一次創作『宿無し魔王放浪記』

宿無し魔王放浪記

第一章

6・日常と捜索

「…………小学生にでもなった気分だわ」

 自分用にあてがわれた六畳ほどの部屋で、霧香はそう呟いた。彼女は、木炭の欠片を手に持ち、画板のような薄い木の板を使って書き取りの練習をしていた。喋りと聞くのは問題なかったのだが、読み書きに関してはさっぱりだったからだ。表音文字であるらしいゴロンド文字――この世界で一番大きな陸地であるゴロンド大陸で広く仕様されている――をがりがりと木板に書き込みながら彼女は思った。いらんとこで不便なんだから、と。

(読み書きぐらい完璧にサポートしなさいよ拉致してきたなら。サポセンに苦情言うわよ?)

 そう一人愚痴る霧香だが、実はかなり手広くサポートされている。魔族たちの言語に加えて、ハロウドが喋っている正ゴロンド語、まだ接触していないヤトウとカルチェの言葉も理解できるようになっているからだ。翻訳こんにゃく並のサポートぶりである。

 とはいえ、愚痴っても始まらないのでこうやって暇を見ては書き取りの練習をしている。新しい知識を身に付けるのを苦にしないタチなので、こうしたことに不満を覚えるわけではないが、やはり不便なものは不便だと思う霧香だった。唯一慰めがあるとすれば、今習っている正ゴロンド文字さえマスターしておけば霧香たちのいるゴロンド大陸で不便しないということだろう。もっとも、地方によっては亜種文字を使っているところもあるらしいのだが、それも基本は正ゴロンド文字なので、覚えておくのにこしたことはない。

 やがて木板いっぱいにびっしりと文字を書き込んだ霧香は、ううん、と背を伸ばして木板を壁にたてかけた。昼食をとってからひたすら書き取りをしていたため、座りっぱなしだった腰が随分と重くなっていた。ベッドに倒れ込み、枕元に置いてある写本を手にとった。ここ数日の書き取りが功を奏して、なんとか内容を理解できるようになっていた。元から喋れるので、字さえ覚えればあとは早い。

 目を通している写本は、ゴロンド大陸に伝わる古い英雄譚を記したものだった。とはいえ、歴史書のたぐいではない。大陸の西のほうに伝わる古い言い伝えを、やや誇張した筆致で綴っている娯楽本だ。事実、魔法に関する描写などは、まだ基礎的な知識しかない霧香ですら間違いを幾つも指摘できるところがあった。とはいえ、内容自体はそこそこ面白い。おかげでついつい読み耽ってしまった。が、窓から差し込む柔らかな日差しに誘われてか、はたまたここ数日の早起きのせいか、

「キリカ、少しいいですか?」

「ふぁい?」

 気が付くと午睡に突入していたらしく、霧香は年頃の娘が人前で見せるにはいささかだらしない顔で部屋に入ってきたハロウドにぼやけた返事をする。苦笑するハロウドに指摘されて霧香は慌てて口の端から垂れていた涎を袖で拭いながらベッドから身を起こす。

「どうかしたんですか先生?」

 夕食の準備にはまだだいぶ早いよなぁ、などと思いつつ霧香はたずねた。

「いえ。これから森に薬草を摘みにいくのでキリカも連れて行こうかと思いまして」

「薬草摘みですか」

「ええ」ハロウドは頷きながら言う。「旅をする際にとても役に立ちますから、貴女も知っておいたほうがいいかと思いまして」

 自分で薬を調合できると便利ですよ、というハロウドの言葉に霧香は、なるほど、と思う。確かに、旅先で自前で薬を調達出来れば便利だろう。なにしろ霧香の世界のように少しあるけばコンビニなり薬局がほいほい見つかる、というような世界ではないのだ。身に付けておいて損な知識ではない。

「それとも、午睡を楽しみますか?」

「いえ。今寝ると夜に面倒しそうですから」どこか意地悪な調子で言うハロウドに苦く笑いながら返して、彼女はベッドから立ち上がった。「連れていってください」

 午後の暖かい木漏れ日が溢れる森の中を、霧香はハロウドのあとをついて歩いていった。途中で、ああ、この草は解熱作用があって――などと、薬草を見つけては霧香に教えるハロウドの説明を幾度となく聞かされた。知識の習得ということに関してはなんら厭うことのない霧香は、それらを興味深そうに聞き、あるいは時折質問をしながらハロウドの薬学的知識を身に付けていく。

 そうして、日も暮れかけた頃になって手にした籠に種々様々な薬草を山盛りにしてから二人は家へと戻った。これら薬草の処理の仕方は明日教えてもらうことになった。これから、夕食の準備にとりかかる必要があるからだ。ちなみに、朝はハロウドが、昼は交代で、夜は霧香が担当することになっていた。

 そんなわけで、霧香は調理場に立っていた。和服を着て水仕事をするときのように、紐でたすきをかけて袖が濡れないようにしているので、霧香の白く、そしてそれよりも細さが目立つ腕が外気に晒されていた。しばらく、頬にぺたぺたと包丁をあてながら何を作ったものかと考える。ちなみに、霧香が手にしているものは包丁というよりもナイフに近いものだった。気になった霧香がそれとなくたずねてみたところ、ハロウドが大陸を旅していた頃に護身用として使っていたものらしい。下手をすれば血を吸った代物であるかもしれなかったが、霧香は大して気にはしなかった。

 黒パンは朝焼いたものをそのまま供するとして、おかずはどうすべきか。裏の菜園で採れた馬鈴薯に良く似た芋が籠の中に盛られているのを見て、それを中心にメニューを組み立てる。だが、ドイツ人でもあるまいし、芋料理だけというのも。取り残された戦線のウェアマハトの一兵卒でももっとマシな食事をしているだろう。ううん、山羊――のような生物――の乳から作った発酵食品と組み合わせて。

 基本的に調味料の数が限られている――というよりも香草の類ぐらいしかない――ので、調理法は限られてくる。それならば、諦めて簡単なものにしてしまえば良さそうなものだが、どうせ食べるならば美味しくいただきたい、というのが霧香の考え方だった。工夫してもどうにもならないのであればあっさりと諦めもつくが、工夫の余地が少しでも残っているならば最後まで粘る。

 ううん、と霧香は唸った。この場合、諦めるか。諦めて、調理法で幅を持たせた芋料理で我慢すべきか。と、霧香が現実に対して白旗をあげるかどうか考えていると。

「わふ」

 居間のほうから、犬の鳴き声が聞こえてきた。思考を中断された形になった霧香は微かに顔をしかめた。続いて気付く。はて、この家、犬なんかいたかしら? 少なくても、拾われてきてからこちら犬の姿なぞ見たことがない。気になった霧香は包丁を放り出すと居間に足を向けた。居間には、犬が居た。

「なんですか、それ」

 椅子に腰掛けながら、犬の頭を撫でていたハロウドに霧香はたずねた。

「ああ、この子は私の使い魔ですよ」

「使い魔」

「ええ、ああ、そうか貴女は知らなかったのか。丁度、貴女を拾う前の日に知人のところに使いにやっていたんですよ。ペリ、というんです」

 返ってきた答えに、霧香はまじまじと犬の姿を見る。霧香の認識によれば、魔法使いの使い魔というものは黒猫だったり鴉だったりする。少し前は白い梟を使い魔にするのも流行であったらしい。が、彼女の前にいる使い魔は、黒猫でもなければ鴉でもなかった。犬だ。何処から見ても犬だ。

 毛足の長い体毛は純白で、その姿はゴールデンレトリバーに酷似していた。いや、ゴールデンレトリバーよりもボリゾイか、と霧香は認識を改める。ただ、彼女の知るそれより目の前の使い魔は二周りほど大きかったが。ちなみに、犬よりも猫のほうが好きな霧香としては魔法使いである自分の師の使い魔が黒猫でないことにいささか落胆していた。現実とは常に厳しい。

 と、霧香が世の中はままならいものであるなぁ、などと思っていると、その犬の傍らに何かが置かれていることに気付いた。見れば、動物の死骸――少なくても生きているようには見えない――が見えた。兎のような生物だった。ただ、兎よりも随分と大きいし、耳も細長いというよりも象のように大きく広いものだった。ハロウドが、「この耳を羽ばたかせて飛ぶのですよ」とでも言えば思わず信じてしまいそうな大きさだ。

「先生、その生き物は?」

「ああ」霧香が指差すものを見て、ハロウドは答えた。「ペリが獲ってきてくれたんです。ほら、貴女がここで最初に食べた食事で供してあったお肉。アレもこの子が獲ってきてくれたんですよ」

 ふむ、と霧香は頷いた。猫でないのは至極残念だが、食用肉が手に入ったことは喜ばしいことだった。これで、芋料理だけ、という夕食のレパートリーに『肉』の一文字が加えられる。お肉を今夜の夕食にもたらした、この犬に感謝を捧げよう。

「よくやったわ。褒めてあげる」

 そう言って、霧香は笑みを浮かべ、犬――ペリの頭をわしゃわしゃと撫でた。次の瞬間、

「わふっ」

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!?」

 ペリは霧香の手にがぶりと噛み付いていた。それはもう、がぶりと。痛いなどというレヴェルではなかった。ペリは渾身の力で霧香の手に噛み付いている。思わず叫ぶのを忘れてしまうほど痛い。そんな光景を見たハロウドが、思い出した、とでもいうような口調で言う。

「気をつけてくださいペリは女の方が嫌いなのでむやみに触ったりすると噛み付きます。ペリに噛み付かれるとかなり痛いらしいですよ? 私は噛まれたことがないので判りませんが」

「いや、そーいうのは先に言ってくださいつーか痛い! 痛い痛い!! 本気で痛い!!」

「ペリ、駄目ですよ。キリカは私の弟子なんです。噛んではいけません」

 その言葉に、ペリはしぶしぶ、といった感じで霧香の手を開放した。ちなみに、そのときの様子を擬音を用いて表現するなら、『ぺっ』といった感じだ。

「こ、このクソ犬……」

 なんや殺るんかオルァ!? といった感じでこちらを見るペリに、霧香は涙を滲ませながら睨み返す。彼女に動物虐待の趣味はないが、向かってくる相手に手加減をするほどぬるい性格ではない。実際、ハロウドの使い魔でなければ蹴りの二〜三発は食らわせていることだろう。

「大丈夫でしたか、キリカ? 噛まれた手を見せてください」言って、ハロウドは先ほどまでペリが牙を突き立てていた霧香の手をとった。大きな外見に相応しく、ペリの牙はそれなりの威力を持ち合わせていた。彼の見たところ、ペリはまったくの遠慮なしに噛み付いていたようなので、酷いことになっている可能性があった。が、ハロウドは手にとった霧香の手を見て、「むう」

 小さく唸った。節くれ立っている、とまではいかないが細く肉付きの悪い霧香の手には、ペリの牙のあとが赤く点々とついてこそはいるが、まったくの無傷といっていい様子だった。

「あー」自分の手をとって矯めつ眇めつしているハロウドに、霧香は若干困惑したように声をかけた。「どうかしましたか? 先生」

「ああ失礼」自分が不躾なことをしていたと気付いたハロウドは軽く頭を下げて霧香の手を離した。「少し腫れるかも知れませんが――まぁ、大丈夫でしょう。あとで軟膏を塗っておくといいですよ」

「夕食を作り終わったらそうします」

 言って、霧香は敵意剥き出しで唸るペリに負けじとメンチをきりながら、その傍らにある小動物をひっつかんで調理場に消えていった。ハロウドは、見た目よりは存外柔らかかった霧香の手の感触を思い出しながら首を捻った。

「どういうことなんでしょうねぇ」


「ふむ」

 疲れたような、そして唸るような声が部屋に響いた。落ち着いた――というよりいささか実務的に過ぎる内装に響く声の主は、ギリアム・ウルベルト、魔界の宰相その人のものだった。もちろん、場所は彼の執務室だ。彼は、先ほどまで報告を受け取っていた子飼いの部下を下がらせると、クッションの良く利いた椅子に深々と沈ませた。

「もう七日も経つというのに未だ見つけられんとは」

 報告の内容を思い出した彼は、その人生を刻んできた男だけに許される渋味のある顔に頭痛を堪えているような表情を浮かべて呟いた。いや、実際のところ頭が痛くなるような内容だった。子飼いの部下に命じていた任務は魔王探索。思慮の足らない先代の嫡子がしでかした不始末以来、この城から消え失せた霧香を探し出すことだった。そして、けして少なくない数の部下――口が堅く、信用の出来る――から伝えられた報告は、魔王、未だ発見できずという内容のものだった。

「まだ行方が判らないのですか?」

 彼の傍にひかえていた青い髪の女性――ウィルニアが落ち着かない様子でたずねる。憂いを帯びたその声と表情は、元から整っている彼女の容姿をさらに魅力的なものにしていた。とはいえ、ギリアムはそれどころではなかった。

「うむ」彼は鎮痛そうな面持ちで頷いてみせた。「魔界の四方に手を伸ばしているのだがね」

 影も形も見えん、彼はそう言って小さく唸る。沈着冷静にして、その落ち着いた表情を崩すことのない彼にしては珍しいといっていいほどに、その顔には苦悩が浮かんでいた。だが無理もない話といえる。なにしろ、魔界から魔王が消えたことなど長い歴史の中でいままでなかったのだ。

 血塗れの慮外者――クラウヌスに手当てをほどこしたのちに聞き出したことの顛末から、おそらくは魔力を暴走させたことでどこかに転移してしまったのだろう、――そのことは容易に想像がついた。だが、問題は霧香が何処に転移したのかさっぱり見当がつかない、ということだった。

 魔力の痕跡から辿ろうにも、あまりに強すぎる力のせいでその残滓は滅茶苦茶なものになっていたし、彼女の魔力自体を探知しようにも、自分が封じてしまっているのでそれもままならない。人をやって探そうにも、あまりに人員をつぎ込めば何があったのか悟られてしまう。先代の子が今代の魔王を手篭めにしようとした、などとおおっぴらに言えることではない。それは先代の名誉に傷をつけることに繋がるし、今代の魔王に手向かうものが存在する――絶対者である魔王に叛意をもち、なおかつそれを実行させてしまったということになる。知られるわけにはいかなかった。

 そのため、クラヌウスは死なぬ程度に手当てを施し、事情を聞き出したあとでギリアムがその魔力を封じ城の一角に幽閉されることになった。とはいえ、先代の嫡子を幽閉したとあってはやはりいらぬ噂がたつので表向きには病に伏せられ、療養中である――ということになっている。また、霧香が人前に姿を現さないことについても、似たような理由を周囲に流していた。しかし、何時までもそうしておくわけにもいかないのも事実である。

 有力者たちへのお披露目など、そうそう先に延ばすわけにもいかないことが山のようにあるのだ。魔界に不慣れだの、療養中だのという説明が何時までも続くはずがない。

「まったく。いらぬ面倒を起こしてくれる」

 短慮であるとは知っていたが、よもやこれほどであるとは。ギリアムはそう言って、深い溜息を一つ漏らした。気分を変えるためか、重厚さを感じさせる造りの執務机の抽斗をひらき、その中に収めてある小箱から、葉巻を取り出す。若い頃に人界で覚えた悪癖だった。ギリアムは、人界で覚えたけして褒められぬ嗜好を忘れられず、元来、魔界には存在していなかった煙草の種子を人界から持ち込んで自分の領地で栽培させていた。贅沢といえばこれ以上ないほどに贅沢な話だが、宰相という地位についてまわる利権や役得になんら興味を示さぬ男の趣味としては許容範囲内だといえるのかもしれない。

 親指ほどの太さのある葉巻を咥え、吸い口を噛み切ったギリアムは魔力を軽く振るってそれに火を付けた。人界の権力者であれば他人――この場合は傍に控えているウィルニア――に火を付けさせそうなところだが、ギリアムはそうした趣味を持ち合わせていなかった。加えていうなら、喫煙という習慣のない魔界において、上位者の咥えた煙草に火をつける、という行為自体存在しないので、ウィルニアも火をつけようなどとは思わない。

 二、三度深く吸い込んだのちに、ギリアムが彼の肺腑を焼いた紫煙を吐き出すと、執務室には、それを嫌悪するものならば怖気をふるう馥郁たる芳香が漂う。彼は、その香りに満足そうな溜息を一つ漏らす。ウィルニアは、というと、不躾にならぬ程度に眉を顰めている。魔族と森人と呼ばれる妖精種の間に生まれた彼女は、人はもとより並の魔族など及びもつかぬほど各種感覚、とりわけ嗅覚が優れていた。

 そんな彼女にとってギリアムが吐き出した紫煙、あるいは葉巻の先から漂う匂いなど悪臭以外の何物でもない。内心で、これがこの方の唯一の欠点よね、などと思っている。幼い頃から付き合いのある、この父親の友人は確かに尊敬してもしきれぬほどの人格者だったが、彼のこの悪癖ばかりは理解できないでいた。もっとも、理解できぬからといって窘めようとも思わない。誰にでも、余人に解せぬ趣味嗜好の一つはもっているだろう――彼女はそう考えていた。だからこそ、眉を顰めてみせるに留めている。

「人手が足らんな」

 アルコールとはまた趣の異なる酩酊感を幾らか楽しんで、ギリアムは呟くように言う。思ったより気分は変わっていない。

「ですが、これ以上は」

 ウィルニアは可能な限り鼻腔を侵してくる香りを無視しながらギリアムに言った。まったくの事実だった。口が堅く、信の置ける者はあらかた探索に出向いている。これ以上の増員は魔王不在という事実を露見させてしまう可能性があった。

「判っている。判っているよ、ウィー」友人の邸宅で幼い頃の彼女を膝の上であやしていた頃に用いていた愛称を使いながらギリアムは言う。「だが、人手が足らんのは紛れもない事実だ」

 ならば如何なさいますか、と目で問うウィルニアに、ギリアムは渋々といった様子で告げる。

「金だな。金で動くものたちを用いるよりあるまい」

 魔界は魔王という絶対者に統治された世界ではあるが、けして楽園というわけではない。地方領主や有力者たちは、問題にならぬ程度に、しかしけして笑って済ませることが出来ぬパワーゲームを果てもなく繰り広げ、庶民は庶民で日々に追われながら二度と同じ日が来ることはないが代わり映えのしない日常を謳歌している。人界となんら代わらない。そして、金を受け取ることで問題を解決することを生業とする者たちがいることも、人界と同じだ。ギリアムは、そうした者たちを使うといっていた。

「大丈夫でしょうか」

「支払いさえ滞ることさえなければ、問題はないだろう」

 人格者ではあるが、それと同じぐらいに権力者であるギリアムは自分の経験則からそう答えた。もっとも、微塵も問題がないとは思っていない。ただ、その問題に目を瞑ってでも霧香を探し出す必用がある――そう考えているだけだ。

 ギリアムの、腹の底で何を考えているのかいまいち判り辛い返答を聞いたウィルニアは、しばし黙り込んだ。それから何事かを考え込んでいる様子だったウィルニアは、内心の決意をありありと感じ取れる様子で口を開いた。あるいは、煙草の煙で少しばかりおかしくなっていたのかもしれない。葉巻の生み出す香りは、慣れぬものには――いや、慣れたものであってもきつく感じられるものだった。

「私もキリカ様をお探しいたします」

 ウィルニアの口にした言葉に、ギリアムは軽く眉をあげてみせた。眉をあげて、黒曜石を削り出して作られた灰皿に葉巻の灰を落として言う。

「好きにしたまえ」

 内心で、事務仕事が捗らなくなるな、とギリアムは思った。


「はいはい、がっつかないの。落ち着いて食べなさい」

 かいばを両手に抱えた霧香は、すでに餌桶に放り込んであるかいばを無心に啄ばむ竜たちに苦笑して見せた。場所は、ハロウドの家の隣に建てられた小屋だ。彼女が寝起きする家よりも幾らか雑な作りのその小屋は、霧香の知識で言えば馬小屋のような造りをしている。目的も似たようなものだ。彼女たちの世界における馬の役割を果たす家畜である竜を飼っておくための小屋。

 竜、といっても御伽噺に出てくるような生物ではない。空も飛ばぬし、火も吹かない。トカゲというよりは鳥類に類別されるような生物だ。見かけは何かで読んだドードー鳥のようだ。もっとも、伝え聞くドードー鳥よりもよほど大きい。かの絶滅動物が体長一メートルほどであるのにたいし、霧香の目の前で無心にかいばを貪る竜は軽く二メートルはある。体表に生えているものは、羽毛というよりも動物の毛に近いものだった。ハロウドの蔵書で知ったのだが、この竜たちは亜竜と呼ばれているらしい。ゴロンド大陸全土に広く生息し、家畜として飼育されている。

 ――随分と食いでがありそうね。餌桶の中のかいばをあらかた食い尽くした三匹の竜を見て、霧香はそんなことを思った。食に煩いのと同時に、彼女は中国人並の悪食であり、そんな彼女の目から見たら、どう見ても鳥にしか見えないこの竜たちは食材の一種に見えてならなかった。

「くぅ?」

 果たして、そんな霧香の内心に気付いたのか。三匹の中で一番大人しそうな竜が怯えたような鳴き声を漏らした。そんな竜に霧香は極上の笑顔を浮かべて言う。

「大丈夫よ」

 何が大丈夫なのか。もちろん、人語を話すことの出来ない竜にそうたずねる術はなかった。まぁ、たずねたらたずねたで碌な答えが返ってこない可能性があるのでそのほうが良いのかも知れない。

 霧香は、袖や胸元についていたかいばのカスを手で払うと、竜たちに別れを告げてハロウド邸の中に戻った。師匠であり、家の主であるハロウドの姿は無かった。どうやら、森に散策に出かけているらしい。居間というか作業場というか、霧香やハロウドたちがそうした目的で使っている、いくら片付けても乱雑な印象を受ける部屋にある食卓兼作業台の傍らにある椅子に、彼女は腰を下ろすと、少しばかりむくれたような顔で窓の外を見た。

 森に出かけるのならば、連れていってくれれば良いのに、と思っている。知識を習得することに喜びを覚えるたちである霧香にとって、様々な知識を得ることの出来るハロウドとの散策はとても有意義なものであった。で、あるならば、機会があれば常に付いていきたいと考えていた。

 そこまで考えて、随分とハロウドに懐いている自分に気が付き、霧香は軽い驚きをおぼえた。この世界に来るまで、どちらかといえば他人と距離をおいて接するように振舞っていた自分が、その他人に置いていかれたことに憤りを覚えるというのは、霧香にとって驚き以外の何物でもない。

「むぅ」




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