一次創作『宿無し魔王放浪記』

宿無し魔王放浪記

第一章

4・邂逅と入門

 ハロウド・ヒルウィンは魔法使いであった。人界で広く使われている精霊魔法の、まぁ贔屓目に見ても上等な部類に入るであろう使い手だ。四大精霊である地水火風はいうにおよばず、様々な精霊と交感し、その力を行使できる技量は他の魔法使いたちの間でも広く知られている。が、そんな高名なハロウドだったが、彼は名誉や栄達を望むことなく、片田舎の森の中でひっそりと暮らしていた。たまに、森から幾らか離れた小さな村で雨が降らない時に大気の精霊に雨乞いをしたり、あるいは森に自生する様々な薬草を調合して薬を作りそれを村人と食料その他と交換して活計をたてる――そんな慎ましい生活を送っていた。

 そんなハロウドは、今日、手持ちの量が寂しくなってきた薬草を摘みに森の中を散策していた。鬱蒼と生い茂る――とまではいかない多様な広葉樹で形成された森には、森林独特の静謐かつ健やかな大気が満ち満ちており、木々の合間から差し込む木漏れ日がひどく心地良い。薬草摘み、という目的を忘れて思わず散策を純粋に愉しみたくなってしまうような環境だった。

 森の中にある丸太を重ねて作ったような自宅から幾らか離れた小川のほとり。そこが今日の彼の目的地であった。清らかな水辺にだけ生える、火傷に良く効く薬の材料である薬草を摘みにきたのだ。森を渡るささやかな風の音と、さらさらと流れる小川の水音を耳に心地良く感じながら、ハロウドは薬草の自生していそうな水辺を探して歩く。と、

「――うん?」

 彼は何かに気がついたらしく呟きを漏らした。丸眼鏡の奥の柔和なつくりの双眸を細めて目を凝らすと、少し離れた小川の上流のほうから何か黒いものが流れてくる。

「あれは――――人、ですか?」


「…………知らない天井だわ」

 目を覚ました霧香はそう呟いた。某アニメ番組の台詞の引用だが、彼女が寝起きにまったく見覚えの無い天井を目にするのは昨日に引き続きこれが二度目であった。専門用語で言うなら、てんどん、というやつだ。同じボケを二度繰り返すことで笑いをとる――そんな上級テクニックだ。ちなみに、これが三度目四度目となるとよほど腕のある芸人でもない限りスベって寒いことこの上ないので手荒く注意が必要である。

「や、そんなマニアックな知識はどうでもいいとして」誰に言うでもなく訳のわからないことを口にした霧香は低血圧者特有の寝起きの悪い顔でぼんやりと視界に広がる天井を見る。「……ここ、何処?」

 少なくても実家の自室ではない。ましてや、拉致られあてがわれた寝室ではない。あの寝室の豪奢なベッドに仰向けになって見えるのは天蓋の微に至り細に至る綺麗な刺繍のほどこされた飾り布だ。間違っても剥き出しの木材にしっくいを塗りこんだ屋根裏でもなければ、梁と梁の間に使っていない道具を載せてある貧乏臭い光景などではない。

 そういえば、横になっているベッドもなにやらごわごわとしている。シーツこそ清潔そうな按配だが、感触からして藁か何か詰めてあるのではないだろうか。ごろり、と身を捩ってみたときに得られるはずのスプリングの心地良い反発はどこにもない。

 反動でずり落ちそうになる薄手の毛布を落ちないように掴み押さえながら、霧香は気だるそうな様子でゆっくりと上半身を起こす。それで得られた視界に飛び込んできた光景は、なんとも簡素なつくりの部屋だった。広さは彼女の実家、その自室と大差ない程度。壁は丸太をを組み上げて造ってあると見ただけでわかる手の込んでいない――造り自体はしっかりしていそうだが――感じ。調度の類は無きに等しく、申し訳程度に、細工もなにもない簡素な木製のテーブルと椅子がぽつねんと置いてある程度だった。何もかもが、あの豪奢な寝室の対極であった。もっとも、彼女自身の感性――経済的視点からみるとごく一般的な中流家庭に生まれ育った彼女自身の感性からすると、豪奢すぎてどうにも息の詰まるあの寝室より、この部屋のほうがよほど心地良い。が、それはそれとして。

「だから、ここ……何処?」


 ハロウドは、摘んできた薬草を臼で挽きながら、拾ってきた少女のことを考えていた。若い頃に世界中を放浪したが、あんな黒髪の人種を目にしたことはいままでなかった。いったい、何処の生まれなのだろう――ハロルドはそう考える。

(それよりなにより)

 一番気になったのは、彼女の首にかせられていたあの黒々とした首輪だ。彼女の髪と同じ黒い色の首輪は、やはり彼女の髪と同じく見たこともない素材で出来ていた。錬金術も多少はかじったことのあるハロウドの知識の中には、あんな素材――金属とも石材とも判別できないような素材は存在しなかった。あるいは、何処にも継ぎ目の類が見当たらなかったことから考えて、何か魔術的なものなのだろうか、と推測する。実際、その推測は当たらずとも遠からずといったものなのだがハロウドにはそんなことは判らない。ただ、そんなものをはめている――あるいははめられている彼女の存在が気になった。

 奴隷か何かだろうか。権力者その他の人々によって家畜同然の扱いを受ける人々。何処の国も法でその所持あるいは奴隷制度自体を禁じているので可能性は少ないかもしれないが、世の中には何処であろうと暗部というものが存在する。法で禁じられていようと、奴隷の存在が皆無というわけではない。あるいは、随分と整った顔の造りの娘だから、娼館にでも身売りされた娘なのかも。着せ方も脱がせ方も判らない綺麗な黒いドレスを身に纏っていたことからも在り得ない話ではない。

 ――――可哀想な少女なんですね。

 霧香が聞いたら烈火の如く怒りそうな早合点をしながらハロウドはひとりうんうんと頷く。頷いて、考え事をしているうちに何時の間にか挽き終えていた薬草を、木をくりぬいて作った容器に移し替え、新しい薬草を臼に、

「おや?」

 入れようとしたとき、少女を横にした部屋の方から衣擦れの小さな音が聞こえた。どうやら目を覚ましたらしい。ハロウドはとりあえず手にした薬草を作業机の上において、椅子から腰をあげた。

「とりあえず、ご挨拶といきましょうか」

 随分と長い間腰掛けていたことで固くなった腰に手を当てながら一人ごちる。そう、なるべく刺激しないようにして対応しないと。娼館での酷い仕打ちに耐えかねて命からがら逃げ延びてきた可哀想な少女なのだから。優しくしてあげないと。

 少女の身の上を思って不意に目尻に滲んだ涙を拭いながら霧香のいる部屋に向かうハロウドは見事に早合点したままだった。


「えと、確か――」まったく覚えの無い部屋で眉間に皺を寄せながら霧香は記憶の糸を辿る。「昨日は、異世界に拉致られて魔王になって」

 よく考えると誇大妄想か電波でしかない事実をぶつぶつと呟きながら、果たして自分に何が起こったのか思い出そうとする。うん、美味しい朝ご飯を食べて、ウィルニアと友達になって、いろいろお喋りして、お風呂に入ろうとしたらウィルニアが一緒に入ろうとしてきて慌てて――くそう、あんなたゆんたゆんなおっぱい反則よ反則レッドカードよ退場モンよジュネーブ条約違反よ――、それから、それ、か、ら――

 不意に背筋にぞくりと悪寒を覚えて霧香は知らず知らずのうちに我が身を包むように抱きしめた。そう、お風呂から上がってしばらくしたあと、あのクソッタレな莫迦王子がやってきて、

「――乱暴されかけたんだ、私」

 そのときの恐怖を思い出し、霧香はあらためて怖気をふるう。生まれてこのかた一七年間、男に縁の無かった霧香にとってそれは始めての根源的恐怖であった。クラスメートの中には初体験はおろか男漁りをしている猛者もいたと耳にしていたが、霧香にとってその手の話題は未知の領域だった。数少ない友人はみなどこかおっとりとしていて、その手の話に積極的でなかったことも、霧香が性に関する話題から遠退くことに拍車をかけていた。

 ただ、霧香が幼い頃に母親が儚くなって以来、男手一つで彼女を育ててきた父親は、「いいか? 霧香。一歩家を出ればお前には少なくても七人の敵がいると思え。特に男は要注意だ。いいか、男は狼だ。野獣だ。笑顔で優しくしつつ裏でエロいこと考えて鼻息荒くしてるエロビーストだ。警戒しろ、警戒しろ、警戒しろ! そんなわけでお前には俺がエロい危機から身を守る術を実地で叩き込むので今日から俺を師匠と呼ぶように!」などとほざいて着替えや入浴時の覗き、果ては夜這いに至るセクハラ行為をしまくってきたが(そして霧香はそれをことごとく撃退してきた)。

 とはいえ、それはある種、子を思う親心の発露(どんな親心の発露の仕方だ、と霧香は常々思っていた)であり、本気でエロいことしようとしていたわけではない。いや、手段手管はことごとく気合に満ちたマヂ行為だった。なるほど実地で叩き込むというだけあるわねと霧香は今更ながらに妙な感心の仕方をする。それはおいといて、そうした父親の行為とはことなり、昨夜のクラヌウスのそれはまったく別種のものだった。こちらを蹂躙し、犯そうとしていたあの目、あの荒い吐息。思い出すだけで総毛立つ。

「すごいピンチだったのね」

 あらためてそう思い、霧香は深い溜息を漏らす。そして、思い出した。あの時、クラヌウスのこちらを蹂躙せんとする手が自分の局部に及ぼうとしたとき、霧香はギリアムの手により封じられた魔力を一時的な感情の高まりから暴発――初めて魔力を行使したときなど問題にならないようなレヴェルで――させたのだ。おかげで危地を脱することが出来たのは紙一重の幸運というべきか。まさに禍福はあざなえる縄の如し、といえる。だが、

「――――それとこの見覚えの無い部屋がどう繋がるのかしら?」

 ううん、と霧香が眉をひそめたとき。扉の向こうからとんとん、というノックをする音が聞こえた。その後に、

「失礼しますよ?」

 と断りを入れて扉が開かれ、一人の男が入ってきた。栗色の髪をした、ぱっと見た感じ自分とそう変わらない年頃の男だった。背は一六〇ほど――くそう、どうしてどいつもこいつも人のコンプレックス(霧香は自分の高い身長を薄い胸と同じぐらい気にしていた)刺激するような容姿なのよ――で、麻か何かで編んだ貫頭衣を纏い、それを腰のあたりで動物の皮か何かで出来ている紐で結んでいた。体格はがっしりとしているわけではなく、痩身中背といった感じ。比較的整っている部類に類別される顔立ちは、丸眼鏡も相まって知的な印象をうける。映画か何かで観た修道士みたいだ、と霧香は思った。

「目を覚ましたようですね」

 よかった、と霧香の言うところの修道士――ハロウドは安堵の溜息をついた。そんなハロウドの様子に、少なくても悪い人ではないようだ、と仮判断を下した霧香は、とりあえず事情の説明を求めることにした。

「失礼ですが、ここは?」

「ああ、失礼」霧香の短い、そして要点をついた問いにハロウドは軽く頭を下げる。「まずは自己紹介を。私は、ハロウド・ヒルウィン。魔法使い――魔道士です。そして、ここはイニムの森の中にある私の家です。薬草摘みに行った先で、川から流れてきた貴女を見つけ、とりあえず私の家に連れてきたんですよ」

「川から流れて?」判り易く状況を説明してくれたハロウドの言葉に、霧香は首をかしげた。川? つーか魔法使いとはまた、おファンタジーな単語が出てきたもんだわ。まぁ、魔王だの魔界だのがあるんだから魔法使いもアリなんでしょうけど。「私が、ですか?」

「覚えていないんですか?」ハロウドは自分の答えに疑問で返した霧香に軽く眉をあげて見せる。「こう、うつぶせになって、どんぶらこーどんぶらこー、って。見つけたときは水死体かと思いました。いや、生きてて良かった」

 どこかおっとりとしていて、かつ間の抜けたような調子でいうハロウドに、霧香は悪人じゃないかもしれないけど面倒そうな人間だ、と言う評価を下す。助けられておいて失礼な判断だ。が、そんな内心とは裏腹に霧香は丁寧な調子で言葉を紡ぐ。

「いえ、その、記憶が混乱していて――覚えていません」

「そうですか」ふむん、と唸ってハロウドは質問を重ねる。「では、貴女が何処から来たか、はどうですか?」

「何処から、来た――ですか?」

「ええ、何処から来たか、です。貴女の髪、黒いですよね? 私はこの大陸やカウチェ、それにヤトウの方も旅したことがあるのですが、貴女の様な黒髪を持った人は見たことが無いし、また、そんな人種がいるというのも聞いたことがない。出来れば聞かせてほしいのですが」 ふむ、と霧香は考え込んだ。素直に話すべきか――そう考えて、霧香はウィルニアの語った言葉を思い出す。魔族と見れば恐れ戦き遠ざけようと離れようとする人間の方々――彼女はそう言っていた。であるならば自分の立場を素直に語るべきではないのかも。異世界から来た、魔王。うん、やめておいたほうがいいな。

「いえ、すいません――覚えて、いないんです……」

 本当のことは伏せておいたがいい、という判断のもとに答えた霧香は嘘をつく、だが、その嘘を――

(ううん、何か隠していますね?)

 ハロウドは魔道士としての直感から見破った。確かに、霧香の言葉はそのしおらしい態度という演技も相まって迫真の域に迫るものであり、並みの者であらば騙されていただろう。だが、ハロウドはおっとりしているように見えて若い頃は冒険者として人生の経験をいやというほどに積んでおり並の人間などではなかったのだ。相手が悪かった、といえる。だが、ハロウドはそのことを問い詰めようとはしなかった。

(そうですね。人には言えない辛いこともあったのでしょう――初めて顔を合わせたばかりの人間にそんなことを話せ、というのも酷ですし)

 ――若い娘ですし。娼婦だった、なんて言えないのでしょうね。ハロウドはそう納得した。彼はけして娼婦――売春婦という職種に差別的意識をもっているわけではなかったが、一般的常識から歳若い娘が不特定多数の男たちに身体を売っていたと告白するのは辛いのだろうと判断したのだ。それは常識的に見てまったく道理に適った判断であり、また事実からほど遠いものであった。こうして、ハロウドは自分の早合点を正す機会を失った。

「そうですか……大変だったのですね」

(――――や、深く追求されないのは有難いのだけど。だけど、なんだろう? 妙に腹立つこの不思議な感情は)

 微かな同情――記憶がどうのという理由とはまた違う同情と憐憫をハロウドの言葉から感じ取った霧香は微かに眉をひそめた。彼女もまた、ハロウド並に鋭い嗅覚を有していた。とはいえ、流石に自分が逃げ出した元娼婦だと思われているとは気付かない。気付いていたらまず間違いなくハロウドをしばき倒して血の海に沈めていただろうから気付かなくて幸いといえる。禍福はあざなえる縄の如しぱーとつー。

「あ、でも名前は覚えているんです」

 流石に命の恩人――うつ伏せのまま川を流れていたら溺死する――に嘘で固めたことを言うのは気が引けたのか、霧香はそう言って自分の名を告げる。

「舞堂・霧香っていうんです」

「マイドー・キリカですか? マイドーというのは珍しい名前ですね?」

 ううん、そんな語感の女性名をつける地方はあったか? とハロウドが首を捻ると、ああ、違いますと霧香が説明した。

「霧香、霧香が名前です。私の国では名前が姓のあとに来るんです」

「なるほど」ハロウドが霧香の言葉に納得したように頷く。霧香が無意識のうちに使った、『私の国』という言葉にはあえて触れない。「ヤトウなんかと同じ習慣ですね。なるほど、キリカですか。エウィン種の花と同じ名前ですか。良い名前です」

「花ですか」

「ええ。知りませんか? ああ、丁度家の裏手の菜園に生えているので見て見ますか?」

 根が解熱作用のある薬の元になるんですよ、と笑いながら言うハロウドに霧香はじゃあ見せていただきますか? と言ってベッドから起き、床に足をついた。その拍子に身体を覆っていた薄手の毛布がはらりと落ち――

「な――――――ッ!?」

 そこから現れたのは一糸纏わぬ霧香の白く細い裸体だった。

「な、ななな、なな――――!?」

 突然の事態に霧香は硬直し、露になった裸体を隠そうともせずに意味をもたぬ音を口から漏らす。そんな霧香に、ああ、と、なんでもないと言わんばかりの様子でハロウドが説明した。

「いやぁ、流石にびしょぬれのままで寝かす訳にもいかなかったので脱がさせてもらいました」

 脱がし方が判らなかったので鋏を入れさせてもらいました、すいませんね? そんなことを言うハロウドを他所に、霧香の脳裏はたったひとつのことがグルグルと巡っていた。それは、

(み、みみ、見られた! ぜ、全部見られた!?)

 親父殿にも見られたことが無いのに! ア●ロの台詞のもじりを心の中で叫んでから、霧香はようやくフリーズから再起動し、とりあえず自分の隠すべきところをハロウドの目から遮るように慌ててその場にしゃがみ込み、薄い胸と局部を手で隠した。

「う、うう〜」

 全身茹蛸のようになりながら霧香は唸った。

「一応、ベッドの横に着替えを置いていたんですが……」

 気付きませんでした? とハロウドがフォローなのか自己弁護なのか判別の難しい台詞を言う。その台詞に、霧香がちらりとベッドの横を見れば、なるほど確かにハロウドの着ているものと同じような貫頭衣と紐が置いてあった。呻く。ちくしょう、見られ損だ。せめてこの眼鏡に非があれば八つ当たり出来るってのに。ちくしょう、こっちに来てから自爆ばっかりだわ。何の呪いよコン畜生め。

「あー、着替えたら案内しますね?」

 流石にいたたまれなくなったのか、ハロウドはそう告げて部屋をあとにした。

「うう、ストレスが、ストレスが〜」


「それで、キリカ」着替え、落ち着いてから、キリカの花を見せたあとで屋内に戻ったハロウドはテーブルを挟んで彼の淹れた薬茶を口にする霧香にたずねた。「これからどうします?」

「どう、というのは?」

 キリカの花――まるで彼女の髪のような黒い、そして美しい花弁をもった花――の根を煎じて淹れた茶の味を愉しみつつ霧香は首をかしげた。薬茶は、多少癖があるものの十分に美味だった。

「これからどうするか、です。どうも、見たところお金も持っていないようですし」

 ハロウドの言葉に、霧香はああ、と頷く。本来ならば魔界に帰るというのが選ぶべき選択なのだろうが、どうやってここに辿り付いたかさえ判らない霧香にその選択は選べない。というか帰り方が判らない。ううん、どうしよう。

「よければ――」唸りながら悩み出した霧香に、ハロウドは一つ提案。「私のもとで魔法を学んでみませんか?」

「魔法、ですか」

「はい。貴女がこれからどうするにしろ、学んでいても損は無いと思いますよ」

 その提案に、霧香は悪くない話だ、と思う。だが、

「随分と親切にしてくれるんですね?」

 霧香は無償の好意というものを信じていなかった。ひねているといえばその通りなのだが、彼女は、美味い話には裏があると信じてやまないタチの人間だった。あるいは、無償の好意というものもあるのかも知れないとも思うが、あったとしてもそれは持てる者が持たざる者に向ける優越感の一種だと確信していた。対等な関係における相互扶助なら望むところだが、同情で差し伸べられる救いの手などまっぴらごめん――霧香はそう考える。そんな霧香の考えを悟ったというわけではないのだろうが、ハロウドは苦く笑いながら言う。

「いえ、別に親切というわけでもないですよ。代わりに、私の身の回りの世話や、薬作りの助手や材料集めなんかをやってもらいますから。私はそんなことはない、と思うんですが、知人に言わせれば私はとても不精な性格らしいので、そういう方がいるととても助かるのです」

 その言葉に霧香はさっと自分たちのいる部屋の様子を見る。なるほど、確かにあちらこちらに薬作りに使う道具らしきものが無造作に散らばっていたり、ゴミが散乱したりしている。不精ってのは本当らしい。

「それに、一度助けた人を途中で放り出すというのはどうにも気分が悪くて――ああ、これって親切の部類に入るんですかね? 駄目だなぁ矛盾してるなぁ、ううん」

 そう一人で悩み出すハロウドを見て霧香は、ああ、コイツは雨の日に捨てられた仔猫を見かけたら放っておけないタチの人間だな、と思った。下手をすれば自分の食費を削ってまで猫の餌代を捻出する類の人間だ。つまりはまぎれもない善人。霧香はそう考え、ハロウドに気付かれない程度に優しい笑みを浮かべる。うん、きっちり条件を先に言うところも気に入った。悪くない。うん、悪くないわ。

「じゃあ、お願いします」

「はい?」

 霧香の言葉に、一人思考の海に沈んでいたハロウドは珍妙な声を出した。

「ですから」笑みを苦笑に代えて霧香はハロウドに言う。「魔法を教えていただける、という話です。お願い――してもよろしいですか」

「ああ」得心がいったとばかりにハロウドは手を叩いた。「ええ、はい。もちろんです。いやぁ助かるなぁ」

 助かるのはこっちなんだけどなぁ、霧香はこのお人好しの魔法使いに苦笑した。ううん、それにしてもウィルニアさんといい、このハロウドさんといい、こっちに来てから良い人にやたら巡り合うなぁ。向こうじゃ滅多に出会えなかったっていうのに。運が良いのか悪いのか――うう、何時か一気に反動が来そうで怖くもあるわね。それはともかく。これからお世話になるんだからきちんとご挨拶。

「じゃあ、これからお願いしますね? 先生」




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