一次創作『宿無し魔王放浪記』

宿無し魔王放浪記

第一章

1・目覚めと顔合わせ

「ここ……何処?」

 低血圧の人間に特有の寝覚めの悪さを証明するような声と表情で舞堂・霧香は呟いた。呟いて、いまだ霞みがかかったような状態の脳で状況整理を試みる。昨日は確か、期末テスト前日で比較的苦手な科目である数学のテスト範囲を徹夜でやっつけていて。ああ、そのまま寝たのか。ベッドに潜った覚えがないし。

「……やばっ!?」

 期末試験のことを思い出して霧香は慌てる。寝起きの悪い霧香の一日は、まず時間差で鬼のような大音響を撒き散らす無数の目覚まし時計を黙らせることから始まる。だが、今日は一日の始まりの儀式ともいえるその行為をしていない。イクォール寝過ごした。慌ててベッドから抜け出ようとして――

「……あれ?」

 そこで気付く、というか寝起きに覚えた違和感を思い出した。なんで潜った覚えの無いベッドで寝ていたのか。いや、無意識のうちにということもあるだろうが、今回はそうじゃない。というか、このベッドは自分の部屋にあるベッドじゃあない。実家であてがわれていた六畳間の自分の部屋にあるベッドはシングルのパイプベッド。間違っても、 「何処の貴族様の持ち物よ、コレ」

 こんなキングサイズの幾重もの飾り布で飾られた天蓋付きの代物なんかではない。というか、自分の六畳間にこんなでかいベッドは入らない。

「…………ここ、何処?」

 完全に目がさめたのか、霧香はあらためて寝起きの際に口にした疑問を呟いた。暗い色調で統一された室内は、霧香の自室どころか実家が二つ三つ建てられるような面積を誇っており、高い天井には豪奢なシャンデリアがあったりする。間違っても自分の部屋などではない。軽く頭を振って室内を見渡した霧香は完璧に覚醒した脳味噌で状況を整理する。

 昨日は徹夜で試験勉強。これはよし。

 で、そのまま机に向かって寝入ったらしい。これもよし。

 目が覚めたら、一流ホテルのスウィートルーム(利用したことなんかないけれど)も真っ青の豪華なお部屋でした。

 …………整理してもどうにもならない。

 霧香は状況を一通り整理して、嘆息する。自分の現状を認識しようにも判断材料が少なすぎる。寝ている間に拉致られたか、と考えないでもないが、絵に描いたような中流家庭に生まれ育った自分を攫って得られるメリットが思い当たらない。第一、攫ってこんな豪華な部屋に放り込んでどうするというのか。

「ああ、もうっ」

 考えが煮詰まった霧香は鴉の濡れ羽のような艶やかな黒髪をぐしゃぐしゃと掻いて癇気を漏らす。と、そのとき。

「失礼します」と一声あったあとに重厚な造りの扉が音もなく開いた。「お目覚めですかキリカ様」

 扉の方に振り向いた霧香に声をかけるのは、どう見ても日本人には見えない、ぱっと見た感じ一九〇ほどはあろうかという長身に見事な銀髪を後に撫で付けた老紳士という表現がしっくりくる男性。黒を基調とした服装は、見たことのないデザインだが落ち着いた意匠と相まって仕立ての良さを窺わせる。

「……誰?」

 先ほどまで頭を支配していた癇気など忘れたかのような醒めた視線でさっと相手を観察した霧香は、感情を感じさせない冷たい声色で問うた。そんな霧香の声と問いに、男は他者には判らぬ程度に片眉を上げて慇懃な口調で霧香に答えた。

「失礼しました。私めはギリアム。ギリアム・ウルベルトと申します」

 答えて恭しく頭を下げたウルベルトを醒めた視線を浴びせながら、日本語巧い外人だな、などと思いつつ霧香は更に問いを重ねる。声色は相変わらずの絶対零度。

「じゃあ、ギリアムさん。ここは何処で、何故私はここにいるんでしょうか?」

 高校二年の一七歳、という霧香の歳から考えれば、ひどい落ち着きようともいえる。もう少し喚いたほうが歳相応という気もするが、これが霧香の性分だった。ワケが判らないからといって喚いても状況が改善されるはずもなし。まぁ、喚いてどうにかなるのなら幾らでも喚くが――大抵の場合どうにもならない。だからこそ霧香はことさら(あるいは過ぎたほどに)冷静になる。もっとも、情けなく喚く姿を見知らぬ相手に見られたくない、というのもあるが。そんな霧香に、こちらも変わらぬ慇懃さでギリアムが答えた。

「ここは魔王城で、貴女様が魔王陛下だからで御座います」

「はぁ?」

 返ってきた答え――予想外の珍奇なそれ――に霧香は思わず間の抜けた声を漏らす。が、ギリアムは何処までも真面目そうな表情である。しばし痛いほどの静寂が二人の間に訪れ、珍奇な回答にフリーズしていた霧香はその静寂を打ち破るべく改めて問う。

「わ、わんもあぷりーず?」

「ここは魔王城で、貴女様が魔王陛下だからで御座います」

棒読み日本語発音の問いに返ってきた答えは、先ほどと一言一句違わぬものだった。じぃ、とギリアムの顔を見ればやはりそこに見て取れる表情は真面目で真剣なもの。どうやら本気で言っているらしいと悟った霧香は、ギリアムから視線を外し、しばらく室内を見渡して頭痛を堪えるかのように右手でこめかみを揉んだ。

 ――やばい。イタイ人だ。面妖しいな、春はまだ先のはずなんだが。

 随分と失礼な感想を頭の中で呟く。勿体無い。俳優――コネリーとタメはれそうな渋いオッサンなのにイタイ人とは。あとでそれとなく病院に行くことを勧めてあげよう。とまれ、今はとりあえずこの可哀想なギリアムさんに話を合わせなければ。イタイ人を下手に刺激するとどうなるか判ったもんじゃないし。

「……魔王、ですか」

 魔王つったらあれだよなー。霧香は幾分優しげな(可哀想な人を労わるような)声色でギリアムの発した言葉に含まれていた単語を鸚鵡返しに口にしながら考える。バ●モスとか、そういうのだよなー。あっはっはっは、魔王。つーかバラ●スってちっとも魔王っぽいデザインじゃないよねぇ。なんつーか何処となく間抜けで。

「左様、魔王で御座います」脳内で若干逃避の入った思考を繰り広げる霧香を他所に、ギリアムは深みのあるバリトンで言う。「霧香様は魔王として選ばれたのです」

「私が、ですか」よし、逃避終わり――と脳内で呟いた霧香はギリアムに応対する。ここからは真剣勝負。イタイ人相手に下手な対応は出来ない。「どうして、と聞いてもよろしいですか?」

 微妙に間違ったベクトルに真剣な霧香に、ギリアムは軽く頷きを返して言う。

「霧香様の問いに答えるには、少々長い話をせねばなりませんが――」言ってギリアムは自分に頷く霧香を見て、言葉を続ける。「まずは、魔王というものについてご説明させていただきます。魔王というのは、この魔界を満たす魔力を調整する存在なので御座います」

「魔力ですか」

 こらまたおファンタジーなお話で、などとはおくびにも出さず霧香はギリアムに先を促す。

「魔力で御座います。魔界には人界など比べ物にならぬほどの魔力が満ち満ちているのですが、この膨大な魔力、放っておけば荒れ狂い、果てには魔界を滅ぼしてしまうものなのです。そこで、魔界と魔界に満ちた魔力に認められたものが魔王となってこれを調整するのです」

 ここまでは宜しいですか、と目で問うギリアムに霧香は軽く頷く。それを見て、ギリアムは説明を再開する。

「魔王となったものは、その寿命が尽きるとき、次代の魔王を適性を持ったものから選定し、その力を託すのですが――先代魔王の寿命が尽きようとしているにも関わらず、魔界に適性を持ったものが現れなかったのです。我々は慌ててこの魔界の隅から隅まで果ては人界や妖精界まで探索の手を伸ばしたのですが……」

「見つからなかった、と?」

 霧香の合いの手にギリアムは、左様、と頷き言う。

「そこで先代陛下は残った寿命と力を持ってこの世界の外へと思念を飛ばし、キリカ様を見つけお連れしたのです」

 異世界ネタかよ。霧香は内心で突っ込む。いやいや季節外れの頭の痛い人の妄想にしてはなかなか筋が通った話だね? 話を合わせるのはいいんだが、どうやって家に帰ろう。近場だったらいいんだけど、近所にこんな部屋が収まるような建物ないし。あれだよなぁ、県外とかかなぁ。一晩で移動できる距離……車を使ったとしたらどれぐらいの距離なんだろう――などと霧香が欠片も顔には出さず考えていたら、

「どうもキリカ様は私めの話を信じてらっしゃらないようですな」

 溜息混じりに指摘された。

(ばれたっ!?)

 瞬間、霧香はびくりと身体を震わせる。生まれてこの方、内心を悟られたことなんかないっていうのに!? おかげで感情の読めない女、何を考えているか判らない冷血女、はてはぶっきらぼうな態度と相まって『鉄の女』と呼ばれた霧香はこの目の前にいるイタイおっさんに驚愕した。ちなみに、比較的親しい知人から主に男子生徒がそう呼ぶ『鉄の女』という呼び名を知らされたときには、「わたしゃサッチャーか」と一人ツッコミを入れたことは余談である。

「まぁ、いきなりこのような話をしても信じてもらえぬのは致し方ないでしょうな」思考を悟られたことで動揺する霧香を尻目に、ギリアムは嘆息する。「ですが、これを見ていただければ幾らか信じていただけるかと」

 言ってギリアムは窓に歩み寄ると、そこに掛っていた豪奢なレースで飾られたカーテンをさっと開け放った。そして、窓から見える光景に霧香は思わず息を呑み――

「――――ッッ!?」

 ベッドから飛び降りると窓に駆け寄り、そこに手を付き食い入るようにして窓から見える風景を睨む。

「なに……これ……」

 見慣れた日本的風景――瓦葺の家屋やコンクリート製のビルディング、あるいは日本的情景の最たるものである電柱と電線に覆われた街並みはそこに存在していなかった。窓の外には見たこともない奇妙な樹木が鬱蒼と茂り、霞みが掛ったような空には青と赤の二つの月が朧げに浮かんでおりあまつさえ翼竜のような奇妙なシルエットのものが飛んでいたりする。

 あるいは窓を装った画面に映し出された映像かと思いおぼつかない手付きで窓を開け放てば、

「――――」

 刺すような冷たい空気と、窓から見える光景は変わらずにそこに存在していた。その圧倒的な存在感を前に霧香は脱力し、その場にへたり込んで呆然とした様子で呟いた。

「イタイ妄想じゃなかったんだ……」





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