて伝えられた桜は、驚愕と怯えがない交ぜになった顔で叫んだ。「あの状態の藤村先生に近づけっていうんですか先輩!? 無茶ですよ死んじゃいマスよマストダイですよ!!」
せっかく巻き込まれないように隅っこで練習してたのに、と嘆く桜を見ながら、詩音は無茶苦茶言われてんなぁ、虎。と遠い目をした。そんな詩音の慨嘆もよそに、弓道少女たちは喧々諤々と言葉を交わしている。
「安心しろ間桐、お前の犠牲は無駄にはしない」
「犠牲ってすでに死ぬことが決定ですか横暴ですあんまりです!」
「えーい、いいから黙って死んで来い! そしたらみんなでお前の屍を踏みつけて明日に向かって輝かしい前進を始めてやる! おもにその無駄にでかい胸を踏んでやるから安心して黄泉路につけ!」
「酷っ!? わ、わたしだって好きで胸が大きくなったわけじゃありません! なんですかひがみですかそうなんですね!?」
「ヤロウ、誰の胸が小さいって!? わたしゃ人並みのサイズだ! 間桐みたくそんなデカイのが異常なんだ!!」
――なんのはなしなんだろーねー。詩音は、半ば論旨がずれはじめた口論を右から左に聞き流しながら喩えようもないやるせなさに身を包まれていた。いいかー、きみら? 私や姉さんの前でそーいう話題を口にしちゃ駄目だぞー? そのうちぷっつんしちゃうぞー? うふっふふふふふふふ――
詩音が危ない笑みを浮かべ始めたころ、ようやく口論にけりがついた。部長権限を行使した(職権乱用ともいう)綾子が、無理矢理に桜に死への使いに向かわせることで話がまとまったらしい。上級生の横暴にぶちぶちと愚痴を零しつつ、重い足取りで飢えた虎のもとへ向かう桜を、やれやれと、あるいは憐れむような視線で見送っていた詩音たちは、ふたたび会話を交わし始めた。
「そーいや、衛宮はこれからどうするんだ?」
「え、私たち?」問われた詩音は、姉と従僕をちらりと見た。「どーする、姉さん?」
「そうねぇ」妹の視線をうけて、イリヤはしばし考えてから口を開いた。「虎の食餌に付き合うとするわ。私たちが弁当届けただけで帰ったりしたら、またぞろ暴れかねないからね」
意地の悪い笑みを浮かべて言うイリヤに、綾子は違いない、と苦笑を浮かべてみせた。そうして、詩音が何かを考え込むように首を捻っているのに気付いた。
「どーした、衛宮?」
「あ? うん、さっきの子、妙に私のこと凝視してたみたいだけど、私の顔になんかついてたかなーって思って」
「うーん、目と鼻と口?」
「ベタだね」
そんなんじゃ大阪じゃやってけないよ、と笑って詩音はあたりを見渡して、見知った顔がないことに気がついた。
「そーいや、美綴さん、副部長はどうしたの? ほら、えーと、なんていったっけ? ほら、あのワカメみたいな髪の」
「間桐だ、間桐」副部長をワカメ呼ばわりされた綾子は、苦笑しながら教えた。「つーか衛宮、あんた、虎に連れられてここに来た時に自己紹介されてたじゃないか」
「アヤコ。詩音はね、女の子にしか興味ないのよ?」
「――そうなのか?」
「姉さん激しく誤解を呼ぶよーなことを言うのはやめてよしてたださえ囲ってるだのなんだのって誤解されてるのにまた妙な評判が立ったらどうするのよ――って、そこで美綴さんも引かない怯えないだから誤解だってーの!!」
むきー! と地団太を踏む詩音に、イリヤと綾子はくつくつと忍び笑い。
「もう、二人とも……で、その間桐――あ、さっきの子と同じ姓だ。妹さん? その間桐副部長は今日はどうしたの? お休み?」
「へぇ、女の子以外にも興味があるのか、衛宮?」
「その話題はもういいから」
「ごめんごめん」むすー、と頬を膨らまして拗ねてみせる詩音に綾子は笑いながら謝り、言う。「なんでも、ちょっと怪我したらしく、しばらく休むそうだ。今朝、間桐――ああ、妹のほうな――が伝えてきたよ」
「へぇ、そうなんだ」
言って、詩音はイリヤに目配せした。イリヤも、無言で頷く。
「で、どうする? 休憩室でお茶でも呑んでくか? そのうち藤村先生もくるだろうし」
「そうね――姉さん、セイバー、いきましょう?」
綾子に先導されて休憩室に向かう途中、道場のほうでどかーん、だの、がしゃーん、だのと派手な音が響いた。おそらく、桜が虎にやられた音だろう。合掌。
「あれかねぇ」
休憩室で、合流してきた虎や桜(何故かボロボロだった)と一服した詩音たちは、暇なんだから見学していけ、いっそ弓でもひいてみない? ああ、そうだどーせなら入部しちゃえ入部、という虎の誘惑をスルーして、食後の散歩がてらに校内を散策していた。今は、校舎の裏手に広がる雑木林、その落ち葉で敷き詰められたフィールドを歩いている。
「やっぱワカメ副部長は――」
「どうかしらね?」
詩音の口にしかけた疑問に、先回りしてイリヤが異を唱えた。
「まぁ、間桐の家が関っているのは間違いないでしょうけど、間桐の長兄には魔術回路がなくってよ?」
「うーん、私たちみたいにアミュレットで気配を殺してるっていう可能性は?」
「旧い家系だから、その手の道具もないってことはないかも」
互いに疑問を口にして、ことの可能性を探っていく。だが、現状得られている情報だけでは、可能性の幅が大きすぎ、これといったものが得られないでいた。
「間桐、というのは?」
それまで黙っていたセイバーが口を開いた。
「ああ、聖杯戦争のシステムを組み上げた御三家のひとつよ。そーいやぁ、前回の聖杯戦争にも参加してたはずだけど?」
セイバーちんは知らないのん? と首をかしげられたセイバーは、ああ、それは、と答えた。
「情報収集のたぐいは、すべてキリツグが行っていましたから。私は、言われるままに剣を振るっていただけで」
「にゃーる」
いっそ申し訳無さそうに言うセイバーに、詩音は苦笑を浮かべた。私を拾う前の切嗣って、ほんとアレだったんだなぁ――そんなことを考えながら、詩音は落ちていた枯れ枝を蹴った。
「それで、その御三家がどうかしたのですか?」
「うん、そこの長兄が、弓道部を休んでるっていうから、聖杯戦争がらみかなーって。ほら、大抵の魔術師の家系は、長子が家を継ぐじゃない? 順当にいけばそのワカメがこの聖杯戦争に参加してるはずなんだよねぇ」
「ならば話は早い」なにを悩んでいるのか、といった調子でセイバーは言った。「すぐにでもその間桐とやらに突入して――」
「待ちなさい」
いきりたつセイバーに待ったをかけたのは、イリヤだった。顔には、呆れとも苦笑ともつかぬ表情を浮かべている。
「話はそう簡単じゃないのよ。詩音も言っていたでしょう? 順当なら、って。聖杯戦争のために冬木の地に根をおろした間桐の血筋はね、水が合わなかったのかどうか知らないけど、代を重ねるごとに衰退。いま、私たちが話題にしてるその間桐の長子にいたっては、魔術回路がひとつも開いていないって有様なの。セイバー、貴女、魔術のほうは専門じゃないでしょうけど、この聖杯戦争でマスターに選ばれる最低条件ぐらい知っているでしょう?」
「魔術師である、こと――ですか」
「そう」よくできました、と言わんばかりの顔でイリヤは頷いた。「でも、間桐の長子は?」
「魔術師ではない?」
「そこが問題なのよ。可能性はゼロとはいわないけど、限りなく低い。もし、間桐が今回無関係だった場合、無闇に手を出せばいらぬ火傷をおいかねない。廃れたとはいえ、旧い家系である間桐は魔術の大家。何が出てくるとも限らないし、他のマスターの目をひくことにもなりかねない。だから、今は様子見するのが得策なのよ」
おわかり? と言われたセイバーはううむと考え込んだ。王、あるいは指導者と呼ばれる人種にもっとも必要とされる資質の最たるものは、決断力である。これをもたぬ指導者に率いられて下すべき決断を下すべきときに下せずに滅びていった例は、歴史を学べばわかる様に、無数に存在している。そして、王が決断をくだすためには、正確な情報が必要になってくる。曖昧模糊とした情報をたよりに、間違った決断をくだせば、それはそれで亡国への道程を歩む羽目になってしまう。
セイバー――伝説で知られるところのアーサー王、アルトリア・ペンドラゴンという王は、良くも悪くも果断な指導者だった。決断力に優れているといってもいい。そして、その決断をくだす情報――というか、材料を補っていたのは、人格は別として、優秀なことこのうえない魔道士だった。あるいは、アーサーが道を違え始めたのはマーリンを失ってからだといってもいいが、それはまた別の機会に語る。
その果断なセイバーの状況認識によれば、今現在、自分たちの手元にある情報は、決断を下すにはいささか心許ないものであった。くわえて、今の自分の立場は、王ではなく従僕。そして、その自分が仕えるべき主人たちは、今は様子をみるべきだと考えている。
セイバーは、言った。
「イリヤ、どうもあなたの方針に従うのが一番のようですね」
「判ってもらえたようで助かるわ」
「で、これからどーしよーかねぇ?」
自分が口を挟む間もなく、話がきまったことにはなんら文句がなさそうな詩音は、枯れ枝に覆われた空を見上げて言った。冬の高い空に、まるで格子のように枝が掛っているのを見ると、どうも自分が囚人にでもなったような気がしてくるな、と詩音は思った。
「まぁ、夜に街をうろついて――威力偵察ときめこむしかないでしょうね」
「あの青助、こんどあったらギャフンと言わせてやらないとねぇ」
妹の、私憤丸出しの発言にイリヤは首を捻った。
「ああ、詩音はランサーに手酷くやられちゃったんだっけか」
「あー、いや。うん、そう、そうね」
「?」
ぺちゃぱい呼ばわりが腹に据えかねた、とは言えない詩音だった。
冬木の空が、茜色に染まっていた。
西のほうに陽が落ちかけてくると、グラウンドで部活動に精を出していた生徒たちも帰り支度を始めてくる。それは、穂群原学園弓道部の面々も同じだった。各々、自分の道具を片付けて、帰り支度を整えている。
詩音たちは、あれから学園をセイバーに案内して回り、セイバーはその戦闘センスでもって、彼女の主たちが通う学び舎がどうか確認していた。その結果、自分の直感に訴えるものがあった気配――誰が張ったとも知れぬ結界を除き、おおむね安全だと判断した。また、結界のほうも、詩音とイリヤ――というよりもイリヤが施した措置によって、直截的な危険はないものと判断した。
「お、衛宮ズ、藤村先生待ちかい?」
弓道場の玄関で暇を潰していた詩音たちに、支度を整えたらしい綾子が声をかけてきた。身に纏っているものは、胴着ではなく制服だった。
「うん。どうせ晩飯をたかりにくるだろうから、連れて帰ろうと思って」
「なるほどね」
猛獣か何かのように自分の部活の顧問教師のことを言う詩音に、綾子は気持ちの良い笑い声を漏らした。
「と、噂の飢えた冬木の虎のおでましだ」
どーしっておっなかっはへっるのかなー、と歌いながら玄関に現れた虎を見た綾子は、手にしていた外履き――学校指定の黒のローファーを履いて、詩音たちに言った。
「じゃ、私は職員室に行ってから帰るけど――」ちらり、と玄関に現れた虎に視線をよこして綾子は言った。「きちんと虎に餌をやっといてくれよ? 食餌の内容は虎の機嫌に直結してるからね」
「りょーかい」
聞きようによっては酷い内容の会話に苦笑しながら、詩音はぴしり、と敬礼の真似事をして綾子を見送った。入れ違いになるように、虎と、
「あ、桜ちゃん。慎二くんにお大事にっていっておいてねー」
「判りました、じゃあ、藤村先生、おつかれさまでしたー」
桜が玄関の三和土で靴を履き、言葉を交わす。と、玄関に立っている詩音たちに気付いたらしい。虎が、ぶんぶんと手を振った。
「藤ねえ、そんなにしなくても判るから」
「無駄よ、詩音」
肩を落とす詩音に、なにせタイガですもの、とイリヤが諦観を滲ませた口調で言った。
「うん、気のせいかな。おねーちゃんなんか失礼なこと言われてるような気がするよぅ」
「「気のせいじゃない?」」
ステレオで返された不良教師は、むむぅ、と唸ると、それだけで済ませて靴を履いて玄関を出た。どうやら、そんなことよりも今宵の夕餉が気になっているらしい。足早に衛宮邸に向かおうと気もそぞろといった有様だ。
「詩音ちゃん、今夜の晩御飯はなぁに?」
「うーん、商店街で材料選びながら決めようと思ってるんだけど」
「なんだ、まだ決めてないんだ」
言って、大河は振り向いた。はた、と視線がある一点で止まった。
「そーいえば」大河は首をかしげ、たずねた。「その娘、誰?」
――今ごろ気付いたんかい。
詩音とイリヤは思わずそうツッコミそうになった。少なくても、弓道場――最悪でも、その休憩室で気が付いていてもいいはずなのだが。話を切り出す切欠を探していたのだろうか。二人は、はからずとも同じ考えに至り、
((違うわね))
同じようにその考えを否定した。十中八九、空腹と、食餌に夢中で気が付かなかったに違いない。
「――詩音ちゃんもイリヤちゃんもどうしたの? 顔が変よ?」
「「失敬な」」
ステレオで抗議の声をあげる姉妹。つーかそれを言うなら顔が変じゃなくて変な顔をして、だろうが、と詩音は溜息。ええい、こんなんが教師になれる日本って大丈夫なんか。
「で、その娘さんだぁれ? ものすごい別嬪さんだけど」
詩音ちゃんのこれ? と小指を立てて小声で大河。
「ちゃうわ!」
ええい、どいつもこいつも、と詩音は不意に覚えた心因性の頭痛をこらえながら、ツッコミをひとつ。
「その子はね、アリア・セイバー・ドラッヘっていって切嗣の知り合いのお子さんよ。なんでも、切嗣を頼って日本に観光に来たそうなの」
さも事実のように語るのは、イリヤだった。つーか、捻ってるんだか直球なんだか判らないよーな偽名だねぇ、と、詩音は真顔で嘘をつく小悪魔っ娘な姉に感心してみせた。この件に関しては、自分は相槌をうつ程度にしておこう、と思っている。
「はー、切嗣さんの」
そーいや切嗣さん、しょっちゅう外国に行ってたもんねぇ、と大河は感心しているように言う。ちなみに、切嗣が海外から戻るたびに、大河は、乙女心をくすぐられるお土産をもらったものだった(例:メキシコのひょうたん人形)。
「で、肝心の切嗣が亡くなってたってオチ。まぁ、切嗣って筆不精だったみたいだし、私たちもアリアのことを知らなかったから仕方ないって言えば仕方ないんだけどね」
「キリツグには、生前、父も私も良くしてもらって大変助かりました」
今度はセイバーが、事前の打ち合わせもなしにイリヤの嘘に合わせてそれらしいことを言う。まぁ、王様だのなんだのってのは腹芸の一つや二つはかまして当然か、と詩音は妙な納得をした。
「で、今は詩音ちゃんたちのとこに?」
「そうよ。折角、切嗣をたずねてきてくれたんだもん。無碍にはできないでしょう?」
「まぁ、それもそうね」ふむ、と納得して、大河は人懐こい笑顔を浮かべた。「ま、切嗣さんが亡くなってたのは残念だけど、ゆっくりしてってね? えー、アリアちゃん?」
「心遣いいたみいります」
ぺこり、と頭を下げてみせたセイバーに、大河が、ううん、行儀の良い子だよぅ、と感心していると、イリヤが思い出したように口を開いた。
「あ、それから。向こうで私たちが世話になってた女の人も遊びにきてるから」
「にゃんですと!?」
「それと、氷室さんも泊まりにきてる」
「――詩音ちゃんちがハーレムに!?」
「ハーレム言うな」
あたしゃツッコミ疲れたよ、という詩音のとほほな溜息が茜色の空に消えていった。
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