一次創作『宿無し魔王放浪記』

宿無し魔王放浪記

第一章

5・学習と実践

 森の朝は、早い。いや、森の朝が早い、というよりもそこに暮らす人の朝が早いというべきだろう。ここで指す『森で暮らす人々』というのは森人と呼ばれる妖精種や、狩人などといった森林に生活の糧を求めて出入りする人々ではなく、人の営みから隠れるようにして暮らす魔法使いハロウド・ヒルウィンと、その最も新しい弟子である異世界から召喚された魔王、元女子高生の舞堂・霧香の二人のことを言う。

「くぁああぁぁ」

 年頃の娘らしく可愛らしいが、しかし盛大なあくびを大きく開けた口から漏らして、霧香は木の桶を両手に持ってハロウドの家から少し歩いたところにある小川まで水を汲みに歩く。あたりはまだ薄暗く、背後を見ればなるほど言われて見れば魔法使いの秘密の隠れ家という気がしないでもない朝霧とも薄靄ともつかぬものの中にたたずむハロウドの家、その黒いシルエットが見える。夢見がちな少女であれば、これぞまさに幻想的な光景、その典型とばかりにうっとりしそうなシチュエーションであったが、夢見がちという類型からは程遠く、また重度の低血圧人間である霧香はロマン溢るる森の光景になど欠片も心動かされなかった。ひたすら眠い。ただただ眠い。霧香の脳裏を占める思いはそれだけだった。

とはいえ、だからといって、寝心地という点からみるといささか難のあるあの枯れ草を敷き詰めたベッドで思う様安眠を貪るという贅沢を味わうわけにもいかなかった。霧香を弟子としてとり当面の生活を約束したハロウドは確かに紛れもない善人だったが、彼女の世話を見る代わりに提示した条件の履行を求めぬほどお人好しというわけではない。だからこそ、霧香はハロウドを信頼するに足る善人と判断し相互扶助といってもいい条件を呑んで彼の弟子になったのだ。

そして、その『信頼するに足る善人』であるハロウドは弟子入り翌日であるこの日の朝から霧香に契約の履行を求めた。つまり、完全に寝入っている霧香をその押しの弱そうな外見からは想像出来ぬほどの強引さで叩き起こし、ぱっと見一〇リットルほどの水を汲み取ることが出来るであろう大きさの桶を目をしぱしぱとさせている彼女に二つ押し付け、その日に使う水を汲みにいくことを命じたのだ。もっとも、それは命令というよりもお願いといった感じのするものであったあたりが、ハロウドの人柄の良さをしのばせる。

お願いします、と笑顔で言われた霧香は低血圧者であることを用意に見て取れる寝起き独特の剣呑と言っても良い不機嫌な顔を浮かべたが、流石に自分で受け入れた条件だけあって唸るような返事を返した後でかの家の扉をくぐり外へでた。もっとも、その背中からは不満たらたらといった雰囲気が容易にみてとれたのだが。そして、そんな彼女を苦笑しながら見送るハロウドの視線を背に受けて彼女は森を奥へと進んだ。流石に、しんとした朝の森の空気を呼吸しながら歩いているうちに、霞みがかかったような状態であった霧香の脳は次第に覚醒していき、なかばとろんとしていたその双眸には彼女が彼女である所以たる強い意志の光が宿っていった。

小川についた頃にはすっかり目が覚め、水辺に辿り付いた霧香は猫科の動物を思わせる動作で実に気持ち良さそうに大きくその身体を天へと伸ばした。この頃になるとひたすら上と下で激しく抱擁したがる瞼を心を鬼にして引き離すことに全力を注いでいた彼女も、ようやく辺りの風景に意識をむける余力が出てきた。全身であたりを見渡すようにして、霧香は、はぁ、と見る者が見れば艶気があるととれなくもない溜息を漏らした。彼女の目に映った森の姿は、本当に美しかった。冷たささえ感じさせる清冽な森を渡る風は、木々の枝を囁くように鳴らし、その木々の囁きは幾重にも重なり静かな合唱となっていた。そしてその合唱する木々は小さく、あるいは大きく枝を揺らす様子から不思議な踊りを舞う妖精を連想させた。

「…………まぁ、早起きも悪いもんじゃないわね」

 ひとしきり歌い踊る森の様子を眺めた霧香は笑顔でそう呟いた。もっとも、その呟きには毎日じゃなければ、という一文が付くのだが、流石にそれは諦めるしかないと霧香も判っていた。親父殿と山に篭ったと思えば我慢出来なくも無い。霧香はそう考えて、朝寝という人生における楽しみを妨害されるこれからの日々を受け入れる決意を固めた。第一、親父殿と山篭りするよりよほど楽だ。少なくてもあのハロウドは隙を見せた次の瞬間にセクハラかましてくるようなことはないだろう。

「…………元気でやってるかね親父殿は」

 頭の痛くなるような記憶を思い出し、霧香は溜息混じりに言う。ううん、こっちに拉致られて二日。普通だったら騒ぎ出してもおかしくないんだけど――

「あの親父殿だしなぁ」

 過保護なのか放任主義なのか判らない父親。自分が居なくなればどう反応するだろうか。確かに、自分のことを(いろいろ間違ったベクトルに暴走することはあったが)愛してくれたとは思うのだが、その反面、どこか突き放したところがあったから案外あっさりとした反応を見せているかもしれない。まぁ、確実に警察に捜索願いを出していないことは確かだろう。ひどく公権力を嫌っていたし。

「――――里心が……ついてるのかなぁ」

 言って、霧香は桶で小川の澄んだ水を汲む。水を汲む際に身を屈めると肌をごわごわとした感触の貫頭衣が刺激する。まさかハロウドの前で魔力を使って服を作るわけにもいかないので、彼のものであるらしい貫頭衣を着ているのだが、この貫頭衣がなかなかに曲者だった。最初、彼女用の下着がないために、素肌に直に着ていたのだが、動くたびに肌の――というより身体の敏感な場所、つまり両胸の二つの突起が刺激されて仕方ないのだ。おかげで、妙な気分になってしまい霧香はかなり閉口した。

仕方が無いので、こっそりと胸の周りだけを覆うように魔力で服を構成して対処した。ちなみに、下の方の下着はハロウドのもの――もちろん、清潔な――を使わせてもらっている。この世界では男女で下着の種類が違うということがなく、皆、褌のようなものを着用している(細かいデザインの差異はある)。その下着を手渡された際、霧香は思わず、「ドシフンっすか……」と嘆くように小声で呟いたことはまったくの余談である。

「ついてるんだろうなぁ、里心」

 二つの桶に水を満たし、霧香は立ち上がると自分の心理状態にたいしてそう分析をくだした。ただ、家を空けたのではなく、二度と帰ることが出来ない――そのことが、本来家という物にさして執着しない彼女に郷愁じみたものを抱かせていた。案外、湿っぽいこと考えるんだなぁ、それともストレス溜まってるからかしら。そこまで考えると、彼女は桶を地面に置き、

「ま、ここでウジウジしててもしゃーないか」

 吹っ切るような口調でそう言うと、霧香は自分の両頬を気合を入れるかのように、ぱん、と張った。次の瞬間には彼女はいつもの舞堂・霧香に戻っていた。すぐに桶を持ち、ハロウド家へと戻る。休んでいる暇は無かった。なにしろ、今日使う分の水を確保するにはあと二往復はしないといけないのだ。


「ご苦労さまでした。さ、朝食にしましょう」

 水汲みを終えていい汗流したぜ、とさわやかな表情をしている霧香に、ハロウドは調理場からそう声をかけた。どうやら、彼女が水汲みをしている間に朝餉の準備をしたらしい。

「あー、私がやらなくてもよかったんですか?」

 や、確かにお腹減ってるから助かるんですが、と霧香はたずねた。てっきり、身の回りの世話には食事の用意も入っていると思っていたのだ。そんな霧香に、ハロウドは笑みを浮かべて答える。

「いや、色々やってもらうとはいえ、何から何までさせるというものあれですし」

 それに、ある程度自分で動かないと本当に不精癖がついてしまいますから、とハロウド。霧香はその答えに、なるほどそんなものか、と納得すると、朝食の並べられている食卓についた。食卓には、何かの動物の肉を焼いたものと、スープ、それにパンのようなものが並べてあった。昨日、自分が食べた朝食に比べるといささか貧相ではあるが、小川までの水汲み三往復できっちり空腹になっている霧香はあまり気にしなかった。最高の調味料とは空腹である、とは良く言ったものである。

「それじゃあ、いただきます」

「はい、めしあがれ」

 言って、霧香はまずローストした肉に手をつける。量は多くないが、美味い。が、

「……味付けが」

 悪い、というわけではない。昨日はそこまで気が回らずに気付かなかったのだが、どうにも薄味だ。ハーブかなにかで香りをつけるなどといった工夫はしてあるが、基本的に彼女の舌に伝わってくるのは肉そのものの味である。

「――香辛料とか、塩とかないんですか?」

 現代日本に暮らす霧香としては当然の疑問だった。だが、ハロウドはその問いから霧香の素性を推測する。ううん、こういうことを聞く、ということはそれらで味付けされた食事が当然だった、ということですかね? やっぱり娼婦だったのでしょうか。それも、随分待遇が良かったみたいですから高級娼婦ということですか。そこまで考えて、ハロウドはいやいやと小さく首を振る。あまり詮索はしないでおきましょう。誰にだって隠したいことや言いたくない辛い過去はあるのですから。相変わらずハロウドは誤解したままだった。

「すいません、どうしてもこう田舎ですと香辛料の類は入手しにくいのですよ。もともとあまり出回っていないですし」  少し間をおいてそう答えたハロウドに、霧香は少し拙かったかと内心で舌打ちをひとつ。同時に、ハロウドの答えから、この世界の生活水準などを推察する。ううん、地球でいったら大航海時代より前ってことかしら。それともルネサンス以前? 技術レヴェルとかも気になるなぁ、あとでそれとなく聞いてみるか。学校で受けていた授業のなかでも歴史にとりわけ興味のあった霧香はそんなことを考えていた。

「あと、塩の方も入手しにくいですね。ここは海からも離れていますし、近くに岩塩が採れる場所もないですから」

「そうなんですか」

 説明するハロウドに、なるほどと相槌をうちながら、霧香は朝食をたいらげていく。そこそこの量があった朝食は瞬く間になくなっていく。元から大して食べるほうではないらしいハロウドも、手早く朝食をすませた。載せるものの無くなった食器を調理場の浅く広いおけに放り込んで、霧香は食後のお茶を楽しんでいるハロウドにたずねた。

「で、これから何をします? 部屋の片付けをしますか?」

 言って、霧香は自分たちのいる部屋をざっと眺めた。昨日、あれから多少は片付けたもののまだまだ完全ではない。ただ片付けるのであれば早く済むのだろうが、ここに散らかっているものは薬作りの際に出たゴミなどを除いて大抵はその薬作りに使用する道具であるため、使用頻度に応じて使い勝手を考えた配置に片付けねばならない。そうした道具の使用法や頻度がいまいち判らない霧香はハロウドにいちいちお伺いをたてながら作業していたので昨日一日では片付かなかったのだ。まぁ、逆にいうと一日かけても片付かないほどに散らかっていたともいえるのだが。

「あー、いえ」腰に手をあてながらたずねる霧香に、ハロウドは少し考えてから答える。「片付けは、まぁ、だいぶ進んだのであとで構わないですよ。それよりも、溜まっている洗濯物のほうをお願いできますか?」

「洗濯物ですか?」

「ええ。ここ数日、薬作りのほうにかまけて溜めてしまって。あ、いや、ほんの一〇日分ほどですから少しですよ?」

 一〇日分の洗濯物は少しじゃないだろう。霧香は口に出さずにツッコミをひとつ。なるほど、知人とやらが言うように確かにハロウドは随分と不精者のようだ。まぁ、この散らかった部屋を見ればそんなこと判っているのだけれど。

「じゃあ、その溜まった洗濯物を片付けてしまいますね」

「はい、お願いします。ああ、洗濯は裏手のほうに桶と洗濯板があるのでそれで洗ってください」

 ハロウドがそう言った瞬間、家主に対する愛想じみた笑顔が浮かんでいた霧香の表情がぴくりと引き攣った。致命的なまでに胸の薄い霧香にとって『洗濯板』というワードは『ペチャパイ』、『貧乳』などとならんで禁句なのだ。無意識に(そしてまったくの悪意無しに)地雷を踏んだハロウドは、自分の新しい弟子の表情が強張ったのを見て取り、怪訝そうに眉をひそめた。

「どうかしましたか? キリカ」

「い、いえ」

 わざとやない、わざとやないんやから怒ったらアカン――何故か関西弁で自分を落ち着かせながら霧香は答えた。だが、どうもハロウドは納得しない様子でさらに問いを重ねてきた。この弟子が何か気分を害したらしいと察したのだ。

「隠さなくてもいいのですよ? 言ってください」

「いや、ほんとになんでもないんです」

 頼むから放っておいてくれ、と思いながら霧香は答える。だが、ハロウドはどうにも納得しない。

「キリカ」諭すような口調で言う。「いいですか? 確かに貴女は私の家で寝起きし、これからの糧を得ていくという点や、魔法を教わるという点で私に借りがあるのかもしれませんが、私だって身の回りの世話をしてもらうのですから相殺されて貸し借りはないのです。ですから、妙な遠慮は好ましくありません。言うべきことを言えぬ人間関係など不毛なのです」

「は、はぁ」

 畜生。霧香は内心で呻く。どうしてこの手の善人ってやつはこうなんだ。妙なところで気を廻しすぎる。美点といえば美点なのだが厄介なことにかわりはない。とはいえ、こちらが否定してもハロウドは納得しないだろう。霧香はそう判断する。得てしてこうしたタイプの人間はこういうときに限って妙に強情になり譲らないのだ。ええい、くそ、死ぬほど恥ずかしいけど仕方ない。

「そのですね」

 観念した霧香は自分の身体的劣等感とそれにまつわる禁句に関して説明した。その説明にハロウドは納得する。

「なるほど、そういうわけでしたか」ハロウドは、まぁ、年頃の娘ならば当然か、と頷き言う。「判りました。これからは気をつけます。確かに、妙な遠慮は不毛ですが一定の気遣いをするのは必要ですからね」

 そう言って笑顔を浮かべて、ふとハロウドは昨日のことを思い出し、呟いた。

「うん――――、確かに哀しいほど胸がありませんでした」

「余計なお世話だ―――――――――――ッッ!!」

 瞬間、霧香のドロップキックが炸裂した。


「洗濯も終わったようなので」ハロウドは奇妙な感じの角度で固定された首をさすりながら言った。どうも筋をいためてしまったらしい。「これから、魔法についての授業をはじめましょう」

 ハロウドの首がおかしな具合になっているのは、もちろん、霧香の放った殺人ドロップキックが原因である。ハロウドの首に綺麗に決まったそれは彼を小一時間ばかり昏倒させるとともにハロウドに今後霧香の前では二度と胸の話題は口にすまいという決意を抱かせるという成果を達成した。人と人との関係は対話をもってなすのが理想だが、時には武に訴える必要があるというのは人間という生物の悲しい種族的な宿業なのだろう。

「あ、もう教えてもらえるんですか」

 家の裏手に洗い終えた洗濯物を一つ残らず干し終えた霧香は、武を用いることで一定の相互理解を獲得した師匠に首をかしげてみせた。彼女の認識によれば、魔法の修練というのは、なにか色々と下積みなどをこなしたあとでようやく教えを請うことが出来る徒弟制度の典型のようなものだと思っていたのだ。まさか弟子入り翌日に教えてもらえるとは思ってもみなかった。霧香がそのことを口にすると、

「ははは、キリカ。魔法というのはそう難しいものではないのですよ」とハロウドは笑った。そして笑いをおさめて説明する。「私が使う精霊魔法というのは、この世界に存在する数多の精霊の力を借り受け、それを行使する技術です。そして、精霊というものは我々の身近に常に存在しています。その精霊たちの声に耳を傾けることが出来れば誰でも魔法を使うことが出来るのです」

 もちろん、個人によって得手不得手があったり使える力の大小はありますが――ハロウドはそう付け加えた。

「精霊の声に、耳を傾ける――ですか」なんだかエコロジストが喜びそうな理屈ね、と思いつつ霧香は首をかしげた。「それはそれで難しそうな気がするのは私の気のせいですか」

「確かにそうかもしれませんね。魔法を学ぶ上で挫折する人が多いのも、この概念を理解できない、という理由の方が多いですし。まぁ、理解できてしまえばそう難しいものではないんですが」

 習うより慣れろ、ということでしょうか。そう結ぶハロウドに、霧香は某伝説的クンフー映画スターの台詞を思い出した。どんとしんく・ふぃーる。

「とりあえず、精霊たちの存在を感じ取ることからやってみましょう」自分の言ったことを理解したらしい霧香に、ハロウドは言う。「目を瞑り、心を静め、自分を取り巻く精霊たちの息吹に、声に耳を傾けてください――」

 言われて、霧香はハロウドの言うとおり目を瞑って細く吸うように息をし、

(――ん? これって魔力を使えるようになったときと同じ要領なんじゃないの?)

 と気付く。霧香は知らなかったが、精霊魔法と、魔力の行使は非常に近しい要素を持っている。異なる点があるとすれば、前者が自己の外部にある力、後者が自己の内部にある力ということだけだ。後者にしても、魔界に満ちた魔力を自分の体内で変換して自分の力にしているので、本質的には外部の力といってもいい。

 そう気付いたら、あとは早かった。あのときと違い、自分の意識を外へ、自分をとりまく他者へと向ける。すると、森のざわめきが、風の息吹が、こちらに語りかけていることに容易に気付くことが出来た。こんにちは、ようやくこっちにきづいたね? 誰とも知れぬ声がそう呟いた――霧香にはそう思えた。

(ほう――)

 霧香の様子を見ていたハロウドは驚いたように目を見張った。どうやら、この少女はもう精霊たちの声を聞くことができたようだ。ふむ、とハロウドは考え込む。どうやら、中々の逸材のようだ。何処まで伸びるかは判らないが、精霊の力を借りる能力があるのは間違いない。しばらくして閉じていた両目を開いて、これが精霊の声ですか? とでも問いたげな表情でこちらを見る霧香に頷いてみせる。

「どうやら、貴女には魔法の才があるようですね」

「そうなんですか」霧香としてみれば、目を閉じていただけなのでいまいち実感がわかない。「そういうもんなんですか?」

「そういうものです」

答えながら、ハロウドはこれからの予定を頭の中で組みなおしていた。まさか、ここまであっさりと精霊の声を聞くことに成功するとは思わなかったのだ。初手から精霊の声を感じ取ることが出来るとは思っていなかったハロウドは、魔法に関する知識を教えながら、段階的に精霊の力に目覚めさせていこうと考えていた。

「それではキリカ、中に戻るとしましょう」

「……もう終わりなんですか?」

 てっきり、これから精霊の力、その行使について教えてもらえるとばかり思っていた霧香は少し拗ねたようにたずねる。そんな霧香にハロウドは苦笑してみせる。

「物事には順序というものがあるのですよ」諭すように言う。「まずは、精霊に関する知識や、術式について学んでもらいます。力を行使するには、それなりの知識が必要になるのです。下手に大きい力を心構えもなしに振るってしまうと、力に呑まれてしまいますからね」

 武道で言うところの礼といったところか。霧香はハロウドの言葉をそう自分なりに理解する。と、ハロウドは彼女に背を向けてすたすたと家の中へと消えていく。霧香は慌ててその後を追った。食卓のある居間兼作業所に入ると、なにやら両手に何冊かの本を抱えてこちらを待っていたハロウドが霧香を出迎えた。

「とりあえず、これに目を通しておいてください。魔法学の基本について記してあります」

 ハロウドが選び、彼女の前に差し出したのは、彼が自分の師匠のもとで学んでいたころに師匠の持っていた本を書き写した写本だった。動物の皮をなめし、加工した紙で作られたそれらの写本は、順序良く読んでいけば魔法学について体系的に理解できるよう選ばれていた。

「そこに記してあることを理解し、知識を身に付けたら、実践に移りましょう」

「判りました」

 実地の前の座学みたいなもんね。霧香はそう納得し、一番上に積んであった写本を手にとる。新たな知識について学べる喜びに胸を高鳴らせ、地味ではあるがしっかりとした作りの表紙をめくった彼女は、だが、次の瞬間顔をしかめた。どうやら、便利パワーなり御都合主義なりは万能ではないらしい。彼女は写本から視線をあげ、ハロウドに何処か情けない表情をむけて言った。

「すいません。字が読めません」




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